ヤクルトは空いたところに入れる

Last-modified: 2024-12-31 (火) 02:03:18

セ・リーグ6球団の順位予想を行う際の、お決まりの手法のこと。


用語の成り立ち

初出は2016年ごろ。
この前年の2015年、真中満監督率いる東京ヤクルトスワローズはセ・リーグにおける混戦を制し、2014年シーズンまで2年連続最下位ながらリーグ優勝を果たした
ところがその翌年には例によってケガ人が相次いだ上に、前年の躍進の立役者でもあったオンドルセクがトラブルの末にシーズン途中で退団するなど投手陣が安定せず、一気にBクラスの5位に転落。その前評判がまったくアテにならない乱高下ぶりに、多くのなんJ民がスワローズの順位予想の難しさを深く印象付けられた。

その後もヤクルトは下記の通り乱高下を繰り返しており、素人のなんJ民はおろかプロの解説者の下馬評をも覆し続けている*1

このような背景から編み出されたのが、「まず他の五球団の順位を予想し、ヤクルトは空いたところに入れる」という順位予想の手法であった。
この他にも、「ヤクルトはジェットコースターだから去年が上なら今年は下*2ヤクルトは1位~6位にしておけば当たる」などという、もはや予想とも呼べない予想の仕方もある。

なぜヤクルトの順位予想は難しいのか?

最大の理由として、他球団と比べても突出して多い故障者が挙げられる。
故障者は投手・野手を問わず多いため、このせいでどれだけの戦力でシーズンを戦えるか、そして最後までいけるかがシーズンに入ってみないとわからないのである。

また、ヤクルトは基本的に打高投低のチームであるという点も考えられる。
12球団でも屈指の打者有利の球場である神宮をホームにしていることもあり、脆い投手陣を打撃陣がカバーするというチームになりやすい。
そしてシーズン開始前でもある程度は計算が出来る投手とは違い、打線はシーズンに入らないとその真価がわからない。

これらから言える事として、ヤクルトが上位に来るには投手か打線の少なくとも片方が確変を起こす必要があり*3、逆にどちらかかが凹んでしまうと下位に沈んでしまうという点も順位予想を困難にしている*4

余談:BBAの法則

2021年シーズン頃から提唱されるようになった一種のジンクス。ヤクルトは単に不規則に成績が上下しているわけではなく、『Bクラス→Bクラス→Aクラス→…』のサイクルに従っているというもの。
実際に2013年以降はこの法則に則った順位となっていたが、2022年にリーグ連覇を達成しこの法則は破られた。しかし2023年・2024年は再び5位になったため、2022年だけが外れ値だっただけで2023年からは再び元のBBAの法則に戻るという説もささやかれている。

参考記録:近年のヤクルトの順位推移

年度監督試合勝利敗北引分勝率順位備考
2012小川淳司*5144686511.5113この年を最後にDeNA広島の順位が激しく変動するようになる。
201314457834.4076
201414460813.4266
2015真中満14376652.5391前年まで2年連続最下位からのリーグ制覇。
201614364711.4515
201714345962.3196球団ワースト記録となるシーズン96敗を喫する。
2018小川淳司14375662.5322交流戦にてセ・リーグで唯一の勝ち越しはおろか初優勝した。
201914359822.4186セ・リーグワースト記録タイ(引き分けなしではNPB記録)16連敗を喫する。
2020高津臣吾120416910.3736
2021143735218.58416年ぶりの2年連続最下位からのリーグ制覇・日本一達成。
史上初となる前年最下位同士*6の日本シリーズでオリックスを撃破し日本一。
202214380594.5761村上宗隆が本塁打数の日本人記録を更新(56本)、史上最年少での三冠王獲得。
2年連続のリーグ優勝でBBAの法則が途切れた*7
202314357833.4075最終戦で勝利し5位を勝ち取る。
最下位になった中日とはゲーム差なしの勝率1厘差。
202414362774.4465最終戦で2年連続の5位入り
最下位になったのはまたしても中日で、ゲーム差なしの勝率2厘差。*8


関連項目

Tag: ヤクルト


*1 実際に2018年シーズン開幕直前のプロ野球ニュースでは、前年の体たらくもあって真中前監督を含む解説者全員がヤクルトをBクラス予想していたが、最終順位は予想を大きく裏切る2位だった。
*2 実際に江本孟紀は2021年の順位予想でヤクルトを「弱かった翌年は浮上するサイクル」というもはや解説者らしからぬオカルトな理由で3位と予想し、結果は氏の予想通り浮上するばかりか、Aクラス入りを大きく超えるリーグ優勝&日本一となった。
*3 どの球団でもこれに関しては同じではあるが、ヤクルトの場合は特に球史レベルで印象に残る活躍をする選手が多い。例を挙げるとリーグ優勝した15年トリプルスリーを達成した山田哲人や、2連覇を果たした22年の56本塁打・三冠王を達成した村上宗隆が代表的。
*4 例としては、13年はバレンティンの60本塁打達成や小川泰弘の最多勝・最高勝率・新人王があったのにもかかわらず故障者が多発した上、試合を作れる先発投手が小川と石川雅規の2人しかいなかったため、結局最下位になった等。
*5 2010年途中に高田繁監督の休養に基づき代行に、その後正式に就任。10年は4位、11年は最後中日に捲られ2位。
*6 しかも両チームともに2年連続最下位である。
*7 なおこれでヤクルトはNPB史上6度目の10年連続で3・4位なしとなった。なおNPB史上最長の3位・4位なしの連続記録は1950~66年の南海ホークスの17年だが、リーグ優勝9回2位8回の大黄金時代だった。他の4例の内1951~1961年の巨人もリーグ優勝9回2位2回と前述の南海の例とほぼ同じで、優勝と最下位を両方経験しているのは1953~1964年の大洋松竹ロビンス及び大洋ホエールズ、V9時代を含む1965~1979年の巨人、1991~2001年の中日だけ。しかもリーグ優勝も最下位も複数回あるのはヤクルトだけ。
*8 このときはヤクルトが最終戦で敗れ、中日が引き分け以上だと最下位になっていたが、この試合に中日が敗れた。