ダン・ミセリ(元巨人)のあまりの惨状から、その登板を望んだ他球団ファンからのコールのこと。
概要 
ミセリはメジャーで華々しいキャリアを残し*1、2004年にそのキャリアを終える予定だった。だが読売ジャイアンツ側の強い要望で引退を撤回し、2005年にクローザーとしての活躍を期待されて巨人に入団した。
しかし入団後は前評判とは真逆のひどすぎる投球内容を連発。
- 開幕戦の広島戦、9回2-1の場面にて登板早々グレッグ・ラロッカに被弾。7回1失点に抑えた先発・上原浩治の快投を台無しにしてしまう。
- 続く前田智徳にも内野安打を許し、トドメに緒方孝市に勝ち越しとなるツーランを被弾。開幕戦勝利をフイにする。
- 2回目の登板となる横浜戦でも多村仁にあっさりサヨナラ打を打たれる*2。
かつてのホアン・アイケルバーガー*3を思わせるミセリの惨状に味をしめた横浜ファンから上がったのが、4月6日、巨人1点リード時の「ミセリコール」である*4。
4試合・0勝2敗0セーブ・防御率23.63・WHIP4.12と散々な成績の上に態度も不真面目そのもの*5、加えて同意なしには2軍に落とせない契約もあって4月19日に球団史上最速で解雇。さらに帰国直前にふてぶてしくも浅草・仲見世で家族旅行をしていたことも巨人ファンの怒りに油を注ぎ、チームメイトのブライアン・シコースキー*6やタフィ・ローズからも苦言を呈された他、漫画家のやくみつるからは「浅草観光のオプションツアーとして読売ジャイアンツ体験入団があった」と皮肉られた。
成績面はもちろんのこと、素行面も論ずるに値しないダメ外国人であり、
といった面々と比較され未だにNPB史上最低最悪の助っ人の1人として槍玉に挙げられている。
そうして退団から10年以上経った2018年頃、新生俺達誕生の流れで生まれた○達ネタにおいて、ミセリは巨人時代のあまりの惨状を掘り返されて兎達終身名誉総帥に認定されることとなった。
ミセリ賞 
のち、その年に入団した新外国人選手の中で最もクソだった外国人助っ人を競う「クソ外人・オブ・ザ・イヤー*11」という賞が誕生したがミセリのあまりな惨状やネタぶりから「ミセリ賞」の別名が付いた。
代表的な例として
- 2012年のブラッド・ペニー
- 2016年のエリック・コーディエ
- 2020年のガブリエル・イノーア
らがいる。
ちなみに2016年と2020年はネタ外人の宝庫だったため激戦*12になった模様。
動画 
余談 
その後の2005年5月23日(月)に放送された『東京フレンドパーク2』において、「今年の巨人の開幕戦に出場した選手を5人挙げよ。」という問題が出題された(正解はこちらを参照)。
ゲストは巨人ファンを名乗るキングコング・梶原だったので、容易に答えられると思われたがあと一人が出ず。
そこで司会の関口宏が解答例として「ミセリ」を挙げ、会場も「あーそれがあったか」と納得。巨人ファンにしてみれば無かったことにしてほしかったに違いない。
さらに最後のダーツ投げでは、梶原が投げる時に相方西野がミセリコール。
気づけば会場全体が「ミセリ!ミセリ!」の大合唱になっていた。
なお2005年の巨人はミセリが脚を引っ張っただけではなく、主力の不振やタフィ・ローズや■■、高橋由伸の故障離脱もあり開幕から低迷。さらに緩慢守備を指摘され激昂したローズによる「ジャイアンツ大嫌い」発言や■■のハイタッチ拒否事件等、醜聞も相次いだ。
最終的に最下位こそ免れたものの、球団史上最多となる80敗の5位でシーズンを終え、オフには堀内恒夫監督が辞任した。
米国へ帰国したミセリは引退と思われたが、すぐにコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結び、6月にはメジャー復帰した。やっぱり浅草観光に来ただけだったか。
ほんの一瞬だけ活躍したものの最終的には防御率5.89とやはり衰えは明らかだったが、翌年もタンパベイ・デビルレイズ(現:レイズ)に移籍して現役続行。2007年、オープン戦で炎上し自由契約となり、2008年にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶが、春季キャンプで結果を残せず3月1日に現役引退を表明した。
ところが、2009年には米国独立リーグのロングアイランド・ダックスで現役復帰。しかしこれも5月に退団し、今度こそようやく引退した。