ギュスターヴ編

Last-modified: 2024-02-19 (月) 03:06:27


1195~1219 戦乱の序曲

 ギュスターヴ13世の覇道を紐解く前にそのひとつ前の世代、13世の父ギュスターヴ12世の時代から続くフィニー王国によるメルシュマン地方及び東大陸統一の政策についての説明をせねばならない。12世が活躍していた頃はまさに術全盛と呼ばれる時代であり、これは13世の生きる時代まで続き劇中でも骨格となる世界観である。サンダイル百年戦争と呼ばれる時節、その発端でもあるギュスターヴ12世の誕生と成長期、やがてメルシュマン地方のみならず東大陸全土に舞い降りる戦乱の序章がこの項である。

年代事変内容
1195ギュスターヴ12世誕生フィニー王国12代目、ギュスターヴ12世が生まれる。
1200ソフィー誕生ノール候ナヴァルの長女、ソフィー・ド・ノールが生まれる。
1201大森林の攻防ノール候ナヴァルはノール候領土の侵攻をはかったオート候軍を撃退する。
ラブレ砦攻防戦オート候軍のノール候領侵攻に呼応し、シュッド候軍がフィニー領土に侵攻。
120212世、ファイアブランドの儀式ギュスターヴ12世がファイアブランドの儀式に挑戦、成功。
1210ティベリウスの戦いフィニー軍、旧領ティベリウスをシュッドから奪還。
ギュスターヴ12世、初陣にて大きな戦果を挙げる。
1212サン・ジャブイーユ会戦フィニー軍、サン・ジャブイーユのシュッド勢力を一掃。
121511世、12世に実権を譲るギュスターヴ11世、フィニー王国の全権を嫡男12世に譲り渡す。
1218.2ツーラの戦いオート候軍がノール領に侵攻。
1218.312世、ノールへ援軍として出陣ギュスターヴ12世率いるフィニー軍がノール候の援軍として戦線に加わる。
1218.3ノール候ナヴァル戦死遠征中のノール候ナヴァルが戦士。
1218.4ワロニエの戦いフィニー軍とノール候軍の連合軍、ワロニエの森でオート候軍を撃破。
1218.6ソフィー、ノール領主にノール候女ソフィー、フィニー派家臣の推挙でノール領主になる。
1218.7ブリュイエールの反乱シュッド派ブリュイエール、ノール領で覇権を巡って乱を起こす。
1218.7ノール領主争いにフィニー介入シュッドの動きの牽制のため、12世がノール出兵。
1218.911世退位、12世即位ギュスターヴ11世が正式に退位、12世がフィニー国王に即位する。
1218.1012世、ソフィーと結婚フィニー王国、ソフィーとの結婚によりノール領の支配権を得る。
1219シュッド川の戦いギュスターヴ12世、ブリュイエールと激突。11世が策略に遭い戦死する。



社会ピラミッド当時のサンダイルでは大まかに分けて4つの層に人々は分類されていた。なによりもアニマの有無、強弱が大きく関わっていたと言える。
一番上にあるのは支配階級であり、ここには王族のほか各地の諸侯貴族など、領土と一定数以上の臣下や市民を持ち政治等を取り仕切る層となる。アニマは強ければ強いほど良いが、非凡クラスでもこの層の血筋に生まれついていればそれだけで支配については問題視されない。元からアニマが強い者が多い家系が多いので自然とアニマが強い子が生まれていく傾向はある。
その下は上級市民層であり、富豪や裕福な商家など市民のなかでも意見力や資産面で秀でている者たち。政治的な意見力こそ持たないが普通の暮らしにおいては王族や貴族と何ら変わりない裕福な暮らしを約束されている。支配層同様にアニマが強い家系が多いのでここの層の者も自然とアニマが強い者が多い。
中間より下に位置するのが下級市民層。上級市民に該当しないその他大勢の一般市民がここに当てはまる。アニマの強さはまちまちであるが大半が中級程度であり、日常生活において苦労することは無いといった程度。ときにはアニマが強い者が生まれることもあり、術士として開花するなどすれば将来が約束される。南大陸の場合ではこの層の人々は鉄製品を使うこともあるので、ツールが使用できなくても特に問題はない。
最下層に位置するのはアニマが弱い、あるいは持たない人々。クヴェルやツールを使用することができず、術に関する道具類は身に着けても効力を発揮しない。この層は東大陸においては特に差別の対象となっており、生活水準や就業において多大なるハンデを背負ってしまう。


メルシュマン

 1200年代。バース候ギュスターヴ8世が手に入れたフィニー島にフィニー王国が建国され100年。もともとハン帝国の所有領であり、皇帝だけが持つことを許されていたフィニー島を獲得したバース候こそがメルシュマン地方を制圧したかのように見えたが歴史は一筋縄ではいかなかった。それどころか多くの諸侯のうち台頭してきたノール、オート、シュッドに足してバースという四つの侯国が争い合う戦乱期に陥ることになる。

