【SS】アイドル・フロム・ボトムレス

Last-modified: 2024-05-07 (火) 03:02:08

あらすじ

偶像(アイドル)達がいる、娯楽と活気に満ちた国────偶像の国
そしてこれは、その国で最下層と言ってもいい位置にまで落ちた偶像(アイドル)が、なんか色々あって登りつめていく……かもしれないお話。

注意事項

  • 百合要素あり
  • 登場人物の募集をします。募集期間は第1話の掲載後~締切宣言までとなります。
    • どんな性格をしているか、大まかな身体的特徴、やって欲しい役割等を専用のコメント欄へ簡潔にお寄せください。そのキャラクターのページがある場合はリンクの貼り付けだけで構いません(例外あり)。
      • なかなか出てこない・そもそも登場しない場合もあります。その際はお許し下さい。
  • 合作SSではありません。
  • 投稿頻度については生暖かい目で見守っていただけると幸いです。
  • 各話の副題に深い意味はありません。用法間違っていても指摘・修正は控えて下さると幸いです。
  • 略称は『IFB』(Idol・From・Bottomless)
  • SSとはSS(ショート・ストーリー)ではありません。SS(サブ[サイド]・ストーリー)SS(サプリメント・ストーリー)……等など、解釈は自由なのです。

登場人物(メイン)

仁聖(ひとみ)ルナ

主人公、もしくはストーリーテラー(語り手)。自らを落ちこぼれと自認する偶像(アイドル)。どこか飄々としている楽観的な性格。
踊りは平均以下だが歌はそれなりに上手いらしい。
自宅は持っているが基本的に偶像の国を放浪しており、たまにある招集もサボりがち。ただ偶像姫士(アイドリックシュバリエ)の仕事はかなり真面目にやっている。

天塚(あまつか)シオリ

『まえがき』でルナが説明するピラミッドではおおよそ2層目に位置する偶像(アイドル)。『百年に一度の歌姫』と称される程の天才的な歌唱力を持ち、それでいて性格は少しも驕る事がなく*1、優しさに満ち溢れたまさに天使。
更には家事スキルも完璧である。が、近くに住む偶像(アイドル)や一般人達の家に勝手に上がり込んで諸々の家事を勝手にやってしまうという悪癖を持っている。

シアン・バーナード

とても元気な事くらいしか取り柄のない偶像(アイドル)偶像(アイドル)としての能力は何もかもが荒削りだが時々人気が出るらしい。その点ルナ曰く「自分より遥かにマシ」とのこと。
本人の性格や能力の関係上偶像姫士(アイドリックシュバリエ)としてはそれなりに優秀。

キャラクター募集

こんなキャラクターを出して!というのがあればこちらにコメントしてください。ただし全て登場させる訳にもいきませんので、私の方で審査はします。

  • もしよかったらですけれど...シロンちゃんとアオイちゃんの絡み...にはならなくってもアオイちゃんの推し活を見てみたいなって...(/▽\)
    あと... もし私のキャラクターを出す気があるのでしたら... スミカちゃんを出してほしいなって..。 -- 雑魚 2023-12-03 (日) 14:54:20
  • ほんならシロアオはご自由にお使いくだされ~*2 -- 20230804-0542_d085e68653f339f7f00c2498bbdb9cf9.jpegてぃろるーな 2023-12-03 (日) 15:11:20
  • お二方了解致しました。なるべく自然な形で自然に動かせるように頑張ります……! -- 水色瞳 2023-12-03 (日) 22:56:22

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まえがき

偶像の国────いわゆる娯楽立国である。ただその「立」の意味は、普通想像されるものとはだいぶ異なっているかもしれない。娯楽で観光と経済が回る────のみならず。電力、食料、軍事力……"国家"としての基本事項のほとんどが、娯楽で完全に回っている。……文字通り。
そしてその中心に立つのが、私たちアイドル────いや、"偶像(アイドル)"という訳なのだ。
さて。今、私は自分のことを偶像(アイドル)であると述べた。そうなのだ。国の中枢を担う重要人物なのだ。崇めろ。……というのは冗談。正直私は偶像(アイドル)の中でもいらない方の存在なのである。
娯楽が国家を文字通り回しているというのは先述の通りである。ファナティクスという種族が『素晴らしいもの』に共鳴してとんでもないエネルギーを出してくれるので、そのエネルギーを国家の様々な場所に回している。……外部の人間が聞いたら訳が分からなくなると思う。
だが……その共鳴は、私たち偶像(アイドル)の前で一際強くなると言えば、どうなるだろうか。少し分かりやすくなったと思う。……この国の残酷な現実も、私がいらない方の存在である理由も。
人々を熱狂させられなくなった偶像(アイドル)は次第に沈んでゆく。ファナティクスのエネルギーにある老化停止因子の作用が薄くなり、振り向いてもらえる可能性は益々少なくなる。
この国で、『偶像政治』に携わる5人を頂点として……そこから100人程度は誰でも名前を知っている程度の人気がある。また、それから250人くらいでも知っている人は知っている……いわゆる"推し"の対象になれる。そしてもう200人程度もまあ人々の人気は出なくもない。グループを作ってその単位で活動する、という道もなくはないから。
私の位置は、その更に下。450人程度が属する、このピラミッドの最下層は────地獄だ。なまじ歌や踊りはそれなりなので人気が出ようはずもないバックダンサーに回されたり、コーラス担当になったりする。時々『スター発掘』という名目で上に上がれるチャンスはあるが、それは入れ替わりで上から落ちてくる偶像(アイドル)が出てくるという訳であり。彼女らは大抵この荒波から脱出することができず、消えていく。



……まあ、そんな感じで色々と悲観的なことは書いたけれど、そもそも才能がない私みたいな偶像(アイドル)は、最下層に蔓延っているらしい足の引っ張り合いやいじめの対象にはなかなかならない。ここは一般国家とは少し違う面白いところだ。
……だが、この状態ではいずれ偶像(アイドル)に留まることはできなくなる。どうにかしないといけない……と、私が思ったところで。
落ちこぼれ偶像(アイドル)仁聖(ひとみ)ルナの華麗なる……かどうかは分からないけど、まあ現状をなんとかする物語は始まっていく。

