Taranto

Last-modified: 2025-11-25 (火) 11:34:33

タラント(旧マクデブルグ級小型巡洋艦シュトラースブルク)

Taranto_0.jpg

公式画像

Taranto.jpg

性能諸元

性能諸元の数値は、アップグレード・基本特性・艦長スキル・ブースター・迷彩などの補正がかかっていない素の状態の数値を入力してください。
部位ごとの装甲厚や散布界など、ゲーム内には載っていない情報は将来ゲーム内で見れるようになる可能性があるので暫定で0や0-1などとする
・基本性能

Tier2種別ツリー艦艇
艦種巡洋艦派生元Nino Bixio
国家イタリア派生先Nazario Sauro
Giussano
生存性継戦能力(A) 17,600
(B) 19,600
装甲6-100mm
・防郭 6-40mm
・艦首・艦尾 6-60mm
・補助区画 6-60mm
機動性機関出力33,742馬力[hp]
最大速力28.2ノット[kt]
旋回半径450m
転舵所要時間(A) 8.0秒
(B) 5.7秒


隠蔽性通常主砲発砲時火災発生時煙幕内からの主砲発砲時
海面発見距離7.9km0.0km9.9km3.4km
航空発見距離4.8km0.0km7.8km-


射撃管制装置艦体モジュール主砲射程最大散布界
A-Bmod.110.1km0m
mod.20.0km0m


主砲艦体口径基数×門数最大ダメージ(火災)装填180度旋回
A(前期)150mm/45 SK L/457基×1門HE弾 1900(8%)
AP弾 3700
12.0秒25.7秒
B(前期)150mm/45 SK L/457基×1門HE弾 2200(8%)
AP弾 3700
12.0秒25.7秒
モジュール改良150mm/45 SK L/457基×1門SAP弾 3,550(0%)
AP弾 4800
13.0秒25.7秒


魚雷艦体口径基数×門数(片舷)最大ダメージ装填射程雷速発見
A500mm tubo lanciasiluri2基×1門(門)1043321秒4.0km58kt1.1km
B500mm tubo lanciasiluri DAAN-Whitehead2基×2門(門)906747秒8.0km51kt1.0km


対空砲艦体口径基数×門数秒間平均ダメージ射程
A88mm/452基×1門00.1-4.6km
B76mm/402基×1門00.1-3.0km



・アップグレード

スロット0スロット1スロット2スロット3スロット4

・開発ツリー

開発ツリー
軍艦名
(必要経験値/購入クレジット)
モジュールスロット
(必要経験値)
当艦モジュールスロット1
(1260)
モジュールスロット2
(2520)
モジュールスロット3
(3150)
Giussano
(6300/-)
 
船体
Hull-min.pngTaranto 船体B2600
主砲
Main Battery-min.png艦砲 150mm/45 SK L.45-2320
射撃管制装置(照準装置)
Gun Fire Control System-min.png照準装置 Type2 mod.2320

・消耗品

搭載可能 消耗品

搭載可能 消耗品

十字キー左
応急工作班I.png応急工作班無制限消耗品の動作時間:5 秒
消耗品の準備時間:60 秒

詳細は消耗品を参照

ゲーム内説明

この軽巡洋艦はドイツ海軍用として建造され、一次大戦後にイタリア王立海軍に引き渡されてタラントと改名されました。本艦は 150 mm 砲に加えて単装魚雷発射管を 2 基搭載していました。
就役:1912
同型艦数:4

解説

  • 概要
    イタリアTier2巡洋艦。
    ゲーム内説明にある通りドイツ製の船だが、船体を更新すると対空砲や魚雷がイタリア製のものに置き換わり、性能が大きく変化する。
    イタリア巡洋艦ではこのTierから魚雷が使用可能になる。
  • 主砲・副砲
    片舷指向数や装填時間はNino Bixioと同じだが、口径が拡大しダメージも上昇したことで火力は順当に強化されている。
    前TierではHE弾を発射する副砲があったがこちらは付いていない。
    アップデートで主砲にSAP弾を乗せられるようになった。貫通できる装甲は42mmまでで、70度で跳弾の可能性ができる。また、80度で確実に跳弾する。
     