 オート候国はバース侯国を最大敵対としていたがフィニー島を巡る争いに敗北したばかりであり、当初のうちはまだ完全に持ち直してはいなかった。他国への侵攻よりも国内の防衛に誠心することになり、海路を使った貿易に政策を向けること10年。ナ国など他の国々と積極的に貿易することの利潤を受けて国力はどうにか回復の兆しを得る。その勢いで軍備を整え、独自の政略を展開するに至っていた。

 ノール候国はフィニーの同盟国となってからはオートとシュッドとは敵対する位置になり、事実上で二大対決の構図となったがバースより軍備の劣っている部分を突かれてオートとシュッドの両国からは度々と侵攻されている。さらに海上封鎖などの政略にも左右され、徐々に国力が衰退。1150年頃よりバース派閥、オート派閥、シュッド派閥の三派に臣下たちが分散してしまい勢力争いにまで発展してしまう。ノール候国はもとより幾つかの国が寄り集まって連合国のような政治を執り行っていたこともあり、こうした内紛は国の維持に顕著に関わってしまった。1200年代に入ってもノール候国のこうした混乱は継続してしまうことになる。

 そしてオートとノールのこの混迷を鷹の目で見ていたのがシュッドである。反バースとしては最大勢力と目されており、さらにメルシュマン南方という立地条件を生かしてもともとの強みであった商売に力を入れ、貿易を拡大。海上封鎖により衰退したノールに代わって海路を膨らませ国力と軍備を順調に整えると1100年代に入る頃にはバースに匹敵する勢力を得るに至る。実際にバースには何度となく侵攻しており、僅かずつではあるが領土を確保すらしている。

ギュスターヴ11世

 ギュスターヴ12世の父でありバース侯国およびフィニー国王の11代目。ギュスターヴの家系では珍しくも温厚で穏やかな性格であり、大変な人格者でもあった。平時であれば有能な王となりえたが戦乱期ではそうもいかず、シュッドとの対立でもなにかと後手に回りがちとなり領土の維持も難しいほどであった。息子の12世が成人しすぐさま猛将となりえる人物になると早々に全権を移譲してしまうことになる。

ノール候ナヴァル

 人格、政治力に優れたノール候ナヴァルはソフィーの父にあたる人物である。ノール候は元来、他の三侯国と比べるとやや国力の点で劣り侵攻されることも多かったが、そうした苦境をナヴァルの力量ひとつで持ちこたえていた部分は大きかった。特に宿敵と言っても過言ではないオート相手には互いの領土にまたがる森林の伐採権利を巡って日夜侵略と抵抗とが発生していたが、こうした大小関わらずの紛争、いさかいの類もナヴァルはうまく平定してきたと言ってもいい。実際に1201年の大森林の攻防など、ナヴァルは軍事的にも猛将とは言えずとも非凡な才能を発揮している。
 ところが1218年のツーラ近郊にて、オート軍からの再三に渡る侵攻を食い止めようと奮戦していたさなかにオート派臣下の離反という裏切りにより一気に戦線が崩れ落ちてしまいナヴァル自身は戦死。享年38歳という早すぎる死はノールにとってはもちろんバースにとっても痛すぎる喪失となった。

ブリュイエールの反乱

 ノール候親族のブリュイエールはシュッド派の家臣であった。ナヴァルの死後、新たなノール候を立てるという会議においてブリュイエールはシュッド血縁でもあるナヴァルの異母兄弟を推薦するが最終的にはソフィーがノール候として決定した。これはノール侯国が多くの諸国の意見を取りまとめての多数決による決定機構を持っていたことも要因としてある。ブリュイエールはこれに不服を唱え反乱を画策するも、素早く察知したギュスターヴ12世により未然に防がれてしまう。

 ブリュイエールは身元を拘束されテルムにて預かりの身となるが、知人の協力を得て隠居中のギュスターヴ12世の父、11世と接触。11世に取り入ることで内部からバースとノールを崩壊させようと企てたがこれも即座に発覚してしまい、にっちもさっちも行かなくなったブリュイエールはギュスターヴ11世を拉致し人質として連れるとテルムより脱走する。これを追い掛けたのがギュスターヴ12世であり、最後にはブリュイエールは12世の手で処刑という形で殺害されるがこの時にギュスターヴ11世も共に死亡してしまうことになる。一説では12世が自らの手で父のギュスターヴ11世を殺害したという話もあるが、真相は定かではない。

ギュスターヴ12世とソフィーの関係

 初陣で挙げた戦果をはじめとして数多くの戦場での手柄を立て続けるギュスターヴ12世は間を置かずして猛将として讃えられるようになる。成人後は政治的な手腕も発揮するようになり、満場一致でノール領平定とバース候継承の双方を成功させた。
 一方でノールではナヴァルを失ってから混乱が相次ぎ、各派閥に分散した臣下の対立もありながらもソフィーがノール候を継承することになる。それでも混乱は続いてしまいブリュイエールの反乱などが発生し安定とは程遠かった。そこでソフィーはバース候ギュスターヴ12世との結婚に踏み切り、12世とフィニー王国の持つ軍事力や政治力を頼りとした。そこにはノール領の平定だけでなく対立するオートやシュッドへの牽制の意味も込められていたが、これは事実上ノールがフィニーの配下となる選択であった。


