YouTubeチャンネル開設してついでにファンサしまくる三人。ネタ元はピンタレストにあるスパナチュイラストから。
くっそ楽しかったので長いです。メタ回との相性が良すぎる。妄想と拡大解釈とフィクションでできているページ。
キャラ崩壊させたつもりはないけどしつつあるのかも。何でも許してくれる人向け。
ファンが喜ぶ雑談をしよう
扉に「3」と書かれたカスティエルの寝室。そこは、バンカーの他のエリアとは一線を画すほど、生活感という概念が削ぎ落とされた空間だった。
その殺風景な部屋の主であるカスティエルは、壁際に置かれた硬いソファに、魂の抜け殻のように両腕をだらんと垂らして座っている。一方、ディーンは主の許可も得ぬまま、ベッドの上を土足のあぐらで占拠し、ぬるくなったビールを煽っていた。その脇では、スツールに座ったサムが、持て余した長い足を放り出し、フレーバーウォーターのボトルを弄んでいる。
「つまりだ! 俺たちのこういう雑談シーンこそ、ファンが真に求めているものなんだよ!」
ディーンがベッドのシーツに叩きつけたのは、海外の巨大掲示板『Reddit』のとあるスレッドだった。画面には「兄弟やキャスが、ただ普通に駄弁っているだけのシーンが見たい」という書き込みと、それに群がる無数の賛同レスが連なっている。
「まあ……物語を効率的に進めるうえで、真っ先に削られるのがこういうシーンだからね。尺の問題もあるし」
サムが眉間を緩く掻きながら応じる。その声には、どこかメタ的な視点に対する冷ややかな納得が混じっていた。
「でも、実際難しくない? 毎度のように世界滅亡の危機とか深刻なトラブルを抱えたまま、楽しく雑談なんてそうそうできないだろ」
「サム、そこがポイントだ! 深刻な状況だからこそ、他愛もない雑談がダイヤモンドのように輝くんだよ。なんでもいいだろ、俺とお前がガキの頃に、親父のスパルタ軍隊訓練でやらかしたドジな話とか……」
「……じゃあ、今から何か話す?」
「いや、そう言われるとやらされてる感が半端ないんだよな……」
ディーンは急に決まりが悪そうにビールを啜った。
「だって、トラブルがない平和な時でも、僕たちの本業は狩り……つまり過酷な戦闘行為だ。のんびりしたドラマなんて柄じゃないよ。今さら昼ドラみたいな展開なんてやりたくないし」
「昼ドラ展開は俺も御免だ。が、日常を彩るちょっとした憩いがないなんて、ハンター以前に人間として死んでるようなもんだぜ」
「私は天使だ」
それまで死んだように黙っていたカスティエルが、不意に、地を這うような低音で口を開いた。あまりにもド真面目な、そしてズレた指摘に、ウィンチェスター兄弟は返す言葉を失って沈黙した。
「……とにかく、雑談タイム開始だ! ほら、サミー! 何かネタはないのか?」
「適当に振るなよ。さっきから兄貴の言ってることは意味不明なんだから」
「意味不明といえば、なぜ私の部屋でこのような会話を繰り広げているんだ……?」
カスティエルのもっともな疑問が部屋に響く。実際、この「3番」の部屋は彼にあてがわれた寝室だ。
「家具がなんにも無いからだよ!三人押し込める寝室はここぐらいだ。 キャス、お前、趣味のひとつでも覚えた方がいいんじゃないか? 備え付けのテーブルとベッドとソファ以外、何も置いてないじゃないか。監獄の方がまだマシだぜ」
「……それについては、僕も兄貴に同意するよ。あ、家具の充実度じゃなくてね、キャスも何か『自分だけの楽しみ』を見つけてみたらどうかなって」
サムがフォローを入れるが、カスティエルは微塵も動じない。
「天使に趣味は不要だ。家具が最低限なのも、私にとっては必要以上の装飾が不要だからだ」
「おい! せっかく俺が雑談の糸口を、必死に手繰り寄せてやったのに……!」
ディーンが天を仰ぐ。広すぎるカスティエルの部屋に、空虚な沈黙がしんしんと降り積もっていく。雑談という名の贅沢は、この三人にとっては、どんな強力な呪詛を解くよりも難解なミッションのようだった。
「わかったよ、雑談ね。んー……今日の雨は止んだけど、明日の天気は晴れかな?」
「おいおいサミー、兄貴は悲しいぞ。いつからそんな昼下がりの主婦みたいな切り口になったんだ」
投げやりなサムの問いかけに、ディーンは心底がっかりしたというように大袈裟に首を振った。
「雑談しろって言うからしたんだろ! 文句があるなら兄貴こそ何か言えよ!」
「仕方ねえな……」
ディーンはスマホを手に取り、Redditの別のスレッドをちらちらと読み漁り始めた。
「なになに……『なんだかんだでディーンは硬派だよね! 可愛いところがあるのはわかってるけど、睨みをきかせる時は間違いなく肉食系』。ほう、これだ!」
ディーンは宣言するやいなや、書き込みの内容を忠実に再現すべく、深刻な顔を作ってサムとカスティエルに鋭い睨みを効かせた。わけも分からず、殺気にも似た視線を向けられた二人は、思わず気圧されて視線を逸らす。
彼の睨みは、確かに『剛い』。それは厳しい父親の説教というよりは、ひたすらに実戦を見据えたハンターの威嚇だ。眉間に無駄な皺を立てず、目ヂカラだけで生み出される陰影が、独特の覇気となって場を支配する。眼前の対象に全神経を注ぎつつも、文句があるなら言ってみろと言わんばかりの僅かな余裕。それが「大人の男」としての凄みを演出していた。
「わかったよ……兄貴との睨み合いは、散々やってきたからもうじゅうぶんだ」
サムが両手を広げて降参のポーズをとる。
「怖いというより……ワニワニパニックのワニだな」
カスティエルが、絶妙な例えを思いついたと言わんばかりに人差し指を掲げた。
「なに! 俺がワニだってのか? まあいい、強そうなら何でもいいさ。とにかく雑談だ。俺がカッコいいかどうか、もっと詳しく議論しろよ」
「待てよ、これのどこが雑談なんだ? ただのディーン流軍隊訓練じゃないか……」
