ソ連 RankVI 重戦車 IS-3
概要
T-10の先祖的車両。
ちなみにアルティメット仮設トイレやウルトラ仮設トイレ、コンカラー、M103がこの世に誕生するきっかけを作ったのが本車だったり。
車両情報(v1.5.4.91)
車両性能
項目 | 数値 |
---|---|
砲塔旋回速度(°/s) | 14.4 |
俯角/仰角(°) | -3/20 |
リロード速度(秒) | 20.0 |
スタビライザー/維持速度(km/h) | 無し/ - |
車体装甲厚 (前/側/後)(mm) | 110 / 90 / 60 |
砲塔装甲厚 (前/側/後)(mm) | 250 / 172 / 70 |
重量(t) | 48.0 |
エンジン出力(hp) | 992 |
2,000rpm | |
最高速度(km/h) | 43 |
実測前進~後退速度(km/h) | *** ~ -*** |
視界(%) | 85 |
乗員数(人) | 4 |
武装
名称 | 搭載数 | 弾薬数 | |
---|---|---|---|
主砲 | 122 mm D-25T cannon | 1 | 28 |
機銃 | 12.7 mm DShK machine gun | 1 | 300 |
機銃 | 7.62 mm DT machine gun | 1 | 2016 |
弾薬*1
名称 | 砲弾名 | 弾種 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (g) | 初速 (m/s) | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | ||||||
122 mm D-25T | BR-471 | APHE | 25.0 | 246.4 | 795 | 205 | 201 | 182 | 161 | 143 | 127 |
BR-471B | APHEBC | 25.0 | 246.4 | 795 | 205 | 203 | 191 | 178 | 166 | 155 | |
BR-471D | APCBC | 25.0 | 192.5 | 800 | 230 | 227 | 215 | 200 | 186 | 173 | |
OF-471 | HE | 25.0 | 3,600 | 795 | 37 |
装備
設置場所 | 装備名 | 説明 |
---|---|---|
車体 | 発煙弾投下機 | 視界後方に煙幕を張る |
外部装甲 | 右側面に100mmの木材 | |
車体正面と背面に30mmの履帯装甲 | ||
側面に5mmの構造用鋼 |
迷彩
小隊ツリー
前車両 | BMP-1 |
---|---|
次車両 | Object 268 |
解説
特徴
ソ連のRankVI重戦車。他国に衝撃を与えた楔形の正面装甲が特徴。しかし、装甲はそこまで厚い訳ではないので、重戦車だからと言って敵陣に突っ込むと簡単に撃破されてしまう。
【火力】
IS-2から引き続き122mm D-25T砲を装備しており、使用できる砲弾も1944年型と同じ。IS-2を使っている人ならば正面から抜ける戦車とそうでない戦車は分かるだろう。この砲は同じD-25Tでも装填補助トレイが装備されているため、装填時間は0.8秒短縮され20秒とIS-2から若干速くなっている。それでも他国の戦車から見れば遅い部類なので、退路を確保してから撃つことが大事である。
【防御】
特徴はなんと言っても車体正面の楔形装甲だ。正面に対しては高い防御力を誇るが、昼飯の角度を取ると、せっかくの傾斜が意味をなさなくなって逆に貫通されやすくなる。昼飯は極力控えよう。また、豚飯に関しても同じ理由で厳禁である。砲塔が車体前部に位置している点も長大な車体側面を不必要に晒すことにも繋がる。
車体前方にある砲塔を生かし、逆豚をしよう。空間装甲などである程度使い物になる側面装甲が機能してくれるはずだ。車体後部の多くを隠したまま砲塔が出せるので、エンジンや起動輪も晒さずに済むであろう。
車体側面の上部には5mmの構造用鋼の内に90mmの傾斜装甲が隠れている。もし敵として相対した場合、側面をとったからといってこの部分を撃つと、撃ち下ろす関係から弾かれることが多々あるので注意が必要だ。側面から狙い撃つ場合は履帯など走行装置のあるシャーシ部分を撃ち抜ければ弾薬庫に直撃する。
次に砲塔天板の装甲だ。ここの装甲は20mmしかないが、ここまで傾斜があると高い確率で跳弾し、跳弾に強いAPCRが貫通しても掠めるように砲弾の上を通ることがほとんどだろう。
また防楯は貫徹可能だが実際はほとんど抜かれることはない上抜かれても砲閉鎖機が吸収することが多いため心配しなくても良いだろう。
また正面最大の弱点として操縦手バイザーがある。ここはIS-3の車高が低いが故に打ち下ろす形になることが多いのもありティーガー2などの同格・格下やソ連の122mm砲などにも貫徹される弱点となる。撃ち抜かれないように車体は隠すか装填中などにはこまめに車体を振るなどの対策をするべきであろう。
その他に警戒するべき弱点として榴弾に弱いという点がある。砲塔の天板や操縦手バイザーが薄いため152mmHE以外にも自身の122mm榴弾でも砲塔の下の方を打てば貫徹からのオーバープレッシャーでワンパンされてしまう本車やIS-4Mで本車に会った時に活用しよう
【機動性】
これまでのISシリーズと変わらず、重戦車としては優秀な機動力を誇る。後進速度は-17km/hと相変わらず速いので、不満を感じることはないだろう。
史実
