【SS】灼熱地獄のレクイエム

Last-modified: 2024-03-21 (木) 00:58:37

概要

数年前、偶像の国を襲ったとある魔物の目撃証言。目撃証言というより、当事者に近い人の一人称小説。
1話完結。

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本編(完結済み)

やがて炎は消えるであろう。しかしそれは誰の為の炎なのか、気にする者はいない。

私は仁聖ルナ。……あの日の事はよく覚えている。




2ヶ月に一度の雨の日*1
私はベランダには出ず、窓から双子の姉である仁聖ハナを見送った。
「ハナ姉さん、もう今月20回目じゃありません?最近はメインでライブにも出た記録ないですし」
「まあいいでしょ。本人も望んでるみたいだし」
「それ典型的なブラック人間の思考~。私なんかは偶像姫士(アイドリックシュバリエ)よかライブに出突っ張りの方がいいと思いますけどねぇ」
丁寧語を使っているのにも関わらずだいぶ無礼なこの少女は妹、仁聖ヒナである。念の為言っておくが、双子の、ではない。
仁聖家三姉妹は世にも珍しい三人全員が偶像(アイドル)になった姉妹である。二人ならそれなりに前例はあるが、三人となると一気に難易度が上がるらしい。ましてや、三人が三人とも性格も能力も完全に違うのである。
全方面に万能かつ活発な姉、ライブの方で頭角を現した毒舌だが愛される妹……そんな二人に挟まれた私はというと、残念なことに生来の出不精が災いして半ば自宅警備員である。
一応偶像姫士(アイドリックシュバリエ)の資格は姉について行って入手した。茨を操る能力もその時に手に入れたものだ。……しかし妹も程なくして合格した上、その能力がどうも私より有用そうだったので……まぁ端的かつ乱暴に言ってしまえば、自信を無くしたというのが正しいのだろう。




話は変わるが、偶像の国は地下に位置している。その癖地上は砂漠だ。乾燥するんだか湿気が溜まるんだかハッキリして欲しい。……ただ、昔天井を見に行った事があるのだが、砂を固めているような生易しいものでは無かった事は覚えている。
人工雨。その日は一段と湿気があった。凄まじいほど、と表現してもいいかもしれない。ともかくそんな具合なので、ハナを送った後私は家でゴロゴロしていた。ヒナはもう少ししゃっきりとしていたが、家から出るつもりは無いようだった。
「そういえば姉さん。小屋戸さんから歌唱レッスン受けてたんですよね」
「うん」
「……今日行ってないってことは、面倒になったか……向こうから拒絶されたかのどちらかですか」
「いや、その逆」
私はのっそりと身体を起こし、棚からクリアファイルに挟まれた1枚の賞状を探り当てる。
「ほらこれ。免許皆伝」
「別に皆伝って訳じゃないでしょう。……あ、でも合格してる……」
「そう。だから心配しなくていいの」
若干の威厳を見せようと大して豊かでもない胸を張ったが、実の所私が今ここに居る理由は合格したからではない。小屋戸さんが優秀な指導者だと言うことは認めるが、歌唱レッスンを終えてすぐに私が苦手なダンスレッスンをゴリ押ししてきたのである。
「姉さんも何だかんだで頑張ってるんですねぇ」
口調は少し腹が立つが、私にはわかる。ヒナは恐らく本当に私を見直したのだろう。……まだまだ無邪気だ。詳しく聞かない所も詰めが甘い。実際は逃げてきたも同然だというのに。
私が症状を棚に仕舞おうとしたその時、ヒナの携帯電話から通知音が鳴った。
「……ハナ姉さんからだ。緊急でライブの助っ人を頼まれたらしいですよ」
「そっか」
「……姉さんもいい加減携帯買いましょうよ。不便じゃないです?」
「別に。私あんまり外出ないし……そもそも私に電話をかけてくる人なんているわけない」
ヒナは首を傾げる。納得してくれないようだ。
「ひょっとして携帯って連絡だけの為に存在するものと思ってます?」
「……普通説得するとしたら逆じゃない?連絡だけでも~って」
何だか口論が始まりそうな予感がしたので、私は論点をずらす事にした。……そうしたら見事に決まったらしく、ヒナが新たな話題に食いついた。
「いや、逆じゃないんですよ。そもそも姉さんはひねくれてますから……あ、それだったら逆ではあるか……ええととにかく、そういう事です!」
「ひねくれてるって……」
針を刺された程度には効いた。私は苦笑しつつ、話題が元に戻らないように注意を払う。
「そう、ひねくれてるんです。私から見たら面倒臭がりとはまた違ってるんですよ」
「そんな風に思ってくれるのは有難いけどね……面倒くさいんだよ実際」
「そうは言いながら何だかんだで努力するんですよねぇ……そういうところ嫌いじゃないですけど」




