2ちゃんねる創設

Last-modified: 2022-06-13 (月) 00:12:09


2ちゃんねる

 1999年5月。
 アメリカに留学していた西村博之(以下ひろゆき氏)があめぞう掲示板のサブ掲示板として開設したのが2ちゃんねるである。掲げた特徴としては「すべてが無料」「匿名の書き込み」「スレッド式」という部分であり、ほとんどの様式は母体となったあめぞう掲示板のまま、利用者が困惑しないような形でまとまっていた。その後に確立されるどこかアンダーでダークな匿名性が高い雰囲気の根幹はあめぞう掲示板の雰囲気がそもそもだったと言ってもいい。
 1999年にあめぞう掲示板でウイルスなどの影響により管理人が失踪するという事件が起き、これを期に2ちゃんねるに避難する形でユーザーが移動したことで以降は2ちゃんねるがあめぞう掲示板を抜く大規模な掲示板群となった。

2ちゃんねる以外の匿名掲示板など

あめぞう掲示板

 1997年。リンク集として「あめぞう氏」により開始した掲示板が「あめぞう掲示板」である。当初はあやしいわーるどという別の掲示板から移動してきたユーザーが主に利用していた。
 スレッドフロー形式という書き込みをするとページの上にスレッドが上がるという仕組みを利用して作られており、当時のインターネット掲示板では画期的で使いやすいシステムで作られている。ニュース速報や芸能、スポーツといった一般的な話題のほかにゲームや食べ物、しりとり、映画などのサブカルチャー話題も話し合える掲示板が続々と追加されてやり取りがなされていった。最終的には40以上の掲示板が作成され、雑誌などにも取り上げられるなど大規模な掲示板として周知されていった。



※画像はあめぞう辞典より

 1999年になるとインターネット普及の影響も受けあめぞう掲示板の利用者が激増することになりサーバーダウンが頻繁に発生。その後、1999年6月から8月にかけてあめぞうウイルス*1という通称のスクリプト型のウイルスが流布され、相次ぐブラウザクラッシュによる被害を受けたユーザーが続出してしまう。この時に当時の管理人であるあめぞう氏が失踪しメイン掲示板であった「@広場」が停止、サーバー上にあった残りの掲示板も消滅することになり一部の旧掲示板が残るに留まってしまう。
 この時点であめぞう掲示板の最初の形は壊滅したということになり、同時期にひろゆき氏により作られた2ちゃんねるに大半のユーザーが移動したことで以後の2ちゃんねるの基盤が作られたことになる。

 2000年、あめぞう掲示板は利用者たちにより再建が試みられることになり、「あめぞう2000計画」が始動。形式や体裁も元のあめぞう掲示板と同様のものとなり、名前も元のあめぞう掲示板と別化をはかるために「あめぞう(仮)」として決定される。しかし2000年6月に突如として説明なく「あめぞう(仮)」が閉鎖、すぐに復活させられたものの有志による避難所が先に作られており、利用者は激減してしまった。
 2007年、いくつかの避難所の開設と閉鎖を経て「あめざーねっとIV」という名称で新しい管理人を据えてサービス開始。あめぞう掲示板時代同様の大規模な掲示板群として作られており、それまでの避難所で発生した数々の荒らしやウイルスの対策も施された場として開始する。
 2016年に「あめぞう(仮)」が正式に閉鎖され、翌2017年に「新新あめぞう」が開設される。

 2022年現在、あめぞうの名を引き継いだ掲示板は「新新あめぞう」「あめざーねっとIV」「あめざーねっとVII」「あめざーねっとX」などあるが、新新あめぞうがサービス開始当時のあめぞう掲示板をそのまま引き継いでいるのに対してあめざーねっとは有志や利用者たちが手を入れて立ち直してきたものという線引きがある。

