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No.055 | ||||
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紫電改二 | 艦上戦闘機 | |||
装備ステータス | ||||
火力 | 雷装 | |||
爆装 | 対空 | +9 | ||
対潜 | 索敵 | |||
命中 | 回避 | |||
射程 | ||||
装備可能艦種 | ||||
駆逐艦 | 軽巡洋艦 | 重巡洋艦 | 戦艦 | |
軽空母 | 正規空母 | 水上機母艦 | 航空戦艦 | |
備考 | ||||
本土防空の切り札、局地戦闘機「紫電改」の艦載機型です。 大馬力エンジンと空戦フラップの採用などによる優れた空戦能力で、開発・配備の遅れた烈風の穴を埋めるべく計画されました。 空母信濃が就航した暁には、たとえ烈風や烈風改が揃っていても、あえて搭載して欲しい幻の… そして実在した最後の艦上戦闘機です。 |
ゲームにおいて
- 2013年12月現在、先行実装で開発不可の震電改?を除けば、烈風と並ぶレアな艦戦である。
- ホロ艦載機らしく開発には難航するが、性能は+9と零式艦戦52型?の+6を大きく凌駕し、烈風の+10に次ぐ優秀な値を誇る。
- 烈風の9割の性能ながら理論開発コストはボーキ70と烈風の8割以下であり、様々な理由でボーキサイトの調達が
困難な提督にとっては数回しに有難い設定になっている。まあ先に開発資材が尽きるだろうけど
- 烈風の9割の性能ながら理論開発コストはボーキ70と烈風の8割以下であり、様々な理由でボーキサイトの調達が
- 人によっては烈風が出なくて紫電改二ばかりに偏るかもしれないが、数を揃えれば高難度MAPでも制空戦闘を優位に行えるはずである。
小ネタ
- 帝國海軍の艦上戦闘機、試製紫電改二(紫電四一型)が元ネタ。空技廠所属の山本重久少佐(元翔鶴戦闘機隊長)の操縦で空母信濃での発着艦試験に成功している。
- 説明文の実在した最後の艦上戦闘機はこれが由来。烈風や零戦六四型は空母に載った実績がない。
- 説明にもある通り、紫電改の艦載機型であるが…どの紫電改?
- 実は「紫電改」と呼ばれるものはいくつかあり、紫電改二は試製紫電三一型(N1K3-J)の艦載機型である。
- 試製紫電三一型は機首に13mm機銃2丁を増設し電装周りを改善したタイプ。「試製」とあるが少数量産されている。
- 重武装にも関わらず、山本少佐には「零戦より着艦が容易」と言われており基本設計の優秀さが伺える。
- 艦載型は実はもう一種類、試製紫電改三(紫電三二型、N1K4-J)を艦載化した試製紫電改四(紫電四二型、N1K4-A)があるが実機が製作されたかは不明である*1
- 実は「紫電改」と呼ばれるものはいくつかあり、紫電改二は試製紫電三一型(N1K3-J)の艦載機型である。
- 元々は水上戦闘機「強風」を局地戦闘機として改造したもの。そのためフロートが無い以外殆ど同じ、と思うであろうが…。
- 実際はエンジンが「火星」から「誉」に変更されたり、引き込み脚のために主翼を変更したりしたので、流用出来たのはコックピット周辺くらいである。
- まあそれでも新規に開発するよりは圧倒的に楽だった。主翼の力学的な面は殆ど一緒だし。
- 実際はエンジンが「火星」から「誉」に変更されたり、引き込み脚のために主翼を変更したりしたので、流用出来たのはコックピット周辺くらいである。
- 設計製作は世界最高峰の飛行艇と名高い二式大艇の開発を手がけた
変態水上機メーカー川西航空機。
現在は新明和工業として存続しており、海自の救難飛行艇US-2の開発・製造元でもある。
- 紫電改と言えば、二代目第343海軍航空隊、通称「剣部隊」が有名である。
これは海軍航空参謀「源田実」によって編成された航空隊でベテラン揃いで有名。- 戦闘機隊は「701戦闘飛行隊」「407戦闘飛行隊」「301戦闘飛行隊」の3つに分かれており、結成当初、701は「鴛淵 孝」、407は「林 喜重」、301は「菅野直」が隊長を務めていた。
また、各々の戦闘機隊員には「杉田庄一」、「武藤金義」、また一時期「坂井三郎」なども所属していたという非常に平均練度の高い航空隊であった。- アメリカ軍パイロットからもその実力を称賛され、落日の日本軍の中において有終の美を飾った。
- なお、優秀なメンバーを揃えるために他の飛行隊からエース級を引き抜きまくり味方からクレームが出たことは言ってはいけない。
- 戦闘機隊は「701戦闘飛行隊」「407戦闘飛行隊」「301戦闘飛行隊」の3つに分かれており、結成当初、701は「鴛淵 孝」、407は「林 喜重」、301は「菅野直」が隊長を務めていた。