第一話『アイドル・イン・ボトムレス』

南部、住宅街。偶像(アイドル)やらファナティクスやら定住者やらが住む……文字通りの住宅地である。私の家もご多分に漏れずここにある。まあ、ちょっとボロいアパートの三階の一室だけど。
とは言っても、私は普段家で寝泊まりをしていない。偶像の国を放浪している、いわゆる野良偶像(アイドル)というやつである。しかも道々で何かをするという訳でもない。誇る訳ではないが、ここまで無気力なのは私以外居ないのではなかろうか?
……さて、どうでもいい話は置いておいて、私は何日かぶりに自宅へと帰還する。少々散らかしてはいたが、匂いが出るような物は捨てておいた筈。……と、覚悟のような何かをして鍵を開け、ドアを開く────すると、なんということでしょう。
床に置いてあった筈の雑誌はすぐ近くの棚に整理されており、廊下に放置していた筈のプラスチックゴミの袋は綺麗さっぱりなくなっており、脱ぎ散らかしていた筈の服も洋服ケースやらハンガーやらに綺麗に収められているのです。
「……」
私は軽く絶句した。……しかし実のところ、私は『綺麗になっている』という事実に絶句しているのであり、『誰かが入って片付けていった』という事実は二の次に回された。
一応何か盗まれたりしていないか、と確認はしておく。そして数分かけて大切な物は特に何も無くなっていないことを確かめ、とりあえず冷蔵庫から牛乳を出してきてコップに注ぐ。
さて、私が何故ここまでのんびりしていられるのか。まあ端的に言ってしまえば、こんな事をする人を知っているのである。
鍵を開ける技術を持っているのにも関わらず、何も盗んでいかない。何故だか私の不要な物だけが捨てられていて、必要な物はしっかりと棚に整理整頓されて、かつわかりやすい場所にある。
そんな、まるで家事の為だけに他人の家に侵入するような変人を────私は知っている。……まあ、その人の紹介は実際に来ない限りしないつもりだ。
私は牛乳を飲み干した後、ポストに行って溜まった郵便物をまとめて引き出す。大抵はライブ告知だったりグレン歓楽街の名状しがたい店の広告だったり配達の不在通知書だったりしたが、その中にはマネージャーからの勧告書等も入っていた。この日までにレッスンに来ないと契約打ち切ります、というものであるが、
「……過ぎてるじゃん」
いっそ笑えてきた。……いや、流石に携帯電話くらいは持ち歩くべきなのだろうか?
その他の郵便物に特に目を惹かれる物はなかった。なのでまとめてシュレッダーにかけてしまう。……勧告書も一緒に。流石に不在通知書は残したが。
「とりあえず……着替えないと」
独り言である。
放浪中はお金などの最低限の荷物しか持たない私ではあるが、服装は偶像姫士(アイドリックシュバリエ)の特権でもある衣装である程度賄える。ただ普段着は家から出る時に着てきた物しかないので、そのうち限界が来るという訳だ。
さて。とりあえず下着は着替えたが、上着は面倒なので着ない。別に誰が訪ねてくる訳でもないし……と、何処に向けているのか分からない弁解をする。
ただ……こんな時に限って、来る人は来るものである。私が人をダメにするソファに体を埋めた時……インターホンが鳴った。何とか体を起こして訪問者の姿を確かめる。すると、画面には……よりにもよって、先程話題にしていた偶像(アイドル)が映っていたのである。

第二話『アイドル・トゥ・ボトムレス』

「……えっと」
「……」
少しして。ひとまずバスローブみたいなものを上に着た私の前に、彼女は正座している。……彼女。名前は天塚(あまつか)シオリ。私とは比べ物にならない程、知名度も能力も高い偶像(アイドル)である。
「あの……」
「……」
先程の語りでおおよそ分かるかもしれないが、私の家を掃除したのは十中八九彼女だ。というかそうでなければおかしい。そうでなければ許されない。そうでなければ通報する。
「ええと……」
「……」
とりあえず家に上げて座布団も提供してみたものの、ここからはどうするべきだろう。お茶でも出すべきだろうか?……いや、確か家にティーバッグは無かった筈。ペットボトルのものしかない以上失礼だとは思う。
「……あの!何か私に言うべきことがあるのでは……?」
「……?……あ、考え事してた」
「もう……じゃなくて!ええと、その……」
なんだか上手く言語化が出来ていないらしきシオリを前にしてようやく私の頭脳は動き始めた。記憶をひっくり返し、多分正解であろう返答に繋がる情報を引き出す。
「勝手に上がり込んで掃除とか色々したこと?」
「あ、そうです。ごめんなさい」
私は可笑しくなった。シオリは私だけじゃなく、近所の人々の家に勝手に上がり込んで掃除をしている。偶像(アイドル)やファナティクス等に関わらず。……多分本人の性格的に申し訳なく思っているのは『勝手に掃除をした』ことではなく『勝手に上がり込む』方だと思う。というか既に罪悪感は捨てたものだと思っていた。
「まぁ……別にいいけど。どうせあんまり帰らないし……」
「だったら尚更綺麗にしておこうとは……」
「……え、そんなに汚かったかなぁ?」
なんだかシオリの口調に少しだけ毒がある気がする。少なくとも私は自分ができる範囲は片付けておいた筈なのだけれど。
「ゴキブリが湧いてました」
「ごめんなさい」
「流石に想定外でしたよあれは……責任取ってください」
「責任??」
「なにか美味しいものを所望します」
……なるほど、どうやらこれが目的だったらしい。私は直ぐには返答せず、部屋の中を軽く見回す。すると部屋の隅に1つ、ゴキブリ退治の黒い容器が置かれていた。多分探せばまだまだある。
さて美味しいものとは言うが、私に料理スキルがあんまりない事はシオリも知っている事だろう。なので自惚れず素直に返答する。
「いいけど……私あんまりお金持ってないよ?」
「残金はいくらです?」
「400チップ*3程度」
「えぇ…」
「あ、今は160チップだった」
「ジュース飲んでる場合じゃないと思うんですけど!?」
「大丈夫口座にはまだ1万チップくらい残ってるから……」
自分でも情けないとは思うけれど事実なのである。お金が尽きたら家に戻ってしばらく補給・資金調達に専念しそしてまた放浪する……というのがもはや定番となっていた。
「まぁ、お金は私が出します。ただ……」
「?」
「私、あんまりいい感じのお店知らないので……ルナさんならその辺知ってますよね?」
「うん。……わかった、ちょっと待ってて……着替えてくる」
そう言って私が立ち上がると、シオリはそこでようやく状況を把握したらしい。私は注意してバスローブを着ていたものの、彼女は慌てて目を背けた。……痴女みたいに思われたりしてないか不安になる。
ともかく、久々に暖かい空気に溶け込めそうだった。

第三話『アイドル・フライ・ボトムレス』

それから10分後。私とシオリはボロいアパートから外へと繰り出していた。私はまあ無難に、外で何かやっても後ろ指を指されない程度の格好である。シオリは……ワンピースだかシャツとスカートだかよく分からない服装をしている。まあ、似合っているし可愛い格好だとは思う。
「えっと、そのお店ってここから何分くらいなんですかね?」
「歩きでだいたい30分くらい」
私がそう返すと、彼女は少しだけ考え込んだ。
「……住宅街の中ですよね」
「うん。……あ、もしかして今疲れてる?」
「いえ……歩きましょうか」
「はーい。……こっちだよ」
そういえば私は今ほぼ無一文なのだった、と言ってから気付く。確かにこれでは歩き以外の選択肢を採れる筈もない。逆に気を遣わせてしまったかもしれない。
「……」
「……」
歩きで30分。二人で、しかも黙って歩くには少しだけ苦痛な距離である。実際シオリは2分もせずに限界を悟ったらしい。
「……ところで、何のお店なんですか?」
若干の苦痛を思わせる表情で彼女が聞いてくる。多分行った時の楽しみとして尋ねるのを控えていたのだと思う。
「クレープ。半年くらい前にオープンした所だよ」
知ってる?と私が聞くと、知らなかったです、との返事が返ってきた。
「シオリってあんまりそういうのに興味なさそうだよね……」
「というかだいたいの料理は自分で作れますから……自然と好みだったり手間がかからないものに偏っちゃうんですよね……」
「自炊しててもそうなるんだ」
「私の場合は自炊だからこそな気がするんですけどね……」
徒歩移動の暇潰しは雑談に限る。1人の時には使えないので私が発明した訳ではないのだが、ともかく相手によっては実際に魔法のように時間が過ぎていくのだから重宝しない理由はない。
……このように話してみると、つくづく人の性質というものはよく分からないなと思う。オンの時は清純派の極北みたいな存在で、オフの時でも誰にでも礼儀正しいし大抵の事は1人で消化できる上に、それを他人にお裾分けするだけの度量や余裕もある。ただ一点、その"お裾分け"の為だけに他人の家に侵入する……という行為が非常に彼女の評価を難しくしているのだ。あくまで私の中では。
「……そういえばルナさん。聞きそびれてましたが、あの青いシャツって捨てても良かったですかね?」
「うん」
……まぁ、そんな事が言えるのも……彼女が悪人ではない、と私がどうしようもなく理解しているからだろうけど。

 
 

