ガングート級戦艦1番艦 ガングート
性能諸元
性能諸元の数値は、アップグレード・基本特性・艦長スキル・ブースター・迷彩などの補正がかかっていない素の状態の数値を入力してください。
部位ごとの装甲厚や散布界など、ゲーム内には載っていない情報は将来ゲーム内で見れるようになる可能性があるので暫定で0や0-1などとする
・基本性能
| Tier | 3 | 種別 | ツリー艦艇 |
|---|---|---|---|
| 艦種 | 戦艦 | 派生元 | Svietlana |
| 国家 | ソ連 | 派生先 | Komsomolets Pyotr Velikiy |
| 生存性 | 継戦能力 | (A) 37,600 (B) 40,500 | |
| 装甲 | 12-305mm ・防郭 0-1mm ・艦首・艦尾 0-1mm ・砲郭 0-1mm ・装甲甲板 0-1mm | ||
| 対水雷防御 | ダメージ低減 | (A-B) 9% | |
| 機動性 | 機関出力 | 前期 0馬力[hp] 後期 42,000馬力[hp] | |
| 最大速力 | 前期 20.7ノット[kt] 後期 23.0ノット[kt] | ||
| 旋回半径 | 660m | ||
| 転舵所要時間 | (A) 14.3秒 (B) 10.2秒 | ||
| 隠蔽性 | 通常 | 主砲発砲時 | 火災発生時 | 煙幕内からの主砲発砲時 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 海面発見距離 | 12.0km | 0.0km | 14.0km | 9.2km | |
| 航空発見距離 | 9.6km | 0.0km | 12.6km | - |
| 射撃管制装置 | 船体 | モジュール | 主砲射程 | 最大散布界 |
|---|---|---|---|---|
| A-B | mod.1 | 12.1km | 0m | |
| mod.2 | 13.3km | 0m |
| 主砲 | 艦体 | 口径 | 基数×門数 | 最大ダメージ(火災) | 装填 | 180度旋回 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| A-B | 305mm/52 Model1907 | 4基×3門 | HE弾 4500(33%) AP弾 8600 | 36.0秒 | 56.3秒 |
| 副砲 | 艦体 | 口径 | 基数×門数 | 最大ダメージ(火災) | 装填 | 射程 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| A-B | 120mm/50 Model1905 | 16基×1門 | HE弾 1700(8%) | 8.6秒 | 3.5km |
| 対空砲 | 船体 | 口径 | 基数×門数 | 秒間平均ダメージ | 射程 |
|---|---|---|---|---|---|
| A | 0.0mm/0 | 基×門 | 0 | 0.0km | |
| B | 0.0mm/0 | 基×門 | 0 | 0.0km |
・アップグレード
| スロット0 | スロット1 | スロット2 | スロット3 | スロット4 |
| ○ |
| 1 | ![]() | 主砲改良2 | +15%:主砲旋回速度 +5%:主砲装填時間 |
![]() | 照準システム改良1 | -7%:主砲弾の最大散布界 +20%:魚雷発射管旋回速度 +5%:副砲最大射程 -5%:副砲弾の最大散布界 | |
![]() | 副砲改良2 | +20%:副砲最大射程 -20%:副砲弾の最大散布界 |
・開発ツリー
| 軍艦名 (必要経験値/購入クレジット) | モジュールスロット (必要経験値) |
| 当艦 | ━ | モジュールスロット1 (4800) | ━ | モジュールスロット2 (7200) | ━ | モジュールスロット3 (12000) | ━ | Komsomolets (/270,000) | ━ | Pyote Velikiy (24000/-) |
| 船体 | ||
|---|---|---|