- 局地戦闘機とあるように、本来は迎撃戦闘機であるゆえに航続距離が零戦に比べると短いことである。
それ以外は、零戦に不足していた防弾装備、大型機としては極めて良好な機動性に加え、高速の一撃離脱も可能な速度を有するなど、本来の烈風のポジションを埋め合わせるほどの素晴らしい戦闘機であった。- 烈風がいつまでたっても完成しないことに業を煮やした日本海軍は本機の試作機が完成した1944年初頭の段階で烈風を差し置いて、なんと次期主力戦闘機に選定した。
- ただし書類を書き換えるのが面倒臭かったらしく、機体分類上は局地戦闘機のままだった。しかし前線ではもっぱら制空戦闘機として運用され、配備を熱望する若手が続出した。
- 本機の需要の大きさは前線部隊で『ゼロ戦に乗るなんて死にに行くようなもんだ!噂の紫電改に乗りたーい!』と嘆かれるほどのものだった。
- しかし川西航空機の生産力が中島飛行機や三菱重工業などの大手に劣っていたので、とても三四三空や横須賀航空隊以外に回せる余裕が出ず、全部隊への配備は叶わぬ夢であった。*3
- だが三四三空や横須賀航空隊などの数少ないエリート部隊で本機の活躍は戦後の国民に強く印象を遺し、後年の1960年代の戦記漫画ブームにおける名作『紫電改のタカ』で一気に知名度を拡大。
いつしか遅すぎたゼロ戦の後継機と認知されていった。現在においても団塊の世代の人々は零戦の正統後継機は本機であると信じており、三菱重工業製だと信じてる者もいるらしい……。
烈風ェ……。あれ?烈風要らなくね?たぶん本当に要らなかったと思う
- 日本軍機の常として、高高度性能は高くなかったそうな。四発の重爆撃機を迎撃する局地戦闘機(≒迎撃機)としては今一つであった。雷電のほうが最適だと判断されたのが、雷電の延命に繋がった。
ただし、実際の運用法である制空戦闘機では、一定以上の高高度性能は不要という考えも存在する上、適正高度での戦闘力は流石の新鋭機といったところだったという。- そもそも、日本の高高度性能の高い単座戦闘機は陸軍の疾風や五式戦闘機ぐらいだし。
- 実際にはB-29迎撃戦にもほとんど参加していないので高々度性能については実際の評価は不可能といったところ。なお、海軍によるB-29撃墜の大半は局地戦闘機「雷電」によるもの。
- 戦後日本人の『B-29にはまったく歯がたたずに手が出せなかった』などの日本軍は脆いというイメージとは裏腹に奮戦している。
その数300機以上が日本軍に撃墜されており、これは対日戦に投入されたB-29の1割以上に達する。撃墜にいたったかどうかは不明だが「隼」にエンジンを破壊されたB-29もいる。
- 戦後日本人の『B-29にはまったく歯がたたずに手が出せなかった』などの日本軍は脆いというイメージとは裏腹に奮戦している。
- ちなみに終戦前に1946年を見込んだ更なる新鋭機の開発が
やけくそのように開始されていたのだが、次期主力戦闘機のベースになったのは本機である。- 対案に根本的な新型として、紫電と同時期に開発が中止された「陣風」の開発再開も検討されていたあたり、川西航空機がいつしか中島飛行機や三菱重工業と並んで海軍の信頼を得ていたかが伺える。
- 余談だが紫電改を開発した菊原静男氏はYS-11の製作にも参加した人物である。
- 烈風がいつまでたっても完成しないことに業を煮やした日本海軍は本機の試作機が完成した1944年初頭の段階で烈風を差し置いて、なんと次期主力戦闘機に選定した。
- なおその設計思想のためか、「紫電」はF4Fワイルドキャットさんに、「紫電改」はF6Fヘルキャットさんにシルエットがよく似ている。
お陰で味方から誤認され、攻撃される事が多かった。- あまりに味方から誤認されるので、わざわざ見せ合いっこしたという心温まる(?)エピソードも存在する。
- 因みに肝心の紫電改二は殆ど生産されていない。空母に載っけて何処か行くような時期では既になかった。
- 描かれてる機体は"ヤ-1155" 谷田部海軍航空隊所属 実際には紫電一一型甲、つまり紫電改ではなく紫電でした。
- その為、イラストのエンジンカウルも紫電改ではなく一一型の形状になってしまっている。
- 終戦後に連合軍が紫電改を接収し燃料や整備を万全の状態にしたところ、速度が100km/h近く向上し*4米軍で行われた実戦演習でもあらゆる米軍機を圧倒してしまったという。*5
速度が互角ではF8Fは一撃離脱が出来ずかといって格闘戦では勝負にならない。
一方のF6Fは80km/h近い速度差で逆に一撃離脱を受けるだけとなる。
紫電改は言わばF6Fの格闘性能とF8Fの高速機動を併せ持つ機体であった。なにこのチート燃料さえ・・・燃料さえ良ければッ
- 連合軍コードネームは「George」