艦これ 二次創作小説 『キス島撤退作戦』 第1話「緊急事態 emergency situation」

Last-modified: 2014-10-25 (土) 09:30:32

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艦これ 二次創作小説 『キス島撤退作戦』 第1話「緊急事態 emergency situation」

鳳翔2.jpg

艦これ 二次創作小説 『キス島撤退作戦』 第1話「緊急事態 emergency situation」

西暦20XX年。7月初頭。横須賀鎮守府。0400時。
頭上で電話のベルががなり立て、熟睡中だった若い男を無理矢理現実へと引き戻した。しかし若い男はすぐに頭をはっきりとさせると受話器を取った。電話はなんとまあ旧式の黒光りする
ダイヤル式のものだった。やかましいベル音を立てるので、いつ電話が来ても応じられるようにする為だ。
「はい、横鎮…え?」
若い男は肩肘をついて寝そべる姿勢から一気に胡座をかく姿勢になった。受話器を握る手に力が入る。「…うん、よし分かった。すぐに対策を立てよう。続きは執務室で」
若い男は受話器を一旦置くと、また取り上げてダイヤルを2、3回入力した。
「…あ、提督だ。夜分にすまんな。すぐに執務室へ来てくれ。緊急事態だ…ああそうだ、急いでくれ」

提督という名の若い男は就寝着から白の海軍制服に素早く着替え、寝室の隣にある彼の執務室へ入った。電気を点灯し、回転椅子に座った直後、寝室へと繋がる扉とはまた別の扉がノック
された。
「はい?」
「鳳翔、入ります」
扉の向こうから落ち着いた口調の女性の声が答えた。
「どうぞ」
「失礼します」
鳳翔と名乗った女性は、入室してきた時、左手に湯気を上げる2つの湯飲み茶碗を載せたお盆を、右手に長弓を持っていた。彼女は秘書艦を務めている。
「起こしてしまってすまんな」
しかし鳳翔は微笑んだ。
「いいえ。提督と私達艦娘はいつでも臨戦態勢、夜中だからって寝ぼけているわけには参りません」
提督は鳳翔から差し出されたお盆から湯呑み茶碗を1つ取ったが、熱いので急いで机の上に置く。
艦娘とは第2次世界大戦を戦っていた旧日本海軍の連合艦隊艦艇が少女の姿に擬人化している存在である。彼女達は人類から世界の海洋支配を奪った敵、深海棲艦という正体不明の存在と
戦っている。その目的は当然、深海棲艦に支配された海洋の奪還である。
「そうだな」
「それで、緊急事態と申しますのは…?」
「ああ、早速本題に入ろう」
提督は頷くと、寝室にあったのと同じ旧式の黒電話の受話器を取ると、自分達を起こした相手先のダイヤルを回した。相手はすぐに出た。既に鳳翔はお盆と長弓を秘書艦用執務机の上に置
いて、懐からメモ用紙と万年筆を取り出して提督の話すことをメモしていた。提督自身もメモをしながら電話をしているが、鳳翔は提督からメモ内容を見せてもらうのを待つつもりはなか
った。それに退屈しないで済むからだ。
10分程で電話は終わった。内容としては相手が抱えている問題をこちら側で把握したという形だ。
「事態は深刻ですね」
自分のメモを見ながら鳳翔は言った。
「弱ったな。回せる戦力が乏しい」
提督は艦娘出撃情報のファイルを広げながら唸った。「西方海域攻略に忙殺されてる間に、北方海域の制圧に来たか」
「西方海域は解放が急務と叫ばれている海域ですからね。西方海域を攻略すれば、南方海域の攻略が可能になり、南方攻略で他国との連携も可能になります」
「だが、北方海域の危険性の事も考慮にいれておくべきだったな…」
「提督、くよくよしてはいけません」
「そうだな。目下の問題に集中しよう」
提督は気を引き締めるように湯飲み茶碗から緑茶を一気にグイと飲み干した。

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0800時。横須賀鎮守府。小会議室
提督は鳳翔と共に小会議室に足を踏み入れた。既に招集をかけられた7名の艦娘が席についている。2人が小会議室に入ると、7名の艦娘が立ち上がって敬礼した。提督は答礼すると、壇
上に上がった。

