肩に小錦

Last-modified: 2024-04-11 (木) 17:14:17

エリック・ヒルマン(元メッツ→ロッテ→巨人)が巨人時代に残した迷言のこと。


概要

1995年、ロッテに入団したヒルマンはボビー・バレンタイン監督の下1年目から12勝を挙げ、低迷するチームの2位躍進に大きく貢献。翌1996年には前年をさらに上回る14勝を挙げ、ベストナインにも選ばれた。
伊良部秀輝や小宮山悟と共にリーグ屈指の先発三本柱を形成したヒルマンだが、1996年オフにフロントとの確執が原因で退団。年俸2億5000万の2年契約で巨人へ移籍した。
ところが移籍した途端に左肩を負傷。わずか2試合の登板に終わり(0勝1敗)、Bクラス転落の大戦犯と化してしまう。
オフに手術を行い、春季キャンプでは好投を見せるもやはり「肩に違和感がある」と訴え、トレーナーに「ただの筋肉の張り」と診断されるも再度離脱。この際に「どれくらい痛いんだ?」と問われたのだが、その回答が「肩に(大相撲の)小錦*1が乗っているようだ 」という迷言であった*2
「昼マン*3」「ミスター違和感」等と揶揄される中、結局1998年シーズン途中に解雇。渡邉恒雄オーナーから「金はやるから出て行け」と言われながらの退団劇だった。
ロッテ時代の名声もどこへやら、高年俸を貰いながら1勝も挙げることが出来なかったヒルマン。「俺をグリーンウェル*4やミッチェル*5と一緒だなんて思わないでほしい」「肩が治ったら入団テストを受けて、もう一度ジャイアンツでプレーしたい*6。」という本人の弁も虚しく、巨人ファンからは完全に扱いされてしまったのだった。
トドメと言わんばかりに、退団発表の3日後には日光へ観光旅行へ出かけており、週刊ポストからの取材に対し「そりゃ痛いよ。まだ、左肩の上に小錦が乗っかっている。いや、今は曙*7くらいかな」と吐いてのける様だった*8

後日談

ところが巨人退団後に肩関節鏡手術を受けたところ、なんと左肩回旋筋腱板の全層断裂という重傷が判明。本人が再三訴えてきた肩の違和感は、サボりの口実でもなんでもなく事実だったのである。
このため現在では同情されているヒルマンだが、事情を知らない一部のプロ野球ファンからは未だにダン・ミセリ級のダメ外人として扱われてしまっている。

なお巨人はヒルマンの他にも、1984年から1990年に在籍した“史上最強助っ人”ウォーレン・クロマティもほぼ同じような目に遭っている*9ほか、後年にも鍼治療での施術ミス(真偽不明)が原因で澤村拓一(現:千葉ロッテマリーンズ)を右肩不調に追いやっており、トレーナーの伝統的な杜撰さが問題視されている。

関連項目


*1 KONISHIKIこと元大関・小錦八十吉。高見山大五郎、曙太郎、武蔵丸光洋同様ハワイ生まれの力士で、全盛期で285kgを誇る当時の超重量級力士の代名詞。
*2 他にも「肩にジャックナイフが刺さっているようだ」など様々な表現があったらしい。
*3 二軍に落ちてからも練習を早々に切り上げ、昼には帰宅していたことから。
*4 こちらもヒルマン同様、怪我については特に虚偽を申し出ていた訳ではない
*5 水泳帽の悪魔ことトニー・ミッチェルの従兄弟であるケビン・ミッチェル(元ダイエー)のこと。古傷の痛みばかり訴え欠場を連発。結局二度の無断帰国を経てシーズン途中に解雇され、さらに退団後には年俸の全額支払いを求めて球団に訴訟まで起こしている。
*6 結局テストは受けることなく、2000年に現役引退。
*7 元横綱・曙太郎。小錦と同じくハワイ出身で、93年初場所で2場所連続優勝し外国人力士で史上初となる横綱昇進を果たした。2024年没。
*8 ただし曙の体重は250kgであり前述の小錦よりは心持ち軽い。これはヒルマンが力士の体重を理解していなかったのか、少しは状況が改善している意味で言ったのかは不明。
*9 退団後の自伝で、手首がおかしいとトレーナーに申告したところ「異常はない」との診断を受けたが、自腹で別の医者に診てもらったところ「亀裂が入っている」と診断されたうえ、その事を球団側に指摘したところ口止めされたと述べている。