歴史談義用掲示板

Last-modified: 2026-08-10 (月) 02:55:27

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コメント

  • 質問です。例えば関羽が漢寿亭侯に封じられましたが、こういうのってつまり何がどうなるんでしょう?漢寿の地から不労所得でも得れたりするのでしょうか?漢寿の土地にあれこれ指図出来たりするのでしょうか?それともただの名誉的な感じで、収入とかの実質面は特に何も無し?〇〇侯に封じられたってのが正直よく分からないです。 -- 2025-08-22 (金) 20:31:03
    • 一応漢寿という地やそこの民を貰ったって話になるんだけど、そもそも亭っていうのは郡県制の中では最小単位だから、侯に封じられたって言っても小さい村貰ったようなもので正直ショボい。まして後漢(曹操)からの封爵だから、劉備の下にいる関羽にはネームバリュー以上の価値は無い。 -- 2025-08-22 (金) 22:17:57
    • 列侯には色々と特典があるけど、判りやすい恩恵としてはその土地の民の支配権が得られる、実利的には税収が得られるんだったかな。まぁ関羽の場合は早々に曹操の元を離れてるんで実利は無いも同然ですが、後漢では劉姓以外の人臣としての爵位は列公が最上位なので、他者から敬われるべき存在だとはいえるでしょう。 -- 2025-08-23 (土) 02:05:40
    • ちなみに曹操は部下への封爵はかなり渋かった事もあり、関羽が封爵された時点では楽進や于禁が同じ亭侯で荀彧や曹仁ですら列侯では無いので、曹操の関羽への待遇は本当に格別のものがあった事は察せられるかと思います。 -- 2025-08-23 (土) 02:11:41
      • まあ名目上は好きに領地くれてやれる権限ないしな当時の曹操。そこを押して封爵までしたのは降伏者だったからってのもあるかと思う。 -- 2025-08-23 (土) 19:13:11
      • キツイ言い方だが渋いとかマジで言ってます?関羽降伏頃に曹操=朝廷が比較的安定して支配領域として抑えてるのが西は洛陽、頑張っても弘農あたりで長安辺りは固められていない、河北は言うまでもないし河南ですら南陽や汝南には敵がいる、徐州ですら陳登らの在地連中に半ば任せた状態、その中でも恩賞出さなきゃならんから兗州とか豫州とかで切り崩すしかない、全土に権限が及ぶ時代の三国志関連なら朱儁や皇甫嵩辺りの封地と比べようがないのは当たり前と思いますよ。信長だって尾張時代から家臣に10万石とか与えてないのと同じかと。 -- 2025-08-25 (月) 09:35:07
      • 曹操は部下への封爵が渋かったという認識には変わりありませんが、「当時の」曹操の状況で言えば渋いとまでは言えないかも知れませんね。 -- 2025-08-26 (火) 01:06:38
      • そうやって限られた権限の中でやりくりしてたから後に魏公就任の騒ぎになった時も荀彧以外はさっさと昇進してもっと恩賞くれよーって流れにつながるわけで -- 2025-09-01 (月) 16:20:57
      • なお魏公になってドカンと曹操の封建数が増えてもあまり部下には還元されてなかった模様。 -- 2025-09-02 (火) 02:29:19
      • 曹操の晩年以降って重臣以外にも言い方悪いけどお前程度で列侯になれんの?って人多くなかった? -- 2025-09-02 (火) 09:02:25
      • 曹操は自分と親族ばっかで渋いよ。関羽の封爵も降伏者で顔良を討ってるから妥当だと思う。強いて言えば楽進と于禁がやけに優遇されてるから寒門で武勇のある将は子飼いにするために特別扱いしたか -- 2025-09-02 (火) 13:40:53
      • 上の人が有名人の〇〇が封侯されてないからおかしい!程度の発言なのはなんとなく理解した -- 2025-09-02 (火) 17:58:13
  • 曹操 列侯 で軽くググっただけでも結構ポンポンとあれこれ配ってる記述があるけどこれでも渋いの? 息子と違って漢の臣という建前は死ぬまで守ってたし役職上はこんなもんじゃないの -- 2025-09-02 (火) 17:05:08
    • そもそも渋いとか言ってる奴らがどんな基準で物を言ってるか、全く理解出来ないから何とも言えん。何と比較してなのかわからんし、与える土地もないし権限もないのにって指摘されても渋いとか言うし。 -- 2025-09-02 (火) 17:46:52
      • 晋の万戸侯バーゲンセールと比べてんじゃね。しらんけど -- 2025-09-04 (木) 09:45:55
    • 曹操は暗殺命令を出されるくらい献帝を傀儡にしてたから実質権限はあったよ。天下の戸口が減って十分の一になったと書かれる206年に三万戸に増封されて王莽と同じになってるし劉氏しかなれない王になったから立場上ありえないぐらいもらってる。荀攸を筆頭とした魏公勧進文や辞退した九郡を受けるように説得する言葉のなかでも曹操の領土が増えないと部下の領土が増えないと述べられて魏公を受けたけど数人が数百戸増えたぐらい。でも魏王になった後は曹植を五千戸から一万戸にしてる -- 2025-09-02 (火) 21:19:35
    • で軽く調べただけでたくさん出てくる◯◯候に封じられたって方々は何なの? そういうの調べたりサイトに記載してる人が全員資科の読み方ミスってるとでも言うのか -- 2025-09-02 (火) 21:52:21
      • 曹操自身が統一前から統一王朝の簒奪者並みにもらってるのに部下は戸数が少ない。部下もそれを不満に思ってる -- 2025-09-02 (火) 22:32:23
      • いやだから配下に色々と配ってるという記述があるのに曹操がケチだったという事にしたいならソース付きで説明頼むわ 曹操はケチという決めつけ大前提で話されても話が噛み合わない つーか自分と親族だけ儲けて配下は殆ど雀の涙くらいの恩賞なら不満どころか重臣でも離反者が出るだろ 不満に思ってたっていう資科の記載はどれ? -- 2025-09-03 (水) 00:29:13
      • 一概に列侯と言ってもどれだけ戸数が与えられたかは不明ですからね。一例を挙げると、張遼は曹操の代には1600戸以下だったことが張遼伝から判ります。一方曹植は本人の伝で建安22年に1万戸貰っています。これを見て親族優遇だったかどうかは御判断にお任せしますが。 -- 2025-09-03 (水) 01:25:12
      • あと〇〇侯と言っても名号侯という実態のない名誉だけの侯もあるので、〇〇侯とされた人全員が封地があった訳ではないですね。部下が不満に思っていたというのは武帝紀の注で魏公勧進についての文中にあります。高位に上がって部下に封侯してくれって主張があります。 -- 2025-09-03 (水) 01:51:56
      • 横から気になったから聞くんだけど、親族優遇って普通のことじゃないのかね?あと曹操がケチだというならケチじゃない例は誰になるんだろうか? -- 2025-09-03 (水) 08:35:25
      • 親族優遇といっても曹操は功績のない息子の戸数が多い。夏侯惇は多いけど曹仁でも張遼より少ない。魏晋では夏侯惇超えがゴロゴロおる。 -- 2025-09-03 (水) 10:12:32
      • 夏侯惇は多いけど夏侯惇超えがゴロゴロいるってことは普通に報酬払ってるやん どこが渋くてケチなんだ? -- 2025-09-03 (水) 11:22:32
      • 曹操の例しかないんだったらそれが基準なんじゃないの? -- 2025-09-03 (水) 12:31:53
      • 魏晋いうてるやん。曹操の時代に曹氏以外で夏侯惇超えが確認できるのは張魯だけやで。 -- 2025-09-03 (水) 12:32:39
      • ケチっていうってことはもっともらうべき人がいて、その人が実際はこれだけしかもらってなくて、本来はこのぐらいもらうべきってのがあるってこと?それがたくさんいるの? -- 2025-09-03 (水) 12:34:37
      • まず曹操期は国力が底辺かせいぜい末期でようやく上向き程度で、以後曹丕曹叡と荒らされない中原を回復していく時代だぞ、それを魏はおろか晋と比べたらダメだよ。ゲームだと中原はなんかずっとすげー国力あるけど史書で見ると司馬懿や鄧艾の頃で回復してきましたから新たな政策やれるよーって話しになる状態だし。 -- 2025-09-03 (水) 14:50:18
      • 勧進なんか真に受けてる奴はもっと酷い、あんなん定型句の応酬だろ。 -- 2025-09-03 (水) 14:51:54
      • たしかに曹操自身が数十万戸もらっとることを考えると息子にも渋かったと言えるかも知れんね。曹丕が魏王や皇帝になった時に曹操の死から一年以内でも封侯しまくって曹操が郡公なのに増えなかった県侯も増えて三公になる王朗や華歆でもそれまで無爵や。劉備の漢中王への勧進や司馬昭の晋公への勧進では陪臣の封土には言及されとらん。 -- 2025-09-03 (水) 17:06:57
      • なにがたしかになの? -- 2025-09-03 (水) 17:09:51
      • ↑3根拠を出せと言われて勧進を出したら酷いと嘲笑を受けましたが、定例句の応酬だとおっしゃるからには勧進で同様の文意を含んだ事例を複数ご存じの事と思われます。類例を幾つかご提示いただけますか? -- 2025-09-04 (木) 03:46:57
      • 結局類例はないの? -- 2025-09-07 (日) 09:24:03
  • 曹操は渋くてケチという結論ありきで話してるからもう辻褄ぐっちゃぐちゃ 暗殺の勅が出てたから傀儡にしてたと断言してるのもお話にならない -- 2025-09-03 (水) 16:20:49
    • ずっと同じこと繰り返すだけで進次郎構文みたいだよな。質問にはちゃんと答えないあたりも -- 2025-09-03 (水) 19:00:34
      • 魏公になった後の曹操は10群の公になり数十万という圧倒的な戸数を手にした訳ですが、軍功抜群の功臣でも2000戸行かない程度の戸数しか貰っていません。曹操時代に扱いが別格と言われる夏侯惇ですら2500戸です。曹操の有する戸数に比べてあまりにも部下に与えられた戸数が少ないと思うから曹操は渋いと感じている訳です。あなたが渋いと感じないならもう感じ方の差でしょうが、ソースは何かと言われれば答えていますし、質問に答えないとまるで詭弁を弄しているように言われるのは大変に心外ですね。 -- 2025-09-04 (木) 00:59:31
      • たとえばどれくらいあげてればよかったと思うの?できないからそれだけなんじゃないの? -- 2025-09-04 (木) 08:11:44
      • 曹操が献帝を迎え入れてすぐ万戸侯になってるのになんでできないと思うの? -- 2025-09-04 (木) 09:16:06
      • だからどれくらいあげればいいのよ。事実としてできてないからできなかったのでは?ってことだけど。できたのに渋いからやらなかったって記述はないでしょ。 -- 2025-09-04 (木) 09:35:12
  • 話題の発端となった枝主さんではないけど、曹操以外の帝王と比較した場合、まだまだ未発達な地域や掌握しきれてない地域も多い前漢初頭に劉邦は蕭何に六千戸を与えてるし、光武帝も河北周辺しか掌握してなかった時期ですら鄧禹に一万戸を与えてるから、それと比較するといくら人口が減ってたとはいえ天下の七割近くを手中にしていた曹操が夏侯惇にすら二千五百戸しか与えていたかったのは部下に報いるのに渋かったと言ってよいかもね。 -- 2025-09-04 (木) 00:26:17
    • 発想と前提が根本的に間違ってるのかもな 夏侯惇ですらたいして貰っていないというならケチとか渋い以外になんか理由あるんじゃねのっていう 夏侯惇の特別扱いエピソードなんて大量にあるのに報酬だけが少ないとか曹操がケチで片付けるには異様だろ明らかに -- 2025-09-04 (木) 01:41:23
      • もはや平行線の感はありますが、功臣の中でも特定の臣だけ低いとかなら何か理由があったのだろうと推察もできますし(例として荀彧は功績の割に少ないのは武功が無いから辞退していたようですが)あるいは武平侯時代なら配れる分が無いからだという解釈もできますが、魏公になってからも押しなべて少なく、特段の加増の痕跡も無いというのは他にどういった解釈があると思われます? -- 2025-09-04 (木) 03:59:20
      • 曹丕に加増してもらうためじゃないの? -- 2025-09-04 (木) 08:23:42
      • 曹洪みたいに守銭奴だったよー的な言及は一切ないし曹叡の宮殿作りみたいに金を大量に使う趣味とか浪費癖があったわけでもないし自分が死んでも葬式は簡素にやれ無駄に豪華にやるなって合理性の無い儒教的な豪奢さは嫌ってた節があるしだいぶ好意的な見方になるが魏国生まれたばっかで運営していく中で親族には配れても部下に配る余裕がなかったとか まだ劉備孫権は残ってるし世界規模の寒冷期で荒廃してる中華全体の国力がやっと落ち着き始めた時期だし こんな解釈はどうだい -- 2025-09-04 (木) 08:35:37
      • 後漢初期に一郡の公がいたくらいで前例のない十郡の公になってるから配れないなんてことはない。曹操が子供を封侯する時は言い訳がましい布令を出してるし、部下たちは五等爵を復活さる時も魏公にする時も十郡の公になるよう勧める時も藩屏を増やすように言ってる。天命は氏に下るものなので徳のことだけなら自分はもっと辞退して曹操自身が部下を封候するべき -- 2025-09-04 (木) 09:45:00
      • >天命は氏に下るものなので徳のことだけなら自分はもっと辞退して曹操自身が部下を封候するべき これは別に理由にならんかな -- 2025-09-04 (木) 11:04:35
      • 司馬氏は辞退しまくったよ -- 2025-09-04 (木) 11:22:40
    • 具体的に、誰にどのくらいあげてれば渋くないといえるの? -- 2025-09-04 (木) 08:12:42
      • 曹操が10郡の公になった後ならナンバー2は1郡の公くらいでもいいな。せめて息子以外の県侯を増やすべき。 -- 2025-09-04 (木) 09:12:30
      • それって妥当なの?例えば誰に増やすべきなの -- 2025-09-04 (木) 09:36:04
      • 曹操様が県侯のままだと俺らの封土増えないんでって言われてるから妥当でしょ。曹丕が王や皇帝になった時に県候になった曹洪張遼曹仁あたりは曹操生前からでもいいし、合わせて考えるなら夏侯惇と夏侯淵も県候になるべき。三公になった華歆と王朗が無爵なのもありえない。あと封候進封された人でもっと前からでいいと思うのは何夔、鍾繇、程昱、杜畿、臧霸、呂虔、許褚、和洽、高柔、辛毗あたりかな。 -- 2025-09-04 (木) 11:46:34
      • それって増やして何になるの?増やすことによって、もっとこう良くなるはずだったとかはあるの? -- 2025-09-04 (木) 15:09:17
      • 恩賞だよ。耿紀なんかは反乱に加担しなかったかもね。 -- 2025-09-04 (木) 16:33:09
      • 耿紀は漢王朝派の金禕らと組んで反乱してるわけで、、、恩賞が少ないからとかどこにも書かれてないよ -- 2025-09-04 (木) 17:19:13
      • 耿紀と韋晃は荀彧や曹操と近しく献帝を見張るための人物。曹操が簒奪しようとしていたのはもっと早くから分かっていたはずの二人が漢朝派と結んだのは曹操個人に不満があったからだろう -- 2025-09-04 (木) 18:00:00
      • うん。まあ、だから決めつけでって言われちゃうんだよ。恩賞に不満なんてどこにもないわけなので -- 2025-09-04 (木) 18:05:43
      • いきなり漢王朝派に目覚めたとするより蓋然性が高い。 -- 2025-09-04 (木) 18:27:43
      • いきなりじゃなくて元からでしょうよ。普通に考えるなら -- 2025-09-04 (木) 18:34:02
      • てかね、大前提オブ大前提で封侯は単なる恩賞とは訳が違うんよ、ちょっと部隊長や地方官吏で活躍したから封侯したりされないし、都度に加増されるわけない、後漢末期の戦乱でそんな大盤振る舞いやってたら破産するわ。前にショボいとか言われてた亭侯ですら本人どころか子々孫々まで永続で収入源と一族や郎党の安住地を認められてるって事なのだから、そんなんホイホイ増やせんのだろ。あと許褚なんて個人でなんもしてねえじゃん、軍事なら1方面の総大将で平定くらいしないとダメなはずよ。 -- 2025-09-04 (木) 19:06:06
      • 元からであれば許には居なかっただろう -- 2025-09-04 (木) 19:44:49
      • 別に韋晃らがどんな派閥かなんてどうでもよくね?あいつら丞相府の役人で、国家の柱石でもなんでもないやん、まさか給料未払いでもしてたと言いたいの? -- 2025-09-05 (金) 17:10:18
      • 曹操がケチだから反乱したって言いたいだけなんだから何言っても無駄だぞー。 -- 2025-09-05 (金) 18:38:43
      • 韋晃の丞相司直は曹操が復活させ司隷校尉でさえ弾劾する監察官。耿紀は曹操に高く評価され侍中になって九卿の少府を兼ねた。二人とも曹操から信頼され献帝の見張りを任され曹操の栄達が自分達の栄達でもあった人物。それが漢朝派と結んで反乱したのは曹操だけが富貴に浴する姿を見て自らの先行きに不安を覚えたからだろう。 -- 2025-09-06 (土) 00:31:12
      • 断定口調だからほんとわかりやすいなあ 今度は曹操成金豪遊キャラ説か どんだけ曹操が悪かった事にしたいんだよ 頭に蜀漢でもキメてんのか -- 2025-09-06 (土) 01:16:18
      • ただの妄想でしかないんだよなぁ。説としてどうかな?ってぐらいなら受け入れられるだろうに -- 2025-09-06 (土) 10:25:42
    • 根本的なことであれなんだけど、増やすメリットってなんなの?増やさなかったことでなんか問題あったんならケチだ渋いだって言われてしまうのもわかるけど。加増せずにうまくいってるならそれが妥当なんじゃないのかな。 -- 2025-09-04 (木) 09:49:13