「男が三人揃って、キャッキャウフフなんて甘い展開が出るわけないだろ! 結局こうなるんだよ。よし、次は……ほう、『サムは倒れて気絶してる時が一番かっこいいというか……眠れる森の美男みたいで好き! あれだけ丁寧にセットした髪が崩れた時の喪失感と背徳感がたまらない』。……おい、お前のファンはマニアックな変態が多いんだな」
ディーンの言葉に、サムは顔を引き攣らせて、今まさに部屋の扉から逃げ出そうとした。
「はいはい、待てよサミーちゃん!」
「やめろよ! これでも朝、三十分かけてセットしたんだぞ!」
「いいから気絶しろ! Hands up! Don't move!」
西部劇のガンマン気取りで指を突き出しながら、ディーンが背後からサムの足を軽く蹴飛ばす。高身長の体がぐらりと傾ぎ、サムは部屋の入口の柱に思い切り頭をぶつけてその場に崩れ落ちた。
「ディーン! 大怪我をしたらどうする!」
「お前(ヒーラー)がいるだろ! それにこういうメタなギャグ回で、致命傷になる展開なんてねぇんだよ!」
二人の喧騒を余所に、床に横倒しになったサムは、緩やかなS字に整えられていた髪がバラリと解け、目を閉じている。ディーンと比較すると、その姿はあまりにも儚い。決して虚弱な体格ではないのだが、身長に対して贅肉が極限まで削ぎ落とされており、ひょろ長い印象が「強さ」よりも「繊細さ」を際立たせる。
瞳の覇気が消えたサムは、まさに『美男ここに眠る』といった有様だった。セットされた柔らかい前髪の一部が崩れて額にかかり、整った顔立ちにラフな色気が流れている。それは「男前」というよりは「美人」という言葉の方がしっくりくる光景だった。
「兄貴……バカなことは……やめ……」
混濁した意識の中で漏れる掠れたうめき声が、また一段と背徳的な彩りを添えていた。
「……だめだ、俺がこれ以上見てられねぇ」
ディーンは急に真顔になると、兄としての防衛本能(あるいは妙な気恥ずかしさ)に従ってサムの腕を引っ張り上げ、強引にベッドに寝かせ直した。
ひと時後。
「なにが『Hands up!』だよ……。手を上げる暇も、こっちには一秒もなかったぞ……」
サムはズキズキと痛む頭を押さえながら体を起こした。その横では、ディーンが退屈そうにスマホを弄りながら、再びネットの海を漂っていた。
「おいおいサミー、不平を言うなよ。Redditには『兄貴からの目覚めのキスを切望する』なんて書き込みまであるんだぞ。少しは空気読め」
「……なにがだよ! もうRedditはいいだろ、ろくなことが書いてない!」
「だめだ。どうせ俺たちが魔物をぶちのめすところなんて、ファンはドラマで飽きるほど見てるんだ。今求められてるのは、やっぱ『日常生活』よ」
「日常生活って言われても、もうネタなんかないぞ。ガチで真面目にバンカーでの生活をやるなら、僕らなんてほとんど喋らないじゃないか。『買い出し行く』『行ってらっしゃい』『ただいま』『おかえり』。それだけで終わりだよ。この場所は広すぎるんだ。お互いの顔を見ない日の方が多いのが、本当のウィンチェスター家の日常だろ」
「……ああ、それは俺も薄々気づいてた」
ディーンはベッドから身を乗り出し、真剣な顔でサムを指差した。
「だからこそだ! いっそのことRedditやSNSで言われてる内容を、俺たちが忠実にトレースして実演することで、この干からびた生活に潤いを与えるんだよ」
「はぁ……。ところで、キャスは?」
ふと見当たらない天使の不在に気づき、サムが問いかける。
「あいつにも『ネット仕込みの日常生活』をやらせてる。キャスに関する書き込みは、俺らよりさらに数が多いからな。ネタには困らねぇ」
「え? なにをさせてるんだよ」
「洗濯だ。あとは炊事。見てみろ、このスレを! 『「兄弟を護る!」と勇ましく言いながら、なぜか自然に炊事洗濯の雑用をさせられちゃうカスティエルが見たい人、挙手!』。この書き込みに、何人が同意の『いいね』を押してると思ってる? 驚くなよ、1285いいねだぞ!」
「……つまり、キャスを主婦扱いしてるってこと?」
「いつも血まみれのネルシャツやらジャケットやら、誰も洗わねぇから街のコインランドリーにぶち込んで、店主に不審な目で見られるだろ? キャスには演技じゃなく、今後も実益を兼ねてやらせることにした。俺たちは狩りで忙しいんだからな」
ディーンが勝ち誇ったように言い切った瞬間、キッチンの方からカスティエルの野太い叫び声が響き渡った。
「ディーン! 食器洗い洗剤で洗濯をするのは、あまり良くなさそうだぞ!」
顔を見合わせたサムとディーンが慌ててキッチンへ駆けつける。そこには、ディーンのネルシャツを流し台に広げ、まるで頑固なピザの油汚れを落とすかのような勢いでゴシゴシと擦り洗いをしているカスティエルの姿があった。あたりはレモンの香りの泡まみれだ。
「バカヤロウ! それは俺のシャツだ、ピザの皿じゃねぇぞ!」
ディーンが悲鳴を上げて洗剤をひったくった。
「あ……そういえば、バンカーには洗濯機なんてハイカラなもんは無かったな……」
「それを考えてからやらせろよ兄貴! 僕だって、こんな血まみれの服を洗った流し台で野菜なんか洗いたくないぞ!」
「ディーン! 汚れが落ちない。油汚れ用の強力洗剤でもだめか!?」
「服が溶けるわ! やめろ!」
泡にまみれ、洗剤の匂いに咽せながら、男三人が狭いキッチンで揉み合う。不名誉なことに、Redditのファンたちが夢見た「癒やしの家事シーン」は、現実には阿鼻叫喚の混乱を極めることになった。
ライブ配信をはじめたよ
キッチンを埋め尽くしたレモン臭の泡をどうにか処理し終えた後、バンカーには再び奇妙な静寂が訪れていた。
カスティエルは図書室の片隅で、タブレットを片手に「界面活性剤の性質と繊維への影響」についての電子カタログを恐ろしい集中力で読み耽っている。一方、ディーンはノートパソコンに向かい、まるで行方不明の魔王の居場所を突き止めた時のような、異様な熱気を帯びた手つきでキーボードを叩いていた。
「よし……決まったぜ! チャンネル名は『daily life natural』! これで行く!」
