Nino Bixio

Last-modified: 2023-01-24 (火) 21:37:49

ニーノ・ビクシオ級偵察巡洋艦

Nino Bixio_0.jpg

性能諸元

性能諸元の数値は、アップグレード・基本特性・艦長スキル・ブースター・迷彩などの補正がかかっていない素の状態の数値を入力してください。
部位ごとの装甲厚や散布界など、ゲーム内には載っていない情報は将来ゲーム内で見れるようになる可能性があるので暫定で0や0-1などとする
・基本性能

Tier1種別ツリー艦艇
艦種巡洋艦派生元-
国家イタリア派生先Taranto
生存性継戦能力16,600
装甲6-100mm
・防郭 0-1mm
・艦首・艦尾 0-1mm
・砲郭 0-1mm
・装甲甲板 0-1mm
機動性機関出力0,000馬力[hp]
最大速力26.8ノット[kt]
旋回半径480m
転舵所要時間4.8秒


隠蔽性 通常主砲発砲時火災発生時煙幕内からの主砲発砲時
海面発見距離7.4km10.0km9.4km2.6km
航空発見距離4.4km0.0km7.4km-


射撃管制装置艦体モジュール主砲射程最大散布界
-mod.19.1km0m
mod.210.0km0m


主砲艦体口径基数×門数最大ダメージ(火災)装填180度旋回
-120mm/50 Ansaldo 19098基×1門HE弾 1700(6%)12.0秒22.5秒


対空砲艦体口径基数×門数秒間平均ダメージ射程
A0.0mm基×門00.0km
B0.0mm基×門00.0km



・アップグレード

スロット0スロット1スロット2スロット3スロット4

・開発ツリー

開発ツリー
軍艦名
(必要経験値/購入クレジット)
モジュールスロット
(必要経験値)
当艦モジュールスロット1
(350)
Taranto
(980/-)
 
射撃管制装置(照準装置)
Gun Fire Control System-min.png照準装置 Type1 mod.2500

・消耗品

搭載可能 消耗品

搭載可能 消耗品

十字キー左
応急工作班I.png応急工作班無制限消耗品の動作時間:5 秒
消耗品の準備時間:60 秒

詳細は消耗品を参照

ゲーム内説明

タービン推進を採用したニーノ・ビクシオ級は一次大戦の勃発直前に建造され、軽量で高速な偵察艦としての運用を前提としていました。本級の主要区画は装甲甲板で防御されていました。
就役:1914
同型艦数:2

解説

イタリアのTier1巡洋艦。
全体的には火力と機動性に優れる一方で生存性に劣るという味付けになっている。

  • 兵装
    12cm砲を8門搭載し、片舷には5門まで指向可能。装填時間は12秒と長い。
    強力なSAP弾を長めの装填時間で放つPC版の特徴は消滅しており、総じて厳しい戦いを強いられる。比較的強力なAP弾で対処していこう。
     
    副砲は7.6cm砲が6門。こちらは普通のHE弾を発射するため、火災を起こせることもある。
    ただし装甲に問題を抱える本艦で副砲射程まで敵に近づくのは危険なので積極的に使えるものではない。
     
    魚雷は他のTier1巡洋艦と同様に装備していない。
     
  • 対空
    B船体に改装するとこのTierとしては強力な対空砲を持つようになる。が、気休めである。そもそも空母には遭遇しない。
     
  • 機動性・隠蔽性
    26.8ノットの速力は実装時点で同格最速。
    被発見距離は8.1kmで隠蔽性も優れている。
     
  • 抗堪性
    明確な弱点と言える。
    船体外部に装甲を持たないためHE弾をほぼ防げない。ここまでは他の防護巡洋艦も同じである。
    本艦ではそれに加えてバイタルパート(防郭)が前後に長く、水線上に高々と突き出ている上に、そこを守る傾斜甲板の厚さが38mmしかない、傾斜角も不十分、という欠点がある。
    このため敵前で側面を晒せばAP弾で簡単にバイタルパートを貫通される。
    HPもTier1巡洋艦としては低い。
    機動性と隠蔽性で上手くカバーする必要がある。
     

史実

  • ニーノ・ビクシオ級防護巡洋艦

イタリア海軍が1908年度計画で建造した3隻の偵察艦*1のうち、「ニーノ・ビクシオ」及び「マルサラ」が属する艦級*2

同じく1908年度計画に基づいて建造された前級「クアルト」(同型艦無し)の改良型として構想されたため、基本的な設計は「クアルト」に準ずる。設計主任はジュゼッペ・ロッタ技術大佐。