      • 曹丕は妥当じゃないと考えたみたいね -- 2025-09-04 (木) 10:01:02
      • 曹操と曹丕じゃ立場まるで違うでしょ。代替わりしてついてきてもらわないといけないわけだし、、 -- 2025-09-04 (木) 12:13:58
      • 曹丕の場合は藩国の魏から王朝の魏に移った事を示す必要もある、劉邦が身内を厚遇しつついろんな奴に封侯してたのと変わらんかな、規模の違いは時代の違いとかもあるかも(デカい反乱起こせない程度に与えるとかそういう話)このあたりは代替わりのタイミングが絶妙という感。曹操のままでも御祝儀は与えただろう。 -- 2025-09-04 (木) 18:10:42
    • そもそもなんだが、曹操はオーナー(皇帝)でなく社長に過ぎないのよ?例えば「社長が何憶も貰ってるのに、社員に配らないのケチ!」とはならんし(心情的にはなるかもだけど)、逆に本当にポケットマネーばら撒き始めたらそっちのがヤバイでしょ(身内なら財産分与て体裁保てるけど)。曹操もその配下も一応は漢の公務員て立場な訳で、いくら皇帝を蔑ろにしてたと言っても何でもかんでも好き勝手やってた訳じゃ無いんだから、そこは越権の線引きしてたんだと思うけどね。 -- 2025-09-04 (木) 22:57:37
      • ケチだといってる方が社長だったら、部下が給料上げてって言えばいくらでもあげてくれるんやろうなぁ。 -- 2025-09-05 (金) 03:16:15
      • 曹操の爵位は明らかに越権だが -- 2025-09-05 (金) 07:29:51
      • 今度は越権行為を問題視か もう漫画とかに出てくる曹操が何やっても文句言ってる孔融みたいな奴がひたすらケチ付けてると思うと笑えてきた -- 2025-09-05 (金) 09:01:15
      • 孔融は然以融名重天下,外相容忍,而潛忌正議,慮鯁大業だからなんでもケチ付けるなんてことはないでしょ -- 2025-09-05 (金) 20:37:56
      • 意地でもケチをつけ続ける!という熱意は感じるよな -- 2025-09-06 (土) 12:06:34
      • 袁家を滅ぼした後には功臣20数人に封侯封賞してますし、越権の線引きしてたのであればおかしい事になるのでは。好き勝手云々にしても魏公になる前に魏郡を倍近く拡大させたり、三公を罷免廃止して自分が丞相になった曹操が好き勝手やってなかったかと言われるとちょっと。 -- 2025-09-06 (土) 14:36:29
      • じゃあ封侯封賞渋ってたという最初の主張は間違ってたということだな ああその後に戸数の問題にゴールポストずらしたんだっけ 反論の為の反論のせいで議題がとっ散らかってるけど今は結局、曹操の何が悪いという議論になってるんだ? -- 2025-09-06 (土) 15:14:42
      • 代替わりした際には無爵から封爵された者が多い -- 2025-09-06 (土) 16:05:41
      • ↑2自分は曹操はケチだと思う派だけど、武平侯時代は立場的に考慮の余地はあると思ってますよ。魏公になってからは別ですが。後この話、肯定派も否定派も複数人入り混じってるので単独の人が言ってるような物言いは適切じゃないと思いますよ。 -- 2025-09-06 (土) 21:25:25
      • 枝の方の意見をよくよく読むとそれはおかしいのでは…。曹操が自分の貰った土地から息子に与えたというなら財産分与と言えるでしょうが、自分の取り分とは別に息子に多く与えてる訳で、戸籍は建前上は漢の財産だと言うなら肉親というだけで与えてる事の方が私物化した振る舞いって事になりません?政権的には漢だというならその安定に寄与した臣下に与える方が公的な線引きを付けた行為になると思いますが。 -- 2025-09-06 (土) 21:42:57
  • 劉裕は宋公か宋王になったタイミングで十郡貰ってる。功臣でも県侯~県男が多いがこの時はあまり進爵してなさそう。それで簒奪後に開国爵を盛大にばら撒いてる。もちろん曹魏がモデルケースになったのかもしれないが -- 2025-09-04 (木) 11:06:22
  • 長々と続けてきたけど結局ケチで渋いは個人の主観としか実証できてないな 守銭奴すぎてドン引きされた曹洪さんくらいのエピソード提出できたら曹操はケチと認めてやるよ -- 2025-09-04 (木) 11:19:25
  • 曹操がケチだったかどうかは最終的には個人の判断で白黒付けるような話でもないだろうけど、否定派は反証の事例を挙げずに質問を繰り返したりレッテル貼りに留まってるように見えるな。誰それも同じ程度しか配ってなかったから曹操はケチじゃないとかの事例は無いの? -- 2025-09-04 (木) 12:41:04
    • ケチだった渋かったてのが通説ならその言い分もわかるけど… 流れ的に1対多っぽいし、渋いと思ってるほうがマイノリティなんじゃないの-- 2025-09-04 (木) 12:44:20
      • この話題肯定派も否定派も複数人いると思いますよ。特徴的な文体の方は1人見受けられますがその人は否定派ですし、肯定派の人が一人だと主張できるものではないと思いますが。 -- 2025-09-06 (土) 21:32:49
    • 逆だろ 曹操はケチという決めつけで全部こじつけてるだけじゃん 都合が悪そうな質問はスルーしまくってるし 部下にもこれくらい与えないとおかしいって自分の勝手な基準を設けてるし -- 2025-09-04 (木) 14:30:16
    • 逆に曹操はケチだったという資料を持ち出してこいと何度言えばわかる しつこい -- 2025-09-04 (木) 14:33:38
      • 且列侯諸将、幸攀龍驥、得竊微労、佩紫懐黄、蓋以百数、亦将因此伝之万世、而明公独辞賞於上、将使其下懐不自安の記述じゃないの? -- 2025-09-05 (金) 08:46:10
      • 何度も資料の個所挙げられてるのになんでいつまでも資料持ち出してこいって言ってるの。上の人はついに具体的な文字列まで出してくれたけど。 -- 2025-09-06 (土) 14:03:35
      • それって全然ケチって内容と関係ないよね?部下は功績がわずかでも恩賞をしっかりもらってるのに、曹操が恩賞を辞退したら不安だよって内容でしょう。むしろ部下は恩賞をもらってるって内容に見えるけど。 -- 2025-09-06 (土) 16:01:47
      • 功績がわずかでも恩賞をしっかりもらってるのは列侯。諸将も同じようになりたいと述べている -- 2025-09-06 (土) 17:16:08
      • 列侯諸将は列侯と諸将でいいんじゃないの?どちらももらってるでいいと思う。列侯と諸将どちらももらってるけど、明公(曹操)ひとりだけが皇帝からの恩賞を辞退されたら部下たちは不安に思うって内容だよ。 -- 2025-09-06 (土) 18:12:22
      • 曹操がケチというよりは、部下たちが封爵されたいから魏公になってほしいってだけでしょ。褒賞を辞退して魏公にならなかったらそもそも封爵が無理って話で、曹操がケチってよりは部下の欲が出てるだけだと思うけど。 -- 2025-09-06 (土) 18:20:17
      • 金印紫綬は列侯にならないともらえない -- 2025-09-06 (土) 18:42:30
      • 金印紫綬もらってるのが百数十人におよぶって書いてるしそれなりに多いんじゃないの?且列侯諸将は明らかに並列に書いてるので、金印紫綬じゃないにしても恩賞はもらってると思うが。曹操が一人が辞退するのはって続くわけだしね -- 2025-09-06 (土) 20:30:52
      • 蓋以百数は蓋し百を以て数えるという概数な -- 2025-09-06 (土) 21:48:25
      • ↑4そうした勧進を受け入れて拡大した魏郡公、更に前例のない十郡の公になって215年には虚封を始める曹操を自分は渋いと思いますね。 -- 2025-09-06 (土) 22:14:32
      • 百前後なんだから百数十人でもまあええやろ。なんにせよ結構な数がいることに変わりはないよな -- 2025-09-06 (土) 22:20:46
      • 215年には虚封を始めるっていうのはなに? -- 2025-09-06 (土) 22:23:22
      • 名号侯のこと。 -- 2025-09-06 (土) 22:34:07
      • 名号侯が多く使われた理由が曹操が渋いからっていってるの? -- 2025-09-06 (土) 22:42:55
      • 多く使われたっていうか置いたのが曹操だから -- 2025-09-06 (土) 22:47:00
      • 名号侯ってケチりたい渋りたいからって理由のものじゃないでしょ -- 2025-09-06 (土) 23:18:12
      • それなら名号侯とはどういう物だとお考えなのです?あえて爵位のみの名号侯を設置した事って、土地や租税相当の俸給を与えたくないという思惑が含まれてないと考え難いのですが。 -- 2025-09-07 (日) 03:13:19
      • 封地に限りがある、部下に力を持たせすぎない、理由はいくつもあるでしょう。まあそのなかに、渋りたいって気持ちがあるのかもしれないけど。書いてないことはわからないので想像でしかないかなって。 -- 2025-09-07 (日) 07:28:56
      • 曹操が十郡の公になってるのに封地に限りがあるってことはないでしょ -- 2025-09-07 (日) 09:28:35
      • なぜそれで限りが無くなるのかわからん -- 2025-09-07 (日) 09:31:26
      • 一郡の公に留まって残りの九郡は分けて配れたよね。 -- 2025-09-07 (日) 09:56:23
      • いや10群なんて形式的なものでしかないでしょ、そもそもが曹操の支配下なわけだし。あと、曹操が与える封地と曹操の10群なんてそもそもまったく別物だから混同しちゃダメだよ。 -- 2025-09-07 (日) 10:15:18
      • 形式的なものなら受ける必要がないし、そもそもが曹操の支配下なら封地に限りはなかったってことになると思いますが。 -- 2025-09-07 (日) 10:41:22
      • ちょっと根本的に色々理解できてないようなので、、、ちょっともうやりとりできないです -- 2025-09-07 (日) 10:47:05
      • 王莽でさえ二県一都郷一聚の県侯だったのに郡公になったことを矮小化しすぎ -- 2025-09-07 (日) 12:58:50
      • ↑5 自分は一群にとどまって残りの九郡を分配とかありえんだろ -- 2025-09-07 (日) 16:01:55
      • 十郡独占の方がありえないし、封地がないから自分の分を減らせばいくらでもあったってだけで九郡全部部下のものにしろとは言ってないが。 -- 2025-09-07 (日) 16:14:44
      • え?形式的って事は曹操の魏公就任に伴う10郡の拝領は実態を伴っていなかったとお考えなのです?その割には支配地と言っていたりどういう事なのです?支配地だけど領地ではなかった?? -- 2025-09-07 (日) 17:24:02
      • よくそんな間違えまくった認識とか知識を恥ずかしげもなく煽るような口調で書き込めるな… -- 2025-09-07 (日) 22:12:56
      • あまりにも基本的な部分の知識が欠落していて会話にならないし議論にならないよ -- 2025-09-07 (日) 22:13:56
      • 史書の記述で反論できないのを相手への攻撃で誤魔化すなよ -- 2025-09-11 (木) 17:20:48
  • 想像の部分が大きいからあくまで、曹操ケチ説があってもいいよねってことでしょ?渋かった!ケチだ!って言い張るから変になる -- 2025-09-04 (木) 18:11:37
    • もう無視でいいかもね。反乱されるのはケチだからとか言い出したみたいだし。 -- 2025-09-04 (木) 18:37:25
    • まあでも魏公勧進の上奏見るに曹操は部下に対する封爵を絞ってはいる -- 2025-09-06 (土) 13:18:16
      • はいはい悪いのはツァオツァオ これで満足? じゃあね -- 2025-09-06 (土) 14:46:49
  • 最初の言い分は部下への封爵が渋いって主張だったのにいやめちゃくちゃ◯候配ってますやんって反論されてから戸数の話にスライドしてるあたり単に意固地になってるだけだろうな お前が曹操はケチと個人で思ってるならいいけど一般論みたいな主張して無駄に食い下がるな お前がそう思うならそうなんだろうなお前の中では、でこの話はもう終わり -- 2025-09-04 (木) 19:13:25
    • 前にあった諸葛亮関連の話題なんかもそうだけど「お前の中ではそうなのね」でいいよなあ -- 2025-09-06 (土) 12:08:18
  • 上で名前挙がった奴等の検索してたらGoogleのえーあいくんが杜畿がドーハで死んだ事にされてて笑っちゃった -- 2025-09-04 (木) 19:14:03
  • そこまで興味ない話題な上に途中参加で一度書き込んだだけの身で言うのもなんだが、他の帝王と比較して戸数が少ないっていう具体的な例を出しても「ケチとか渋い以外になんか理由あるんじゃねのっていう~曹操がケチで片付けるには異様だろ明らかに」とか懐かしのブロント語みたいな話し方で中身のない返しするから議論にならんのでは。その理由の部分を具体的に書かないと反論にならないのだし、一つ前の木で他の人とやり合ってる時の「暗殺の勅が出てたから傀儡にしてたと断言してるのもお話にならない」とかも、何故お話にならないのかを書かないと議論にならんよね。ちなみに曹操は献帝の近臣は勿論、妃や子も意のままに殺してるので、傀儡にしてないと言い張るのは無理があると思う。ついでに誤解されないように言っとくけど、自分は曹操は三国志の中なら偉大な人物トップ3に入るくらいには評価してるから、嫌いだから言ってるわけじゃないからね。 -- 2025-09-04 (木) 00:26:17 2025-09-06 (土) 17:09:43
    • 戸数が少ない件について色々と考察出てるしそこはスルーするのかい?そもそもここまで話が長引いてるのも封爵が渋いという発端から反論が飛んで戸数が少ないと論点をずらし反論の為の反論であっちこっちに話題がとっ散らかったせいなんだが この流れで渋いと言い出した人物の主張を擁護するのは無理があるよ -- 2025-09-06 (土) 19:13:31
      • 一部例外もあるけど、基本的には封地があっての封爵なんだから、発端になった方の封爵が渋いという発言には戸数の件も含意されてると考えるのが、どちらかといえば普通なんじゃないかと思うが。それを論点をずらしてるとか執拗に食い下がって言い募ることこそ無駄だし、的外れのように思うよ。後、戸数が少ない理由についても、そこまで言う程に具体的な理由を考察したものはざっと見たところ、これといって見当たらないようだけど。部下に力を持たせすぎるのを危惧してみたいな意見もあるけど、血縁且つ股肱の臣である夏侯惇すら五千戸に満たない理由としてはちょっと無理があるんじゃないかと思うし。 -- 2025-09-06 (土) 21:51:33
      • レス先の人は他のレスを見てももう何言っても聞かないんじゃないかな。封爵と封地は合わせて考えるものだし、爵位が同格でも戸数に差があれば実態として差が生じる訳だから、そこを切り離して考えるのは的外れというあなたの言ってる事は至極もっともだと思います。 -- 2025-09-07 (日) 02:58:09
      • すでに上の方で言われてるけどその夏侯惇にすら渋いのをケチという理由で片付けるのは無理があるんじゃないかって話 君臣としてはありえないレベルで接してたという記述が大量にあるのにでもそんな夏侯惇にすらケチだったよというエピソードが一つもないのが逆に不自然 歴史書に保護されるような立場ならともかく曹操は普通に駄目なやらかしも記載される扱いの人物だし 何度も言うが富や土地を独占して豪遊したとか浪費癖があったとかそういう理由がない以上、結果論や他の人物との比較でケチと決めつけるのは根拠が弱いし個人の主観でしかない -- 2025-09-07 (日) 09:37:20
      • まともに会話できないのに談義にはいってくるのなんなのかね -- 2025-09-07 (日) 10:48:08
      • ↑枝間違えちゃった。ごめんなさい -- 2025-09-07 (日) 10:53:55
      • ↑3それもあなたの主観なのでは?無理があるんじゃないかとか不自然とか、それってあなたが肯定派に言ってる主観による思い込みと何ら変わらないですよね。 -- 2025-09-07 (日) 17:37:32
    • 曹操は皇帝ではないのに比較対象が皇帝なのは変では?比べるなら董卓や皇帝になる前の孫権等の群雄や、諸葛亮や司馬懿師昭等にすべきじゃないか?そこの認識がズレてたら議論になんてならんでしょ。 -- 2025-09-06 (土) 23:58:34
      • 正式に皇帝でなかったとはいえ、当時の曹操は自身に十郡もの桁外れな封地を与えさせるだけの絶大な権力と広大な土地や人民を既に掌握してた。献帝の近臣も妃も排除して、自分の娘を嫁がせてた当時の曹操は事実上の皇帝と言ってよい権限を充分に持っていたと言えるだろう。なにせ献帝自身が「いつまで生きていられるか分からない(自分も曹操に殺されるかもしれない)」と発言してるくらいだから。逆に皇帝とはいえ後漢末と比較すれば国土の大半がまだまだ未開発で人口も少なく、異性の王が斉や淮南を我が物としてた頃の劉邦とか、即位直後で河北と司隷の一部しか掌握してなかった頃の光武帝は下手すると当時の曹操より余裕がなかったかもしれないけど、曹操より遥かに気前良く封地を与えているよ。 -- 2025-09-07 (日) 00:24:06
      • 実際、曹操が与えられる封地はどれくらいあったと考えてるの?与えてない封地はどれくらい余裕があると思ってるの? -- 2025-09-07 (日) 07:30:48
