クーロンズゲート パラノイア注釈

Last-modified: 2021-04-28 (水) 16:11:58

クーロンズゲート 公式ガイドブックの注釈の丸コピ。
著作権は発行元の株式会社アスキーおよび発売元の株式会社アスペクトにあります。


#00 香港最高風水会議 <プロローグ>


九龍城の四神獣の見立てを正しく行いさえすれば、陰界の風水は自ずと立ち現れてくるはずだ。
by.高位の風水師

そこに存在しているだけではなく、それをそれとして認識する必要があるということか。
認識することによって、それらは意味を持って存在し始める。
それは、CD-ROM内のデータがモニタに表示され認識されることで、意味を持って存在してくることに似ているように思える。


#01 重慶花園 <プレ龍城路1>


「あんた、妄人(ワンニン)って知ってるか?
by.古靴屋

自分のことを物だと思い込む。半分、物になる。妄想をやめると物になる。
妄想に憑かれることで妄人化する。…見るからに「それ」についてばかり考えている奴ら。
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妄人//w/zecoo database
妄人が本当に不幸な存在なのかどうかについては、兄さんたちとずいぶん議論したよね。
そう簡単に答えなんて出ないだろうけど、街の人たちはみんな、心のなかで妄人になっちゃたまらないとびくびくしているよね。
妄人は、なんていえばいいんだろう、半分が物になってしまった人間なんだ。<中略>
妄人になったら、自分はもう人間でなく物なんだって思い続けなきゃならなくなるんだ。妄想するんだよ。
それが途絶えると、あっという間に物になってしまう。完全にね。
つまり、妄想を続けていることが半分は人間の証なわけさ。<中略>妄想する人、それで妄人さ。<後略>
紅頭5号 記/クーロネット 是空データベース
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わん-にん【妄人】ひとつの対象に執着し続けることにより、その対象との同化が肉体に影響を与えてしまう例のひとつ。
人たりうるための必要不可欠な要素に「思う」という行為があることを表すための例に用いられ<後略>
現代基礎知徳用語集 最高風水会議情報中心所蔵
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世の中は妄人で満ちている。目的を明確にせず行為のみに執着するとき、人は「人の動きを模倣する自動人形」の姿をした妄人になっているのかもしれない。
わずかに残る「自分はモノを考えている」と錯覚する妄想、「考えない人にはなりたくない(妄人になっちゃたまらない)」という想念だけにより、その人たちは完全な物とならずに妄人となる。中には、本当にただの自動人形になってしまっている人も数多くいるのだろう。
行動に対する根本的な目的意識の希薄さは、人を物に近づける。そして自動人形であるがゆえに、完全なる物となったあとも、あたかも人であるかのように行動する。そのため、一見しただけでは見分けられない場合もある。


あんた、この街で歓迎されてるとでも思ってるのか?
by.ねじ屋

ここの住人全員に歓迎されているわけではない。
「ここ?」
ネット上で交わされる会話のなかに登場する「ここ」という言葉には、個々の会員がアクセスする端末設置場所を意味する場合とネット上で会員同士が共有している画面内の「場」を意味する場合とがある。
その「場」は物理的なものではなく…物理的な存在なくしてはありえないが…そういう「場」があると仮定する考えを共有した者同士にとって実在する共通認識的存在。
これは、モニタ上の龍城路も同じ。「ここ」に書かれている文章を読んでいる人がいう「ここ」という言葉。読者の「今」いる「そこ」も同じ、と「ここ」に書いてみる。
誰もが一度は思い、実際よく言われることだけれど。あえて、もう一度。


#03 コンテストの噂 <プレ龍城路2>


鏡屋が戻ってきたら、あんた宛にメールを送るよ。
by.ぜんまい屋

人影が見えた、誰だ「あれ」?ねじ屋の前から鏡屋の方向を見ると、路地の向こうに人影が見えたような気がした。近づけば「それ」が人影ではないと分かる。
データとして、そこに存在していないものを見てしまう。存在していないものを認識してしまう。それとも、そういう具合に見えるデータが存在しているということになるのか。
だが、「そう」見えたとき、「それ」が「そこ」にあると認識したときには、「それ」は確かに「そこ」に「その」形で存在していた。「その」段階において、「その」存在は認識した主観にとって真実だった。


次に目指すべき場所が九龍フロントであるということだ。
by.主人公

モニタに映し出される場に物理的な意味で訪れることはできない。視界だけをここからあちらへズラす。ここに居ながらにしてあちらを覗く。読みだされるデータ。訪れる対象であったはずの「場」をこちらへと読み込んでいく、「場」と接触するための新たな過程。
「己→場」ではなく「場→己」。移動し訪れているという表現を用いるのは、従来までの移動概念を利用したほうが状況の共通認識が容易だから。
実際は、移動しない移動、訪れることのない訪れ。「これ」に限ったことでもないのだが、時間軸ではなく場所に応じてディスクを入れ換えるという行為によって、特に「それ」を意識させられる。


#04 小黒の夢 <九龍フロント1>


お前がくすねたんじゃねえだろうな、俺のアレ…まだ見つからねぇんだ。
by.ビーグルの運転手

アレがなければメールが読めない。アレがなければ「あそこ」で登録できない。アレがなければ前歯の付け根が痺れるような「あの」通信もできやしない。
アレは、この街と関係する上でとても重要な物なんだ。他人の物だって構いやしない、とにかくアレが欲しい。運転手のオヤジが夢中で探す気持ち、分からなくもない。


登録には、アクセスカードが必要だ。
by.双子師

それは、身分証明書みたいなものか。ということは、この街で身分証明書を持っている者の全員がクーロネットを使えるのか。それとも、双子屋で登録した人だけがネットにアクセスできるのか。それとも、生体通信だけが登録者のみのアクセスなのか。それ//5%J#4鬮$//(/¥p/|


今夜は満月だから、じいさん、張り切ってるんじゃないか。
by.露天商

今夜は満月らしい。こちらは新月ちょっと過ぎた頃かな。
「こんや」? 「こちら」?
思19970119 02:03/書19970215 07:52/読何時?


占い師が占うと、そのとき初めて運勢が立ち上がる…
by.露天商

「そうなる」と占われることによって、未来が漠然と認識される。認識されたことで、不確定要素がひとつの認識に向かって収束し、未来が確定していく。予見の顕在化ではなく潜在化する指針なのか?