矢作.JPG

「ああ、楽にしてくれ」
提督は7名の艦娘に着席を促し、艦娘達は再び椅子に座った。後ろで鳳翔がスクリーンを下ろすスイッチを押した。その音に一瞬ビクッと体を動かした艦娘が1人いた。新造、つまり新入
りの艦娘だ。まだ鎮守府の空気に慣れていなくてどこかオドオドしている。提督は新入りの艦娘を見て片眉を上げた。「大丈夫か、大鳳?」
大鳳と呼ばれた艦娘は背筋をピンと伸ばした。「は、はい…私は、大丈夫…大丈夫です」
「無理もない。君は着任したばかりで、練度は十分ではない。だが、どうしても君が必要となった。それも至急に」
提督は同情しながら言った。何せ提督も戦力化していない艦娘を実戦に投入するのは初めての事だったからだ。
「て、提督…」
「なんだ?」
「練度が低いままの出撃って…私…あの時の事が思い出されてしまって…」
「確かに、似ているな」
提督は同意した。「だが今回は同じ悲劇を繰り返させない。約束する。君を再び沈めはしない」
「だと…嬉しいです」
「では、本題に入ろう」
提督は大鳳との話を切り上げた。艦娘初の装甲空母である大鳳はまだ浮かない顔をしていたが、兎にも角にも話を聞く姿勢になった。大鳳の右隣に座るの艦娘が、彼女の不安を和らげよう
と彼女の腕に優しく触れた。
「大鳳、提督の言葉を信頼していいわ。だって私達の誰一人として沈んでいないもの」
「あ、ありがとうございます…あの…」
「千歳よ」
軽空母の千歳はにっこりし、隣に座る同じ服装の艦娘に顔を向けた。「こちらは妹の千代田。姉妹共々宜しくね」
「ええ、宜しくお願いします」
千代田は大鳳に素早く会釈すると、千歳の脇腹を突ついて提督の話に注意を戻させた。
「…ている間に、奴らは北方海域の侵攻を再開した。それも大規模にだ。駆逐艦に軽巡はもちろんのこと、重巡に戦艦、それに空母もだ」
提督はそこで鳳翔に合図した。鳳翔はリモコンのスイッチを押して、北方海域の中のある海域の画像を映し出した。「これはキス島とその周辺海域だ。現在このキス島に駐屯する陸戦隊が
深海棲艦によって包囲され、陸戦隊単独での脱出が困難となっている。北方海域を受け持つ幌筵泊地からの情報によれば、キス島への物資補給直前に敵の包囲が始まった為、糧食は持って
1ヶ月だ。弾薬はこれまであまり消費していないのでこちらは豊富だが、陸戦隊の命をつなぐ糧食が圧倒的に不足している」
鳳翔がリモコンの別のスイッチを押すと、キス島を包囲している深海棲艦を示す大小のブロックが浮かび上がった。
「それはつまり、1ヶ月以内にキス島を解放しなければならないということですか?」
艦娘の1人が挙手をした。その言葉に誰よりも動揺を示したのは他ならぬ大鳳だった。勿論、提督は大鳳の様子に気付いていた。だが、提督は首を横に振った。
「さすがにそれは無理だ。1ヶ月以内にキス島周辺に集結している深海棲艦の大部隊を排除し、キス島を解放するのは実質不可能と言っていい。戦力が十分なら不可能ではないが、生憎十
分ではない。それに、敵が1ヶ月待ってくれる保証はどこにも無い。偵察機によれば、補給艦が絶えず行き来しているらしい」
「そこで、キス島から陸戦隊を一時撤退させるのです」
艦娘達は鳳翔に顔を向けた。
「それでもリスクが高過ぎるのではないでしょうか?」