      • 数十万戸やね -- 2025-09-07 (日) 09:39:04
      • どこからのデータなの?そんなに余らせてたって言ってる? -- 2025-09-07 (日) 10:18:05
      • 曹操がもらった封地や -- 2025-09-07 (日) 10:32:20
      • ちょっと返答が適当すぎて面倒だ。 -- 2025-09-07 (日) 10:38:20
      • 曹操本人が自身に封地させた規模からいっても、少なくとも夏侯惇クラスの重臣に五千戸も与えられないということは考え難いかなとは思うね。 -- 2025-09-07 (日) 14:21:04
      • 魏公就任で曹操が貰った10郡は戸数の記録が残ってる後漢時代で換算すると100万戸近くになるらしい。動乱でここから戸数は減ってるとして仮に5割減で50万、8割減しても20万はあったでしょうね。 -- 2025-09-07 (日) 17:29:04
      • 晋書によると280年で30万戸くらい。天下の1/8になる -- 2025-09-07 (日) 21:30:34
    • 明確に渋いケチだってのはどこにもないからあくまでそういうとらえ方もできるって程度なら自分はいいと思う。事実としてそうだみたいな感じで最初にでてきちゃったからこんなことになってるんじゃないかな。 -- 2025-09-07 (日) 00:07:16
      • 双方に決めつけで話通じなそうな人が居るからだよ・・・。 -- 2025-09-07 (日) 01:57:31
      • ↑ほんとこれにつきる。どちらにも邪魔にしかなってないのがいて、談義として成立してない。断片的に知ってるだけの適当な知識でわけのわからない返答しかしないから。 -- 2025-09-07 (日) 10:50:47
    • 結果として戸数が少ないから渋く見えるのはわかるんだけど、曹操の行動がケチや渋いって理由から来てるっていうのにあまり納得感がないと思ってる。そういう行動原理の人間だってのがあれば納得しやすいんだろうけど、それこそ曹洪みたいなのがあれば納得しやすいというか理解しやすいのかなって。 -- 2025-09-07 (日) 07:38:37
      • 金に卑しく富を独占して配下には与えなかったくらい書かれて何かしらの書物で貶されるよな事実なら そこら辺の書き方されてないあたり資科が残された時代までの価値観的にも曹操の悪行の一つとして大々的に取り上げる事柄でもなかったんだろうな -- 2025-09-07 (日) 15:13:56
      • 且以分損謗議とあるし非難はされてたのでは -- 2025-09-08 (月) 22:30:25
    • てかさあ、夏侯惇がー!夏侯惇がー!っていうけど、夏侯惇は曹操の直臣ではなく漢朝の臣下であり続けるという、曹操と距離の近い立ち位置だからこそ朝臣としてはあえてなあなあになりすぎないようにしてたんじゃない?その夏侯惇が曹操が出世したり、まして魏公や王になったから封地貰いまーすなんてするわけねえんだわ。 -- 2025-09-08 (月) 21:43:56
      • くれるなら貰うでしょ -- 2025-09-09 (火) 07:21:49
      • 夏侯惇自身は漢臣である事より魏臣になる事を望んでたんだけど。曹操が自身の領地から与えるって言ったらむしろ喜んで貰ったでしょうよ。 -- 2025-09-11 (木) 01:41:55
  • この流れ見てると思うんだけど、否定派は肯定派に根拠を出せと言うばかりで、自分からデータを出してそうとは言えないみたいな数字や根拠を出してる例が見当たらない。ネットだと言い出した方が根拠だせみたいな話になりがちだけど、議論ならば自分からも数字や考えを出すべきでは? -- 2025-09-07 (日) 17:34:40
    • ケチだって記述がないから根拠をって言ってるのでは。ないものを出せっていうのは無理があるのでは。ケチじゃないですって書いてないからケチだっていうのかね?こういう感じ某弥助でみたなぁ。 -- 2025-09-07 (日) 21:23:39
      • ???「日本が奴隷制度を行っていなかったというエビデンスがないから、日本は奴隷制度をおこなっていた」 -- 2025-09-07 (日) 21:29:59
      • そう言ってる人は根拠は既に色々出しているでしょう。そもそもケチっていう概念が個人の感想の類な概念なんだから、それを否定するならば別の根拠を持ってきて、だから自分はケチだと思わないって話が必要なんじゃないんです?記述が無いからとか俺はそうは思わないとかではなく。上で何と比較してケチって言ってんの?って反論がありましたが、他の公なり王なりの振る舞いと比較してケチじゃないって持ってくれば根拠を伴った論になるじゃないですか。 -- 2025-09-07 (日) 21:38:40
      • 持ってきているデータはケチだってものを示すものではなく、戸数が少ないとか名号侯がーとかしかない。それが渋く見えるよね?もしかしてケチなんじゃないの?ってのはわかる。そうじゃなくて、だからケチだ渋いんだっていってるから、そう思わせるには曹操自身が人間としてケチである根拠が必要じゃないかって自分は言いたいかな。ほかに根拠求めてる人がどうなのかは知らないけど。 -- 2025-09-07 (日) 22:18:10
      • 劉裕が宋公に就任した際も十郡を貰ってるが、部下は10年以上前に貰った食邑のない五等侯~男爵から進爵なし。皇帝即位でようやく開国爵をもらえている。これでいい? -- 2025-09-07 (日) 22:18:21
      • ↑2 決定的な証拠ではないのよね あくまでも推測の範囲 曹操は広大な領地を部下にあげずに独占してましたまではまあいいとしてそこから得られる収入をどうしてたの?って話 何度も書き込まれてるけど曹洪や曹叡みたいな決定的な記述はないしケチ疑惑までは持って行けてもそこから先に進む証拠がない -- 2025-09-07 (日) 22:57:33
      • 上の方々もおっしゃられてるが個人でケチだと思ってる分にはいい 議論の種としてもしかしたらケチなのかもねくらいならまだいい ケチだ!渋い!と断定系で主張したら反発くらうなり断言できる記述出せって流れになるのは当然じゃない? 少なくとも言い出しっぺ側には義務が生まれるでしょ -- 2025-09-08 (月) 08:35:08
      • それが魏公勧進の上奏だったり、劉邦劉秀との比較の記述じゃないの -- 2025-09-08 (月) 20:36:58
      • 魏公勧進の上奏なんて部下たちが安泰を得たいからでしかないでしょ。丞相のままだと困るからってだけで。そこにケチだって要素が介入してこない。露骨に公になるのは好ましくないし、辞退→仕方なく受けるなんて普通。 -- 2025-09-08 (月) 21:26:40
    • そもそも認識がバラバラだからね・・・。曹操をゲームのプレイヤーだと思ってる人と現実の政治家だと思ってる人じゃ話噛み合う訳無い。 -- 2025-09-07 (日) 22:06:05
  • まあ魏公国は六卿や尚書令まで設置してる大国なんだから運営費も莫大でしょう。租税は曹操のお小遣いじゃないよ。荀攸や鍾繇のお給料の出どころだよ -- 2025-09-07 (日) 22:27:02
    • そんなら受けなきゃいいだけじゃん。歓進する側の主張とも食い違う。 -- 2025-09-07 (日) 23:21:39
      • こんなこといいだすのをいちいち相手になんかできん。 -- 2025-09-08 (月) 07:09:05
  • 実際否定派は夏侯惇にすら渋かった理由はケチじゃないならなんだと思ってるん? -- 2025-09-08 (月) 00:19:30
    • むしろ名誉的に過剰に多く与えるのではなく、現実的な実益のみをかんがえて正当な戸数を与えてたんじゃないかと思う。それをケチといわれればそうなのかもしれんけど、自分は夏侯惇がそれで少ないとかもっと多くとかいってるのに一蹴して少ないままとかならケチって考えるな。 -- 2025-09-08 (月) 07:10:31
      • 自身の葬儀ですら簡素にし国の政務に注力することを優先してるぐらいなので、儀礼的だったり名誉目的の無駄遣いてきなことは避けてたと思うのよね -- 2025-09-08 (月) 07:17:57
      • でも曹植は万戸侯だよ -- 2025-09-08 (月) 10:57:50
      • 息子は例外だったんでしょう。強さを持ってもらうためにも。言うなら、渋いのではなく息子に過剰にあげているってことかなと。 -- 2025-09-08 (月) 11:14:09
      • 薄層にしたのって清貧だったからだけじゃなくて墓荒らしに合う率を減らしたかったからじゃないのかなって思ってる自身が墓荒らししてる側だし。後は結局統一出来てなかったからという所とか。 -- 2025-09-11 (木) 01:38:15
      • それはちょっと曹操を悪くしたい前提すぎて賛同できんなあ -- 2025-09-11 (木) 08:28:02
      • 別に曹操が特別奢侈だったとは思わんけど、曹操の地位や行動、風評を考えると自分の墓が暴かれる事への対策も考慮したと思う方が妥当じゃないか?。暴いた側としては自分の墓は暴かれないとは考えないだろう。 -- 2025-09-11 (木) 21:05:26
      • 曹植に関してはお気に入りだからってのもあるけど単に曹一族の権力基盤確保目的もあるんじゃねえかなあ、あとは列侯に叙する事で曹植を独立させる形で暗に曹丕との後継問題への釘刺しにもなるし -- 2025-09-13 (土) 13:52:13
    • 否定派はそもそも少ない理由を渋いと捉えてないでしょ。そういう聞き方だと渋い前提になっちゃってない? -- 2025-09-08 (月) 08:33:23
    • 自分はそもそも公になる前は自由に配れる権限がないし、公になると今度は漢と魏の板挟み問題が出てきてやっぱりホイホイ配ったり出来なかったで全て説明できると考えている。単純に比較したら曹操だけ異常に貰ってる様に見えるが、帝を保護し荒廃した国土を復興させたっていう未曽有の功績が有る。それに対し配下は功績の一端を担っただけ。皇帝や曹操派以外の人間からすれば、曹操の功績は無視できないが配下にまで配りたくないだろう。また曹操としても自分がドカンと貰った手前、あまり過度なオネダリもし辛かったんじゃないだろうか。 -- 2025-09-08 (月) 17:58:50
      • そもそも十郡が曹操への名誉として異例感をだすためのものなわけで、それに実態があると考えてること自体がおかしいのよ。十郡もらってその全てを独り占めするのも配るのも自由だと思ってる変なのがおかしなこといって談義の邪魔をしている。 -- 2025-09-08 (月) 18:16:36
      • 比較対象に劉邦の名前出してる人いたけど立場も権限も全然違うじゃんっていうね 傀儡にしてただの何だの言っても漢王朝の臣下という建前は死ぬまで守ってんのよ曹操は -- 2025-09-08 (月) 18:33:24
      • 十郡受けることになったのは魏国の世襲権力基盤を確立させるためでしょ。実態無いってのはどういうこと? -- 2025-09-08 (月) 19:00:31
      • その建前ぶっ壊すレベルだから荀或が反対したのでは -- 2025-09-08 (月) 19:29:25
      • 十郡ってすごい称号をもらってるだけってことだよ。十郡を好き勝手独り占め、好きに分配し放題なんてできるわけがない。できるとおもってるならどうかしている。 -- 2025-09-08 (月) 21:11:20
      • だったら荀或反対しなくね -- 2025-09-08 (月) 22:11:11
      • 魏公国には尚書、侍中、六卿が置かれ、漢帝国は九卿も欠く有様だった。曹操の魏公就任から実態がなくなっていったのは漢帝国の方。 -- 2025-09-08 (月) 22:26:14
      • 称号をもらってるだけってのは租税は?虚封ってこと? -- 2025-09-08 (月) 22:31:30
      • 十郡もらっても好き勝手できないってのは何の史料を根拠に言ってるんだ?ただの想像? -- 2025-09-08 (月) 22:32:02
      • ↑むしろ好き勝手してた例を出すべきでは? -- 2025-09-09 (火) 00:13:44
      • どうかしているとまで言うのなら何か根拠があるんじゃないの? -- 2025-09-09 (火) 01:24:24
      • どうかしてると書いた人じゃ無いけど、そもそも貰った側で好き勝手した例を知らんのよ。上に挙がってた蕭何とかは好き勝手してたの? -- 2025-09-09 (火) 02:10:45
      • 十郡ってすごい称号をもらってるだけなんてありえるのか? -- 2025-09-09 (火) 02:25:51
      • だけではないだろうけど、正直被ったり絶対してただろとは思う。基本永続的なんだから漢代に貰った人いっぱい居ただろうし、影薄いけど王とかも結構居たはずだから、十郡まったく手付かずなんてありえるか?と。 -- 2025-09-09 (火) 05:44:39
      • 趙王劉珪は曹操の魏公就任で転封されている。趙国は趙郡に改められ丞相参軍祭酒張範が兼任で領趙郡太守になっている。丞相参軍祭酒の王朗も領魏郡太守を兼任するなど曹操の属官で占めている -- 2025-09-09 (火) 06:59:33
      • 十郡に実態があるって発想がどこから出てくるんだろうと思う。ちゃんとそんなこと可能かは考えていってるのかね。ゲームみたいに支配してる都市や地域はなんでも君主が自由自在にやり放題と思ってるだろうか -- 2025-09-09 (火) 08:31:41
      • 献帝は李傕らの支配から逃れるために長安から脱出し、後漢紀では楊定が侍中にしてくれと頼んだとき以前は李傕が專政していたが今は官爵を乱すようなことはないと述べる。曹操も暗殺しようとして親政を志向している。しかし曹操は後漢書では司空も丞相も自為と書かれている。曹操は献帝を迎え入れてからすぐ好き勝手している -- 2025-09-09 (火) 09:21:04
      • 末期にはみな魏の官号を受け漢官は夏侯惇独りでそれもいなくなった。公国の方こそ実態があった。 -- 2025-09-09 (火) 10:41:17
      • 関係ない話題持ってきて混同してわけわからんこというのいい加減やめなさい -- 2025-09-09 (火) 11:35:44
      • 関係なくはないでしょ -- 2025-09-09 (火) 13:23:52
      • もうやめといた方がいいかもね。談義や会話が成り立たないやつが指摘されても居座り続けるから続けるだけ無駄。渋いケチ派にも勿論まともな人はいるんだろうけど、談義にならない知識のない邪魔なのが多すぎる -- 2025-09-09 (火) 13:50:34
      • ケチ派の史書の記述で語ってくれてる人いるけどちょっと言葉足らずと言うか返信が簡潔すぎ -- 2025-09-09 (火) 15:15:45
      • とうとう曹操は最初から好き勝手やって実権あったから気前よく振る舞わないのはケチというところまで理論を飛躍させてきたか 曹操がケチということにしないと一族郎党皆殺しにでもされんの? しつこすぎてもうケチ主張したい側のモチベがわからん -- 2025-09-09 (火) 15:47:11
      • 私は曹操がケチだとは特に思ってないが「実態が無い」というのがようわからん。侯公の封地における権限は家臣を置いて統治し徴税できること。曹操は皇族を転封させて十郡に属官を配し、多数の大臣を立てて魏国を経営していた(それができるだけの歳入があった)。もちろん統治権や収入が無い爵位はそれができるものより1段劣る。実態ないニキの言う「実態」が何なのか単純に疑問なんだが -- 2025-09-09 (火) 19:15:49
      • 十郡すべてが封地として曹操の収入であり独り占めしているからケチ、それを自由自在に配らないからケチっていってることにそういう実態がないといっている。十郡は明らかに名誉のための大きい数字であり、曹操がやりくりできる封地はもっと少ないと考えるのが自然。そもそも曹操が与えられた十郡と曹操が配下に与えられる封地とでは意味合いとか要素そのものとして違うので混同してる時点でおかしい、そういう意味でも実態がないといった。 -- 2025-09-09 (火) 19:26:00
      • 十郡は明らかに名誉のための大きい数字であり、曹操がやりくりできる封地はもっと少ないと考えるのが自然ってのは何かの史書からうかがえる記述なの? -- 2025-09-10 (水) 00:08:22
      • そこは推し量るところだけど、そのまま十郡全部独り占めやりたい放題部下にはあげない全部俺のものって捉える方が圧倒的に不自然だから。古今いつでもこういうものは形式的意味合いが強いのが基本だし。 -- 2025-09-10 (水) 08:15:06
      • >十郡全部独り占めやりたい放題部下にはあげない全部俺のもの これ現代だけじゃなく当時の価値観で見てもやべえ事してんな扱いだったらもっと史書に残るよね つまり別に問題はないかたいして騒ぎ立てるほどのことでもなかったんじゃないか ケチとかそういう方向性に関しては -- 2025-09-10 (水) 08:55:58
      • 虚封・名号候に関しても、ケチだからって理由より封地に限りがあったから実地がなくても多くの人が侯になれるように置いたって方が自然だしね。租税はなくとも侯になれることでの恩恵や報奨はあるだろうし、もしこれがケチ目的ならこれに関する不満がいくらでも残ってると思う。 -- 2025-09-10 (水) 10:13:52
      • ↑2尚書令の荀彧が反対して、そしたら献帝のそばから引き離されるってめっちゃ大事件なんだか。他のメンツも表立って反対したらそうなるってことだし。 -- 2025-09-10 (水) 11:20:24
      • 荀彧の件がケチであることと何の関係があるんだ -- 2025-09-10 (水) 11:24:49
      • 一足飛びに前例のない十郡の公なんて普通にやべえことしてるってこと。 -- 2025-09-10 (水) 11:35:33
