キャラクター/【マリッジ・フューネラル5世】

Last-modified: 2020-11-09 (月) 10:51:48

FFT

グレバドス教の教皇。正確には、マリッジ・フューネラルV世
ラーグ公ゴルターナ公とも肩を並べる地位にあり、神殿騎士団を有する世俗教皇。
とてもえらい筈なのだが、ゲーム中にはヴォルマルフに刺されて命乞いをするところくらいしか登場しない。
その後ローファルに止めを刺され、ラムザに2人の行き先を伝えて息絶える。…ファーラム。
獅子戦争の黒幕であり、ゾディアック伝説を再現した張本人なのだが、利用するどころか利用されてばかりに。
結果的にガストラ同様、実力不明のまま死亡することに。

  • どてっぱらに剣をぶっ刺されてラムザが3戦する間生き続けてたあたり、HPは1000超えてそう。
    • さらに背中も刺されている。
  • 上記にあるように物語上は重要な役回りなのだが、登場シーンが少ないために異様に影が薄い。
  • 教会の威信復活の為だけに、戦争を誘発し多くの血と荒廃を招いた諸悪の根源。
    …なのだが影の薄さと不本意な結果が相次いだこと、そしてあまりに残酷な死に様で同情の声まで出た始末。
    しかし「悪魔に魂を売った」末路はある意味自業自得であり、ラムザも自白させただけで一切の関心も取らなかった。
  • 作中の演出のせいでまるで被害者みたいな印象を受けるがそもそも獅子戦争が起こったのはコイツのせい。コイツが余計なことをしなければラムザが異端者になることもオヴェリアが誘拐されることも、獅子戦争が起こることもなく(大規模な小競り合いは防げなかっただろうが)当時としては平穏な時代になっていただろう。同情なんてとんでもない。むしろ死んで当然の人間だった。
  • 野心の片棒を担いでいる筈の相方で、影の黒幕の筈のヴォルマルフがやたら活動的な事もあって余計に影が薄い。

皇帝神羅大統領女王と受け継がれてきた、ラスボスの噛ませ犬にされる権力者ポジションの番外手。
しかしこの中では最も悲惨な死に方である。尤も、や騎士団の末路のことを考えると何とも言えない。


マリッジ(結婚 英・marriage)・フューネラル(葬式 英・funeral)

  • 宗教とは切っても切れない「冠婚葬祭」から来ているのかもしれない。
  • あまりにあんまりな名前なので、海外PSP版ではMarcel Funebrisに改名されている。

グレバドス教会をワンマン運営していた人。
五十年戦争で権力を失ったため、それを回復させるためだけに獅子戦争を起こしたらしい。


聖石によって神話上のゾディアック・ブレイブを復活させ、
その威光を背景に獅子戦争を調停し、民衆の支持を得ることで威信の回復を画策した。

しかし召喚したゾディアック・ブレイブは強大な悪魔の方であり、
しかも英雄となるべき神殿騎士団を乗っ取って顕現したため、自らが逆らえなくなってしまった。
結局調停計画はラムザがベスラ要塞での全面対決を妨害したため失敗、
聖石もラムザの活躍で回収できず、業を煮やしたヴォルマルフに文字通り切り捨てられてしまう。
ゴルターナ公を焚き付けるべく送り込んだディリータにも出世の踏み台にされてしまった。
とまぁ黒幕なのにまるでいいところが無かった人。合掌。


設定上のジョブはそのものずばり「教皇(pope)」。しかしこのpopeという語は英語圏においては
文字通りヴァチカンに鎮座する敬愛なる教皇台下を示す語のため、
こんなことを猊下に仮託させるわけにはいかない。
そのため、宗教的配慮から海外版FFTでの権能はハイプリーストに変更されている。

…ますます実力不明になってしまった(だってザルモゥだし…)。

  • マスタープリーストとかにすりゃよかった気がする。
    • それも相当意味不明な気が・・・
      まだしも実在する総大司教(Patriarch)や大主教(Archbishop)にすれば良かった気はするが。
    • 実在する宗教的権威とかぶってるのがマズいから、変えた訳で…。
      なんか分からないけどとりあえず偉そうってぐらいがちょうどいい。

モデルかは分からないが、実在の教皇ボニファティウス8世はフューネラルに近いことをやろうとしていた。
教皇権至上主義者であり、権力を集めようと様々な陰謀を巡らしたが、フランス王の反撃を受けて頓挫した。
ちなみに、彼が教皇の座にあったのは100年戦争勃発の40年ほど前のことで、
教会に権力を集めようとしたきっかけは十字軍の失敗からであった。
さらに余談だが、『神曲』の作者であるダンテ・アリギエーリは陰謀の犠牲者で、当然酷く恨まれていた。
そのため、キリスト教の教皇でありながら『神曲』の中で地獄行き扱いを受けている。


彼から得る教訓は「実力以上の身の程知らずな野心を持つとこうなる」ということだろう。