先程の艦娘がそう指摘した。
「確かに」
提督は頷いた。「敵の包囲網を突破し、包囲された駐屯部隊を救出するのは至難の業だろう。そこで、戦力を出来るだけ引きつける為、囮機動艦隊による陽動作戦を実施する。その隙を突
き、夜間とこの海域特有の霧に紛れて足の速い水雷戦隊でキス島に潜入し、陸戦隊を一人残らず救出する」
室内は水を打ったような静けさに包まれた。
「水雷戦隊って…その、私達と軽巡の方達とだけで救出せよ、と?」
「その通りだ、初霜」
初春型の初霜の隣に座る、初霜と同型艦娘の若葉が視線をじろりと提督に向けた。
「提督、それは無茶だ。重巡に戦艦、空母もいるのだろう」
「自殺行為です」
陽炎型の浜風がうんうんと頷く。彼女も大鳳よりは1ヶ月早いが着任したてで、横須賀鎮守府で戦力化の為の訓練に励んでいた。浜風の向かいに座る阿賀野型軽巡洋艦娘の矢矧も同意して
首を縦に振る。矢矧は浜風と同期だった。
「それに見たところ、軽巡は私だけのようだけど…幌筵泊地に軽巡はいるのですか?」
矢矧の質問に提督はかぶりを振った。
「軽巡はみんな、船団護衛や西方の対潜任務で出ずっぱりなんだ。西方海域は潜水艦が多い。撃沈しても撃沈しても次々と湧いて出てくる。攻略艦隊や補給船団の安全を確保する為にハー
ドなスケジュールをこなしてもらっている。一人でも抜けると、穴が出来てしまうかもしれない。出動できる軽巡は矢矧しかいなかった。一応夕張もいるが、彼女には工廠で新装備研究開
発をやってもらわねばならないので出すことができないのだ」
「幌筵の戦力はどうなっているのですか?」
初霜が聞いた。
「重巡が2名と、駆逐艦が数名だけだ」
提督は7人の艦娘を見渡した。「君達と幌筵の艦娘達とで、この作戦を成功させねばならないのだ。非常に厳しい作戦であることは分かっている。だが、キス島の人命を見捨てるわけには
いかない」
「それはもちろんです」
浜風が同意を示した。「ですが無茶な作戦と言わざるを得ません」
「同意見だが、それでも俺は命令を出さざるを得ない。ただし轟沈はするな。これは絶対命令だ」
「分かっています」
「あの、提督」
「なんだ鳳翔」
提督は鳳翔に振り返った。鳳翔の表情に何やら決意が見て取れた。
「私も幌筵に行きます」
提督だけでなく、7人の艦娘達も驚きの声を漏らした。
鳳翔は構わず続けた。
「私は旧式の空母ですが、大鳳の教官を務めることはできます。千歳と千代田に戦闘と教官を兼任させるのは荷が重すぎます。ここは私が大鳳の教官を務め、千歳と千代田には戦闘に集中
できるようにしたいと思います」
提督は腕組みをし、暫し軽く俯いて考えた。
やがて提督は顔を上げた。
「良いだろう。大鳳を教導してやってくれ」
「有難うございます」
鳳翔は頭を下げた。
「やれやれ、秘書艦をまた選ばんとな」
「私から選んでおきます」
「そうか。じゃあ頼んだぞ」
提督は苦笑しながらまた6人に向き直った。「鳳翔さんも幌筵に行くことになった。君達を後ろからしっかりと支えてくれることだろう。浜風の言う通り、無茶な作戦かもしれん。だが最
善を尽くしてもらいたい。より詳しい事は幌筵で分かるだろう。こちらからも西方海域の攻略を少しでも早めるよう働きかけてみる。出港は0900時とする。では解散」