あやしいわーるど

 1995年。芝雅之氏(以下しば氏)によりインターネットに登場した匿名性の高い掲示板群が「あやしいわーるど」である。
 当時のインターネットはまだ一般普及には程遠く、インターネット利用者もある程度以上のネットワーク知識やパソコン知識を持っている人に限定されていた。そうした黎明期のインターネットにおいて掲示板やチャットの多くは会員登録が必要な閉鎖されたサービスがほとんどだった。これより前の掲示板として有名なものはパソコン通信時代からの系譜でもある「草の根BBS」だが、草の根BBSに辿り着くには相応のパソコン知識、通信関係知識も必要だった。

 そうしたなかで「あやしいわーるど」は匿名で会員登録などを必要とせずパソコン通信(インターネット)ができれば誰もが利用できる掲示板ということで開始された。一般人の日常とは異なるややアンダーグラウンドな会話やネタが多用され、なかには法的に違反と思われる書き込みも多発していた(当時はまだインターネットでの法的規制など影も形もなかった時代であったことも背景にある)。
 しかし、その雰囲気はその後の「あめぞう掲示板」や「2ちゃんねる」とは異なりどちらかというと有識者や専門家、界隈に精通した玄人勢が主な利用者だったこともあり一般人が入りにくい空気と話題で溢れていた。

 あやしいわーるどは特定の管理人がすべてを把握して管理している形態ではないという部分が2ちゃんねるなど後発の匿名掲示板とは異なる部分だろう。
 初代掲示板はしば氏が作り出したものの、同氏が全体の管理人かというとそういうわけでもない。知識があれば誰でも掲示板を作ることができる場であったため、掲示板の数だけ管理人が存在した。たとえるなら、2ちゃんねるが専制政治であるならあやしいわーるどは連合政府という状態である。創設者が居なくなっても問題なく機能してその後も継続できたのはこの体勢のお陰という見方もできるだろう。

 そうしたなか、1998年に管理人のしば氏があやしいわーるどを閉鎖。利用者は放り出される形となりあめぞう掲示板や2ちゃんねるに移動することになったが、あやしいわーるどが単一管理制ではなかったこともあり以降も掲示板が乱立する形であやしいわーるどは管理者複数のまま存在し続ける。
2022年現在でも開設と閉鎖を繰り返しながら「あやしいわーるど」は存在し続けている。

1ch.tv

 2001年。人に優しい掲示板を念頭に掲げて作られた掲示板群が「1ch.tv」である。
 当時インターネットが普及し始めたことを受け、あやしいわーるど、あめぞう掲示板、2ちゃんねるというどちらかというとアンダーグラウンドな匿名掲示板が徐々に一般人にも認知されだしたというなかでこれらの匿名掲示板の持つ特有の高い攻撃性、犯罪性を憂いたバリュー・エクスチェンジ株式会社(Webサイトなし/地図情報のみ)代表取締役の清水康司とアスキーの西正彦らが中心となりサービス開始された。



※画像はアスキー記事より

 当時すでにユーザー数の意味で最大勢力にもなっていた2ちゃんねるを主なライバル相手とし、体裁としては2ちゃんねるとほとんど同じ形を保ちながらも有料記事の配信、広告収入などを中心とした収益化を想定としていた。事前に「アスキー立ち上げ時の10倍興奮している」など熱意のある記者会見がされるなど、西和彦らにとってはわくわくするプロジェクトであったことが伺える。

 ところが2ちゃんねるに敵対意識を持っていたことを公然としていたのが運の尽きと言うべきか。正式サービス開始を運営側が告知する前にURLの流出とそれに乗じたユーザーが殺到し、さらに管理画面に入ることのできるアドレスなども流出。タグ記号が使えることもあって荒らしが多発してしまい、無法地帯と化してしまう。
 運営側は一時的に閲覧専用にするなど対策を講じようとしたがサーバー設定時のミスによりすべてのIPアドレスや管理パスワードが流出してしまう事態となり、関係者が書き込んだと思われる生々しい2ちゃんねるへの中傷的な書き込み内容等が暴露。
 こうしたことを経て運営者は手を引いてしまう形で1ch.tvを放置し、予定されていた収益化システムも実現されないままその役目を終えてインターネットから消えて行った。2022年現在、公開されているURLは事実上のアクセス不能状態であり、その姿はアーカイブサイト(Wikipedia記事内リンク)からしか閲覧できない。

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