セリフ/【私は新たな『シン』となり】

Last-modified: 2021-07-02 (金) 10:18:55

FF10

シーモアの野望
正確に言うと「あなたの力と命を借りて、は新たな『シン』となりスピラを滅ぼし、そして救う」。


ベベルのグレード=ブリッジにて最初に語るが、あの時点であのセリフの意味を理解したのは
仲間の7人の中ではたった1人しかいない。

  • 最も、『シン』になる、というのはアーロンとティーダ以外は初耳のはず。

つまりユウナの究極召喚獣になった上で『シン』になり全てに滅びを与えるということ。
しかし、ユウナに嫌われたことと、死人になったこともあるので、この野望が実現できるかは怪しくなっている。
にもかかわらず、彼は彼女を得るために暴走を始める。
執念深く留まっていたのはもちろん彼女がほしいというのもあるが、ちょっと見方を変えると
それほど世界に復讐したいとも考えられる。
それほどまでに世界が憎いか、シーモア。


しかし、この野望は当初の予定と全く違う形で実現してしまう。

  • あの形は……実現したというのか?
    • 本人曰く内側から乗っ取るつもりだったらしいし、いわゆる結果オーライ。その後がまるで駄目だったけど。

よくよく考えたら『シン』になりたいのなら求婚なんかしなくたってガードになればいいだろうに…と思う。
そうすればもっとうまく入れ込めたと思う。

  • そんな考えも及ばないほど、感情的になってたんだろう。
  • ユウナレスカとゼイオンの例を特別視していて、だから結婚することに拘っていたのでは?
  • ユウナが例外的にガードの数が多いだけで、ガードは親密な相手と少数なのが基本。
    絆に割り込み人柱に選ばれる存在になるために結婚と言う狙い自体は悪くないだろう。
    この台詞時点では正攻法は破綻しているので、精神的に追い詰める為の手段になっているようだが。

滅ぼして救うというのは一見意味不明のようにも思えるが、
シーモアが口癖のように連呼する『死の安息』というセリフから読み取れる通り、
彼は『死』を『癒し』と考えている。

  • 死人になったとは言え、自身の『死』が自身への『癒し』にならなかった時点で、その破綻に気付かないものか。
  • シーモアの言うところの「死」は完全な「消滅」だからだろう。死人となってでも生き長らえている辺りでは彼にとっては死んでいないということと同じなんだ。
  • 要するに「ポア」