「……兄貴、今度は何を始めたんだ?」
背後から覗き込んだサムが、不安げに眉をひそめる。画面にはYouTubeの新規チャンネル開設画面が表示されていた。
「YouTubeチャンネルの開設だよ、サミー! ここではな、真面目にハンターや新米の怪物のための豆知識を伝授するハウツー動画のほかに……『兄弟と天使のちょびっとアレな日常動画』とか、もちろんライブ配信もガンガンやっていく予定だ」
「『ちょびっとアレ』ってなんだよ! 語彙力が怪しすぎるだろ。っていうか、そんな内容を公開したらいまのYouTubeは速攻でBANされるぞ。Googleの規約は甘くないんだ、規約違反で一発アウトだ」
「別に金稼ぎだけが目的じゃない。上手くオブラートに包みつつ、一般ピーポーに怪物や闇の存在への注意喚起をするんだよ。ネットリテラシーってやつだ」
「……つまり、一般人を守るための啓蒙活動ってことか。それじゃあまるで、ゴースト・フェイサーズじゃないか」
サムはその点においてだけは、ハンターとしての正論に突き動かされ、反論の言葉を飲み込んだ。だが、ディーンは「ゴースト・フェイサーズ」という名が出た途端、椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで振り返った。
「あんな偽物と一緒にするな! 俺たちはレジェンド・ハンターだぜ? ガチのトーンで、本物の地獄を見てきた奴がやるから意味があるんだ。エドたちみたいなチャラついた素人に任せておけるかよ!」
「それで、ライブ配信では具体的に何をするつもりなんだ?」
「いい質問だ、サミー! チャンネル名の『daily life』は嘘じゃない。ここでは俺たちの日常生活を、最高にクールな漫才……あるいはリアリティショーとして成立させて、ファンからの投げ銭(スパチャ)を待ち構えるんだよ」
「……結局、金稼ぎが目的じゃないか!」
サムの鋭い指摘に、ディーンはビールの空き瓶を掲げて堂々と言い放った。
「金がないと狩りも満足にできねぇだろ! 弾丸もガソリン代もタダじゃねぇんだ。いいか、俺はビリヤードで稼ぎすぎて、もうレバノンどころか周辺のほとんどのビリヤードバーのブラックリストに入れられてんだよ! チャーリーからもらったクレカはあるとはいえ、新しい資金源を確保するのは、リーダーとしての義務だろ?」
「私は、洗濯のコツについてならライブで話せるぞ」
カタログから目を上げたカスティエルの、あまりに場違いで真剣な一言が、バンカーの重苦しい空気を一瞬で無効化した。
「よし、決まりだ! 初回配信は『天使が教える! 油汚れを落とすエノクの秘術』だな!」
ディーンの瞳に宿る野望の炎は、すでに100万登録超えの金色の盾を見据えているようだった。ウィンチェスター兄弟の戦いは、ついにデジタルという名の新たな戦場へと突入しようとしていた。
『ディーン! アレやって!』
『見たーい!! キャー!!』
バンカーの図書室、ノートパソコン一台で始まった突発的なライブ配信は、開始早々、全米――いや全世界のスーパーナチュラルファンからのコメントで文字通り火を噴いていた。
画面中央でダークブラックのレザージャケットに赤のネルシャツをバシッと叩き、ノリノリで胸を張るディーン。その背後では、無理やり画面に収められたサムとカスティエルが、所在なさげにパイプ椅子に腰掛け、何とも言えない複雑な表情でカメラの向こうの熱狂を眺めていた。
「おう! なんだ! どんどんリクエストしてくれよ。俺たちのサービス精神を舐めるなよ!」
コメント欄が猛烈な勢いで流れていく。
『ほら、あれ! 敵にケンカを売る時に、軽くウインクして舌を鳴らすハンドジェスチャー!』
『「お前に俺がやれんのか?」みたいな台詞もセットでお願い!』
「あー、あれね。……でもなあ、プロの技術だし、相手がいないと空気が乗らねえっていうか……」
ディーンがわざとらしく肩をすくめて渋ってみせた瞬間、画面に鮮やかなエフェクトが走り、高額ドルの投げ銭(スパチャ)が叩きつけられた。
「よし、やるか! 俺はヒーローでエースだからな、期待には応えるぜ。おいサム! 何をぐーたらしてんだ、立て!」
「はぁ!? なに、僕もやるの……?」
突然腕を引っ張り上げられたサムは目を白黒させるが、ディーンは容赦なく彼をカメラの前に立たせ、顎をクイッと上げる仕草と強烈な視線圧で「合わせろ」と無言のプレッシャーをかけた。
「行くぞ……。いいか、俺と弟がどれだけの強いヤツと戦ってきたと思ってる? 化け物も、デカいのも、悪魔も天使も……神もだ!」
ディーンは軽めのウインクを飛ばすと、不敵に片方の口角を上げて白い歯を覗かせ、低く「チッ」と舌打ちを混ぜた。指先を小刻みに動かす威圧感たっぷりのハンドジェスチャーは、まさに修羅場を潜り抜けてきた男の余裕そのものだ。
「……はぁ、わかったよ。『いいんだね? 僕らを相手にするってことは、この世界が平和になるまでぶん殴り続けるってことだけど』」
サムはハンドジェスチャーこそしなかったが、高い場所から冷徹に睨み下ろすその視線だけで、部屋の温度を数度下げるような「ウィンチェスター・プレッシャー」を完成させていた。
『きたああああ!』
『尊い……強すぎる……!』
スパチャのログで画面が見えなくなるほどの熱狂。
「いい感じだろ? はい、サムはもうお役御免だ!」
「痛っ……なんだよ、やらせるだけやらせて!」
ディーンに突き飛ばされるように椅子に戻されたサムがぼやくが、視聴者の関心はすでに次へと移っていた。
『次はアレ! キャスの「やばい」姿が見たい!』
「……? やばいとは、どういう意味だ?」
不意に矛先を向けられたカスティエルが、不安げに視線を泳がせる。すると、これまでにない最高額のスパチャと共に、詳細なリクエストが画面を覆った。
『血まみれのトレンチコートで、黒い翼を地面に垂れ落としながら、瞳だけを青く発光させて……何かのネジが外れたような、狂気じみた決意を秘めた表情で!』