  • 魚雷
    搭載している。Tier2巡洋艦は魚雷を持たないものも多いため、同格比で見れば本艦の長所と言える。
    初期船体では単装発射管2基(片舷1射線)だが、船体を更新すると連装発射管2基(片舷2射線)になる。同時に使用する魚雷も性能が大きく変化する。魚雷モジュールではなく船体更新で変化するので注意。
     
    初期船体のドイツ魚雷は単発ダメージや雷速に優れているが、片舷1発しか撃てず射程も短いため扱いづらい。
    早めに船体を更新した方が魚雷を活用できる機会は多くなるだろう。
    後期船体のイタリア魚雷は「鈍足長射程」という特性を備え、以降イタリア魚雷に共通した特性になる。
    鈍足長射程という特性上、魚雷航路に味方が入り込んでしまうリスクが高い。味方への誤射には特に注意が必要。
     
  • 対空
    Tier相応に貧弱。
    初期船体の対空砲は射程が長いが継続ダメージは4しかない。船体を更新すると対空砲がイタリア製のものに置き換わり、継続ダメージが微増するものの、射程が大幅に短くなる。つまり船体更新により実質弱体化する。
    ...とはいえい、ずれにしても航空機に対抗するのは難しいため、弱体化を理由に船体更新を躊躇う必要は無いだろう。
     
  • 抗堪性
    バイタルパートは装甲帯60mm+装甲甲板スロープ40mmで守られている。
    前TierのNino Bixioと比べると、舷側装甲帯が追加されたことで対AP弾HE弾ともに耐弾性が高まっている。ただし装甲帯の高さは不足気味であり、遠距離から斜めに落下してくるAP弾は装甲帯の上を通過して甲板スロープに達する恐れがある。
    バイタルパートの高さについても、Nino Bixioよりマシだが、依然水面上に大きく突き出ているため、AP弾を撃ってくる相手(特に戦艦)に側面を晒すと防郭貫通を受ける危険が大きい。
     
  • 機動性
    一応速力は前Tierから向上しているが、周囲の高速化に伴って同格比では平凡な値になってしまった。
     
  • 総評
    本艦はイタリア巡洋艦ではあるが、船体はドイツ巡洋艦であるため伊巡らしい軽快な巡航速度を出す事が不可能となっている。また、ドイツ巡洋艦の特徴である軽めの舵は取り上げられ、イタリアらしい重い舵を取り付けた結果、走に関しては最高速・加速・舵の3拍子揃ってダメという非常に扱いにくい構成になってしまった。
     さらに本来は舵が軽い艦向けの砲配置に、深く考えずに口径の大きい砲を乗せ換えた結果…肝心の攻についてもイマイチという状況に加えて、守は投げ捨てているため「走守攻のいずれをとっても突出した強みを持たない」という苦行艦が生み出される事になった。ただしこれは他国同格と比較するからであって、格下のティア1の艦と比較すれば「ワンランク上の強さを持つ艦」として振る舞える。
     本艦に乗っているうちは「自分はティア1.5相当の艦である」という意識を忘れずに、1対1で勝負できるのは「砲火力に劣る駆逐艦(ただし、魚雷には注意を要する)か、格下巡洋艦のみ」であることを忘れないようにしたい。この点を忘れて「砲火力に勝る同格巡洋艦や、装甲および火力両方に勝る戦艦」に挑んだ場合、普通に考えたら返り討ちに逢うのは当然と言える。
     イタリア巡洋艦に今後も継続して乗るつもりの艦長は、積極的に駆逐艦を狩ることを意識したい。直線番長的な特性でより旋回性能に優れる駆逐を狩る為には非常に熟練した立ち回りが求められるが、今のうちから艦の特性や砲の扱いに慣れておきたい。
    そして何度も言うようだが、イタリア巡洋艦の強みは駆逐狩りである。駆逐を狩れ、伊巡乗り!