夕方になった。人工雨もいつの間にか止み、夕暮れらしい光景が窓の外に広がる。
私は窓を開けた。換気扇ではなく、自然*2の風で換気したかったのが理由である。しかし数秒足らずで湿気が押し寄せてくる気配を感じ、そっと窓を閉めた。
「ハナ姉さん今日帰ってこれないらしいです。何でも二日連続で、本番は明日だとか」
寝っ転がりつつ携帯電話をいじりながらヒナがそう報告してきた。お気に入りの青いシャツが皺だらけになっている。
「そっかぁ。洗濯物は2人で手分けして干す羽目になりそうだね」
「何ならレナちゃん呼びましょうか。少なくとも姉さんよりはよく働いてくれると思います」
「いや、レナは……いや。それはともかく、そのライブってスーパードーム?」
スーパードーム。ウルトラドームより一段落ちるものの収容可能人数は驚異の10万人である。恐らく私程度では仕事で一生訪れる事は無いだろう。ヒナは……どうだろう。今はともかく、成長次第では可能かもしれない。
「南スーパードームですね。……あ、もしかして明日見に行くと?」
「うーん……やる事終わらせたら?」
「それがいいでしょうね。姉さんがいるとだいぶ時間かかる気もしますが。ライブ終わっちゃうんじゃないかなぁ」
「……」
「あーっ待って無言で茨出すのやめてください!!!あいたたたたた!!!」
流石に生意気が過ぎるのでわからせる事にした。茨をヒナの足元に生成し、逃げられないように足から胴体にかけて絡みつかせる。とは言っても棘は刺さらない程度に縮めたし、……そもそもヒナの実力であれば手伝わなくても抜け出せる筈である。
「棘は立ってないはずだよ」
「わーっごめんなさい姉さん無職ゴミクズニートとかもう呼びませんから解放してくださいませんか!?」
何やら喚いているヒナを無視して、私は自室へと引っ込んだ。窓の外に見える夕焼けが燃えるように赤かった。








「……」
その後の事はあまり覚えていない。自室でテレビを見たり何なりしているうちにヒナの喚き声が止まった所までは覚えているのだが、その後の記憶がない。寝てしまったのかと理解した時には、外は既に夕焼けと夜を通り越して日の出前の薄暗さだった。
「……」
テレビの電源は切れていた。全身が痛い。しばらく床に転がったままぼんやりしていると、自室とリビングを隔てる開き戸の向こうから何やら物音が聞こえてきた。
私は無言のままどうしようかと思案したが、数秒して扉を開ける。電気はついておらず、完全な暗闇とまではいかないまでも直進すれば何かを踏んづけたり足を引っ掛けたりしてしまいそうな程度には暗かった。しかし目が慣れてくると、その中で働いている女性……いや少女*3の姿がだんだん見えてきた。ヒナではない。
「……誰?」
「ひゃっ……?」
呼びかけると、彼女は一瞬びくりとして手を止めた。見れば、種々の洗濯物が外に干されている最中である。……乾いた風が頬を打った。どうやら乾風はもう始まっているようだ。
「あ、……怪しい者じゃないです。ヒナさんに頼まれて家事代行に来ました」
「業者さん?」
「いえ。……天塚シオリといいます」
「シオリ……ああ、あの家事妖怪の」
「よ、妖怪……それヒナさんにも言われたんですけど……」
天塚シオリ。……そういえば、偶像(アイドル)としても名前を聞いた事がある。だが彼女の知名度に最も貢献しているのは、近所の家に侵入してまで家事を行う程の家事狂(かじきちがい)ぶりであろう。
「まあいいです。ヒナさんに頼まれたのは……この洗濯物を全部干す事と、ルナさんの朝食を作る事です。ちゃんとした依頼なんですよ。……ひょっとして貴女がルナさんですか?」
「うん。私が仁聖ルナ。……ヒナは今どうしてるか分かる?」
大して大きくもない*4胸を張るシオリの姿に向けて、私は一抹の不安を覚えてヒナの様子を尋ねた。
「ヒナさんは今寝てると思います。私が来た時も全く反応が無かったので……」
「そっか……手伝おうか?」
「そうして頂けると。正直ここ、あまり入った事がなくて勝手が分からないんですよね」
ヒナは寝たら大体の事は大丈夫なタイプである。寝ていない場合の話は後でするとして、とりあえずこのままシオリに色々やらせておくのは若干申し訳なくなったので、私は手伝うことにした。……ただ経験の差か、私は殆ど役に立てなかったのである。