千歳.JPG

大鳳は千歳と千代田と一緒に小会議室を出た。鳳翔は提督と一緒に別の出口から退室していた。
「大丈夫、大鳳?」
千歳が大鳳の左肩にそっと手を置いた。大鳳は見るからに自信なさげで半分泣きそうである。
「いきなり実戦なんて…私…務まるのかしら?」
「確かに前例は無いわね。でもいきなり戦うわけじゃないと思うわ。出動までに数日くらいの間があるはずよ」
「でも、キス島の陸戦隊の食糧はせいぜいあと1ヶ月って…」
「いきなり出動しても意味は無いわ。それに北方海域の空気に慣れるためにも間を開けないといけないし、作戦内容の詳細は向こうで聞くことになるし、ともかく色々しなければならない
ことはあるはずよ」
「大鳳さんの事は、私達が全力でカバーするから!!」
千代田の力強い言葉に、千歳も力強く頷いた。
「安心して。提督もいきなりあなたに先輩の一航戦やニ航戦、そして五航戦のような活躍ができるとは思ってはいないわ。現地で着実に練度を上げていくことを望んでいるはずよ。鳳翔さ
んも教官役に一緒に来てくれることだし、出撃する頃には今より練度が遥かに上がっているわ」
「だと良いですけれど…」
そう言う大鳳はまだ半信半疑の様子だ。
「私も不安だわ」
いつの間にか追い付いてきていた矢矧が言った。隣に浜風、初霜、若葉もいる。「私もまだ戦力化しないうちにいきなり前線に立てと言われてかなり動揺しているわ。でもそれでも、私は
最善を尽くすつもりよ」
「矢矧さん達はそれなりに訓練されているじゃないですか。私はほんの3日しか訓練していません」
「いいえ、これくらいではまだまだやっているうちに入らないわ」
矢矧は真剣な表情だ。「提督も無茶な要求だと分かっている。それを承知の上で私達にも出動命令を下したのよ。提督は言ったじゃない、絶対に轟沈するな、と」
「任務遂行の為に焦る事だけは絶対にしてはいけない。これは提督だけではなく私達のモットーでもあるのよ」
千歳が補足した。
「『帰ろう、帰ればまた来られる』、木村昌福少将のお言葉です」
初霜がそう言い、若葉もコクリとする。
「心配しなくていいわ大鳳。私達がついているから」
千歳が大鳳の左手を両手で優しく包み込んだ。思わず大鳳は立ち止まった。千歳は笑顔で何度も頷いている。次に千代田が大鳳の右手を同じく両手で包み込み、矢矧、浜風、初霜、若葉も
集まってきて千歳か千代田の両手の上から自分達の両手を載せた。
「大丈夫よ」
矢矧がより引き締まった顔になる。駆逐艦娘達も笑顔で大鳳を見上げている。
「みんな…有難う」
大鳳は1人1人の顔を順番に見ていった。最後に千歳と視線を合わせる。「ええ、私、精一杯頑張ります!!」
大鳳は初めて笑顔を見せた。