時間にしておよそ20分。見慣れた景色はとうに過ぎ去った。遠くにウルトラドームの威容がうっすらと見える。
「ここを右に。あとはそのまま行けば左手に見えてくるはず」
「はーい。……筈って……」
「えーっと、私も1回ふらっと寄っただけだから……」
「だ、大丈夫ですかね……?」
シオリの体格は私より僅かに小さいくらいだが、何故だかその姿が一際小さく見えてくる。嗜虐心にも似た感情を抑えつつ、自分の記憶が正確であることを神に願った。
……とはいえ、願いの結果が出るまではまだ少しかかる。私は歩きつつ雑談を再開することにした。
「シオリって確かソロだけど事務所には入ってるんだよね」
「ええ。……ひょっとして興味あります?」
「ないです。ただちょっと事務所で他の偶像(アイドル)とどんな事やったり話してるか気になったからさ」
「そうですねぇ……」
これは雑談だ、というのをシオリも理解したらしい。彼女はちょっとだけ考える素振りをする。
「まぁ、時々合同レッスンをやるくらいですね。何分ユニットではなく……ソロの人達を集めた事務所ですから」
「そうなんだ」
「そうです。だから正直まだ顔も名前も覚えてない人が若干いて……」
とは言うものの、恐らく私よりは幾分マシであろう。そういう人と会った時のカバー……誤魔化す能力も充実しているに違いない。
「そこの人達の部屋も片付けてるの?」
「ええと……住宅街に住んでいて、かつ私の家に近い方なら」
「ふぅん……」
「まあルナさん程にやりがいのある部屋はあんまり無いので安心してくださいね」
「……それ褒めてるの?」
「あ、いや、なんでもないです!」
うっかりしていた、という様子で口を押さえるシオリ。この分では本当に素で言ってしまったのだろう。……事実なので私も反撃できない。
……『事務所』は基本的にプロデューサーが数名の偶像(アイドル)の援助・ライブの管理・給料の支給などを行う場所である。大きい事務所では複数の『ユニット*4』を抱え込み、数十人単位で監督している所もあるらしい。シオリが所属しているのはその逆で、少人数かつユニットもないので個々人の個性が色濃く出る……というのが売り文句の事務所だ。まぁ、全員がソロで活動するので仕事を取ってくるのがかなり難しいらしいが……マネージャーもついていない私よりは多分遥かにマシだと思う。
「よかった、道は合ってたみたい」
「そろそろですか?」
「うん。あのオレンジ屋根の店がそう」
「オレンジ屋根ですね……覚えました」
基本的に偶像の国における店は殆どがラタナ商店街に集中している。ただ、勿論そこにしか店がないという訳ではない。飲食店や小売店等は人が多い住宅街にもぽつぽつと点在しているし、土産屋などはヘロス温泉街と商店街の売上・規模が拮抗している程だ。また、少々名状しがたい店は歓楽街・賭博街の方が圧倒的に多いのだが……それは今は考えないことにしよう。
オレンジ屋根のクレープ屋を遠くに発見してからおよそ5分。私とシオリはその店の前にいた。
「『ミルククレープ』……1文字多くないです?」
「それ別の料理になっちゃうから……ほら、入ろ入ろ」
幸いにも中はガラガラとまではいかないものの、満席からは程遠い空き具合だった。まあ席とは言っても所詮クレープ屋なので、例え満席だったとしてもすぐに空くだろうけど。
「お金は私が出すんでしたよね」
「……って言ってたね」
「あの、何と言うか……お手柔らかにお願いします」
言い方が悪い。確かに私も悪いことをした自覚はあるがその言い方だと何やら不埒な事を考えてるみたいに聞こえる。
「いや、私でも流石にそれくらいの常識はあるから……それよりも何を選ぶか考えた方が精神衛生上いいと思うよ」
「それもそうですね……ふむ。おすすめはあります?」
「迷ったらノーマルクレープがいいよ」
ノーマルクレープとは言うが苺パイナップルオレンジ、クリームやチョコソースなどの諸々が薄めの生地に包まれている個性溢れるクレープである。値段は800チップ。
「それにしましょうか。ルナさんは」
「バナナぎっしりクレープのミニサイズかな。420チップ」
そんなこんなで店員に注文を出し、しばし待つ。ここはクレープのみを頼む場合、店内での食事とテイクアウトの違いは無いに等しい。流石に席がいっぱいになっていたら外や家で食べるべきだが、今はそうではない。ということでシオリに席を取らせて、私はセルフになっているお水を持っていったりクレープの運搬をしたりした。これくらいの労働はするべきだろう。
「ありがとうございます。……はい、確かに280チップいただきました」
実は先程シオリから1500チップを受け取り、それで代金を払っていたのである。空同然の財布に比べると、この重みはなかなか応えた。
「お代は明日返すね……」
「……ルナさんって変なところで律儀ですよね……」
「いやいやいや、これくらい誰でもするでしょ。……まさか返さなくていいとか言うつもりじゃないよね?」
「……えーっと、色々話し合う前にまずは食べちゃいましょう」
図星かどうかは知らないが逃げられてしまった。……表情からして、多分図星なのだろう。ここまでされておいて更に相手に寄りかかるのは避けたいものだ。
「わぁ、確かにこれは美味しい……!」
「でしょ?特にクリームがお砂糖控えめで、でもその分生地がほんのり甘かったりフルーツが新鮮かつ糖度が高くて甘いものを厳選してるから満足感すごいんだよね……」
「確かに800チップとは思えませんね……ルナさんのもミニサイズにしては」
「バナナたっぷりだからね。このチョコソースかけると擬似チョコバナナクレープみたいになるんだよ」
「えっこれソースじゃなくてチョコレートだったんですか?しかもセルフで!?」
「ここクレープ屋だよ……?」
お互い甘いもの好きということでなんだか盛り上がってきた。……シオリの行動圏内からは若干離れているが、とりあえず記憶の片隅に留めておいてくれたら良いなと思うのだった。

