かつて読売ジャイアンツに所属していた小笠原道大(Wikipedia)のこと。
概要・人物 
愛称は「ガッツ」「北の侍」など。
高校時代は通算本塁打0本という無名選手だったが、NTT関東(現NTT東日本)時代に頭角を現し1996年ドラフトで日本ハムから3位指名を受け入団。元は捕手だったがプロ入り後に内野手にコンバートされると、フルスイングからなる豪快なホームランと安定した高打率を両立して残す球界を代表する強打者へ変貌を遂げる。「ビッグバン打線」の主軸としてチームを支え、2006年にMVPを獲得。
2006年オフにFAで読売ジャイアンツに移籍すると、そちらでも初年度からMVPを獲得し両リーグでMVPを獲得した2人目の選手*1となった。その後もハイレベルに安定した活躍で巨人へのFA移籍選手の中では最高峰*2とも言える成績を残し、移籍初年度から4年連続で3割30本塁打を記録した。
その後手術と加藤球導入が重なり大きく成績を落とすが、2014年に2度目のFAで中日へ移籍。代打として歴代2位の9打席連続出塁を記録するなど活躍し、2015年限りで引退。
通算打率歴代9位、王貞治氏に次ぐ3割30本9回達成、王氏や落合博満氏に次ぐ11年連続OPS.900超え、RCwin、RC27で歴代10傑入りなどの華々しい活躍を残した、平成を代表する強打者の1人であった。
引退後は2019年に退団するまで中日の二軍監督を務め、2019年のみNTT関東の先輩でもある与田剛一軍監督*3を支える立場だった。そして、2019年10月9日、日本ハムヘッド兼打撃コーチとして14年ぶりに復帰することになった。
なんJでは巨人小笠原という架空のキャラクターが有名であるが、巨人小笠原と元読売ジャイアンツの小笠原道大内野手は別人である。
「巨人小笠原」というのは5文字で1つのキャラクターの名前であり、「巨人」と「小笠原」に分解することはできない*4。
したがって、「巨人の小笠原」と表記した場合には、巨人小笠原のことではなく、「巨人という球団の小笠原という選手」すなわち元読売ジャイアンツ所属の小笠原道大内野手の意味になる。
たった一文字で大きく意味が変わってしまうので注意が必要である。