![]() | Gangut 船体B | 17000 |
| 主機(エンジン) | ||
![]() | 推力42,000馬力 | 2120 |
| 射撃管制装置(照準装置) | ||
![]() | 照準装置III mod.2 | 2120 |
・消耗品
搭載可能 消耗品
| 十字キー左 | |||
|---|---|---|---|
![]() | 応急工作班 | 3回 | 消耗品の動作時間:10秒 消耗品の準備時間:40秒 |
| 十字キー上 | |||
![]() | 修理班 | 2回 | 消耗品の動作時間:28秒 消耗品の準備時間:80秒 回復:0.5% HP/秒 |
詳細は消耗品を参照
ゲーム内説明
ガングートは、ロシアで建造されたものとしては初の弩級戦艦の艦級の 1 隻であり、主砲を合計 12 門搭載していました。その特徴として、舷側の広大な範囲に装甲が施されており、全体的なレイアウトの工夫により、片舷側で全門斉射可能な射角を可能な限り広くしていました。
解説
- 概要
ソ連ティア3戦艦。
ソ連ツリー戦艦は例外なく応急工作班の数に制限がある。何も無くて3回、スキル込で5回まで。火がついたからすぐ消すなどをするとあっと言う間に底をつくので、丁寧なダメージコントロールを求められる。また敵も工作班に限りがあると知っていて榴弾をぶん投げてくる可能性が高い(特に巡洋艦)。キッチリしたヘイト管理も操艦の上では大事であると覚えておこう。
- 主砲
3連装4基12門と、数は撃てるように見えるが、装填が遅いのが難点。遅い旋回と装填速度は、戦艦らしいと言えば戦艦らしい。1,2,3番主砲の前方射角はいいが、4番砲の前方への射角が少し悪い。よくあることだが、全力転舵に主砲旋回が追い付かない。
- 魚雷
ない。戦艦で魚雷を撃ちたかったら、プレ艦を買うか、無課金にこだわるならドイツツリーをグナイゼナウまで進めることをお勧めする。
- 対空
対空セクター強化側を向けてもなかなか落ちてくれない。もし空母にまとわりつかれてイラっときても、自分が空母だったらあなたはこの船にまとわりつくだろう。
- 抗堪性
やはり応急工作班には回数制限がある。使いどころを見極めるか、艦長スキルで増やして経戦能力を水増ししよう。それと、「十字砲火を受けると危険」であることを頭に入れて立ち回ろう。突撃しすぎないように気を付けなければならないが、本ページ下のコメント欄にあるように遠距離になると砲弾の精度が大きく下がるので、位置取りの勘を磨こう(精神論ばかりで申し訳ない)。ただし、本艦は艦首も含めて甲板が38mmの装甲で覆われており、このTier帯では屈指の被弾耐性を誇る。特に、巡洋艦・駆逐艦からの砲撃に関しては、艦上構造物の小ささも相まって、火災以外のダメージをほぼ無力化できるといって差し支えないだろう。艦長スキル「火には火を」を取得すれば非常に打たれ強い戦艦となる。
- 機動性
速力や旋回に関しては期待しないこと。これは戦艦。感動的な速力も、素晴らしい旋回もない。
- 隠密性
初期状態だと、被発見距離が主砲射程を上回っているので、全ての敵艦艇から先制攻撃を受けることになる。主砲射程の延長も前向きに考えたいが、遠距離が得意でないので、島とお友達になるのも一手(ただし衝突しないように注意)。
- 総評
主砲門数と近距離の精度を生かすのがなかなか難しいが、敵のHE爆弾や小口径の榴弾には結構耐える。敵戦艦の砲撃も角度次第ではかなり粘れるので、ぜひこの船の長所を伸ばしてあげてほしい。
史実
ロシア帝国海軍初の弩級戦艦。現在のところ、ソ連戦艦ツリー唯一の史実就役艦。
ロシア海軍初の弩級戦艦建造計画は予算の認可が下りず、ただの計画で終わってしまった。しかし、弩級戦艦の建造が放棄されることは決してなかった。
1907年4月、海軍参謀本部は規模が異なる4種の艦隊整備計画を作成し、このうち最も小規模なものが皇帝ニコライ二世の承認を受けた。これによって、弩級戦艦4隻の建造枠が確保された。
しかし、整備計画の実施予算はなかなか発行されなかったため、ロシア海軍は対馬での戦訓研究や海外の弩級戦艦の研究をより深化させる作業に没頭することとなった。
その結果、
- 原則的に主砲は全門斉射可能であるべき