史実

軽巡洋艦タラント(旧マグデブルク級小型巡洋艦3番艦シュトラースブルク)

第一次世界大戦後、イタリア海軍が戦利艦として獲得した5隻の巡洋艦*1のうちの1隻。元ドイツ帝国海軍大洋艦隊*2所属、マクデブルク級小型巡洋艦3番艦シュトラースブルク。
マクデブルク級小型巡洋艦はコルベルク級小型巡洋艦とカールスルーエ級小型巡洋艦の間に位置する艦級で、当級から設計に取り入れられたクリッパー型艦首、水線部装甲帯、機雷搭載用に成形された艦尾等は以降のドイツ巡洋艦の標準形となった。
イタリアに引き渡し後、タラントと改名され、イタリア製武装の搭載や水上機運用能力の追加、植民地警備艦への改装等を経て1942年12月まで現役であった。

艦歴
  • ドイツでの艦歴
    シュトラースブルクは1910年、ヴィルヘルムスハーフェンにて起工。1912年10月9日竣工。1913年12月、戦艦カイザーとケーニヒ・アルベルトに搭載された新型タービンの信頼性検証のための長距離航海に同行が決定。戦艦2隻と共に、1914年6月までの間、ドイツからアフリカ西岸・南アメリカ東岸を経由し、チリのバルパライソに至り、そこから往路を辿りドイツへ帰還する約3万7000kmの長距離航海に参加した。
    第一次世界大戦中は北海・バルト海で活動し、ヘルゴラント・バイト海戦*3やスカーバラ、ハートルプールおよびウィットビー襲撃*4、アルビオン作戦*5等に参加した。
    1918年10月27日、ドイツ海軍最後の攻勢作戦*6に参加する為、第4偵察戦隊の一員としてヴィルヘルムスハーフェンに在ったシュトラースブルクから水兵45名が脱走する事件が発生する。脱走水兵らはすぐに拘束され艦へ戻されたが、第4偵察戦隊の巡洋艦6隻は移動先のクックスハーフェンにて出撃命令を拒否、マックス・フォン・バーデンによって提案されていた休戦を支持した。その後29日夜から命令不服従は艦隊全体に広がり、攻勢作戦は中止に追い込まれた。この出来事は後に「キールの反乱」と呼ばれる事件の発端となった。11月初め、シュトラースブルクはザスニッツに移動し、艦の指揮官は港と水兵評議会の招集を指揮した。
     
  • イタリアでの艦歴
    第一次大戦終結後、短期間ヴァイマール共和国海軍に籍を置いた後、1920年7月に戦利艦「O」としてイタリア海軍へ譲渡。船体の修理やドイツ製88mm対空砲をイタリア製76mm対空砲へ換装する等の改装を行った。改装終了後の1925年6月、艦種を偵察艦に変更し、艦名をタラントへ改めた上でイタリア海軍に正式就役した。艦名はイタリア屈指の軍港を要する南イタリアの港湾都市タラントに由来する。艦のモットーは"Ovunque un raggio della gloria d'Italia"(遍くイタリアの栄光)。*7
    就役の翌年、1926年にはカタパルトを追加しマッキM.7飛行艇の運用能力を得た。同年5月、イタリア海軍紅海艦隊旗艦としてソマリアへ出征。現地では反乱軍に対処する陸軍に協力し、水兵120名をベンダー・カシム(現ボサソ)へ上陸させ、27日間に渡って当地を確保した。1927年1月、本国帰還。
    1928年から1934年にかけては地中海各地を巡航した。この間、第4偵察師団旗艦(1928年)、巡洋艦への艦種変更(1929年)、水上機の更新(1931年)、イタリア海軍予備艦隊旗艦(1932年)等を経験し、1934年2月の地中海巡航では潜水母艦を務めた。1935年5月、ラ・スペツィアでの近代化改修を終えた後、東アフリカ方面へ派遣され、第二次エチオピア戦争にも参加した。
    1936年8月、本国帰還。タラント港にて植民地警備艦への大改装に入る。改装では150mm主砲3門と雷装、航空兵装及びボイラー2基が撤去され、1番・2番煙突が結合されたため艦容にかなりの変化が生じた。また、機関が撤去された事に伴い、最高速力が28ktから21kt(第二次大戦期には18kt)に低下したが、速度性能より燃費が重視される植民地警備艦としては問題とされなかった。この他、近接対空火力として20mm機関砲8門と13.2mm機銃10挺が追加された。1937年の改装終了後、第二次大戦勃発まで母港を転々とする。
    第二次大戦勃発時にはブリンディジに在り、戦争初期にはアドリア海を中心に機雷敷設や沿岸砲撃任務に従事していた。1941年5月には高速輸送船としてクレタ島侵攻に参加。1941年8月、マルタ島侵攻に備え創設されたForza Navale Speciale(特別海軍部隊)の旗艦となったが侵攻作戦は遂に実施されなかった。1942年2月に練習艦へ艦種変更。同年12月には予備役扱いで保管とされた。1943年9月9日、イタリア休戦を受けた乗員の手により自沈するが直後にドイツ軍によって浮揚される。しかしながら同年10月に空襲を受け再沈没。その後再度浮揚されるも1944年9月の空襲で再再沈没、復旧は放棄された。
    戦後、1946年から47年にかけて解体処分。第二次大戦中に参加した11の作戦のうち、6つが機雷敷設任務であった

