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石川内野手、痛恨のミス

Last-modified: 2019-10-18 (金) 13:22:04

横浜DeNAベイスターズ・石川雄洋の男村田スレにおけるキャラ付けのこと。
肝心な場面で失点に結び付くエラーが多い事から「最後の詰めが甘く、凡ミスをする」という設定が定着した。
しかし…

設定を超えた球史に残る「痛恨のミス Edit

2011年の横浜ベイスターズはシーズン最終戦で読売ジャイアンツと対戦。石川は1点リードで迎えた9回裏から守備固めで遊撃手として登場したものの、先頭打者・谷佳知のそう難しくはないゴロを弾き出塁させてしまう痛恨のミスを犯す。
そこからクローザー・山口俊(現巨人)が崩れ、最後は巨人・長野久義現広島)に代打逆転サヨナラ満塁本塁打を食らいシーズンが終了した。その結果

など、記憶面・記録面の両方においてドラマチックな幕切れとなった。

コピペ Edit

2011年シーズン最終戦の9回裏までの試合経過
高卒2年目国吉球界の盟主相手に好投!
ベイス不動の4番男村田が2ホーマーで澤村を粉砕!防御率1点台も勝ち越しもご破算!
ついでに盗っ人内海の最多勝も粉砕!
そして復活の期待の若手石川内野手が9回の守備へ!


試合結果 Edit

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その後の石川 Edit

翌年、身売りにより横浜DeNAとして再出発したベイスターズの初代キャプテンに指名され、愛称として「キャップ」と呼ばれる事も多くなった。
また送球難が原因で遊撃手を諦められ二塁手・外野手としての出場が中心になる。しかしDeNAでは数少ない生え抜き選手として活躍しつつも、2014年以降は故障と加齢もあってか攻守のパフォーマンスが低下し徐々にヘイトを集めるようになってしまう。
それにより大量の蔑称が誕生し、特に2016年は横浜高校後輩の倉本寿彦が遊撃手で台頭した上に、自身の成績がキャリア最低レベルにも関わらずA・ラミレス監督使われ続けた事もありヘイトを一身に集める状態になってしまった


しかし危機感を感じたのかオフに右肘の手術を受け長年の悩みだった送球難が若干改善。田中浩康の加入・柴田竜拓の台頭により休養機会も増え、2017年は出場試合数こそ歴代最少だったが成績を前年より改善。さらに倉本の守備の危うさが露呈したことも石川の突然の再評価が進む一因となった。
2018年も相変わらず守備面では9/1・9/2の阪神戦での連夜の痛恨のミスなど危ういものがあり批判される事が多かったが、大和ホセ・ロペスの故障離脱などから7月頃に昇格すると出場機会こそ少ないもののチームに貴重なベテランとしてチームに貢献。

2019年には4月29日に昇格・即スタメンで10連敗中のチームを救う値千金の2ラン&猛打賞の活躍を見せ、その後も打撃はイマイチながらも一軍出場機会は(倉本と比べれば)明らかに多く、1軍にいる間チームの調子が良いこともありファンからは「幸運の置物」扱いであり*1もはや倉本との立場は完全に逆転*2している
その後生え抜きとしては村田修一以来となる1000本安打を達成し、選手ファンから盛大に祝福された。


余談 Edit

なお、石川は別の記録に残る試合でも(ある意味)痛恨のミスをやらかしている。

 

2007年4月19日の東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)、石川は11点リードで迎えた7回表にプロ初盗塁を決める。
しかしヤクルト側の心象を悪くしたのか、打席の内川聖一は直後に死球。さらに次打者の村田修一は頭部死球を受け、これをきっかけとして乱闘に発展。投手の遠藤政隆*3は危険球退場となったが、この処分に反発した古田敦也選手兼任監督も審判への暴言で退場に。
しかも、この試合は石川の初盗塁以上に古田の通算2000試合出場ということもあり、石川はチームメイトどころか相手にも痛手を与える痛恨のミスを犯してしまっていた。

また2011年の件で因縁深い山口俊は2016年オフにFAで自身を燃やした相手である巨人に移籍
翌年山口が先発した7月2日の試合で石川は2番打者としてスタメン出場すると、執拗にピッチャー方向であるセンター返しを徹底するバッティングで3打数2安打1打点をマークしたが、この試合で燃え尽きたのか試合中に負傷退場してしまった上、復帰後も出場機会が少なく最終的には2軍でシーズンを終えてしまった。
なお試合を決める一発を放った長野は1番でスタメン出場し5打数3安打の活躍を見せたが、この件が遠因で移籍したと言われる村田は3打数1安打1四球と微妙な結果に終わっている。


○○選手、痛恨のミス Edit

福田内野手、痛恨のミス
中島内野手、痛恨のミス
今宮内野手、痛恨のミス

関連項目 Edit






*1 9月5日に石川が離脱する前は主力がケガしても勝ち続けられたが、離脱後チーム状態が下降し、巨人に優勝を許した。ちなみに石川離脱時の勝率は14勝28敗の.333。1軍帯同時.582(57勝41敗3分)。この年優勝の巨人の勝率は.546なので、一年間在籍していれば(ペースが変わらなければ)優勝もありえた
*2 ちなみに倉本はオープン戦である意味凄まじい打撃成績を見せ開幕二軍。その後はエレベーター生活を送っている。
*3 元中日→ヤクルト。「氏ね様」と言われていた。80年代に活躍した遠藤一彦(元大洋)の従弟。ただし年齢が離れているため互いのNPB在籍期間が重なったことがない。
*4 この日のカードはロッテ-西武、楽天-ソフトバンク。そのため西武勝利=ロッテ敗戦、楽天勝利=ソフトバンク敗戦と、4チーム全部にとって負けられない戦いだった。