セリフ/【構わん、やれ!】

Last-modified: 2021-03-29 (月) 00:42:44

FFT

ジークデン砦にて、砦にたてこもる骸旅団残党ゴラグロスティータを人質に砦からの退去を要求した際、
ザルバックが言い放ったセリフ。
ザルバッグの「我ら、そして北天騎士団はテロリストに屈しない」という明確な意思表示である。
援軍として派遣されたアルガスが命令を受け、ボウガンでティータを殺害。直後にゴラグロスに致命傷を与え後一歩のところまで追い詰める。
途中別勢力が現れ、騒動が起きるものの最中にジークデン砦が大爆破。
ゴラグロスの死亡が確認された。

団長も行方不明になり、烏合の衆となった骸旅団はまもなく壊滅した。
アルガスを始め派遣軍は全員死亡するものの、彼らの尊い犠牲の基に事態は収束を迎えたのだ。


これまで厳格ながらもラムザ達に対して一応の理解があったザルバッグ。
ティータを必ず助けると約束していたこともあった。
そんな彼が非情な判断をするという事に、ラムザともども衝撃を受けたプレイヤーも多い。
実際この発言でザルバックが訝しがられることもある。

しかし、イヴァリース当時の情勢や北天騎士団の立場上、
このまま要求を飲めば、テロに屈したことになり信頼不信の元に治安悪化を助長する。
折しもエルムドア誘拐事件やダイスダークの負傷など
骸旅団が最も付け上がっていた状況も重なっていた。
そのため大局的(社会)に見れば間違った選択とは言い難い。

もし教育が行き届いた子息なら「尊い犠牲」になることも覚悟しており、
ティータも「平民出で貴族同等の教育」を受けたイレギュラーな存在であった。
周囲の理解までは得られず迫害を受けたという実態から
表舞台でもイヴァリースとしても非難を受ける謂れはない、…と思われていた。

問題は手を汚した本人が、アルガスであったこと。
そしてラムザディリータが一部始終を見ていたことだ。
ラムザもの件や疑惑の発言で、これまで信じていた価値観が揺らいでいた。そんな矢先での青天の霹靂。
ディリータは深い悲しみと絶望により、世を恨み乱世の奸雄となる引き金となった。
そして手を汚したアルガスも目撃者がいたばかりに要らぬ恨みを買われ、高い代償を払ってしまう。

ある意味、歴史を動かしてしまった一瞬である。

  • 「ティータを見殺しにしない」と口約束したのはダイスダーグ。ザルバッグは何も言及していない。

言うまでもないが、ティータの関係者にとっては割り切れない話である。
ラムザ・ディリータは勿論、アルマにとっても大きな衝撃であった。
実際この後、彼女はハイラル兄妹を犠牲にされたことでダイスダークやザルバックと疎遠になっている。教育が行き届いても、多感な時期にこの訃報は耐えきれなかったのだろう。

  • こちら同様、簡単に済ませることは出来ない描写である。

物語上の都合とは言え、もし二人がティータ殺害を目撃していなかったらどうなっていただろうか…。
いなかったら、ラムザもディリータも全く違う人生を送ることになっていただろう。
ティータもゴラグロスの逆上に犠牲になった…と色々改竄できたと思うが(実際表舞台ではそうしていただろう)。

  • ダイスダーグの思い通りにすべてが進んだかもしれないな(ルカヴィの件は別として)。ラムザもディリータもティータの死が骸旅団のせいとなれば、いかにアルガスの言動で信じていた価値観が揺らいでしまっていても怒りがそれを保つだろう。アルガスとて、自分がティータを殺しましたと二人に告白するほど馬鹿ではないだろうし、良心の呵責から謝罪するということもないだろうし。

この行為に於ける最大の被害者は言うまでもなくディリータである。
絶望に追い込まれたことは明白であろう。
この一件がイヴァリースを揺るがす事態に繋げたのは間違いないが、
良いか悪いかは不明である。


「アルガスにティータ殺害を命じた」ひいては「ティータ殺害の首謀者」みたく言われる台詞だが、
文面を見れば「(ティータが犠牲になっても)構わん、(ゴラグロスを)やれ!」という意味である。
していることと結果は同じにしろ、首謀者というのはちょっとちがう。

  • 実際に手を下したのがアルガスでなければそういうマイナスな見方はされずに済んだのかもしれない。
    他の兵士なら結果は同じでも少しは気にかけてくれたかもという希望的観測が持てなくはないが、
    「平民=家畜扱い」が確定しているアルガスにそんな配慮があるわけもなく……。
    アルガスにやらせた時点で「首謀者同然だ」と思われてしまっても仕方のない面はあるだろう。
    もっともこの時代、アルガスほど過激ではなくとも平民を軽んじる貴族の方がはるかに大多数であることを
    考えれば、アルガスと同じように考え、同じように撃つ可能性の方が高いのだが……。
  • まるで誰もが忘れているようだが、ザルバッグは名実ともに名門ベオルブ家の名代であり、北天騎士団団長でもあり、国王に「イヴァリースの守護神はガリオンヌにあり」とまで言わしめた、ガリオンヌに暮らすものなら誰もが知っているであろう聖騎士である。
    それが誰に命じたとて、いわんや「構わん」と責を負うことを表明したからには、普通の騎士団員は拝命するのが妥当だし、命令への拒否権なんて無論誰にも与えられるはずがない(解決を模索するまでの引き伸ばし工作さえ、爆薬を背に人質をとった不身惜命のテロリストに対して有効とはいえない)。
    だからこそアルガスだって最大限譲歩して「ここに居合わせてはいけなかった」と言っている。そこにいたのがアルガスであれラッドであれザルバッグはそう命じるであろうし、そこにディリータが居合わせてしまったのが最大の問題であり、その点でアルガスの言にも分がある。
    ゆえにこそディリータもアルガスも「持たざるもの」である。否、ジークデン砦に居合わせた全てが「持たざるもの」で構成されているのだ。だからこそ、ただの平民であるディリータがあそこまで野心家になれるというものだろう。愛にすべてを。
    • 巻き込まれた身だけな上に居ただけで問題ってめちゃくちゃな暴論だけど

映画やドラマ、その他のゲームでこの手のセリフが出ると、見ている側は「あー、これが原因で(構わなかった連中が多大な被害を被る)大騒動に発展するんだな」と覚悟を決めることになる。
犠牲を顧みない者は、自身が犠牲になった時にも顧みられないのである。


「やれぇ!」「はい……」

  • 現代社会にも通じる問題ともいえる。