1944年初め、チェリャビンスク・キーロフ工場第2特別設計局(SKB-2)の主任技師Zh.Ya.コーチンは、IS-2重戦車の量産が軌道に乗ったことを踏まえ、引き続く後継重戦車の開発を配下のSKB-2の技師たちに命じた。
当初「オブイェークト701」と命名された新型重戦車プランは、複数のチームが別々の企画で進めることになった。
その内の1つが、M.F.バルジ技師のチームが進めた「キーロヴェツ1」である。
キーロヴェツ1の基本構想は1944年夏にはまとまり、SKB-2で集団的検討に付された。
バルジ技師が本車の設計にあたって何よりも念頭に置いたのは、限られた重量や装甲厚の限界の中で、最大効率で防御力を発揮し得る砲塔と車体のデザインであった。
バルジ技師はまず、被弾確率があらゆる角度で最も高い砲塔のデザインについて、角度の深い円錐形にすることにした。
また、砲塔上面に突き出た形の車長用キューポラについては廃止することとし、代わりに旋回式の視察ペリスコープ・マウントを採用した。
また、車体前面と共に斜め方向からの被弾確率が高い車体側面上部については、下側に切れ込む形の傾斜装甲を採り入れ全高を2.45mまで抑えた。
装甲厚は砲塔下部全周囲が220mm、砲塔上部と車体前面が110mmで、車体側面でも90mmもあったが、全体的にコンパクトにまとめられたデザインのおかげで戦闘重量はIS-2重戦車と同じ46tに収まった。
1944年8月12日、T-34-85中戦車によって撃破されたドイツ軍の新型戦車ティーガーIIを調査したソ連軍は、ティーガーI戦車登場以来のショックを受けることになった。
取り急ぎこのティーガーII戦車に対処するための対策が練られ、現行のIS-2重戦車と共通のコンポーネントを多用するキーロヴェツ1が、SKB-2が企画中の新型重戦車プランの中では最も早期に完成が期待できるものと見なされ、政府から直ちに開発作業を進めるよう裁可された。
SKB-2のN.L.ドゥホフ技師とA.S.イェルモラエフ技師は、バルジ技師のデザインを採り入れた試作重戦車「オブイェークト703」を1944年10月31日に完成させている。
完成したオブイェークト703重戦車は、主砲こそIS-2重戦車と同じ43口径122mm戦車砲D-25Tを採用していたが、砲塔、車体、サスペンション共に全く新たに設計されたものが用いられ、非常に洗練されたスタイルに仕上げられていた。
避弾経始の向上を図って車体側面、後面共に適度な傾斜角が与えられており、特に車体側面は、成形炸薬弾などから身を守るために外壁と内壁の間に空間を設けた空間装甲を採用していた。
ドイツ軍戦車の増加装甲にも空間装甲の思想が盛り込まれていたものもあったが、ここまで大胆に用いた車両は他に例を見なかった。
砲塔は極端に背の低い鋳造製のものが用いられ、その円錐形をした独特の形状は以後のソ連の戦車開発において多くの影響を残している。
このオブイェークト703重戦車は早速工場の試験場に送られ、性能調査が実施されている。
性能調査の結果、良好であると判断されたオブイェークト703重戦車はその後ソ連軍に制式採用され、呼称も「IS-3」と改められた。
1945年初めからIS-3重戦車の生産開始までに改良点を明確にするため、クビンカ兵器試験場において国家試験が実施された。
この試験はおよそ1945年4月頃まで継続され、車体前面装甲形状の変更を中心に幾つかの改修が必要であると結論付けた。
IS-3重戦車の車体前面は、試作車では圧延鋼板2枚を上下部分で組み合わせて溶接したものであったが、クビンカでの試験を経て、さらに避弾経始を改善するため前面上部の装甲板を2枚組みにし、車体前端部が三角錐の頂点になるようなデザインに変更されることになった。
そして早くも1945年5月には部隊への引き渡しが始まったが、5月9日のドイツ降伏までに完成したIS-3重戦車はわずかに29両に過ぎなかった。
これらの生産車は結局実戦に参加する機会は訪れず、1945年9月7日にベルリンで行われた連合軍の対独戦勝記念パレードによってその姿を明らかにすることとなった。
この戦勝パレードで公開されたIS-3重戦車は西側の軍事関係者に多大なショックを与えており、その後の戦車開発に長い影を落とすこととなる。
またこのパレードに参加したため、対日戦に参加する機会も失われてしまっている。
IS-3重戦車は1945年中に1,711両が生産され、一時量産が中止されたものの1948年に生産が再開され、1952年までに2,311両が完成した。
その後ハンガリー動乱や、供与されたエジプト軍とイスラエル軍との間の戦闘に投入され、砲火の洗礼を受けることになるが、これがソ連製重戦車が砲火を交えた最後のケースとなる。
その後、IS-3重戦車は近代化改修(1960年より順次実施。操縦手用暗視装置やサイドスカートの追加、T-55中戦車と共用のV-55 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力580hp)への換装等)を経て、1970年代いっぱいまではソ連軍の第一線装備に留まり、部隊配備から外された後も1993年頃までは予備装備として保持されていたという。
小ネタ
シベリア産の川カマスの頭に形状が似ていたため、「シチュチー・ノス」(川カマスの鼻)と呼ばれるようになり、後にはIS-3重戦車を指すのに単に「シチュカ」(川カマス)と称されるようになることに繋がった。
外部リンク
コメント
【注意事項】
- 荒らし行為に対してはスルーしてください。不用意に荒らし行為に反応し、荒らしを助長した場合は、荒らし共々BANされる可能性もあります。
- ページの編集要望等ありましたら編集会議のコメント欄をご利用ください。