「なん……だと?」
カスティエルはたまらずディーンに助けを求める視線を送ったが、そこにいたのは、どこから持ってきたのか「血糊」の入ったバケツを手にニヤリと笑う兄貴分だった。カスティエルの心に絶望が走る。
「おい、ディーン……よせ。天使の力はこのような俗世の娯楽のために使うものでは……」
「ガタガタ言うな! スパチャをいただいたんだぞ! ほら、血は俺がたっぷり塗ってやるから、お前は気合を入れて目を光らせろ!」
「待て、これは……! 顔はやめろ、ディーン!」
無慈悲な血糊の洗礼を受けながら、カスティエルは「これも人間を守るため(の資金源)なのだ」と自分に言い聞かせるように、青い光を瞳に宿し始めた。
それからも配信の勢いは止まるところを知らなかった。『愛用の青ネクタイをハチマキにしてビールを煽りまくるキャス』や、『足を負傷した想定でディーンに正面から抱え上げられ、必死に耐えるサム』、さらには『トレンチコートを脱ぎ捨て、天使を象徴する白い布一枚を纏った姿のカスティエル』など、次々と飛んでくる無茶なリクエストに、三人は必死に応じ続けた。
特に「白い布」の回では、適当な布がなくてカーテンを代用した結果、カスティエルが裾を踏んづけて盛大に転倒。あやうく脳挫傷で天に召されるところだった。さらに追い打ちをかけるように『翼を出せ』という難題が続き、不可視の存在を無理やり実体化させ続けたカスティエルは、もはや息も絶え絶えだ。そんなボロボロの天使をよそに、視聴者の要望は加速していく。
『待って! せっかく三人が揃ってるんだし!』
『真ん中にディーン、後ろからサムとキャスが抱きつく構図が見たい!』
画面には色とりどりの高額スパチャが乱舞し、もはやコメントを追うのも困難な状況だ。
「え、えーと……それは、どんな感じなんだ? つまり、俺を二人がかりで上下からサンドイッチしろってことか……?」
百戦錬磨のディーンも、この未知の要求には珍しく及び腰だ。
『キャスは下から腰に、サムは上から肩に! 幸せな家族みたいな感じでお願い!』
『ちょっとだけ、ディーンの首筋に唇を近づけて……!』
「ディーン……どうする」
「……わかったよ!! いただいたスパチャ分は働く。ほら、来いよ!」
「かなり難易度が高い任務だな……」
覚悟を決めた三人が、カメラの前で密着する。画面上では「かわいらしさ満点」の光景かもしれないが、現実は過酷だ。それなりの筋肉を蓄えた大男二人に挟み込まれるのは、柔らかいどころかシンプルに痛い。
「いてぇ! お前ら、もっと手加減しろ!」
「我慢しろよ兄貴! 僕だってどんな体勢なんだ、これ……」
「動くな、ディーン。まさに、お前が言ったHands Upの状態だ」
カスティエルが下からしがみつき、サムが背後から覆いかぶさる。至近距離から二人の熱い吐息が首筋にかかるが、それは甘い雰囲気というより、ただの生暖かい風とベタついた皮膚の感覚だ。それでもディーンは営業スマイルを崩さない。なぜなら、目の前でスパチャの数字が跳ね上がっているからだ。
「な、なんか台詞要るか……?」
『「お前らいつもありがとう」でしょ!』
指示通り、ディーンは声を絞り出した。
「……な、……ん。わかった。お前ら、いつも、ありがとな……」
言いながら、ディーンの顔は隠しようもないほど赤く染まっていた。実際、こんな至近距離で、あの大切な二人に面と向かって感謝を口にしたことなど、一度もなかったかもしれない。
その気恥ずかしさは、サムとカスティエルにも伝染した。サムは一瞬目を丸くしたが、照れ隠しのように「こんなのも、たまにはいいかもね」と、ディーンの後頭部に上から軽くキスをした。カスティエルも「愛か……」と深遠なテーマを呟きながら、慣れない手つき(口つき)で、下からディーンの首筋にキスのような接触を試みた。
画面の向こうでファンたちが絶叫し、スパチャの滝が流れる中、バンカーの図書館には、戦場よりも熱く、そして何より気恥ずかしい空気が充満していた。
「じゃあ、そろそろ配信を終わるぞ!」
いろいろと限界を迎えつつある微妙な空気を強引に断ち切るように、ディーンが叫んだ。「もうリクエストはこれでおしまいだ。いいんだな?」
画面の向こうからは「もっとやって!」という阿鼻叫喚のコメントが押し寄せるが、その中にひとつのリクエストが躍り出た。
『ディーン! 「俺はディーンだ」って宣言する、いつもの最高にシビれるやつやって!』
「あー……よく覚えてねえから、即興でやるぞ!」
ディーンはシュシュッとジャケットの襟を正すと、ノートパソコンのカメラレンズを指先で鋭く指した。
「俺はディーン・ウィンチェスターだ。……ケツの毛までむしり尽くしてやるぜ?」
台詞のチョイスこそ酷いものだったが、そこに映し出された男は、雰囲気、ポーズ、そして完璧な角度で固定された足のラインに至るまで、間違いなく伝説のハンター、ディーン・ウィンチェスターその人だった。背後にいたサムもカスティエルも、一瞬だけ言葉を失い、見惚れるという名の沈黙に包まれる。画面上ではかつてない速度でスパチャがログを埋め尽くした。
「よし、俺の今の最高にかっこいいところは、メンバーシップ限定アーカイブに残しといてやるからな!」
『次はサム! あれやって! 「兄貴には僕がついてる」ってやつ!』
「アレってなんだよ……」
苦笑いしながらも、サムはカメラの前で居住まいを正した。彼は左腕をそっと開き、優しげな瞳をふと鋭い決意の色に染める。
「僕はサム・ウィンチェスターだ。ディーンには僕がついている。……最後まで、何があっても僕は兄貴の味方だ」
穏やかな空気が戦う意志へと一変するその「決め」に、ディーンも危うく見惚れそうになり、わざと低い口笛を吹いて照れを誤魔化した。サムは顔を赤くし、「もう、こういうのいいから……」と逃げるように下がった。
『キャス! FBIの手帳!』
次なる標的は、完全燃焼しかけていたカスティエルに向けられた。
「え? ……本気で言っているのか?」
