最上型軽巡洋艦 3番艦 鈴谷


毎年GW時に販売されるGW専用コンテナから低確率で出現する迷彩。

性能諸元
性能諸元の数値は、アップグレード・基本特性・艦長スキル・ブースター・迷彩などの補正がかかっていない素の状態の数値を入力してください。
部位ごとの装甲厚や散布界など、ゲーム内には載っていない情報は将来ゲーム内で見れるようになる可能性があるので暫定で0や0-1などとする
・基本性能
| Tier | 7 | 種別 | プレミアム艦艇 |
|---|---|---|---|
| 艦種 | 巡洋艦 | 派生元 | - |
| 国家 | 日本 | 派生先 | - |
| 生存性 | 継戦能力 | 38,000 | |
| 装甲 | 6-140mm ・防郭 0-1mm ・艦首・艦尾 0-1mm ・砲郭 0-1mm ・装甲甲板 0-1mm | ||
| 対水雷防御 | ダメージ低減 | 10% | |
| 機動性 | 機関出力 | 152,000馬力[hp] | |
| 最大速力 | 34.5ノット[kt] | ||
| 旋回半径 | 750m | ||
| 転舵所要時間 | 5.6秒 | ||
| 隠蔽性 | 通常 | 主砲発砲時 | 火災発生時 | 煙幕内からの主砲発砲時 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 海面発見距離 | 12.3km | 15.3km | 14.3km | 6.0km | |
| 航空発見距離 | 7.4km | 10.5km | 10.4km | - |
| 射撃管制装置 | 艦体 | モジュール | 主砲射程 | 最大散布界 |
|---|---|---|---|---|
| - | mod.1 | 15.3km | 0m |
| 主砲 | 艦体 | 口径 | 基数×門数 | 最大ダメージ(火災) | 装填 | 180度旋回 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| - | 155mm 3rd Year Type | 5基×3門 | HE弾 2,700(11%) AP弾 3,300 | 10.0秒 | 25.7秒 |
| 副砲 | 艦体 | 口径 | 基数×門数 | 最大ダメージ(火災) | 装填 | 射程 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| - | 127mm Type89 A1 | 4基×2門 | HE弾 2,100(8%) | 5.0秒 | 5.0km |
| 魚雷 | 艦体 | 口径 | 基数×門数(片舷) | 最大ダメージ | 装填 | 射程 | 雷速 | 発見 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| - | 610mm 4連装 | 4基×4門(8門) | 17,233(287%) | 109秒 | 11.0km | 56kt | 1.7km |
| 対空砲 | 艦体 | 口径 | 基数×門数 | 秒間平均ダメージ | 射程 |
|---|---|---|---|---|---|
| - | 13mmType93 25mm Type96 mod.1 127mm Type89 A1 | 2基×2門 4基×2門 4基×2門 | 7 20 40 | 1.2km 3.1km 5.0km |
・アップグレード
| スロット0 | スロット1 | スロット2 | スロット3 | スロット4 |
| ○ | ○ | ○ | ○ |
| 1 | ![]() | 主砲改良2 | +15%:主砲旋回速度 +5%:主砲装填時間 |
![]() | 照準システム改良1 | -7%:主砲弾の最大散布界 +20%:魚雷発射管旋回速度 +5%:副砲最大射程 -5%:副砲弾の最大散布界 | |
![]() | 副砲改良2 | +20%:副砲最大射程 -20%:副砲弾の最大散布界 | |
![]() | 対空砲改良2 | +20%:対空砲座の最大射程 | |
| 2 | ![]() | ダメージコントロールシステム改良2 | -15%:消火時間 -15%:浸水復旧時間 |
![]() | 操舵装置改良2 | -20%:転舵所要時間 | |
![]() | 推力改良2 | -50%:最大出力への到達時間 | |
| 3 | ![]() | 隠蔽システム改良1 | -10%:被発見距離 |
![]() | 操舵装置改良3 | -40%:転舵所要時間 -80%:操舵装置修理時間 | |
![]() | 目標捕捉装置改良1 | +20%:最大視認距離 +20%:魚雷発見距離 +50%:敵艦強制発見距離 | |
| 4 | ![]() | 主砲改良3 | -12%:主砲装填時間 -13%:主砲旋回速度 |
![]() | 射撃管制装置改良2 | +5%:主砲最大射程 | |
![]() | 副砲改良3 | -20%:副砲装填時間 | |
![]() | 対空砲改良3 | +25%:平均対空ダメージ |
・消耗品
搭載可能 消耗品
