みんなの能力編集/みんなの能力編集(呉)

Last-modified: 2024-01-09 (火) 03:24:16
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こちらは史実(正史+演義+正史注)をベースにした能力編集です。

作成用テンプレ

**人名
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***編集案テンプレ
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|0|0|0|0|0|王道|魚鱗強化|1|
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説明文
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編集案

孫堅

***編集案1

編集案

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
9490777290王道三軍強化3
個性戦法
驍将果敢再起直情軽率猛虎爪牙奮戦鯨波
陣形駆逐矢嵐
魚鱗鋒矢鶴翼錐行

正史寄りの調整。
反董卓軍との戦いで徐栄に打ち破られた後も袁術の支援もあってすぐ立て直して再び戦いに望んだ事から再起を
行動が軽はずみで結果を出すことにあまりにも性急だったという評から軽率を追加。
威風、水戦はなくても十分と考え削除した。

孫権

***編集案1

編集案1

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
766780(75)89(79)95(85)割拠先従隗始3
個性戦法
任才操舵振興教化(優柔)酒乱大虎雄略激励業火
陣形駆逐強襲矢嵐
魚鱗方円鶴翼
父親母親子供兄弟配偶者親愛嫌悪
孫堅-孫魯班孫策歩練師(207年以降)胡綜韓綜
孫魯育
孫登孫翊是儀黄祖
孫慮周泰
孫和孫匡周瑜張昭
孫覇潘氏(正始政変以降)朱然
孫奮孫朗諸葛瑾虞翻
孫休鄧芝
孫亮孫尚香劉基陸績

言わずとしれた孫呉の初代皇帝・大帝。
能力はさておき人間関係についてだが、以下の理由で嫌悪武将に二人加えている。
虞翻:直言を好む性格を嫌い、また酒宴で自ら酌をしようとしたところを狸寝入りでやり過ごした時には自ら手討ちにしようとしている。
   その後も張昭との会話を皮肉ったことを理由に交州へ左遷している。
陸績:同じく直言する性格を嫌い、鬱林に左遷している。

孫晧

***編集案1

能力・特性

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
135662614我道侵略荒廃2
個性戦法
使役文化猪突浪費悪名挑発
陣形
魚鱗鶴翼

孫呉最後の皇帝。「小覇王以来の将器」の前評判を見込まれて擁立されたが、蓋を空けると御乱行三昧で諫言に来た臣下を次々粛清して国を潰した。
なれど司馬炎や賈充を言い負かした聡明さと、極端なまでの父ちゃん孝行ぶりの記録をもとに再考慮した。
①武力:28→56。②知力:31→62。③魅力:4→14。④Lv.:1→2
前述通り「小覇王以来の将器」ということで万彧が精力的に孫晧を猛プッシュした事実から素質は大変恵まれていたように見える。武力知力は倍増させ魅力は+10としてみた。
⑤個性:徴税→文化。彼もお坊ちゃま型なのでお金に明るいイメージはない。むしろ書道に優れていた記録をもとに変更。

孫峻

***編集案1

編集案1

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
6474685110我道侵略荒廃3
個性戦法
徴税猛者悪名惰弱業火強襲斉射
陣形
魚鱗雁行

呉末期の悪臣であることは間違いない彼だが、意外と武闘派だったり、自派閥の調整は上手くこなしてたりする。
馬術・弓術に巧みで思い切りが良かったといい、諸葛恪暗殺に際しては孫峻自身が実行者となっている。宴会で諸葛恪を斬り殺し、張約の反撃を返す刀でその右手を斬り落とし、
狙いは諸葛恪一人なのでこれで終わりだ、と告げて床を片付け宴会を続けるという豪胆さを見せている。
諸葛恪と親しかった滕胤が自ら辞職を申し出てきた際は慰留させ、内心では不仲だったが表面上はお互いを立て共同歩調を取っていたり、孫儀らによる孫峻暗殺計画に連座して
朱公主(孫魯育)が誅殺されると、泣く泣く出頭した朱夫人(孫休の妻)には何もせず孫休の下に帰してたり、毌丘倹の乱に際しては荊州担当の呂拠も指揮下に置いて揚荊両軍で
対応したりと、孫峻自身が二回暗殺を計画されている割に当時の呉は割とまとまっている(後任の孫綝と比べると顕著)。また意外にも自身の一党を優遇して私腹を肥やしたといった
記述はなく、軍事面はともかく(広陵での城建築の件)内政面での悪評も見当たらなかったりする。
最期は青州・徐州への出征に際し、呂拠の統率する軍を見て警戒心が芽生え心臓の具合が悪いとして自身は引き揚げるも、まもなく諸葛恪に殴られる夢を見てそれを恐れ病に倒れる。
小心はこれから付けられているのだろうが、前述の暗殺の際の豪胆さからすると小心は合わない。
以上から個性「強欲」を削除。「小心」を「情弱」に変更。諸葛恪暗殺時の大立ち回りから武力を+5し個性「猛者」追加。派閥内の調整能力を評価し政治を50台に。
馬術・弓術に巧みという記述から「罵声」を「斉射」に変更。

