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No.001 | ||||
---|---|---|---|---|
長門(ながと) | 長門型 1番艦 戦艦 | |||
艦船ステータス | ||||
耐久 | 80 | 火力 | 82 | |
装甲 | 75 | 雷装 | 0 | |
回避 | 24 | 対空 | 31 | |
搭載 | 12 | 対潜 | 0 | |
速力 | 低速 | 索敵 | 12 | |
射程 | 長 | 運 | 20 | |
搭載 | 装備 | |||
3 | 41cm連装砲 | |||
3 | 14cm単装砲? | |||
3 | 零式水上偵察機? | |||
3 | 未装備 | |||
改造チャート | ||||
長門 → 長門改(Lv30) | ||||
図鑑説明 | ||||
八八艦隊計画の第一号艦として生まれた、長門型戦艦のネームシップ、長門だ。 大和型が就役するまで、連合艦隊旗艦も務めていたさ。 世界のビッグ7と云われてもいたな。 |
セリフ | CV:佐倉綾音、イラストレーター:しずまよしのり |
入手/ログイン | 私が、戦艦長門だ。よろしく頼むぞ。敵戦艦との殴り合いなら任せておけ。 |
入手/ログイン (2014年始) | 謹賀新年か、胸が熱いな。 |
母港/詳細閲覧 | なんだ? |
私の顔に何かついているのか? | |
あまり艤装には触らないでもらいたいものだな | |
母港/詳細閲覧 (X'mas) | これが、クリスマスか。ふうん……そうか。 |
提督、いつもお疲れ様だな。今日くらいは一緒に飲もう。 | |
母港/詳細閲覧 (2014年始) | 二〇一四年か、胸が熱いな。 |
編成 | 戦艦長門、出撃する! |
出撃 | 戦艦長門、出撃する! |
第一戦隊、出撃するぞ! | |
遠征選択時 | いいだろう。 |
アイテム発見 | いいだろう。 |
開戦 | ビッグ7の力、侮るなよ。 |
航空戦開始時 | |
夜戦開始 | よし!艦隊、この長門に続け! |
攻撃 | 待ちに待った艦隊決戦か。胸が熱いな。 |
ビッグ7の力、侮るなよ。 | |
[夜戦時]全主砲、斉射!撃て!! | |
小破 | フッ、効かぬわ。 |
長門型の装甲は伊達ではないよ。 | |
中破カットイン | っ…敵艦隊もなかなかやるな… |
勝利MVP | 連合艦隊旗艦を務めた栄光に比べれば微々たるものだが、貰っておこう…か。 |
旗艦大破 | |
帰投 | 作戦終了だ、艦隊が帰投したぞ。 |
補給 | ありがたい。これなら奴とも戦えるな。 |
改装/改修/改造 | ありがたい。これなら奴とも戦えるな。 |
近代化改修か…私には必要ないのだが。 | |
いいだろう。 | |
入渠(小破以下) | 少し整備が必要だな。 |
入渠(中破以上) | 艦隊決戦は万全の状態で戦いたいからな。 |
建造完了 | 新たな仲間が進水したようだ、楽しみだな。 |
戦績表示 | 司令部から連絡だ |
轟沈(反転) | 戦いの中で沈むのだ…あの光ではなく…本望だな… |
時報 | |
放置時 | - |
この艦娘についてのコメント
ゲームにおいて
- 通常の建造ないし通常作戦海域でのドロップで出現する艦娘としては最強と云えるパワーを誇る戦艦。
- 終戦まで生存したことへの評価か、運も改で30と高い。
- 火力の最大値は金剛型の95に対し99と、あまりアドバンテージは無いが、対空・耐久については完全に凌駕している。
- 耐久の高さはカス当たりの被ダメ増加やフラ戦等にワンパン大破を貰った時の入渠コスト等にも繋がっている為
一概に高い方が良い訳ではないことは注意が必要。- 火力・装甲は初期値がかなり高いため、近代化改装の余地がほとんど無かったりする。
