肩に小錦

Last-modified: 2020-12-16 (水) 23:06:39

エリック・ヒルマン(元メッツ→ロッテ→巨人)が巨人時代に残した迷言のこと。


概要

1995年、ロッテに入団したヒルマンはボビー・バレンタイン監督の下1年目から12勝を挙げ、低迷するチームの2位躍進に大きく貢献。翌年には前年をさらに上回る14勝を挙げ、ベストナインにも選ばれた。
伊良部秀輝や小宮山悟と共にリーグ屈指の先発三本柱を形成したヒルマンだが、96年オフにフロントとの確執が原因で退団。年俸2億5000万の2年契約で巨人へ移籍した。
ところが移籍した途端に左肩を負傷。わずか2試合の登板に終わり(0勝1敗)、Bクラス転落の大戦犯と化してしまう。
オフに手術を行い、春季キャンプでは好投を見せるもやはり「肩に違和感がある」と訴え、トレーナーに「ただの筋肉の張り」と診断されるも再度離脱。この際に「どれくらい痛いんだ?」と問われたのだが、その回答が「肩に(大相撲の)小錦*1が乗っているようだ 」という迷言であった*2
「昼マン*3」「ミスター違和感」等と揶揄される中、結局1998年シーズン途中に解雇。渡邉恒雄オーナーから「金はやるから出て行け」と言われながらの退団劇だった。
ロッテ時代の名声もどこへやら、高年俸を貰いながら1勝も挙げることが出来なかったヒルマン。「俺をグリーンウェルやミッチェル*4と一緒だなんて思わないでほしい」「肩が治ったら入団テストを受けて、もう一度ジャイアンツでプレーしたい*5。」という本人の弁も虚しく、巨人ファンからは完全に扱いされてしまったのだった。
トドメと言わんばかりに、退団発表の3日後には日光へ観光旅行へ出かけており、週刊ポストからの取材に対し「そりゃ痛いよ。まだ、左肩の上に小錦が乗っかっている。いや、今は曙くらいかな」と吐いてのける様だった*6

後日談

巨人退団後に肩関節鏡手術を受けたところ、なんと左肩回旋筋腱板の全層断裂という重傷が判明。本人が再三訴えてきた肩の違和感は、サボりの口実でもなんでもなく事実だったのだ。
このため現在では同情されているヒルマンだが、事情を知らない一部のプロ野球ファンからは未だにダン・ミセリ級のダメ外人として扱われてしまっている。

なお巨人はヒルマンの他にも、1984年から1990年に在籍した“史上最強助っ人”ウォーレン・クロマティ*7もほぼ同じような目に遭っている*8ほか、後年にも鍼治療での施術ミスが原因で澤村拓一(現ロッテ)を右肩不調に追いやっており、トレーナーの伝統的な杜撰さが問題視されている。

関連項目


*1 KONISHIKIこと元大関・小錦八十吉。高見山大五郎、曙太郎、武蔵丸光洋同様ハワイ生まれの力士で、全盛期で285kgを誇る当時の超重量級力士の代名詞。なお同じ昭和38年(1963年)生まれは双羽黒光司、寺尾常史、北勝海信芳、孝乃富士忠雄らと共にサンパチ組と呼ばれる黄金世代だった。曙・双羽黒・孝乃富士はプロレスでも活動している。
*2 他にも「肩にジャックナイフが刺さっているようだ」など様々な表現があったらしい。
*3 二軍に落ちてからも練習を早々に切り上げ、昼には帰宅していたことから。
*4 水泳帽の悪魔ことトニー・ミッチェルの従兄弟であるケビン・ミッチェルのこと。
*5 結局テストは受けることなく、2000年現役引退。
*6 ただし曙の体重は250kgであり前述の小錦よりは心持ち軽い。これはヒルマンが力士の体重を理解していなかったのか、少しは状況が改善している意味で言ったのかは不明。
*7 1989年にはシーズン打率.378をマークするほどの活躍を見せた。日本の漫画作品『魁!!クロマティ高校』の元ネタでもある。
*8 退団後の自伝で、手首がおかしいとトレーナーに申告したところ「異常はない」との診断を受けたが、自腹で別の医者に診てもらったところ「亀裂が入っている」と診断されたうえ、その事を球団側に指摘したところ口止めされたと述べている。