No.020 | ||||
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File not found: "weapon020.png" at page "装備カード一覧"[添付] | 零式艦戦21型 | 艦上戦闘機 | ||
装備ステータス | ||||
火力 | 雷装 | |||
爆装 | 対空 | +5 | ||
対潜 | 索敵 | |||
命中 | 回避 | |||
射程 | ||||
装備可能艦種 | ||||
駆逐艦 | 軽巡洋艦 | 重巡洋艦 | 戦艦 | |
軽空母 | 正規空母 | 水上機母艦 | 航空戦艦 | |
備考 | ||||
「ゼロ戦」の名で知られる名機「零式艦上戦闘機」の初期型です。7.7mm機銃2門と自慢の20mm機関砲2門を装備。 優れた格闘戦能力と長大な航続距離で、その圧倒的な力を見せつけました。 やがて敵が強力な新型機になってくると、火力と速度、防弾性などの弱点が露呈していきます。 |
ゲームにおいて
- 九六式艦戦の上位互換、そして正規空母の初期装備である。
- 特に任務報酬の赤城が持ってきてくれる本機は、装備開発をまともに回せない初心者提督の強い味方となる。
- 序盤の海域ではこれで十分だが、中盤以降で早々に52型?が主力となるため出番が少ない。でも対空値は52型と比べても1しか違わないため、場合によっては主力になり続けるだろう。
- 掲示板では、艦載機レシピの失敗作として扱われることが多い。
小ネタ
- 元ネタは、三菱 零式艦上戦闘機二一型(A6M2b)。かの有名な零戦(ゼロ戦)の初期型で、数々の神話を築いた傑作機。
先行量産型(11型)を基に艦載機としての機構を実装。本格的な量産が行われ、大戦初期の快進撃を支えた。- 一昔前までは「ゼロ」は英語(敵性語)なため「ぜろせん」読みは誤り、戦時中は「れいせん」と呼ばれていたと言われていた。
しかし当時の新聞には「ゼロセン」と記されており、パイロット他現場関係者も「ゼロ」や「れい」と両方使っていたと証言している。- 敵性語の排斥は民間主導の運動であり、陸海問わず軍部は普通に英語を使っていた。
公式文書では和訳した語を用いていたが、これは明治の頃から和訳を推し進めた結果に過ぎない。 - 連合国がつけた公式なコードネームは「ZEKE(ジーク)」*1だが、現場では半ば公然と「ZERO」と呼ばれ恐れられていた。
- 敵性語の排斥は民間主導の運動であり、陸海問わず軍部は普通に英語を使っていた。
- 開発元の三菱だけでなく、中島飛行機でもライセンス生産が行われた。総生産10000以上と言われる零戦シリーズの2/3が中島製。
だが中島製零戦は品質に劣ると言われ、また三菱製と一部部品の互換性がないといった問題があった。- 互換性の問題は中島が独自に改良したせいとも、三菱が提供した図面が間違っていた、そもそも小改修し過ぎとも言われている。
- 21型とは「機体Ver2、エンジンVer1」を示す。そのため読みは「にじゅういち」ではなく「にーいち」。
本来なら彗星一二型甲?のように漢数字で表すが、ここではゲーム内表記に準じている。
- 一昔前までは「ゼロ」は英語(敵性語)なため「ぜろせん」読みは誤り、戦時中は「れいせん」と呼ばれていたと言われていた。
- 一般に「零戦」と言うと暗緑色に塗装された52型?を思い浮かべる人が多数。だが真珠湾を始め、緒戦で活躍したのはこちらである。
暗緑色の塗装は昭和18年6月頃から正式化され、それ以前は空中での視認性を低くするために明灰白色*2の塗装だった。
- 九六式の要求性能が無難なものであったのに対し、一二試艦戦として課せられた要求は「ないものねだり」とも言うべき厳しいもの*5だった。
あまりの厳しさに中島は開発辞退。三菱は2人の高官から「格闘力」と「速力と航続力」を優先との答えを得て、開発を継続する。
この結果、運動性能は神、防御力は紙とも言われる機体が完成する。- 大馬力エンジンがなかったため、格闘力と速力、航続力を優れたものにするには軽量化しか術がなかった。
ボルトやネジの1本に至るまで徹底され、重量増加に繋がる防弾装備は優先度が低いこともあって見送られた。- 将来的に大口径20mmが戦闘機の標準装備になると予想、中途半端な防弾ではデッドウェイトにしかならないと判断されたとも言われている。
- 最前線のエースパイロットの多くは軽快な格闘機を求めていた。
彼らは工場出荷状態に満足せず、信頼性に欠ける通信機を外してアンテナを切り落とし、パラシュートも放り捨てると、更なる軽量化に腐心する。
- 「弾数が少ない」「ションベン弾」などと酷評されることのある20mm機銃であるが、その高威力により防御力の高い米軍機を多数撃墜するなどの戦果を挙げている。
また、弾数の少なさや命中率の低さも後に改善されている。- なお、世界で初めて「空飛ぶ要塞」B-17を撃墜した坂井三郎はションベン弾批判の第一人者でもある。
- 大馬力エンジンがなかったため、格闘力と速力、航続力を優れたものにするには軽量化しか術がなかった。
- 初期の配備数は僅か400機。その400機で西太平洋の連合軍機を全て駆逐して制空権を確保。南雲機動部隊と共に最強の神話を作っていく。
しかし、アクタン・ゼロ(古賀のゼロ)*6の発見や対零戦戦闘術の考案を機に立場が逆転するようになる。- 後継機開発の遅れや熟練搭乗員の減少、そして複雑な生産工程と脆弱な工業力による工作精度の低下。
米軍が傑作戦闘機F6Fを投入するなどして、零戦神話は崩壊した。
- 後継機開発の遅れや熟練搭乗員の減少、そして複雑な生産工程と脆弱な工業力による工作精度の低下。
- 尾翼の機番はほとんど見えないが、マーキング等からV-107ではないかと推測される。ハセガワのプラモの塗装例にもあるし。
台南海軍航空隊所属機で、撃墜王と名高い坂井三郎氏の乗機の一つとして紹介される。- 坂井氏は戦艦霧島の砲手から第38期操縦練習生として飛行兵の道を歩み始め,終戦まで戦い続けた。撃墜王の時間だゴルァ
- ちなみに太平洋戦争最後の撃墜を記録した。(8月15日)
- 坂井氏の乗機としてはV-103の方が有名。他にも負傷時に乗っていたV-128が知られる。