- 全主砲に可能な限り広い射界を与えるため、主砲塔は全て中心線に配置されるべき
- 背負い式配置は上部砲塔の砲煙が下部砲塔の照準器を塞ぐリスクがあり、さらに上部砲塔のバーベットは高さが増すので重量増加をもたらす。全砲塔が同じ高さであればこれらの問題が回避でき、火器管制はより容易になり、艦の全高が抑えられることで視認性を低くすることもできる
- 三連装砲塔を導入して砲塔の基数を削減すれば主砲重量が15%削減でき、弾薬庫をなるべく近い距離に配置することも可能である
こういった結論が導き出されていた。新戦艦の大枠はこの時点ですでに固まっていたのである。
しかしながら、海軍省は海外からも広く設計案を募集する道を選んだ。自国の技術に一抹の不安を抱いていたのかもしれない。
呼びかけに応じてコンペへ参加した企業は国内外合わせて18社。応募が締め切られた1908年2月28日時点で計51種もの設計案が応募される一大コンペであった。
ジョン・ブラウン(英)/ヴィッカース(英)/アームストロング(英)/キャメル・レアード(英)/パルマーズ(英)/フルカン(独)
/ブロム・ウント・フォス(独)/シハウ(独)/地中海鉄鋼造船所(仏)注:いわゆる「FCM」である/アンサルド(伊)/オルランド(伊)/
ウィリアム・クランプ・アンド・サンズ(米)/バルチック造船所(露)/アドミラルティ造船所(露)/プチロフ造船所(露)/ネフスキー造船所(露)/フランコ=ロシア工場(露)/ニコラエフ造船所(露)
コンペを勝ち残ったのはブロム・ウント・フォス案とバルチック造船所案、そして鬼才クニベルティの手によるアンサルド案であった。(……と従来言われていたが、どうも勝ち残った最後の一枠はアンサルド案でなくヴィッカース案であるとする説も出てきているようだ。今後どうなるものやら?)
勝ち残った三案が検討会議にかけられた結果、ブロム・ウント・フォス案が最優秀賞に見事輝いた。
早速ブロム・ウント・フォスへと建造が発注され、ドイツの手による最新鋭弩級戦艦がロシア海軍に……やってくれば良かったのだが、ここで思わぬ問題が発生した。
フランスが「フランスの融資した金をドイツに支払って戦艦を建造するとは何事か」と不満を表明してきたのである。(ものによっては「激高」という表現を使っている資料もある。生半可な反応ではなかった可能性が高そうだ)
実際に建造予算がフランスの融資した資金であったのかどうかは分からない。分からないが、「ブロム・ウント・フォス社から図面を買い上げる」という体裁で『補償金(というか、手切れ金)』を支払ってブロム・ウント・フォス社との関係を解消するハメになったことは確かである。
最優秀賞の設計案を建造する道が閉ざされたため、次点であるバルチック造船所案が繰り上がりで建造されることとなった。紆余曲折して結局振り出しに戻った感がなくもない。
ともあれ、コンペの結果は1908年12月17日にニコライ二世へと報告され、新戦艦4隻の建造開始は皇帝陛下の認可を受けた。
こうして建造作業が速やかに開始……されなかった。1隻3700万ルーブル、4隻合計1億4800万ルーブルという多大な建造費は財務省が海軍に割り当てた年間予算だけでは到底賄いきれるものではなかったのである。
というか、建造費を支払うどころか、建造作業を始めることすら追加予算が必須という凄まじい有様であった。
しかし、これが得られるかどうかはドゥーマにおける投票の結果に完全に依存していた。
……そして、投票結果は全会一致で「予算割り当て拒否」であった。
海軍省の日露戦争後の艦隊再建作業における予算の使い方に対してドゥーマが不満を抱いていたせいだとも、海軍における革命運動の伸張に苛立つドゥーマが「戦艦を建造することは反乱軍の数を増やす結果にしかならない」と考えたとも言われている。
いずれにせよ追加予算は一銭も得られず、建造作業に着手できないまま時間だけが過ぎていった。
この状況は首相であるピョートル・ストルイピンの尽力によってどうにか打開されようとしていた。彼は「予算を分割し、予算の一部だけを国家評議会から通すことでドゥーマを迂回する」という裏技を使って小額ではあるが予算の通り道を確保したのである。
この辣腕ぶりによって建造作業開始資金だけは何とか確保できたため、1909年6月3日にロシア初の弩級戦艦が4隻同時に起工された。