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0900時。
桟橋に各々の装備を持った大鳳、千歳、千代田、鳳翔、矢矧、浜風、初霜、若葉が横一列に整列して立っていた。
提督は臨時の秘書艦として任命した軽巡洋艦娘の夕張を伴って桟橋に歩いてきた。夕張は大きなケースを足元に置いていた。
桟橋上の艦娘達が一斉に敬礼する。
「楽にしてくれ」
提督は答礼しながらそう言うと、幌筵へ派遣する艦娘達の前に立った。正面に向き合っているのは大鳳だ。
「君達が無事に任務を遂行し、全員が無事に帰ってきてくれる事を、俺は確信している」
「私達もそのつもりです」
矢矧が顎を引く。「夕張さんの御指導も、決して無駄にはしません」
「工廠でお忙しい所、有難うございました」
浜風がお礼を言った。すると夕張は少し照れて頭を掻いた。西方海域攻略や既存海域の警備、そして船団護衛で軽巡洋艦娘の教官がいなかった為、臨時で夕張が抜擢されたのである。
「いいえ、工廠に缶詰も退屈だからちょうど良い気分転換になったわ。勉強にもなったし」
「今度から夕張にも教官をやってもらおうかな」
「え?あ、いや、その、私は、開発の方が向いてます!」
慌てる夕張に提督は首を少しひねる。
「そうかなあ、俺は君の教え方を上手いなあって思いながら見ていたんだけどな」
「それは嬉しいんですが…」
「まあいい。ところで、出航前に空母の君達に渡したいものがある」
提督は夕張の足元のケースを見やった。
「…あ、はい!」
我に返った夕張は急いでケースを持ち上げて一歩前に出ると、大鳳、千歳、千代田、鳳翔に手招きをした。
「艦載機ですか?」
大鳳が聞いた。
「ピンポーン!」
夕張はケースを桟橋に下ろすとファスナーを勢い良く開いてみせた。中を見ると、単行本サイズでVHS程の厚みを持つ軽い金属板が何枚か入っている。夕張がそのうちの一枚を取り出す。
表面には艦載機と工廠に常駐の夕張と、彼女と一緒に日々装備の研究開発に勤しむ妖精達のうちの1人の絵が描かれている。
「烈風…」
夕張は大鳳にニコリとした。
「結構短時間で開発やらされたけど、なんとか1枚だけ作れたわ」
「他には何があるんですか?」
鳳翔が尋ねた。夕張は鳳翔に顔を向けた。
「他はええと、紫電改ニ、彗星一ニ型甲、流星、彩雲、それに爆装零戦ね。あんまり多くないから4人でうまいこと分けて使ってね」
「千代田、自分だけ独り占めしちゃだめよ」
「千歳お姉~ひどいよー」
千代田が口を尖らせ、他の艦娘達がくすくす笑う。
「では、そろそろ出港と行こうか」
後ろから提督が咳払いし、それを合図に空母娘達は列に戻り、ケースは大型空母娘の大鳳が持った。
「じゃ、みんな、行くわよ」
鳳翔が最初に海面に足を踏み入れ、桟橋を離れた。続いて千歳、千代田、矢矧、浜風、初霜、若葉、大鳳の順番に桟橋から海面へ移った。
「鳳翔、出撃致します」
「航空母艦千歳、出撃します」
「航空母艦千代田、出撃します!」
「矢矧、抜錨する」
「駆逐艦、浜風、出ます!」
「初霜、出撃します!」
「若葉、出撃する」
「大鳳、出港します!」
「君達を信じている。いつでもな」
提督は彼女達に敬礼した。艦娘達は答礼すると、向きを変えて単縦陣で港湾外へと出て行った。後に白い航跡が残ったが、それも波によって徐々にかき消されていった。
夕張は振っていた手を下ろした。
「では提督、戻りますか」
「ああ」
提督は夕張と一緒に建物に向かって歩いて行った。