1220~1239 誕生と追放

 ギュスターヴ13世の生誕。人々に祝福され歓喜のなかで生まれた13世はしかし、7歳で挑戦したファイアブランドの儀式に失敗し一転して追放と迫害を受ける身となってしまう。父であるギュスターヴ12世とテルムの民衆たちから罵倒を浴びせられながら幼い13世はフィニーという生まれ故郷を後にし、ナ国という異国で細々としかし着実に力をつけていく。一方でギュスターヴ12世は側室を得て、改めてメルシュマン地方の統一を仕切り直すのだ。

年代事変内容
1220マニクール平原の戦いノール国境付近にオート候軍が展開。12世が出陣しオート軍を撃破。
『ギュスターヴ誕生』フィニー王国テルムにてギュスターヴ12世とソフィーの間に第一皇子誕生。
1221ケルヴィン誕生ヤーデ伯トマス卿に嫡男が誕生。
1222フィリップ誕生ギュスターヴ12世とソフィーの間に第二子誕生。
1223術士シルマール、テルムへナ国の術士シルマール、ギュスターヴ13世の教育係としてテルム宮廷へ。
1227.2マリー誕生ギュスターヴ12世とソフィーの間に第三子誕生。
1227.313世、ファイアブランドの儀式に失敗ギュスターヴ13世がファイアブランドの儀式に挑戦、失敗する。
『ギュスターヴ追放』13世が儀式に失敗したことで13世とソフィーがフィニー宮殿から追放される。
1227.4『故郷を離れて』シルマール、13世とソフィーを手引き。母子はグリューゲルに亡命する。
ノールの乱12世によるソフィー追放にノール家臣が反発。
1227.1112世、側室を迎える12世、シュッド候弟のベルナッド伯娘、マリアを側室に迎える。
1228ギュスターヴ14世誕生ギュスターヴ12世とマリアの間に第一子が誕生。
1229.7シュッド候弟、フィニー配下にシュッド候弟のベルナッド、フィニー旗下に入る。
モート川領域フィニー王国に編入。
1229.11カンタール誕生オート候アッバースとノール候養女アマーリアとの間に嫡男誕生。
1232『ギュスターヴ12才』13世、グリューゲルで平穏に暮らす。
1233『ギュスターヴと鍛冶屋』13世、ヤーデに移住。鉄製の剣を制作。
1235『ギュスターヴ15才』13世、ケルヴィンと共に盗賊退治。
14世、ファイアブランドの儀式ギュスターヴ14世がファイアブランドの儀式に挑戦、成功。
1236『再会』13世とレスリー、4年ぶりに再会する。
1239『病床の母』ソフィー、ヤーデで病没。39歳。
フィリップがノール候継承フィリップ、ノール候領主を継承する。
アルヌーの乱フィニー軍、ノールへ出兵。旧体制派を一掃。
ノール、フィニー勢力下にフィニーとノール候領反対派、和解成立。



バース、ノール、オートの系図

1

マニクールの戦い

 シュッドに奪われていたノール領土をフィニーが奪還することで事実上ノールを支配下においたフィニー王国。この時点ですでにメルシュマン地方の60%をほぼ制圧しており、ナ国の高名な術士であるシルマールを第一子の教育係にするという名目だけで呼び寄せることができるほどの力を有するようになる。最大勢力にのし上がりかけているバースをオートとシュッドが見過ごすわけもなく、様々な戦略や政略を展開し反フィニーを掲げて奔走する。
 バースとオートは幾度となく激突を繰り返した歴史があるが、マニクール平原での戦いはそれまでの規模を遥かに超えていた。もともとは軍力を蓄えたオートがノール領内に侵攻したことがきっかけであり、この動きに呼応して出兵した12世とフィニー軍がオート候軍と全面激突することになる。実に四度に渡る激しい打ち合いを経てギュスターヴ12世はこれに勝利。この平原での戦いは以後マニクールでの戦いと呼ばれるようになる。

第一子の追放

 ギュスターヴ12世による第一子こと皇太子の追放は東大陸全体を震撼させる大事件であった。術全盛でもあった当時、クヴェルの恩恵をもっとも受けることができるのはアニマが強い者とされておりそのアニマを術として昇華できることこそがエリートたる王家の最低条件であった。王家だけでなく領主や貴族など支配層全般においてアニマは必要最低限の条件であり、もちろん強ければ強いほど人々に敬われ統治や支配においてもメリットとなる。言い換えれば、人格的にいかに下劣であろうとアニマさえ強ければ一定の権力を持ち人々を平伏させることができたのだ。
 しかし、ギュスターヴ13世にはアニマが無かった。微弱などではなくそもそもがゼロという状態の人間はそれまでの誰も聞いたことはなく、もちろん支配者の条件を満たしていないばかりか当時の価値観において言えば生きている価値すら無いと言えたかもしれない。このことに誰よりも落胆したのは父12世本人であったが民衆もまた憤怒と絶望を感じていた。アニマがなければ人ではないとすらまで考えられた時代では皇太子のアニマ不所持は落胆以外の何物でもなかったのである。その矛先は13世とその実母ソフィーにまで向けられてしまったのだ