戦時でもないのに四つ子とは少々珍しい気もするが、「起工しちまえばこっちのもん」といった腹積もりだったのだろうか……
4隻の弩級戦艦の建造期間は38ヶ月、つまり1912年8月竣工予定であった。しかし、この予定が守られる可能性は作業開始直後から絶望的になっていた。
建造作業開始後も裏技で確保できる小額の予算しかつかないのではどうにかなるはずもない。小額予算で発注できる部品の数などたかが知れていた。
起工を祝う式典こそ6月3日に行われたものの、実質的な作業は9月から10月ごろにゆるゆると始まり、部品がちょこっと届いてはちびちびと建造してやることがなくなり、また部品が届いてはちびちび建造するという悲惨な状態であった。
ポツポツと時折垂れる水滴だけでバケツを満杯にしようというのが土台無理な話なのである。
とはいえ1911年には進水し1914年には姉妹艦の「ペトロハバロフスク」「ポルタヴァ」「セヴァストポリ」ともに竣工・就役している。この年は第1次世界大戦がはじまった年でもあり、1915年にはリガ湾においてドイツ艦隊を迎撃、砲戦に加わっている(バルト海の戦い)。第1次世界大戦そのものは1918年に終結したものの、1917年の時点でバルチック艦隊に練習艦として所属していた「オーロラ」が10月革命に呼応してペトログラードの冬宮を砲撃、ボリシェヴィキによるクーデーターに加わると(バルチック艦隊の反乱)、1918年には本艦の乗組員達も反乱に参加した。
最初のうちはボリシェヴィキによるクーデーターを支持していたバルチック艦隊の水兵たちであったが、ボリシェビキが独裁化していくと次第に対立を深めることになる。1921年にバルチック艦隊の水兵は「ボリシェビキに対する15項目(言論・集会の自由、農業や家内工業における統制の解除、すべての勤労人民の配給量の平等化等)」の決議を採択、軍港クロンシュタットにて蜂起した(クロンシュタットの反乱)。しかしこの反乱は赤軍による2度の総攻撃で鎮圧され、多くの兵士がフィンランドへの亡命を余儀なくされることになる。なお、その後に多くの水兵は帰国したが、抑圧を受けたとされる。10月革命の拠点で発生したこの反乱に対する影響は大きく、その後に戦時共産主義から新経済政策への政策変換を行う切っ掛けとなったと言われている。
1925年6月27日には「オクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤ」と改名され、1926年3月23日に再就役する。その後の活躍についてはオクチャブリスカヤの項目を参照して欲しい。
小ネタ
艦名である「ガングート」の由来は、北方大戦争(1700~1721年)における「ハンゲの海戦(1714年)」の舞台となったハンゲ半島のロシア側の名称である。
なお、ハンゲの海戦においてスウェーデン海軍とロシア海軍が激突、ロシア海軍が勝利を収めたことによりスウェーデンはバルト海における活動を大きく制限せざるを得なくなった。このためフィンランド支配が困難となり、北方大戦争を終結させる遠因の1つとなった(もう一つの契機は陸戦のポルタヴァの戦いによる勝利)。また、この勝利はロシア海軍における最初の勝利でもあったため、ロシア海軍においては軍艦の艦名に「ガングート」の名前を冠することが度々あった。
3連装主砲を4つ水平に並べたこの配置、どこか見覚えが...と思った人がいるかもしれない。それもそのはず、本艦はT3プレ艦「オクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤ」の改装前の姿である。あちらは艦橋や煙突がゴツくなり、対空火器も大幅に増設されているため、外観はかなり異なる。
本来は同じ艦なのに別の艦扱いで実装されている例は他にもあり、同郷のスヴェトラーナ&クラースヌイィ・クリィームや、米国から中華民国に引き渡されたベンソン&洛陽が挙げられる。
コメント欄
- 艦首を延伸し2番砲塔を背負式にする計画があったらしい。3番艦のミハイル・フルンゼ(元ポルタヴァ)の近代化改修案だとか。なお予算不足で実行されなかった模様 -- 2024-06-16 (日) 10:09:37