「……」
「ルナさんのお姉さんが助っ人……しかもスーパードームですか。どんな感じになってるんでしょうか」
「……」
「……いいなぁ、まだ私商店街の劇場が精一杯なんですよね……」
「……」
「…………えっと、仁聖ハナさんは……スーパードーム単独公演を3回!?しかもユニットではウルトラドームに25万人を呼び込んだって……本当にすごい人じゃないですか!」
「……」
「……あの、ルナさん?」
そんなこんなで、太陽灯が作り出す朝日を浴びつつ私はスーパードームへと歩いている。ただ、
「ルナさん……?」
「……どうしてシオリがついてきてるの……?」
これである。……シオリが作る朝ごはんは結構どころかかなり美味しかった。確か冷蔵庫の中身はだいぶ少なくなっていた筈なのだが、それでもあれだけの出来栄えと美味しさを兼ね備えられるとは……店を出しても十分やっていけるのではないだろうか。
で、私はそこで解散だと思っていたのだが……
「折角なので……勉強になるかなと思いまして」
「そっかぁ」
私はそれ以上の追及を諦めた。何にせよ自由席なので、一人で行くより二人の方がだいぶ動きやすくはなるだろう。……そういえば、ヒナは私が出かける時になって、「行ってきます」の声に「はーい」と返事をした。普段彼女はハナのライブの時にはなるべく予定を合わせ、指定席だろうと自由席だろうと見に行くタイプである。今日も特に予定は入っていない。……なら、起きているのにも関わらず……何故着いて来なかったのだろう?
「ウルトラドームと言えば今度メトロさんが何かやるらしいですね。知ってます?」
「メトロのこと?それだったら私でも知ってるけど……」
「知らないっぽいですね。なんだか大掛かりなライブらしいですよ。ウルトラドームのみならず同時中継でビッグドームも全部埋めるだとか」
「それは……すごいねぇ。あの人だったらもしかしたらって部分はあるよね」
山中メトロは偶像の国では知らない人などいない程の有名偶像(アイドル)である。私も一度ライブを見に行ったことがあるが……圧倒された。その一言で十分なほどに。
……もしかしたら、ハナもそのレベルまで到達できるかもしれない。上から目線になるが、素養は十分、実力も足りている筈である。ヒナも発展途上だが、ハナくらいの年になったらどう化けるか想像もつかない。というか既にそれなりに名を馳せているので、将来は安泰だろう。
「ルナさんはどうです?」
私?私か。ほっといてくれ。
「……仁聖家の三姉妹の噂は知ってるよね。私はその次女」
「……仁聖……あぁ、ルナさんが……」
仁聖という苗字は珍しいなんてものではない。だからもう知られているものだと思っていたが……シオリは知らなかったらしい。自然なリアクションが、既に諦めかけていた心に深く刺さる。
「……でも、いつか大成する日が来ますよ。私だって結構下積み時代があって……まあ今もその延長線みたいなところがありますけど。ハナさんだってそうだったのでは?」
「……ハナはねぇ。偶像(アイドル)になってからずーーーーーーっと凄かったんだ。私が散々苦労しながら階段を1段登ってる間に、一気に5段登ってく人なの。でもさ、その頃は姉なんてだいたいそうなんじゃないかと自分を納得させてたんだ。たとえ双子でもね。あと何だかんだ誇らしかったから。それは今も変わってないよ。一緒に偶像(アイドル)になる事はできたし……一緒に住んでたから、ほとんど一方的とは言っても切磋琢磨できたんだ。……でもね、ヒナが偶像(アイドル)になったらそれも全部吹っ飛んじゃったんだ。あの子すごいんだよ?ハナが立てたヤバめのトレーニング計画にも易々とついていってたし、歌も私の10分の1くらいしか練習してないのに既に私の10倍くらい上手いし。ダンスも!私はセンスがないからその辺諦めてたんだけど……あの子はハナと同じくらい……いや、一番身軽だったからひょっとしたらそれ以上に上手くやってた!……努力不足だよね?そうだとは自分でも思ってるよ!でも……もう、天才に頑張って着いていくのは諦めたんだよね。…………まあだから、私に大成する日は来ません!以上!!」
「……ルナさん」
「……」
やってしまったな、と思った。歩きながら自己弁護と自己否定と姉妹愛っぽい何かにまみれた長文を喋れるとは、我ながら器用だとも思った。……そんな事を考えている場合ではない。委員長みたいなシオリの表情がゆっくりと崩れていく。
「……正直なところ、私はあなたの事情をよく知りません。ごめんなさい、変な事を言ってしまって」
「……」
「でも、私は……綺麗事じゃなくて、ルナさんにはルナさんの力があると思うんですよ……」
「……」
「あの時、洗濯物を干す時に……手伝うって言ってくれましたよね?私、とても驚いたんです。ヒナさんから「無気力ニート」って言われてたので……」
「……そのまま言ったのかぁ……」
思わず天を仰いだ。そしてこの期に及んでも色々と隠そうとする自分に対して呆れの感情が湧いてきた。
「でも、実際は違った。温かみのある人なんだなって思ったんです。この国では……そんな細かい温かみを持っている人は、案外少ないですからね」
「……どちらかと言うと、私のは生来の性格じゃないと思うな……」
「何でも良いのです。私は……そんな貴女の事が好きなのかもしれません」
「……?」
「あ、えっと……勿論そういう意味じゃなくて。貴女の事を受け入れる、ということです。私みたいに、受け入れる人もいる……ということです」
あまり変わらないようにも聞こえる。どちらにせよ恋愛感情などでは無いことはよくわかった。これが『慈愛』なのだろうか……?
「さっきも言いましたが……あんまり自分の事を悪く言わないでくださいね。貴女の能力の事もそうですが……きっとハナさんもヒナさんも、自分を過剰に卑下する姉妹の姿は見たくないと思いますよ」
「……そうかもしれないなぁ……」
ハナは元より、ヒナの毒舌には焚き付けているような趣もあった。なるほど、物は考えようだ。……若干気持ちが明るくなってきたかもしれない。
「……はぁ。ごめん、ほとんど初対面なのに見苦しいところ見せちゃって」
「いえ……元はと言えば私も不用意でした」
そんなことはない、と私は言おうとした。……しかし思った以上に会話に集中していたらしく、気付けば周囲の何人かがこちらをちらちらと遠巻きに見てきていた。慌てて口を閉じる。シオリも最初はきょとんとしていたが、その意味を理解して口を噤んだ。……気が付けば、スーパードームが眼前に迫ってきていた。
その時、ドームの向こうから何かが飛び立った気がして、