      • 荀彧は漢王朝のために公になることを反対してるだけだろう。何を今更わけわかんないこと言ってるんだ。結局ケチの話題とはなんの関係もないし。 -- 2025-09-10 (水) 12:09:39
      • 曹操がやばいってことを話したいだけなら、新しい木作ってやってくれ。 -- 2025-09-10 (水) 12:13:24
      • 荀彧は曹操が魏公になることは曹操の徳を傷付けると言っとるだろ -- 2025-09-10 (水) 12:42:42
      • ケチの話題と関係ないからよそでやれ。以上。 -- 2025-09-10 (水) 12:51:03
      • 批判されるだろって言ってたから批判されとるって言ったんだか。 -- 2025-09-10 (水) 13:03:04
      • 話の流れも読めないのに入ってくるな。そんな話題じゃないこともわからないのに邪魔するのやめて。関係あるというなら、それが曹操がケチだって話題と何の関係があるのか -- 2025-09-10 (水) 13:12:12
      • 不自然とか基本じゃなくてちゃんと記述で出して欲しい -- 2025-09-10 (水) 13:21:45
      • どちらの意見も記述がないんだから、その時代においてどちらがより自然か基本かが問われるところでしょう。 -- 2025-09-10 (水) 13:28:23
      • そこに、自分だけが私腹をこやしたり、配下へろくに与えないなんてことがもしあったならば、もっと書かれているべきじゃないかって話題だよ。 -- 2025-09-10 (水) 13:31:50
      • で、荀彧が尚書令外されてるからもう何も言えなくなったよねって話題でしょ。 -- 2025-09-10 (水) 13:46:42
      • だからそれがケチの話題と何の関係があるのかと。これ以上迷惑な行為続けるなら対処考えてもらったほうがいいかなってなるよ。関係ない話題で邪魔するのはどちらの立場からしても迷惑だし、ひいては掲示板にとって迷惑。 -- 2025-09-10 (水) 13:55:53
      • 何が分からんのかが分からん。十郡全部独り占めやりたい放題部下にはあげない全部俺のものってのを否定するために批判がなかったって言ったから、荀彧が批判したし冷遇されたから大っぴらに批判なんかできない状態だったから批判が少ないことは不満がなかったことの理由にならんってことでしょ? -- 2025-09-10 (水) 14:26:58
      • 何を言ってるんだ?今後の安泰のために公になってくれって再三お願いしてるのに、公になることを反対する理由がない。大前提として部下たちは公になってくれないほうが困るってこれは全部書いてあることだろ。 -- 2025-09-10 (水) 14:44:09
      • 荀彧の件以降だれも曹操を批判できなくなったならそれこそ真っ先に事績として残る内容だろ。 -- 2025-09-10 (水) 14:58:49
      • 魏末にようやく五等爵が復活しているので不満は燻り続けていたんだろう -- 2025-09-10 (水) 15:59:23
      • さすがに関係がなさすぎるし関連もないし話題にもあってない。迷惑に思ってる人多いなら対処願うわ。 -- 2025-09-10 (水) 16:05:29
      • 董昭は曹操の魏公就任に先立って藩屏を建てるために五等爵を復活させるべきと述べている -- 2025-09-10 (水) 16:28:29
      • 言い方悪いけど日本語わからない外国人が小学生なんじゃないか?話が関係ない方向に飛び過ぎだし、何を主張してるのかもわからん。ただ相手を否定したいだけ?それかAIかだな。直前の話題に反応して適当に出力してるから元の話題にまったく沿ってない -- 2025-09-10 (水) 16:35:37
      • さすがにもう相手してられないから誰か相手するなら頼んだわ。 -- 2025-09-10 (水) 16:39:55
      • 曹操は210年に批判をかわすために二万戸を返上したが2年後には拡大した魏郡の公になりすぐに10郡の公になった。多くの部下達は自分達も封候されるためにこれに賛同したが荀彧は曹操の徳が損なわれるとして反対し聞き入れられず憂死した。曹操は勧進し批判を打ち消した部下達をあまり進爵させなかった。曹操の魏公就任に先立って董昭は藩屏を建てるために五等爵を復活させるべきと述べているが、魏末にようやく五等爵が復活しているので不満は燻り続けていたんだろう -- 2025-09-10 (水) 17:14:09
      • 劉邦劉秀との比較や、公になっても臣下の食邑が増えてないってのは分かる。他に曹操がケチという説を裏付ける史書の記録はあるのかな -- 2025-09-10 (水) 21:08:26
  • 余計な出費を抑えたらそれで渋いケチ、あるならあるだけ使えって捉えてる人と、必要な出費すら渋ったらケチであるって捉えてる人とでそもそも認識がずれてるのでは。 -- 2025-09-08 (月) 08:40:11
    • 結局ケチ派はあげる余裕があるのに与えないからケチって言ってるでいいのかね。与える必要があるかないかは問題じゃないのか。大盤振る舞いしないとケチって発想なんかな。 -- 2025-09-09 (火) 10:30:26
      • 命がけで働いて組織が拡大しても俸給や恩恵が増えない事に全く問題ないというんなら大した聖人だなぁ…。就労未経験者かブラック企業のやりがい搾取かな。 -- 2025-09-11 (木) 01:45:05
      • 俸給や恩恵が増えないとは? -- 2025-09-11 (木) 09:13:45
  • ↑2荀彧も大概に内面を推し量るのが難しい人物なのでこの話題で扱うのはやめよう 脱線して収集がつかなくなる -- 2025-09-08 (月) 22:02:51
  • そこそこ読んでみたけど、ケチって言ってるのは文の中身をそのまま単純に読み過ぎてると思う。戸数にしても、虚封・名号候にしても、勧進にしても、内容の上っ面の雰囲気だけで判断して中身本当に理解しようとしてるのかな?って感じる。 -- 2025-09-09 (火) 08:27:27
    • 具体的には? -- 2025-09-09 (火) 11:04:08
      • 戸数に関しては、少ないからってだけ少ない理由を考えようとはしてない。虚封・名号候は実地がないってことだけ捉えて、その他のメリットについて考える気がない。勧進はそもそも何を捉えてケチって言ってるのかもわからん。 -- 2025-09-09 (火) 11:09:12
      • 何か言ってるけどふわっとして結局何が言いたいの?としか。少ない理由は?メリットは?その根拠は?何一つしっかりした事を言ってないんだけど -- 2025-09-11 (木) 01:34:27
      • 典型的な実態の無い空虚なマウント取り目当てのレス…。これケチ派の埋伏の毒なのでは? -- 2025-09-11 (木) 02:23:59
      • 本当に直前というか目の前のコメントしか読めないんだな…。否定派が理由や根拠を考えてるコメントはいくらでもある。ケチ派は全体を通してそうじゃないのが多いねって話なんだが、、、 -- 2025-09-11 (木) 09:34:16
      • なんでそうなったのか理由を色々考えた上で、最終的にケチだからが1番納得できると思ってるならそれでいいと思うよ -- 2025-09-11 (木) 09:36:48
      • 他人のコメントを持ち出して自分はハッキリした事を言わずに見下したレスするの、ネット論客的でとても良いと思います -- 2025-09-11 (木) 21:10:50
      • 曹操の封地に実態が無いとやらの根拠がケチって言ってるやつよりふんわりしてるのウケる -- 2025-09-12 (金) 20:31:31
      • 曹操が政権担当してた時期って貨幣経済が崩壊手前まで行ってて現物支給とか物々交換とかしてた記録があるから曹操個人の気質とは別に吝嗇に走らざるを得なかった可能性はあるんだよな。政府としてやった事だから政権責任者のやった事になるけど。 -- 2025-09-13 (土) 02:37:14
    • 普通にちゃんと教えて欲しいんだけど、渋いケチ派は結局何を理由に言ってるの? -- 2025-09-10 (水) 08:18:02
      • 「曹操が嫌い」を頑張って言い換えてみただけなので温かく見守るが吉 -- 2025-09-15 (月) 14:23:15
      • 一族郎党皆殺しにでもされんの?とか頭に蜀漢でもキメてんのかとか曹操は悪くないというのを相手への攻撃で誤魔化してるんでは -- 2025-09-17 (水) 01:24:30
      • 難癖つけて嫌いってよりは、難癖つけて好きって方がまだかわいいかなぁ -- 2025-09-17 (水) 12:39:00
      • ぶっちゃけ個人的にはケチとかどうでもよくて、何人か経歴調べ直したりして、任峻や段煨の封侯がきちんと行われてた(特に任峻は追贈だと勘違いしてたからびっくり)とか、魏建国以後の名臣扱いの人も割と漢王朝の時期は曹操幕下の官僚程度だとか、色々気付きがあったから満足ではある。 -- 2025-09-17 (水) 21:47:39
  • 曹操は何で漢寿(武陵)なんてあげたんだろうな?そもそも場所まで指定してたんだろうか?「漢」がついてたら髭が喜ぶと思ったとか?これ漢側のチョイスだったら含みが有りそう・・・。 -- 2025-09-10 (水) 05:17:28
    • 漢寿って元からあった地名じゃなくて漢サイコー!ってノリで命名されてたはずなので、漢に降ったという体裁のヒゲは有難がらざるをえんやろって感じだと思うよ。 -- 2025-09-10 (水) 22:03:56
      • 中文版Wikipediaによると、元の地名は「索」県で、134年「漢寿」県と改名。呉が占領すると「呉寿」県に改名されたので、そういう意図の地名と認識してよいと思う。記事には西晋の天下統一後は「龍陽」県に改称とあるが、『晋書』地理志によると龍陽と漢寿が別にあるので、「呉寿」は「漢寿」に戻されたとみてよいかと(龍陽は、「呉寿」県から呉が分割したようだ)。最終的に、1912年に中華民国が龍陽を漢寿と改称して現在に至る。元の漢寿県は、唐で龍陽県に統合されたっぽい? -- 2025-10-02 (木) 15:58:08
      • なお劉備は、梓潼郡葭萌県を漢寿県と改名している。本来の漢寿(呉寿)が孫権の支配下にあったために代わりの漢寿を用意したものだろうか。こちらは、西晋で晋寿県と改称されたが、隋で葭萌県に戻された。元で昭化県に統合され、現在は広元市の一部。 -- 2025-10-02 (木) 16:12:21
  • 新しい話題提起よー ゲームで選べる陣形見てて思ったんだが横陣と方陣って歩兵が殴り合いしてた時代は陣形の基礎中の基礎だと思ってたんだが中華じゃ使われなかったのか? -- 2025-09-10 (水) 22:16:22
    • 全然知らないので憶測だけど、兵法書とか兵法ありきだからとか?柔軟に変わる前提だから象徴っぽい陣形名で決まった形ってわけじゃないとか。魚鱗とか長蛇とか鶴翼とか蜂矢とかって、横陣方陣と比べてイメージ重視っぽく見える。 -- 2025-09-11 (木) 11:41:49
    • ゲームはエンタメだから横に並ぶだけの横陣は最弱だったりリストラされちゃうんだろう。実際は兵の大多数が寄せ集めな点でも複雑な陣形とか無理だと思うけど、史書には陣形まで記載されないから色々使ってた可能性は無くも無いかも。 -- 2025-09-11 (木) 14:48:45
    • 魚鱗なり鶴翼なりの部品になってる1部隊ずつが横陣か方陣になってるんじゃないかねー。つか魚鱗とか鶴翼とかは本来戦場全体の配置の話じゃないんかな。三國志14のは兵科って言われる方がしっくりくる。 -- 2025-09-11 (木) 23:34:35
    • そもそも魚鱗とかって日本の戦国時代の読みななのでは。三国志だと八門金鎖の陣の他にどんなのが出てたっけ? -- 2025-09-12 (金) 07:32:20
    • 鶴翼だの魚鱗だのは遣唐使が唐から持ち帰ったとされる出どころ不明の陣形。日本での創作臭い -- 2025-09-12 (金) 19:40:13
      • 日本での名称はともかく、陣地とか部隊配備として図解されたものに、○○の如く並べよみたいな付け足されたり、説明されたりとかはあるんじゃないかな? -- 2025-09-12 (金) 22:55:11
      • 鶴翼って創作だと大抵は中央部を晒して両翼で包み込む陣形って扱いされてるけど守備が固いのはまあ百歩譲っていいとして足の速さと攻城戦に強い14の能力調整はどっからきた発想なんだろうか 待ちの陣形で機動力や城攻めするイメージなんてさっぱりなんだがなあ -- 2025-09-24 (水) 15:30:03
      • 機動はゲームシステムの都合じゃないかね。塗り範囲が広いからある程度の機動力はほしいってとこかと -- 2025-09-24 (水) 16:26:27
      • そもそも陣形組んだまま移動してるのが変だから完全にゲーム的な設定だね。 -- 2025-09-25 (木) 00:14:20
    • 実態は縦隊や横陣、方陣で戦ってたんだと思うが、エンタメであるゲームじゃ外連味に欠けるからな。諸葛亮の八陣というのは言葉としては伝わってるが実態は不明で、八つの陣形という意味ですらないとも。 -- 2025-09-15 (月) 21:44:48
      • 魚鱗なんかはようするに半円の陣形、ないし仮設陣地を沢山並べたのが魚のように見える、って話だろうし、鋒矢はあんな並べ方する?ってなるし、前々から思ってたけど長蛇の陣なんてただの行軍やんな -- 2025-09-16 (火) 15:46:23
      • 上のレス見てふと思ったけど、戦国八陣の魚鱗のルーツが中国だったとして、これって戦闘陣形じゃなくて宿営時の布陣法だったりするんじゃないかなと。 -- 2025-09-18 (木) 00:39:54
    • そういえばゲームだと雁行はV字陣形だけど実際に雁行陣とされているのって全然違う形だよね。当然、射撃戦要素なんかどこにも無い。三国志5の頃から既に今の形だけど、どこ由来の設定なんだろうね。 -- 2025-09-17 (水) 05:07:15
      • 三国志5由来では?射撃特化設定にした時ただの斜陣よか包囲して斉射してるイメージでV字にしたのかと。戦国無双4エンパだと普通に一直線だったと思う。 -- 2025-09-17 (水) 14:39:26
      • 文字通り鳥の雁が群で飛ぶ様がV字編隊だからでしょう。住宅のレイアウトでも雁行型というV字やV字を重ねたジグザグ型の様式があるようです。ただ、鳥の方と陣形の雁行は先頭の向きが逆なんですが。 -- 2025-09-17 (水) 19:31:48
      • 確かに他の陣形って戦国八陣準拠なのに、何故か雁行だけ右翼が前に出たナナメ型じゃないねえ(方円も向きはおかしいんだけど)。そこだけ異質なのは鶴翼と被るからかな? -- 2025-09-17 (水) 22:37:57
      • いや違うわ被らせたくないならナナメにすべきやな。ますます不思議。 -- 2025-09-18 (木) 01:38:03
      • 戦国八陣タイプの雁行だとそれはそれで長蛇と被りそう。だったら判りやすいV字の方がU字の鶴翼とは見た目で区別付くと考えたとか? -- 2025-09-22 (月) 01:13:08
  • 蜀だけ海なし国だから塩はどうやって手に入れたんだって思ったけど、井塩ってのがあるのか。てっきり岩塩だけで賄うか呉から輸入してるのかと思った -- 2025-09-11 (木) 18:05:36
    • 蜀は塩の専売で財貨を稼いでいたからむしろ豊富だったんだよね。 -- 2025-09-11 (木) 20:58:45
    • あの辺も海だったって事なのかね。ヒマラヤはインドがぶつかって出来たらしいけど、それと関係有るんだろうか。 -- 2025-09-11 (木) 22:41:11
      • 2億年ちょいに揚子江プレートが北中国に激突したときのやつじゃないか。インドがユーラシアに激突したのは5000万年くらい前で結構新しい -- 2025-09-12 (金) 19:58:52
      • 南半分合体してて草。四川盆地とかそれで出来たのか。なるほどなぁ。 -- 2025-09-12 (金) 22:37:16
  • 周倉が被ってる帽子型の兜ってアレ何なんだろうな スリキンとかでも特に統一性なくまばらに装着してる一般兵がいるくらいで中華の軍事史において普通の兜との違いや役割がよくわからん 古代地中海のほうだと軽装の弓兵や散兵の装備として区別されてるけど -- 2025-09-21 (日) 20:55:25
    • 譚雄も被ってるああいうタイプの兜というか帽子は北方騎馬民族系の被り物らしい。中国は後漢時代から異民族を傭兵として使ってたから、彼らの被り物が兵の中に伝播したと考えてもおかしくはないかも。 -- 2025-09-22 (月) 01:11:46
    • 帽子型の兜って地味に色んな所で使われてるので、それと斗笠あたりが合体したのかもねー。光栄が初出の筈だから他はその顰に倣っただけだろうけど。 -- 2025-09-22 (月) 03:33:38
    • そう言われてふと思ったけど鄧艾も他にあまり見たことがないタイプの被り物で描かれるな。個性的で好き。 -- 2025-10-02 (木) 00:18:48
      • 横山三国志でもあんなだったし、昔はドンタコスとかよく言われてたね。一応連環画のアレンジみたいだけど -- 2025-10-02 (木) 02:49:51
      • なんなら最近の三国志ゲーアプリ内でもドンタコス呼びはよく見かける。 -- 2025-11-28 (金) 18:36:39
  • 周瑜の瑜長壯有姿貌の記述、姿貌短小という表現があるとこを見るに美形というよりは体格が立派ということなのかな -- 2025-10-28 (火) 13:24:20
    • そうでしょ。美形って言われてるのは演義での儀容秀麗からだよ。 -- 2025-10-28 (火) 13:37:41
    • 実は凄いマッチョだったかもw -- 2025-10-28 (火) 14:41:48