| 十字キー左 | |||
|---|---|---|---|
![]() | 応急工作班 | 無制限 | 消耗品の動作時間:5 秒 消耗品の準備時間:60 秒 |
| 十字キー上(いずれか選択) | |||
![]() | 水中聴音 | 2 回 | 消耗品の動作時間:96 秒 消耗品の準備時間:180 秒 魚雷発見:3.1 km 敵艦発見:4.4 km |
![]() | 対空防御放火 | 2 回 | 平均対空ダメージ:+200% 消耗品の動作時間:40 秒 消耗品の準備時間:150 秒 |
| 十字キー右 | |||
![]() | 水上戦闘機 | 3 回 | 消耗品の動作時間:100 秒 消耗品の準備時間:80 秒 |
| 十字キー下 | |||
![]() | 修理班 | 2 回 | 消耗品の動作時間:28 秒 消耗品の準備時間:60 秒 回復:0.5% HP/秒 |
詳細は消耗品を参照
ゲーム内説明
鈴谷は軽巡洋艦として建造され、サイズと排水量が小さめであるにも関わらず、装甲と兵装は重巡洋艦に匹敵するものでした。155 mm 砲の数を 15 門に増やすことで、条約型戦艦が備える 203 mm 砲の砲弾と比較して質量で劣る砲弾の威力を補っていました。
就役:1937
同型艦数:4
解説
- 概要
日本ティア7プレミアム巡洋艦。
2021年4月12日から5月17日までの「限界突破」キャンペーン褒賞。
WGのアナウンス通りツリー艦の最上から課金艦艇枠にして155mm砲を搭載した仕様になっている。*1
現在は750000グローバルEXPで入手できるようになった。
- 主砲
3連装5基15門の155mm砲である。同格内ではトップの門数であり、この艦艇以外だとHelenaやBoiseぐらいである。ソ連巡洋艦に比べ装填がやや遅いため計算上の投射弾数は同じだが、1斉射で15発撃つため相手の挙動を読めればより多くの命中を期待できる。
全門斉射できる角度は妙高や最上より狭く、前方45度、後方50度である。
初速は早く、近中距離ではかなり当てやすいものの遠距離では急激に減速することに注意。*2
口径の都合上ダメージが出しにくい相手もいる。装甲の配置を観察して効率的にダメージが出せる部位を狙ってみよう。全体的に、上部構造物を狙うとダメージが出しやすい。
日本の155mmHE弾は他国に比べてダメージが高く火災発生率に劣る。ソ巡と違いダメージが出やすいため、命中弾当たりのダメージ総計では十分に優位に立てるだろう。*3
AP弾は若干貫徹力に劣るが、それでも10km以内の近距離で巡洋艦が腹を向ければむしろチャンスなので必要に応じて狙うこと。バイタル判定は出なくとも、1万近いダメージが出る。
本砲塔特有の欠点としては、155mm砲塔は耐久力がかなり低いため重巡以上の砲撃によって容易に全損してしまうことである。*4
- 魚雷
最上と同じで射角も中央から後方のみ、ただし雷速が56ktと最上よりも遅いのでばら撒きや逃げの時には相手の行動を予測して予測線よりも少しずらして射出すると当たりやすい。 - 対空
最上初期船体と同値でないに等しいレベル。敵航空機の漸減はもちろん自衛できるかどうかすら怪しい。狙われたら素直に他の艦に頼ろう。 - 抗堪性
HPは38,000と最上から少し落ちた程度。装甲厚も同じ。気になるようなら艦長スキルでHPを補強しよう。 - 機動性
旋回半径は同じだが転舵所要時間が5.6秒と最上よりもかなり向上しており回避盾がしやすい。 - 隠蔽性
最良で10km台、特化で9.7kmまで縮まり非常に優秀である。敵に対する先手を取りやすいので有効に活用したい。ただし、砲撃を得意とする艦なのでさらに隠蔽を強化するかどうかはプレイスタイルと要相談である。 - 総評
150mm多門砲の系譜に連なる非常に砲弾(&精神的威圧)投射量の多い艦艇だが、最上よりも戦略の幅が広がっている。味方と複縦陣を組んで中距離からの敵戦艦・巡洋艦への支援砲撃に徹するか、或いは機動性を生かして巧妙な位置取りから敵戦艦を包囲するなどの運用がアリか。駆逐に対しては先手を取れれば強力な一撃を加えることもできるが、鈍重な兵装しかない関係上どちらかというと狩られる側であり対決は避けたい。昨今の環境下では特定の艦長+攻撃力故にヘイトが非常に高く、見つけたとたん目の敵のように狙ってくるので生き残るのも大事になってくる。クセの強い艦ではあるが、ハメられずにハメる側であり続けることが勝利への道。
史実
大日本帝國海軍が建造した最上?型重巡洋艦3番艦。2番艦である三隈から建造から間が空いていた事もあり、鈴谷からは改良が加えられている。
このため改最上型や鈴谷型とも呼称される。
- 1931年度計画にて二等巡洋艦として建造が決定。1933年8月1日、軍艦鈴谷と命名され、同年12月11日に横須賀工廠で起工。1934年11月20日、昭和天皇臨席の下で進水式を挙行。ところがここで大事件が発生する。