- レア度は現状二番手の6を誇り、その上ドロップ場所がボスのみと限られており非常に入手し辛い。
- 南西諸島海域:2-4のボス
- 北方海域:駆逐艦でしかボスに行けない3-2を始め、3-3、3-4のボス
- 西方海域:4-4のボス
- 上記のように狙える場所が少ないので、建造の方が早いのでは?との見解もある。
- また、出撃に要する燃料・弾薬のコストが非常に重いのも大きな特徴である。
- 特に弾薬については改造前で金剛型の18%増し、改で33%増しの消費量であり、入渠時の鋼材消費量もまさにビッグ7。計画して運用しないと
提督諸氏の頭髪が禿げる他艦娘達の作戦行動や建造計画に支障が出るほどの資材を食う大食らい。
改造前の方が燃費が良い事は有意であるため、改造前の状態でレベリングを行う事を検討してみても良いかも知れない。ご利用は計画的に。 - ただし金剛改二・比叡改二よりは燃料消費が低い。
- 特に弾薬については改造前で金剛型の18%増し、改で33%増しの消費量であり、入渠時の鋼材消費量もまさにビッグ7。計画して運用しないと
小ネタ
- ○○か、胸が熱いな。
- 開戦時の連合艦隊旗艦でありいかにもリーダー然とした武人的なキャラクター。
…のはずの彼女だが、実は一度しか海戦をしたことがない。赤城たち空母に出番を取られてしまった。 - 公表時にはスペックを偽装され、対外的な最高速度は23ノットと発表されたが、実際の最高速度は26.5ノット。当時の戦艦の速度平均を軽く超えた高速艦だった。
その他主砲の威力等、スペック上は陸奥共々ビッグ7最強艦。- ちなみにスペック偽装がバレたきっかけは関東大震災。救援物資を満載して帝都へ最大戦速で急行する途中でイギリスの軽巡「ディスパッチ」に見つかった。
が、各国には半ばバレかけていた時期だったので表だった反応は特になかったらしい。
しかし水面下ではガチで警戒されており、嘘か真か、1930年代にルーズベルト大統領が海軍将校に「日本はいつ占領できるのか?」
と訊いたところ、その海軍将校は「駄目です。日本には長門がいます」と答えたとかいう話がある。- 大艦巨砲主義が幅を利かせていた時代のことだが、それだけの警戒を受けるに足る性能を持っていたことの証左。
勿論額面通りに聞く話ではないが。特に古今東西軍関係者にとって「無理=対策予算寄越せ」である。
- 大艦巨砲主義が幅を利かせていた時代のことだが、それだけの警戒を受けるに足る性能を持っていたことの証左。
- ちなみにスペック偽装がバレたきっかけは関東大震災。救援物資を満載して帝都へ最大戦速で急行する途中でイギリスの軽巡「ディスパッチ」に見つかった。
- 1934-1936年の近代化大改装においてビスマルク級などの新型戦艦に対抗可能な戦闘能力を獲得。誰が呼んだか「最強の旧世代戦艦」。
防御力を中心にかなりの手が加えられ、重油専燃になったせいか機関強化がされなかったにもかかわらず、ほとんど速度が落ちなかったという逸話が残っている。*1
速度で1ノット近い差がある大和とレイテ沖を2時間半にわたって駆け回って落伍しなかったあたり、スペック以上の速度を平然と出せたようだ。- 無論これにもちゃんと根拠はある。長門は当初より連合艦隊旗艦として建造されたため、特に機関の強度等に気を使った設計がされていたことによる。
- 重巡洋艦と同等の機関に積み替え29ノット級の高速戦艦化する話はあったものの予算不足でボツ。
- 連合艦隊旗艦・ビッグ7最強の名は伊達ではないのだが、どれも過去のものであり、使い道がなく肝心の戦場にはほとんど出してもらえず、扶桑とともに標的艦役にされたことすらあった。
- 唯一と言っていい見せ場はレイテ沖海戦におけるサマール沖海戦だが、ここでもほとんど活躍できていない。
雷撃を受けて、その回避のために大和と共に敵艦隊とは反対の方向へ遠ざかってしまった。このため艦隊のほぼ最後尾に位置することになった。