…言っておくけど、俺はやばいヤクは売ってない。
by.阿片屋

阿片屋が言うか。もっとも、「やばさ」は主観による。日常化した事物は、当人にとって「やばい」ものではなくなる。逆に、常に「やばい」と意識しつつ接することは日常を拒否する行為なのかもしれない。
それは「やばさ」の外側に身を置きつつ「やばさ」の内側を覗き込む感覚だろうか。「やばい」奴は自分をそうとは思っていない。


前はこのビルから双子中心のほうへ渡れたのに、今じゃなあ…
by.阿片屋

そこへ向かうとき、看板を見上げながら移動する。この揺れ動く視線が心地よい。ヘッドマウントディスプレイ(以下HMD)でプレイしていると、意識せずに首が動いてしまうほど。
当然ながら実際の支線の振れ幅とは異なる。与えられた視線と自分の感覚が近ければそれは自然なものとして感じられ、隔たりがあれは不自然なものと感じられる。
他人の視線を共有するかのような不自然さは、鳴力(ミンリー)によって混入される別の意識の視覚情報を連想させる。それとも、テクノロジーを利用したこれは、假力(ガーミン)なのか。


そうなれば、不老不死の奇跡がもたらされると信じてるんだ。
by.爆竹屋

他人の記憶に頼らず、物理的に存在し続けられる奇跡。肉体の崩壊を回避すること、死に至る病から解放されること、生物としての物理的な限界を踏まえた上での価値観が崩壊すること。
これは、理想生物なのか、生物を逸脱するものなのか。子の製作という遺伝子の組み換えによる適応と存続。遺伝子が永遠を手にするためのこの手段は、個としての意識の存在を無視した血肉の傲慢な夢。不老不死こそが、意識を永遠に存続させるのか。


#05 鍵穴中心 <龍城路1>


だったらさ、へんちくりんな人形の化け物もやっちまってくれよ。
by.えび剥き屋の子供

人形の化け物ね。元妄人というところか。コンパスドール(羅針盤人形)の名も、大きな流れに対して己の向きを変えて準ずる、という具合に悪くとればとれなくもない。
もっとも、指針となるべきものを自ら見いだす、と言えなくもないのだが。やはりこの場合は、物に邪気が憑き、鬼律になったと考えるべきか。


#06 コンパスドール! <龍城路1>


次に現れた鬼律には剥製屋から買った鬼律玉をぶつけてみた。
by.主人公

鬼律に接した時の視界の揺らぎ、心象的には現実感あるなあ。実際、一緒に居たくもない人物と長時間過ごさなければならないような時は本当に気分が悪くなるから。
目の前の画面が揺らぎだすと怖いというより気分が悪くなる。鬼律は直接出会ってしまえばどうとでも始末できる。問題は、直接対峙する以前、精神が蝕まれていく耐え難く不快な状況そのものだ。


この先の階段を降りたところが鍵穴中心さ…
by.リトル・フライ

「これ」自体が妄想中心では…。


鍵穴男が消えた。
by.主人公

数字合わせの符号錠ではなく、鍵穴の穿たれた錠前なのか。内と外を隔絶する錠、それは隔てようとする意志の象徴でもある。そして、縛し解する権限を持つ鍵。その権限を無視するかのような鍵穴からの盗視。
施錠による安心感を崩壊させる行為は神出鬼没さに通じ、施錠文化圏において恐怖の対象でもあった。それにしても鍵穴の奥にある人々の営みそのものに興味がありながらも、覗くという行為に憑かれてしまった結果がこれか。


#07 壊れた時計 <龍城路2>


あんた…ベロニカのこと、聞きに来たのか…
by.水銀屋

この名は某編集部でも耳にしたことがある。同じだ。CD-ROMの内側も外側も、どちらも人の営みが作り出した現存する情報。情報としての存在、という意味合いにおいて等価だ。


地下の管屋と時計屋はまともなほうだ。
by.主人公

もう一軒「骨接ぎ屋」がある。骨を焼けた刀で幾度も叩くことで模様が現れてくる。その模様でそいつの未来を占うことができる。しかし、どんなに幸運を読み取ることができてもそいつはもう死んでいる…。
これは面白い。この未来とはなんだ。死後の未来。それは、生きている人々の間に記憶として残り、語り継がれていく情報としての存在の未来のことか。


#08 ボイラー男 <龍城路2>


数匹の鬼律を倒した。
by.主人公

右上から左下・上・右下・左下、そして右上。この順序で星を描くクセがある。これは、画面左下に表示されている木火土金水の配置において打ち消すことのできる属性に向かって描く書き順となる。
そのため、鬼律の属性を「査」したあとにどの属性を放つべきか確かめるべく五芒星を描いてしまう。呪術的な意図はないのだが、邪気を祓うための手順の一部として五芒星を描くという行為は、傍目にはどう見えるのか。


男のエネルギーが濃縮された物だった。
by.主人公

鬼律の存在によって低下するのは肉体の物理的な機能ではない。思考する行為が人たらしめる要素であり、その思考能力が低下することで物に近づいていく。男油は、低下した思考を補充する。
また、移動にも同様の効果がみられ、JPEGダンジョンでは動かず物思いに耽ることも多いのだが、リアルタイムダンジョン内は(指先とはいえ)肉体的な行動が中心となる。沈思黙考は適さないようだ。


八卦鏡の部屋の様子は重慶花園のときと変わらない。
by.主人公

ガラス管の内側に塗られた蛍光塗料が水銀の放電で生ずる紫外線を受けて蛍光し照明する装置…「蛍光灯」なのか、これらは。だから、点灯前に点滅するのか。壁一面の蛍光灯。


#09 電気仕掛け <龍城路3>


今が最後のチャンスなんだ…。俺にとってもな…。
by.油屋

友人が物になる。発電機男のみならず、油屋にとっても最後のチャンスとは?交友関係のある人物は、自分のことを記憶してくれている。記憶は肉体の死後に残すことのできる存在。それゆえ記憶してくれている者の存在は、ある意味で己の肉体以上に重要なものとなる。
人が自分より幼い者を大切にするのは、自分の死後に記憶の器として長く存在し続けてくれる可能性が大きいからだろうか。妄人もまた、物理的には物であるがゆえに、生物の肉体よりも長期間物理的に存在し続けられるかもしれない。他人を思いやる気持ちは己の記憶としての存在時間を延ばすためのものなのか。


#10 発電機男 <龍城路3>


ひぇーっ、あいつ、ずっと妄人続けて、とうとう妄想が途絶えてしまったんだね。
by.リトル・フライ

思考の停止による物化。潤滑油切れにより物としての目的である発電を行えなくなったことで思考も停止してしまったのか。
物としての機能は油を補うことで回復する。しかし、停止した思考を物理的な手段で再び動かすことはできない。停止は消失を意味するのか。


#11 ファイアの日 <龍城路4>


そんなことしてるから邪気が生まれるんじゃないのか。
by.ぜんまい屋

「そんなこと」ね。


…なんというか、鼻持ちならない連中さ。
by.時計屋

自分を特別と思っている連中を鼻持ちならないと感じる理由はなんだ? もし特別だと思えるに足る根拠のまったく見当たらない連中がそう言っていたとしたら鼻持ちならないとは思わない。勝手に言わせておけ、で終わり。
鼻持ちならないと感じるのは、どこかでその特別さを認めざるを得ないから。嫉みか? 嫉む気持ちを否定するためか?