第四話

翌日。私が家に戻ったりシオリと一緒にクレープを食べに行ったりした日……の次の日である。……いや、くどいかもしれないが本当に昨日は濃い一日だった。いちいち列挙して確かめないとその濃さはわからないだろう。そうでもない?そうかもしれない。基本的に私の一日は無だから。
どうでもいい話は置いておいて、私は住宅街中心部あたりにある銀行に向かっている。昨日シオリに払ってもらった420チップを返すには財布の中身がだいぶ心許ない。心許ないというか空も同然なのである。……420チップという金額はかなり安い部類に入る。シオリも昨日あんな事を言ってたしいっそ忘れたふりでもしようかな、等とクズみたいな考えが浮かぶのも致し方ないだろう。
……私がそんな具合にゴミ思考の濃縮に努めつつ歩いていると、ちょうど横切った通りの奥の方から日常生活には明らかに相応しくないような音が聞こえてきた。人の流れを無視し足を止める。耳を澄ます。鈍い音……何かを弾くような音。何と何が戦っていてどちらが優勢なのかは分からないが、魔物の同士討ちは非常に稀だ。人と人との場合は……まぁ、今は考えないことにしよう。
「……ふぅ」
私は溜息を吐く。無視しているのか避けようとしているのか、わざわざその通りを見に行く野次馬はいない。周囲に偶像姫士(アイドリックシュバリエ)は居ない、居たとしても関わるつもりはない様だった。
小走り程度の駆け足でその通りに突入すると、さほど遠くないところによく出来た泥人形のような魔物と、そいつと戦っている偶像(アイドル)の姿が見えた。魔物の姿でよく見えないが、どうやら彼女はひたすら防戦に徹しているらしい。
「ランサーかぁ」
魔物は偶像姫士(アイドリックシュバリエ)一人で対処するにはやや危険な部類に入る『ランサー』だ。ただ、どうやら後ろから来る私には気付いていない様子である。バリアを張っている偶像(アイドル)の防御を突破できず、躍起になって片手の槍を振り回している。その隙が仇となるのだ。
ある程度まで近付いたところで、地面に片手をつける。別にこの動作は必要ではないが、こちらの方が元気の源……能力を使う為のエネルギーの流れがイメージしやすい。そして、茨をランサーのいる場所に生成する。ランサーがこちらを振り返った。ついでについ今まで戦っていた偶像(アイドル)も、私の存在に気付いたようであった。しかしもう遅い。『束縛の茨』は、ランサーの泥の体へと確実に絡みつき、食い込む。何やら暴れているが、足元から始まり胴体、腕にかけて伸ばした茨に油断はない。逆に暴れているうちに棘が刺さり、確実に体力を奪っていくのである。
さて、ひとまず魔物の無力化に成功したということで、私は視線を偶像(アイドル)の方に移す。知っている顔だった。名前は確か────天祢シロン。
「……一応聞いておくけど、怪我とかないよね?」
「うん。……えーっと、誰だっけ」
思わず笑ってしまった。まるで知り合いかのように声をかけてしまった私に対して。
「……仁聖ルナ。そっちは……天祢シロンで合ってるよね?」
「合ってるよ!……そういえば会った事あるような……忘れててごめんね」
「別に覚えてなくてもいいんだけど。それはそれとして……こいつの対処は私がやっておくから、シロンは上の人を遠くまで避難させて」
私は屋根の上に誰かが居るという事に気付いていた。恐らくランサーに襲われそうになっていた所をシロンが救ったのだろう。
「……わかった。ありがとね!」
戸惑いか不安からか彼女は一瞬迷ったものの、決断してからは0.1秒足らずで屋根の上へと飛んでいった。その間ランサーは私の茨によってずっと立ったまま拘束され、脱出しようと必死に暴れている。切り傷だの細かい刺し傷だのが動く度に刻み込まれている様子が見て取れた。もう少し放っておいたらこのまま死んでしまいそうな程に。まあ、ランサーは死んでも数回は蘇ってくるのだが。
「お待たせ。じゃあやろうか」
魔物に言語が通じるとも思えないが────一応の礼儀として、私はそう言い放ったのだった。








あれからランサーをきっちり殺しきり、銀行でお金をおろしてきた。……その額5000チップはやや少なすぎるきらいがあるが、全財産の半分なのだ。手数料など知ったことか。そして私は今、来た道を戻ったり少しだけ曲がったりした結果としてシオリの家の前にいる。きちんとした一軒家だ。……シオリには兄弟姉妹がいない。恋人の類も私が仕入れている情報の限りではいない。一人では持て余しそうなものだが、彼女は使う部屋と使わない部屋をしっかり分けて、それでいてどの部屋もきっちりと掃除を行き届かせている。
チャイムを鳴らした。……数秒待っていると、家の中からどたどたと足音が聞こえてくる。驚きぶりが手に取るようにわかって面白い。……が、その足音もすぐに静かになったと思うと、ドアが開く。
「ルナさん。どういったご用で?」
「……先にインターホンで用件聞いたりとかしないの?」
「あー……今ちょっと壊れてて。……まあ、立ち話も何ですし上がっていってください」
「はーい」
シオリはすぐに引っ込んでいった。有無を言わさぬ立ち回りである。……まあ確かに、外でお金のやり取りをするのは色々な意味で危なっかしい。それに昨日今日とかなりの距離を歩いたので、実はそれなりに疲労が溜まっている。ということで、私はご好意に甘えることにした。



「えっとまずは……昨日のお金を返しにきた。これ」
リビングに通されたところで、とりあえず色々と動かれると忘れそうなので用件を真っ先に済ましてしまうことにする。来る前に買ったポチ袋に420チップを分けて手渡す。シオリは中身をちらと確認しながら頷くと、それをポケットに仕舞った。……私の用事はこれで終わりである。わざわざ上がった割にはかなり早く済んだ。
「うーん……ほうじ茶でいいですか?」
「あっはい」
前にも何度か来たことはあるが、シオリの家は『綺麗』の二文字を体現したかのような雰囲気であった。綺麗というのは汚れがない・余計な物がない・棚が整理整頓されている・部屋が本来より少し広く見える、の四拍子揃った表現である。この部屋を見ずして掃除を語るな、と過去と未来の私に言ってやりたい程に。
シオリは私服どころか部屋着にも油断がない。私だったら速攻よそ行き……というか、それ以前に多分似合わないであろう大きなボタンのついたもこもこのシャツとミニスカートである。白い脚がまぶしい。いや私も足の白さには自信があるが、健康さが違う。……何の話をしているんだろう。
ほうじ茶のティーバッグが入っているであろうふくろうの急須にポットのお湯が湯気を立てつつ注がれる。部屋中にお茶の香ばしい香りが少しづつ充満していく。いつの間にかテーブルの脇にクッキー缶らしき箱が置かれていた。
「あ、これですか。余り物ですけど……」
シオリは私の目線に気付いたらしく、そんな事を言ってきた。
「そうじゃなくて。いや嬉しいんだけどさ……本来お金を返すためだけに来たのに……」
私が困惑と諦観を混ぜたような返答をすると、彼女は少しだけむっとしたような表情になる。
「天塚家の家訓の一つにこうあります。『来客は全力で歓待せよ』!……そもそもルナさんも断らなかったじゃないですか」
「返す言葉もないです……」
というのは嘘だが、何か反論したら怒らせそうな気がしたので私は抗弁を諦めた。まあ、天塚家が家訓を持ち出すならこっちだって仁聖家の家訓の出番である。『人の好意は拒むな。受けた恩はいつか返せ』。……返せるかどうか分からないが、せいぜい巨大にして返してやるとしよう。

第五話

「そういえばさっきシロンに会ったよ」
「シロン……あぁ、天弥シロンさんですか。お元気そうでしたかね?」
「天祢だったような……?まあ、魔物と戦ってたからよく分からないけど……元気そうではあったかな」
私は目の前に置かれたクッキー缶からチョコチップの物を一つ手に取る。
「それは良かったです。知り合いですからね……」
「うん」
私は相槌を打ちつつも、知り合いという言葉に若干モヤモヤしてしまう。知り合いの定義とは一体何なのだろうか。お互いに認知している事だとしたら先程のシロンの反応からしてその条件には合致しなくなる。
シオリがバニラのクッキーを取った所で、私も手に取ったクッキーを一口かじる。……甘い。
「……あれ?魔物と戦ってたって……ルナさんはどうしてたんですか?」
「私はそいつがシロンに気を取られている隙に後ろから茨で拘束した。攻撃は全部防ぎ切られてたから……その分後ろを見る余裕はなかったのかもね」
シオリは私が喋り終えてほうじ茶で口を湿らす頃には既に2個目のクッキーに手をつけていた。今度はジャムが嵌め込んであるものらしい。……とはいえ、姿勢はこちらから離れない。いちいち観察する自分が申し訳なくなるほどに。
「そうですか。……ちなみにその魔物は」
「ランサー。無難なところだよ」
「危険度3だったような気がするんですけど」
「ランサーって二人以上で相手したら結構楽な魔物なんだよ。……まあその分攻撃は結構強いけど」
私は残りのクッキーを口の中に放り投げ、数mlのほうじ茶と一緒に噛み砕いて飲み込む。風情もあったものではない。
「あんまり危ない事しちゃダメですよ」
偶像姫士(アイドリックシュバリエ)にそれを言ったらおしまいだよ」
シオリの軽口だか忠告だかに適当に答えておいて、私はクッキーの方に手を伸ばす。……しかし丁度シオリも同じようにクッキーを取ろうとしたようで、お互いの手がぶつかってしまう。
「「あっ」……」
「……っとと、ごめん」
「えっと、こちらこそ……?」
シオリは慌てて手を引っ込めたが、一瞬宙を泳ぎかけた私の手がそそくさとホワイトチョコレートのクッキーを手に取るのを見ると、彼女もチョコチップのクッキーに手を伸ばした。
「……」
「……」
何故、と聞かれても分からないが、奇妙な沈黙が場を支配した。さく、もぐもぐ、ごくん、ずずず……といった、クッキーを食べたりお茶をすすったりする音だけがしばらく私の耳に残った。お互い目も合わせないし会話もしない。それでいて私の頭は活発に働いている訳でもない。暖かい綿菓子をこめかみの辺りに押し当てられているような感覚だった。
私が先程のような大したトラブルもなく3枚目のクッキーまで平らげてシオリの方を見ると、彼女は顎に湯呑みから立ち上る湯気を当てつつ何か考えている様子だった。先程までのペースはどこへやら、クッキー缶の中身にはほとんど変化がない。
「……そろそろ帰るね。ごちそうさまー」
何を考えているのだろう、と思って目を合わせてみたら無言で逸らされた。というのは置いておいて、流石にもう帰る事にした。何度も言うが当初の目的は達成しているし……このままここに居るとなると若干居心地が悪い。
「お邪魔しました~」
「あ、はーい……!また今度です!」
すり足で玄関まで行って靴を履いていると、気付いたシオリが慌てて後を追いかけてきた。挨拶ができるくらいにまで回復したらしい。……お互いに。
外に出て後ろ手にドアを閉める。辺りを見回す。……こちらに注意を向ける人はいないようだった。……まあ、そんなこと気にしている時点で負けなのかもしれないけれど。