    • 記述だけ見ると劉基が美形なのかなあ -- 2025-10-29 (水) 16:23:08
    • 董昭のゲーム内の列伝の眉目秀麗ってどこからきてる設定なんだろうか -- 2025-10-29 (水) 17:57:45
      • 恐らく演義の曹操との対面、公尊顏充腴のところをイケメンと誤訳してるか、なんかそういう訳をした和訳本があるのか、だと思う -- 2025-10-30 (木) 10:50:04
      • 曹操の第一印象がそうだったように董昭は太っちょな体格の方が強調されがち。演義で色白美男子の描写があるのは鄧忠。 -- 2025-10-30 (木) 15:04:20
      • 色々調べたが吉川三国志では昨今の時世でロクな見た目の奴がいないのに彼は眉目秀麗だってな扱いなんでゲームはここ採用かな?で、原文演義だと飢饉ながらに立派な見た目なのは何故か?に対して「長年無駄に禄を食んでいるからです(無駄飯食いでした)」ってニュアンスの返事なのが、江戸時代の翻訳辺りからしていまいち伝わらなかったぽい。この辺りは時代や国の違いかもしれん。とりあえず粗食だったとか、ウィキペドの菜食主義とかはどっから来たんだよとしか。 -- 2025-10-31 (金) 13:48:00
      • 毛本によると”操暗想曰:「今東郡大荒,官僚軍民,皆有飢色,此人何得獨肥?」因問之曰:「公尊顏充腴,以何調理而至此?」對曰:「某無他法,只食淡三十年矣。」”とのこと。粗食してたらしいが菜食は謎 -- 2025-11-01 (土) 14:20:56
      • 嘉靖本でも”操惡之:「今東都大荒,官僚軍民皆有饑色,惟此人面目上精神純雅。」操問之曰:「公有何能,調理如此?」對曰:「惟食淡三十年矣。」”と同じでした。逆に無駄飯ぐらいはどこから来たんだよ -- 2025-11-01 (土) 14:23:05
    • はっきりイケメンと判断できるのは美姿顏の孫策と姿顏雄偉の趙雲とか顔って記述がある人物くらい? -- 2025-11-01 (土) 19:01:22
    • 横山三國志のドカベン趙雲はしばしばネタになるけど実は周瑜こそドカベンだった可能性も…? -- 2025-11-03 (月) 23:19:07
      • むしろラオウとか大豪院邪鬼みたいな見た目でも良いくらい。戦国の世ならもうこの上ない大絶賛よ -- 2025-11-28 (金) 19:41:00
    • 容貌で言うと荀彧も挙げられる事がある対象だけど、爲人偉美って事は外見なり人柄が立派というような表現だから美形とも判断できない感じなのかな。 -- 2025-11-15 (土) 18:53:07
      • 禰衡の「弔問に行かせるのがお似合い」という台詞は正史注『典略』が出典。単なる美形よりも、重々しい雰囲気を強調したものか。裴松之は、陳寿の本文に容貌への言及が無かったので引いたと書いているから、並の顔では無いと宋代まで伝わっていたのでは無いだろうか。 -- 2025-11-28 (金) 14:32:27
    • 袁尚と曹叡はイケメン枠だろうなあ。 -- 2025-11-15 (土) 20:55:10
    • 美醜の基準自体が同じ国でも数百年で変わることがあるのでなんとも言い難いですね。それがまた大河作品の面白さでもありますが。 -- 2025-11-27 (木) 19:11:37
  • 曹豹って何故ネタ武将的扱いされるようになったんですか?史実の記述や演義の描写見てもネタ的要素どこにも無いように思うのですが。むしろ史実では陶謙勢力の中ではかなりの大物っぽいですけど。演義の描写も張飛が酷すぎて、曹豹は可哀想な被害者でしょうに何故? -- 2025-11-30 (日) 11:12:19
    • ニコニコ大百科を読みなさい。 -- 2025-11-30 (日) 11:31:05
    • 曹豹がネタ武将扱いされるようになったのは史実や演技が由来だからではなく光栄が由来なので、史実や演技を見ても判らないのは当然です。曹豹で検索すれば何故そうなったかは上のニコニコ大百科を初め色々と出てきますが、検索してみた事はありますか? -- 2025-11-30 (日) 15:39:41
      • 一言で云えば、練り児山氏は奇才だった。 -- 2025-11-30 (日) 17:28:10
    • 書き方的にネタ武将=かわいそうって思ってるのかもしれないけど、曹豹はみんなに愛されたネタキャラだからね。そこは間違って認識してほしくないかな -- 2025-11-30 (日) 17:15:19
    • 相棒の許耽なんて演義以来、全く相手にされていないのに比べたら……。 -- 2026-01-31 (土) 20:43:24
  • 前にここに「肖像画によくある冠からビヨーンと出てる飾りみたいなのはなんだろう?」と書き込んだんだけど、渡邉義浩さんの動画を見たら「もともと貂蝉というのは冠につける飾りのことだった」と話していて調べたらそれっぽくて納得した。さすが研究者。 -- 2025-12-09 (火) 16:09:58
    • その話覚えてたので調べてみましたが、あれは冠の装飾の立笔(りつもう)という部位のようですね。貂蝉冠で検索すると色々と出てきました。三國志の人物の肖像画だと判りにくいですが、別の媒体で見ると質感とかが判り易かったです。 -- 2025-12-10 (水) 05:25:18
      • ゲームの顔グラや他の三国志創作物でもあまり見たことがないので演義や写本が書かれた時代の挿絵に当時の装束が使われたのかと思ったら古代から着用されてたみたいですね。逆になぜあまり三国志作品で見かけないのか気になります -- 2025-12-10 (水) 22:22:36
      • 実写媒体には疎いので除外しますが、漫画、ゲーム等の今の三國志作品の絵って根底にあるのが三国演義の連環画だと思うんですが、連環画に描かれてる人物の冠って貂蝉冠が描かれてるのが無さそうなんですよね(あったらすいません)その辺が影響してるのかも。 -- 2025-12-11 (木) 00:02:33
      • 黄忠や司馬懿についとるよ -- 2025-12-11 (木) 00:23:46
      • そもそもゲームのグラなんてその都度色んなもの参考(オブラート)にして描いてるので、〇〇になかったから描かれてないは暴論だろうがよ、ノブヤボになるけど某鬼庭さんがどう見てもあの人みたいな、モデルにしたのがまるわかりみたいなグラはチラホラあるからな -- 2025-12-12 (金) 22:14:59
      • 三国志演義の明版挿画には結構ついてる人いるね。武官文官問わずついてるし孫皓みたいに2個ついてる人もいる。 -- 2025-12-12 (金) 23:21:01
      • ↑2ゲームのグラに限定した話などしてないように見えますが…。 -- 2025-12-13 (土) 01:14:09
      • ゲームのグラ含む現在の三国志もの創作のデザイン、とか言い換えても話は通じるんだからその辺頭の中で補完してやれよ。法廷文書じゃないんだから。 -- 2025-12-13 (土) 22:24:28
      • まああくまで光栄の作品の場所だから光栄内を話題にしたけど、あくまで例えばのひとつ、だからね?なんか四角四面な人いるよね -- 2025-12-14 (日) 06:52:38
      • 口調がアレな上に内容もアレな奴はスルーすればいいのに優しい人が多いな -- 2025-12-14 (日) 22:26:39
      • ↑4最初の枝はジャンルや媒体を限定せずに現代の三國志作品では見かけないって話に対して↑6のレスにその言い換えは通じないんじゃないですかね。硬派寄りの作品でも軟派よりの作品でも冠や兜に立笔描かれてる作品は自分も見かけた事ないですが。 -- 2025-12-15 (月) 00:23:09
      • そもそも話がかみ合ってないように見えるけど -- 2025-12-15 (月) 01:04:31
    • 無双呂布「チョウセーン!」触角「呼んだ?」⋯って事か -- 2025-12-10 (水) 23:46:23
      • 多分それのことじゃないw 額から前方に出てる飾りみたいなやつ -- 2025-12-12 (金) 23:16:32
      • そういえばw元の話すっかり忘れてたw -- 2025-12-14 (日) 18:47:50
    • AIに聞いてみたら「急な職務上の命令や記録が必要になった際にすぐに筆を取って書き留められるようにするため冠に筆を立てていた実用的な装備が徐々に役職を示す飾りになっていった」とのことだけど、他にそんな記述は見つからなかったので本当かどうかはちょっと怪しいところ… -- 2025-12-15 (月) 17:13:44
      • 存在しない地名すら平然とズラズラ叩き出すし、出展聞いたら架空の著書捏造するAIに聞くのが間違ってる -- 2025-12-15 (月) 21:44:37
      • 昨今はAIに聞いてみたってやる人多いけど歴史関係をAIに聞くのって碌に信の置けない話を適当にでっちあげかねないんであまり良い手には思えませんね。 -- 2025-12-16 (火) 01:02:37
      • ちょっと怪しいとかじゃないと思う。歴史に限らずAIの返答なんて基本は嘘だと思っていい。正確さより会話を成り立たせることが前提になってるのがほとんどなので -- 2025-12-16 (火) 08:49:15
      • 立笔の「笔」は「筆」の簡体字・異体字なので筆を立てるという意味で由来としては正しい可能性もあるし中国の資料を見るといかにも筆っぽい形のものが冠についている画像もある。でもなぜか日本の研究資料なんかはほとんどないのが不思議。 -- 2025-12-16 (火) 15:01:41
    • 調べてたら「隋書」巻24・志第十九「輿服志」に「三公以上の官吏は玉の枝、四位以上の官吏は金の枝、七位以上の文官は白い羽根のついた筆をつけた。八位以下の官吏と武官は羽根のついた筆を着けなかった」とあった。どんなもんだったのか画像は見つからないけど曹操、司馬懿、陳羣、鍾繇あたりが顔グラで冠に玉の枝をつけてたらなんかいい -- 2025-12-16 (火) 17:40:51
  • 潼関の戦いから馬騰処刑まで間があるのは馬超が降伏してくるのを待ってたから説ってありえるのかな -- 2025-12-23 (火) 21:15:08
    • 何か根拠がある訳じゃないですが、曹操は馬超が帰順するとは考えてなかったのではないかと思います。ただし馬騰を生かしておく事で涼州の馬超の影響力を落として分断する効果は見込めたのではないかと思います。潼関で敗北した直後ですし。結局涼州の大半が馬超の蜂起に組したので利用価値無しと見て馬騰を処刑した…という感じではないかと思ってます。 -- 2025-12-25 (木) 06:06:44
  • 諸葛亮の四次北伐の際、張郃伝には亮還保祁山とあるんだよな。蜀軍は      祁山を奪えてたのかな。 -- 2025-12-25 (木) 17:51:58
    • 山に陣地作ってそこを保ったみたいな意味じゃないかしら。あと戦闘中なら陣地として山を奪うとか保持するとかはあるだろうけど、戦闘終わったら無人になった山を奪うも何もないと思う。 -- 2025-12-25 (木) 20:52:57
      • 司馬懿撃破後は、救援もないとわかって落ちていてもおかしくはないか -- 2025-12-29 (月) 21:19:14
      • もし落としてたら魏軍が出撃する理由がなくなるので諸葛亮のミス。司馬懿・張郃撃退の翌月に総撤退してるのでもしかするとそうかもしれないけど -- 2025-12-30 (火) 12:28:44
      • 陥落してたら、それはそれで策源地にされないよう奪回する必要があるから、魏軍が出撃する理由はなくならないんだよなぁ -- 2025-12-31 (水) 21:56:28
      • さすがに諸葛亮は馬謖と同じことはしないと思いたい -- 2026-01-01 (木) 13:54:44
      • 張郃「蜀の人は山登りが好きなんだなあ」 -- 2026-01-02 (金) 12:38:13
    • 漢晋春秋に「魏平と賈嗣が岐山で諸葛亮に包囲され救援を要請した」みたいな記述があるらしいので城か砦に籠っている魏軍を包囲して魏の救援軍をおびき寄せてたんだと思う。 -- 2025-12-25 (木) 23:09:04
    • 武田信玄が小田原城を包囲した時みたいに「無理に攻めたらこっちも被害を受けるので孤立した敵を包囲しつつ相手の援軍を示威行動や挑発で誘き寄せて迎え撃ち、その後は撤退したと見せかけて追撃してくる相手と戦おう」みたいな感じだったんだろうと思うしそれは実際に成功している。そして次も同じようなことをやろうとしてしまった。 -- 2025-12-26 (金) 23:48:08
      • 王平伝「諸葛亮は岐山を囲んだ」、魏書費曜伝「諸葛亮が岐山を囲んだが諸軍とともに守った」など、岐山が陥落した記録はないのでやっぱり囮にして援軍を呼び込んで叩こうとした、が正解っぽ。 -- 2026-01-02 (金) 23:31:09
      • 張郃伝みる感じ落ちた可能性があるのは叩きのめした後の張郃追撃前じゃね -- 2026-01-03 (土) 20:43:34
      • 落としたという記述もないし、落とす必要もないし、そもそも落とすような城や砦があったかすら定かでないし、その翌月には全軍撤退してるので議論の意味もないかな。 -- 2026-01-04 (日) 01:35:55
      • 前から祁山には高剛という将がいたのに砦すらなないなんてありえるのか、祁山自体も曹叡が必争の地というくらいの地だし、後岐山じゃなくて祁山 -- 2026-01-04 (日) 15:48:33
    • おそらくは司馬懿が戦闘で敗北したことを司馬家に忖度した陳寿が書けなかったからだと思うけど、第四時北伐での張郃伝の記述って凄い変なんだよね。何故か司馬懿が全く出てこずに張郃が諸将を監督したことになってるし、張郃が略陽に軍を進めたら唐突に諸葛亮が祁山に帰還して、その次はいきなり張郃が追撃して右膝を射られて、それが元で薨じた記述だし。曹髦の記述もそうだけど、陳寿は直筆できない事柄があった際は敢えて変な記述をして、読んだ人に気付いて貰えるような工夫をしてたみたいだから、あまり張郃伝の第四次北伐についての記述を真面目に考察しても実りはないと思う。包囲されてる筈の魏平が司馬懿を怯懦だと責めてるから、少なくとも戦闘が発生するまでは祁山は陥落してなかったんだろうけどね。 -- 2026-01-02 (金) 22:26:44
    • 宣帝紀の記述も変だよな包囲されてるのになぜ司馬懿と連絡取れてるんだと。漢晋春秋だとただ出戦を請うたという感じだし、魏平らは司馬懿の麾下なんじゃ -- 2026-01-02 (金) 23:29:24
      • そもそも賈嗣と魏平は正史に名前がなかった気がするし、他の史書でもその後どうなったかの記述はないので演義によく出てくる架空武将の可能性も……? -- 2026-01-02 (金) 23:41:13
      • 魏平は蘇則の伝に名前が出てるし、両名とも宣帝紀や漢晋春秋に名前は出てくる。北海での太史慈みたいな例もあるし、あるいは上で推測されてるように援軍を誘き寄せて合戦におよぶことが諸葛亮の目的だったのだとすれば、敢えて包囲は厳重にしていなかったのかもしれないな -- 2026-01-03 (土) 00:22:48
      • 当時狼煙ってもう存在してたっけ?陣地が山上にあったのであればそういう類のものを使えば救援要請くらいはできそうだが -- 2026-01-03 (土) 01:59:41
      • 確か救援要請をしたっていうだけじゃなくて「すぐそこまで援軍に来ているのに我らを見捨てれば臆病者と罵られ人心を失いますぞ、いますぐ助けに来て」みたいなことを言ったせいで諸将が出撃を主張して司馬懿も無視できなくなった、って何かの記述にあった気がする。どうやってそれを伝えたのか、あるいは伝えさせたのかと考えるとおもろい -- 2026-01-03 (土) 19:24:13
      • 日本の城ですら脱出して援軍要請とかザラなので、ましてや山に陣地を急ごしらえしただけの蜀の陣地なら避けて使者送った(勿論危険はあるが)のだろ -- 2026-01-03 (土) 21:35:53
      • 閻温とか知らんのか? -- 2026-01-04 (日) 17:58:36
      • 閻温は馬超が意図的に知らせようとしてるからまた違うでしょ -- 2026-01-04 (日) 19:45:56
      • ごめん閻温は包囲を抜けて連絡を取ろうとするのは普通だというつもりだった -- 2026-01-04 (日) 22:02:15
    • 前にここでちょっと話題になってた「朱のチーリン」でも司馬懿が意図的に張郃に追撃させて諸葛亮が「おかしい…」みたいなことを言ってたたけど近年ちらほらそういう説見るね。 -- 2026-01-04 (日) 01:27:32
      • さすがに張郃殺すために追撃させたみたいなのは眉唾だと思うが、張郃が確実に死ぬとも限らないし。 -- 2026-01-04 (日) 16:01:55
      • 朱のチーリンはネットのよくわからん俗説みたいのねじ込みすぎて読むのやめたわ -- 2026-01-04 (日) 17:54:04
      • 当時の中国文化や風習なんかを詳しく描いてて興味深かった。三国志をいまさら定説通り描いても面白くはならなそうなのでどういう切り口で行くかだよね -- 2026-01-04 (日) 18:13:42
      • てか現代人が描く演義というか平話というかみたいなもんだから、むしろ俗説どんとこいじゃない三國志ものってなんなんだと思うんだ -- 2026-01-04 (日) 18:21:40
      • 定説でもそれを作者の解釈でどう描くかで印象が大きく変わるのが絵のある漫画媒体の強みだと思うから、定説通り描いても面白くならないには必ずしもならないと思うかな。 -- 2026-01-04 (日) 21:37:57
      • むしろ司馬懿が張郃謀殺したとか手垢がつきすぎて使い古された説じゃない?昔の光栄の本(たぶん三國志3のやつ)にすらあったような覚えがある -- 2026-01-04 (日) 22:07:48