 ファイアブランドの儀式という公的な場において露呈してしまった今回の失敗は、王家にとっての「失敗作」であるギュスターヴ13世のテルム在住を許さなかった。それは身を落として貧民街に住んでいても時すでに遅しであった。フィニーという国にとって、そしてバース候ユジーヌ家として13世は存在を許されない。暗殺を企てられてもやむなしを懸念したシルマールにより、13世とソフィーは術力やアニマを尺度とした差別の少ない南大陸への亡命で命の危機を逃れようとする。

ギュスターヴ12世の手腕

 12世の宣告によりギュスターヴ13世とその実母ソフィーともども追放されてすぐのこと、同盟国ノールがフィニーに対して反発の姿勢を示す。ソフィーの存在はノールにとってはただの侯爵令嬢というだけではなく、その聖母のような優しさをノール臣下をはじめ国民全員が敬っていたのである。一部の反対を押し切ってでも成立したギュスターヴ12世との婚姻が一方的に破棄されたも同然のこの騒動に対してノールが離反するのは必至といえた。と同時に敵対国であるオートとシュッドがこの混乱に呼応することまで予想されていた。

 ギュスターヴ12世はこの混乱とノールの反発に対して早急に手を打った。まず13世の弟でありソフィーとの第二子でもあるフィリップをノール候継承者に決定。ナヴァルを失い、ついでソフィーをも失ったノールとしては願ってもない侯国の後継者である。これだけではもちろんソフィーの一方的な追放に対する懐柔には弱いと言えたが、少なくとも一時的にはノールの反発や離反を押しとどめる効果はあったといえる。
 次にソフィーの姪アマーリアをナヴァル妃、つまりソフィーの母の養女として迎え入れることにして結果的にソフィーの直接的な縁者を12世本人にとっても近しい位置の親族にさせた。この状態でアマーリアをオート候アッバースと婚姻関係を結ばせることまでを成し遂げる。こうすることで12世は自分の親族をオート候に嫁がせたという形になり、オート候に対しての表面的な敬意を払う図を作ることができたのである。
 残るシュッドにはシュッド候弟のベルナッド伯を利用することにする。ベルナッド伯の領地はその当時モート川領域に広がっておりフィニーから見ればあまりにも至近距離に位置していた厄介な存在でもあったことも理由である。12世はベルナッド伯を懐柔しその娘マリアを側室として迎え入れる算段を取りまとめる。さらにベルナッド伯とは男子誕生の際にはギュスターヴの名を与えベルナッド伯の事実上の孫とするとし、フィニーでの意見を認めるとまで約束。兄シュッド候との関係が微妙であったベルナッド伯もこれには興味を持ちマリアを差し出すのである。フィニーとしても至近にあるベルナッド伯の領地を得たも同然であり、まさに両者の得する関係が構築できたのだ。

 このようにしてノール、オート、シュッドの三侯国に対して懐柔策を駆使し動きを止めた上に自分の側室まで得てしまうギュスターヴ12世の卓越した政治的手腕はなかなか見事なものだったと言えるだろう。

ギュスターヴと鉄

 ナ国グリューゲルに亡命したギュスターヴだが、乱暴者として人々から敬遠されてしまう。これはアニマを持たない本人の行き場がない怒りがその大半だが、その原因となったのはグリューゲルもまたテルム同様に開けた都会であり大っぴらではないまでも術不能者に対してはやや差別的な見方をする者が多かったことも理由としてあっただろう。
 そうした環境所以のギュスターヴの自暴自棄な性格はヤーデに移住し鉄製品というものと出会うとみるみるうちにプラス方向に傾いていく。東大陸ではすでに失われつつあった鉄製品を鋳造する鍛冶屋という職人と技術が南大陸ではまだ数多く健在しており、人々も鉄製品を日常生活で使用していたことはギュスターヴにとっては衝撃的だったに違いない。ギュスターヴは自分の力を試すかのように鍛冶技術を学び、やがて鋼鉄製の剣の製作に取り組んでいく。彼が作ろうとしていた剣はフィニーに存在するファイアブランドというクヴェル剣に匹敵するほどの大きさを持つ鋼鉄剣だったと伝えられている。

ソフィーの病死

 亡命先のナ国にてギュスターヴ13世の母ソフィーは病没という最期を迎える。このことはヤーデやグリューゲル、そしてフィニーを始めとした東大陸の全土にも伝わることになり、ソフィーのどこまでも深い優しさに救われたすべての人々を深い悲しみに追いやってしまった。やがてそれは歴史が大きく動き出すきっかけになってしまったのである。
 ナヴァルから続く家系としてフィリップは正式にノール候を継承し、元来フィニー王家の者がノールを継ぐことに反対していたノール旧体制派は一掃されることになる。フィリップのノール候継承は事実上フィニーがノールを支配どころか併合したも同然であり、これに対する反発はまだ僅かにあるとはいえ大局で見ればメルシュマン地方の統一に向かった動きと言えた。
 一方でソフィーを失ったギュスターヴは決意を新たに南大陸で動き出そうとしていた。いずれは鋼の覇王、鋼鉄の13世などの数多の呼び名をほしいままにするギュスターヴが最初に行動を起こしたのはこの頃であるとされ、ここから始まる戦乱期はギュスターヴ戦争とのちに呼ばれるようになる。ソフィーと死別したことで突き動かされた13世の小さな決意から大きく歴史が動いていくのである。