- 海軍大臣や鎮守府長官、大勢の民衆が見守る中、粛々と式が進んでいく。命名が終わり、次はいよいよ進水の儀である。盤木を取り外す作業に入った時、思わぬ不備が発見されて関係者を愕然とさせた。船体圧力が掛かりすぎて砂袋が過圧され、盤木が外れないのである。焦った横須賀工廠側は空気ホースを持ち込んだり、盤木を削ろうと奮戦するが、その間にも鎮守府長官や海軍大臣は直立不動で進水の時を待っていた。何より、昭和天皇を待たせているのはまずい。関係者が次第に青ざめていく。作業に挑む人々の顔には汗が光るが、思うように作業が進まない。氷のような時間だけが過ぎていく。作業開始から約10分ほど経って、ようやく盤木は取り除かれた。船体はするすると滑り出し、艦首のくす玉を割りながら海上に浮き上がった。ようやく関係者は緊張と恐怖から解放された。命名式開始から進水完了まで27分掛かったが、横須賀工廠にとっては空前の長さであった。これを教訓に、以降は空気ホースとタガネを用意し、盤木には予め切れ目を入れておくようにしたという。
- その後も工事が進められていたが、1935年9月26日に第四艦隊事件が発生。これを受けて復元性が問題視され、1936年夏に改善工事を実施。電気溶接技術が用いられた。1937年4月6日、横須賀工廠に保管されていた缶給水加減器を搭載。そして1937年10月31日にようやく竣工。進水から実に3年近くが経過していた。竣工後、呉鎮守府に編入された。
- 最上?型は大型ボイラーを8基、小型ボイラーを2基搭載していたが、鈴谷型では大型ボイラー8基のみに搭載。空いたスペースを使って防御力強化を行った他、排水量減少に務めた。第四艦隊事件の反省から、中甲板以上を低く設定して重心の低下と復元性の改善を図っている。また装着されたバルジも、最上?型とは異なる形状をしている。艦内神社は樺太神社とされているが、絵葉書には皇大神社とも樺太神社とも違う社殿が書かれており、いったいどこから分祀を受けたのか、謎を呼んでいる。
- 要目は全長200.6m、全幅18.45m、排水量1万1200トン、最大速力35.96ノット、出力15万4266馬力。一応軽巡洋艦の扱いだが、排水量は1万トンを超えており、高雄?型より巨躯であった。なんだこれ。ちなみに帝國海軍は最上?型を公称8500トンと発表し、列強国はこれを信じ込んだ。情報統制は徹底され、艦内の士官ですら8500トンの軽巡洋艦だと信じていた。米英が1万トン級の巡洋艦だと知ったのは、ミッドウェー海戦で漂流中の三隈?を撮影した時だった。
- 1937年11月1日、短艇装備を搭載。12月1日、三隈?や妹の熊野?とともに第7戦隊を編成。1938年4月9日、第7戦隊は佐世保を出港。華南方面で活動する。4月14日、高雄に帰投。10月17日、出撃し再び華南方面で活動。10月23日に馬公へ帰投。12月15日に第三予備艦となり、横須賀工廠に入渠。主砲の換装工事を受け、20.3cm砲を搭載。これにより軽巡洋艦から重巡洋艦に艦種を変更する(異説では1939年12月30日に20.3cm砲を搭載したとも)。ちなみに取り外された砲は優秀だったため、大和型戦艦の副砲に転用されている。1939年2月(異説では9月30日)、工事完了。11月15日、熊野とともに第2艦隊第7戦隊を新編。三川軍一司令が乗り込む旗艦となる。
- 1940年3月27日、沖縄県中城湾を出港。華南方面で活動する。4月2日、基隆へ入港。5月1日、第7戦隊に最上?が編入される。5月30日、三河湾で訓練中に航空機事故が発生。飛行長の吉村治大尉と?島吉三中尉が事故死してしまった。10月11日、横浜沖で挙行された皇紀2600年記念特別観艦式に参列。10月15日、艦長として木村昌福大佐が着任。
- 領土問題で争うヴィシーフランスとタイの喧嘩を仲裁するためS作戦(南方示威作戦)が立案。この作戦に鈴谷が所属する第7戦隊も参加する事になり、呉を出港。1941年1月19日に集結地の海南島三亜港へ進出し、1月22日に出港。搭載機で要地を偵察しながら進み、予定通り1月25日にサンジャック沖へ到着。3日後、タイ・ヴィシーフランス間の停戦条約が軽巡名取艦上で行われ、作戦は成功した。最上?と三隈?は帰投し、これで終わりかと思いきや熊野?とともに第二次作戦へ参加。駆逐艦白露?とともに南下し、サイゴン沖を通過して2月9日にバンコクへ入港。翌10日、白露?を残してバンコクを発ち、サンジャックを経由して2月16日に三亜に帰投。馬公に寄港したのち中城湾へ引き上げた。3月11日から17日まで呉工廠に入渠。3月25日、呉を出港し三河湾に回航。
- 7月10日、援蒋ルート遮断のため南部仏印進駐(「ふ「号作戦)が決定。当初第7戦隊は不参加の予定だったが、暗号解析で進駐の意図を察知したイギリスが急遽シンガポールに巡洋艦2隻を配置した。この対策のため、7月15日に第7戦隊も「ふ」号作戦に参加する事になった。7月16日、兄弟の最上?、三隈?、熊野?とともに呉を出港。7月22日、海南島三亜港に入港して他の部隊と足並みを揃える。7月24日には陸軍の輸送船39隻が三亜への集結を完了。そして翌25日16時、先陣を切って三亜を出撃。港外で陣形を整え、90隻の艦船が堂々と南下を開始する。船団はチオアン、ナトラン、サイゴンの泊地に向かって次第に分散。進駐は順調に進み、7月30日にサイゴンへ入港。作戦の成功を祝した。すぐに原隊への復帰を命じられ、翌31日にサイゴンを出港。8月7日に宿毛湾に寄港して呉へ回航され、8月31日に呉工廠へ入渠した。9月7日、出渠。出師準備を整えた。9月28日、第7戦隊は第1小隊・第2小隊に分けられ、鈴谷は熊野とともに第1小隊に所属。
