石川内野手、痛恨のミス

Last-modified: 2023-02-24 (金) 00:22:43

元横浜DeNAベイスターズ・石川雄洋の男村田スレにおけるキャラ付けのこと。

設定を超えた球史に残る「痛恨のミス

石川は2004年ドラフト6位で横浜ベイスターズに入団*1。横浜高校出身の生え抜きとして期待されていたが、肝心な場面で失点に結び付くエラーをしばしば起こしており、「最後の詰めが甘く、凡ミスをする」という認識が定着していた。

そして2011年10月22日ジャイアンツ戦。シーズン最終戦を1点リードで迎えた9回裏から石川は守備固めとして遊撃手で登場したが、先頭打者・谷佳知の難しくはないゴロを弾いてしまう。これによりクローザー・山口俊が崩れ、最後は長野久義代打逆転サヨナラ満塁本塁打を食らい終戦。

など、記憶面・記録面のおいてドラマチックな幕切れとなり、情状酌量の余地なく「痛恨のミス」となってしまった。
そして「石川内野手」という別称が誕生し、石川の最もポピュラーな別称になった。

コピペ

2011年シーズン最終戦の9回裏までの試合経過
高卒2年目国吉球界の盟主相手に好投!
ベイス不動の4番男村田が2ホーマーで澤村を粉砕!防御率1点台も勝ち越しもご破算!
ついでに盗っ人内海の最多勝も粉砕!
そして復活の期待の若手石川内野手が9回の守備へ!


試合結果

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関連項目


*1 同期には那須野巧(自由獲得枠)、藤田一也(4位)、桑原義行(8位)がいる。
*2 DeNA相手に株式売却で大筋合意の一般報道が出たのは2011年10月19日、試合は10月22日。この時点でTBSベイスターズとしては最後になる確率が高いとわかっていた。なお球団名を横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズに変更して(この時点ではまだ大洋漁業(現・マルハニチロ)が球団を所有していた)最初の試合である1993年の開幕戦も東京ドームの巨人戦で、試合展開は全く異なるが同じスコア(2-5)で敗れている。