カスティエルの顔からサッと血の気が引く。それとは裏腹に、サムとディーンはピンと来ない様子で首を傾げた。「何、キャス。手帳がどうしたの?」「いや……その……」
『キャス名物! FBI手帳の逆さまシーン!』
コメント欄の熱狂に、ようやく兄弟も合点がいったように頷いた。「ああ、あれね! まさに伝説の迷シーンだ。ほらキャス、やれよ!」ディーンがやんやの喝采で煽り立てる。
「……やあ、私はリゾー『特別』捜査官だ」
カスティエルは重々しい渋いボイスでそう告げると、これ以上ないほど堂々と、**上下逆さまになったFBI手帳**をカメラに突き出した。そして、数秒の静止のあと、ハッとしたように慌てて手帳を上下反転させる。
「同行してる時は傍から見ててハラハラするけど、こうして客観的に見るとかわいいな、キャス」
「本当に。天界の規律に厳しい天使には、とても見えないね」
サムとディーンの愛ある(?)嘲笑を浴びながら、カスティエルは無表情を貫こうと必死だった。
色とりどりのスパチャが乱れ飛び、最高潮の盛り上がりの中で三人は笑顔で配信を終了した。……しかし、その数分後のことである。
「過度な流血描写(血糊バケツ)、および不適切な露出(カーテン一枚)」という複数の項目でYouTubeの厳格なアルゴリズムに抵触。ウィンチェスター兄弟のチャンネルは、収益化の夢を見る間もなく、警告なしの「一発BAN」を食らうことになったのである。
ファンサ撮影会もはじめたよ
かつてのYouTubeチャンネルが運営の鉄槌を下され、跡形もなく消し飛んだ後も、ウィンチェスター兄弟の「副業」は死に絶えてはいなかった。連携用に適当に作っておいたInstagramのアカウント。久しぶりにディーンがログインすると、そこには通知の赤い数字が異常な膨らみを見せていた。
「おい、冗談だろ……メッセージが百件を超えてやがる」
冷や汗を流しながらスクロールするディーン。熱狂的なファンたちの要望は、一発BANの程度では冷めるどころか、よりディープに、より執拗に煮詰められていた。
「サム! キャス! 集合だ! 営業再開だぞ!」
こうしてバンカーの地下、まじないの儀式や尋問に使われるジメジメとした一室で、またしても奇妙なスナップショット撮影会が幕を開けることとなった。
「ひとつめ! 『サムが神父、ディーンがシスターの格好をして、互いに銃を構え合っている姿。ディーンはブラックゴールド、サムはブラックシルバーでまとめて! あと、このロゴを入れてね』……おい、俺がシスターだと!? どこからそんな衣装持ってくるんだよ!」
ディーンが吼える傍らで、サムは添付された指定のロゴ文章を読み上げ、表情を失わせた。
「……『僕たちは解けない枷で縛られた操り人形です♡』。これ、神(チャック)に人生を操られていたことが発覚したあの最悪な時期を皮肉ってるのか……? しかも、本物の鉄の鎖で互いを縛り合えって書いてある」
「待てよ、片手で銃を構えながらどうやって自分たちを縛るんだよ! キャス! 余ってる鎖を持ってこい、手伝え!」
ドタバタとした準備の末に完成したのは、肉感的な体つきが災いしてピチピチになったシスター服のディーンと、長身ゆえにやけに威圧感のある神父服のサムが、互いの喉元に銃口を突きつけ合う一枚だった。しっかりロゴも刻印され、バンカーの重苦しい石壁を背景にしたそれは、痛々しいほどに気合の入った「公式コスプレイベント」のような仕上がりになった。
「……次だ! お、これは簡単だな。『ダイナーでディーンがサムのケーキをおねだりする光景』。これなら平和だぜ」
「ダイナーまで今から行くの? そんなくだらない写真のために外出するなんて、僕は絶対に嫌だぞ」
サムが即座に拒絶反応を示す。
「俺もめんどくせえ。ここでいいや。キャス! 適当な店で一番高いケーキを買ってこい!」
やがて、本来なら悪魔を呼び出すための呪印が描かれているはずの湿った地下室に、場違いなテーブルと椅子がセットされ、一個のケーキが無造作に置かれた。ダイナーの明るい雰囲気など微塵もなく、空間からは負のマイナスイオンが溢れ出しそうなほど陰鬱なセットである。
「いくぞ、撮影開始だ。……サム~、それ、その栗が乗った最高なマロンケーキ、一口ちょうだい……」
「いいよ、全部食えよ」
本来のリクエスト意図であれば、上目遣いで甘える可愛いディーンと、それを苦笑交じりに愛でるサム、という微笑ましい兄弟愛の構図だったはずだ。しかし、カメラの前にいるのは死んだ魚の目をした男二人。無感情にマロンケーキを見つめる二人の姿は、場の温度計を氷点下まで叩き落とした。
「よしよし。これでファン投票ぶっちぎり間違いなしだ! 次行くぞ、次!」
「ディーン。私はさっきからパシリと設営の手伝いしかしていないぞ。私の出番はないのか?」
不満げなカスティエルを、ディーンは「心配するな」となだめる。
「お前のための『スペシャル枠』は、後半にたっぷり詰まってるからな。覚悟しとけよ」
ウィンチェスター兄弟と一人の天使による、ファンサービスの迷走は、まだ始まったばかりだった。
「次! いろいろ用意するのめんどいから簡単なのにしよう。『ベンチでサムとディーンが笑い合ってる光景』。これなら何も考えなくていいまであるな。よし来いサミー!」
「また僕なの? さっきから休む暇もないんだけど……」
「ディーン! 先ほどのダイナーの写真を要求してきた者から返信だ。『雰囲気を作ってほしい』『地下室にマロンケーキを置いただけなのは不誠実だ』という辛辣な指摘が来ているぞ!」
カスティエルの悲鳴のような報告に、ディーンは「チッ」と舌打ちして頭を掻きむしった。
「わーかったよ! 人気稼ぎも楽じゃねえな。おい、ライティング変えるぞ! 影を飛ばせ!」
そうして撮れたのは、ベンチ……ではなく、地下室の冷たい石壁の前に置かれた固い革張りのソファに、隣同士で座って笑い合う兄弟の一枚だ。
