戦う顔

Last-modified: 2024-11-13 (水) 12:40:20

立浪和義の迷言。中日時代の京田陽太がしていないとされたもの。英語に直訳した「バトルフェイス」も使われる。


概要

2022年シーズンの京田は開幕から打率1割台と深刻な打撃不振に陥っていたが、遊撃手の有力なバックアップ要員不足*1というチーム事情もあり、何とかレギュラーの座に踏みとどまっている状態だった。しかし調子は一向に上向かず、5月4日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では16打数連続無安打を記録してしまった上、追い付いていた遊ゴロを後逸する*2プレーがあるなど、持ち味であるはずの守備面でも流れを止めてしまう。
結局、この試合は1-7と大敗。上記のミスが引き金となり、京田は直後の打席で代打を送られ途中交代、さらに試合中に二軍へ強制送還を命じられた*3。試合後、立浪和義監督がこの理由について記者に問われた際、「もう戦う顔をしていないんで外した」と説明した。

下記の通り、元々は京田が攻守に精彩を欠いている旨を指摘したコメントで、その指摘自体も当時の京田の状態を考えると至極真っ当なものではあったのだが、言葉のインパクトが強すぎたためか「戦う顔」の部分のみがネタにされがちである。


記事

【一問一答】中日立浪監督「もう戦う顔をしていないんで外した」試合中に京田を2軍へ強制送還
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202205040001023.html


-5回に京田に代打を送った
「取れるアウトをね。打つ打たないは、ずっと調子悪いから我慢してやっている。守れなかったら。あとは顔を見ていても全く精彩がないんで。2軍でやり直して来いと、今日は途中で代えました」

-試合中もベンチに姿がなかった
「もう帰らせました」

(中略)

-京田は一からやり直す
「あれだけ結果が出ないと、本人が一番苦しいんでしょうけど、出ている以上はそんなことは関係ない。こっちも気を使って何とかさせようとやってはいたが、もう戦う顔をしていないんで外した

-4回の二遊間の打球も後ろにそらした
「この間の甲子園もだが、あのへんの打球に入っていけない。やっぱり守備だけでもきちっとしてくれたら。打てないのは別に8番だからいい。いいプレーもしているが、ちょっと1回、考え直した方がいいという判断」


用法

以来、立浪が特定の選手を贔屓(愛人)起用していることを皮肉る際に「でも○○(愛人起用されている選手)は戦う顔をしているから」というフレーズが多用されている*4
また、キャンプで立浪監督が「笑顔禁止令」を出して以来、中日の選手が硬く張りつめた表情をしている場面が目立つことから、こちらも「みんな戦う顔をしている」とネタにされていた。


自認

二軍で約1ヶ月半の調整を経た京田は、交流戦明けとなる6月17日の巨人戦で再昇格。一軍の練習には前日の16日から合流しており、この日の練習前の円陣では京田自ら「戦う顔をしていなかったら皆さん、言ってください」と自虐も交えながら声出しを行なった。

「戦う顔をしていなかったら言ってください」 京田陽太、1軍合流でリーグ再開への決意【中日】
https://www.chunichi.co.jp/article/490709


 1カ月半ぶりの1軍。「戦う顔をしていなかったら皆さん、言ってください。頑張ります」。練習前の円陣でチームメートらにこう話した。

 立浪監督に「戦う顔をしていない」と指摘されたのは、5月4日のDeNA戦(横浜)だった。守備で二遊間へのゴロをはじき、内野安打に。バットでも16打席無安打と攻守に精彩を欠き、途中交代。試合中に名古屋への帰還を命じられ、翌5日に出場選手登録を抹消された。「結果が出ないことに対して、自分と戦っていました。それが最後ああやってミスにつながったと思います」

(中略)

 「どんな状況であっても下を向かないように、戦う顔、姿勢をしっかり見せたい。これからは結果が出ても出なくても、相手にぶつかっていくという思いでいきます」

しかし結局その後も復調することなく、7月に再び二軍降格。その後8月に再昇格したがまもなく新型コロナ感染により再度抹消。この間にショートに入った土田龍空にレギュラーを奪われたことでシーズン終了まで昇格は叶わず、この年は43試合と自己ワーストの出場試合数となった。


DeNA移籍後

シーズン終了後の11月18日、「戦う顔」発言がなされた試合の対戦相手だったDeNAへのトレード移籍*5が決定。京田自身も移籍会見でこのことを「自虐ネタになりますが、強制送還したところにまた戻るということで」とネタにした。

DeNAでは新ユニフォームの発表会や球団歌収録にいきなり顔役として呼ばれるなど名誉生え抜き同然の扱いを受けており、「これは球団の顔」などと評価された。
またこれら一連の出来事によって京田は「バトルフェイス京田」や「バッフェ*6といった別称を頂戴したばかりか、京田のあらゆるプレーが「バトル○○」と呼称されるようになっている。


チームメイト公認

どうやらDeNAのベンチからも「バトルフェイス京田」は公認ネタらしく、試合終了後のハイタッチで呼ばれる動画がDeNA公式からアップロードされている*7

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※45秒付近で「バトルフェイス京田」「戦う顔してるぜ」という声*8が聞こえる。

関連項目



Tag: 中日 横浜 顔芸


*1 当該シーズンの中日では、経験こそ豊富だが加齢で劣化の始まっていた堂上直倫、若手の根尾昂(後に投手へ転向)、能力は高いが体力不足で好不調の波が激しい三ツ俣大樹(同年オフ戦力外)、打撃力はあるが故障が多めで守備に不安のある溝脇隼人など、安定した守備力を持つ遊撃手がほとんどいなかった
*2 記録は内野安打。直後には先発・岡田俊哉が一発を浴び、結果的に先制点献上へと繋がってしまった。
*3 なお、その後京田は下半身のコンディション不良を抱えていたことが判明し、リハビリ組に合流している。
*4 特に槍玉に挙げられたのが福留孝介。この年の福留は開幕から25打席連続無安打を記録するなど絶不調に陥っていたが、勝負所での代打の一番手として交流戦終了まで起用され続けており、結局、交流戦最終日の6月12日時点で打率.043(23打数1安打4四球3打点)という体たらくだった。福留は翌13日に一軍登録抹消となり、同年限りで引退している。
*5 砂田毅樹との交換トレード。
*6 なおこれらのフレーズはとあるコテハンの蔑称ともかけていると思われるが、詳細は各自参照してもらいたい。
*7 4月30日の中日戦(2-0で勝利)。京田は9回にファインプレーを見せ試合を締めている。
*8 声の主は大田泰示柴田竜拓ではないかと推測されている。
*9 この人は逆に横浜出身で、球団幹部と揉めてDeNAを退団した。波留敏夫と近い時期に中日・横浜に在籍歴があるのは谷繁元信中山裕章、中村武志などか挙げられる。