- 11月7日、第一開戦準備発令。第7戦隊はマレー攻略部隊に編入。南遣艦隊(第7艦隊)の指揮下に入る。11月20日15時30分、栗田健男少将座乗の旗艦となり、第3水雷戦隊を率いて柱島を出港。4隻の重巡は単縦陣を組んで、前進拠点の海南島へと向かっていった。11月26日午後12時40分、三亜へ入港。現地で旗艦香椎や鳥海?と合流。翌27日から作戦の打ち合わせが始まる。11月29日、遅れて入港してきた熊野?へ旗艦を継承。12月1日より潜水艦隊や輸送船団が逐次出発していく。決戦のときは刻々と迫りつつあった。12月2日、柱島の長門?が中継した「ニイタカヤマノボレ」の信号を受信。もう後戻りはできない。
- 12月4日午前6時20分、三亜を出港。南遣艦隊旗艦鳥海?、軽巡洋艦由良、駆逐艦吹雪?、綾波?、白雲、磯波、敷波、叢雲、初雪とともにマレーに向かう陸軍の大船団を護衛しつつ、仏印沖を南下する。南進すればするほど、気温がグングンと上がっていく。翌5日午後3時30分、第7戦隊はカムラン湾に向けて水偵4機を発進させ、索敵を行った。すると鈴谷の艦載機が潜水艦発見の報を出した。ただちに確認してみると、そこには泥土運搬船1隻を認めるだけで他には何も無かった。どうやら誤認のようである。結果、周辺に敵影無しと判断され、水偵は洋上で回収。船団は予定の航路を取った。12月7日午前7時、船団はプロコンドル島の東約70浬に達した。栗田少将は第11駆逐隊に燃料補給を命じ、第7戦隊はこれを警護する事になった。
1941年 - 1941年12月8日、大東亜戦争が勃発し、開戦をマレー半島東方沖で迎えた。鈴谷は第一次マレー上陸作戦を支援。間もなく陸軍から上陸成功の報が飛び込んできた。ところが翌9日14時15分、哨戒中の伊65潜から重要な情報がもたらされる。イギリス東洋艦隊(Z艦隊)がシンガポールを出撃したとの情報が入ってきたのだ。我が帝國海軍に最初の試練である。元々東洋艦隊は1万トン級巡洋艦を旗艦とした小規模な艦隊であったが、日英開戦を見越して本国から新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズとリパルスが増援として送られていた。当然日本側も2隻の加入を把握していたが、依然として強大な敵だった。南方部隊の指揮を任されている近藤中将は悲愴的な夜戦を覚悟し、第7戦隊の重巡4隻と駆逐艦13隻を率いて敵東洋艦隊に決戦を挑もうと考えていた。第7戦隊が先陣を切り、午後10時頃を会敵予定とした。しかし味方機が触接を失った事で敵を見失い、決戦の時機を逸する。12月9日夕刻、イギリス東洋艦隊捜索のため索敵機を飛ばすが、19時30分にプロコンドル島付近で3号機が不時着水。翌10日に由良が救助した。敵の所在は分からず、絶望的な戦いが予想された。12月10日黎明、戦艦金剛?と榛名?、重巡高雄?と愛宕?が合流。決戦戦力を増加させる。伊58潜から敵艦隊の位置を知らせる通報が入ったが、既に敵はシンガポールへの帰路についていて遥か遠方に所在していた。これでは艦隊の足では届かない。決戦の役目は、サイゴンとツドゥムに進出していた陸攻隊に委ねられた。そして陸攻隊によって敵艦隊は粉砕され、東南アジアの脅威が1つ排除された。辛くも鈴谷は沈没の危機から逃げ延びた。12月11日、カムラン湾に戻った。12月13日、熊野?とともにカムラン湾を出撃し、ボルネオ攻略作戦に参加。西北岸を遊弋するが、作戦に参加していた駆逐艦狭霧と東雲が敵潜水艦の雷撃で撃沈されている。続く12月16日、サラワクとブルネイの攻略支援を実施。12月27日、カムラン湾に帰投した第7戦隊には休養が与えられた。
1942年 - 1942年1月5日、カムラン湾を出港し船団護衛に従事する。1月26日、カムラン湾を出港してアナンバス諸島の攻略支援を実施。2月10日にバンカ、パレンバンの攻略を支援する。ジャワ島からスマトラ島パレンバン沖を哨戒し、陸軍の船団を間接的に掩護。2月14日、ブレニム爆撃機が最上?と三隈?を襲う事態が発生したが、鈴谷と熊野ペアに魔手は及ばなかった。敵軍の抵抗は激しかったが、真珠湾攻撃から戻った機動部隊や進出した基地航空隊、水雷戦隊などに次々と討ち取られ、大局は日本側に傾きつつあった。だが、船団護衛に従事していた第7戦隊には出番は回ってこなかった。陸軍や他の部隊から「重巡部隊は宝の持ち腐れ」と言われ始め、艦内では意気消沈した乗員の姿があった。2月25日、第7戦隊は今村均司令官率いる50隻以上の上陸船団を護衛する任務が与えられた。南支から出発してきた巨大船団の前衛を務め、上陸地点のバンタム湾を目指した。