そう、不思議なんだ。ここは、そういうところさ。
by.錠前屋

不思議というには、別の状況を通常のものとして認識していなければならない。基準となる通常の状況との比較によって初めて「不思議」が芽生えるのだから。
では、錠前屋はなにを基準としそれを不思議というのか。外部に存在する製作者の主観もしくは想定したプレイヤーの主観か。それとも、内部にある錠前屋に設定された主観か。
通貨の管理はゲームシステム(世界原理)によって行われる。世界の成り立ちは内部に存在する主観にとって永遠の不思議なものかもしれない。どの世界においても。


この沙角は、なんでも金で解決するようなところみたいだから、金がないつ切ない思いをするだけだ。
by.リトル・フライ

すっきりしていて、楽でいい。金で片が付くのならそれが一番はっきりしていて後腐れがない。
ただ、金の流れる方向だけに気を取られ、取引相手との本質的関係性を見失う輩が多いのには閉口する。金は、望む状況を構築する際の取引に利用できるもののひとつに過ぎない。取引は等価なものによって成立するゆえ、対等な立場を保たなければならない。金を払う側が優位であると思考する者を見るたびに偏狭な価値基準に蝕まれた愚かさを感じずにいられない。
勝手に言わせておけ、で終わりだけれど。ただし、立場の差を商品化している場合、この限りではない。


途中、四階で二千紙紮と男油を入手できてホッとしたのも束の間。
by.主人公

沙角・四階の壁に向かって数段だけしつらえられた階段がとても怖い。不気味さが漂う。
意図を汲み取ることのできない行動、もしくはそうした行動によって作られたものは接した者の精神状態を不安定化する。
もっとも、これは自分の理解の範疇を越えた意志に対する感覚によって異なる。不可解な事物に対し不気味さを感じる者、楽しさを感じる者。その差異。


#13 三尸捕獲 <龍城路5>


古靴屋、水銀屋、骨接ぎ屋は閉まっていた。
by.主人公

水銀屋の痕跡。人に絡まっていたままの状態でコードが固まっている。そこに人がいた痕跡。誰もがそうと分かる痕跡。そして、「ここ」にある文字列はキーボードで入力した執筆作業、その後の編集作業、そして印刷・製本の痕跡なのか。
痕跡に何を見るか。人の営みは痕跡を作り上げる作業なのか。


人間の死体にも邪気が取り憑くことがあるんだ。
by.鏡屋

肉体はそもそも物。人は邪気が憑いた物・鬼律なのか。ならば、死は邪気が抜けることを意味するのか。生まれると同時に死に始める、とは昔から言われている手垢のついた言葉。これは、物に近づいていくと言い換えることができる。
死は意識の途絶え。意識が途絶えることで死体という物になる。妄人か。だから、人は物にならないために人であるという妄想を膨らませて生きているのかもしれない。

#14 おはじめ式 <九龍フロント2>


夏先生の家の前に着くと、今度は双子師が声をかけてきた。
by.主人公

双子屋の店員か? それとも双子師の連中は同じ顔が何人もいるのか?
双子。遺伝的に同じ形質を持つゆえ、引き離されて育てられても食べ物の嗜好や体型などはほぼ同じものとなる。しかし、思考には経験による差異が生じる。こうした、肉体の合致と精神の差異は当たり前のこと。
では、双子師の場合はどうなのか。同じ設定に基づいて構築された人格ならば、それは肉体的な双子以上の双子と言えるものかもしれない。それとも、双子とは先の差異をも含んだ同一性に憧れを持つ存在であり、完全に同一の双子ならざるものなのか。


うひゃひゃひゃ、俺はひらめいた!バックルは隠しカメラだ!
by.ミスター・チェン

是空の差し金だったのだろうか。だとすれば、是空は利用した人間の身の安全など考えていないことになる。
もっとも、これはどのような組織であっても同じこと。安全を考慮することが組織の利益に通じなければ無視される。無駄を省くことは組織運営の基本であろう。それを考慮しておく必要がある。
無償で利用されるのは愚かであるし、有形無形の見返りがあるのならば対等の取引と考えるべきで、組織に多くを期待することが間違いだろう。すべての行動の最終責任は自分にある。


とりあえず一階の端末から、夏先生のカードでアクセスしてみよう。
by.主人公

小黒からのメールあり。他人宛の知人のメールを読む機会は少ない。鍵穴男の気持ちが少し分かる。
プロテクト(錠前)を解除しアクセスする(扉を開く)ためのカード(鍵)。他人のカードを利用してメールを覗く行為に執着した場合、どのような姿の妄人になるのか。執着する物理的対象を持たない妄想の行く先はどこなのか。


おい、ぼんやりしてるんじゃない。
by.双子師

夏先生のアクセスカード入手→小黒の部屋→リッチ→双子屋→かつら屋→双子屋。この一連の流れは分かりづらかった。流れを把握できなかったことが「ぼんやり」している証拠なのか。ならば、多くの人が「ぼんやり」することだろう。もしや、その言葉を双子屋に言わせるためにわざわざこの流れを作ったのか。
実際、甲が特定の言葉を口にするために乙の言葉を操作することなど、世間ではよくあること。


媽妃に気を付けてください。
by.コニー楊

気を付けてと言われても…。日常生活のなかで良く使う言葉だけど、実際どう「気を付けて」いるのか?
あらゆる危険を想定し、回避もしくは対処でき得る準備を整えることは不可能に近い。あらゆる危険を想定することすら不可能だろう。
もちろん、日常でのこの言葉はそこまで厳密なものではない。だとすれば、「気をつけてね」「はーい」といった会話の持つ意味はなにか。突発的な出来事に接した時の心構えをしておけ、すなわち「慌てるな」という意味なのか。奇しくも「この」街では突発的かつ強引な出会いが多い。確かに心構えをしておくに越したことはない。


山高帽を被った男のステッキが入口を指した。
by.主人公

「こいつ」が「あいつ」か。「あの」声だけじゃぴんとこないよなあ。声に対するこだわりが低いためだろうか。


#15 アニタ・ドール <龍津路1>


初めて足を踏み入れる龍津路。
by.主人公

入ってきた入口が見当たらない。往来にいきなり放り出された感じで途方に暮れる。龍城路や九龍フロントで何人かの顔なじみができたあとなので心細さを感じてしまうのか。
誰も自分を記憶してくれていない。それが見知らぬ街での心細さの根なのだと思う。しかし、そうした日常感覚とは異なった根を持つ心細さであることは間違いない。メモリーカード以外に自分の行動の痕跡を記録してくれる存在はない。CD-ROMは記憶しない。CD-ROM内のデータとのコミュニケーションは、記憶の双方向性を持たない…。


ゲームキッズからだ。小黒に生体通信のやり方を教えたって…!
by.主人公

通常の決定ボタン以外で選択すればいいのかと思ったけれども、どうやら違うらしい。「やり方」の認識は存在そのものとほぼ同等の重要性を持つ。利用なくして本質的な存在の認知には至らないからだ。
ただし、利用頻度と認知度は必ずしも比例するとは限らない。体験と経験の違いが、消費と読解の違いがそこにある。


いいかつらだねえ。
by.かつら屋

まさか、「これ」が役立つものとは…。髪の毛が意味を持ってくることで、かつらにも意味が備わる。もちろん「この」段階で「そこ」まで洞察することはできなかったけれど。


こういうの好きな人も世の中にはたくさんいるからさ。
by.かつら屋

ねじ・えび剥き・びん・モーター・半導体・垢すり・録音・録画。「ここ」には分業化された店舗ばかりが並んでいる、という話が本書の打ち合わせの際に出た。
人の嗜好も細分化され、特化していく。かつらだけではなく、あらゆる物に対してこの言葉は有効である。また、「これ」自体に対しても言えることだろう。