1240~1255 帰還

 1240年、ついにギュスターヴ13世が歴史の一ページにはっきりと登場するが、それはあまりにも唐突であった。亡命先であったはずの南大陸のナ国ワイドを占領した13世の存在は徐々に大きくなり、やがてはサンダイル全体が注目する者になろうとしていた。契機となるのは父であるギュスターヴ12世の急逝である。義弟14世がフィニー国王として即位し東大陸の統一をも画策しようとするなかで力をつけたギュスターヴは南大陸から故郷に向けて数多の軍を率いた姿で上陸することになるのだ。かつて手のひらから零れ落ちて行ったものを取り戻すべく立ち上がったその姿は、追放され弱々しかった子供のそれではない。覇王とならんとした力強い一歩が東大陸に新たな足跡を残していく。

年代事変内容
1240『ワイド奪取』ギュスターヴ13世、ワイドを奪取。
1241シュッド、フィニー王国支配下にシュッド、衰退。フィニーの支配下となる。
ワイドにて鋼鉄兵組織13世、ワイドで鋼鉄武具を用いた兵士を組織。
1242『ギュスターヴと海賊』13世、ワイドで海賊の銀帆船団と出会う。
1243第四次マニクールの戦いオートとフィニーの戦い。オート候アッバース戦死、フィニーの勝利。
1244テルム調印オート、フィニーからの調印受理。フィニーがメルシュマン地方統一。
1245.4『父の急逝』ギュスターヴ12世、没。
1245.12ギュスターヴ14世が即位ギュスターヴ13世の義弟14世がフィニー国王に即位。
1247.1フィリップ結婚フィリップ、シュッド候ヨハン4世三女クリスティーナと結婚。
1247.11『上陸』13世、東大陸に上陸。
1248.1フィリップ2世誕生フィリップとクリスティーナとの間に第一子誕生。
1248.2『バケットヒルの戦い』13世、鋼鉄兵を率い14世軍を撃破。
1248.414世の処刑ギュスターヴ14世、13世により処刑される。
1248.6『兄弟再会』13世、実弟フィリップと再会。
1249『ハン・ノヴァ建設』13世、古代帝国の地に拠点を建設開始。
1249.5テルムにフィリップ入城ノール候フィリップ、フィニー王家継承。
1249.1013世、ハン・ノヴァへギュスターヴがハン・ノヴァに移動。ギュスターヴ帝国始動。
1250.1マリー、テルム帰国13世の実妹マリー、カンタールと離縁。
1250.7フィリップ、ファイアブランドの儀式フィリップ、ファイアブランドの儀式に挑戦し失敗。
1251ケルヴィンとマリー結婚ケルヴィン、13世の実妹マリーと結婚。
125213世が中原掌握ギュスターヴ、ハン・ノヴァを中心にロードレスランドを掌握する。
1255.1『ファイアブランドの悲劇』フィリップ2世、儀式に挑戦し成功。しかし直後暗殺される。
フィリップ、アニマを暴走させ死去(魔獣化し行方不明)。
1255.9カンタールが居留守役に13世、カンタールをテルム居留守役に任命。



ワイドでの13世

 南大陸のワイドはナ国に属していない独立国家である。ナ国とはもともと多くの連邦国家により成り立っている国家でありワイドもかつてはその一部であったが貿易等の問題によりナ国と対立。現在はナ国に敵対する形で独立国家となっていた国である。
 ナ国スイ王やヤーデ伯トマス卿の庇護を受け領地を得ていたギュスターヴはソフィーの死後、独立を目指して立身しようと決意する。それは自身の力を試したいというギュスターヴの野心が母の死亡をきっかけとし着火、追放され抑圧されていたギュスターヴの本来持っていた実力が一気に爆発したのである。その標的となったのがワイドという独立国家であったのだ。
 自分なりの情報網で策略を巡らしついにワイドを奪取したギュスターヴはここを本拠地として立身。軍備統制の際には鋼鉄の武具を多数用意しこれらを装着し戦える兵士を募集。これには術不能者を中心として多くの立候補者が集うことになり、やがては13世の代名詞ともなる鋼鉄兵が組織されることになるのだ。

メルシュマン地方の統一

 東大陸では着実にメルシュマン地方が統一されようとしていた。ノールはすでにソフィーの死後に後継者となったフィリップによりフィニーと合併したも同然であり、この際にノールの旧体制派は一掃されてもいる。また、シュッドに関してもシュッド候の実弟ベルナッドがフィニーについたことで勢力が半減。ベルナッドからの懐柔もあって改めて1241年にフィニーの支配下となる。
 最後まで残っていたオートはフィニーとの対決を続けていたが、1243年の四度目のマニクールの戦いにおいてアッバースがギュスターヴ12世に討たれることで雌雄は決定。敗北を喫したオートはフィニー王国と1244年に調停を結び、ついにギュスターヴ12世の政治力と軍事力の双方をもってメルシュマン地方は統一されることになる。