第六話

一気に日付が飛んで、数日後。……途中1回ほどシオリの来襲があったが、長々と語るほどの事件ではなかったので割愛する。それよりも、ある朝私が郵便受けを覗いてみると、一枚の紙が入っていたという事の方が重要なのだ。それもただの紙ではない。封筒に入ったはがきである。
「……?」
私に手紙を出すような手合いはいただろうかと少し考えるが、すぐにやめた。どちらにせよ差出人欄を見ればわかる話である。……が、封筒にある差出人の所には『匿名希望』という文字がでかでかと書かれていた。いたずらかな、と思いつつも私は封筒を破り、中に入っているはがきを取り出す。
「……イオニア・プロダクション……?」
こちらの方にはしっかりと差出人名が書かれていた。……事務所名ではあるが。イオニア・プロダクションはまあ中堅どころの偶像(アイドル)事務所だったような気がする。スカウトだとしたら破り捨ててしまおうと思いつつ、私ははがきを裏返してその内容を眺める。

『仁聖ルナ様へ
この度我々イオニア・プロダクションは歓楽街のどこかにある『罠の町』を調査・測量する運びとなりました。
しかし我々もそこまで規模が大きい訳ではないので、外部からフリーの偶像姫士(アイドリックシュバリエ)を護衛として数名雇う事にしました。貴女もその候補の一人です。
全ての計画が終了した際、報酬として4万チップをお支払い致します。もし興味があるならば、〇月〇〇日の朝〇時にイオニア・プロダクションビル4階の第2会議室にお集まりください』



……なるほど。4万チップに飛び付きそうになったが、冷静に考えてみる。……『罠の町』は手紙にある通りグレン歓楽街のどこかにある、遊園地のような場所だ。それだけなら可愛いのだが、そこはまるで迷宮のような構造になっており、一度迷い込むと脱出するのに恐ろしく苦労するのである。また未だに場所の特定が成されていない性質上、歓楽街を歩いているだけでいつの間にか閉じ込められる可能性がある、悪魔のような場所だ。
ただ、その罠の町にも犯罪者を閉じ込めて永遠に出られないようにする役割があるのだとかいう噂を聞いたことがある。下手に調査をしてしまうと危ないのではないか、と思わずにはいられない。
でも4万チップかぁ……そろそろお金も危なくなってきたしバイトみたいなのを始めようかな、と思っていた所なのだ。まだしばらくのんびりできる可能性がある、という一点だけでも受けるに値するかもしれない。








という事で、結局お金に釣られた私はここ────つまりイオニア・プロダクションの4階にある第2会議室までやってきた。締め切り時間まで数分という滑り込み状態だったとはいえ、想像の二倍くらい人がいる。流石に空席はかなり目立っているが。
とりあえず隣に誰も居ない席を適当に見繕って座る。ちょうど窓際だったので、見下ろせば人通りの様子が見えた。……イオニア・プロダクションは商店街の中にあるが、住宅街からもそれなりに近い。朝方という事で通行人は少ないが、偶像(アイドル)の姿はいくつか見つけることができた。
「間に合ったー……!間に合ってますよね!?」
「ええ間に合ってますよ。……あぁ、シアン様じゃないですか。ようやく戻ってくる気になりましたかね?」
「うーん?よくわかんない」
「……まあ良いでしょう。適当な席にお着き下さい」
「はーい!」
……私が席に座ってから30秒しないうちに、前の方がそんなふうに賑やかになってきた。今来た偶像(アイドル)の声に聞き覚えがあったのでそちらに目をやると、水色の髪を短めに切り揃えた女性……というか少女の偶像(アイドル)が入口の所にいた人と話していた。というか、たった今会話を終え、私が座っている辺りに近付いてきた所である。
「あっルナさん!後ろいい!?」
「……シアン。ルナちゃんでいいって毎回言ってる筈なんだけど……」
「そうだっけ!まあいいや。後ろいい!?」
「うるさい。いいよ」
この偶像(アイドル)はシアン・バーナードという。確かイオニア・プロダクションの経営者……プロデューサーの令嬢だったような気がする。性格はまあご覧の通り元気溌剌で頭が少々弱い。
「……」
前に説明役らしき人が出てくると流石に黙ったが、代わりに発せられたわくわくオーラがこっちまで伝わってくる。もし彼女が犬だったとしたら、尻尾を振る音で集中を更に妨害していた事だろう。


『お集まりの皆様こんにちはー。まず、ここに来た皆様の中にはがきを直接受け取らなかった方はいらっしゃいますかね?
……はい。それでは私黒手リコが説明役を務めさせて頂きます。と言っても大体はあのはがきに書いてありますがー…………』


……話を要約すると、偶像政治から通達があり、歓楽街に進出している事務所の中から毎年一度の抽選で選ばれた事務所には『罠の町』の調査が義務付けられているらしい。イオニア・プロダクションの本部はここだが、歓楽街に支部である薬局を一つ建てている。それが引っかかった事により抽選の対象になり、見事に当たってしまった、という訳だ。
ただ、私が思うにイオニア・プロダクションはまだましな方であると思う。中堅どころという事で経済力もそこそこある。フリーだったり別の事務所に所属する偶像(アイドル)を一時的に雇うくらい問題ないのだ。
『……はい。もう一度言いますが、 来て下さる方は明日〇時にイオニア薬局前に集合お願い致します。それでは皆様お疲れ様でしたー』
報酬は当日、実際に来た人にのみ渡されるらしい。当然ながら私はやる事もないので行くことになるだろう。
帰っていく偶像(アイドル)の流れをひとしきり眺めると、私も立ち上がって列の最後尾に加わる。すぐにシアンがついてきて最後尾では無くなってしまったが。
「ルナちゃんも参加するの?」
「うん。別にやる事もないし暇だからね」
「そっかー。私も参加する!マネージャーさんからも許してもらえたし!」
「……へえ、あの竜巻さんが?」
「そう!明日早起きしなくちゃ……!」
素直で元気な人は苦手だが嫌いではない。明日は賑やかになりそうだな、と他人事のように考えるのだった。