#16 音楽を集めて <龍津路1>


楽器庫にある楽器ね、あれって昔は妄人だったんじゃないかって。
by.ハニー・レディ

踊り子だった彼女。あの音楽が好きだっ 彼女。いつも楽   手放さなかった彼女。人と妄人との間を揺れ動く。死   女は音楽が好きだった」と言      妄人とし     ることの違いは    音楽を忘れな      っても音楽の痕跡をその身に宿している。そしてバラバラに って ま

#17 オガクズ <龍津路1・地下>


古びたポスターが貼ってあるところがある。ブロマイド屋のようだ。
by.主人公

客足の途絶えた地下で昔の踊り子たちの写真を売る。光線をレンズで集め、物理的・化学的に固定した痕跡。焼き付けられた過去。物質化した無数の痕跡に囲まれ、それを眺め、それを売り、今の生活を維持していく。過去を糧に現在を生きる。


#19 超級羅盤 <龍津路2>


昔は踊り子のかつらっていうのもあったんだ。
by.かつら屋

好きな人もいれば嫌いな人もいるだろう。他人の肉体の一部である頭髪を己の頭に被せる。他人の皮膚、他人の爪、他人の血、他人の臓器。
肉体は他人の存在の痕跡であり、また営みの傷跡が刻まれた記憶の器でもある。平気な人もいれば、苦手な人もいるだろう。


古い思い出に心を奪われると、あんた、思い出から抜け出せなくなるんだよ…。
by.電灯屋

ベロニカはもう…になってしまっている。思い出が淀む、過去の痕跡に満ちている劇場。その痕跡を読み取ってしまうことで目の前に立ち現れる過去。訪れる死者。記憶との対話。情報の再構築。だが、認識する主観にとって、それらは現実以外の何物でもない。


#20 3色電球 <龍津路2>


その代わり…約束…小さなモーター…食べたい…
by.モーター男

”光の口”という名の扉は3色電球を食べ、モーター男はモーターを食べる。食べることで妄想の濃度が高まるのか。妄想の希釈化により物に近づく妄人は、妄想の糧となるものを取り入れることで活性化するというのか。
妄想とは内部で蠢く意志の奔流ではないのか? 暴走する意識ではないのか? 食べる? なぜ?


#21 小黒探索 <龍津路3>


邪気に憑かれるのは、心に隙のある人間なんだよ。
by.録音屋

一貫性のなさこそ、心の迷い、隙となる。自分の嗜好や思考の求める方向性を見つめたことのない者、状況に踊り周囲に動かされる者、迷いすら感じずに迷う者。
隙だらけの心。一貫性を持つ者にはその方向性に対する好き嫌いで対応できる。だが、一貫性を持たない者に対しては好き嫌いを判ずることすらできない。そうした人物が側にいることで不愉快にすらなる。その不愉快さは、風景を赤く歪ませる。邪気とは関係性において生ずる状態のことなのか。


ここでは神獣となる宿命を背負った人間が見立てを受けるのだ。
by.スイジェン

しゅく-めい【宿命】避けることも、変えることもできない運命的なもの。
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うん-めい【運命】意志にかかわらず、巡りくる吉凶禍福。巡り合わせ。
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命は宿り、命は運ばれる。誰の手で? 何のために? どこに向かって?
生きることは決定された事柄の追体験なのか? 「これ」はリード・オンリー・メモリー。


#22 大楽屋 <龍津路3>


ちゃんと役のある妄人は人間と話ができる。
by.モーター男

収至電子郵件 MAIL
痳魄$4|/泗&餐:饅頭男
俺は饅頭が好きで好きで大好きでたまらなく好きだった。どんなに量があっても食べられるために生まれた饅頭を捨ててはならない。捨てることは摂理に反している!
今朝、目覚めてみると俺は饅頭の妄人になっていた。常日頃から饅頭の役割を慮っていた俺にとって、饅頭となった自分の務めを理解することに時間はかからなかった。だが、食われる役を持つ俺は妄想メガネなしで会話ができてしまった。人語を解する俺を誰も食べてはくれな忱&#9程K黛:i蜃%$
通訊完畢**************


妄人として元気になるってことは…物にすらなれなくなってしまったってことだよね…
by.操作盤顔

妄人になってしまったなら、最終的には物になるしかない。人が最終的に死体になるしかないのと同様に。ならば、苦しまずに物にしてやるべきなのか。妄人となった状況を物=死に至る過程としてのみ認識するならば、そして物となることを望むのならば、速やかに妄想を除去してやるべきだろう。
妄想の存在が苦痛ならば…。だが、苦痛を望む者の存在も忘れてはならない。


#23 ピアノ <龍津路4>


変なおやじが…その…出口を映し出していた…
by.垢すり屋

出口を映し出す? 映写した出口に意味があるのか?
場所の移動を目的とするはずのものが平面的な映像としてのみ存在する。しかし、そもそも「ここ」は映し出された街ではないか。映像として認識される街の中で映像として認識される出口に何の問題があるというのか。実際に「それ」はディスク3「朱雀」へ接通している。


#24 陰陽師 <九龍フロント3>


張陵が夜遅くに『戦闘宇宙海賊』っていうゲームをしてると、小さな惑星にある敵のアジトで助けを求めているのがお兄さんなんだそうです。
by.ゲーム屋

「ゲームのなか」の人物が「表」に出てくる。なるほど。張陵の名を叫びながら死ぬ。四方から撃たれる…誰に?
「ゲームのなかのことなのか?」…でも彼のお兄さんが登場する「ゲーム」なんてないですよ。


夏先生からのメールか。
by.主人公

文字化け。読めなかったメールほど、何が書かれていたのか気になる。出られなかった電話、聞き取れなかった生体通信、読み逃がしたリゾーム。
存在していたことを認識しつつその内容の把握に失敗する。こうした状況に心を悩ませるのは存在への執着なのか、過去への執着なのか。


どっかの間抜けが、時間をズラせておるようだなあ…
by.陰陽師

「ズラす」? これは、時を刻む時計の針を「ズラす」ような些細なことを意味している言葉ではないように思える。
本来、連続すべき時間軸。しかし、ハードの電源が落とされることで連続性は失われ、狭間が生じる。断続的な時の間。それこそがここで言う「時間」なのか。


これはドラマだ!そして君は歴史の流れの中にいる!
by.陰陽師

データとして保存され、モニタ内で展開するドラマ。プレイ=保存されたドラマの再構築行為によってモニタの内外で展開するプレイヤーの反応というイレギュラーを含んだ歴史。
データが読みだされるという歴史的事実。陰陽師の言葉はモニタの内外の状況を余すところなく示唆しているのか。


#25 天道式 <清朝>


陛下がいま、果たして生きておられるのかどうか。
by.香木屋

「陛下」と呼ばれる存在。生きていることを、存続を義務付けられた存在。それゆえ、生死が不明とされることもある。死を公表しなければ生を偽ることができる。
物理的な事実よりも認識による事実。場合によってはそういうことも有りうる、ということ。


