【発令!第十一号作戦】攻略

Last-modified: 2015-05-05 (火) 09:41:58

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実際の攻略ページ

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第一一号作戦は別名セイロン島攻略作戦といいます
実際には行われなかった作戦ではありますがセイロン沖海戦は行われました

2015.4.20

「艦これ」開発/運営
@KanColle_STAFF 32 分
「艦これ」春イベント:期間限定海域【発令!第十一号作戦】は、全ての準備が整えば、来週【4/28(火曜日)】より実装/開催予定です。※諸事情により開催日が変更される場合もあります。ご了承頂けますと幸いです。

「艦これ」開発/運営
@KanColle_STAFF 22 時間
「艦これ」春イベント2015:期間限定海域は、四月最終週に実装/展開予定です。同作戦期間は、約20日間前後の予定です。大型主力艦級のイタリア艦娘を始め、複数の多彩な新艦娘が登場予定です。現在実装準備中の「艦これ」春イベも、どうぞお楽しみに!

セイロン沖海戦 (第一一号作戦 別名セイロン島攻略作戦とは別作戦)

セイロン沖海戦(セイロンおきかいせん)は、1942年4月5日から4月9日にインド洋のセイロン島沖で日本海軍の空母機動部隊とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた海戦である。連合国軍側の呼称はインド洋空襲(Indian Ocean raid)。

沈没する空母ハーミーズ
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背景

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日本

3月9日、日本軍はジャワ島を攻略し、第一段作戦(南方作戦)の主な作戦目的である南方資源地帯占領は想定より早期に終了、作戦もビルマ方面をのぞき最終段階にあった。第二段作戦の検討は始められていたが、セイロン島に進出してインド・中国方面を攻略し、ドイツ・イタリアと連携作戦(西亜打通作戦)を目指す陸軍側と、オーストラリア大陸攻略またはサモア諸島まで進出して米豪遮断作戦を目指す海軍側(特に軍令部)とが対立し、最終目標が決まらない状態であった。さらに、日本と日独伊三国同盟を結ぶナチス・ドイツは、インド洋に日本海軍の戦力を投入してイギリスの後方を撹乱することを期待、海軍軍事委員会の野村直邦海軍中将と何度か協議している[1]。連合艦隊司令部では2月20日から23日にかけてインド洋侵攻作戦の図上演習を行い、セイロン島の占領・英国東洋艦隊の撃滅という計画をたてる[2]。しかしセイロン攻略作戦に自信を持てない日本陸軍や、米豪遮断を目指す海軍軍令部の反対により連合艦隊のインド洋方面作戦計画は後退を余儀なくされた[2]。

この状況において、日本軍虎の子の空母機動部隊(第一航空艦隊基幹の南雲機動部隊)をインド洋に転用し、戦力の復活しつつあったイギリス海軍東洋艦隊を撃滅すべく行われたのが、インド洋作戦である。しかし、作戦を行う現地の状況がほとんどわからない状態で行われたこの作戦は、作戦目標もあまり明確でなかった。

連合国

イギリスは存亡の危機にあった。1941年12月のマレー沖海戦で英国東洋艦隊旗艦戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が沈み、極東の最重要拠点だったシンガポールも失陥した。大損害を被ったイギリス海軍東洋艦隊はインド洋セイロン島(現在のスリランカ)のコロンボ基地並びにトリンコマリー軍港に退避していた。しかし、本国艦隊からの増援を受け戦艦5隻空母3隻の大艦隊となっていた。日本軍の最大の敵はアメリカ太平洋艦隊であったが、日本にとりインド洋のイギリス海軍は日本への資源供給地となったオランダ領東インドの安全を脅かす存在であった。仮にセイロン島が日本軍の手に落ちた場合、インド洋の交通網が遮断され、中東の連合国軍補給ルートの遮断、スエズ運河の陥落、アフリカにおける枢軸国軍の勝利が現実のものとなる可能性が高かった[3]。

