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憎井酷俊

Last-modified: 2018-03-23 (金) 00:47:04

増井浩俊(日本ハム→オリックス)の蔑称。

概要 Edit

増井は北海道日本ハムファイターズ所属時代、武田久に次ぐ右のセットアッパー・ストッパーとしての地位を築いてきた。プロ入り2年目の2011年から5年連続で50試合以上に登板、2012年には最多ホールドも獲得していた。
ところが2016年、増井は極度の不振に陥ってしまう。投球の軸となる直球・フォークともに制球が定まらず、6月20日に二軍落ちするまでに3勝2敗10セーブ防御率6.30と散々な成績を残してしまい、ハム専では連日「増井死ね」と不穏な空気が漂っていた。そんな中で「増→憎」「浩→酷」と読みや漢字からの連想でこの蔑称が生まれた。


その後栗山英樹監督は二軍落ちした増井に先発での再調整を指示。当初はこれに首を捻るなんJ民が大半だったものの、復帰一戦目から抑え時代はほとんど使用していなかったカーブなどを解禁して好投。さらにその後も8先発で6勝*1、9月には5登板5勝防御率1.10で月間MVPとまさかの覚醒を見せる。大谷翔平がケガで抜けた先発ローテーションを支えチームを日本一に導くなどなんJ民の大半の手首を破壊、「憎井と増井は別人」と言わしめたのであった。

その後 Edit

2017年、増井は直訴して抑えに再転向。増井の代わりに抑えを務めていたクリス・マーティンがレベルの高いピッチングを見せていたこと、若手が多く計算しづらい先発投手陣だったこともあり、多くのファンは再び首を傾げることとなった。しかしそもそもチームの不振で増井の登板機会があまり多くなかった上、炎上も少なかったことから「憎井」呼ばわりされる場面はほとんどなかった。

 

数少ない2017年の「憎井」登場場面が6月4日の対阪神戦である。この試合に抑えとして登板した増井は3連続四球を与え逆転サヨナラ負けのきっかけを作った上、試合後の「体が言うことをきかなかった」という軽率な発言で批判を一身に集めた。
自責点を記録された救援投手が両チームを通じて増井のみであること、四球及び自責点の数が先発投手として7イニングを投げた阪神・小野泰己同数であることも酷俊っぷりに拍車を掛ける。
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その後、2017年オフに複数年契約を重視したFA宣言を行い、平野佳寿がダイヤモンドバックスに移籍したことで抑え候補を探していたオリックスへの移籍が決まった。

関連項目 Edit


Tag: 日ハム オリックス なんJ






*1 9月30日、引退登板として先発し1/3イニングのみを投げた武田勝の後を受け登板。この登板で自身初の10勝目を挙げており、実質「9先発7勝」ともいえる。