第七話

翌日。大過なく起床して着替え、予め買っておいたパンを食べつつ集合場所であるイオニア薬局に向かう。……グレン歓楽街は住宅街の真反対にある。普通に歩いて行けば数時間はかかる。かと言って電車やバスやタクシーを利用するほどお金に余裕がある訳でもないし、そもそも早く着きすぎる恐れがある。もうちょっと遅かったり早かったりしたら良かったのだが……こういう時に限って起きてしまう自分の身体が疎ましい。
さて自己嫌悪はほどほどにしておいて、私は近くの公園にある電動キックボードレンタル場にやって来た。……いちいち電動キックボードと呼ぶのも面倒なので私は電動スクーター、縮めてスクーターと呼んでいるが。ともかくここはその名の通り微妙に便利なスクーターを借りる事ができる。しかも無料。また、使ったスクーターは返しに行く必要はなく、降りたところのレンタル場にそのまま置いておけばいいという親切仕様なのだ。……まあ、速さ自体は自転車を使うのとそう変わらないし体力もそれなりに使うのだけれど。あとヘルメットもないので、歩道を通れるとはいえ何かに激突したら相当に危ない。




そんな調子で私が走行よりやや速い程度のスピードを出しつつ疾走していると、通行人がちらほらこちらに向かって走ってくるのが見えた。そしてその原因も見えた。……魔物だ。なんかおっきいのがいる。
「……『ナンカオッキイノイルンデスケド』かぁ」
ナンカオッキイノイルンデスケドとは、ナンカイルンデスケドという魔物の亜種……というか進化系らしい。危険度は『2』に指定されている、一般人が挑むには少々危険すぎる相手だ。……個体によっては無害なのも居るらしいが、あれはどこからどう見ても暴れている。
私は右足で地面を擦り、スクーターの速度を落とした。……逃げ惑う人々も粗方捌けてきた。……辺りには逃げ遅れた人々の死体だか意識不明だか判別し難い体が転がっている。
「……最近なんだか魔物多いよね。何か知ってる?」
十数メートル程の距離まで近付き、そんな言葉を相手に投げ掛ける。……半分独り言のようなものだったが、顔がこちらに向いた。注意を引くには十分だったらしい。ただ、
「多くない……?」
ナンカオッキイノイルンデスケドの裏から、ナンカイルンデスケドが群れとなってぞろぞろと出てきた。……巨体に隠れて見えなかったらしい。その数は優に30は超えている。一体一体はそこまで強くないが、そんな弱い魔物はしばしば群れを形成する。人間からしたら迷惑この上ない話だが……魔物にもしっかりとした社会性があるらしい。まあ、魔物が自然湧きするこの国においてはそれも怪しいところではあるけれど。
ともかく、逃げる訳にもいかない。私はスクーターを一気に加速させ、すぐに飛び降りる。……距離が距離なのでダメージにはならなかったが、スクーターを避けられなかった一体が怯んだ。その隙に『エアーショット』の空気弾を頭部に直撃させる。空気弾とは言っても威力にはそこそこ以上の自信がある。現に撃たれたナンカイルンデスケドは動かなくなった。
「まず一体……!」
のんびりカウントしている余裕はなかった。突っ込んできた数体を後ろに跳んで避けると、ちょうど私が足元に予め展開しておいた茨へ見事に引っ掛かってくれた。足を取られいくつかの個体が転がるも、そいつらを踏み台にして後続が向かってくる。
……私はあまり多対一の戦いが得意ではない。というかほとんどの偶像姫士(アイドリックシュバリエ)がそうだとは思う。……でかいやつには『束縛の茨』が効かない。縛ろうとしても力で引きちぎられるからだ。……いや、私が本気を出せば抑え込める程度ではあるけれど、如何せん周囲に隙を晒す可能性がある。だから嫌なのだ。
「……!」
いくつかの魔物を茨で操り、でかいやつの攻撃を防ぐ盾にする。……潰れて弾けた。私のような偶像姫士(アイドリックシュバリエ)でも、まともに受けたら死にこそしないが全身の骨が砕けそうである。とはいえ……このままの調子で取り巻きを減らしていけば、いつかどうにかなるかもしれない。……と思ったところで、




「えいっ!!」
そんな掛け声と共に、とある偶像(アイドル)……いや。シアンだ。シアン・バーナードが、近くの建物の屋根から飛び降りてきた。
「シアン!?」
敵と私に衝撃が走ったところで、足が痺れたらしきシアンはそれでもぴょんと跳んで体勢を整えて私の隣に並ぶ。
「カラフルブレイバー、ただいま参上!……非番だけど!」
「……なんでもいいよ、助かった!」
それ以上の言葉は必要なかった。二人まとめて潰そうとしてくるでかいやつの拳を私は避けたが、シアンはそれを合気道の要領で受け流す。その隙に私は『束縛の茨』を発動、そいつを全力で縛り上げる。……直後、シアンの身体強化が乗った強烈な回し蹴りがまともに入った。
「うわ……」
明らかにボス格っぽい奴が見るも無惨な姿になったところで、シアンはそれを顧みずに十体以上の群れの中へと突っ込んでいく。
「急がないと遅刻だよ!くらえっ!」
「……そういえばスクーターどこ行ったっけ……」
シアンが前線で暴れて、私は後ろで危なそうな敵の動きを阻害したり撃ったりする。それだけで効率も威力も段違いだ。……結局、人は一人では生きていけないのだ。程なくして魔物の群れは全滅し、後処理は後から来るカラフルブレイバー隊員に任せることになった。








野次馬が集まってくると厄介な事になるので、私とシアンは早々にその場から離れる。そして少し行ったところで、
「そういえばルナちゃんは歩き?」
「シアンこそどうなの?単純な歩きじゃ間に合わなそうだけど……」
「私?私は……こう!」
彼女はそう言うと、全力ジャンプで屋根の上に飛び乗り、私の方に手を振ってくる。
「ちょっと迷惑かけちゃうけどこっちの方が速いんだよね!」
「……この辺まだ住宅街だよ。建物がびっしり詰まってる商店街やら歓楽街ならともかく……いや」
私は少しだけ頭痛を覚えた。シアンの振る舞いではなく……過去の記憶が微細な棘となっているのだ。
「……まあ早いならいいか。先に行っていいよ」
「はーい。……いやそうだ、ルナちゃんは!?」
頭を掻きつつ私が何でもないような調子で言うと、シアンは素通りしかけたものの、こういう時に限って引っかかってくる。
「……実はさっきの戦いまでスクーターに乗ってたんだよ。終わったら回収しようかと思ってたけど……どっか行った」
「……あと3時間だよね?大丈夫?」
「あんまり大丈夫とは言えないかなぁ……」
私は正直に言った。電車のお金をケチったのが敗因だが……かと言って魔物も無視できなかったので致し方ない。残るのはお金にならない誇りだけ。まあ、死ななかっただけ良かったかな、と私がまとめかけたところで、
「うーん……じゃあルナちゃん!」
シアンがしゅたっと降りてきた。今度はしっかりと姿勢を低くして衝撃を抑えている。
「乗ってって!一緒に行こう!」
「……は?」
何を言っているのか分からなかった。脳が理解を拒否していた。ただ、その彼女が降りてきたままの姿勢……小さい子を背に乗せる時のような姿勢を保っているので、次第に理解し始めてしまった。
「えーっと……どういうこと?」
それでもあえてこう聞くあたり、どこかで否定して欲しいという気持ちがあったのである。
「私がルナちゃんを背負ってそのままだーって行くの!簡単だよ!」
……無駄な試みだった。私は一瞬絶句したが、羞恥や不安や疑い等の感情に後押しされて抗弁を試みる。
「……私結構重いよ?」
「米俵二つまでなら大丈夫!そもそもあんまり重くないでしょ?」
「なんで知って……いや、別に連れてって貰わなくても一人で行けるから!」
「ルナちゃんそう言ってももう諦めてたりするよね……?」
「なんでこんな時に勘が……そもそもシアンに何かメリットある?」
「鍛錬になる!あと、えーっと……あんまり気楽に話せる人いないからさ、……一緒に行けた方が色々と楽だなーって」
「……」
困った。ここまで言われたら断わる訳にもいかなくなってくる。
「……恥ずかしいなぁ……あんまり目立たない道でお願いね?」
「はーい!安心安全でお届けしまーす!」
私が渋々シアンの背に体重を預けると、彼女はすぐさま背筋をできるところまで伸ばす。それでいて彼女の肩を抑える私の腕にかかる負担はかなり小さい。非凡なバランス感覚だと言えるだろう。
……まあ、そんな事を言っていられるのもその時だけであり……それからたっぷり2時間ほど、様々な意味での苦痛を味わうことになったのだが……それは省略するとしよう。