────突如として、目の前が真っ黄色に染まった。
なぎ倒されるような感覚を覚え、私は倒れるまでの数瞬で思わず横にいるシオリを突き飛ばしていた。
考える時間はなかった。鞭のような熱波が、辺りを席巻する。








火。炎。
今は乾風の最中である。きっと火起こしには最適だろう……と、ぼんやりした頭で考えた。
「ルナさん!」
ぺちん、と私の頬が気持ちいい音を立てた。……頬。じんわりとした痛み。ビンタされたのか、と数秒遅れて現実を認識する。
「熱っ……」
「ル、ルナさん!?よかった、気がついたみたいですね……」
現実を認識すると、私の前にシオリが立っている事に気付いた。……彼女の姿を見つけた事をいいことに、さっきまで何をしてたんだっけ、と思考を巡らす。……確か、ものすごい熱に打たれて……?
「……っ、シオリ、無事!?」
「お陰様で……!それよりルナさんです……頑張って回復させましたが、酷い火傷だったので……」
シオリの服はだいぶボロボロになっていたが、大した怪我も無さそうであった。問題は私だ。シオリの報告を受けると、いきなり体中が痛み出した。人は認識外からの攻撃に弱いと言うが、その認識が先程の攻撃でリセットされたらしい。とりあえず服の事は考えたくなかったので、偶像姫士(アイドリックシュバリエ)特権の服装に変身する。
「ふうっ……じ、状況は……」
辺りを見回すと、人が何人も倒れていた。そしてスーパードームの方を見ると、
「……ドラゴン……?」
「ドラゴン……みたいですね……」
……ドラゴンと聞いて、だいたい想像のできる見た目だったのは幸いだった。しかしそれは、全身が火で出来ているかのような色合いをした竜の化け物であり────私達を嘲笑うかのように、空を舞っていたのである。
「……私、どれくらい倒れてた?」
「だいたい5分くらいだと思います……」
「……周りの人達は、シオリが回復させたの?」
「……一部間に合わなかった人もいましたが、できるだけ……あ、ルナさん……まだ動いちゃダメです。さっきも言いましたが火傷酷かったんですよ……?」
「痕になりそう?」
「なんとかしてみます……」
シオリはそう言うと私の後ろに回り、背中に手を当てて何やら白い光の球を出した。これが彼女の持つ回復能力なのだろう。よく見えないが、背中のジュクジュクした痛みが少しづつ引いていくような気がする。
「……ここまでの被害、危険度5に相当しそうだなぁ……他の偶像姫士(アイドリックシュバリエ)はどうしてるかな」
私は独り言でそう言った。シオリは当然だが答えない。
……家が燃えている。スーパードームも燃えはじめた。ドラゴンは空を飛ぶだけで、何もしない。本体そのものが強烈な熱を出しているらしい。とすると、やはり身体が炎で構成されているのだろうか?
私が座り込みつつ色々と考えていると、やや後ろの方から多数の人が駆けつけてくる気配がした。振り返ったところ、およそ50人程の偶像(アイドル)……いや、偶像姫士(アイドリックシュバリエ)が一群となってドラゴンを眺めている。恐らく彼女らが、戦闘専門グループ『カラフルブレイバー』なのだろう。
「あっつ……この辺が限界みたいです」
「うん。……でもあれどうしたらいいんだろうね……何かいい案はない?」
「とりあえずこの辺の安全は確保しました。スーパードームの人達を避難させましょう」
「もうやってる!」
リーダーらしき少女がそう叫ぶや否や、燃え始めたスーパードームから何人もの人がぞろぞろと出て来るのが見えた。ドラゴンの方もそちらを攻撃する気は無いようで、熱と火を振りまきながら上空でふんぞり返っている。
「ふうっ……なんとか痕にはならなそうです」
「……ありがとね」
シオリが額に汗を浮かべつつ、私の背中から離れる。どうなっているのかは分からないが、彼女がそう言うのだからそうなのだろう。
「でも……これ以上ここに居たら火傷しちゃいそうです……」
「とりあえず私達は離れようか。カラフルブレイバーも来たし」
「誰かと思ったらルナちゃん。お知り合い?」
私とシオリがそんな風に話し合っていると、偶像(アイドル)の群れの中からリーダー格の一人が分かれてこちらにやって来た。幼い容姿に、常時洗脳故の脳を揺さぶられる感覚。マイ・ハートブルクである。
