強制帰宅

Last-modified: 2022-05-20 (金) 17:54:06

試合中に水を差した選手に対して監督などが命じることがある罰のこと。一軍選手の場合はそのまま二軍降格となるケースも多い。「強制送還」とも。
この手の罰についてはチームを問わず監督自身の方針による部分が大きく、是とするか非とするかについては評価が分かれるが、以下の経緯からオリックスが特にネタにされがちである。


【目次】


概要

話題となるきっかけは福良淳一政権時代のオリックスにおいて、2017年5月26日の試合中に福良が山﨑福也に対して命じたことから。
前回登板で4回5失点とイマイチだった山﨑は、この日も3回4失点と微妙な内容で、福良はこの内容に激怒試合中にも関わらず帰阪を命じてしまった

この事件以来、炎上した投手が試合中に途中帰宅させられるのが、監督途中解任と並ぶオリックスの恒例行事となんJ民に認知されてしまっている。


その後

  • 山﨑はその後2017年9月18日と2019年4月28日(後者は近藤大亮もろとも)にも帰宅を命じられ、3度目に命じられた際には「猛帰宅賞」と揶揄されてしまった。
  • なお、2019年の近藤、山﨑(3回目)の強制帰宅後の初登板は5/16のロッテ戦山本由伸味方大量エラー炸裂で降板後の尻拭いとしてであった。近藤は1回1/3をきっちり抑えたものの、8回に登板した山﨑はたったの6球で2点を献上しランナーを残して降板するという予想の斜め上レベルの炎上っぷりで大いにオリファンを嘆かせた。次に投げた張奕は山﨑が残したランナーを返して自分のランナーは返さないという案の定な投球をしてこのイニングを終了させた。
    結局試合も壊れかけた試合をますます壊しただけに終わり、結果として防御率1点台の投手が予告先発の試合なのに2-9の大敗。解説者に「おおよそプロの試合じゃない」、オリファンのブログに「言語道断な試合」などと酷評された*1


その他の例

福良は以前から、キャンプ内での練習試合においてバントを失敗した選手を強制的にキャンプ本拠地に帰宅させ、室内練習場でバント練習を4時間行わせるなどの行為がニュースになったことがある。


他球団では

巨人

2012年9月7日のヤクルト戦にて、村田修一も当時の監督である原辰徳から強制帰宅を命じられていた。

  • この試合は故障で戦列を離れていた杉内俊哉が戦線に復帰し、打線も16安打と爆発して8-2と圧勝。そしてこの試合、村田は「5番・三塁」でスタメン出場していた。
    だが立ち上がりの1回、4連打で2点を先制してなお無死一、二塁の場面で三振し、2回の第2打席も併殺打で凡退してしまい、巨人打線の勢いに水を差してしまった。この体たらくに原監督は2回裏から早々と村田を交代し、「今日はもう自宅に帰っていい」と発言。村田を帰宅させた。

しかしこの時は巨人が好調だった為、あまり話題にはならなかった。


中日

中日においては投手に言い渡されるパターンが多く、落合博満政権下では山内壮馬が、谷繁元信政権下では大野雄大若松駿太が、森繁和政権下では鈴木翔太が、与田剛政権下では田島慎二があまりに酷いピッチングをしたために帰名させられたことがあった。

野手では、立浪和義政権において京田陽太が攻守に精細を欠き、2022年5月4日のDeNA戦では立浪曰く「戦う顔をしていない」ことから帰名させられている*2


阪神

岩貞祐太は与四球で自滅するケースが度々あり、金本知憲政権時代に何度か強制帰阪命令を受けている。また、2019年には当時阪神のヤンハービス・ソラーテが「モチベーションが上がらない」と首脳陣に直訴しセルフ強制帰阪、そのまま強制帰国を言い渡され、解雇された。


日本ハム

2021年8月4日のエキシビションマッチ*3・対DeNA戦(函館)前に中田翔チームメイト1人*4殴り倒すトラブルが起きた。中田は1打席目は予定通り出場したものの、すぐに球団の事実確認が完了し試合中に球場からの退場と自宅謹慎を命じられ、その後一軍・二軍全試合の出場停止処分となった*5


おまけ:自主帰宅

逆に試合中に監督やコーチと衝突して試合中にも関わらず勝手に帰宅してしまったケースも見受けられた。

  • 広岡達朗
    現役時代に、川上哲治監督が取った作戦*6に不信感を爆発させ試合中に帰宅。これ以降、川上との確執はさらに激しさを増し引退に繋がった。
  • 高木守道
    本人曰く、現役時代にプレーを巡って首脳陣と衝突して試合中に途中帰宅したことが何度かあったという。
  • 駒田徳広*7
    ①巨人時代、1試合で2回エラーをしてしまい懲罰交代させられたことを不服としてロッカーで暴れ、そのことを王貞治監督に叱責された後、ベンチに戻らず帰宅。
    ②横浜時代、広島戦で権藤博監督が右投手に対して迎えたチャンスに右の代打*8を出したことに憤慨してその場で帰宅した*9。ただし駒田曰く、監督だった権藤博との間にわだかまりは無いと、2015年の7月18日のサンスポにて語っている。


関連項目


*1 本人の名誉のために記すと、この試合の後はショートスターター、ロングリリーフ、左のワンポイントなどでフル回転してチームの台所事情を支え、翌2020年は山岡泰輔の離脱で空いた穴を見事に埋めてローテーションの一角に定着。さらに2021年はほぼ一年ローテーションを守り抜きチームのリーグ優勝に貢献した。この試合がターニングポイントになったとも。
*2 開幕から打率1割台、さらにこの日を含めて16打数連続無安打と不振だった上、肝心の守備でも追い付いていた遊ゴロを後逸する(記録は内野安打。直後には一発で先制点献上に繋がった)プレーがあるなど、攻守で流れを止めてしまっていた。2軍降格後には下半身のコンディション不良を抱えていたことが判明し、リハビリ組に合流した。
*3 同年の東京オリンピック開催に伴う公式戦中止期間中に調整を兼ねて行われた、非公式の練習試合。
*4 名前は非公表(殴られた本人の希望によるもの)。
*5 その後中田は巨人に移籍。出場停止処分についても移籍に伴い解除となった。
*6 広岡が打席に入った時に三塁走者だった長嶋茂雄にホームスチールを何度も敢行させたことなど。
*7 ちなみに駒田は横浜時代の1994年にセ・リーグ記録となるシーズン29併殺を記録している。
*8 相手投手ネイサン・ミンチー、代打中根仁。左打者の駒田の矜持を損ねるものであったことは容易に想像がつく。駒田本人曰く、帰宅したのは以上の彼の立場を斟酌した山下大輔ヘッドコーチの勧めで、無断で帰ったわけではないとのこと(もっとも、駒田は責任転嫁を嫌い、当時は山下の名前を出す事は無かった)。また間の悪いことに、この日は妻子を球場に招待した試合でもあった。
*9 この件の後に駒田は、「権藤監督との野球観が合わない」という発言をしている。この発言が原因となり二軍落ち、からのオフに構想外に繋がったと言われている。駒田自身は「(この年9月に達成したばかりの)2000本安打のためだけに現役を続行したとは思われたくない」との理由で現役続行を希望したが獲得する球団は現れず、とうとう引退を決断した。