EXTRA*5*6

Xmas2023

※登場人物の関係は第2~3話に基づきます


クリスマス。元々どこの宗教の行事だったかはとうに忘れ去られている。この偶像の国でもそれは同じ事で、専らイルミネーションや偶像(アイドル)達の特別ライブやらの口実にされている。……これが膨大共和国あたりだったら寒さや雪に色々映えるのだろうが、残念ながらここは地下なのだった。寒くもないし、雪もない。平凡と言うより没個性だ。個性の塊の塊みたいなこの国が没個性とはとんだ皮肉である。
さて、仁聖ルナこと私は今日はラタナ商店街に繰り出している。別に放浪している訳じゃない。ただの買い物である。……で、やはり目に付くのはカップル達。8割ほどはファナティクスだし、残りの2割も偶像(アイドル)の割合はだいぶ少ない。とはいえ前者の時点でほとんど人間と見分けがつかない以上、それで私の心が鎮まる筈もないのだ。
恋愛が嫌いな訳ではないし、カップル自体も嫌いな訳ではない。そもそもクリスマス自体私は結構好きな部類に入る。ただ、何が悪いのかと言うと、今述べた全ての要素が一斉に襲いかかってくる事なのだ。何と言うか……居たたまれなくなる、というか。
「ショートケーキひとつ」
「はーい。……あ、ルナさんじゃないですか。今夜もおひとりです?」
「そう。逆にふたりってことある?」
「想像できませんね」
適当なケーキ屋に入り、顔なじみの店番と軽めに会話を交わす。相手は毒舌と言うよりは思ったことをきっぱりと言う性格だ。殴りたくなってもその場限りのことである。実際私はもう慣れてしまった。
「だよね。そもそもこの国に男っ気が少ない事もあるんだけど……私にはそういうのは向いてないんだろうなぁ」
「そんな人もいるでしょうね。……所でルナさん、今夜はあの歌姫シオリのクリスマスライブじゃありませんでした?」
「……シオリかぁ……いや、完全に忘れてた。もうダメだろうね」
「ダメでしょうね。もう2時間は経ちましたよ。ぼちぼち解散の時間でしょう」
「まぁそうだろうね。……ところでケーキまだ?」
「あぁはいはい。こちら800チップとなります」
「はーい」
会話を切り上げ、私はケーキを受け取った。……元々大して重くもない財布が更に軽くなっていく気配がする。
ありがとうございました、の声を背にして私は店を出る。辺りは薄暗い。目に痛い程のイルミネーションがよく目に刺さる。夜空に瞬く星のよう、と表現するには複数の意味で些か健全さを欠いていた。
そんな具合で私がイルミネーションの方に注意を向けていると、ちょうど真後ろに人が通った気配がした。思わず振り返る。しかし当然ながら相手は真後ろに居る訳でもない。……少しだけ視線を動かしてみると、一人の少女……いや女性が反対方向に向かって歩いていくのが見えた。恐らく偶像(アイドル)だろう。しかもライブ上がりと見えて、コスプレでしか見られないような純白の天使を模した衣装がくっきりと目に残った。
……私は記憶を探った。彼女は……天塚シオリだ。しかし何故こんなところに、と思っているうちにその姿はあのケーキ屋に消えていった。どうやら彼女もこんな日はケーキが食べたくなるらしい。ともかく、店番はきっと仰天することだろう。
そんな具合の事を考えつつ歩いていると、いつの間にか住宅街の方まで戻ってきていた。



私は神の思し召しというものを信じない。神は自ら助くる者を助く、とも言うらしいが、それなら努力は正しく報われるべきではないか。逆に言えば、碌な努力をしていない者には何も渡されないか罰があるべきである。……自分でも自堕落さに自覚がある身からすると、出来れば前者がいいなとふと思ってしまうけれど。
まあそういう具合なので、私に奇跡みたいなものは望むべくもなかった。だからこそ、家に帰って10分もしないうちにインターホンが鳴った時────私は文字通り飛び上がって驚いたのである。
ぴんぽーん、という昔ながらの音が鳴った時、私はまさにケーキの箱を開けようとしていたところだった。手元がブレて箱が倒れる。一瞬だけそちらに気を取られたが、それよりも私は誰が来たのか確認する事を優先した。
「……シオリ?」
独り言、の筈だった。慌てて玄関の方まで行き、ひとまずドアを開けてみると、
「私です」
期待と不安と憐憫と愛情と……何かが綯い交ぜになった表情をした彼女が、そこに立っている。
「……」
「……えーっと、お忙しかったですか?」
「……」
「あの……」
「……なんで私の家に?」
どことなくデジャブを感じる相手の熱意を受け、私は非常な努力の末にそう言った。
「……とりあえずケーキ買ってきたので、上がってもいいでしょうか」
少しだけラグがあったものの、シオリはひとまず表情を隠しつつそう尋ねてくる。勿論、断れる筈もなかった。

 

「クリスマスライブはどうだった?」
「見てないんですね……あぁ、勿論それなりに成功しました。ただ『Close』と比べると……」
「Closeは外れ値みたいなものだから気にしない方がいいんじゃないかな……」
それから数分もしないうちに、私とシオリは適当に駄弁りながらケーキをつついていたのだった。
……そういえば、空想上の世界の話で聞いた事があるような気がする。────100年に一度だけ姿を現す伝説のアイドルがいた。彼女は歌もパフォーマンスもそうだったが、何よりもライブ後、観客のうち一人の家に徐に現れ……家事を代行してくれると言う事で有名であった────という。
思えばシオリだって勝手に人の家に上がり込んで家事をしてしまうことで有名である。……いや、まさか。神と同じで、伝説というものは私にとって無いものと同じである。例外は一つ二つあるが……それとこれとは訳が違うのである。
「あの、ルナさん。……ひょっとして迷惑でした?」
手が止まった私を見かねてシオリが声をかけてくる。見ると彼女の皿には既にクリームの欠片も残っていなかった。
「……いや、大丈夫」
これは紛れもない本心だった。そもそも、彼女自身が滅多に人に迷惑をかけないタイプなのである。
「それはよかったです。……急に上がり込んだので……」
シオリは私の顔を見て、ふわっと笑ってみせた。
「……所で、私の家にはケーキ食べる為だけに来た訳じゃないよね?」
何となく、彼女の顔を直視できなかった。慌ててケーキをかき込み、紙皿を相手の分まで合わせて回収する。その合間に私は尋ねた。
「あ、……そう、ですね。結果的にはケーキ食べるだけになってしまいました」
「……?」
「ええと、……元々大した用事はなかったのです。……あれからあまり散らかしてもないみたいですし……」
これはどう受け取ればいいのだろうか。多分、片付けをするついでにケーキを一緒に食べようと思っていたが、思いの外私の家が綺麗なままだったのでケーキだけ、ということだろう。彼女の言葉は当たってはいたが、なかなか危ないところだった。もう数日したら散らかしていた自信がある。
「そっか……もう帰る?」
「ですね。糖分も補給できましたし」
「わかった。じゃあね」
「はい。メリー・クリスマスです」

