明治村・蒸気機関車12号・1両

Last-modified: 2015-11-15 (日) 05:40:42

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車両紹介

1872年(明治5年)、日本で最初の鉄道開業に際してイギリスから輸入された蒸気機関車5形式10両中の1形式で、当初は4両が輸入された。1871年(明治4年)、シャープ・スチュアート社(Sharp, Stewart & Co., Atlas Works)製(製造番号2102~2105)である。本形式は、同時に輸入された機関車の中で最優秀の評価を受け、1874年(明治7年)にも細部の異なる同形機2両(製造番号2420・ 2421)が増備され、計6両が輸入されている。写真は1874年製の後期形で、当時は22・ 23と付番されていたが、1876年(明治9年)には、東部(京浜間)の機関車を奇数に、西部(阪神間)の機関車を偶数とする改番が実施され、後期形の22は「21」に改番されている(23は変更なし)。この番号は、1909年(明治42年)の鉄道院形式称号規程による改番まで不変であった。1894年(明治27年)に前期形・後期形とも「B形」に類別され、1898年(明治31年)に前期形は「A6形」、後期形は「A7形」に類別された。1909年、鉄道国有法の施行を受けて制定された形式称号規程による改番では、両形は再び同形式に統合され、形式は160形と定められた。新番号は、旧番号順に160 - 165となっている。後期形の2両も、1911年3月に尾西鉄道(現在の名古屋鉄道尾西線)に払下げられ、同社の丁形(11・12)となった。会社の合併により、名岐鉄道→名古屋鉄道と所有者が変わり、電化後は予備車となった。11は早期に廃車されたが、12は太平洋戦争後まで残り、1957年(昭和32年)10月に廃車された。1957年に廃車された名古屋鉄道12(旧鉄道院165)は、1963年に犬山市の名鉄ラインパーク(現在の日本モンキーパーク)に静態保存された。復元の為、当時鉄道路線を営業していた淡路交通に残っていた鎖式連結器を譲り受けた。1965年(昭和40年)、博物館明治村のオープンとともにそちらに移転した。移転後数年間は静態保存であったが、鉄道100年を機に動態復元され、1973年から3両の(これも明治生まれの)二軸客車を牽引して村内の移動手段として運行されるようになった。この運行は、鉄道事業法に基づく鉄道事業ではないが、12号の製造後130年を超える現在まで継続されており、まさに驚嘆に値する壮挙といえる。なお、製造から100年を超えてボイラーが老朽化した為、1985年に新しいボイラーが製造されて取替られた。取外されたオリジナルのボイラーも明治村内に保存されている。

車両データ

Lv.1時MAX(Lv.400)時
表定速度4545
一般車定員00
特別車定員00

増結

明治村・三等客車・3両明治村・蒸気機関車12号+三等客車・4両

備考

限定車輌ではあるが、車輌購入ボタンを押して出現します。また、ディーゼル車扱いなので、明治村 蒸気機関車のみならず、三河線 海線、三河線 山線、三河線末端 海、三河線末端 山、八百津線、犬山線、名古屋本線 東、広見線、津島線にも投入可能です。

注意事項

2015年9月17日配布終了