- 2月27日、ジャワ沖海戦が生起。那智?率いる第5戦隊に打ちのめされた連合軍艦隊が散り散りになって敗走した。敗残兵を討ち取ってやろうと、第7戦隊の全艦が索敵機を飛ばして捜索。そのうちの1機が触接に成功。バタビアの北東40海里に敵艦隊を発見したと報告。これを受けて鈴谷は熊野とともに分離し、バタビア北方海域に向かった。この時、鈴谷の南方にヒューストンとバースが航行しており、熊野とともに攻撃に向かった。しかし午後2時17分に航空機から敵艦が停止したとの報告を受け、バタビアに入港したと思って反転北上した。その後、最上?と三隈?は殴りこんできたヒューストンとパースと交戦。バタビア沖海戦が生起し、敵艦2隻は討ち取られた。鈴谷と熊野には交戦の機会は与えられなかった。
- 3月5日、セレター軍港に寄港。北スマトラ攻略の兵力を乗せた輸送船団を護衛して同月9日に出撃。北部スマトラ島に部隊を上陸させ、要所を占領した。3月15日、シンガポールにて燃料補給。その後、湾口で哨戒。続いてD作戦(アンダマン諸島攻略)に参加。3月20日午前8時、輸送船団を護衛してペナンを出港。3月23日午前6時30分、上陸部隊はポートブレアに橋頭堡を築いた。既に英印軍は撤退していたため、速やかに占領。3月30日に占領下となった。4月1日午前11時、熊野とともにメルギーに寄港。味方の機動部隊によるセイロン島空襲に呼応して、インド洋及びベンガル湾方面で通商破壊を実施する事に。鈴谷は北方海域を請け負った。4月6日午前7時30分、ベンガル湾にてカルカッタから脱出してきた英商船6隻を発見。木村昌福艦長は人命第一の采配を取り、機銃で敵船の船底を撃ち抜いて沈めるという沈め方を実施。乗組員が脱出してきた場合は、退避を済むのを待ってから砲撃した。こうして貨物船オートリカス、インドラ、シンクァン、シンキャン、シルクワースと軍隊輸送船マルタを撃沈し、壊滅へと追いやる大戦果を挙げた。消費した弾数は鈴谷が一番少なかったという。4月11日に作戦を終えてシンガポールへ帰投。開戦劈頭から連戦続きだったが、ようやく内地への帰投を命じられ、4月13日に出港。4月22日に呉へ帰投し、4月27日から5月4日まで入渠整備を受けた。
- 5月22日午前6時30分、第7戦隊はミッドウェー作戦参加のため柱島を出撃。在泊艦艇の乗組員が登舷礼や帽振れで見送ってくれた。豊後水道で荒潮?や朝潮?と合流。2隻の護衛を受けながらグアムへ向かった。この時、乗組員には行き先を知らされていなかった。5月26日、グアム着。現地で補給物資の積み込みと重油の供給を受け、28日に出港していった。護衛する船団には上陸部隊が乗っており、予定通りに事が進めば6月7日に上陸させる予定であった。またミッドウェー島占領を見越し、文官や郵便局員も乗っていた。6月4日、ミッドウェー海戦に参加。第7戦隊は主戦場から離れた後方に控えており、出番は無いように思われた。しかし先鋒を務めた機動部隊が壊滅状態に陥った事で、旗色が悪くなる。旗艦大和座乗の山本五十六長官からミッドウェー島の砲撃命令(夜戦命令とも)を受け、第7戦隊は突撃を開始した。旗艦熊野に率いられ、高速で疾駆する最上?、三隈?、鈴谷。放たれた矢のようにミッドウェー島に向かっていたが、あまりの高速に護衛の朝潮?と荒潮?がついていけなくなり、水平線の向こう側に置き去りにしてしまう。それでも4隻の重巡は最大戦速で突っ走った。ミッドウェー島砲撃まであと2時間程度になった午後9時35分、連合艦隊司令部より「支援隊は砲撃を取り止め、主力部隊主隊に合同せよ」との電令が届いた。戦闘の緊張から解放された艦内には、「やれやれ」と言った空気が漂った。戦隊はただちに反転し、速力27ノットに落として帰り始めた。単縦陣の隊列を組み、本隊との合流を目指す。そんな中、旗艦熊野が敵潜水艦を発見。今、第7戦隊には護衛の駆逐艦はいない。潜水艦に襲われれば一溜まりも無い状況であった。先頭艦の熊野は後続の僚艦に回頭の命令を下す。しかし伝達ミスにより熊野は後続の鈴谷と衝突しそうになる。かろうじて2隻は回避したものの隊列は崩れ、最上?と三隈?が衝突事故を起こす。三隈?は軽傷で済んだが、最上?の方は艦首が潰れて左に曲がり、大破・航行不能。熊野座乗の第7戦隊司令栗田健男中将は、損傷し最上?に速力を合わせると途中で夜明けを迎え、空襲を受ける危険性を憂慮した。ここは敵の箱庭同然だからだ。そこで熊野は鈴谷を率いて退避し、護衛として朝潮?と荒潮?をつけて最上?、三隈?を置いていった。熊野と鈴谷は本隊の第2艦隊と合流した。しかしこの2隻は長らく音信不通となっており、連合艦隊ですらその所在を掴みかねていた。第2艦隊の参謀は「どうにも困った艦である」と述べたとか。
- 6月8日、大破した最上?と荒潮?、そして無傷の朝潮?が第2艦隊と合流。三隈?の姿は無かった。満身創痍の最上?に一刻も早く修理を受けさせるため、本隊から分離しトラックに向かう。6月13日、トラック島に帰投。傷が浅かった鈴谷と熊野は先に内地へ帰投する事になり、6月17日にトラック島を出港。同月23日に呉へ到着し、船体と武装と機関の整備を受ける。7月8日午前9時、柱島に回航。次の作戦に備えて準備と訓練を行う。