「いや、今日が初対面。……それより、私とマイってこんな風に話し合う仲だっけ?」
「ふーん。……いや、そんな事言ってる場合じゃなくて……今日の担当にハナちゃんとヒナちゃんが入ってるんだけど……2人とも連絡が取れないんだよ」
ほとんど私のせいだが、途端に一触即発の雰囲気になったところで、マイがいきなり爆弾を投下してきた。これは棘を刺している場合じゃないなという事で私は姿勢を正す。
「ヒナはともかくとして……ハナも?」
「ヒナちゃんは……もしかして寝てたりする?」
「起きてたけどね。……でもハナは、このスーパードームのライブで助っ人をしてて……」
「うーん……?」
そう言うなりマイは避難する人々が作る人混みを見回した。恐らく今日ライブを開催していたであろう偶像(アイドル)達も数人混じっているが、ハナらしき姿はない。アスファルトから蜃気楼が立ち上る。
「もう1回電話かけてみる。ルナちゃんは念の為ヒナちゃんにかけて」
「私携帯持ってない」
「え!?」
「私がかけてみましょうか」
彼女が衝撃を受けたところで、シオリがおずおずと会話に加わってくる。
「……そうだね、お願い。ハナちゃんはー……繋がった!今どこ!?」
マイの電話を妨害してはいけないので、私は早速携帯を操作し始めたシオリの方に寄る。
「ルナさん。えと、昨日は電話で依頼を受けたので……番号が履歴に残ってますから」
今時の携帯電話はこんな風になっているんだなぁという時代遅れの老婆みたいな感動を覚えたところで、ハナが私達の前に姿を現した。
「随分と熱いライブになったねぇ」
「ハナちゃん無事?」
「無事ー。……あ、ルナも来てたんだ。水臭いなぁ、事前に言ってくれれば良かったのに……」
所々焼け焦げてはいるが、ハナの格好や五体は健全そのものだった。少しだけ安堵する。
「……で、あれどうするつもりなの?」
「とりあえず放水しちゃおうかなって。皆ー、用意はいいー!?」
いつの間にか数人の偶像姫士(アイドリックシュバリエ)が消火栓にホースを繋げたり能力での放水の準備をしていた。マイの呼びかけに対しても一糸乱れぬ「はい」との返答を返す。
「よーし。てーっ!」
「……その掛け声大丈夫?」
マイの合図と共に一斉放水が始まった。思わず突っ込んでしまったものの────水を浴びた途端にドラゴンが悶え苦しみ始めたのを見ると、流石にケチをつける訳にもいかなかった。
「効いてるねぇ。これは消防隊でも対応できたかな?」
若干涼しくなってきたからかハナがそんな事を言う。……しかし、
「……あいつ、動き始めましたよ!?」
「だね。追って!」
「くそ、速い……!?」
ドラゴンが、放水から逃れるかのように移動を始めた。移動を始めた、と一言で言うのは簡単だが、その実視線で追うのがやっとの速さである。……奴が飛び去っていく方向には……ミルズ賭博街がある。
「……私が追う。私なら追いつけるから……マイは一応増援を呼んで」
ハナは真っ先にドラゴンの飛んで行った方向を睨みつけ、そう言った。
「一人でやる気じゃないよね?」
「だから増援を呼んでって言ってるんだって。とにかく頼んだよ!」
「あ、ハナちゃん!……もう!」
ハナの能力について、私は全貌を把握できていない。実際に起こった事にはどんな能力が由来しているのかという説明が上手く出来ないのだ。だから現実に起こった事のみを簡潔に伝える。
ハナはマイに援軍を頼むと、まるで段差を飛び越えるような身軽さで近くの無事な建物の屋根に上がり、そこからものすごい速さで駆けていった。それでいて駆ける動きすら優雅なものだから、思わず目で追ってしまうのだ。
……こうしている場合では無い。遅れはするだろうが追わなければ、と駆け出した私を見て、シオリとその他何人かの偶像(アイドル)が着いてくるのが見えた。会話が途切れ途切れで聞こえてくる。
「ミルズ賭博街方面の偶像姫士(アイドリックシュバリエ)達に情報を共有しましょう。放水が効きますよーって」
「そうしたいのは山々だけど繋がんないんだよなぁ……」
「……」








