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憎井酷俊

Last-modified: 2019-07-23 (火) 08:35:38

増井浩俊(日本ハム→オリックス)の蔑称。





概要 Edit

増井は北海道日本ハムファイターズ所属時代、武田久に次ぐ右のセットアッパー・ストッパーとしての地位を築いてきた。プロ入り2年目の2011年から5年連続で50試合以上に登板、2012年には最多ホールドも獲得していた。
ところが2016年、増井は極度の不振に陥ってしまう。投球の軸となる直球・フォークともに制球が定まらず、6月20日に二軍落ちするまでに3勝2敗10セーブ防御率6.30と散々な成績を残してしまい、ハム専では連日「増井死ね」や「マスコロ*1」など不穏な空気が漂っていた。そんな中で「増→憎」「浩→酷」と読みや漢字からの連想でこの蔑称が生まれた。


その後栗山英樹監督は二軍落ちした増井に先発での再調整を指示。当初はこれに首を捻るなんJ民が大半だったものの、復帰一戦目から抑え時代はほとんど使用していなかったカーブなどを解禁して好投。さらにその後も8先発で6勝*2、9月には5登板5勝防御率1.10で月間MVPとまさかの覚醒を見せる。大谷翔平がケガで抜けた先発ローテーションを支えチームを日本一に導くなどなんJ民の大半の手首を破壊、「憎井と増井は別人」と言わしめたのであった。

その後 Edit

2017年、増井は「先発だと楽しくない」と直訴して抑えに再転向。増井の代わりに抑えを務めていたクリス・マーティン(現・テキサスレンジャース)がレベルの高いピッチングを見せていたこと、若手が多く計算しづらい先発投手陣だったこともあり、多くのファンは再び首を傾げることとなった。かくしてシーズン当初はマーティンが抑えであったがそのマーティンの負傷により増井にクローザーのお鉢が回ってくる。ところがただでさえチームの不振で増井の登板機会があまり多くなかった上にその中で8度に渡るブロウンセーブを記録、おまけにその殆どが同点止まりであったために延長戦で不要なリリーフ陣の登板を招く原因となってしまい、「憎井」と呼ばれることは少なかったが先発不足も深刻であったたこともありファンの信頼を大きく損ねてることとなっている。

その後、2017年オフに複数年契約を重視したFA宣言を行い、平野佳寿がダイヤモンドバックスに移籍したことで抑え候補を探していたオリックスへの移籍が決まった。
なおオリックス移籍後、古巣・日ハムの打線について「一緒にやってるときは『もっと点を取ってくれよ』とか思ってたので(笑)」 「打線が強いという感じじゃなかったので、1年間ファイターズからは点を取られないように頑張りたい」と発言し(記事)日本ハムファンからのヘイトをさらに集め「畜井」という蔑称を授けられたり、翌2018年オフに金子千尋がオリックスから日本ハムに移籍した際に、「1年越しの金子の人的補償」呼ばわりされたりすることとなった。

元祖マスコロの真骨頂 Edit

  • 2017年6月4日の阪神戦

抑えとして登板したが3連続四球を与え逆転サヨナラ負けのきっかけを作った上、試合後の「体が言うことをきかなかった」という軽率な発言で批判を一身に集めた。
自責点を記録された救援投手が両チームを通じて増井のみであること、四球及び自責点の数が阪神先発として7イニングを投げた小野泰己と同数であることも拍車を掛け散々叩かれた。
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  • 2019年6月16日の阪神戦

9回から登板したが四球連発後、2死から福留孝介にタイムリーを浴び同点に追い付かれてしまいこの回持たずに降板。この日の試合後も「自分の思うように体が動かなかった」とコメント。

  • 2019年7月19日の西武戦

中村剛也にサヨナラホームランを打たれ*3自責点が先発の山本由伸を上回る事態に。


関連項目 Edit


Tag: 日ハム オリックス なんJ






*1 増井○すの略。増田達至(西武)や益田直也(ロッテ)とまとめて「マスコロ三銃士」と言われたりする。さらに平野佳寿(現ダイヤモンドバックス)もオリックス時代、「ヒラコロ」呼ばわりされていた。
*2 9月30日、引退登板として先発し1/3イニングのみを投げた武田勝の後を受け登板。この登板で自身初の10勝目を挙げており、実質「9先発7勝」ともいえる。
*3 しかも通算400本塁打となるメモリアルアーチ