 

別れはあっさりだった。そしてまた、沈黙と孤独が部屋を支配する。
シオリは持ってきたゴミになりそうな物を全て持ち帰ったようだった。立つ鳥跡を濁さずというか……何も知らない人に対しても誰も来なかったです、と言い張れそうだった。
……でも。それは寂しい。────と、思ってしまう。どうしてだろうか。
どうやら、居るかどうかも分からないサンタクロースが、私の心の中へと何か変な物を投げ込んだらしい。唯一残された紙皿が、私の手に微かな熱を伝えていた。

大晦日-正月2023~2024

※登場人物の関係値は第2~3話に基づきます


偶像の国中心部。収容人数50万人を誇るウルトラドームは大量の人々で埋め尽くされていた。折しも大晦日を通り越して正月。そして娯楽国偶像の国となれば、催される事は一つ。年越し大ライブである。
かくいう私・仁聖ルナもさる筋から出演してみないかと誘われたものだが、断った。歌唱だけならそれなりに自信があるが、問い詰めてみたらやることは半ばバックダンサーらしかったので。
その代わりか、私は楕円形になっている座席のだいたい中列ほどからライブの様子を眺めることができた。……既に年は越している。意気投合した隣の人と新年を祝ったものだが、彼女は既にどこかへ行ってしまった。確か眼鏡をかけていたような。名前は……何と言ったか。
そんな風に私が記憶の発掘作業を行っていると、純白の衣装を着た偶像(アイドル)が私の隣にやって来た。頬は上気し髪は汗で湿っている。
「シオリ。お疲れ様。明けましておめでとう」
「あ、やっぱりルナさんだ。こちらこそ明けましておめでとう、です」
天塚シオリは私などとは比べ物にならないほど有名で優れた偶像(アイドル)である。何だか最近よく会う気がするが、それは単に私の自意識過剰に過ぎないだろう。
「今年は凄かったですね……ルナさんも出ればよかったのに。確かあのマイさんからお誘いがあったのでは?」
「どうせバックダンサーとして使い潰されるに決まってるよ……」
ダンス下手だから、と私が片手を振るとシオリは微妙な表情になった。だいたい肯定的な意見を投げてくる彼女でも、私の能力の低さを否定は出来ないのだろう。
「……ええと、それはともかく。ルナさん。今年の目標は何かありますか?」
「目標ねぇ。偶像(アイドル)を続けられたらそれ以上はないよ」
一瞬変な考えが脳裏をよぎったが、ほとんど即答できた。偶像(アイドル)を続けてどうなる?という意見もあるだろうが、少なくとも私はいつまでも続けている事だろう。例え底辺でも。
「ルナさんらしいですね。私はもっと色々な人に貢献したいです」
事前に考えていたのだろうが、シオリの口調には迷いがなかった。そして、やはり彼女らしい、とも思った。
「……まぁ、お互いに良い一年になりますように、だね」
「そうですね!あ、大トリらしいですよ。……あれ、ひょっとして……メトロさん?」
「ほ、ほんとだ……」
年は巡る。人は変わる。それは偶像(アイドル)とて例外ではない。
私もいつか変われるのだろうか。やがて訪れるだろう熱叫への心の準備をしつつ、未来へ思いを馳せるのだった。

Valentine2日目2024

※登場人物の関係値は4~5話に基づきます


バレンタインデー。元々どこの宗教の行事だったかはすっかり忘れ去られている行事です。……宗教絡みだったかな?まあそれはともかくとして、この偶像の国でも同じように、女性が専ら好きな人にチョコレートを渡すための行事と化しています。というか最近は各国の優れたショコラティエの方々が来偶*7して各々腕を競うというなんだかよく分からない方向へと変化を遂げかけています。まあ、かく言う私・天塚シオリには好きな殿方も居ない(というか作ったらファンに殺されそうな気がします)というわけで、今夜はいつもより多くお菓子を食べちゃおうと思います。
……偶像の国は『偶像(アイドル)』と銘打ってはいますが、実際の人口はファナティクスが1000倍ほど多いです。偶像(アイドル)が国を回しているとは言っても、私達はファナティクスが元気の源を生産する手助けをしているだけ。実際に建物を建てたり農業プラントで働いたり様々な計算をしたり────厳密に言えば、国を回すのはファナティクスの役目なのです。偶像(アイドル)はその辺の労働を殆ど行いません。もし地上に出て真っ当に農耕等の生産活動を始めた時、数や労働の経験値で圧倒的に勝っているのはファナティクスの方です。偶像(アイドル)が入る隙は殆どありません。真っ当な仕事を殆ど知らない偶像(アイドル)達は、もしそうなったとしたら果たして生きていけるのでしょうか。
……甘い物を食べて脳に栄養が回ってくると、ついつい要らない事を考えてしまいます。あまり良い傾向とは思えません。何か別のことを考えましょう。……真っ当な仕事を殆ど知らないと言えば(我ながら酷い思い出し方です)、ルナさんは今頃どうしているでしょうか。この間戻ってきた所に居合わせたので、恐らく向こう数週間から1、2ヶ月は滞在している筈でしょう。そして私が所持している情報によると、あの方の周囲に殿方の気配は皆無です。なのでまあ、私のように灰色のバレンタインデーを過ごしている事かと思われますが……そもそも、あの人がこんな浮ついたイベントに関心を向けるでしょうか。……今に始まった事ではないのですが、なんだか寂しそうですね……
いや、というか私も結構寂しいのですが。この一軒家でも、いや一軒家だからなのか、外から何やら恋人か夫婦らしい人……恐らくファナティクスの声が微かに聞こえるのです。それなりに防音性はあるので幻聴かもしれませんが、気にしだしたら止まりません。……


……仕方ない、ということで私はお菓子のゴミを片付けます。
台所横の棚からココアの袋とパンケーキミックス、砂糖などを取り出しました。冷蔵庫からはバターと卵。そして、お菓子の中からチョコレートを数個回収。オーブンに余熱を入れておき、ポットのお湯でバターとチョコレートを湯煎して溶かします。……ああ、カップの用意を忘れてました。ボウルに牛乳と砂糖と卵を入れて混ぜて、ある程度混ざったところでパンケーキミックスとココアをだーっと入れて再び混ぜます。バターとチョコレートが溶けたらそれも加えて混ぜ、いい感じになったらカップに注ぎ、それを余熱が終わり次第オーブンにぶち込んで焼けるのを待ちます。いわゆるカップケーキです。
完成次第すぐに行けば間に合うでしょう。……別に、あの人が好きな訳じゃないですから。色々と溜まった借りみたいなものを、手作りのお菓子という形で返しに行くだけです。
え、やけに必死じゃないかって?……否定はしません。まあ、何と言いますか……あの人と居ると自分らしく居られる気がするのですよ。心地いい、と表現してもいいかもしれませんね。だから、これはある意味その空間の使用料というか……さっきも言いましたが、私はあの人から既に色々貰っていますからね。


*1 話の流れで胸を張ることはある
*2 最終的には水色瞳さんの裁量にはなるがいちおう作成者なので
*3 偶像の国の貨幣。1チップ=0.5円くらい
*4 偶像(アイドル)達がコンセプト等の基準に則り集まって作る団体のようなもの
*5 完結しないうちに何かしらの年中行事がやって来たら書いていく番外編みたいなアレです
*6 分量は小話程度です
*7 らいぐう。公的に偶像の国を訪れることを指す