コメント欄


*1 シュトラースブルク(独、マクデブルク級3番艦→タラント)、ピラウ(独、ピラウ級1番艦→バーリ)、グラウデンツ(独、グラウデンツ級1番艦→アンコーナ)、ヘルゴラント(墺、ヘルゴラント級1番艦→ブリンディジ)、サイダ(墺、ヘルゴラント級2番艦→ヴェネツィア
*2 高海艦隊、大海艦隊、ホーホゼーフロッテとも。第一次世界大戦におけるドイツ帝国海軍の主力艦隊
*3 1914年8月28日、北海のヘルゴラント島沖において生起した海戦。ヘルゴラント湾を警戒していたドイツ艦隊をイギリス艦隊が誘引、撃破した。シュトラースブルクは増援として海戦に参加し、イギリス側指揮官のレジナルド・ティリット代将が座乗する軽巡アレスーザ に迫るが、2度に渡って駆逐艦部隊に阻止され、霧に紛れ撤退した。ドイツ側指揮官はレーベレヒト・マース少将(戦死)。イギリス側指揮官の中には先述のレジナルド・ティリット代将がおり、彼の上司はグランドフリート司令長官ジョン・ジェリコー提督であった
*4 1914年12月16日、フランツ・フォン・ヒッパー少将率いるドイツ艦隊によって行われた、英国本土北海沿いの都市への襲撃。この襲撃は民間人に多くの被害を生じさせ、襲撃を許した英国海軍は大きな非難に晒された。シュトラースブルクは襲撃の直前、他の巡洋艦2隻及び駆逐艦と共に帰投する事を指示されたが、帰路、迎撃のため出撃してきたイギリス艦隊と遭遇。折りからの濃霧を利用してこれを撒いた
*5 1917年9月から10月にかけ、ドイツ帝国陸・海軍がロシア臨時政府統治下にあった西エストニア群島(サーレマー島、ヒーウマー島、ムフ島等)を制圧・占領した作戦。シュトラースブルクは10月14日、リガ湾の掃海支援に当たった。21日には戦艦マルクグラーフと共にキノ島を砲撃したほか、31日には最初の軍事総督をリバウからサーレマー島のアレンスブルク(現クレサーレ)に運んだ
*6 「1918年10月24日の海軍指令」「269/A1作戦」「第19号作戦指令」等と呼ばれるドイツ海軍の攻勢作戦。フランドル地方沿岸部及びテムズ川河口地域に攻撃を加え、出撃してきたイギリス艦隊を機雷と潜水艦攻撃で漸滅し、水雷艇隊による雷撃戦でとどめを刺す計画だった。作戦の目的はイギリス海軍に多大な損害を与え、休戦時の状況をドイツにとって少しでも有利なものにするためだったとも、当時進められていた休戦交渉に対する反逆であったともされる。計画の立案はドイツ海軍総司令官ラインハルト・シェーア提督と大洋艦隊司令長官のヒッパー提督が中心となって行った。シェーア提督曰く、作戦は勝利の見込みがあるものだったが、戦争に疲弊した末端の水兵たちにとっては無謀な作戦と映った
*7 時のイタリア王太后、マルゲリータ・ディ・サヴォイア(イタリア王ウンベルト1世王妃)が提唱したモットー。マルゲリータ王太后はマルゲリータ・ピザの名前の由来となった人物とされる事もある