      • 個人的に横山三国志=演義の漫画化でかなり蜀寄り、蒼天航路=横山三国志でモブだった曹操家臣団がメイン、というイメージなんだけど呉が主役の漫画ってあるんかな -- 2026-01-04 (日) 22:39:37
      • 謀殺説は陳舜臣氏が触れてから広まっていったんじゃなかったかな、かれこれ15年くらいは前のことだったと思う。張郃は現場の軍人からは人望があっても政治力に乏しい叩き上げの軍人に過ぎないし、遠からず死ぬか引退するだろう70前後の老将だからな。そんな相手を指示を出した自分への批難や疑惑が生じるリスクを背負ってまで謀殺しても殆どメリットらしいメリットもないってんで、むしろ昨今ネットの三国志界隈では一周回って眉唾物扱いが主流になってる感がある。 -- 2026-01-05 (月) 00:00:05
      • チーリン、当時の漢民族の風習を羌族っていう外部の視点から批評的に見るのはいい切り口だったとは思う -- 2026-01-05 (月) 21:17:03
      • 謀殺展開そのものは無理あるしやりすぎとは思ったけど、司馬親子を悪役ポジションにするってのは演義の劉備孔明に対しての曹操や魏の扱いとさしては変わらんし、そういう方向をアピールするための物語の描き方としてはアリだと思うんだよね -- 2026-01-06 (火) 16:28:33
      • 三國志演義は曹操の悪役描写を盛ってると言われがちだけど、無理のある悪行描写はあまり感じないんだよね。正史とは違った内容であっても演義の作品内での性格や行動からは辻褄はあってるというか。 -- 2026-01-08 (木) 02:08:37
      • 羅漢中が書いた物語が正史と違うから盛ってるって言われがちなんじゃないか?とは思ったけど陳寿が書いた物語だけが史実とは限らんという視点は必要だとも感じる。 -- 2026-01-08 (木) 12:21:52
      • 羅貫中「うーん、劉備が負けても民から愛されてるエピソード入れたいな、せやたまたま出会った人から最大級のもてなし受けさせたろ!!」 -- 2026-01-08 (木) 17:42:34
      • あのエピソードは後に諸葛亮を従わせる事を踏まえて斉の桓公に劉備をなぞらせた意図であろうから熟考した上でのエピソードでしょう、おそらく…。 -- 2026-01-09 (金) 02:50:55
      • 演義の劉備は歴代偉人のエピソード全部のせで、諸葛亮はさらにその上を行かせるためにファンタジーになってるなろう系みたいなイメージ -- 2026-01-09 (金) 12:35:53
      • 演義は、先行するフィクションのぶっ飛んだ描写を、何らかの歴史書に根拠のある描写に書き改める事もしている。単純に正史に戻すのではなく、士大夫層にウケる方向の手直しというのか。 -- 2026-01-10 (土) 01:50:16
      • 歴史ものは「結果的に負けた側が別の価値軸では勝っていた」と言う流れに時代や場所を問わず収斂し洗練されて行くよね。中国史の場合は「義」「忠」「智」で勝っていたのだ!ということなんだろうなあ -- 2026-01-11 (日) 16:24:54
  • 演義は遼東の晋書にある司馬懿の十五歳以上の男子皆殺しとか死ぬ間際に賈逵、王淩に祟られるとかも削ってるし敵役ではあるが悪役とまではいかない感じ -- 2026-01-10 (土) 00:49:45
    • 『晋書』から三馬同槽の夢(司馬懿父子が曹氏を食うという謎掛け)のエピソードを拾っているのも、敵はあくまで曹魏であって、司馬家は曹魏を内から滅ぼした存在としてプラスにも描かれている事の暗示に見える。実際、曹芳・曹奐の退位や曹髦の敗死は、正史と比較して惨めたらしさを強調して描かれているし。 -- 2026-01-10 (土) 01:57:23
    • 演義って全24巻のうち1~21巻と22~24巻で時間経過は同じ50年くらい。そら終盤のエピソードにあれがないこれがないと考察するのもなんだかなあって感じはする -- 2026-01-11 (日) 23:16:03
      • 演義は呉の滅亡までまとめているだけでも大したものと思う。ここまで描いてくれる三国志ものの創作はかなり少ない。 -- 2026-01-12 (月) 02:23:56
      • 蜀滅亡まではともかく、その後は呉は孫晧が国内を滅茶苦茶にしていく一方で魏も内向きの事を進めていって晋になるし、晋にしても統一したくないのかと言わんばかりの牛歩展開で三国による統一までの物語としては面白さに乏しすぎる時期だからねぇ。そこまで描くよりバッサリカットしちゃうのも仕方ない。 -- 2026-01-13 (火) 01:29:50
      • 羊祜、杜預と陸抗を軸にすればいい話が書けそうな気がするんだけど、ぶっちゃけ昔の人は劉備ー諸葛亮のライン以外はあまり興味がなかったんだろうなっていう…… -- 2026-01-13 (火) 11:41:32
      • この時期になると、前線の活躍よりも宮廷闘争の影響がでかくなるから、派閥抗争を楽しめないとキツいものはある。なお西晋は樹機能(羌とも鮮卑とも)や劉猛(匈奴)などの反乱に悩まされており、干害・疫病・冷害なども毎年発生していたから、牛歩にはそれなりの事情があった。 -- 2026-01-13 (火) 19:47:31
      • 牛歩に事情があるのはそうなんだけどそれって三国の争いっていう観点からするとノイズの事情だからなー。例えば孫権時代の呉だって山越に悩まされていたけど物語としてはそこをじっくりと書かれてもって話だし。 -- 2026-01-16 (金) 21:21:43
      • たとえば西晋で賈充と任愷(シリーズ未登場)の派閥抗争は結構な事件だったようなのだが、演義では完全にすっ飛ばしている。派閥抗争で呉討伐が遅れることに苦悩する羊祜とか、料理できれば面白そうな気はする。 -- 2026-01-17 (土) 15:59:32
      • 羅貫中の蜀漢関係の創作がイキイキしてたのは、蜀書の内容がうっすいせいで良い感じの創作エピソードネジ込めたからとか言われてて笑った覚えがある。実際史官居なかったんだっけ? -- 2026-01-24 (土) 21:53:53
      • 唐の劉知幾の『史通』は実際には蜀にも史官が居たはずで陳寿が嘘をついていると批判している。渡邊義浩先生も蜀には史官があったのだけれど、国内の学閥争い(荊州派と蜀派)があって蜀派の陳寿は諸葛亮の肝いりで荊州派で占められていた史官になれなかったからという説だったはず。 -- 2026-01-31 (土) 20:48:52
  • 河北と中原抑えて下に攻めるけど山や運河がめんどくさいし部下に任せてもゴリ押ししまくって返り討ちに遭うから毎回「もういいかな…」って気持ちになる。曹操もこんな心境だったんだろうか -- 2026-01-13 (火) 12:14:45
    • 第四次濡須口みたいにこれもう勝確やろ!って感じで意気揚々と攻め込んだのに任せた部下が全員敗退して総退却とかゲームだとマウス投げそう -- 2026-01-13 (火) 12:48:37
    • 毛沢東が国共内戦時代に敵の前線指揮官を買収したりスパイを送り込んだりしてピンチの時に何度も撤退させた、みたいな話あるけどそういうこともありそう -- 2026-01-13 (火) 13:47:19
      • 隠蕃が魏から呉への埋伏武将として正史に記録されているし(正史に「埋伏の毒」の用語は無いが)、隠蕃のように発覚しなかった埋伏武将は何人もいて当然。すると、ただの無能や佞臣に見えて実は敵の埋伏だった人物もいたのでしょうか。 -- 2026-01-13 (火) 19:52:08
      • 自己レス。有能な埋伏なら、死の瞬間まで周囲に忠臣と思わせておいて、埋伏先を破滅に導いてもおかしくないのか。 -- 2026-01-13 (火) 19:59:53
  • 「袁紹軍は意図的に弱くしてる」らしいけどむしろ盛られてねえかなと感じる。審配とか同盟中の独立勢力みたいなもんだしイケブサコンビは張コウより強いこと多いし -- 2026-01-13 (火) 21:33:28
    • 演義主体である以上、むしろ顔文は張郃より強くて当たり前じゃないか?張遼徐晃ですら敗走させられるくらいだし -- 2026-01-13 (火) 22:27:22
    • 袁紹軍は武官も文官もトップ層は全体でも上澄みでも中堅層が勢力比で大分控えめでそこで勢力として脆さを作ってる感じがする。 -- 2026-01-16 (金) 21:25:12
    • シリーズ通じてとにかく中堅以下が中堅未満みたいな奴多数だからねえ高覧辺りはなんか優遇されてっけど、14以外でいうならSteamで旧作やってたけど3なんか顕著にわかりやすくて、太守要員が自前だと少ない、領地が明確に貧弱、てか頭数いないから最前線が即オチする防衛力ととても大勢力に思えない設定されてたし。 -- 2026-01-17 (土) 00:40:36
    • 袁紹軍は「官渡で負けて滅びた」前提だから、日の出の勢いの曹操軍と違って残った記録が少ない。従って頭数も領土の割に少なくなる。CPUは一時優勢になっても、官渡から数年経つと寿命でバタバタと死んで行き、若手が続々と増え続ける曹操軍に圧倒されてしまう。 -- 2026-01-17 (土) 15:54:38
    • 袁術軍にもいえるが、袁紹・袁譚・袁尚や袁術に仕えた前歴をぼかして魏や呉に仕えたっぽい人やその子孫も、正史をよく探すと出てくる。袁紹軍救済のためには、意識してゲームに出す必要があるかも知れない。 -- 2026-01-17 (土) 16:06:27
      • たとえば盧植の四男の盧毓は、経歴的に袁紹に仕えていてもおかしくないが(戦死した2人の兄はたぶん袁家で死んでる)、207年まで元服しないので、袁家では事実上使えないようになってる。このあたりはせめてもっと早い段階で在野で掘れば出てくるようにして欲しい。 -- 2026-03-04 (水) 16:09:53
    • 倒した敵勢力の人材を吸収するのが勢力拡大のポイントなんだけど袁紹の場合仮に曹操を倒せても相性最悪なんでそこが難しいという…。ただ史実の流れにある程度乗せたいっていう意図はあるだろうし、袁紹ファンには残念だろうが現状以上に救済の必要があまりないのではという感じもある。ファンは新武将やエディットで相性を変える等で何とかしてという感じだろうか -- 2026-01-18 (日) 06:27:48
      • 相性はかえられないのでは -- 2026-01-18 (日) 12:29:28
      • 相性についてはうっかりミスでした。袁紹に救済をしようとするなら相性を近くするのが一番無難な気がしたので、今後の作品では操作できるようになるといいのですが。 -- 2026-01-18 (日) 17:17:31
  • 最近ネットでは色んな武将が正史準拠で語られることも多くなったけど呂布はいまだに演義のイメージが強い気がする。郭汜と一騎打ちしたり戟に弓矢当てて劉備と紀霊仲裁したり(なんで演義オリジナルじゃなえんだよ)してるあたり武勇に優れてるのは間違いなかったんだろうけど -- 2026-01-18 (日) 14:23:05
    • 正史呂布は演義呂布みたいに長期的視野に欠けた行動取ることが少ないので、武力を100に固定したとしても何か個性が無くなりそう -- 2026-01-24 (土) 21:35:48
      • 呂布は描写はともかく行動指針については正史も演義も大差無く、長期的戦略の視野に欠けた人物に感じますが。 -- 2026-01-25 (日) 00:24:10
  • ゲームの劉璋って有能な人材と都市複数で普通に強いけど実際は成都のみで毎ターン地域懐柔されるし賊にも府を取られるゴミみたいな状況だったのかしら -- 2026-01-26 (月) 09:20:49
    • ゲームと違って常に配下がマトモに言う事聞くわけじゃないからねー。孫呉をはじめどの勢力にも大なり小なりある問題だけど。 -- 2026-01-26 (月) 12:28:57
      • ゲームみたいにどっからか賊が生えてきてる方がまだマシで、現実は配下が暴れたり略奪したりするクソゲーだからね⋯ -- 2026-01-26 (月) 21:55:59
    • 益州は成都以外はド田舎だからマジで人的資源ないんだよな。漢中はもともと栄えてたが、羌の反乱で荒廃し張魯がかき集めた流民も曹操が根こそぎ移住させちまったので -- 2026-01-31 (土) 17:29:48
      • 杜襲伝によると八万人を移住させたらしいけど、閻圃は漢川之民戶出十萬と言っており、さらに「韓遂、馬超之亂。關西民、從子午谷奔之者、數萬家」なので人口はさらに増えている。これを信じるなら移住後もかなりの人口がいたことになる -- 2026-02-01 (日) 01:34:20
      • ごめん戸数と口数混同してたわ。でも西晋の漢中郡1万5千戸しかいないからみんな連れてかれたのかと思ってた -- 2026-02-01 (日) 10:38:13
      • そもそも根こそぎ移住なんてさせたら間違いなく反乱案件&山道で大惨事なので……杜襲ageのためにいかにも凄い事しましただけど、恐らくは他方から逃げ込んだうちの帰国希望者を連れていったくらいが関の山ではないかなあ、それなら望んだのもわかるし -- 2026-02-01 (日) 11:29:30
      • 中華史において根こそぎ移住は日常茶飯事な気もしないでもない -- 2026-02-01 (日) 12:23:07
      • 鄴の人がそんなに漢中にいるかなあ。あと曹操は淮南では盛大に失敗しているので杜襲すごいでいいんじゃないか -- 2026-02-01 (日) 17:20:39
      • 根こそぎは珍しいが西魏が江陵落とした後に健康な住民全員(十数万~)を長安まで連行した例がある -- 2026-02-01 (日) 17:23:55
      • ↑4曹操は人さ…移住政策何度もやってるので漢中でも希望者のみなんて話では無くてガチでやったとは思う -- 2026-02-01 (日) 18:31:26
      • 移住政策は敵もだが自軍も策源地が難しくなって遠征には不利になると思うけど、赤壁以降の曹操はもう心折られて統一を諦めちゃったのかね。 -- 2026-02-02 (月) 00:21:15
      • 失敗後も濡須口に大規模出兵にしてるしそんなことはないっしよ -- 2026-02-02 (月) 21:53:56
      • ただでさえ山奥(超弩級)なのに劉焉が鎖国政策しちゃった所為で北の戦乱を避けた知識人層がほとんど流れてこなかったのが致命的。揚荊州みたくなってたらまた違ってたかも。 -- 2026-02-04 (水) 23:27:22
  • 范彊張達の何のシーンか一目でわかる顔グラ好き。しかし「あかん燃えてる…」って顔してる糜芳に対して傅士仁は何やってるんだ -- 2026-01-31 (土) 14:40:55
    • 「どう言い訳しようか…」って感じでは -- 2026-01-31 (土) 22:35:34
    • 虞翻の説得を受けて「どうしよっかな~」ってなってる顔かもしれん -- 2026-02-01 (日) 08:34:47
  • 馬超対閻行って長いこと一騎打ちだと思ってたけど、維基文庫で三国志張既伝注引魏略の原文見たら【行嘗刺超,矛折,因以折矛撾超項,幾殺之。】としか書かれてなくてこれ普通に乱戦や奇襲の最中での出来事な可能性ありそう。一応直前に建安の初めに韓約(韓遂)と馬騰が開戦した事とか、馬騰の子馬超もまた(閻行と同じく)強いと知られていたみたいな文はあるけど馬超対閻行の状況説明とはほぼ関係ないし。断定するには情報が少なすぎる感。 -- 2026-02-06 (金) 16:43:18
    • むしろ一騎打ちみたいなレアな事起きてたら太史慈みたいに特筆されてるんじゃないかな。普通に小集団同士で交戦したんじゃろ。 -- 2026-02-10 (火) 18:46:17
    • 龐徳が郭援を手づから討ち取ったように涼州人は乱戦中に目立つ将に突っ込む習性があったのかも知れない -- 2026-02-11 (水) 16:04:14
  • 「劉備に助けられた後徐州を受け取るようにアドバイスする」「曹操に諫言(とういう名の逆張り)して処刑される」「孔子の子孫で名声だけはある」こんだけ劉備age曹操sageに使えそうなのにほとんど演義で美化されない孔融って逆にすごくね -- 2026-02-11 (水) 17:32:48
    • むしろかなり美化されてアレなのかもしれん⋯ -- 2026-02-12 (木) 01:04:24
    • 孔融は史実の時点でも評価自体は高いし、曹丕や嵆康から高く評価されて、蘇軾の孔北海賛でも孔融を褒めて曹操をこき下ろしてる -- 2026-02-20 (金) 10:46:59
  • 楽進来てくれるのは嬉しいけど何で曹操軍から登用できるんだろ曹操へ親愛あってもおかしくないだろうに。徐晃と張郃は鞍替え組、于禁は…まあ于禁だしで納得いくけど -- 2026-02-13 (金) 19:06:16
    • 楽進は古参ではあるけど曹操とのエピソードが薄すぎるんで親愛は無理じゃない…?曹操への親愛なら于禁の方がまだ要素あると思う -- 2026-02-16 (月) 23:57:24
  • 天舞スピリッツだと東は高句麗、そこに伊夷摸がいて、西は敦煌、南は日南まであったがコーエーには都市追加とか無いよね。毌丘倹、王頎がハバロフスクまで行ったみたいだし日南は区連がチャンパ国興したしで都市も武将も増やせそうなもんだがゲーム的には隅っこ増えても罰ゲームにしかならんのかな…。 -- 2026-02-19 (木) 05:10:54
    • 旧作みたいに隣接都市間をノータイムで動けるならまだ良いけど、14みたいに行軍ありのシステムだとちょっと勘弁して欲しいと思ってしまう -- 2026-02-20 (金) 21:44:14
    • 敦煌、シルクロードのロマンがあるけど、『三國志』シリーズで実装されたことはほとんど無くて残念。魏が実効支配するまで、交易の利益を在地豪族が得ていたというから、韓遂・馬騰の強さの源泉の一部だったのだろう。 -- 2026-03-10 (火) 12:31:12
      • 渤海・海南とか水回りに手が入ったら公孫度孔融/士燮蜀呉でもうちょっと遊べるかもしれないですし、并州~今の鮮卑アタリに手が加わってくれると城取りゲーとしてもうちとロマンを感じます -- 2026-03-10 (火) 12:55:05