張昭

***編集案1

編集案1

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
6333849781礼教経世済民2
個性戦法
諫止智嚢名声教化人脈混乱罵声
陣形
魚鱗衝車

単なる参謀ではなく、孫権政権初期の柱石といってよい存在。孫策死後から赤壁前後までは軍事司令官としても活動している。
実は官歴も武官職がメイン(名誉職の意味合いが強いとは思われるが...)。
特に名将とすべき事績があるわけではないとはいえ、戦場で邪魔にならない程度の戦闘力を持たせて、専業の文官とは差別化しておきたい。
ということで統率武力を安直に+30してみました。

朱然

***編集案1

編集案1

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
8879846082王道火計研究4
個性戦法
胆力火攻泰然堅牢寡欲火矢鉄壁足止
陣形駆逐強襲
雁行方円井闌

演義では夷陵の戦いで亡くなるが、正史では26年後まで生きており、呂蒙から大都督の後継(最終的には陸遜がなった)を託されたこともある。
曹丕の3方面侵攻では江陵の防衛に当り、曹真・夏侯尚・張郃らの名将が率いる10万余の魏軍相手を撃退した。
続く石亭の戦いや芍陂の役にも参戦し、数多くの功績をあげている。
上記の功績を踏まえ、軍事能力を一回り強化している。
但し、治政に関する記録は乏しく(二宮事件の際の動向も不明)、政治は据え置き。あるいは少し下げてもいいかもしれない。
また、親愛対象には大都督に推薦されたこともあって、呂蒙を入れてもいいのではと考える。
※朱然の元データはこちら

***編集案2

編集案2

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
8879846082王道火計研究4
個性戦法
驍将胆力泰然堅牢寡欲急襲鉄壁足止
陣形駆逐強襲
雁行方円井闌

編集案1と総評は同様だが、衛臻の「呉の驍将」との評から驍将を持たせた。
また火計を用いた事はなかったと思うので火攻、火矢を削除し、急襲を追加した。

朱桓

***編集案1

編集案

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
8987745659我道魚鱗強化4
個性戦法
地利怒髪果敢火攻高慢急襲火矢激励
陣形駆逐強襲矢嵐
魚鱗鋒矢錐行

正史において曹仁の軍勢と戦う折、相手の計略にかかり寡兵で相対することとなったが
「相手は遠征で疲弊しこちらには地の利がある」と激励し、火攻めにかけて兵力差を覆した。
一方で過ちを認めず人の下につきたがらない人物でもあった。
曹仁の能力を鑑みて統率、武力を上げ、正史の記述を鑑みて地利、火攻を追加。動員を消し、赤個性は功名ではなく高慢とした。
戦法も撹乱を外し火矢、激励を追加した

陸遜

***編集案1

編集案

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
9469959586王道文事武備2
個性戦法
機略火攻沈着振興柱石極焔火矢混乱
陣形鎮静強襲矢嵐
魚鱗雁行鶴翼井闌衝車

荊州侵攻戦で関羽を油断させて呂蒙の江陵奪取に貢献、夷陵の戦いで劉備、石亭の戦いで曹休に大勝するなど軍事面(特に防衛戦)において多大な功績をあげている。
しかし、満寵に苦戦し、魏相手には領土(襄陽、合肥など)を獲得することができなかったため(芍陂の役において朱然が樊城を陥落寸前まで追い詰めたことを鑑みると)、統率を僅かに減少させ、個性の神機を機略に変更している。
一方で若い時から内政において数多くの功績をあげており、大都督就任後も荊州において善政を敷いている。
また、孫権の外征にも国力の充実を理由に反対し、領土保全を優先することで国力回復に努めたこともあり、武官としてより文官としての名声が高かった。
上記の功績を踏まえ、政治能力を一回り強化し、個性の水戦を振興に変更している。
但し、二宮事件等での立ち回り(全琮との件)と最期を考えて魅力は少し下げた。
二宮事件の件で嫌悪対象に全琮を入れてもいいのではと考える。