- 7月14日、再編成に伴い第7戦隊は第3艦隊へ編入。同月17日午前8時、熊野とともに駆逐艦早潮等に護衛されながら柱島を出港。B作戦*5に参加すべくメルギーへと回航された。7月25日、シンガポールにて天塩丸から食糧品の補給を受ける。道中の7月29日午前9時5分、右舷からオランダ潜水艦O-23から3本の魚雷を放たれる。雷撃を回避した後、村雨や五月雨とともに爆雷攻撃を行った。翌30日16時40分、メルギーへ入港。しかし8月7日にアメリカ軍がガダルカナル島に襲来。急遽第7戦隊もソロモン方面へ送られる事になり、作戦中止。8月8日19時45分、メルギーを出港。同月14日14時35分、バリクパパンで給油。16日午前8時30分に出港し、戦雲渦巻くソロモン戦線に向かっていった。8月24日、日米双方の機動部隊が接近し第二次ソロモン海戦に参加。鈴谷は比叡?や霧島?等とともに機動部隊の前衛を務めた。海戦後の9月5日、トラック島に帰投。9月10日、哨戒のためトラック島を出発。23日に帰投し、燃料補給。10月11日、ガ島の陸軍総攻撃を支援すべく、トラック島を出撃。機動部隊の前衛を務めた。
- 10月26日、南太平洋海戦に参加。味方の機動部隊を守って奮戦。7本の魚雷を回避する活躍を見せたが、敵雷撃機に左右を挟まれるという絶体絶命の危機を迎える。右に避けても左に避けても直撃は免れない窮地。そこで木村艦長は回避運動を諦め、「真っ直ぐ行け」とだけ命じた。こう命じておけば、被弾の責任は艦長になるので部下を守ることが出来るいう配慮であった。この心遣いに神仏は感動したのだろうか、左右から迫る魚雷は信管過敏で自爆、または深度設定のミスで艦底の下を通過する奇跡が発生、鈴谷は事なきを得た。10月30日、トラック島へ帰投。
- 敵軍はヘンダーソン飛行場を使い、周囲の制空権を握っていた。この飛行場から飛来する敵機は日本側の作戦を著しく妨げており、目の上のコブと言えた。この厄介な敵飛行場を黙らせるべく、帝國海軍は内懐に飛び込んでの艦砲射撃を企図した。鈴谷は摩耶?や天龍と超次元タッグを組み、妖魔がうごめく飛行場へ向かう。艦船攻撃用の徹甲弾を陸揚げし、代わりに陸上基地攻撃用の零式弾500発を搭載した。3隻の巡洋艦が砲撃部隊の中核である。11月3日、トラック島を出港。前進基地のショートランドへ寄港して、戦備を整える。そして11月13日、出撃。駆逐艦陽炎及び夕雲に護衛されながらヘンダーソン飛行場へと急行する。トラック島から出撃した比叡?率いる挺身隊と協同で、飛行場砲撃を行って敵の混乱を誘った後、高速輸送船団が突入する予定だった。ところが比叡?隊は、手ぐすね引いていた敵の待ち伏せに遭い、乱戦の末に比叡?を失って撃退されてしまう。残された希望は、別方向から進撃している鈴谷と摩耶?の超次元タッグだった。幸い比叡?隊が敵を引き付けてくれたおかげで哨戒線はスカスカになっており、鈴谷たちは難なく内懐へ飛び込んだ。11月13日午後11時30分、比叡?隊の無念を晴らすかのように猛然と射撃を開始。飛行場は爆発の炎に包まれ、次々に誘爆が起こった。鈴谷は504発、摩耶?は485発の砲弾を叩き込み、一時的に使用不能に至らしめた。これを観測していた陸上観測所は「相当の効果あり」と発した。防衛戦力を比叡?隊に吸収されていた敵軍はまともな抵抗が出来ず、迎撃に出てきたのは魚雷艇2隻のみだった。ご自慢の新鋭戦艦や英雄気取りのエンタープライズはお留守だったのだ。この砲撃で駐機していた航空機18機が全損し、32機が損傷したという。比叡?隊を退けて浮かれているところに、この砲撃を受けた敵軍は冷や水を浴びせられて驚愕した。11月14日午前0時4分、砲撃終了を下令。砲撃を終えた鈴谷と摩耶?たちは退却を開始した。午前4時28分、敵艦上機4機が飛来し、砲撃部隊の追跡を始める。午前6時、ニュージョージア島南方で待機していた三川軍一中将率いる味方艦隊と合流。彼らとともに北方へ退避するが、機能が回復したヘンダーソン飛行場から追っ手が迫る。更に怨敵エンタプライズの艦載機まで現れ、激しい攻撃を受ける。摩耶?、五十鈴?が被弾、衣笠?が撃沈される被害をこうむりながらも鈴谷は無傷でショートランドに帰投できた。
- 11月16日、外南洋部隊支援隊の西村祥治司令よりカビエンへの回航を命じられる。翌17日、摩耶?や天龍とともにショートランドを出港。11月18日にカビエンへ到着。艦載機を派遣し、奇数日の対潜哨戒を行った。12月2日、カビエンを出港。ショートランドを経由してラバウルに帰投した。12月5日、ラバウルにて運送艦鶴見から重油570トンの補給を受ける。
1943年 - 1943年1月1日、鈴谷の艦載機が山陽丸に供出される。1月7日、瑞鶴?等とともにトラックを出港。同月12日、呉に入港。1月14日から25日にかけて呉工廠に入渠した。1月27日、鈴谷の搭乗員3組と艦載機3機を神川丸に供出。2月5日、駆逐艦天津風を伴って呉を出港。16時に沖ノ鳥島を通過した。2月10日、トラック島到着。訓練に従事する。3月29日、呉に入港。4月27日から5月2日にかけて入渠整備を受ける。5月20日、徳山にて燃料補給。アメリカ軍によるアッツ島上陸を受け、迎撃艦隊に編入。横須賀に回航されたのち待機するが作戦中止。6月1日に柱島まで戻った。6月16日、横須賀を出港。金剛?、榛名?、龍鳳?、五十鈴?、新月?、雪風?、浜風?、清波?等とともにトラック島を目指した。入港直前の6月22日、待ち伏せていた敵潜水艦スピアフィッシュに龍鳳?が雷撃されるも幸い命中せず。そのまま泊地へと逃げ込めた。翌23日、熊野とともにトラック島を出港。駆逐艦新月と涼風に護衛されながら第5、第28防空隊をラバウルへ輸送。
