強制帰宅

Last-modified: 2021-06-17 (木) 21:32:32

試合中に水を差した選手に対して監督などが命じることがある罰のこと。特にオリックスがネタにされがちである。

概要

話題になりだしたのは福良政権時代に2017年5月26日の試合で山﨑福也に対して命じたことから。

この日の山﨑は3回4失点と微妙な内容で、前回登板も4回5失点とイマイチだった。

そして福良はこの内容に激怒試合中にも関わらず帰阪を命じてしまった。

この事件以来、炎上した投手が試合中に途中帰宅させられるのが、監督途中解任と並ぶオリックスの恒例行事となんJ民に認知されてしまっている。

その後

  • 山﨑はその後2017年9月18日にも、さらに2019年4月28日には近藤大亮もろとも帰宅を命じられ、3度目に命じられた際には猛帰宅賞と揶揄されてしまった。
  • なお、近藤、山﨑(3回目)の強制帰宅後の初登板は5/16のロッテ戦山本由伸が味方の大量エラー炸裂で降板後の尻拭いとしてであった。近藤は1回1/3をきっちり抑えたものの、8回の山﨑はたったの6球で2点を献上しランナーを残して降板するという予想の斜め上レベルの炎上っぷりで大いにオリファンを嘆かせた。次に投げた張奕は山﨑が残したランナーを返して自分のランナーは返さないという案の定な投球をしてこのイニングを終了させた。
    結局試合も壊れかけた試合をますます壊しただけに終わり、結果として防御率1点台の投手が予告先発の試合なのに2-9の大敗。解説者におおよそプロの試合じゃない、オリファンのブログに言語道断な試合などと酷評された*1

その他の例

福良は以前から、キャンプ内での練習試合においてバントを失敗した選手を強制的にキャンプ本拠地に帰宅させ、室内練習場でバント練習を4時間行わせるなどの行為がニュースになったことがある。

巨人では

2012年9月7日のヤクルト戦にて、村田修一も当時の監督である原辰徳から強制帰宅を命じられていた。

  • この試合は故障で戦列を離れていた杉内俊哉が戦線に復帰し、打線も16安打と爆発して8-2と圧勝。そしてこの試合、村田は「5番・三塁」でスタメン出場していた。
    だが立ち上がりの1回、4連打で2点を先制してなお無死一、二塁の場面で三振し、2回の第2打席も併殺打で凡退してしまい、巨人打線の勢いに水を差してしまった。この体たらくに原監督は2回裏から早々と村田を交代し、「今日はもう自宅に帰っていい」と発言。村田を帰宅させた。

しかしこの時は巨人が好調だった為、あまり話題にはならなかった。

中日では

落合博満政権下では山内壮馬が、谷繁元信政権下では大野雄大若松駿太が、森繁和政権下では鈴木翔太(現阪神)が、与田剛政権下では田島慎二があまりに酷いピッチングをしたために帰名させられたことがあった。

阪神では

岩貞祐太は与四球で自滅するケースが度々あり金本知憲政権時代に何度か強制帰阪命令を受けている。また、2019年には当時阪神のヤンハービス・ソラーテが「モチベーションが上がらない」と首脳陣に直訴しセルフ強制帰阪、そのまま強制帰国を言い渡され、解雇された。

おまけ:自主帰宅

逆に試合中に監督やコーチと衝突して試合中にも関わらず勝手に帰宅してしまったケースも見受けられた。

  • 広岡達朗
    現役時代に、川上哲治監督が取った作戦*2に不信感を爆発させ試合中に帰宅。これ以降、川上との確執はさらに激しさを増し引退に繋がった。
  • 高木守道
    本人曰く、現役時代にプレーを巡って首脳陣と衝突して試合中に途中帰宅したことが何度かあったという。
  • 駒田徳広*3
    ①巨人時代、1試合で2回エラーをしてしまい懲罰交代させられたことを不服としてロッカーで暴れ、そのことを王貞治監督に叱責された後、ベンチに戻らず帰宅。
    ②横浜時代、権藤博監督からチャンスに代打*4を出されたことに憤慨してその場で帰宅した*5

関連項目


*1 本人の名誉のために記すと、この試合の後はショートスターター、ロングリリーフ、左のワンポイントなどでフル回転してチームの台所事情を支え、翌年は山岡泰輔の離脱で空いた穴を見事に埋めてローテーションの一角に定着し今日に至っている。この試合がターニングポイントになったとも。
*2 広岡が打席に入った時に三塁走者だった長嶋茂雄にホームスチールを何度も敢行させたことなど。
*3 ちなみに駒田は横浜時代の1994年にセ・リーグ記録となるシーズン29併殺を記録している。
*4 右の中根仁。相手投手のミンチー(広島)は右腕投手であり、左打者の駒田のプライドを傷つける采配であったことは間違いない。駒田本人曰く、帰宅したのは以上の彼の立場を斟酌した山下大輔ヘッドコーチの勧めで、無断で帰ったわけではないとのこと(もっとも、駒田は責任転嫁を嫌い、当時は山下の名前を出す事はなかったが)。また間の悪いことに妻子を招待した試合でもあった。
*5 この一件が遠因となりこの年オフに構想外となった。駒田自身は「(この年9月に達成したばかりの)2000本安打のためだけに現役を続行したとは思われたくない」との理由で現役続行を希望したが獲得する球団は現れず、とうとう引退を決断した。