背の高いサムは、兄とのバランスを取るようにやや屈みながら、彼にしかできない「困り眉と細めた目」の見事な笑顔を作っている。対するディーンは、身長差を埋めようともせずサムの肩に図太く腕を回し、片足を上げたワイルドなポーズで満面の笑みを浮かべていた。
「よし! これなら雑誌の表紙……いや、全米のティーン向け雑誌のセンターグラビアを飾れるレベルだな!」
「……自画自賛が過ぎるよ、兄貴」
「次! なになに……『ディーンが「カインの刻印」に支配された悪魔モードで、サムがそのディーンを殺した後の写真。周囲は血の海で、原初の剣と悪魔殺しのナイフが転がっている』……マジかよ、重すぎるだろ」
ディーンが画面を凝視して呟くと、サムは心底げっそりとした顔で肩を落とした。
「……僕らのファンって、トラウマ製造機なの? なんでわざわざ、僕らが一番思い出したくない地獄みたいなifルートをリクエストしてくるんだ」
「馬鹿! そんなこと言うと『いいね』が減るぞ! ほら、やるぞ!」
「別に減ってもいいとすら思い始めてるよ……」
「いいからやれ! 血糊ならAmazonでガロン買いしてあるんだ!」
数十分後、地下室は凄惨な戦場の跡地に変貌していた。
血の海(食紅入りのコーンシロップ)の中で横たわるのは、黒いカラーコンタクトを装着した「悪魔ディーン」。その胸の上で、自分も致命傷を負ったかのような形相で、血と涙を流しながら絶望に暮れるサム。
傍らには、鈍く光る「原初の剣」と「悪魔殺しのナイフ」が、役目を終えたかのように放り出されている。原初の剣は本物は行方不明なのでシリコンにスプレーで塗装したものだ。
あまりの完成度に、照明係と血糊撒きに徹していたカスティエルが、思わず息を呑んだ。
「これは……確かに、トラウマ製造機だ。見ていて胸が痛む……。サムの絶望した目つきは、演技とは思えないほど真に迫っている」
「……こんなパラレルワールドがあったかもしれないと思うと、僕は本気でやるせないよ。もうこれでおしまいにしよう、兄貴」
サムが震える手で血糊を拭き取ろうとするが、ディーンはタブレットを掲げてギラギラした瞳で笑った。
「甘いなサミー! ここからのリクエストはもっとエグいぞ!ほら、そろそろキャスの出番だぞ、衣装替えだ!」
「ディーン、私は……やはり、この趣味には賛同できないかもしれない」
「くじけそうな時はこないだのスパチャの合計金額を見ろ! そしたら小道具を持ってこい!」
「趣味とかじゃなくない?誰も突っ込まないから僕がずっと突っ込んでるのも疲れてきたんだけど…」
「待たせたなキャス! お前へのリクエストはものすごい数だ。サム、お前はもういいぞ、そこらへんの血糊を掃除してくれ」
「……このこき使いようはクラウリー並みだよな…」
「キャスへのリクエストは、だいたい俺もセットになってんの! 画面構成上、掃除してる暇ねえんだよ!」
不満げにモップを手に取るサムを尻目に、ディーンは現場監督さながらの勢いでカスティエルの腕を引っ張り、撮影スポットへと引きずり出した。
「ひとつめ! まだ簡単だぞ。『キャスが鉄塔のてっぺんで、白い鳩と一緒にしゃがみ込む姿』。おっ、天使らしい神々しい一枚だな。翼オンの指示は無い。楽勝だぜ!」
「……ディーン、本気で言っているのか? そもそもどうやって鉄塔に登る。仮に登れたとしても、そんな場所で座り込んだら私は間違いなく墜落する」
「『天使なら落ちない!』ってファンが書いてるんだよ!」
「それはファンの願望だ。私は天使だが器は人間だぞ。重力に従うし、何より登りたくもない。……それに、『翼オン』というのは、毎回オンオフの指示があるということなのか?」
「当たり前だろ! お前から翼を取ったらただの事務員だろ!」
「ひどいぞ兄貴、今のはちょっと言い過ぎだ」
掃除の手を止めたサムのツッコミを「シャーラップ!!」の一喝で黙らせ、どこから持ってきたのか黄色のメガホンを振り回したディーンは指示を飛ばす。
「俺は今、現場監督なんだ! とにかく、その辺の手すりにでも登れ! 高いところならどこでも一緒だ!」
そうして撮れたのは、バンカーの二階手すりの不安定な足場で、なんとか平衡感覚を保とうと必死なカスティエルと、動物は捕まえるのが面倒くさいという理由から彼の周囲に「白い鳩」のつもりで無造作に置かれた大量の白い毛糸玉の数々。
もはや趣旨すら判別不能な光景だ。
「……これじゃあ、ただの酔っ払った事務員だな」
「兄貴、聞こえるよ! 次行こう、次! 『疲れ切ったように怪我をしたディーンの向かいで、笑顔のカスティエルが背中に悪魔の槍を貫かれながら笑っているところ』……」
「…………」
「キャス。やるぞ」
「待て。いったい何が起きているんだ。なぜ私は刺されながら笑っている?」
「まあ、つまり……兄さんの知らないところで、天使が身を挺して守っているよ、っていう健気な比喩表現だね」
「なるほど、自己犠牲の精神か。それなら理解できる。……ところで、なぜディーンが私の翼を引っ張ろうとしているんだ?」
「あ、リクエストに『黒いほうの翼オン』でお願いしまーす、ってあるからさ。墨汁ぶっかけようと思って」
「ディーン……今の言葉は、天使の誰が聞いても傷つくぞ」
数十分後、地下室には新たな「傑作」が誕生していた。
床に座り込み、弱々しく力尽きたような表情を作るディーン。その正面で、背中に巨大な悪魔の槍(段ボール製)を突き立てられながらも、この世のものとは思えないほど慈愛に満ちた満面の笑みを浮かべるカスティエル。
墨汁と血糊でどす黒く汚された「黒い翼」が背後で重々しく広がり、それがカスティエルの健気な献身を痛々しいほどに際立たせている。
「……うう、これは……」
掃除をしていたはずのサムが、思わずモップを放り出して目頭を押さえた。血糊だと分かっていても、キャスのあまりに純粋な笑顔と、黒く汚れた翼のコントラストが、彼の繊細な情緒を直撃したのだ。
「うんうん……ベリーグッドだ。全米が泣くぞ、これは」
現場監督は、満足げにシャッターを切り続けた。
