ボガトィーリ級防護巡洋艦 オレーグ
性能諸元
性能諸元の数値は、アップグレード・基本特性・艦長スキル・ブースター・迷彩などの補正がかかっていない素の状態の数値を入力してください。
部位ごとの装甲厚や散布界など、ゲーム内には載っていない情報は将来ゲーム内で見れるようになる可能性があるので暫定で0や0-1などとする
・基本性能
Tier | 2 | 種別 | プレミアム艦艇 |
---|---|---|---|
艦種 | 巡洋艦 | 派生元 | - |
国家 | ソ連 | 派生先 | - |
生存性 | 継戦能力 | 24,100 | |
装甲 | 6-140mm ・防郭 0-1mm ・艦首・艦尾 0-1mm ・砲郭 0-1mm ・装甲甲板 0-1mm | ||
機動性 | 機関出力 | 0,000馬力[hp] | |
最大速力 | 24.0ノット[kt] | ||
旋回半径 | 450m | ||
転舵所要時間 | 7.1秒 |
隠蔽性 | 通常 | 主砲発砲時 | 火災発生時 | 煙幕内からの主砲発砲時 | |
---|---|---|---|---|---|
海面発見距離 | 9.9km | 11.3km | 11.9km | 4.4km | |
航空発見距離 | 6.0km | 0.0km | 9.0km | - |
射撃管制装置 | 艦体 | モジュール | 主砲射程 | 最大散布界 |
---|---|---|---|---|
A-B | mod.1 | 11.3km | 0m |
主砲 | 艦体 | 口径 | 基数×門数 | 最大ダメージ(火災) | 装填 | 180度旋回 |
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- | 152mm/45 Model 1892 152mm/45 Model 1892 | 8基×1門 2基×2門 | HE弾 2100(8%) AP弾 2700 | 9.0秒 | 36.0秒 |
副砲 | 艦体 | 口径 | 基数×門数 | 最大ダメージ(火災) | 装填 | 射程 |
---|---|---|---|---|---|---|
- | 75mm/50 Canet naval gun | 12基×1門 | HE弾 1500(4%) | 4.0秒 | 2.5km |
対空砲 | 艦体 | 口径 | 基数×門数 | 秒間平均ダメージ | 射程 |
---|---|---|---|---|---|
A | 0.0mm | 基×門 | 0 | 0.0km | |
B | 0.0mm | 基×門 | 0 | 0.0km |
・アップグレード
スロット0 | スロット1 | スロット2 | スロット3 | スロット4 |
○ |
推力改良1 | -20%:主機の損傷確率 -20%:主機の修理時間 | |
操舵装置改良1 | -20%:操舵装置の損傷確率 -20%:操舵装置の修理時間 |
・消耗品
ゲーム内説明
オレーグは、傑作として知られるボガトィーリ級防護巡洋艦であり、戦隊に加わっての戦闘作戦、および長距離偵察任務用でした。当時としては強力な砲力、素晴らしい速力、強固な装甲を併せ持っていました。
就役:1904
同型艦数:4
解説
※最大散布界やAP弾貫通力などゲーム内で見れない情報については、PC版wikiを参考に解説文を書いている
ソ連のTier2巡洋艦、プレミアム艦艇。2020年5月4日から始まる「英雄オレーク」キャンペーン(期間は2週間)で入手できる。
開始その日から課金ですっ飛ばして入手も可能だがその場合、9,750ダブロンを消費する。
Tier2のボガトィーリ級防護巡洋艦の一隻であり、Tierも変化なし。
ツリー艦と比較してHPで上回る。引き換えに152mm砲のままであり門数が減っており、装填速度が若干上だが投射弾量は少ない。
史実
1902年7月6日にボガトィーリ級防護巡洋艦の 5 番艦として起工。1903年8月14日進水。1904年6月24日に就役しバルト艦隊に配備された。
日露戦争では第2太平洋艦隊の一員として、日本海軍により旅順に閉じ込められている第1太平洋艦隊の救援に向かい、1905年5月15日の日本海海戦に参加。オレークは損傷したが逃走に成功し、巡洋艦アヴローラおよびジェームチュクとともにマニラにたどり着いてそこで抑留された。戦後、オレークはバルト海に戻った。その後は、バルト海方面において艦隊の復興のための練習航海に従事した。
第1次世界大戦が始まるとオレークは第1巡洋艦戦隊の一員となった。1914年8月26日、オレークは巡洋艦ボガトィーリとともにバルト海での機雷敷設作戦を支援し、オレーク自身も機雷を敷設した。1915年7月2日、ゴットランド沖での海戦に参加。
1917年の十月革命では、オレーク乗員はボリシェヴィキ支持を表明した。白軍やエストニア軍、それにイギリスなどの革命干渉軍との戦争において、労農赤色海軍の中では最も稼働率の高い艦のひとつとなった。1918年3月のブレスト=リトフスク条約でヘルシンキの基地から去らなくてはならなくなると、オレークはクロンシュタットへ向かった。1918年11月、オレークとボガトィーリは頓挫した赤軍によるエストニア侵攻に参加。1919年6月17日、クロンシュタットでイギリス海軍の魚雷艇CMB-4の雷撃により沈没。1919年と1933年に一部が引き上げられ、残りは1938年に引き上げられてスクラップにされた。