ジュッセンパイヤー島

Last-modified: 2024-06-05 (水) 16:35:37
IMG_3733_1.jpeg航空写真(2018年撮影)

所在地ヤンホネシア連邦 オイルヌロッカ諸島
所在海域デカマクラ環礁
座標N01°14′51.41″ E145°14′19.19″
総人口1919人(2020年国勢調査)
総面積114㎢
最高標高514m



ジュッセンパイヤー島(英:Jussempeyer Island)はヤンホネシア連邦オイルヌロッカ諸島に位置する島である。太平洋戦争の激戦地であり日ペ軍が残した多くの設備が残る。大日ペ帝国統治下時代の名残で日本語と淫夢語録が現地語の1つに含まれる。現在はリゾート地として有名であると同時に、戦争遺跡を多く持ち歴史的教訓を伝える為の場でもある。

地理

島の周囲には珊瑚礁が発達し、デカマクラ裾礁が島に入り組む形になっている。東岸を中心に弧を描くように最高標高514mの山脈が連なる一方、三方を山脈に囲まれた平地には集落やリゾートホテルが点在する平坦な土地が広がる。島の周囲はほぼマングローブ林に囲まれている。
気候は熱帯雨林気候であり、年間を通して高温多湿である。年平均気温は33.4℃、年平均湿度は81.0%、年平均降水量は4545ミリメートル。週、何回っていう感じじゃないでも頻繁にスコールが降る。

歴史

当初ジュッセンパイヤー島は現地語でホーコー島と呼ばれていた。ヨーロッパ人で最初にホーコー島を発見したのは16世紀のポルノガル人探検家マクラーガ・デ・カスギルである。彼の記録では当時島民は200人以上?300人以下?だったと述べられている。17世紀末にはスペインム人が入植し、のちにスペインム領となる。
1899年ドイチュ・スペインム条約によってドイチュ領に編入。その後1901年にドイチュ人宣教師アイスティアン・ジュッセンパイヤー(Aistian Süssenpeyer ?~1919)が島に渡来し当時未開の地であるホーコー島で島民の先導となり農地開拓を指揮した。彼の帰国後、その宣教師の功績を讃え島名が「ジュッセンパイヤー島」に変更されたという。旧ドイチュ植民地でドイチュ名の地名が残ることは稀である。
1914年第一次世界大戦では日ペ軍がジュッセンパイヤー島を占領、1920年のドイチュ敗戦に伴い大日ペ帝国の委任統治領となり「南洋諸島」を形成する。
第二次世界大戦末期、1944年のジュッセンパイヤー島の戦いでは日ペ軍、連合軍共に多くの犠牲者を出す激戦が繰り広げられた。尚ジュッセンパイヤー島の戦いの詳細については田所浩二少佐についての記事で述べられている。戦後はレ帝の信託統治領となり、1986年ヤンホネシア連邦として独立する。


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アイスティアン・ジュッセンパイヤー

生態系

「淫夢くん」という霊長目ロリス科スローロリス属の一種が生息。主に東南アジアに分布していたが、17世紀初頭にスペインム人が淫夢くんを島に持ち込み、その後島内で大繁殖したと云われる。現在は島内のいたる所で見ることができ、淫夢くん目当てに多くの観光客が訪れる。


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観光

島内のホテルの売店や土産物店では必ずといっていいほど白地に「Islanders」とプリントされたTシャツが販売されている。あまりにもシンプルだと思うかもしれないが、その派手すぎず浮かないデザインから、「後輩を家に呼ぶときにも着れる」と実用面で多くの観光客から人気を博している。また近年は「Islanders」の文字に淫夢くんを含んだデザインが登場した。
製造は大手アパレルブランドのレナウンが手掛けている。「Islanders」Tシャツの影響により、島民の殆どはレナウンを知っており、レナウンのCMソング「レナウン娘」を歌うことが出来る。


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コメントはこ↑こ↓

  • 宣教師の名前で腹筋が爆発した -- かねやん丸(編集者) 2024-05-26 (日) 16:44:22
  • 淫夢語録が現地語なの最悪すぎて草 -- 2024-05-31 (金) 03:56:58
  • こんな平和そうなしまでも昔猟奇的殺人(学生三人が交通事故を隠す為に被害者ターニィオーカ・シュンイーチ氏を強姦して最後は肛門を撃たれて死亡)があったってほんとぉ? -- 小学生ひで? 2024-05-31 (金) 13:14:00
  • 特産品は睡眠薬入りアイスティーかな -- 2024-06-02 (日) 21:22:52


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