- 7月11日、ラバウルに寄港。同月18日に、熊野や鳥海?、第3水雷戦隊、第16駆逐隊からなる夜戦部隊を率いてラバウルを出港。翌19日午後、コロンバンガラ島に向かう第30駆逐隊と合流し、クラ湾方面を遊弋。しかし7月20日午前0時34分、ヘンダーソン飛行場を出撃してきたB-25爆撃機や海兵隊機と交戦。駆逐艦夕暮と清波?が撃沈され、熊野も損傷したため作戦中止となり、ラバウルへ帰投した。その後は訓練と整備に従事。10月17日、トラック在泊の戦艦武蔵のマストに信号旗が上がった。2回目のZ作戦には鈴谷も参加する事になり(1回目は不参加)、小沢治三郎中将指揮の下、米艦隊との艦隊決戦を目指してトラック島から東進。前進拠点のブラウン島へ移動した。ところが伊36潜のハワイ偵察により、敵は港内でのんびりとしている事が判明。振り上げた拳は下ろす場所を失った。それでも古賀司令長官は敵のウェーキ島空襲を予想し、前もって艦隊を先回りさせたが、これも空振り。失意のうちに艦隊は引き返し、10月26日にトラック島へ到着した。
- 11月1日早朝、連合軍がタロキナ地区へ上陸したとの情報が入ってきた。これを受けて連合艦隊司令部は、トラック島に在泊中の水上部隊を投入して、ソロモン海域での決戦を企図した。その遊撃部隊の司令官に栗田健男中将を指名し、鈴谷もその戦力に組み込まれた。11月3日、有力な艦隊とともにトラックを出港。一路南下し、ラバウルに向かった。現地到着後は南東方面艦隊の指揮下に入り、陸軍部隊と協同で支援に充当する予定だった。ところが翌4日、艦隊がアドミラルティ沖に差し掛かった頃、B-24に発見される。そして5日に入港するまで触接が続いた。11月5日午前9時、敵空母が放った97機がラバウルを空襲。後方の補給基地は戦火に包まれた。迎撃のため零戦や彗星が発進し、在泊艦艇も対空砲火を上げるが、大小さまざまな損害が出る。敵艦載機が去った後はB-24爆撃機27機とP-38戦闘機67機が襲来し、数に任せた爆撃を加えた。空襲は午前11時頃に終了。幸いにして鈴谷には被害が及ばなかったが、最上?が損傷したため、11月6日に護衛をしつつトラック島へ後退した。12月25日、熊野とともに谷風?の護衛を受けながらカビエンへ輸送を行うが、27日に敵機に見つかって反転離脱。12月29日、護衛を満潮?に変更して再度トラック島を出港。今度は成功し、同月31日にカビエンへ到着。兵員と物資を揚陸した。
1944年 - 1944年2月1日、トラック島に空襲の予兆が確認されたため、主力艦隊とともにトラック島を脱出。2月4日にパラオ島まで後退したものの、同島にも米機動部隊が迫ってきたため、2月16日に再び脱出。同月21日にリンガ泊地へ入港した。しばらくは現地で訓練に従事する。5月11日、あ号作戦発令準備に伴ってリンガを出港。より決戦地に近いタウイタウイ泊地に移動した。5月26日、運送艦鶴見から真水と潤滑油90トンの補給を受ける。6月13日、ついにアメリカ軍のサイパン侵攻が始まった。これを受けて旗艦大鳳?に座乗する小沢治三郎中将の指揮下に入り、出港。ギマラス泊地で燃料補給を行って太平洋に躍り出た。
- 6月19日、マリアナ沖海戦に参加。第7戦隊は機動部隊の前衛を務める第3航空戦隊の護衛に就いた。後方の本隊から発進してきた味方の航空隊が前衛部隊の上空を通過したが、その際に敵機と誤認し対空砲火を撃ってしまっている。同士討ちは短時間で終わったが、誤射された航空隊の方はカンカンであった。対峙する米機動部隊が日本艦隊を発見できていなかったため、本格的な戦闘は生起しなかった。しかし後方の本隊は敵潜水艦の襲撃で虎の子の翔鶴?と旗艦大鳳?を失った。翌20日、早朝から両軍の艦隊は互いに所在を探りあう。午後4時、ついに敵の哨戒機に発見され、約1時間後に本格的な空襲が始まった。約200機の敵機が群がり、攻撃してくる。鈴谷は無傷で乗り切ったものの、飛鷹?が撃沈される。生き残った艦艇を集めて夜戦を企図する小沢司令官であったが、連合艦隊司令部より作戦中止を受けて退却した。6月22日、中城湾へ寄港。戦死者や生存者の移乗が行われ、翌23日に出港。各々が所属する軍港へ向かっていった。6月25日、呉に帰投。
- 7月8日、陸軍部隊を積載して出港。同月16日にシンガポールへ寄港し、部隊を揚陸させた。その後、リンガ泊地に回航。9月1日、最後の艦長である寺岡正雄大佐が着任。10月6日、給糧艦北上丸より食糧品の補給を受ける。10月17日、フィリピンのレイテ湾にアメリカ軍の大部隊が侵攻し、橋頭堡を築く。危急を受け、大本営は捷一号作戦を発令。生き残っていた艦艇をかき集め、決戦を挑む。翌18日、鈴谷は僚艦とともにリンガ泊地を出港。10月20日、ブルネイに到着。戦艦武蔵に横付けし、燃料補給を行う。各指揮官は旗艦愛宕?に集結し、作戦の打ち合わせを行う。鈴谷は、栗田健男中将率いる主力艦隊に編入。レイテ湾に突入して敵主力を殲滅する役目が与えられた。