***編集案2

編集案2

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
9369938689割拠文事武備2
個性戦法
火神機略山戦言毒泰然極焔斉射足止
陣形混乱鎮静矢嵐
魚鱗雁行方円鶴翼長蛇

大まかな方向性としては編集案1と同じ。
軍事面においては夷陵では土壇場に追い込まれて火計を思いつくまで劉備に手も足も出ず、石亭における曹休の撃破も是儀や周魴らによって作戦が策定され、実質勝利が決した状態で指揮しただけと、大功とされている戦役も内容を詳細に検討すると紙一重の勝利であったり、自身が主導した訳ではなかったりと、どうにも戦術的には評価し難いことから統率・知力をやや減少。
政治面においては荊州牧に任命され、蜀漢との外交について孫権から一定の委任を受けてはいるものの、それ以外では民力の休養を献言している事ぐらいしか記述がなく、晩年には丞相へ就任するも間も無く二宮の変に巻き込まれ、政権の首脳としては何を為すこともなく憤死。諸葛亮はおろか関中を整備した司馬懿と比較しても事績に乏しいため、周瑜と同数値まで微減。
また言っている事は当時の価値観からすれば多くが正論だが、誰彼構わず正論を振り翳し、どうにも周囲から煙たがられている感が拭えないことや、裴松之も指摘する様に234年の襄陽侵攻の撤退時にどう考えても無駄としか思えない被害を民衆に与えた事から魅力も微減。
金個性は周瑜と重複してしまうが、夷陵での最終的な大勝利を考えれば最も相応しいと考えられる火神。編集案1と同じく侵攻戦では関羽を騙し討ちにした件を除けば大きな功績がなく、軍功からすると過剰な効果のため神機から機略へ変更。
その他、上記の襄陽侵攻時には合肥を担当する孫権が勝手に自身だけ撤退したため窮地に陥るも、悠然とした撤退策を敢行した点を評価して泰然(その後の無駄な軍事行動の結果は擁護し難いが)、山越討伐で活躍・出世したことから山戦、手紙による言葉の毒で関羽の油断を誘ったこと、また味方にも正論という名の毒を吐くという僅かなブラックユーモアも含め言毒を付与。より強化したい場合は泰然を洞察に、言毒を地利に差し替えるのが良さそう。
その他の個性候補としては公式案にもある沈着や柱石、若年時に県長を勤めていた頃の記述から召募や農政、屯田都尉でもあったため屯田、呉の大姓の生まれであることから名声、ひたすら直言と正論で他者を正そうとする姿勢から明鏡、何かと孫権を諌めることが多いことから諫止(建国以降は聞き入れてもらえない事が殆どだったが)、魏の江夏太守・逯式を策を使って辞職に追い込んだ逸話から詭計などが挙げられる。
公式では主義は王道となっているが、積極的に外征したがらない記述が多く見られるため割拠へと変更。陣形は上記の通り防衛戦で活躍していることや山越討伐で功を成したことから井闌・衝車を外し、方円・長蛇を付けた。戦法についても火は極焔で充分なため火矢から斉射へ変更し、水上戦の記述に乏しいことから強襲を外して足止へ変更。

潘濬

***編集案1

編集案1

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
6658728461名利地域振興4
個性戦法
諫止振興法律胆力業火足止駆逐
陣形
鶴翼

演義では呉に降伏してからは、完全フェードアウトだったが、実際にはそれ以降も呉で活躍した。
呉に降伏した際も演義だと真っ先に降伏したが、
正史だと荊州が乗っ取られてからも出頭せずに、孫権が直々に出てやっと降伏した。
それ以降は異民族討伐や呂壱事件を解決したりとむしろ劉備陣営時代よりも活躍をしている。
それにも関わらず、政治以外見直されていないため、政治以外上方修正。
また呉への降伏の話を聞く限り、個性「小心」ではないと思われるので、個性を「胆力」に変更。
それから、忠誠心や相性が変えられるなら、忠誠心は高めで相性は呉寄りに変更するのが妥当と思われる。
※潘濬の元データはこちら

