DQ3
ゾーマ「◯◯◯◯よ!
なにゆえ もがき いきるのか?
ゾーマ「ほろびこそ わが よろこび。
しにゆくものこそ うつくしい。
ゾーマ「さあ わが うでのなかで
いきたえるがよい!
【ゾーマ】が戦闘前に言い放つセリフ。
非常に秀逸な言い回しから彼のカリスマ性がうかがえる。
同じくゾーマ撃破後の【○○○○よ……。 よくぞ わしを たおした。】と並ぶ有名なセリフである。
語り始める前に勇者の名を呼ぶと言うのも、これらの台詞の価値を高めている要因であろう。
人間を征服し、その絶望や悲しみを喜びながらも、苦難を乗り越え向かってくる勇者一行を自身に対抗しうる「敵」として認め迎え撃つ姿勢は、この大魔王の度量の大きさをプレイヤーに認識させる。
このように主人公を一人の個人として認識する魔王は歴代でも珍しく(ちなみに、彼の部下であるバラモスも同様である)、
もし最初が「人間どもよ!」だったらこの台詞のカリスマ性及びインパクトは薄れていたかもしれない。
実際、CDシアターでも同じ台詞を勇者アレル達に尋ねた際「人間よ」となっており、良くも悪くもありきたりな感じに近づいてしまっている感が否めなくなっている。
CDシアター
この台詞に対し勇者アレルが
「ゾーマ、教えてやる! 僕は、僕の信じる人のために、僕を信じてくれる人のために、お前と戦う!」
と答えている。
直前の父との死別を乗り越えただけあって勇ましく毅然とした返答だが、問いかけへの解答という意味では若干ズレている。
DQ8(3DS版)
写真システムに、このセリフを元にしたフレームがある。
ほろびこそ わがよろこび。 死に行くものこそ うつくしい。 さあ わが うでの中で 息絶えるがよい!
DQ9
大魔王の地図の一種として再登場した【ゾーマ】との戦いの際も、この台詞と共に始まる。
DQ10オンライン
5周年を記念した期間限定イベント【大魔王ゾーマへの挑戦】に登場する【大魔王ゾーマ】も当然のようにこの台詞を言う。
更に戦闘中には、この台詞を元にしたと思われる【滅びの愉悦】、【死絶の美学】、【魔王の抱擁】といった攻撃技を使用する。
DQ11(3DS版)・DQ11S
ゾーマのチカラを持つボス【ゾーマズレディ】が戦闘前に言うが、最初の行が「○○○○よ!なにゆえ私たちの神に逆らいもがき生きるのか?」に変えられている。
DQM1
【しはいのとびら】でゾーマと戦うことになるが、その際は「○○○○よ!」が「そなたは」に変わっている。
ジョーカー3・3プロ
【時空の裂け目】での戦闘でゾーマの前口上を聞く事ができる。
主人公がゾーマと戦う為に足を踏み入れる事を予め読んでいたと話し、「命知らずの おろか者」と評す。
しかし、ここに来る前から主人公の同行を探っていたという事は主人公の事を気にしていたという何よりの証拠であり、一概に侮っているとは言い難いセリフである。
DQM1の時とは違い、こちらを名前で呼んでくれる。
こちらにはいといいえの二択を迫る形式になっているため、「勝てると思うのなら かかってくるがよかろう」という文が追加されている他、
「なにゆえ もがき いきるのか? ほろびこそ わが よろこび」は「我こそは すべてをほろぼすもの」という名乗りと入れ替わりに削られたが、「死にゆく者こそ美しい」と足せばセリフが含むニュアンスには結局のところ大差は無い。
ちなみにいいえと答えた場合は「死にゆく者こそ美しい」以降のくだりは聞けないのだが、このくだりはほぼ原文ママ。
剣神
上記の台詞を引用しながら死にゆく者が美しいかどうか聞いてくる。「いいえ」と答えると戦闘になる。