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1600時。幌筵泊地。
幌筵泊地の提督は、横須賀鎮守府の提督と同じくらいの年齢だった。彼は紅茶を愛飲しているので、横須賀鎮守府の提督と区別を付ける為、紅茶を表す「Tea」の頭文字を取ってT提督と表
記することにしよう。
T提督は今日も執務室で書類の処理を行いながら、好みのアールグレイティーを飲んでいた。カップの隣には熱々のアールグレイティーが入ったポットが置かれている。
「よし、これで最後だ」
T提督は、最後の書類にサインした。彼は判子ではなく、万年筆に由る直筆を好む。その為、今はそのせいで手が強ばっていた。
「お疲れ様です、司令官」
秘書艦を勤める睦月型駆逐艦娘の三日月が秘書艦専用執務机から立ち上がって歩いて来て、処理済みの書類の山を持ち上げた。
「いつもの如く、手が死ぬかと思ったよ」
T提督は右手を上下に振って筋肉をほぐそうとした。だがしばらくはこの痛みは残りそうだ。
「いつもの如く、マッサージしましょうか?」
書類の山を箱の中に入れながら三日月が聞いた。三日月が書類へのサインで披露したT提督の右手の筋肉をマッサージしてほぐすのはほぼ日課となっていた。最初こそ三日月はマッサージ
の要領が分からずに手間取ったものだが、ほんの2、3日でコツを掴んだ。
「忙しくなければ頼む」
この言葉はもはや三日月がマッサージをする合図に等しかった。
「喜んで」
三日月は笑顔で応じると、T提督の右手をマッサージし始めた。
「…なんかいつもすまんな」
これは初めて言った事だった。三日月は片眉を上げた。
「これも秘書艦の仕事です。私は全く気にしていませんよ」
「そうか。ありがとう」
提督は軽く頭を下げた。すると三日月は慌てて首を横に振った。
「司令官に感謝されるなんて…そんな…あり得ないです!」
「君はいつも謙虚だね」
「謙虚なんかではありません、本当の事ですから!」
「そう言えばもうすぐ増援がランデブー海域に到着する時間だな」
T提督は話題を変え、向こう側の壁に掛けてあるアナログ式時計を見た。三日月もマッサージの手を止めて時計に振り返る。
「そろそろ通信が入りますね」
三日月がそう言った時、執務机の側に置いてある台の上の無線機から雑音が流れた。受信を示す緑の小さなランプも点灯している。T提督は立ち上がると送話器を取り、送話ボタンを押し
た。
「提督だ」
応答する声が無線機に付いているスピーカーから聞こえた。
「古鷹です。増援艦隊を発見しました。これより合流に入ります」
「よし、なるべく早く出迎えてやってくれ」
「了解しました」
「提督より以上」
T提督は回線を切ると、送話器を元に戻した。
「これでようやく、撤退作戦を行えますね」
「ああ」
T提督は、執務机の背後にピン止めしてある北方海域の海図を見つめた。キス島はモーレイ海から少し離れた位置にある。続けてT提督は海図の隣にピン止めしてある増援艦隊の表に視線を
移した。
「空母が4隻とは、なかなか大盤振る舞いだな。実質的には3隻の出動になるだろうが」
「鳳翔さんは大鳳さんの教官役でこちらにいらっしゃるのでしたね」
「そうだ」
T提督は頷き、肩越しに三日月を見た。「そう言えば君は、あの時代、鳳翔さんと一緒に行動していたんじゃなかったのかな?」
「はい、第三航空戦隊のエスコートをしていました。すぐに別れることになりましたが」
「瑞鳳が来ないのは残念だったな」
「仕方ありません。西方海域攻略は佳境を迎えているのですから。大鳳さんと千歳さんと千代田さんを回してくれただけでも感謝です」
「全くだ。ここまでやってくれるとは、さすがは横鎮に勤めているだけのことはあるな。欲を言えば戦艦も回して欲しかったがさすがにそれは無理だったか」
T提督は苦笑しながら三日月に向き直った。「さて、俺達も出迎えの準備をせねばな」
「はい」
T提督と三日月は一緒に執務室を出た。

古鷹.JPG

同時刻。ランデブー海域。
「おーあれが噂の装甲空母かぁ」
額に手をかざして夕日の日差しを遮っている古鷹型重巡洋艦娘の加古が言った。
「まだ着任して間もないんですって」
姉の古鷹が言った。
「これから先が楽しみだね」
「そうね」
古鷹は増速した。加古もすぐに合わせる。向こうもこちらを見つけて針路を2人とすれ違うようにして正面衝突しないように航路修正した。
それから1分も経たないうちに古鷹と加古は増援艦隊と合流して停止した。古鷹達と増援艦隊は互いに敬礼を交わした。
「幌筵泊地から派遣された古鷹です。宜しくお願いします」
「古鷹型重巡の2番艦、加古ってんだー!」
「航空母艦、鳳翔と申します。不束者ですが、宜しくお願い致します」
鳳翔に続いて全員が頭を下げた。
「航空母艦、大鳳です」
「同じく千歳です」
「妹の千代田よ」
「阿賀野型軽巡洋艦3番艦の矢矧よ」
「初春型駆逐艦3番艦、若葉だ」
「同じく、初春型駆逐艦の4番艦、初霜です」
「浜風です」
「ようこそ幌筵泊地へ。そしてあなたが新造艦の大鳳さんですね」
大鳳は改めて古鷹にお辞儀をした。
「はい、宜しくお願い致します」
「一緒に頑張りましょうね」
古鷹は大鳳と握手を交わすと、島の方へ体を半回転させた。「では、私達の後に続いてください。加古、殿は任せたわよ」
「ほーい」