城内の地下牢にある井戸も手鏡で願いが叶うらしいぞ。
by.声

クーロネットか。生体通信の様子からすると、街頭端末と同じものらしい。願いと言えば願い、か。夏先生のアクセスカードで信箱を覗くとやばいことになっている。


霊符屋に知恵を借りられないか。
by.主人公

補填注意事項(霊符取扱説明抜粋)
壱:霊符を用いることで退魔効果が得られます
弐:複数の霊符を併用することで退魔効果を高めることが可能です
参:霊符を用いる際にはどのような精神状態であるかが重要です
四:邪気を恐れる精神状態は、邪気を呼び寄せます
伍:従って、邪気を恐れるあまり大量の霊符を用いる行為は、邪気を強める結果に繋がる恐れがあります
以上の点に留意し、正しい心構えで霊符を使用してください。


今度はなんだ…宿牢か…やっぱりな…
by.門番

苦しみを得るために臨んで入る。苦しみは外部からの刺激に対する主観的な反応。すなわち、人であり続けるための妄想を巡らすきっかけとなりうる刺激と言える。しかし、ネガティブな感情に直結しやすい刺激ゆえに邪気の醸成を助長することもあるのだろう。


そうだ、鏡池に行ってみるか。
by.主人公

「物の怪は邪心や心の迷いを持つ人間を喰うと言われているんだ。そんな人間こっちにはいないんだ」とは、二度目の鏡池付近の声。
「こっち」という言葉は、声の主の所在が不明なことにより今までに輪をかけて面白い。


見立てにしくじった風水師は、罪の糾(あざな)いを受け、首を切り落とされたと聞いてる。
by.香木屋

結局、コレをソレにします、と決めることなのか。コレはコウである、と決定すること。多くの人々がその認識を共有することにより、ソレは決定された通りの存在となる。
その極端な、より強固な決定の仕方が天道式。儀式として執り行うことで人々に与える影響力を増大させ、共通認識を容易に実現することが可能となる。
物理的な事物から遠ざかれば遠ざかるほど、認識のための演出として儀式の規模や複雑さは極まり、それによって現実味が増す。現実感は認識のための重要な要素である。


そして、その僧侶が青龍の見立てを受けるべき運命の持ち主…
by.主人公

要するに、誰が適しているのか、ということ。神獣としての見立てを受けるということは、周囲の者に神獣として認められるということ。個人的なシステム内の見立てではなく、風水という大きなシステム内の見立てだからこそそれなりの資質が求められる。
従って、それに適した人や場所を探し出さなければならない。もちろん、適しているかどうかの基準はすでに「この」中に設定されている。プレイヤーが独自の基準を成立させる必要も余地もない。揺るぎない基準があるからこそ、多くの人々が同じシステムを共有することができ、それゆえ神獣は存在するための大きな力を得ることが可能となる。


…しかし私には…真の見立てが行われたのだな…
by.道光帝

神獣となることで人間としての生は失われる。それは風水というシステムの中の神獣として固定された記憶的存在となることを意味する。人間としての営みによって過去を生成し、それを周囲の者に記憶させていこうとする行為を断念しなければ、神獣の見立てを受けることはできない。
どちらの記憶のほうがより強固なものだろうか。確かに悩むところではある。


#26 双子中心のセミナー <九龍フロント4>


かつらは役に立つよ。
by.かつら屋

頭髪中心のかつら屋が言う。髪の毛に注意しなよ、と。かつら屋の営業用のセリフだと思ったのだが、まさか「あのこと」を言っているとは…。
「誰の」「なにが」「何の」伏線になっているのか。洞察と推理の力が試される、のか? 何時? 誰に?


そうだ、夏先生のカードを入れてみるか。
by.主人公

地震発生。一九九七年二月二十日午前五時二十三分。プレイ中のアクシデント。恐らく「この」タイミングで地震が発生したのは世界中でも「ここ」だけだろう。
そして個々のプレイヤーもまた同一のデータを読み出しながらも、世界でただ一つの歴史を構築していく。


だが確かに、君は行ったことになっておるの。
by.陰陽師

プレイヤーの時間軸を利用して、ゲーム内の時間軸を読み出す。「過去」に決定されている「未来」を「現在」読み出すためには現在の時間を消費しなければならない。
「過去」において行ったことになっている状況を実現するために「これから」行かねばならない。すでに確定した過去を未来において追体験する。「過去に決定された未来」はCD-ROM内の時間軸。「追体験する未来」はプレイヤーの時間軸。


リッチのところでメールでも見よう。
by.主人公

某日某時刻のリゾームのログ
(リトシ)龍城飯店の印象。変わってない?>文字化けさん
(%^-!侭酔)初めて会った頃。龍城飯店とリッチは、この街の謎の核心に近い存在だと思いましたよ。(文字化け失礼>ALL
(リトシ)でも、違ったでしょ?
(%^-!侭酔)そそそ。店内のデータ的な物に変化はないのに、相手を見る目線が変わっただけで、店が明るく見えて来たんです。
(モシモチ)印象が変わることで、視覚的な情報の処理に変化が生ずる、見ている映像は主観フィルターを通して認識したもので、これはすべての感覚に共通することでしょうね.
(%^-!侭酔)なるほど~
(モシモチ)純粋客観による物理的事実の認識は不可能であり、すべては主観により認識でしかない.そして、主観による認識こそ、当人において真実となるのでしょう.
(%^-!侭酔)なるほXw5iO季眉D涅B孜G(Hs儒
(リトシ)(・_・;


メールはまたガタリという人物からだった。
by.主人公

まさか、コイツがアイツとは…。あとになって知ったことだけれど。ただし、アイツと会話しなければ、この事実に気づくことはない。気づかなかった場合、ガタリの存在はどうなるのか。絶対に見かけているはずだが、それでもソイツをガタリとして認識できなければ、ガタリは永遠の謎となる。


アタシは、ときどき男になったりするんだ。
by.九龍飯店の二階にいる女客

コイツはアイツの正体の伏線なのか。もちろん、あとで気づいたことだけれど。なるほどね、男になったり女になったり…


いま、そのときが来た…。はあ、はあ、はあ。
by.婆童

このシーンをHMDなどで見ると、その息遣いがまるで鳴力のごとく直接頭に響いてくるように感じられる。そういう感覚を楽しむソフトなのか。
ドラマとして見ていくことで設定を理解する。その上で感覚を補われると、なるほどこういう感じか、と納得してしまう。設定を認識したあとに感覚を認識することで、体験は経験となる。


リトル・タンキーに力を与えているのはブルー・クロウに違いない。
by.紅頭

普通の人間がやると一発で妄人になるらしい。妄人。ケミカルが鳴力を覚醒させる。肉体を物に変えることで意識を鋭敏化し、脳を拡張するのか。ということは、ブルー・クロウによって鳴力に目覚めた者は、すべからく物になっているのか。あの人も、あの人も、あの人も…?