連合国はイギリス軍が従来よりコロンボを拠点として現存艦隊主義をとってビルマ方面に進攻する日本軍に睨みを効かせていた。イギリスはシンガポールの陥落が避けられなくなったため、新たな拠点の整備にせまられた。セイロン島西岸のコロンボは施設は充実していたが商業港のため混雑しており、東岸のトリンコマリーとモルディブ諸島南部のアッドゥ環礁を重要な候補地とした[4]。

連合軍から見て、日本軍は広い行動選択の自由を持っており、次の侵攻が何処に対して行われるかを特定するのは重要な問題であった。イギリス首相ウィンストン・チャーチルはダドリー・パウンド第一海軍卿より3月8日にはセイロンが脅威に晒されていると言う情報を受け取っていた。この問題に対処する為イギリス海軍は東洋艦隊司令長官をジェームズ・サマヴィル中将に交代する人事を行い、インド洋に展開する空母「インドミタブル」、戦艦「リヴェンジ」・「ロイヤル・サブリン」に対し、空母「フォーミダブル」、戦艦「ラミリーズ」、「レゾリューション」、「ウォースパイト」等の増派をはじめた[5]。サマヴィルは27日に「ウォースパイト」に将旗を掲げた。

イギリス軍は当時コロンボにあった極東連合部(FECB)という組織により、通信解析、方位測定、符丁等の暗号解読に努めており、日本海軍の主要な作戦用暗号であるJN-25の解読を行い、地点符号の特定に成功した。これにより3月22日には4月1日にセイロン島を攻撃する予定である事を知った。サマヴィルは待避の為30日にコロンボから艦隊を出港させ、アッドゥ環礁に向かわせたが、日本艦隊の規模は不明であった。彼の情勢分析では、コロンボを占領を企図していた場合、それへの対処は絶望的であるとし、中東に至る交通線の維持にも大きな悪影響を与えるというものだった。そのため、規模の大きくない攻撃にのみ対処する為、艦隊を洋上に展開してコロンボの東方で陽動に当たり、艦隊現存主義を維持する方針が決められた。3月28日、戦艦「ウォースパイト」、空母「フォーミダブル」、巡洋艦「エンタープライズ」、「コーンウォール」、「ドラゴン」、「キャルドン」、駆逐艦6隻がコロンボを出港、翌日空母「ハーミーズ」、巡洋艦「エメラルド」、駆逐艦2隻が出港し、洋上でR級戦艦6隻と合流した[6]。英艦隊は4月2日まで艦隊の連携を高めるための演習を繰り返した[6]。

戦闘序列

日本軍

南雲機動部隊の主力空母「加賀」は2月9日にパラオで座礁したため参加していない。また金剛型戦艦が4隻とも参加している。

第一航空艦隊司令長官:南雲忠一中将

第一航空戦隊 - 航空母艦:赤城
第二航空戦隊 - 航空母艦:飛龍、蒼龍
第五航空戦隊 - 航空母艦:翔鶴、瑞鶴
第三戦隊 - 戦艦:金剛、比叡、榛名、霧島
第八戦隊 - 重巡洋艦:利根、筑摩
第一水雷戦隊 - 軽巡洋艦:阿武隈
第四駆逐隊第二小隊 - 駆逐艦:萩風、舞風
第一七駆逐隊 - 駆逐艦:谷風、浦風、浜風、磯風
第一八駆逐隊 - 駆逐艦:陽炎、不知火、霞、霰
第一南遣艦隊司令長官:小沢治三郎中将

重巡洋艦:鳥海、軽巡洋艦:由良
第四航空戦隊 - 航空母艦:龍驤、駆逐艦:汐風
第七戦隊 - 重巡洋艦:熊野、鈴谷、三隈、最上
第二〇駆逐隊 - 駆逐艦:夕霧、朝霧、白雲、天霧
第三水雷戦隊 - 軽巡洋艦:川内
第一一駆逐隊 - 駆逐艦:初雪、白雪、吹雪
第一九駆逐隊 - 駆逐艦:磯波