また先頭で敵艦隊を追撃していた重巡に大被害が出たこともあり、結局追撃を途中で打ち切ったという不完全燃焼な結果に。
- 唯一と言っていい見せ場はレイテ沖海戦におけるサマール沖海戦だが、ここでもほとんど活躍できていない。
- 大戦末期に重油不足から特殊警備艦(要は軍港に係留して浮き砲台として運用するということ)に艦種変更、横須賀港に係留されていた。
その姿は「もはや2度と出撃機会はないだろうから」と、副砲や高角砲などの兵装はおろか、航海に必要なマストや煙突などをも撤去された無残な姿だった。
このような処置がされたのは、当時生き残っていた戦艦4隻のうちでも長門のみである。→戦後撮られたカラー映像(2:00-4:10)- 1945年7月18日に米空母「エセックス」「シャングリラ」「ベロー・ウッド」「ランドルフ」搭載機の攻撃を受けて艦橋を破壊され、艦長以下主要乗組員の大半が戦死。
後任艦長が発令された段階で、修復されることなく終戦を迎えた。
終戦後アメリカが接収、ビキニ環礁にて実施された核実験「オペレーション・クロスロード」に標的艦として参加。
中破判定を受けた状態で、母国を蹂躙した非人道的兵器に対する無言の抗議の如く二度の被爆に耐えたが、
1946年7月28日深夜から29日未明の間に、誰にも看取られることなく静かに眠りにつく。 捕虜になる事を拒んだ武人のように、 自ら人知れず自決したかのような最期だった。- 1回目(ABLE:空中爆発)の爆心地(軽巡酒匂)に近い戦艦の順番はネヴァダ(本来の爆心地)700m程度・アーカンソー700m程度・長門1500m程度の順。
2回目(BAKER:水中爆発)では、ネヴァダは爆心から遠く離れた所に居たため沈まなかったが、爆心地近くのアーカンソーは沈没、長門とほぼ同じ距離にいた正規空母「サラトガ」も7時間後に沈没した。
しかし、長門は爆心地にある程度近い位置にいながら二度の核実験に僅かに傾斜するも耐えた。
特にBAKER時には艦首に穴を開けられ、さらに機雷を艦体に括り付けられたという念の入れようである。
この光景を見たアメリカの調査隊は『Old navy never die.(海の古強者は死せず)』と書き残している。
長門沈まずの報を聞いた元艦長夫人は 「幾万もの英霊たちが水底をささえているのですよ」と語ったそうだ。
- 1回目(ABLE:空中爆発)の爆心地(軽巡酒匂)に近い戦艦の順番はネヴァダ(本来の爆心地)700m程度・アーカンソー700m程度・長門1500m程度の順。
- また、沈没状態とはいえ船体の現存する唯一のビッグ7で、同地の貴重な観光資源。ただし核実験の影響を鑑み接触禁止。
- もっともこちらの資料によるとそもそもそう簡単には到達できないらしい。現実世界においても、彼女に会うためには米帝プレイと運、そして高い
司令部レベル潜水経験が必要なようである。
- 1945年7月18日に米空母「エセックス」「シャングリラ」「ベロー・ウッド」「ランドルフ」搭載機の攻撃を受けて艦橋を破壊され、艦長以下主要乗組員の大半が戦死。
- 新造時や開戦時は戦艦らしいプロポーションを誇るが、一時期妙な煙突配置に改装されたことがある。通称「長靴」。しかし、これはこれで当時の子供達に人気があったらしい。
- これは、当時2本あった煙突の設計が悪かったため、前部煙突の排煙が艦橋方向に逆流してしまったことが理由。階級が上の人ほど煙でススまみれになるという異常事態だったそうな。
- また、終戦直前には特殊警備艦へと艦種が変更され副砲・対空兵装撤去、後部マスト・煙突が切り落とされバランスの悪い見た目になっている。
- 大戦中、大和の存在は極秘であったため、当時の国民にとって帝国海軍の象徴は長門だった。
- 当時の軍オタ少年は戦艦長門派と空母赤城派が2大勢力で、これに水雷戦隊派が絡む展開。