ギュスターヴ14世の即位

 1245年、ギュスターヴ12世の逝去に応じてすぐさま後継者をとしたフィニーでは14世が跡継ぎとして即位する。
 その時点で13世は亡命中としていまだナ国におり、次兄ではあったが継承権を持たないフィリップはファイアブランドの儀式もしておらずノール候国を継いだため14世の即位は表面上では至極もっともな流れではあったが、実際には14世の祖父ベルナッドを筆頭としたシュッド派家臣が大きく意見したこともあった。ベルナッドは12世に娘マリアを嫁がせる際に約束を交わしてもおり、そこには男子誕生の際にはフィニーでの意見を認めるといった旨があったことも大きな要因である。当然、12世としては自分の目が黒いうちはといった思惑での約束であったろうが、その12世本人が急逝という形で世を去るのは当然、予測してもいなかったはずであった。
 14世は王という器で考えると無難であり、悪くはない政治力は持っていた。しかし、14世が即位することはひいてはベルナッドを始めとしたシュッド派の勢いが増しフィニーのほとんどがシュッドの思惑で塗り固められる可能性はあった。それを危惧したフィニーの古参は数多く、なかでも反シュッドとして一番大きな勢力だったのがフィリップが統治するノール候国とその臣下たちだった。

ギュスターヴ13世の帰還

 ギュスターヴ13世はフィニーから追放されたとはいえユジーヌ家から抹消されたわけではなかった。つまり正式に12世は息子13世の嫡男位置を放棄してはおらず、追放という形式だけで13世のその後については頓着していなかった。実際に亡命先が判明してもとりたてて行動に起こさなかったのがその証拠である。それは12世がメルシュマン地方統一のためのオートやシュッド相手との政略に感けていたからという見方もあるが、心底においては術全盛という時代のせいでアニマを持たないが理由に血を分けた息子を追放するのが心苦しかったための保護措置だったという解釈もできる。

 ギュスターヴ12世の真意はどうあれ、父12世の死後のギュスターヴは王位継承権の最上位に位置したままその効力を活用することになる。それには鋼鉄というアニマに代わる力を得たという可能性への挑戦もあるが、ギュスターヴ臣下のシルマールやネーベルスタンといった歴々がまだ若いギュスターヴに対し口添えしたというのも大きな理由としてある。また、ワイド上層部に働きかけた反シュッド派の動向も見え隠れしており、さらにはナ国の極右勢力の思惑も交錯していた。13世の出兵とそれによるフィニー国王の継承権をかけた戦いは起こるべくして起きた戦役と言えるかもしれない。

マリーの悲劇

 ギュスターヴが東大陸に上陸する少し前、13世の実妹であるマリーはカンタールと婚姻関係を結んでいた。これには12世のメルシュマン地方統一の画策が大きく関わっており、オートの領土半分と引き換えにマリーはカンタールと結婚するというまさに政略結婚そのままであった。バースを憎むカンタールの妻であれば当然ながら幸せな家庭生活といったものは存在せず、カンタールは終始マリーを遠ざけて部屋ばかり豪華な牢屋に閉じ込めてしまっていた。その疎遠ぶりは12世の急逝でますます拍車がかかることとなり、実の父の亡き目にも会えずマリーは苦悩し悲しむ生活を続けることになる。

 しかし、そこにギュスターヴ13世が上陸し14世軍を破って正式にフィニー王家の継承者となると話は変わってくる。マリーが13世の実妹であることを利用しようと画策したカンタールはさっそく13世との交渉にマリーを引き合いに出して話を進めようとする。この時になってもカンタールにとってマリーはただの道具に過ぎず、もちろんそこには夫婦愛に類したものは見当たらなかった。
 13世はマリーの境遇については日々憂いを置いており、フィニー統治者となって一通りの落ち着きを取り戻した頃合いに臣下のムートンに相談しマリーをカンタールの元から連れ戻す作戦を練る。ムートンはギュスターヴ政権の政治を一手に取り仕切っていたやり手の行政官であり政治家でもあり、すぐさま手を打ってオートとフィニーの関係を保持したままマリーを帰国させることを成功させる。その後のマリーはケルヴィンの求婚を受けて正式にヤーデ伯ケルヴィンと婚姻関係を結び、カンタールの元では得られなかった幸せな夫婦生活を手に入れることになる。

ギュスターヴの血縁系図

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1256~1269 鋼の13世

 メルシュマン地方を統一した後はハン・ノヴァで東大陸全土を掌握しようと着々と準備を進めるギュスターヴはまさに脂がのっており、順風満帆な覇道を突き進むかと思われた。しかし多くの悲劇や事件が彼に襲い掛かる。ゆくゆくはフィニー王家を継承していく血筋として期待していた弟フィリップとその嫡男フィリップ2世がファイアブランドの儀式において双方とも死亡してしまう悲劇。未来の展望に不安を感じたかのようにギュスターヴはアニマ教団という非合法カルト的な集団を虐殺するなどしたあと、改めて南方遠征を強く決意する。南方に向けて軍備を整え、着実に進軍を開始するギュスターヴ13世はしかし、このあと自分の身に予想外の事件が起きるとは知る術もなかった。

