戦う顔

Last-modified: 2022-06-30 (木) 06:48:02

中日ドラゴンズ・京田陽太がしていないとされたもの。

【目次】


概要

2022年シーズンの京田は開幕から打率1割台と深刻な打撃不振に陥っていたが、遊撃手の有力なバックアップ要員不足*1というチーム事情もあり、何とかレギュラーの座に踏みとどまっている状態だった。しかし調子は一向に上向かず、5月4日の対DeNA戦(横浜)では16打数連続無安打を記録してしまった上、追い付いていた遊ゴロを後逸する*2プレーがあるなど、持ち味であるはずの守備面でも流れを止めてしまう。
結局、この試合は1-7と大敗(試合詳細)。上記のミスが引き金となり、京田は直後の打席で代打を送られ途中交代、さらに試合中に二軍へ強制送還を命じられた*3。試合後、立浪和義監督がこの理由について記者に問われた際、「戦う顔をしていない」と説明したことが由来。

以来、立浪が特定の選手*4愛人起用していることを指して、「○○は戦う顔をしているから」と言われるようになった。また、キャンプで立浪監督が「笑顔禁止令」を出して以来、中日の選手が硬くはりつめた表情をしている場面が目立つことから、こちらも「みんな戦う顔をしている」とネタにされている。


記事

【一問一答】中日立浪監督「もう戦う顔をしていないんで外した」試合中に京田を2軍へ強制送還
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202205040001023.html


-5回に京田に代打を送った
「取れるアウトをね。打つ打たないは、ずっと調子悪いから我慢してやっている。守れなかったら。あとは顔を見ていても全く精彩がないんで。2軍でやり直して来いと、今日は途中で代えました」
 
-試合中もベンチに姿がなかった
「もう帰らせました」
 
(中略)
 
-京田は一からやり直す
「あれだけ結果が出ないと、本人が一番苦しいんでしょうけど、出ている以上はそんなことは関係ない。こっちも気を使って何とかさせようとやってはいたが、もう戦う顔をしていないんで外した
 
-4回の二遊間の打球も後ろにそらした
「この間の甲子園もだが、あのへんの打球に入っていけない。やっぱり守備だけでもきちっとしてくれたら。打てないのは別に8番だからいい。いいプレーもしているが、ちょっと1回、考え直した方がいいという判断」


その後

二軍で約1ヶ月半の調整を経た京田は、交流戦明けとなる6月17日の巨人戦で再昇格。一軍の練習には前日の16日から合流しており、この日の練習前の円陣では京田自ら「戦う顔をしていなかったら皆さん、言ってください」と自虐も交えながら声出しを行なっていた。
これにより復帰後の京田は「バトルフェイス京田陽太(バトフェ)」と呼ばれている。

「戦う顔をしていなかったら言ってください」 京田陽太、1軍合流でリーグ再開への決意【中日】
https://www.chunichi.co.jp/article/490709


 1カ月半ぶりの1軍。「戦う顔をしていなかったら皆さん、言ってください。頑張ります」。練習前の円陣でチームメートらにこう話した。
 
 立浪監督に「戦う顔をしていない」と指摘されたのは、5月4日のDeNA戦(横浜)だった。守備で二遊間へのゴロをはじき、内野安打に。バットでも16打席無安打と攻守に精彩を欠き、途中交代。試合中に名古屋への帰還を命じられ、翌5日に出場選手登録を抹消された。「結果が出ないことに対して、自分と戦っていました。それが最後ああやってミスにつながったと思います」
 
 心身ともに整理した。降格後は右足内転筋の張りで約3週間をリハビリ組で過ごした。「切り替えるいい時間になりました」。7日のウエスタン・リーグ広島戦(ナゴヤ)で実戦復帰すると、14、15日の同ソフトバンク戦(タマスタ筑後)では2試合連続マルチ安打をマーク。15日の試合後に再昇格が決まった。
 
 「どんな状況であっても下を向かないように、戦う顔、姿勢をしっかり見せたい。これからは結果が出ても出なくても、相手にぶつかっていくという思いでいきます」


関連項目



Tag: 中日


*1 当該シーズンの中日では、経験こそ豊富だが加齢で劣化の始まっていた堂上直倫、若手の根尾昂(後に投手へ転向)、能力は高いが体力不足で好不調の波が激しい三ツ俣大樹、打撃力はあるが故障が多めで守備に不安のある溝脇隼人など、安定した守備力を持つ遊撃手がほとんどいなかった
*2 記録は内野安打。直後には先発・岡田俊哉が一発を浴び、先制点献上に繋がってしまった。
*3 なお、その後京田は下半身のコンディション不良を抱えていたことが判明し、リハビリ組に合流している。
*4 特に槍玉に挙げられるのが福留孝介。この年開幕から25打席連続無安打を記録するなど絶不調に陥っていたが、勝負所での代打の一番手として、交流戦終了まで起用し続けた。交流戦終了時点での成績は23打数1安打4四球3打点。