元阪神タイガースの俊介(藤川俊介)の別称。
由来
2015年頃、なんJ民が「地味で常に悲しそうな顔立ちが、不作時の農民のようだ」と評したことから付いた別称。好調時には大豊作や豊作と言われるが、不調時ややらかし時には不作・凶作・大凶作と言われ叩かれる。
概要
2009年のドラフト5位指名で近畿大学から阪神に外野手として入団。下位入団ながら評価は高く、背番号は真弓明信や今岡誠が背負った7番を与えられ1年目から一軍に帯同し将来を嘱望された。当時は藤川球児も渡米前でありスコアボードや新聞での表記は「藤川俊」だったが2011年シーズン開幕前に「俊介」に登録名を変更。俊足で守備範囲も広かったが打撃で結果を出せず、2021年までのプロ生活のほとんどを代走・守備要員として過ごした。ただ、これでも悪名高い「黒田ドラフト」期に獲得した野手のなかでは健闘した部類である。
またキャリア初期は広陵高の大先輩でもある金本知憲の介護役兼交代要員だったため名前に掛けた俊介護士という別称があった*1。
地味なイメージが強い彼だが実は広陵高1年生の時からベンチ入りしているエリートである。また上本博紀は高校の1学年先輩であり2年次には投手として上本とバッテリーを組んで甲子園に出場した。また近大時代の同期に荒木貴裕(元ヤクルト)が、大先輩には藤井彰人や糸井嘉男がいる。