- 10月22日、ブルネイ出撃。ところが翌23日、パラワン水道にて米潜水艦の襲撃を受け愛宕?と摩耶?が撃沈。高雄?が大破する損害が発生。鈴谷は無事だったが、決戦を前に痛撃を受ける。同日午前10時23分、鈴谷は艦載機1機を発進させ、栗田艦隊の前路哨戒を実施。その後、艦載機は母艦には戻らず、サンホセ基地に帰投。
- 10月24日にシブヤン海海戦が生起。米艦載機が数の暴力で襲い掛かってきた。午後12時20分に約30機、午後2時20分に約80機、午後3時15分に約25機の襲撃を受けたが、被害無し。反撃の対空砲火で米軍機2機撃墜(うち1機は不確実)を報じた。休む間もなく午後3時30分に約100機と交戦し、3機撃墜(1機不確実)。敵の猛攻により戦艦武蔵は大破、各艦艇も傷ついていた。空襲が終わった午後4時、栗田艦隊は一旦西方へと退避した。栗田艦隊の反転を見て、ハルゼーは充分な打撃を与えたと判断。主力を小沢艦隊に向けたため、レイテ湾に続く水道の警備がザルになった。この隙を突き、栗田艦隊は再度反転してレイテ湾を目指す。10月25日午前1時、最も危険とされたサンベルナルジノ海峡を難なく突破。進撃を続ける。空は曇天となっており、時折スコールが降り注いだ。午前5時、猛烈なスコールに遭い、極めて視界不良に陥る。自然の猛威に振り回されること1時間30分、ようやく解放される。空は夜明けを迎えようとしていた。10月25日午前6時47分、水平線にマストのようなものが確認される。最初は伊勢?や日向?かと思われたが、その正体は敵軍の護衛空母部隊タフィ3であった。黎明かつ敵は艦載機の発艦中と、脆弱な状況下にあった。獲物を見つけた栗田艦隊は突撃を開始し、盛んに砲撃して敵を狙う。午前6時55分、敵駆逐隊が煙幕を展開。午前7時10分、鈴谷は敵駆逐艦に向けて主砲を斉射。砲撃を受けた敵艦は急停止し、効果があるものと判断された。だが、間もなく敵巡洋艦から反撃を受け、至近弾となる。
- 逃げ腰の敵は破れかぶれに戦闘機を放ちながら、必死にスコールへ逃げようとする。午前7時15分、敵機約20機と交戦。熊野と鈴谷の間に何本もの水柱が林立する。爆弾を積んでいる機は少なく、機銃による攻撃が大半だった。午前7時35分、艦尾に至近弾を受け、乗員10名が負傷。艦内軸が損傷し、速力の発揮に障害が出る。そんな中、敵駆逐艦ジョンストンから放たれた魚雷が熊野の艦首に直撃し、大破。時同じくして鈴谷も被弾し、損傷。-旗艦熊野に乗艦していた白石万隆少将は筑摩に旗艦を移そうとしたが、戦闘の余波で隊列が瓦解しており周囲に筑摩の艦影が見当たらなかった。やむなく近くにいた鈴谷を旗艦に指定し、接近するよう命じる。発光信号で鈴谷は「我、至近弾により出しうる最大速力は20ノット」と送った。依然、敵の空襲下という危険な状況で白石少将ら司令部要員の移乗が始まった。カッターで移動している間にも敵艦載機から機銃掃射を受けたが、何とか鈴谷の艦尾に到着。マストに中将旗が掲げられ、満身創痍の熊野から離れていった。午前10時30分、大和の集合命令によりレイテ湾北東約45浬付近にて
艦艇が集結した。
- 1944年10月25日午前10時50分、敵艦載機約30機の爆撃に遭遇し、左舷中央部に至近弾を受ける(命中弾を受けたとする資料もある)。その衝撃で魚雷頭部に引火し、小規模火災が発生。魚雷発射管からチロチロと火が出ていたという。10分後、魚雷にも引火し、誘爆が発生。一気に大破・航行不能となり、右へ6度傾斜。午前11時30分、利根に第7戦隊の旗艦を継承。そして左舷の魚雷2本に引火した事で高角砲弾が一斉に爆発。午後1時20分に沈没した。乗員564名が戦死し、415名が駆逐艦沖波に救助された。生き残った者はマニラ防衛戦に参加し、多くが犠牲となった。1944年12月20日、除籍。
- 愛知県北設楽郡東栄町月引田には、乗員の慰霊のために親族が建立した鈴谷観音という石碑が残っている。
小ネタ
艦名の由来は、南樺太に流れる鈴谷川。鈴谷岳山麓から発し、豊原市郊外を通って大泊群千歳村で
亜庭湾へ注がれる。「鈴谷」という地名自体はアイヌ語のシュシュヤ(「岸に柳が生えている川」の意)が語源。
なお、現在はロシアに食べられてしまったロシア領になり、川名も「ススヤ川」と呼ばれている。このため、「鈴谷川」というのは現在は地球上に存在しない地名と化している。


















口径・弾速・距離・信管作動時間・弾道特性の全てをある程度把握してれば基本回避には困らない。
敵の弾がすぐにバイタル入る~とか言ってる人は多分そこら辺わかってない。 -- 2024-03-13 (水) 02:25:46
チャパエフと鈴谷は似たような装甲厚してるけどバイタルが流石に船体比でデカすぎる。さらに機動力と隠蔽も大幅に負けてるから回避盾もしにくいし撃った後に隠れての陣地転換も鈴谷に比べて難易度上がってる。さらに言うと1番まともな防御持ってるこいつですら鈴谷以下なんだから他ティアのソ連軽巡とかもはや生き残る方が難しい。 -- 2024-03-15 (金) 04:40:54
あと火災発生率もあげてるらしくてやばいよ。 -- 2024-10-11 (金) 23:14:32