#27 妄想メガネ <妄人路地下>


それともその姿が妄想の結果なのか?
by.携帯電話男

そうかも知れないし、そうではないかも知れない。妄想が薄くなるから、あまり語りたくはない。
妄人との接触はこちらの妄想を助けてくれる。本を読み、絵を見、音楽を聴き、ゲームをする。すべての刺激は妄想の糧となる。発信ではなく受信こそが妄想の糧を手に入れる手段なのか。
妄想は、外部からの情報によって内部で処理されて培われるもの。だから、物になってその場から動けないと、その場に人通りがなくなって状況に変化がなくなると、妄想の糧が外から入ってこないので妄想が途絶えてしまう。
外界からの刺激に無頓着になるということは、それだけで妄想度が低下しているということになる。周りに目を開いて耳を澄ませて…そういうことが妄想を絶やさないための手段であり唯一の方法でもある。


#28 呪いの人形 <九龍フロント4・3>


ミスター・チェンはブルー・クロウで生きながらえているんだ。
by.窓男

奴はそれなしでは生きていけないけれども、普通の人間はヤバいらしい。心の中に潜む邪気を呼ぶという。けれども、奴は邪気のかたまりだから、逆にそれがないと邪気という妄想がついえて死んでしまう。邪気は邪気なりに、それを絶やさないようにしなければならない。
どういう性質の物であっても、絶やさないということが存在し続けるための必要条件である。継続は力なり、なのか。


いろんなものが映ってくれるからまだ楽なんだ。
by.窓男

受け身による妄想の維持。確かに、おしゃべりな奴より無口な奴のほうが妄想レベルが高そうだ。少しばかり周りを見回せばそのことがわかるだろう。違うか? 量じゃない、レベルもしくは濃度の問題だ。


#29 グエン・グエン <西城路1>


歪んだ空間を抜けると、そこは西城路だった。
by.主人公

往来の足音が聞こえる。姿なき足音。この街は多くの店によって栄えているのか、客の姿が見当たらず寂れているのか。
だが、足音によって人の気配が感じられる。面白い。足音による存在感。気配とは、視覚以外の要素に備わったものかもしれない。


うれしい…同じ趣味の人間に会えるなんてな…
by.びん屋

趣味人募集
なぜ? 同じ趣味の人間に会うとうれしいのか? 皆で同じ趣味を持つことについて語り合いましょう。
現在のところ、以下のグループがあります。
ピアス・骨・管・油・剥きえび・ゲーム・双子
詳細は龍城路ピアス屋まで


錠前屋が戻って来たよ。
by.鏡屋

t?(銚e賽FQF¥pいつも錠前屋の後ろにいるやつが座っていて、何だd]憾つと思っていたけれど、生まれた時からずっと裸で俺は弱かったんだ。何も身に〉nO.ないとどんどん身体が小さくなっていく、小さく小さく、そんな俺を救ってくれたのはこいつさ、格子に鍵にそれから扉だ、錠前屋がきつくしめてくれるからな、もう揺るがない怖くないんだ、もう俺は裸じゃないんだ、束縛による安定か、その大きさは人それぞれだと思うが、自分というものを保っていくための有形無形の何かは必要だと思う、それが彼の場合、物理的なもので象徴しなければならない程の大きさが必5”QMh顔巵5l$/J8


ぜんまい屋も無事だったようだ。
by.主人公

収至電子郵件 MAIL
痳魄$4-/泗&贄:***
端末の映像はどれも同じはずなのに、ここで画面を覗き込むと龍城路に戻って来たという気がする。ぜんまい屋そばの端末のモニタ枠に独特の汚れなどないにもかかわらず、ここならではといった感じを受けてしまうのは何故だろう。
通訊完畢**************


信箱にあるスイジェンからのメッセージを読んでから案内屋にアクセス。
by.主人公

彼のメッセージに語られる「宿命」という言葉。宿命が誰かの決めた道の追体験を意味するものならば、CD-ROM内に決定された道を追体験する行為、「現在」「これ」をプレイしている状況は宿命なのか?
すでに決定された特定のレスポンスを要求されることは、宿命といえるのか? 現在が未来の宿命を作る? 現在の宿命は過去が作っている? 現在を踏まえた上で未来が決定するのなら、過去においてすでに未来は決定している?
当然過去から現在に至るまでには不確定性要素が入ってくるので、過去から一足飛びに未来まではいかないかもしれないけれど…。
ならば、「現在」「これ」を読む読者の状況という宿命は、過去のどの段階で決定したのか? 本書の購入時か? 本書の企画時か? ソフトの購入時か? それとも、思い当たる節があるか?


#30 3つの水門 <西城路1>


気海っていうのは人間の身体のなかにある海だそうだ。
by.水門男

ならば、場所という物になった妄人という考えも無理ではないのか。妄人の身体に人が住む。自分の身体に人が住む。身体の各部分で様々な人の営みがある。どんな気分だろう。少なくとも、チャンピオン号は身体の内部で人間の生活があったはず。身体のなかで様々な主観が同時多発的に言動を繰り返す。しまいには鬼律が住み着いて邪気を発することに。いったいどのような感覚なのか…?


#34 出世石 <西城路3>


おおおおもももいでがおれのおもいでが
by.チャンピオン号

チャンピオン号が海原を旅した頃の記憶。音としての記憶。過去に基づく現在。記憶は、その連続性の象徴でもある。それゆえ、記憶は時のお守りとなり得るのかもしれない。記憶を失うことで現在の状況が途端に希薄なものになる。それは現在という時のはかなさなのか。


すぐに叶う願いなら、邪気が寄り付く暇もありません。
by.グエン・グエン

かなわぬ願いが邪気を呼ぶ。確かにそうかもしれない。願っても願ってもかなわぬ思いはいつしか理不尽な憤りを生み出す。
どうして、これだけ願っているのにかなわぬのだ。そこに理論性は不要である。願いの量と比例した憤りが生まれるだけだ。その理不尽な不愉快さは目の前を赤く揺らし、憤る心が論理的な思考を停止させる。


#35 山童 <西城路4・神龍廊>


よほど強い妄想を持ったやつじゃないと、やっていけない。
by.香炉男

要するに、妄想の中にすっぽり包まれる状態。それが妄人路。外で自立して妄想を維持し、フリー妄人としての生活を維持していくためには、よほど妄想が強くなければならない。でも、ほとんどは妄想が枯渇してしまう。無理もない。


#36 ミスターの顔 <大井路1>


でもな、オルゴールを売っている訳じゃないんだ。安らぎを売っているのさ。
by.オルゴール屋

何でもそう。何かを売るというのは、それを手に入れた人がどう感じるのか、その感覚を売っていると言える。
例えば、このオルゴール屋。音楽を売るのではなく安らぎを売るという。本来、その感覚は千差万別で、同じ曲を聞いても必ず安らぐとは言えない。だから人は通常、物を売っていると言う。怒ろうが笑おうが泣こうが安らごうが苛々しようが、それは買った人の自由、使い方・受け止め方の自由としている。
それをあえて、安らぎを売っていると言うとは。
感覚の限定には絶対的な自信が見え隠れする。美脚屋から端末に向かって歩くと角を曲がる手前から安らぐ曲が聞こえてくる。編集部でも「安らぐ」という声を聞いた。音という空気振動が持つ、心身への影響力なのか?


俺たちもあんたを信じる、あんたも俺たちを信じると。
by.麻雀屋

それを本当だと思い込むこと。正しいとして疑わないこと。それが、信ずるということ。「信用」は相手や相手の言うことが確かであると信じて疑わないことを言うが、「信頼」は相手の能力を信じて頼りにすることを言う。この場合は「信頼」のほうか。
だが、信用できる人間はどうか。信頼できる人間は、関係性を限定することで見つけられる。だが、信用できる人間に出会うことは滅多にない。なお、「信ずる」素振りは、相手を油断させるための常套手段でもある。


時の外で生きてるからな。
by.妖精さん

時間軸を無視した存在。変化のない存在。停滞した存在。時の外で生き永らえる存在。
それは、不老不死と同一の状況と言えないだろうか。時の外? それは一体何か? CD-ROM内のデータは、プレイヤーの時間軸の外にいる。いまから十年経ったとしてもそのデータは今と変わらない。再びプレイすることで彼らは不老不死を実現するのか?


