陽螻戦争 | ||||
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年月日 | 1995年4月22日~7月26日 | 戦争 | 第一次異政制大戦? | |
結果 | 陽天国側の勝利 トビケラ国の降伏 | |||
交戦勢力 | ||||
陽天国 | トビケラ国 ワムシ共和国? | |||
交戦戦力 | ||||
陽天国軍20万人 | トビケラ国軍25万人 ワムシ共和国軍1000人 | |||
損害 | ||||
陽天国軍 負傷者9万人 死者1万人 | トビケラ国軍 負傷者17万人 死者7万人 トビケラ国民間人 死者3万人 ワムシ共和国軍 負傷者70人 死者670人 |
概要
陽天国と飛螻蛄国(トビケラ国)、ワムシ共和国の間で行われた戦争。
背景
陽天国
いずれ陽天国に対し禁輸令が出されることは分かっていたため、石油入手のためにトビケラ国を占領または傀儡化することは決定されていた。
1995年4月21日、陽天国への輸出入が禁止されたことにより、トビケラ国と開戦することが決定され、翌日の4月22日に宣戦布告した。
ソシアリスク地域では、トビケラ国は相当な割合の産油国であり、きたる対アリ連邦?戦争、対ハルキゲニア合衆国?戦争に備えた戦略的な意味も含まれていた。
主な産油国の一つであるトビケラ国を掌握すれば、その後の戦いで燃料、エネルギーの観点から多少なりとも優位に着くことができ、数的不利の状況を覆す策の一つになると考えられたのだ。
また、カエル共和国?進出の足がかりでもあった。
トビケラ国
開戦前、ワムシ共和国やハルキゲニア合衆国の兵器開発及び生産のため、資源を根こそぎ買い取られており、国内の供給すら追いついていない状態であった。*1
そのため、ろくに兵士に補給が行き届かない状況で陽天国に宣戦布告され、開戦してしまった。
経過
陽天国によるトビケラ国への宣戦布告後、初の戦闘はトビケラ艦隊掃討作戦であった。
この作戦によりトビケラ国海軍は著しい損害を受け、艦隊の実に半数を沈没または要修理の状態に陥り、もはや制海権を維持することは厳しい状況となった。
ワムシ共和国は事前に陽天国の動向を危険視し、支援艦隊を送ったが、到着のタイミングで陽天国艦隊と遭遇、ざざむし島沖海戦で壊滅・1隻が陽天国海軍に拿捕されてしまった。
その後のざざむし島上陸作戦によりざざむし島が陽天国に占領され、トビケラ国本土への爆撃機の飛行場とされ、より劣勢を強めることとなる。
更に、当時、親和新天国との戦争でワムシ共和国は手一杯になってしまい、トビケラ国に駐在していたトビケラ国士官や指導監督を本土へ呼び戻し、事実上トビケラ国はワムシ共和国に見捨てられた。
陸戦においては、トビケラ国による反攻作戦やゲリラ展開など奮戦は見られたが、装備や兵器、技術の差は大きく、前線大きく押し返すことには至らなかった。
結果
1995年7月26日、首都であるイサゴの攻防戦にトビケラ国軍は破れ、イサゴは陽天国軍により占領。
これ以上の戦闘は不可能と判断し、トビケラ国政府は全面降伏を表明・陽天国がこれを受諾し、同日にトビケラ国は降伏した。
トビケラ国全土は陽天国に占領されることとなり、石油を始めとした資源や産業などは陽天国の統治下に入った。
略年表
- 1995年
- 4月21日
トビケラ艦隊掃討作戦
- 5月1日
トビケラ国上陸戦?
- 5月8日
トビケラ国近海海戦-一
- 5月9日
トビケラ国近海海戦-二
- 5月17日
トビケラ国近海海戦-三
トビケラ国近海海戦-四
- 5月30日
トビケラ国近海海戦-五
- 6月11日
アミメシマの戦い?
- 7月5日
トビケラ国近海海戦-六
- 7月8日
イサゴ攻防戦?
- 7月10日
イサゴ空戦?
- 7月26日
トビケラ国降伏。
戦闘
陸戦 | ざざむし島上陸作戦 トビケラ国上陸戦? アミメシマの戦い? イサゴ攻防戦? |
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海戦 | トビケラ艦隊掃討作戦 ざざむし島沖海戦 トビケラ国近海海戦-一 トビケラ国近海海戦-二 トビケラ国近海海戦-三 トビケラ国近海海戦-四 トビケラ国近海海戦-五 トビケラ国近海海戦-六 |
空戦 | イサゴ空戦? |
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