谷利

***編集案1

編集案1

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
4368531555王道方円強化2
個性戦法
血路操舵鉄壁駆逐
陣形
方円

孫権の命を二回救った男。
1つ目は、孫権が張遼に追い込まれた時、橋が壊れて退路を断たれた孫権に、馬に鞭を入れて川を飛び越えるよう助言して窮地を救った。
この後、孫権は谷利に都亭侯の位を与えられる。なお、これは演義に採用されることになる。
2つ目は、孫権が大船で嵐に遭うと、孫権の命令を無視して進路を変更したことである。
後に孫権がこれを臆病とからかったが、谷利は船が転覆し、孫権を失うことを恐れたためと答えた。
これ以後孫権は谷利を大切にし、彼を名前で呼ばずに、いつも「谷」と呼ぶようになったといわれる。
機智に富んでおり、孫権にも気に入られていたため、知力・魅力の上昇。
また、孫権を救った船の話の件から個性「操舵」追加。

全端

***編集案1

編集案

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
7170385358割拠水軍育成2
個性戦法
地利富豪動転突撃鯨波矢嵐
陣形
魚鱗方円

全琮の甥でパッとしない能力査定だが、実際は末期呉において武功が散見される歴戦の将である。
芍陂の役においては退却した全琮を追撃してきた魏軍を張休・顧譚・顧承が食い止め、その勢いが鈍った機を逃さず従兄弟の全緒と共に反撃し撃退。
東興の戦いでは西城の守備に就き、東城の留略と共に援軍到着まで諸葛誕の攻撃を防ぎ切る。奇しくも後年その諸葛誕の反乱に援軍として派遣され、王基の包囲陣を突破し寿春に籠城。
ここで鍾会の策に掛かり魏に投降するのだが、241年~257年の15年以上に渡り対魏戦線で活躍しているのである。少なくとも全一族では全琮に次ぐ戦歴。
なお従兄弟の全緒は演技に登場しない被害者枠で、彼の代わりの様に全琮の長男で全禕の父とされている。シリーズでは一貫してこの設定のため全緒は未だ未出演。不遇だ。
二宮の変において従弟の全寄は孫覇派として暗躍した結果誅殺されているが、全端は芍陂の恩賞で遺恨を生じた張休・顧譚・顧承らの讒言には乗ったようだが
この件以外は積極的に関わらなかったようで孫亮政権でも変わらず重用されている。上手く孫亮派に鞍替え出来る程度の政治的感覚も持っていたのだろう。
上記から戦闘力と政治力を強化。統率武力は70台に乗せて政治を+15し50台に。芍陂の反撃や寿春包囲突破など陸戦でも活躍しているので戦法「駆逐」を「突撃」に変更。
東興西城防衛から個性「地利」陣形「方円」追加。鍾会の策の内容より赤個性「動転」追加。

吾彦

***編集案1

編集案1

統率武力知力政治魅力主義政策Lv
8581777670王道水軍育成3
個性戦法
水戦築城法律堅牢規律火矢鉄壁強襲
陣形矢嵐
雁行長蛇井闌

三國時代を締めくくった漢。演義でも正史でも建平太守として孫晧の降伏を知るまで晋軍を防ぎ切った、最後の抵抗者である。
その才知と素手で猛獣を相手取るという勇猛振りから陸抗に抜擢され、272年には建平太守となっており歩闡の反乱の鎮圧に参戦。呉征伐では279年11月から280年3月まで建平を死守。
その後は晋に仕え司馬炎に気に入られ各地の太守を務めたのだが、「本当に気に入られてたのか?」と思うような昇進なのが界隈で有名。
金城太守→敦煌太守→雁門太守→順陽王内史→散騎常侍→南中都督・交州刺史→大長秋?と呉将だった彼が西は涼州、北は并州、南は交州まで赴任しているのである。凄い移動距離。
その統治は清廉・公正にして刑罰・法律を厳粛に守り、恩恵と威光は甚だ轟いたという。順陽王司馬暢は彼を疎んで敢えて上職に推挙したのだが、栄転したのちまた昇進して南へ転勤。
着任して即座に九真郡の反乱を鎮圧。20年余り交州を平静に統治した。晩年に中央に帰還し大長秋として没したとも、交州で没したとも言われる。
以上から全般的に能力値を強化。戦歴と猛獣のエピソードから統率・武力は80台に乗せ、晋将時代の統治振りから政治と魅力も70台に強化し、個性「規律」追加。

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