「じゃあ、ここからは僕が指示を出すね。本当に兄さんとキャスのツーショットは要望が桁違いだし」
「よし来い、受けて立つぜ!」
「私は……もう、来なくてもいいと思っているのだが」
ノリノリで服を正したディーンとは裏腹に、カスティエルは渋い顔で翼にこびりついた墨汁を落としていた。
「まずはシーズン4冒頭の再現。『全裸のディーンの左肩を、カスティエルが掴んで手跡を残すシーン』。はい、ディーンは脱いで。キャスは黒いほうの翼ね」
「はぁ!? 全裸だと!?」
「だって、あの焼き印のような手跡は、服の上からじゃ絶対につかないだろ? 実際、あの時どうだったのかは、たまたま、思いがけず、偶然にも、僕だけが知らないけどさ」
サムの言葉には隠しきれない僅かな嫉妬の棘が混じっていた。ディーンとカスティエルはちょっと居たたまれなくなりつつも撮影に立ち向かう。
「あん時は……地獄から這い上がるのに夢中で、服のことなんて覚えてねぇな」
「私も恩寵を限界まで出力していて記憶が曖昧だ。仮にディーンが全裸だったとしても、私にとっては単なる器の表面に過ぎない。何も思わない」
「それはそれで俺が傷つくだろ!」
そうして撮れたのは、その辺にあった鉄の鎖でがんじがらめにされ、一応の全裸(撮影用アンダーウェア着用)になったディーンと、飛翔しているように見せるためワイヤーで吊り上げられたカスティエルのツーショットだ。
しかし、ディーンの股間を隠すための絶妙なアングル調整に苦戦し、さらに「地獄の熱気」を再現しようとディーンの足元で本物の炎を焚いたのが運の尽きだった。
「うあっちい! おい、火が近すぎる! 毛が燃える!!」
「動くなディーン! 私までワイヤーに振り回される!」
「ああもう、二人ともじっとしてて!」
混乱の最中、素人が設置したワイヤーが重みに耐えきれずブチ切れた。落下するカスティエルを、全裸のディーンが必死に受け止める。その瞬間、図らずも「地獄の底で縺れ合う二人」という、リクエスト以上の背徳的な一枚が完成した。
「ま、まあ……事故だけど、こっちのほうがむしろ人気が出るかもしれないね」
「どーいう意味だサミー!! いいから早く火を消せ! バンカーが火事になる!」
なんとか消火活動を終え、煤だらけになった三人が次の指示を仰ぐ。
「はい、次。『カスティエルが半裸で、背中の翼を骨だけにして』。こんなの道具すら要らないな。はいどうぞ!」
「さすがにそんなバージョンは存在しない!! だいたい、なぜ半裸に骨の翼なんだ……呪術的すぎるだろう」
「強さと華奢さを同時に表現したいんじゃないかな、たぶん。退廃美ってやつだよ」
「羽根むしりなら俺が得意だぞ。ガキの頃、七面鳥で予習済みだ」
「恩寵が消失したらどうする。それは却下だ、絶対にやらせないし私は七面鳥ではない」
「……しょうがないな。確かにこれはちょっと、見てる方も痛々しくなりそうだしね。じゃあ、次。『キャスとディーンの衣装交換』」
「俺はそんな、万年クリーニングに出してなさそうなトレンチコートは着ねえ!」
「私はそんな、毎日ハンバーガーの油が跳ねていそうなランバージャック服は着ない」
「いきなり全否定するのやめようよ。ファンのための『ファン・サービス』だろ?」
数分後、そこには極めて奇妙な光景が広がっていた。
無骨で粗野なはずのディーンが、タイトなスーツとトレンチコートに身を包み、どこか窮屈そうにネクタイを弄っている。一方、カスティエルはヨレヨレの赤いネルシャツに袖を通し、サイズが合わないのか、所在なげに肩をすくめて立っていた。
「……似合うかどうかは置いといて、新鮮味という意味ではなかなかの出来だと思うよ! もう、このまま生活してもいいくらいだ」
「冗談じゃねぇ! 肩が凝って死にそうだ。おいキャス、さっさと俺のネルシャツを返せ!」
「同意だ、ディーン。このネルシャツからは……君の、なんというか……強い食生活の匂いがする」
「それは褒め言葉として受け取っておくぜ、この野郎!」
ちぐはぐな衣装を纏った二人の諍いを、サムは満足げにカメラに収め続けた。
「次! こういう露骨なのは避けるつもりだったけど、もうこれは、本当に桁違いに多いリクエストだから、観念してやってくれ。……『ディーンとカスティエルのキスシーン』だ」
「やってくれ、って簡単に言ってくれるよな……。おいサミー、お前が仕組んだんじゃないだろうな?」
「正面からだからね。額とか鼻先でお茶を濁すのは禁止。唇と唇、バッチリ写ってないとスパチャが返金騒動になるよ」
サムはニヤニヤしながら、カメラのピントを調整した。
「私は……キスくらいでは別になんとも思わないが。ディーンは、それほどまでに気になるのか?」
カスティエルは不思議そうに小首を傾げた。
「当たり前だろ! なんで俺が、おっさん天使とチュッチュウフフしなきゃいけないんだよ! 汚ねぇ!」
「私たちは、互いに傷つけ合う仲だな」
「あ、すみませーん。リクエスト主から追加で、『翼は虹色バージョン』でお願いしまーす」
「無いと言っているだろう!!! 恩寵をどう出力すれば虹色になるんだ!」
数分の押し問答の末、地下室には奇妙な「聖域」が完成していた。
カスティエルの背後には、墨汁と食紅、さらには蛍光塗料をデタラメに混ぜ合わせて、なんとか虹色に見えなくもない(というより、混ざり合ってどす黒い紫色になりつつある)翼が広がっている。
彼は上から覆いかぶさるようにして、ディーンの唇へと顔を近づけた。ディーンは、まな板の上の鯉のような表情で、それをあきらめたように受け入れる。
しかし、十秒おきにディーンの顔から「どーにでもなーれ」というオーラが滲み出てしまうため、そのたびにメガホンを持ったサムから鋭いツッコミが飛んだ。
「はいカット! ディーン、もっと雰囲気! 情緒! 『この天使に身も心も捧げます』モード! 死んだ魚の目をするな!」
「だったらお前がやれ!! 代われ!」
「残念ながら、そのカップリングはこのリクエスト主の地雷(NG)だよ。僕がキャスの相手をしたら一晩で炎上してバンカーが特定される」