私はあまり外には出ない。その為か、偶像(アイドル)になって幾分か身体能力に補正がかかっている筈なのだが、走っても体力が数分と保たない。そして今がまさにそんな状態であった。何人もの偶像(アイドル)に抜かされ、ついには体力の限界に達する。
「はぁ……はっ……」
走っている途中ですぐに止まるのは良くない、とどこかで聞いたような気もするが、息が続かないのは如何ともし難かった。壁に手をつき、喘息の発作のように激しく呼吸する。喉と肺が焼けるように痛い。
……ここは、賭博街の入口から少し入った辺り。両脇の建物が微妙に視界を阻む構造になっているので、見上げるのにやや苦痛を覚える。普段は温泉街のような程よい明るさを醸し出しているこの辺りが、火のような橙色の光で一段ほど明るくなっている。それでいてあのドラゴンの姿はここからでは見えない。道を間違えたか、と思って周囲を見回すと、不気味な程に静かである。誰もいない。
上を見上げたことで光が照らす方向がなんとなく分かったのは幸いだった。私は呼吸を整え、改めて駆け出す。今度は小走り程度の走力で。……さほど慣れない路地裏を駆使しつつ、光の中心へと向かう。そしてある程度まで近付いたところで……空気が熱せられる感覚を覚え始めた。
「……!」
紛れもない。先程スーパードームで味わったあの熱気。出力を最大にした太陽灯で焼かれるようなあの感覚。周辺の人々は大丈夫なのだろうか。ハナは無事なのだろうか。そんな事を考え、足が自然と止まってくる。
なんとか少しづつ進んでいると、いつからか建物が燃え始める辺りまでやってきた。……どうやら既に避難は進んでいるらしい。もしくは人々が建物諸共焼けてしまったのか。ともかく、未だに燃える音以外は何もない。
偶像姫士(アイドリックシュバリエ)の服装は耐火・耐熱性に優れている。ついでに突き通しにくく、汚れも殆ど付かないという万能な衣服である。元気の源で生成しているという話をどこかで聞いた事がある。ともかく、普段着ではもはや耐えられなくなっていたであろう場所まで来ても、私はこうして歩みを進められている。流石に目や鼻・口から入る熱気は如何ともし難くなってきたが。



……開けた所までやってきた。数人の偶像(アイドル)が既に到着しているが────辺りには焼け焦げた死体がいくつか転がっている。そして斜め上を見れば、あのドラゴンが悠々ととぐろを巻きつつ浮遊していた。
「熱っ……!」
「これ以上近づいたら駄目だよ」
「あれが魔物……!?」
「……みんなは、カラフルブレイバーの?」
私は他の偶像(アイドル)達にそう尋ねた。
「そう。元々この辺を巡回してて……マイさんの指示を受けて駆けつけたんだけど……」
「私はカラフルブレイバーじゃないけど、この子が来てって言うから。……でも、あれは……」
「……」
私はドラゴン目掛けてエアーショット……空気弾を一発撃ってみた。当たると一瞬だけ構造を僅かに歪めはしたものの、直後に元通りになる。要するにまるで効いていない。
「……そうだ、ハナはどこに居るか分かる?仁聖ハナっていう偶像(アイドル)がこの辺通ったりした?」
「あ、あの人なら結構前にここに来て……避難の手伝いとか色々してた。そろそろ戻ってくるとは思うけど……」
私がお下げの偶像(アイドル)へハナについても聞いてみた所、もう既に着いていたらしい。まああの速さだから当然なのだが……それでいて無闇に突っ込まず安全確保から始めるスタンスは是非とも見習いたいものだ。
ドラゴンはこちらを一瞥したものの、相変わらず何もせずにふんぞり返っている。よくあるブレス等を吐いたりはしない。そうであれば今頃は更なる大惨事になっていただろうが、手心なのか慢心なのか……それとも身体自体が炎で出来ているので、吐く器官が付いていないのか。私は後者ではないだろうなと睨んでいる。
「私は仁聖ルナ。あのドラゴンがこっちに移動してくるのを見て追跡してたんだけど……他の偶像(アイドル)はどこに?」
「そうなんだ。……追跡……かぁ。……向こうに転がってる焼死体あるでしょ?……あのうち半分くらいが、後から来た偶像(アイドル)達。……あのドラゴン炎も吐けるんだよ」
それで何が起こったのかだいたい分かった。途中私を抜かし、そのままの勢いで突っ込んだ偶像(アイドル)達は────皆あのドラゴンのブレスで焼け死んだのだ。さっきは火を吐く様子が無かったのだから、全く虚を突かれた事だろう。
……となると、シオリは……
「あ、ルナさん居た……これは、酷い有様ですね……?」
……2番目に最悪の予想が的中しなくて良かった。そういえばシオリに抜かされた記憶はない。
「……一応聞いておくけど、ここに居て大丈夫?」
「ブレスはここまで届かないらしいから……それより君も追跡に?」
「あ、はい。天塚シオリと言います」
シオリはそう言ってお下げの偶像(アイドル)に頭を下げた。律儀である。
「えっと、一応色々報告は既にしてあるんだけど……私達は増援が来るまで持ち場を維持するようにって言われたんだよ」
「持ち場を維持ねぇ……あれ相手にそれができるかな?」
私はちらとドラゴンの方を見た。見るだけでも目が焼けそうなのに、実際に炎熱を放出しているのだから困ったものである。
「と言っても私消火栓の使い方とか分からないし……」
お下げの偶像(アイドル)が目を泳がせる。……と、その時、今まで鎮座するだけだったドラゴンがおもむろに動き始めた。相変わらずその動きは巨体の割にかなり俊敏である。……そして、口であろう部分を開き────
「こっち来た!?」
橙の炎が相手の口に満ちるのを見ると、私は思わず空気弾をその部分へ数発撃っていた。……先程見たように、効果は薄い。ただ空気の流れを強引に切り裂くので、当たりどころや場合によってはその空気に依存する物は消すことができるのだ。
ドラゴンが今まさに吐こうとしていた炎が盛大に歪む。そして数撃てば当たるという事で、何かが作用したのか、次の瞬間その炎は消えていたのである。
「……消えた!?」
「上手くいった……?」
ただこれの問題点として、口の周辺360°くらいに十分空気がある事が前提な為、身体自体が炎であるあのドラゴンくらいにしか効かないだろうという事などが挙げられる。いや、それ以前に……技をキャンセルされた事に相手が心穏やかで居られる筈がない。その証拠として、一瞬の空白の後、ドラゴンは先程の2倍ほども大きな炎を口の辺りに貯め、すぐさま吐き出す体勢に入った。
「……逃げて!後ろ!……いや横!」
私は直感的に逃げられないと悟った。炎で出来たドラゴンの両目が、実際より更に近くに見える。数瞬の判断で、私は周囲の偶像(アイドル)へそう叫んだ。……奴が狙っているのは私。ブレスの中心点も私。色々と距離を考えると、私はまず死ぬとして、他の偶像(アイドル)は後ろに逃げても生き残れるかは微妙である。
……いや、それは今考えた。叫んだ時はそんな事を考えている余裕がなかった。景色がスローモーになり、思考が早くなっていく今だからこそある程度理論的に言えるのであって……ともかく、別に皆が今すぐ死ぬ必要なんてないのだ。落ちこぼれの私が死んでも、他の皆が確実に死ぬとは限らないから。