- 金剛型と同じく主砲が連装4基で容姿が多少似ている。開戦時の見分け方は金剛型が煙突が2本で三番砲塔と四番砲塔の間に航空艤装があり離れていて、
長門型は煙突が1本で後艦橋と三番砲塔の間に航空艤装があり、三番砲塔と四番砲塔が背負い式で隣り合ってること。
ただ、竣工時や先述の長靴状態の長門は後期の金剛と同じく二本煙突だったりするので注意。
- 長門と陸奥の改装後の手っ取り早い見分け方は、副砲の不自然な穴があるかないか。改装時に副砲が20門から18門に減っているのだが、改装の予算の都合か
なにやら明らかに副砲がついていた穴があってむずがゆい見た目をしているのが長門、ないのが陸奥。
具体的には改装後の長門の側面前部に副砲が上3つ、下4つ並んでいるが、4つ並んだ手前に砲のあった跡のような穴があったら長門の方である。
- その容姿のせいか、艦これの話題で対魔忍or対魔艦という言葉が出たらほぼ確実に長門のことを指す。
元ネタの名前は赤城の方が近いのに雪風なんてそのまま
- 艦これ起動時や読み込み時に表示される艦影(通称ぷかぷか丸)は形状から恐らく改装後の長門型だと思われる。
- ちなみに連合艦隊司令部は長門から陸奥、大和と変わり、後に未実装の大淀(軽巡洋艦
で呉港に引き篭もっていたニート娘)から、遂に昭和19年9月には慶応大学構内へと移る。 - なお、角状のヘアバンドは、長門型戦艦の前艦橋上部にあった旗旒信号用の張り出しを模したもの。前艦橋の下後部の旗旒甲板からこの突起まで信号旗用ロープが張ってあり、状況に応じた旗を掲揚していた。
- 真珠湾攻撃の際の暗号電文を打電したのは彼女であるがその電文は「ニイタカヤマノボレ1208」と色々バレバレな暗号?電文だった。天然なのかもしれない
この電文に一番驚いたのは米軍の暗号解読部門だったとか。
ちなみに陸軍は「ヒノデハヤマガタ」と一応は日時がわからないようにしていた- 直接電文を発信したのは千葉県の船橋送信所である。
- 余談だが日本の暗号解読で戦後まで米軍が解読できなかったのは、鹿児島出身者同士の鹿児島弁での国際電話だったという伝説がある
- 戦後まで解読できなかったのは言い過ぎであるが、相当苦戦したことは事実。
ベルリン駐在武官の野村直邦中将が潜水艦U-511で帰朝する際、外務省と駐独日本大使館の間でスケジュールの打合せをするのに米軍に盗聴されるのを覚悟の上で国際電話を使用した。盗聴されてもわからないようにするために、鹿児島出身職員同士で会話をした。
当然米軍に盗聴されたが、早口の鹿児島弁だったため、そもそも日本語かどうかすら判別ができなかった。米軍自身が暗号にネイティブ・アメリカンのナバホ族の言語を使用していたこともあり、アジアの諸言語まで検証した。2ヶ月後、米陸軍情報部に勤める鹿児島出身の日系人が「翻訳」して、ようやく内容がわかった。 - 解読に時間がかかったためか、U-511は無事に日本に到着し、帝国海軍籍に入って呂500潜水艦と改称した。
- 戦後まで解読できなかったのは言い過ぎであるが、相当苦戦したことは事実。
- 戦後、海軍省へ船を借りに来た捕鯨業者に渡されたリストのトップに長門の名前があった。
- 当然ながら戦艦が捕鯨母船に適するはずもない。捕鯨業者は「港でスロープの付いた軍艦を見かけた」という情報を聞いて、「それなら捕鯨ができる。海軍さんに借りに行こう」と交渉を持ちかけたのだ。結局、捕鯨船として借りたのは、当たりをつけていた第一号型輸送艦(第9号、第19号など 排水量1500トン)であった。
- 当然ながら戦艦が捕鯨母船に適するはずもない。捕鯨業者は「港でスロープの付いた軍艦を見かけた」という情報を聞いて、「それなら捕鯨ができる。海軍さんに借りに行こう」と交渉を持ちかけたのだ。結局、捕鯨船として借りたのは、当たりをつけていた第一号型輸送艦(第9号、第19号など 排水量1500トン)であった。