亜細亜ボール

Last-modified: 2024-01-30 (火) 10:49:45

亜細亜大学出身の一部の投手が操る謎の変化球のこと。「亜大ボール」「亜大ツーシーム」とも。

 

最初は山﨑康晃(DeNA)が「ツーシーム」と自称していた謎変化球として知名度を得たが、現在では複数の亜大出身投手が操る「ツーシーム」「シンカー」「スプリット」のいずれとも言い難い正体不明の変化球の総称として使われている*1
2022年1月22日に放送された球辞苑の「ツーシーム」回では亜細亜大学ツーシームとして正式にメディアで取り上げられた*2

「亜細亜ボール」の誕生

2015年、入団1年目の山﨑がこのボールを武器に守護神としてブレーク。しかし決め球である「落ちるボール」は解説者も頭をひねる謎の変化球だった。
そんな中で山﨑本人がテレビなどに登場し「大学時代に先輩の東浜巨(ソフトバンク)から教わった」としてこの球を紹介したが、その実態は「山崎はツーシームと呼んでいるが握りはツーシームとスプリットの中間*3で、軌道はスプリットともシンカーともとれる」というますます奇妙なものであった。
しかし「山崎がフォーク系に近い変化であることを認めつつ、東浜に敬意を表してツーシームと呼んでいる」ことが判明し、また「日本の変化球は基本的に自己申告」という風潮があることから、この時点ではあまり大きな話題にはならなかった。

また

  • 九里亜蓮や薮田和樹(いずれも広島)など複数の亜大の後輩も東浜から伝授されていた
  • 山﨑・薮田の3学年後輩の高橋遥人(阪神)も亜大時代に教えてもらった
  • さらに高橋の1学年後輩の中村稔弥(ロッテ)も亜大時代に教えてもらった

という事実が判明し、これらをまとめて「亜細亜ボール」「亜大ツーシーム」などと呼ぶようになった。
しかし更に調査が進むと

  • 東浜は後輩に教えた投げ方をシンカーと呼んでいる
  • 「主な亜細亜ボール使用者(山﨑、東浜、九里、薮田、髙橋、中村)の6人全員が握り、軌道、使用法などに独自アレンジを加えたため、六者六様の違う変化球になっている」

ことが判明し、完全な「謎変化球」として定着した。
なお、この変化球はその後も平内龍太(巨人)、内間拓馬(楽天→広島)など亜大出身の投手たちに代々受け継がれている模様。


当事者たちの見解

週刊ベースボールの記事より、当事者5人(この球を投げる4投手と当時の亜大監督)の見解を抜粋すると以下のようになる。

  • 東浜巨(2009年入学)「僕は高校1年の秋に覚えてから今まで、一貫してシンカーだと思ってます。亜蓮も康晃も薮田も、実際は教えたという感じでもなくて、握りを見せたぐらい。あとは彼らが独自に進化させていったもの。僕は全部違うボールだと思っています
  • 九里亜蓮(2010年入学)「僕のツーシームは巨さんに一番近いと思いますよ。教えてもらった当時のままの握りですし。薮田と康晃には僕が巨さんに教えてもらったように教えましたが、彼らのボールは落差も大きいし、僕らとは違って握りも深いんだと思いますよ」
  • 山﨑康晃(2011年入学)「東浜さん、シンカーって言ってました?僕が教わった時はツーシームでしたよ、間違いありません。落差が出るようになったのは、抑えをやり始めてからですね。短いイニングで腕を強く振ったところ、鋭く落ちるようになった
  • 薮田和樹(2011年入学)「ツーシームは大学2年生の時に東浜さんに教わったものです。ただ、僕は打ち取るボールでホームランを打たれたことがあって、それ以来、これは危ない球だと思って握りを深くして、落差をつけて空振りを取れるようにしたんです
  • 生田勉(監督)「うちの大学では特殊球と呼んでいます。真っ直ぐと同じように、手首が立った状態で投げられる縦変化のボールです。野茂英雄さんがMLBで成功したのは、真っ直ぐとフォークの手首の使い方が同じだから、ということを聞いてヒントにしました」