「……ルナ。随分殊勝だね?」
────バヂン、と何かが弾け飛ぶ音がした。……私は両目で捉えた。横から飛んできたハナが────あの炎の塊をドラゴンの頭ごと飛び蹴りで薙いで、消滅させてしまった所を。
「……ハナ!……見てたなら、もっと早く来てくれれば……」
「わざわざ助けに来たのにあんまり有難くないみたいだね。……まあいいや」
思わず私が叫んでしまったのにも関わらず、彼女はいつも通り飄々としていた。私の斜め前に着地し、吹き飛ばされた頭を慌てて修復するドラゴンを眺める。
「な、何が……ってハナさん!?」
「うん。でも話し合うのは後にしようか。……皆危ないから下がってて!」
逃げかけていたシオリがハナの姿を捉え目を見張る。お下げの偶像(アイドル)も驚きつつ、シオリに先んじてブレスが届かなさそうな位置まで下がっていった。……私も、動かない足を励まして下がる。
ハナはそれきり私達に目もくれなかった。あらゆる物体が焼けるような熱さの中でも不思議と火傷一つ負わず、飛び蹴りや生成した柱・槍等でドラゴンの炎を削っていく。ドラゴンも負けじと尾でハナを打とうとしたり隙を突いてブレスを放ったりしたが、ハナはそれを相殺し、避ける。……流石のハナでも炎に触れたら不味いことは分かっているのだ。
「す、すごい……あの人がルナさんのお姉様……」
「……」
こちらまで伝わってくる熱気は、果たしてドラゴンが放つ熱だけなのだろうか。今まで熱に耐えていた皮膚の一部分に水疱が浮かんでくるのを目の当たりにしても、ついつい考えてしまう。
「……言葉は通じるのかな?いや通じなくてもいいか。……っ、あと数分もすれば増援が駆けつける。そしたら嫌いな水を浴びせられる事になるんだ。……その前に私にやられておいた方がまだ楽だと思うんだけどっ……?」
心なしか、ハナが来る前よりドラゴンの身体が縮んだような気がする。しかしハナの方も常に全力を出しているからか、動きが次第に鈍くなっているようである。……ドラゴンの武器は身体そのものだ。しかし今まで見てきた経験から逆を言えば、それだけ。ブレスはハナであれば相殺できる。その証拠として、ハナは近距離戦闘から次第に中距離戦闘へと切り替えたようだった。
槍が戦場を制圧し、その隙を縫って一際大きな炎が巻き起こったと思えばそこへ1秒もせずに柱が直撃する。距離が離れれば離れるほど、有利になるのはハナだ。
「……せいっ!」
掛け声と共に何十度目かの柱がドラゴンの口を貫通し、すぐに塵となって消える。ドラゴンを貫通し削る槍も同様に一瞬で消えていく。物理攻撃は効果が薄いと思っていたが、常時攻撃出来る物量と技量があれば関係ないようである。私がそのように観察を続けていたところ、いくつかの足音が聞こえてきた。
「ハナ姉さんっ!」
「ヒナ!遅いよ……!」
マイが言っていた偶像姫士(アイドリックシュバリエ)の援軍だった。中にはヒナも混じっている。ハナはそちらをちらと見て、再び戦いに戻った。額いっぱいに汗をかいている。
「急げ、放水準備だ!」
「私ごとお願い!……ここっ、暑くてかなわないから!」
「言われなくても!」
偶像(アイドル)達がホースやパイプ等を持ち、先程同様に放水の準備を始める。ドラゴンはそれを確認したようだが、先程の余裕はない。しかし逃げようにも、ハナは巧妙に立ち位置を変え、逃げるコースを塞いでいる。そしてヒナは躊躇いつつも進み出、逆方向にも逃げられないようにした。……両手には二丁拳銃。この上ないサポートである。
ここで初めて、ドラゴンが動きを止めた。目らしき部分を必死に動かし、隙を探しているらしい。辺りには既に何十人もの偶像姫士(アイドリックシュバリエ)が集結し、2方向のみならず地上・上空の殆ど全方向でドラゴンを囲んでいる。
「……終わりだよ。放水開始ー!」
いつの間にかマイがやってきていて、号令をかける。……そして水の群れがドラゴンを襲────おうとしたところで、奴は飛びかかった。今まさに放水を開始した、マイ達本隊へ。
「っ……!」
顔面に水を浴びせる。しかし止まらない。危ない、と叫ぼうとしたが、どうやら間に合わないらしい。……奴の後ろから猛烈な速度で迫る、ハナ以外は。