#38 夜聰会 <大井路2>


夢すらないのよ、その代わり欲はいくらでもあるわ!
by.美安

夢と欲。夢とは、実現が困難な空想的な願い、現在のところ実現してはいないが将来は実現させたい願い理想、将来の希望などをいう。
欲とは、満たされることを求める心を言い、本能的生理的な要求であることが多い。
彼女の成り立ちが、妄人になった女から剥がれ落ちたかけらであることからも、理想を願うという意識ではなく根源的な欲求のみを持つことが明らか。
妄人には、あまり性別を感じない。妄人が意識的な存在であり、人間の肉体的な要素が欠落しているためかもしれない。すると、人が妄人になる際にはこのように肉体的な要素である性に根付いた欲望が剥がれ落ちるものなのか。物としての存在に性差は不要だから。ならば、妄人は非常に知的な存在と言える。もちろん支離滅裂な妄想をも純粋知性として評価するならということだが。
逆に、剥がれ落ちた欲のかけらが妄人化したものは、肉から派生し根差し依存し、どうしようもなく肉を連想させるおぞましい存在となる。


#39 リフト <大井路2>


ここはさっきの建物の二階か。
by.主人公

ダミアヌスと名乗る声が語る。あんたの考えてること、それくらいお見通しなんだよ。プレイヤーの妄想を再構築する声。電子レンジ。他には冷蔵庫に扇風機。プレイヤーが、プレイ中に常に思い描いている妄想は、このいずれかであるという。確かに、一度でも物になったことがあるプレイヤーであれば、RTダンジョンやバトル時にはそれをちらと思い浮かべることだろう。
彼の言葉はプレイヤーの行く末を連想させる。そして、あたりに満ちた邪気が妄想を低下させ、実際に物へと近づけていく。


#40 玄機 <大井路3>


苦しみを与えてやると、奴らはそのぶんだけ邪気を深めるんだ。
by.玄機

玄機の声の調子が面白い。アッパーとダウナー、小刻みなフラッシュバック。苦しみを与えるのは清朝の宿牢に通ずるのか。プレイヤーがRTダンジョンで苦しむとき、邪気は深まっているのか。確かに、苦しいときは邪気が深まる。その邪気によって苛々する。苦しみを与える手段はなにも物理的な方法ばかりではない。仕草ひとつ、言葉ひとつで邪気を深めることは充分に可能である。邪気について思いを巡らせるほどに、それが日常的な物であると気づかされてしまう。


#41 コニー楊 <大井路3>


私はずいぶん前に媽妃によって妄人にさせられたの。
by.コニー楊

…ならば、彼女のネットワークへのアクセス方法は? 鞄状態で端末操作はできない。鳴力によって端末を介さずにネットワークへダイレクトに繋がるのか。
設定された想像のできない法則を否定することは簡単だが、誤りだ。この執筆作業の状況、ゲームをプレイしたものをビデオに録画し、それを再生したものをHMDで見ながら思いつくコメントをMDに録音し、後にそれを再生しながらコンピュータに入力しているという状況は、五十年前には考えられなかったことだ。
CD-ROM内のデータで遊ぶことも、HMDでそれを眺めることも、つぶやきをそのまま記録しておけることも、手書きよりも素早くテキストを生成できることも、すべては幾つかの小箱にあるボタンを押すだけで可能となる。それは、まるで妖術のよう。見知らぬ法則は魔の法則やあやかしの術として認識されるが、そこには確固たる理論が存在しているはず。ただ、その論理を知らないだけに過ぎない。
コニー楊のアクセスに関しては、すでにどうでもいい。過去の観点から現在を眺めることで現在が未来として認識できることが楽しくなってしまったから。


#42 ダンスの時間 <大井路4>


時ははかないものさ…ごまかせないんだ。
by.妖精さん

存在は、常に「いま」にしかない。過去を強固なものと思い込むことでいまという時の土台を作ろうとしても、いまのはかなさは誤魔化せない。未来へと存在し続けるための記憶として過去作りに執着しても、現在のはかなさは誤魔化せない。
そもそも、未来のために過去を作りたいのか? 常に更新され続ける薄い現在を確固たる物と思い込むために過去を作ろうとしているのではないのか? しかし、いくら過去を作ろうと存在は現在という薄片上にしか成立しない。その薄さ、はかなさは、過去で誤魔化すことなどできはしない。
そう誤魔化せないんだ。


歯医者のやつ、食われてしまったんだ!
by.路人

入れ歯に食われたらしいが、
臓もないのにどうやって喰うん
飲み込まずに喰うのか。咀嚼し
分解しペースト状にしたも
間から垂れ流して消滅さ
全く意味のない、非生産
が、どろどろに流れた
態系においては無意味
全く無意味な死とはど
う。意味の有無は、どこに
によって変化する。どの観点
るかによって、同一の事柄の価値
意味と無意味の間を揺れ動く。こ
キスト下部の消失には、どのよう
意味があるのか。無意味な消失が存
することを示す意味があるのか。単な
る齧られた痕の象徴に過ぎないのか。


モニターなんてただ映すだけだ。
by.モニター男

大井路が映し出されるモニター。プレイの中心であり、あたかもモニター内にある情報で楽しんでいるかのように錯覚するが、すべての情報はCD-ROM内にある。モニターはただ映すだけだ。それは、現在という薄片のみを更新し、表示しているに過ぎない。
ゲーム内のすべての時はモニター内には存在しない。モニターは「現在」であり「過去」や「未来」はそこにはない。


#43 媽妃 <大井路4>


少しばかり詰め込みすぎたようだね。
by.媽妃

人の意識を崩壊させるには、妄想を奪うか妄想を詰め込めばいい。妄想の低下は人を物に近づけ、許容量を越えた妄想の暴走は意識を崩壊させて物としてすらも崩壊させる。均衡こそが重要なのか。


いずれお前も欲の海に引きずり込んでやる。
by.媽妃

欲の海。欲が肉体的なものに依存する根源的な望みであるとするならば、欲の海とは遺伝子的な要素の強い物といえる。それへの耽溺は、人と獣を分かつ意識の奔流。妄想の存在とは別のベクトルを意味するのだろう。
妄人となるのとはまったく別の方向性での人の崩壊。通常、妄想による人の崩壊は肉体の物化に始まり意識の喪失に終わる。ならば、欲による人の崩壊は意識の喪失に始まり肉体の物化に終わるのだろうか。


#45 スイジェン <九龍フロント5>


端末から生体通信でワープしてみよう。
by.主人公

面白い。モニタの枠が消え、画面に表示されていた場所に転移している。モニタに表示される二次元の視覚情報を移動のための通路として用いることはこれまでゲーム上で行ってきたこと。それと同じことがゲーム内に設定され、それをゲームで行う…。前者と後者の相違はどこにあるのか?