年代事変内容
1256.3『アニマ教の噂』ギュスターヴ、アニマ教団を壊滅。
南方遠征を宣言ギュスターヴ、南方遠征を宣言する。
1256.6第一次南方遠征ギュスターヴ、南方に向けて軍勢を動かす。
1257.2夜の街を掌握グラン・タイユ北部、夜の街掌握。
1257.9グラン・タイユ北部掌握グラン・タイユ北部一帯を掌握。
1259.11第二次南方遠征ギュスターヴ、二回目の南方遠征。
第一次グラン・ヴァレ攻防戦ギュスターヴ、石橋確保を巡りラウプホルツと交戦。
1260.3南方同盟の締結ラウプホルツ近郊諸侯が反ギュスターヴ同盟締結
1260.4グラン・ヴァレ以北の支配確立ギュスターヴ、グラン・ヴァレを境に北側を支配圏とする。
1260.9『暗殺者ヨハン』ヨハン、ギュスターヴの護衛者となる。
1262第三次南方遠征ギュスターヴ、三回目の南方遠征。
1263.1第二次グラン・ヴァレ攻防戦ギュスターヴ、グラン・ヴァレ掌握。
1263.4フィリップ3世のファイアブランドの儀式フィリップ3世、内々でファイアブランドの儀式に成功する。
1264.4『将軍の思い出』ネーベルスタン没。
1264.11第四次南方遠征ギュスターヴ、四回目の南方遠征。
ムートンが遠征に反対し更迭される。
1265.9エドムンド誕生ラウプホルツ公の皇子、エドムンド誕生。
1265.10ラウプホルツへ侵攻ギュスターヴ、グラン・ヴァレを越えてラウプホルツへ侵攻開始。
アドラー川の戦いギュスターヴ軍とラウプホルツ軍、アドラー川で激突。
1266.1ギュスターヴ軍撤退ギュスターヴ軍、補給路確保できず撤退。
1266.2第三次グラン・ヴァレ攻防戦ギュスターヴ軍とラウプホルツ連合。グラン・ヴァレ奪回される。
1266.3ムートン没ムートン没。ギュスターヴ軍は後方支援を失う。
1268第五次南方遠征ギュスターヴ、五回目の南方遠征。
1269.5『南の砦で』メルツィヒ砦にてギュスターヴ没。



ギュスターヴ勢力組織図

ギュスターヴ勢力組織図

アニマ教団とフィリップ暗殺

 フィニー王家の後継者となるはずだったフィリップとその嫡男フィリップ2世であったが、そのためのファイアブランドの儀式の場においてフィリップ2世は何者かに暗殺されてしまう。居合わせたフィリップは激情に駆られてファイアブランドにアニマを込めてしまい暴走、魔獣と化してしまい人間社会から立ち去ってしまう。サンダイルではアニマが暴走した末に魔獣と化した場合、事実上の死亡と見なしている。
 この両者の死亡はギュスターヴにとって大きな喪失と痛手であった。自身の血筋をフィニー、いうなればメルシュマン地方全土の守り盾とできたからこそ何の憂いもなくロードレスランドに拠点を置き南方に遠征できるという目算があった矢先である。
 この暗殺の真相については様々な憶測が憶測を呼び続けた。ギュスターヴ14世が処刑されたのちに失脚の憂き目に遭ったシュッド派の何者か、フィリップの統治していたノール諸侯の画策、あるいは歴史上で根強くバースとフィニーに恨みを募らせて続けているオート候の陰謀。なかにはギュスターヴ13世自身の手ではないかという噂まで持ち上がるほどであった。

 真相はどうあれ、ギュスターヴはこの事件の一切を当時もっとも信者が多かったアニマ教団とその教徒たちが首謀者だとして自ら剣を手に取り団員が拠点としているハンの廃墟を襲撃する。これによりアニマ教団は壊滅することになるが、そもそもアニマ教団という一般市民寄せ集めのカルト教団に国の重要人物を暗殺できるほどの組織力や策略があったのかは謎であり、一部にはギュスターヴの暴走だという見解もされている。それが事実かどうか、以降のギュスターヴはまるでアニマを拠り所とする人々を一掃あるいは撤廃するかのような強気な政策を打ち出し続けており、彼の覇道はそれまでの緩やかなものから一気に速度を上げアニマを頼る人々に対して特に厳しいものになっていくのだ。
 アニマやそれに関わる者とギュスターヴは常に対立する構図だったが、このフィリップ2世暗殺という事件がまさに契機となったと考えると暗殺はギュスターヴ自身の自作自演だという見方もできなくはない。

ギュスターヴによる南方遠征

 実に五度に渡るギュスターヴによる南方遠征だが、序盤のうちこそは上手くいっていた遠征およびラウプホルツとの戦いも後期においては後ろ盾の少なさから徐々に勢いを失ってしまうことになる。
 もともとギュスターヴはメルシュマンとロードレスランドだけで覇道を停滞させるつもりはなく、グラン・ヴァレ以南のグラン・タイユやヴァイスラントをもその版図としようと計画していた。ハン・ノヴァ建設直後ではその動きも比較的緩やかだったがフィリップとその息子フィリップ2世の相次ぐ逝去によりギュスターヴの内心に怒り冷めやらぬところがあるなどし、アニマ教団を壊滅させたあとはまさに一気呵成とばかりに勢いを増したまま南方遠征に突入していくのである。