前級との相違点としては
・ボイラーを重油専焼缶と石炭・重油混焼缶の混載から石炭・重油混焼缶へ統一
・主機をパーソンズ式からより安価なカーチス式へ変更
・機関換装に伴う出力低下を補うため、船体のアスペクト比を若干拡大
・推進器を4軸から3軸に変更
・武装の配置を改正
などが挙げられる。また、艦内の大部分が機関によって占められたため、上部構造物が大型化し、船首甲板と上構が一体化した独特の艦型となった。

これらの変更により、前級に比べ排水量は約300t、全長は約9m増加したが、速力は「クアルト」を超える29ktを発揮するものとされた。しかしながら竣工後に重量超過が発覚。公試では「ニーノ・ビクシオ」が26.82kt、「マルサラ」が27.66ktと計画速力に達せず、前級「クアルト」の28ktにも及ばなかった。
また主機は信頼性に欠け、独特の艦型も甲板が波を被りやすくなるなど、前級からの変更点の多くが裏目に出る格好となった。
特に機関の信頼性問題は深刻で、前級「クアルト」が1940年まで運用されたのとは対照的に、本級が1920年代後半には除籍されてしまう要因の一つとなった(もう一つの要因は海軍の予算不足)。

艦歴
  • ニーノ・ビクシオ

1911年2月15日、カステラマーレ造船所にて起工。1914年5月5日竣工。艦名は千人隊*3の指揮官の一人、ニーノ・ビクシオ将軍に由来する。艦のモットーは"Obbedire e tacere"(沈黙し、服従する)。
第一次世界大戦中はアドリア海に面したブリンディジ港に配備され、オーストリア=ハンガリー帝国海軍(以下、二重帝国海軍)との戦闘に従事する。
1915年6月5日、4隻の駆逐艦と共にヴィス島(イタリア語名:リッサ島)及びスヴェティ・アンドリヤ島を砲撃。同年12月29日には、セルビア兵を乗せた船団を攻撃中の二重帝国艦隊を迎撃するためブリンディジを出撃。二重帝国海軍の巡洋艦ヘルゴラント*4と会敵するが、友軍の英巡ウェイマスが射線上にいたため発砲できず、日没と共に撤退する。
1916年8月2日には二重帝国海軍の駆逐艦隊と交戦中の協商国駆逐艦隊を支援するため、英巡リバプールと共に出撃。会敵した二重帝国海軍の巡洋艦アスペルンとの間に砲撃戦を行う。その帰路、二重帝国海軍の潜水艦U-4より雷撃を受けるが損害は無かった。
1917年5月5日に発生したオトラント海峡海戦*5には出撃準備が整っておらず不参加となる。また同年9月3日から4日にかけて、二重帝国の要港コトル(イタリア語名:カッタロ)を襲撃する部隊の護衛としてオトラントを出撃するが、天候悪化により作戦が中止されたため撤退した。
戦後は1919年1月からダルマチア地方の最大都市スプリト(イタリア語名:スパラト)でイタリア人保護の任務に就き、同年4月に本国へ帰還。1920年には40mm機関砲2門が追加装備された。
その後、機関の状態悪化が著しかったため、1929年に除籍の上スクラップとして売却された。

 
  • マルサラ

1911年2月15日、カステラマーレ造船所にて起工。1914年8月4日竣工。艦名は千人隊が遠征を開始した地であるシチリアの港町マルサラに由来する。艦のモットーは"Stat magnis nominis umbra"(偉大なる名の影に立つ)*6