経緯の予想

当事者の証言が全て正しいという前提に立てば、以下のような時系列になると考えられる。

2006年、東浜が沖縄尚学高校でシンカーを習得する

2009年、東浜が亜細亜大学に入学する。

2009年~2010年、亜大監督の生田が野茂のフォークをヒントに、東浜のシンカーを手首を立てた状態で投げられる縦変化の特殊球に改造する。

2010年、九里が亜細亜大学に入学する。

2010年~2011年、東浜が九里に縦変化の特殊シンカーの握りを見せる。九里はツーシームだと思い、教わった通りに投げる。

2011年、山﨑と薮田が亜細亜大学に入学する。

2011年~2012年、東浜が山﨑と薮田に縦変化の特殊シンカーの握りを見せる。九里が山﨑と薮田に東浜のツーシームの投げ方を教える。山﨑と薮田は「東浜にツーシームを教わった」と思い、教わった通りに投げる。

2013年~2015年、山﨑が抑えに転向してイニングが短くなったのを機に腕を強く振ってツーシームを投げたところ、落差が大きくなる。薮田がホームランを打たれたことを機にツーシームの握りを深くして、落差が大きくなる

なお東浜は「沖縄尚学時代にシンカーを覚えた」と語っているが、沖縄の後輩には落ちるツーシームを決め球にする高校生が多く「元々沖縄にあった独自の変化球を、東浜が亜大に持ち込んだ」という説もある。

「亜細亜ボール」習得者たちの活躍

亜細亜ボールを習得したピッチャーのうち、東浜、薮田、高橋は主力の先発投手として、山﨑は中継ぎ・抑えとして、九里も先発・中継ぎで登板を重ね、一軍でタイトルを獲得する選手が多数*4。さらに中村*5も一軍で出番を増やしつつあるなど全員がチームに欠かせない存在となっており、それにともない亜細亜ボールの活躍機会も多くなっている。
また、亜細亜大学とは全く無関係の選手がこのボールを研究し取得した例もあり、大野雄大(中日)はプロ入り後に投げ始めたツーシームを亜細亜ボールのように改造し、2019年以降の活躍に繋げている。また清水昇(国学院大→ヤクルト)は帝京高時代に母校を訪れていた山﨑から、村上頌樹(東洋大→阪神)はプロ入り後に同僚の高橋から亜細亜ボールを伝授され、こちらも全員が一軍で結果を残している*6。また上記の「球辞苑」では、床田寛樹(中部学院大→広島)もチームメイトの九里から亜細亜ボールを伝授され参考にしたと話しており、実際に2021年シーズンではツーシーム被打率が12球団トップという好記録を挙げている。


関連項目


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*1 「パワプロ」シリーズでも亜細亜ボールの扱いは選手によりまちまちで、2023時点で山﨑と東浜のそれはHシンカー、薮田と高橋はSFF、久里と中村はシンキングツーシームとして扱われている。
*2 他には同年6月12日放送の『サンデースポーツ』でも、ずばり「亜細亜ボール」として触れられている。インタビューを受けたのは山﨑。
*3 ツーシームはボールの縫い目の上に直接人差し指と中指を乗せるのが一般的だが、亜細亜ボールはさらに両指を広げて縫い目の外側に置き、スプリットのような握り方になる。
*4 東浜は2017年最多勝、藪田は同年最高勝率、山崎は2018、2019年最多セーブ、九里は2021年最多勝のタイトルホルダー。このほか、東浜は2022年にノーヒットノーランを達成。
*5 2019フレッシュASで根尾昂小幡竜平小園海斗から三者三振を奪い優秀選手賞を獲得。
*6 大野は2019年にノーヒットノーランを達成しタイトルは最優秀防御率を獲得、2020年には最優秀防御率(2年連続)・最多奪三振・沢村賞を獲得。清水は2020・2021年と2年連続で最優秀中継ぎを獲得した上、2021年はシーズン50ホールドでNPB新記録を更新。村上は2023年に先発として大活躍を見せた