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加古が増援艦隊の最後尾に付き、艦隊は再び進み出した。島は10分程でぼやけた状態からはっきりした状態で見えてきた。
「あれが幌筵です。カムチャツカと隣り合っていますが、今はどちらにも人は住んでいません」
古鷹は幌筵島を指さした。
「挨拶に航空機でも飛ばす?」
「ダメよ千代田。失礼よ」
「やっぱりダメかー」
「なー古鷹ー、千代田の意見具申どうよー!」
加古は乗り気のようだ。古鷹はやれやれという風に首を振った。
「私達の提督はそういうのはあまり好きじゃないからダメね」
「あーそうだったかな、まあいっか。アハハハハハ…」
そんな加古に矢矧があまり感心しないといった顔になった。
「古鷹さん、加古さんっていつもあんな感じなんですか?」
古鷹は矢矧の非難を感じ取っていた。
「ええ、いつもあんな感じです。一見すると不真面目なように見えるんですけど、あの子はあの子なりに艦隊の空気を盛り上げようとしてるんですよ」
「そうなんですか」
矢矧はまだ疑っている。
「ええ、やるべき時はきちんとやる子です。ちょっと信じがたいかもしれませんが」
「いいえ、そうでなければ艦娘を務めることはできないはずです。私は古鷹さんを信じます」
加古の方は、どこ吹く風という感じで特に気にしていないようである。

「お、来た来た」
防波堤の上から双眼鏡で海上を眺めていたT提督が、古鷹達を見つけた。隣に立つ三日月の右肩にちょこんと座っている妖精も双眼鏡越しに古鷹達を見つけてひょこひょこ体を動かした。
艦娘1人1人には専属の妖精が最低1人はついており、駆逐艦娘は基本的に1人の妖精が伴っている。ただし普段は姿を隠していて見ることが出来ない。
「あれが大鳳か。だがすぐには出撃させられないな」
「はい。訓練が必要です」
三日月はT提督から双眼鏡を受け取り、自分も古鷹達が帰ってくるのを見つけた。
「これで撤退作戦はなんとかなりそうですね」
「とはいえ、低練度の艦娘が3人か。うまくやらないとダメだな」
「提督なら大丈夫です。提督なら私達をうまく使ってくれると信じています」
『使う』という単語を聞いて、T提督は複雑な表情を浮かべながら三日月の肩に優しく手を置いた。
「君達は艦娘だ。消耗品じゃない」
三日月はハッとして双眼鏡から目を話してT提督を見た。
「すみません。ご気分を害されたようで」
「害してはいないよ」
T提督は三日月の肩から手を放し、懐中時計を開いた。「では、俺達も港に行くか」
「はい」
T提督と三日月は階段を下りた。

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その港では暁型駆逐艦娘のネームシップ、暁とその同型艦娘の響、そして三日月と同じ睦月型の弥生と卯月と文月が、今回派遣されてくる増援艦隊について話をしていた。
「じゃあ、練度はまだまだ低いということだね」
響が冷静な口調で言う。
「誰だってみんなは最初は練度が低いものよ」
「横鎮は戦力化しないうちは実戦には出さないということを暁も知ってるはずだよ」
「ここで練度を上げるってことでしょ~、だったら問題ないんじゃないの?」
文月がおっとりとした声で言った。
「うーちゃんもそう思うピョン!!」
卯月が賛同する。
「でも、練度が低いと、轟沈する可能性が高くなるわ」
弥生はむすっとしていて機嫌が悪そうに見えるが、実際にはこれが弥生の普段の姿だった。
「それだけ早急に撤退作戦を実施しないといけないってことだね」
響の推測に、みんなが相槌を打った。
「でも、焦りは禁物ってのが私達や提督のモットーじゃない。誰も沈んだりしないわ」
「そうだね。それに自分達は提督を信頼している」
「あ、提督がこっちに来るよ~」
文月が響の肩越しに視線をやって注意を促した。全員が文月の視線を辿ると、T提督と三日月がこちらに向かって歩いてきていた。
「よし、出迎えるぞ」
T提督は艦娘達の前で立ち止まるとそう言って桟橋の方へ進みだした。駆逐艦娘達もあとに続く。
桟橋の手前でT提督は駆逐艦娘達を横一列に整列させた。T提督は港湾の方へ向き直った。それから10分後、古鷹を先頭に増援艦隊が幌筵泊地内に到着した。

続く


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