  • 無双だとよくあるけど孫堅孫策生存ifシナリオってあんまないよな。君主が孫権から変わるだけであんま変わり映えしそうにないからなんかね -- 2026-02-20 (金) 19:08:55
    • 8リメで孫堅中央に配置されたから、別の展開IFもやれそうと言うかやってほしいわな。孫堅生存天子奉戴√とか。 -- 2026-02-21 (土) 05:17:36
    • やるとしたら孫堅が劉表を新家に追いやる→それに乗じて袁術派閥(公孫瓚陶謙)が活性化して曹操袁紹が追い詰められるみたいなifシナリオになりそう。しかし華のないメンツだ -- 2026-02-21 (土) 15:34:47
    • 孫堅君主で呉がオールスター状態で三国鼎立してるifとかほしいよなー -- 2026-02-27 (金) 11:21:42
  • 三國志正史によく出てくる「兵を借りた」「兵を奪われた」連合軍内で貸し借りならともかく、謀略で指揮権を奪われたりしても、兵士はすんなり命令を聞くのか? -- 2026-03-05 (木) 05:43:04
    • そりゃあの手この手のアメとムチで聞かすんだよ。逆に普通に集められた兵だってすんなり命令聞かないし隙あらば直ぐ逃げると孫子にも書かれてる。 -- 2026-03-08 (日) 16:57:08
    • この時代兵の命なんて相応に軽そうだし、命令に従わなかったら殺されると思えば表向きだけは従うんじゃね?ただマトモに仕事させようとしたら指揮権っていう形だけじゃなくて待遇なりの実利でもって従わせる必要はあるんだろうな。 -- 2026-03-09 (月) 01:42:01
    • 社長や部長が変わっても平社員は普通に働くのとおんなじじゃないの。特に漢の官吏は中央の指示で地縁のない奴を派遣することになってたってどこかで読んだ気がするから、全然知らん上司が突然やってくるなんて普通だったんじゃない? -- 2026-03-09 (月) 22:56:26
    • 一方で、修允の部曲の督だった郭馬が、脩允の死後に他の武将達に部曲が分割されるのを嫌がって大反乱を起こしてるから、ケースバイケースだろう。上が変わっても自分の地位や命が保障されると信じられるのならそのままついて行くし、そうじゃないならそっぽを向いて最悪反乱する。それだけのことだろう -- 2026-03-10 (火) 10:35:37
    • ぶっちゃけ下っ端の兵は指揮官が誰か知ってるかどうかすら怪しいし、そもそもほとんどは実際に戦う前にとっとと逃げ出すだろうし… -- 2026-03-12 (木) 22:58:00
      • 歩戦令だったか、隊伍の中で進まない兵あれば伍長がこれを斬れ。伍長の中で進まない者あれば什長がこれを斬れ。什長の中で進まない者あれば都伯がこれを斬れ。みたいな記述を見たことがある。あとは諸葛亮の軍令でも似たような記述あるみたいだね。 -- 2026-03-13 (金) 23:50:11
      • 逃亡兵を処分する役割の部隊、いわゆる督戦隊はローマやギリシャにもいたけどそういった部隊を作ったり軍令にも逃亡兵を処罰せよとわざわざ記述するということは……ですね -- 2026-03-14 (土) 00:37:02
  • 魏延と黄忠に親愛設定がないのが残念。義兄弟にすればいいんだけどこの2人はデフォであってもいい気がするんよなあ -- 2026-03-11 (水) 14:46:03
    • 編集でつけたらいいだけ -- 2026-03-11 (水) 17:00:31
    • 正史は言うに及ばず演義でもこの二人に義兄弟的な記述も無ければ要素も無いだろ。オリ設定したければ上で言われてるように編集でどうぞな話。 -- 2026-03-14 (土) 09:09:53
    • 黄忠処刑の時に魏延がブチギレて韓玄斬ったから魏延の方だけ親愛付けていい。 -- 2026-03-14 (土) 19:23:39
      • むしろ黄忠からは征蜀戦で「奴は軍紀を乱したので処刑すべきです」と言われる始末… -- 2026-03-14 (土) 23:20:40
      • 魏延が黄忠に親愛感情抱いていたというより同輩が処刑されるとかやってられるかで反乱起こした印象。 -- 2026-03-15 (日) 23:38:36
  • 綿竹関の守将のうち、諸葛瞻 諸葛尚 黄崇 張遵はわかるが、李球は9しか出てないような。新武将で作成し、おじの李恢と親愛にする方法もあるが、親族にはならないからね。史書にも名前を留めたのだから復活すべき。 -- 2026-03-13 (金) 02:52:12
  • 鮮于輔、閻柔とか魏でも高位に昇ったのに立伝されていないのは子孫が何かやらかしたのかな -- 2026-03-13 (金) 22:33:38
    • その辺の異民族関係の人は魏が異民族も心服させてますよアピールで高位に就けた政治的事情が大きいであろう人達だろうから、実際の事績とか記述に残る事はそこまででも無くて立伝されてないんじゃないかな。 -- 2026-03-14 (土) 09:13:20
    • 特に地方官は、特筆すべき実績が無いと立伝までは行かない感じ。刺史クラスでも立伝されていない人物はたくさんいる。また、「西晋の成立前に死んだが実質晋臣」の人物は、陳寿は腫れ物扱いで立伝を避け、『晋書』でも「立伝は原則として西晋成立まで生きた人(例外は司馬懿・司馬師・司馬昭と竹林の七賢など)」になったので、エアポケット的に選から漏れていると思しき人物がいる。 -- 2026-03-14 (土) 19:58:42
      • 三国前のエアポケット人材に対してはかなり配慮している。 -- 2026-08-01 (土) 13:32:14
  • 曹操の袁紹軍の捕虜八万生き埋めってそんな大量の人数殺せるのかとも思うけど、裴松之が諸書が皆、七、八万を殺したと云うと言うように後漢書や資治通鑑でも普通に受け入れられてるんだよな。なんならこれで曹操の兵が少ないという記述の否定までしてる。普通にあり得るってことなのかな -- 2026-03-17 (火) 23:28:25
    • 一箇所に集めて一斉に殺した訳じゃないでしょ⋯ -- 2026-03-18 (水) 00:19:10
    • 数字の誇張は前提としても、万単位の虐殺は割とよく出て来る。白起は極端な例にしても、前趙の石勒は割とカジュアルに万単位を生き埋めにして殺している。 -- 2026-03-18 (水) 02:14:55
    • 捕虜にも食住は与えなきゃならんし監視も必要になる。残酷だけど、余裕が無い中では捕虜は処刑って合理的な判断ではあるのよ。関羽なんかは大量の捕虜抱えたのが敗因の一つだし。 -- 2026-03-19 (木) 06:19:34
      • 捕虜同士で腕の骨でも折らせ合って(指揮官クラスに部下の骨折らせると遺恨も残ってgood)身ぐるみ剥いで樊城に返却するのが良かったよな -- 2026-03-19 (木) 10:42:51
      • 項羽も降伏してきた敵兵に不穏な気配があると感じたら始末してるしな。降伏するって事は殺されても仕方ないんだが。 -- 2026-03-19 (木) 23:00:35
      • 官渡時の袁紹軍の被害は第二次世界大戦の日本を越えるレベルの割合の戦死者だけど、それで反乱を鎮圧し、曹操の侵攻を防ぐって河北の豊かさ凄いな -- 2026-03-20 (金) 05:07:22
  • 司馬懿の孟達討伐や秀吉の中国大返し、その他カエサルやアレクサンドロスなどの有名な行軍を調べてみたらどれもだいたい「1日30~50kmを10日前後維持」でほぼ共通してて面白かった。モンゴル軍は軽装な上に替えの馬を用意してたのでどっちももう少し伸びるけど、これくらいが物理的な限界なんだろうか -- 2026-04-01 (水) 13:14:33
    • 10日間も行軍するなら通常の手持ちの食料だけだと足りないから、どこでも補給できる自領内でもなければ、その分の食料を背負うか、輜重ありで行軍するしかない。その場合、どんなに鍛え上げてても、1日40kmくらいが限界だろうと思う。騎兵のみの行軍で食料は現地調達(略奪)するんなら、替え馬無しでも70kmくらいは進めるんじゃないかな。 -- 2026-04-01 (水) 17:26:45
      • そうだね。あと個人的に感じたのが兵士のモチベ維持で、モンゴル軍は掠奪、アレクサンドロスは本人が先陣、秀吉はこまめな褒美としたら上でも話題になってるけどすぐ逃散しがちな古代中国の兵をまとめての行軍ってすごいなと。諸葛亮や鄧艾しかり -- 2026-04-01 (水) 18:08:00
      • そこについては陳腐な返しかもしれないけど、如何にして兵に信賞必罰を貫く指揮官だと認められるかという点と、彼らを納得させられるだけの大義名分を示せるのかに懸ってると思う。防衛戦は比較的容易に士気を維持できると思うけど、侵攻戦だとその2点が曖昧なままでは、ちょっとした切っ掛けで逃散しかねない。諸葛亮や鄧艾はそうしたところをしっかりと押さえてたんだろうな。 -- 2026-04-02 (木) 00:40:21
      • 蒼天航路は「おいらについてくりゃ食えるぞ~」や「どうやって兵を食わすのだ」的な、兵を動かすのは法とか義とか儒とかじゃない部分が描かれていて好きなんだけど実態もああいう感じだったんじゃないかなと個人的には思ってる -- 2026-04-02 (木) 02:07:50
      • モンゴルは商人との結びつきが強かったから、事前に現地で手配してたみたい(でなきゃあんな大遠征無理やろ・・・)。恐らく他の神速伝説も、極力輜重隊は同行させないって工夫と入念な下準備あっての物だったんだろう。 -- 2026-04-02 (木) 15:01:51
      • 通常の水準を大きく超える速度の行軍をした場合、食糧については現地での略奪はしていなかったんじゃないかなと個人的には感じます。略奪をするのにも労力が居るし必要な量を確保するには時間もかかるでしょう。強行軍をする場合兵を休ませる時間は絶対に必要なので、その辺で必要以上の労力を課させるかなというのが疑問です。上のレスのように事前の現地手配が常だったんじゃないでしょうか。(秀吉の中国大返しもそうですし) -- 2026-04-04 (土) 01:48:35
      • 秀吉や司馬懿の場合は自領内の移動なので略奪はしないだろうけど、敵地の場合は兵士にとって給料の補填、ボーナスみたいなものだったことは記録に残ってるからね…特にヨーロッパや中央アジア。むしろ財貨や奴隷の獲得それ自体が戦争の目的だったり。 -- 2026-04-04 (土) 02:28:10
      • 上杉謙信も農閑期に峠を越えて関東に略奪ツアーに来ていたことで有名だよね。すでに戦いが終わって略奪ができなかった兵たちが不満を訴えたので彼らを満足させるために敵の城を攻めて虐殺した -- 2026-04-04 (土) 16:23:26
      • ここは三國志のwikiだから深く突っ込まないけど、まだ↑みたいな古臭い知識を語ってる奴いるんだな。 -- 2026-04-07 (火) 01:11:21
      • 一週間スルー -- 2026-04-14 (火) 02:05:33
      • 五丈原の諸葛亮と司馬懿のような…w -- 2026-04-29 (水) 11:11:31
    • モンゴル、というか中央アジアの騎馬民族はもう移動することが日常生活の一部だからまた意味が違うかもしれないが凄いよね。周辺国は災難でしかない… -- 2026-04-02 (木) 21:52:57
  • 遼東公孫氏って帯方と楽浪と玄菟まで勢力広げてて地図で見ると思ったよりデカイな。ゲームだとそれらの郡は省かれて襄平1都市しかないけど。建安中,公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡,遣公孫模、張敞等收集遺民,興兵伐韓濊,舊民稍出,是後倭韓遂屬帶方。(三国志韓伝)韓や濊貊と戦って倭と韓は帯方に属したとあるけど、ひょっとしたら朝鮮の大半を支配してるのかこれ? -- 2026-05-02 (土) 16:16:59
    • 朝鮮半島で直接支配していたのは遼東郡・玄菟郡・楽浪郡・帯方郡で、遼東郡・玄菟郡の南半分と楽浪郡・帯方郡は今の地図でいうと北朝鮮の西半分。他は在地勢力を朝貢させていたというところだろう。楽浪郡の郡治は朝鮮県にあり、現在の平壌市街地から大同江を挟んだ対岸に遺跡がある。 -- 2026-05-03 (日) 23:32:34
      • 楽浪郡・帯方郡は実装してほしいが、ゲーム的には遼東公孫氏のために2ヶ国作りたくないという考えなのかしら。 -- 2026-05-03 (日) 23:37:26
      • まあ、無いでしょ・・・そこ作りこむ前にほかにすることがあるでしょ・・・ -- 2026-05-04 (月) 00:19:09
      • そのエリアまでやるのはもう三國志を逸脱するって話でしょう。 -- 2026-05-04 (月) 18:42:01
      • 遼東勢力(遼東公孫氏)は晋臣である陳寿の曲筆によるサゲが入っていて、実際の遼東勢力は皇帝を名乗る前の呉みたいな存在だったんじゃないか?(事実上独立国家だった)という説もある。つまり、公孫淵が反乱を起こしていたんじゃなくて、袁尚が滅んだときに形だけ頭を下げただけで、現実には公孫度からずっと後漢→魏の支配を拒否していたけど遠方だし本土の反乱勢力の対策が先だしという理由で生き残れていた、という解釈(袁尚が滅んだときも曹操軍が遼東まで兵を進めていたらすぐに引き返せないので、劉備に煽られた劉表や孫権も流石に背後から動くだろう)。 -- 2026-05-06 (水) 08:50:39
      • 在野が0の南海みたいなのもあるし作ること自体はできるだろうとは思う -- 2026-05-06 (水) 13:52:34
      • ↑司馬氏に配慮して筆を曲げたと主張するなら公孫氏についてはサゲるよりむしろ話を盛ったとする方が自然なのでは?強大な敵を鎧袖一触した偉大なる司馬宣王って事にした方が意に沿いそうだが。安易に曲筆って言葉を使うのはあまり良くないと思うんだ。 -- 2026-05-06 (水) 14:11:45
      • 晋書ならともかく、陳寿はほとんどそういうことをしてないよ(だからこそ二十四史の中でも比較的信頼度が高いとみなされてる)。領域は広いけど当時の気候とか人口考えたら生産力はそこまで大きくなかったんじゃないかね。遠いから見逃されてた面はあると思う -- 2026-05-06 (水) 16:14:03
      • 話が逸れるけど、現在までの晋書に対する批判は史書の編纂を専門としない様な連中が多数関与したせいで信憑性に欠ける記述が非常に多いというのが主で、そもそも史書としての質が低い事が問題視されてて、曲筆についてはそこまで言われてない。逆に三国志は史記や漢書、後漢書といった三史に次ぐ高い評価を受けてるけど(三国志も含めて四史と呼ばれることもある)、古来から陳寿の曲筆に対する疑惑は絶えずあって、実際に第四次北伐や曹髦殺害については直筆してないから、陳寿が政権中枢に配慮して書けない事柄があったの事実なんだよね。遼東公孫氏について曲筆してたとは自分も思わないけどね。 -- 2026-05-06 (水) 21:51:48
      • 記述自体を避けるのと誇張や捏造を書くのとは別の話じゃないかね。陳寿は記述を避けることはあっても事実を曲げることはしてない -- 2026-05-07 (木) 13:37:20
      • 現皇帝の父親が前王朝の皇帝を事実上ぶっ殺しましたなんて記述できる訳が無いからな。そんなん出来るのは自殺願望のある破綻者だけ。高貴郷公の件は明らかに察せられるように書いてるのだから可能な限り誠実にやったと言えるのではと思う。 -- 2026-05-08 (金) 00:17:29
      • 「事実を曲げることはしていない」と言ってもなぜそれがわかるのか、となるんだよなあ。現存する最古の「陳寿の三国志」は原本が書かれた1000年後の南宋時代の写本なのでその間に散逸・曲げられている可能性もあるわけでさ。 -- 2026-05-08 (金) 16:34:51
      • 裴松之が別の同時代資料を挙げて否定している箇所もあるので陳寿とその著作だけを真実とするのもおかしいんだけど、その同時代資料が現存していないのがね。 -- 2026-05-08 (金) 18:48:40
      • 事実を曲げたってのは悪意的に捏造したって言ってるようなものだからな。明確な根拠なしにはそういう言い方をすべきでは無いと思う。 -- 2026-05-09 (土) 05:47:09
      • 別に悪意だけがモチベーションではないと思うよ。同郷・蜀人士への配慮は彼らのコミュニティ内では善意とも言えるし、父・師匠に関連した人物への高評価も当時の価値観では当然の礼儀なんだろうし。 -- 2026-05-09 (土) 11:04:40
      • そもそも地方の勢力が実質独立国家って当たり前のことでしょ。袁術みたいに新王朝建ててたのに、その事実を歴史の闇に葬られたのなら曲げたと言えるが、逆に皇帝になる前の孫権くらいやってても官職もらってれば事実上独立してたとは言えない。 -- 2026-05-09 (土) 17:52:42
      • ↑陳寿の曲筆言われる主な奴って諸葛亮の評価や丁氏へのゆすりだと思うんですが、前者は怨恨だし後者も悪意的なものでしょう。まぁ過大評価も事実を曲げたという事に含まれますが、話の主題の陳寿の三國志への評については主に蜀人の評価面で話を盛った的な意味での曲筆論って話は特には聞かないですね。 -- 2026-05-10 (日) 02:16:57
      • 諸葛亮の評価や丁氏の件にしても王志堅が正論って言ったり族滅されたんだから丁氏残ってないとか言われてるしな -- 2026-05-10 (日) 09:55:20
      • 先般に「サゲ」と書いてしまって議論が想定外の方向に向かっているので拙かったな、と思っているのですが、陳寿が書けなかったのは公孫氏(公孫度~公孫淵)が対外的に王なり皇帝なりを称して倭などの東方勢力から朝貢を受け取っていた事実が魏や晋にとって不都合すぎたからその事実を消すための曲筆があった(それを「サゲ」と表現したのでご迷惑をかけた)という説があるという話ですね。 -- 2026-05-10 (日) 19:31:57
      • 孫権は諱で書いてるのに、劉備は先主と諱を避けてるから、蜀漢に対しては思い入れはあったんだろうが、司馬炎や晋の高官達に読まれる前提で書いた代物だから、陳寿が話を盛ってるとは考え難い。五虎将あたりの記述のを見ても、話を盛ったにしては簡素過ぎる。ただ読む可能性があった人達の事を考えると、魏晋の記述には配慮せざるを得ない面があっただろうなとは思う。司馬家の暗部を書けなかった事以外だと、賈充の親父さんなんかは盛られてる可能性を指摘する意見をちょくちょく見かけるな。 -- 2026-05-10 (日) 20:55:36