しかし、サムが暗黒の微笑を浮かべていられたのは、ここまでだった。
「あっ、これは……」
タブレットの画面を見て、サムの手が止まった。
「どうしたんだよ。もう何でも来いだぞ。シスター服も全裸もキスもやった。怖いもんナシだ」
「いや、今度は……僕と兄さんへのリクエストなんだけど」
「そうしてくれ。私の出番があまりにも多すぎる。翼の塗料が染みて恩寵が痛い」
カスティエルが呆れと安堵の溜息をつく。
「『ミカエル(に憑依された)ディーンと、ルシファー(に憑依された)サムが、半裸で睨み合いながら、抱き合っているところ』……」
「…………」
「どうして俺たちのファンってやつは……。よりによって、そのトラウマ山盛りの組み合わせを……」
「いろんな意味で、僕らを殺しに来てるよね……。少しは僕らの身になってくれよ……」
数十分後、地下室には「最終戦争(アポカリプス)」のifルートが具現化していた。
サムは切れ長の瞳に、ルシファーを思わせる冷ややかな青い魔力の輝き(カラーコンタクト)をたたえ、ディーンを冷たく睨みつける。
対するディーンは、赤く燃えるような視線(カラコン+先ほどの炎の残り火を利用)と、圧倒的な目ヂカラで睨み上げた。
二人の上半身は裸で、その肌にはカスティエルがその辺の魔導書から適当に書き写した、それっぽいエノク語の呪文がペイントされている。
「まあ……確かに、この構図はあまりにもファンが希望しそうな、象徴的なやつだけどさ……」
「あんだけシーズンを通して伏線を張り巡らせてたもんなあ……。そりゃあ、見たいわな」
兄弟が複雑な心境でポーズを固めていると、今度はカスティエルがメガホンをバンバンと叩いた。
「二人とも! 情緒が足りん! ルシファーはもっと、この兄をぶっ殺してやるという憎悪に満ちた視線で! ミカエルはお前に俺が殺せるのか? という絶対的な余裕で! そして、そこに限りなく深い愛の情熱も混ぜ合わせろ!」
カスティエルは、ようやく取れた監督の座に有頂天になり、身を乗り出して指示を飛ばした。
「キャス……お前、さっきのキスシーンのリベンジを、こんなところで果たすなよ」
「黙れ、器たちよ! 私の演出に従え! はい、もっと密着して! 睨み合って! 愛し合え!」
「次いくぞ!」
「もう疲れた! 解散だ、ストライキするぞ!」
「まだ残り80件くらいリクエストが残ってるんだぞ。ファンの期待を裏切る気か?」
「……。やるから、せめて簡単なのにしろよ」
重い腰を上げたディーンの背中にカスティエルが続ける。
「ふむ。これもすごい数のリクエストだ。……『サムとディーンのキスシーン』」
「待て! それは僕がわざわざゴミ箱フォルダに避けておいたのに、なんで引っ張り出してくるんだよ!」
「俺はまたキスすんのか?俺たちは兄弟だと何度言えば…そもそも、これはさっき言ってた『地雷』とやらに引っ掛かんねえのかよ」
「心配するな。あっちとは『層』が異なるらしい」
「層て……」
「よし、これは正面じゃなくていい。ディーンがサムの耳元に、チュッと行け」
「ならまだマシだな。よし、やるぞサミー」
「二人とも、台詞の指示があるぞ! ちゃんと心を込めて言え!」
そうして撮れたのは、椅子に座ったサムの耳元についばむようなキスをしながら、「Just shut up and enjoy it, Sam(サム、黙って楽しめ)」と低く囁くディーンと、「Dean...(ディーン…)」とどこか物憂げに返すサムという、なかなかどうしてグレーゾーン極まりない一枚だった。
だが、現実は甘くない。
「くすぐったい! 兄貴、髭が当たって気持ち悪いんだよ!」
「囁きながらキスってめちゃくちゃ難しいんだぞ! 息が漏れるだろ!」
何かあれば互いを突き飛ばし合う兄弟に、監督のカスティエルから鋭い「カット!」の声が何度も言い渡され、結局この一枚に一時間以上の時間が費やされる羽目になった。
「……よく考えたら、写真にしたら台詞なんてフォントで入れない限り伝わらなくないか……?」
サムのあまりに鋭すぎる指摘は、カスティエルのメガホンを奪い返したディーンの怒声にかき消された。
「次! 『チーム・フリーウィルの冬休み』。雪の中で一人座り込むカスティエルにラグをかけるディーンと、ホットミルクを運んでくるサム。……なんだか、やっと普通なのが来たな」
「まあ、結局はそういう温かいのが一番いいよ。もう、さっきみたいなのはこりごりだ」
「私は不満だ。なぜ私は寒空の下に独り放置されている設定なんだ?冬休みとは?」
「僕たちが『家族』を迎えに行くっていう、エモい構図なんだと思うよ」
「天使に温度は関係ない。雪も寒さも、私の物理的な器には何の影響も――」
「情緒はどこ行ったよ! お前のそういうところが『事務員』なんだよ!」
そうして撮れたのは、そこらじゅうに発泡スチロールを細かく砕いたものを「雪」としてばら撒いた中に、まったく寒そうでもなさそうな無表情でソファに座るカスティエルと、撮影が長引きすぎてホットミルクが完全に冷め切り、表面に膜の張った「アイスミルク」を抱えて途方に暮れるサム。
そして、一人だけラグを羽織って現場監督気どりでメガホンを振り回す、一番楽な役どころのディーンだった。
「全然家族愛に見えないよ! これは完全にキャスの表情が悪い!」
「寒いという感覚が分からないんだ、どうしようもないだろう。そもそもこの発泡スチロールは静電気でトレンチコートに張り付いて不快だ」
「両腕をそのコートに突っ込んで、凍えてるふりしろよ!」
言いながら、ディーンはラグで床の発泡スチロールをかき集めると、景気よくカスティエルの頭からぶっかけた。
「ぶっかけ天使のほうが、まだインスタ映えするんじゃねえか?」
「兄貴、言い方……。あと、掃除が大変になるからやめてくれよ……」
ファンサービスという名の迷走に励み、リクエストに応え続けるチーム・フリーウィルの夜は、朝日が昇るまで長く、騒がしく続いていった。