ドラゴンの動きが再び止まった。……そして、ハナは、
「う"あ"っ……」
身を持って、その突撃を止めていた。文字通り、自分の身体を盾として。
「…………ハナ!!!」
その時初めて、私は全力で動いた。
束縛の茨を、ドラゴンを包み込むようにして展開する。……茨と言ってもただの茨ではない。水をよく吸い込み、その水で持って奴を苛む、特製の茨だ。
「姉さっ……!!」
ドラゴンが暴れる。急速に炎の勢いを弱めていく。……しかし、茨の檻の中にはある程度動く余地があるのにも関わらず、奴はハナを抑えて離さない。
「……!!」
ヒナが拳銃をドラゴンに向けて何発か撃つ。水は相変わらず滝のように浴びせかけられている。しかし────ハナは、動けない。ドラゴンは死ぬ最期の瞬間まで、ハナを解放しなかったのである。



ドラゴンが完全に消えた事を確認すると、私は全力で展開していた茨を納める。……すぐに倒れそうな程に体力を消耗していたが、そうも言っていられる場合ではなかった。……倒れているハナのところに真っ先に辿り着いたのはヒナであった。
「姉さん、ハナ姉さん……!」
「……ヒナ……?」
ハナはほとんど黒焦げで、誰がどう見てももう死んでいても可笑しくはない状態であった。次に駆け寄ったシオリが回復能力を使いつつハナの状態を見る。……しかし、彼女は私の方を向くと、ゆっくりと首を振った。その意味は……説明されなくてもわかっている。
「……ハナ……」「無茶、するから……!」「ハナさん……!」「ハナちゃん、……ごめん……」
「……いっぺんに喋らないでよ。……あぁ、私はもう死ぬのかな?」
「そんなこと……」
シオリは首を振ろうとした。そして「喋らない方がいい」とも忠告した。しかし、ハナはそれに対して微笑んでみせた。
「いや、……大丈夫。自分の事は自分がよく分かってるから。……自分でも、よくやったなって思うよ……」
「……」
「……まあ、色々心残りはあるけど……何とかなって、……良かったなーって。……ルナ。……ルナなら多分……これからも上手いことやっていけると思うよ。……さっきのを見て、確信した」
「……ハナ……私は、落ちこぼれだよ……ずっと劣等感と憧憬を抱いて生きてきたんだよ……?」
心のどこかにある栓が抜けそうな気配がした。努めて言葉を抑制する。
「どうだろうね……ヒナ。……多分ヒナは、これから大成すると思う。……冷蔵庫の上に置いてある箱に……色々入ってるから参考にしてね」
「そんな、遺言みたいなこと……私なんかよりルナ姉さんの方がずっと理性的だし、きっちり学べるし……」
「ならルナでいいや。……あれは好きに扱っていいよ。……何なら捨ててもいいから。シオリは……ルナをよろしく。……あぁマイ。後は頼んだよ」
「……」
「……短くない?」
「もう眠くてね……許して。……じゃあ、皆……」
ハナはそう言って、ゆっくりと目を閉じた。皆、しばらく微動だにしなかった。辺りが急に暗くなったかのように思えた。遠くで燃える建物が、黒い煙を昇らせていた。



私は、大した偶像(アイドル)じゃないし、そもそも大した人間でもない。
でも、私も一応偶像(アイドル)だし、人間だ。
私の歌は大した出来ではない。でも、意味を乗せて歌うことはできる。
生き方だってそうだ。大した生き方はできないけれど、生きていく事ならできる。
そんな具合に、上手いこと下手に生きていこう。……大丈夫。ハナが私の心にいる限り、永遠に拭えぬ劣等感と憧憬が手伝ってくれるだろうから。


*1 偶像の国では乾燥を防ぐため定期的に人工雨雲を発生させて雨を降らせている
*2 当然ながらここは地下、風もほとんどは人工のものである
*3 私が知っている限り、殆どの女性偶像(アイドル)は『女性』と『少女』の中間くらいの外見なのでどちらでも間違いではない。勿論私も含めて……ただ、流石に自分の事を少女とは呼びたくない
*4 ブーメラン