      • 賈逵についてだって陳寿が盛ったのではなく、陳寿が三國志を書く為の資料を探した時にはもうああいう記述や評価になっていたって可能性だってあるから、陳寿が記述を盛ったというのも晋朝の重臣に媚びたんだろうという逆算のこじつけの域を出ないよなと思う。 -- 2026-05-12 (火) 02:11:29
      • テーマや話の流れからズレるんだけど、陳寿の「武帝紀、先主伝、呉主伝」というタイトルや「太祖、先主、権」っていう呼び方は書かれた当時も同じなんだろうか? -- 2026-05-22 (金) 01:18:47
      • 陳寿の付けた総タイトルは『三國志』では無く『國志』では無かったかという話がある(裴松之も「陳壽國志」と述べている)。現存するテキストはほとんどが南宋以降のもので、新疆ウイグル自治区トルファン(三国時代の高昌)で発掘された「呉主伝」の断片が西晋代の写本の唯一の現存だという。 -- 2026-05-30 (土) 04:14:44
      • ↑×3陳寿の編纂時点で生きている人はなるべく記事にせず、やむを得ず触れざるを得ない時も極力客観的事実(親の爵位を継いだとか○○に昇進したとか)のみを記述している。誰の虎の尾を踏むか分かったものでは無いから、無難な方法だとは思う。後から誰かが注釈を付けてくれることを期待したようにも見える。 -- 2026-05-30 (土) 04:24:46
  • 子供はよく分からんところからポンポン出てくるのになぜ関羽の嫁さんは実装されるのか。兄貴と弟はおるというのに -- 2026-05-04 (月) 12:33:32
  • 寧手持練,身緣城,爲吏士先,卒破獲朱光。(甘寧伝)吏士の先と為りってあるけど、兵士だけじゃなく官吏も武装して斬り込むこともあったのかな?少為郡吏,與黃巾賊帥吳桓戰,手斬得桓。(孫峻伝注呉書留賛の記述)留賛なんか郡の吏でありながら自ら黄巾賊の指揮官斬ってるし。 -- 2026-05-13 (水) 19:46:57
    • 職務上武芸の心得が必要な官職も珍しくないし、それ以上に時代的に文官だろうが武芸の心得ないと話にならなかったということじゃないかね。漢朝が本格的にオワコンになる前から大小の反乱やら賊やらはすでに多発してたし -- 2026-05-13 (水) 19:52:14
    • その前文に為升城督とあるし、斬り込み隊の長のような立場に命じられたら率先して斬り込みをしなきゃならないだろう。だからあるかないかでいえば立場や状況によっては十分あり得たと思われる。 -- 2026-05-14 (木) 00:44:19
  • 呉主伝に二十二年春,權令都尉徐詳詣曹公請降,公報使修好,誓重結婚ってあるけどこれは曹操に降服して、婚姻同盟を結んだってことなの?ここから樊城の戦いまでまだ2年半程あるけど孫劉同盟の破綻にはなってないのはどういうことなんだろう。この降服と結婚はあくまでも儀礼や建前レベルの話で、実際には仲良くしましょう!と言いながら相手の手を握り潰す勢いで握手してる的な外交状況だから劉備も目を瞑ってるのか。 -- 2026-05-19 (火) 20:32:11
    • 結局通婚してないし魏も二十六軍を駐屯させたままですし -- 2026-05-19 (火) 23:13:26
    • 通婚してたら流石に問題になったでしょうが、やってないですからね。降伏の話が劉備に流れたとしても一時的な方便だという事で言い訳は立ちそうです。宜都役以後に呉蜀同盟が復活した後も数年程呉が魏と修好してましたが、その時も張温を使者に立ててやり過ごしてますから、あるいはこの時もそのようにしたのかも知れません。 -- 2026-05-20 (水) 01:56:31
    • 呉はずっと全方面にそんな感じだからな。仲良くしましょうと笑顔で優しく手を握りながら、隙を見せた瞬間後ろから殴りかかってくる。イチイチ咎めても関係悪くなるだけだし諦めるしかない。 -- 2026-05-20 (水) 15:09:45
    • その頃は孫劉同盟の破綻というか、無効状態にはなっていた時期なんじゃないの。この呉が魏に降る下りはのは合肥戦を受けてのことだろうし、その後蜀と呉は荊州で揉めてたでしょう。漢中の戦いの間、停戦はしてた程度の関係かと。 -- 2026-05-22 (金) 08:25:24
      • 劉備が孫権に二郡を割譲するにあたり、權令諸葛瑾報、更尋盟好とあるので、少なくとも関羽が大々的に北上するくらいには同盟関係を維持しているという体だったでしょうね。 -- 2026-05-22 (金) 19:35:14
      • 呂蒙伝でも「劉備請盟、權乃歸普等、割湘水、以零陵還之。」とあるので、呉の三郡奪取により交戦状態になったのち、二郡割譲と零陵返還をもって改めて盟約を結んだと考えるのが妥当だと思います。 -- 2026-05-23 (土) 02:31:09
      • 建安22年は魏と蜀が漢中で争ってる最中だから蜀は動けない。蜀は呉に使者を送るくらいしか出来ないんじゃないかな。呉はトップが呂蒙に変わって荊州狙ってる時期。呉視点ではこの時期魏と結ぶのは理にかなってると思う。 -- 2026-05-28 (木) 20:36:33
      • ①関羽の犬の子に娘をやれるか 事件と②上記の呉の魏への降伏と修好で蜀と呉の関係は冷えていたと私は考えるのだけれど、時系列的には①と②はどっちが先だったのだろうか。②-①の順なら関羽の反応もわかるし、孫権の面の皮の厚さなら魏に降った後でも平気で関羽と婚姻結びそうな気もする。でも①があったから②で魏と修好を結ぶ流れもありそうな気がするし。。。 -- 2026-06-11 (木) 23:10:23
      • 劉備が言ったならともかく関羽の発言程度で孫権が国としての方針転換するとは思えないけどね。逆に関羽が遜った態度取ってたとしてもそれで孫権が荊州に手を出さなかったとも思えない。この説取る人って孫権を一個人への気分だけで国家方針を決める物凄い短慮な人扱いしてると思うんだよね。 -- 2026-06-12 (金) 02:47:21
      • 関羽の発言で孫権が方針を決めたとは思わないけと、あのタイミングで荊州侵攻をして蜀漢との関係破綻を招いた事は短慮ではあることには違いない。演義と違って正史での夷陵の戦いは一歩違えば負けてる様な戦況だったし、曹丕がもう少し果断な人物だったら、夷陵の戦いの最中に魏からの侵攻されて詰んでた。 -- 2026-06-12 (金) 19:53:16
      • 外交の結果が戦略に影響しないってことはないでしょう。関羽伝に孫権が攻めてきた理由として「先是、權遣使、爲子索羽女。羽、罵辱其使、不許婚。權大怒。」と書いてるので、当時はこれが理由と考えられてたのは間違いない。また関羽が違う態度を取っていた場合どうなったかは仮定の要素が強くなんとも言えないが、孫権は呂蒙に徐州攻めの是非を尋ねたりしているので、当時方針転換するにあたって迷いもあったはずだ。ただ私が言いたいのは、孫権や関羽の態度は、蜀と呉が友好状態にある前提に置くから奇妙に見えるだけで、友好状態にないと考えれば双方理解の範疇に収まるので、そう考えたほうが自然ではないか?と言う事。 -- 2026-06-12 (金) 22:49:29
      • 荊州も何なら益州も天下二分で孫劉同盟の前から狙ってるでしょ。川でも上流に居る方が圧倒的に有利なんだから、長江全域確保は呉の悲願。親の仇だからってだけで劉表を攻めてた訳じゃない。 -- 2026-06-13 (土) 01:32:04
      • 関羽との通婚を求めたのは、荊州侵攻の口実やポーズを作るために過ぎないだろう。本気で通婚を求めていたのなら、まずは劉備や諸葛亮に話を持ちかけなければいけない。それをせずにいきなり関羽に縁談の話を持ち込むのは、関羽に劉備からの離反を唆しているに等しく、忠烈という言葉通りの人である関羽にそんなことをすれば、怒りを買って峻拒される事くらいは予測できていただろう(孫権はその程度すら予測できない愚か者だと思ってるなら話は別だが)。蜀と呉の友好関係については、どの程度を想定してるかだろうな。少なくとも互いに腹の中では不愉快に思っていただろうが、二郡割譲後に改めて盟約を確認し合っているのだから、表向きは同盟関係にあった事は疑いない。その事は関羽が北上した事実や、北上前に呂蒙や陸遜らと通信している内容からも見て取れる。 -- 2026-06-13 (土) 03:15:46
      • 劉備や諸葛亮は益州にいるんだから最初に関羽に話すのは仕方ない -- 2026-06-13 (土) 04:56:02
      • そう仕方ない。そして関羽が怒るのも仕方ない。婚姻というが、ようは人質寄越せって事だからな。孫権の方は妹連れ戻してるのに。 -- 2026-06-13 (土) 05:49:14
      • 友好関係にない説を唱えてるものだけど。>関羽が怒るのは仕方がない。 というのはその時点で友好関係なしなら怒った態度を見せるのは当然であり、友好関係ありなら双方が不義理と短慮を起こしたことになる。また、関羽が北上を決めたのは呂蒙が病になって陸遜がへりくだった態度を見せたから。これも友好関係ありなら要らない。友好関係なしだからそう見せる必要があった。と考えるのが自然じゃないか? -- 2026-06-13 (土) 07:35:40
      • さらに。糜芳が援軍を渋ったのは呉が攻めてくるのを恐れたからで、関羽は陸遜にその気概なしと判断したから援軍を強要した。でも実際に攻めてきたから降伏せざるを得なくなった。と考えると宿老とも言うべき糜芳の裏切りも合理性というか同情の余地がでてくる。友好関係ありだとただの怠慢になっちゃうけどね。 -- 2026-06-13 (土) 07:40:54
      • 関羽に通婚を求めたのが荊州侵攻の口実作りであるならば、関羽が使者を罵倒してそれは成功しているわけなので孫権が大いに怒るのはおかしい。また、無理難題をふっかけたとするのは、関羽を油断させようと必死に友好を装おうとした方針と合わない。少なくとも呉側はこの縁談を劉備の家臣と勢力のトップとの遜った通婚と考えていたんだろう。季漢輔臣賛でも関羽は礼が無かったと書かれているので関羽の態度にも問題があったと考える方が自然。 -- 2026-06-13 (土) 07:53:43
      • >蜀と呉の友好関係については、⋯少なくとも互いに腹の中では不愉快に思っていただろうが⋯表向きは同盟関係にあった事は疑いない。←ここは同意。ただ当時は双方とも同盟関係を改善する気がなく、冷めきっていたと考えてる。もし関羽が同盟を盾に北上する気だった孫権を怒らせて口実を与えたのは失敗だね。ではなく呉の司令官交代の隙をついて北上したと考えたほうが関羽の行動に一貫性が出ないかい?(冷めてたのは関羽というか他の蜀の人間含む。蜀が呉と修好を望んでたなら関羽の行動を問題視してないのはおかしい。) -- 2026-06-13 (土) 08:23:25
      • >関羽に通婚を求めたのが荊州侵攻の口実作りであるならば、関羽が使者を罵倒してそれは成功しているわけなので孫権が大いに怒るのはおかしい。←ここは口実作りのためなら怒るまでがセットでしょ。本気でも関羽が礼を失してるので怒るのは当然では。つまり呉は蜀と仲良くなる気があったとしてもなかったとしても、当然の対応をしてる。蜀は仲良くする気があったとしたら礼を失してるが、その気がないなら当然の対応をしてる。ので蜀はその気がなかったのではラと考えてる。関羽の失敗はただ一つ。北上中陸遜はせめてこないもしくは攻めてきてもどうとでもなると思ったこと。 -- 2026-06-13 (土) 08:34:20
      • 縁談が樊城の戦いの少し前位なら関羽と友誼を結ぶ政策の一環として行われたわけで関羽の反応は非礼だし、もっと前なら北伐したいのに孫権を怒らせて公安と南郡に多くの将兵を留めるはめになってるんだから失敗でしょ -- 2026-06-13 (土) 09:02:38
      • そもそも友好の為に関羽と婚姻の話を持ってくるのが非常識で非礼だとおもうけど。関羽は群雄ではなく劉備の部下として荊州を預かっている身に過ぎないのだから、本気でこの話を通したいと思ってるなら主君の劉備に話を持っていかなければならない。距離が近いとか遠いとかは関係無い。 -- 2026-06-13 (土) 11:40:59
      • 趙雲と趙範の件でも劉備に話を通したりしてないし趙雲に結婚を勧める人もいたんだから関羽に縁談を持ち掛けたら即非常識とはならないんじゃないかな -- 2026-06-13 (土) 13:33:11
      • 関羽と孫権、趙雲と趙範じゃあ話が全く違うだろう。 -- 2026-06-13 (土) 15:33:43
      • 当時は敵同士でも士大夫が交流することもあったし、関羽が社氏を求めた時も劉備は何も言ってないので、基本的には部下の結婚という私事まで統制しているようには見えない。建前上は関羽も孫権も漢の臣で同盟しているのだから、軽々しく受けられるような話ではなかったと思うが、孫権から婚姻の使者が来ること自体は問題ではないと思う。 -- 2026-06-13 (土) 16:57:07
      • 社氏なんてなんの影響力もないしどうでもいいだろうからな。 -- 2026-06-13 (土) 17:36:51
      • 敵方の女との結婚はノータッチなのに同盟相手から縁談を持ち込んだだけでアウトとはならんでしょ -- 2026-06-13 (土) 22:42:43
      • 孫権との縁談が劉備に対する親愛の情から来たものではない事は同意。恐らく離間策だろうね。ただ時期はお題の建安22年の呉の魏への降伏と修好時期かそれより前だと思ってる。これより遅く、孫権が西進、関羽が北上を具体的に考えてる時期だとすると、関羽の対応はあまりに軽率だし、逆に関羽が礼を失さず道理を持って対応すると孫権は攻めづらくなってしまう。双方が将来ぶつかるだろうと想定してるから、孫権は将来の布石として離間をかけ、関羽は遠慮なく罵倒したのだ。これが、この木のお題の建安22年頃は両国の関係は冷めていたと考える理由です。なお、この離間策は趙雲と趙範よりいいお手本があって、孫賁と曹操だ。孫策存命時、孫賁の娘は曹操の息子に嫁いでいる。この縁談時、孫賁は曹家と孫家が戦うとは想像できなかったのだろう、後日去就に悩むところを朱治に説得されている。孫権はこれを参考にしたのではないか。これが成功するには、①当人の忠誠に問題がある②娘を他家に出しても問題ないくらい両家の関係が良好であるのどちらかが必要だろう。関羽に①が当てはまるとは思い辛いので、②の両家の関係が比較的良好に見える時期を狙ったと思われ、それは三郡割譲後から呉の魏への降伏くらいまでと思われる。また、当時の価値観から言ってこの縁談が成功しても呉が荊州攻めたら関羽は戦うだろう。効くとしたら蜀が呉を攻めるのを抑制する効果である。もちろん両家の関係が良好なら、両家の架け橋としてちゃんと機能する。この面からもこの縁談話(離間策)は結構早い時期に行われたと考えている。 -- 2026-06-13 (土) 23:04:05
      • 既に寡婦になっていた社氏と結婚望むのは関羽の私事だけど、立場上は劉備と同等の相手の孫権の子同士との婚姻は私事では済まないだろう。形としても娘を出す事になるのだから人質を出すに近しい形になる。 -- 2026-06-13 (土) 23:11:27
      • 趙範と趙雲の例を挙げてる人もいるがこちらも趙範が劉備に降伏した後の話で劉備の部下同士の関係性の話になるから私事の範囲。 -- 2026-06-13 (土) 23:14:11
      • 縁談が無礼かって事は置いといて、関羽の心情考えたら明らかに煽りなのは確実だろう。益州組は好調なのに自分は任された領土奪われ、挽回の機も無いまま劉備が尻ぬぐいする形で同盟。そこに縁談だから。策なら断られて孫権が怒るのおかしいという意見もあったが、策だからこそ怒ってみせないといけないし(そこまでがセット)、人間だから自分の事は置いといて相手の態度にブチギレるって事も普通に有る。 -- 2026-06-14 (日) 19:10:22
  • 三国志袁紹伝の終盤を見てると鄴ってめっちゃ大きくて難攻不落なんだな。最初は黎陽で勝った後に近辺まで攻め込むけど麦刈り取って陰安抜いて撤退。袁譚の要請に応えて攻め込んで呂曠呂翔は寝返ってるけど攻略はしていない。袁尚が再び出払った後に本格的に攻略が始まるけど、蘇由が寝返る時と馮禮が開門する時に城内で戦いが起きたり、周40里を塹壕で囲んでたり、そこらの城とは明らかに規模が違う。特に周40里で囲んだって……鄴城が半分の周20里だったと仮定するとヤバイな。一里約400mだから円周8Kmある事になる。東京ドームの10倍あるのでは -- 2026-05-30 (土) 22:02:07
  • 徐晃って208年と223年の江陵攻防に最後まで参戦してるから不敗ではないんだな。別に徐晃本人がやらかしたって訳でもないから完全に間違ってるとも言えないんだろうけど、それ言い出したら他にも不敗に当てはまる人そこそこいるし。蒼天航路か何かのキャラ付けが広まったのかしら -- 2026-07-09 (木) 08:43:05
    • 本当に不敗だと思ってる人誰も居ない説 -- 2026-07-09 (木) 14:24:51
    • 今正史徐晃伝と徐晃のWikipedia見返したら223年のは記録無かったので多分記憶違いでした失礼。ただ漢中も陳式倒しているとはいえ元々一緒に任されてた夏侯淵やられて撤退だからこれも負けではあるかも -- 2026-07-09 (木) 15:34:47
      • まああくまでいち部将だから戦略的敗北の責はどっかやって良いんじゃないかね。それ含むと蜀将とか悲惨なことになるし。 -- 2026-07-09 (木) 18:33:15
      • そうですね。ぶっちゃけ勝率とか不敗だとかは定義によって変わるし、あんまり気にする意味がなさそう -- 2026-07-10 (金) 10:16:55
  • 8といい魔帝と三英雄といい最近は董卓のラスボスプッシュが熱いな。劉備も樊城で連合軍破って快進撃みたいなラスボスシナリオ用意してくれりゃいいのに -- 2026-08-09 (日) 16:33:27
    • 劉備軍の質と忠誠度で大勢力になったら真の地獄が味わえるな -- 2026-08-10 (月) 02:55:24