色んな奴の妄想が宙を舞っている。
by.玄機

多くの人が発信者とならなければならないような強迫観念に追い詰められる状況によって、取るに足らない妄想までをも無理やり絞り出すようにネットワークに乗せる。また、何かをしゃべっていなければ落ち着かない人が会話の流れの本質を無視したまま、言葉だけを数珠繋ぎに放出する。
妄想が宙を舞うという状況は、実に今日的な状況とは言えないだろうか。流出した妄想と言葉は、無防備な意識を侵食する。押し寄せる妄想と言葉は邪気と同等の危険性を孕む。


#46 蘭暁梅 <上海一九二〇>


一九九七年五月二十二日。
by.上海の陰陽師

二十三日になっていたはずではないのか?
CD-ROM内の時間軸の歪み。先ほど停電してしまったことによる「こちら」側の時間軸の歪み。だが、ここで書いた歪みは当事者にしか意味がない。個々のプレイヤーはそれぞれの時間軸でCD-ROM内のデータを再構築し、このテキストに接し、読み、あるいは無視する。CD-ROM内に収められたデータは再構築されることで初めて意味を持って存在してくる。
それは、個々のプレイヤーの時間軸を消費しつつ再生と再構築の歴史となって、初めて経験として完成する。本書の記述の追体験は決して成されない。共有できるものはCD-ROM内のデータだけであり、個々のプレイヤーが同一の経験を共有することはない。孤独な歴史の構築が行われるのみだ。


無理もないわ。ここは空想階段よ。
by.蘭暁梅

妄想の島の空想階段。妄想と空想の違い。なにやら、二つの言葉の違いというものに着目してしまうのはなぜだろう。無理に注釈を入れようとしているのか、それとも自然体でプレイしていても気になるのだろうか…。


私はすべての時代に属しているんだよ。
by.ガタリ

性懲りもなくガタリからメール。ガタリはアイツ。アイツは単なる兵隊アリのような存在だと思っていたのだが、このメールを読む限りにおいてどうやらそれだけではなさそうだ。
そんなことよりも、ここではアイツの言葉が面白い。すべての時代に属している。それはもっともなことだ。
過去を構築しそれを基盤としつつもはかない現在にのみ存在するプレイヤーとは異なり、アイツはCD-ROM内のあらゆる時間軸に常に存在し続けている。そして、プレイヤーが自分の現在のときを消費してデータを読み出すことにより、アイツはデータのあらゆる時間軸から立ち現れることができる。
アイツの言葉は、自らのデータとしての存在を外部のプレイヤーに示している。虚構の内部にはめ込もうとする言葉ではなく、データとしての実在を主張している。


私が風水楼まで送ります。
by.マダム馮

ピガールの間、ヴァンドールの間など様々な部屋が重力を無視した階段で繋がっている。足が接している面に重力がかかるような構造。建物自体が回転しているのか、そもそも重力など関係ないのか。
妄想の島であれば、物理的な存在にさしたる意味はない。認識こそが絶対のものとなるからだ。考えてみれば、モニタに表示される世界に地上の物理法則を当てはめる必要はないのかもしれない。もっとも、データ内部に架空ではあっても一貫した物理法則がなければ不可解な世界観となり、共通認識は難しくなるのだが。


私が占いに教えられた天から降る絵とは、暁梅が見つけたあの絵画ではありません。
by.マダム馮

この表現から、占いが預言と同義であるように思われる。預言というものがあらかじめ未来を言うものであるならば、プレイしている側の時間軸における未来を言うことができたとしてもCD-ROM内におけるデータ上の未来を言うことはできない。なぜならば、すべてのデータはすでに決定しているから。ゲームのキャラクターは製作者から決定された未来を預かって言うことしかできない。つまり、ゲームの展開上の未来を言う以上、それは預言もしくは占いという表現方法を用いらざるを得ない。


うはははははは、私は妄想の寄せ集めなのだ、ふふふ…
by.王兆銘

ジグソーパズルを楽しむことで彼の言葉を実現できる。他人の言葉、他人の妄想、他人の体験。それらを表皮とすることで、空虚な人形が完成する。妄人化の始まりか。知識偏重主義の落とし穴とも思えるパズル。だが、既存の情報を拒否したところになにを求めようというのか。
妄想のコラージュと追体験のコラージュは微妙に大きな隔たりがある。どちらを選ぶ?
別にどちらを選ぶ必要もないだろう。ただし、追体験のコラージュなどという不可能な幻想に憑かれてしまった輩を多く見かけるのには閉口する。


#47 長い別れ <九龍フロント6>


誰もいない。二階もダメだな。そうだ、端末だ。
by.主人公

セーブをしていて思った。生きていくことは未来を作るのではなく過去を作っていくことだ。セーブせずにデータが飛ぶと、過去を喪失してしまう。それが「いま」の儚さなのかもしれない。セーブデータという過去を作っていくことで儚さの度合いが下がってくる。
通常の過去は記憶。その記憶は読み出すことのできない、外部に再構築することのできない、非常に不安定な情報でしかない。しかし、メモリーカードに記録するデジタルなセーブデータというのは、出力することのできる、再構築可能な過去である。ただし、ここでセーブできるものはCD-ROM内のデータを再構築(ゲームをプレイ)したという事実だけであり、再構築中のプレイヤー情報の一切が排除されてしまう。
古臭いコンピュータ思想かもしれないが、それをも含めたセーブが可能となれば…。「これ」はその夢の役目を僅かでも果たしているのか?


上の部屋に行ってみよう。
by.主人公

部屋の壁に紅頭5号の服が掛かっている。是空データベースのテキストを入力した5号。しかし、実際に会ったのは4号まで。誰なのか。キッズ? まさか、ウェイ? それとも、本当は…。
設定された存在は、その不在によってより大きな存在感を主張する。読めなかったメールと同じだ。ところで、これまでのテキストであえて消去した部分にあった文字列の存在感はどうか?


#48 妄想の権化 <妄人路1>


自分が端末になって不便なのは、自分で使えなくなったことさ。
by.端末男

好きなものからは距離を置けということか。鍵穴男も似たようなことを言っていたような気がする。昔、女になりたいと思ったことがあったけれど、自分が対象になってしまっては自分と対象の関係性が崩れ、好きであった感情は宙に浮いたままとなる。
持って行き場のない感情は妄想となり、次第に希薄化し喪失していく。対象は対象のままがいい、ということか。「好き」と言える状況を「好いている」のかもしれない。


分からないんだよ。どこまでが運命で、どこからが選んだ人生なのか。
by.玄機

「あんたがやってこなかったら(つまり、ここまでプレイしてこなければ)俺はどうしていんだろう」
少なくともCD-ROM内のデータであるドラマの時間軸はすでに決定されていた運命と言えるだろう。けれども、それをプレイしここまでデータを再生し続けたということはどうなのか? 再生されなかったデータの存在はどのようなものとなるか?


#50 四神獣の見立て <九龍フロント7>


皮肉なことに、私をこの場に導いたのは君自身だ。
by.双子師四天王

確かに。ここまでプレイしなければ、この展開までは再生されなかった。情報として存在していた状況を再構築し、モニタ上に導いたのはプレイヤー自身。