第一次世界大戦中は他の巡洋艦と共にブリンディジへ配備され、オーストリア=ハンガリー帝国海軍との戦闘に従事する。
1915年7月11日にはパラグルジャ島(イタリア語名:ペラゴサ島)占領作戦に旗艦として参加し、フランス海軍の駆逐艦と共に島への上陸作戦を支援した。同月17日、再びフランス海軍の駆逐艦と共同で、ダルマチア各地に所在する二重帝国軍の沿岸砲及びその周辺の軍事施設を砲撃したが、潜水艦が目撃されたため砲撃を打ち切り撤退した。
1916年2月25日から26日にかけて、マルサラはドゥラス(イタリア語名:ドゥラッツォ)から脱出するセルビア軍を掩護するため、偵察艦クアルト、戦艦レジナ・エレナ、ナポリ、英巡ウェイマス及びリバプールと共にブリンディジを出撃、コトル-ヴルナ(イタリア語名:ヴァローナ)間の海域を哨戒した。同年6月25日には二重帝国の手に落ちたドゥラスを攻撃する魚雷艇(MAS)の護衛部隊の一員として襲撃作戦に参加した。また同年中にボイラー14基のうち12基が重油専焼缶に換装された。
1917年5月14日から15日にかけて生起したオトラント海峡海戦では、偵察艦ラッチア及び駆逐艦3隻と共に15日早朝ブリンディジを出撃。帰投する二重帝国艦隊の退路を断つためコトル方面へ進路を取った。午前8時ごろ、マルサラは二重帝国艦隊と会敵し短時間交戦するも、追撃中止の命令が出たため撤退。双方に戦没艦はなかった。
戦後、1919年にはリビア方面で活動していたとされる。
1920年12月25日、ザダル(イタリア語名:ザラ)の運河に係留されていたマルサラは、当地に駐留していたイタリア人武装勢力によって占拠された(この武装勢力はガブリエーレ・ダンヌンツィオに率いられリエカ(イタリア語名:フィウメ)を占領していた義勇軍の一部であり、彼らはリエカの義勇軍本隊が前日にイタリア海軍から艦砲射撃を受けた*7ことに動揺し、シベニク(イタリア語名:セベニコ)へ脱出するための手段を確保すべくマルサラを占拠した)。しかしながら、当時のマルサラは武装・機関共に使用不能であり、イタリア軍の到着後、武装勢力は降伏した。
その後、ニーノ・ビクシオと同じく40mm機関砲2門が追加装備されたが、機関の状態悪化が深刻であったため、1927年に除籍の上スクラップとして売却された。

コメント欄


*1 偵察艦(esploratore)はイタリア海軍独自の艦種で、英国海軍が1905年より配備していた偵察巡洋艦に触発され創設されたもの。優れた速力と軽防御を特徴とし、艦隊の尖兵として偵察・迎撃任務に就くとされた。後に巡洋艦に吸収される。
*2 書籍、ネット上では専ら防護巡洋艦とされる事が多い。
*3 イタリア統一運動期、ジュゼッペ・ガリバルディが率いた義勇軍。千人隊の両シチリア王国遠征とサルディーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世への征服地献上がイタリア統一を導いたと評される。因みに、ニーノ・ビクシオの進水を執り行ったのは艦名の由来となったビクシオ将軍の実娘であった。
*4 戦後、賠償艦としてイタリアに引き渡され、ブリンディジと改名される。
*5 オーストリア=ハンガリー帝国海軍の巡洋艦3隻がオトラント海峡に設置されていた協商国側封鎖線を攻撃して生起した海戦。双方の海軍が消極的姿勢に終始し、魚雷艇や潜水艦が主役であったアドリア海方面において最大の海戦であった。海戦自体は二重帝国海軍の勝利に終わり、艦隊司令のホルティ・ミクローシュ大佐(当時)は国民的英雄となった。後年、このホルティ提督はハンガリー王国摂政に就任し、戦前・戦中のハンガリー政治に大きな影響を与える事となる。
*6 古代ローマの詩人マルクス・アンナエウス・ルカヌスの『ファルサリア』の一節に由来するラテン語の格言。"magni nominis umbra"とも。現代では「過去(若しくは祖先)の栄光の上に胡座をかいている人」という意味合いを持つらしいので、何故この格言が艦のモットーとされているのかは不明。「先人の栄光を背負う」ぐらいの意味なのだろうか。
*7 フィウメはトリエステに隣接する港湾都市で、1915年のロンドン秘密条約に従い、戦争終結の暁には他の「未回収のイタリア」と共にイタリア領になるはずであった。しかしながらパリ講和会議ではイタリアのフィウメ領有が認められず、この事に不満を抱いたイタリアの愛国詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオが彼に共鳴する義勇軍を率いてフィウメを占領、1919年9月から一年以上に渡って当地を支配した。1920年11月、イタリア-ユーゴスラビア間で調印されたラパロ条約によりフィウメは独立した自由市となる事が決定したが、ダンヌンツィオはこれを拒否しイタリア王国へ宣戦布告の上占領を続けた。業を煮やしたイタリア王国政府は12月24日から5日間に渡り、戦艦アンドレ・ドーリアを含む海軍部隊にフィウメを艦砲射撃させ、さらに陸軍部隊を投入してダンヌンツィオを降伏させた。後にこの戦闘は「血のクリスマス」と呼ばれた。因みに、フィウメ砲撃を指揮したディエゴ・シモネッティ提督はニーノ・ビクシオに座乗した経歴がある。