石川内野手、痛恨のミス

Last-modified: 2020-09-26 (土) 16:23:32

横浜DeNAベイスターズ・石川雄洋の男村田スレにおけるキャラ付けのこと。

設定を超えた球史に残る「痛恨のミス

石川は横浜高校出身の生え抜きとして期待されていたが、肝心な場面で失点に結び付くエラーをしばしば起こしており、「最後の詰めが甘く、凡ミスをする」という認識が定着していた。

そして2011年、横浜ベイスターズはシーズン最終戦で読売ジャイアンツと対戦。石川は1点リードで迎えた9回裏から守備固めで遊撃手として登場したが、先頭打者・谷佳知の難しくはないゴロを弾いてしまう。これによりクローザー・山口俊が崩れ、最後は長野久義代打逆転サヨナラ満塁本塁打を食らいシーズンが終了。

など、記憶面・記録面の両方においてドラマチックな幕切れとなり、情状酌量の余地のない「痛恨のミス」となってしまった。

コピペ

2011年シーズン最終戦の9回裏までの試合経過
高卒2年目国吉球界の盟主相手に好投!
ベイス不動の4番男村田が2ホーマーで澤村を粉砕!防御率1点台も勝ち越しもご破算!
ついでに盗っ人内海の最多勝も粉砕!
そして復活の期待の若手石川内野手が9回の守備へ!


試合結果

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余談

なお、石川は別の記録に残る試合でも(ある意味)痛恨のミスをやらかしている。

 

2007年4月19日の東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)、石川は11点リードで迎えた7回表にプロ初盗塁を決める。
しかしこれがヤクルト側の心象を悪くしたのか、打席の内川聖一は直後に背部に死球を受け、続く村田修一にも頭部死球。これをきっかけとして乱闘に発展してしまう。
投手の遠藤政隆*2は危険球退場となり、この処分に反発した古田敦也選手兼任監督も審判への暴言で退場に。
しかもこの試合はよりによって古田にとっての通算2000試合であり、すでに敗色濃厚だったとはいえなんとも後味の悪いメモリアルゲームになってしまった。あくまで結果論だが、石川のこの盗塁がチームメイト・相手双方に痛手を与えてしまったと言える。*3 *4

 

また2011年の件で因縁深い山口俊は2016年オフにFAで自身を燃やした相手である巨人に移籍
翌年山口が先発した7月2日の試合で石川は2番打者としてスタメン出場すると、執拗にピッチャー方向であるセンター返しを徹底するバッティングで3打数2安打1打点をマークしたが、この試合で燃え尽きたのか試合中に負傷退場してしまった上、復帰後も出場機会が少なく最終的には2軍でシーズンを終えてしまった。
なお試合を決める一発を放った長野は1番でスタメン出場し5打数3安打の活躍を見せたが、この件が遠因で移籍したと言われる村田は3打数1安打1四球と微妙な結果に終わっている。


関連項目


*1 DeNAに親会社が移行することが決まったのはこの試合よりも後。
*2 元中日→ヤクルト。「氏ね様」と言われていた。80年代に活躍した遠藤一彦(元大洋)の従弟。ただし年齢が離れているため互いのNPB在籍期間が重なったことがない。
*3 とはいえ当時の石川はまだ無名選手。この試合も石井琢朗の代走としての出場であり、塁上で何のアピールもしないわけにはいかない状況ではあった。
*4 余談だがこの4年後、横浜は初回に8点を先取しながら投手がリードを守れず、結局引き分けに持ち込まれている(奇しくも相手は同じ東京ヤクルト)。そのため現在では、この盗塁は妥当な判断だったともいわれている。