 進軍は順調に進み三度目の遠征においてついにグラン・ヴァレの石橋を確保することに成功したギュスターヴ。あとはラウプホルツを落とせば東大陸南部においてはヴァイスラントだけになる。ヴァイスラントは国家ですらなく村落同然の地域であるのならば、ラウプホルツが最後の砦として戦う相手となると見越しての段階的な長期遠征であった。
 しかし四度目の遠征直前のこと。それまではギュスターヴの片腕として勇猛を振るっていたネーベルスタン将軍を失ったギュスターヴ軍はそれだけでやや勢いを欠いていたが、そこに足してギュスターヴは内務大臣ムートンの遠征猛反対に遭う。ネーベルスタンは病の身ながら第三次南方遠征で成果を上げグラン・ヴァレを奪い取った。その石橋をラインとして、これ以上戦線を拡大することはないというムートンの強い意見をギュスターヴはついに聞き入れることはなく、ムートン更迭からの隠居生活を命じ第四次南方遠征を決行してしまう。
 結果としてムートンという強力な補給路管理と確保者を失ったギュスターヴ軍はそれだけで不安定と化し、ネーベルスタンも居ない状態ではそれまで通りの戦果も挙げられないまま失敗に終わってしまう。しまいにはラウプホルツ近郊の諸国が連合となった軍隊の攻撃もあり、一度は奪ったグラン・ヴァレを奪回されてしまうのである。

ギュスターヴ13世の死亡

 四度目の南方遠征は失敗として幕を閉じたが、ギュスターヴは諦めたわけではなかった。奪い返されたグラン・ヴァレを再び奪い取るという目標を掲げて五度目の南方遠征を計画することになる。更迭し隠居していたムートンもネーベルスタンの後を追うように鬼籍に入り、新たな顔ぶれとしてヴァンアーブルやダイク、ヨハンといったギュスターヴ13世の護衛者や臣下が増えている頃合いである。

 第五次南方遠征に先駆けてギュスターヴはメルツィヒ砦というすでに領土としている地域の砦を足がかりとして駐屯した。本隊はグラン・ヴァレを奪回するためにラウプホルツに向けて移動を開始しており、ギュスターヴ自身はメルツィヒ砦で後方から追い掛けていたダイク率いる部隊と合流したのちに本隊に追随する予定であった。しかし、ダイクたちの軍隊が何者かの策略で足止めを喰らうのと時を同じくして付近のモンスターが活発化しダイクたちだけでなくメルツィヒ砦にも襲い掛かる。自身の勢力下という油断もあって砦内には僅かな守備兵しか居なかったのもモンスターへの対応の遅れに繋がった。
 やがて戦いのなかで炎上しはじめた砦にはギュスターヴとその親友フリン、そして護衛者であるヨハンの三人が残されてしまう。そして夜が明け、ダイクが焼け跡と化した砦に入るとそこにはもう生きている者の姿はなく、たったひとつギュスターヴが生涯持ち続けていた鋼鉄の剣だけが残されていたという。

 遺体こそは見つかっていないが実質的にギュスターヴ13世は戦死したことになり、この報は東大陸全土に瞬く間に広がった。ダイクが進軍の足止めを喰らったのは近隣の村がモンスターに襲われているという偽の情報によるものであり、遠回りな暗殺という見解はじゅうぶんに成立して見えた。であればその策略の主が誰であるかだが、交戦中のラウプホルツ側の差し金か、直前に更迭させられたムートンの支持者か、オート候の関係者かとギュスターヴの敵となりうる人物はあまりにも多数に及んでいた。
 しかし、こうした政治的な敵対勢力や内部不穏の結果というのは当時の政治背景からすると考えにくいため、大半の意見としてはその前にギュスターヴ自らに壊滅させられたアニマ教団の仕業というところに落ち着いていたといえる。推測や噂はどうあれ、その真相が判明することは後にも先にもなかった。


1269~1287 天馬と獅子

 鋼の13世の早すぎる戦死。後継者の決まらぬままのこの覇王の訃報が東大陸全域に伝わると、諸侯たちは混乱の渦中に飲み込まれてしまう。ギュスターヴの盟友であり生涯を通じて右腕として位置し続けたケルヴィンは実質的なギュスターヴの遺志を継ぐものとなるが、対するのは満を持して反旗をひるがえしたオート候カンタール。ケルヴィンらヤーデの一派をナ国不穏分子と見なして激突してくる。北の獅子オートと南の天馬ヤーデの戦いが始まる。

年代事変内容
1269.6『ギュスターヴの後継者』各諸侯がハン・ノヴァに集合。円卓会議を開く。
1269.11カンタールの反乱カンタール、諸侯連合に反旗を翻し反乱を起こす。
1270カンタールのメルシュマン制覇カンタール、メルシュマン地方の人心を掴み掌握。
1271.3カンタール軍南に移動カンタール、軍を率いてハン・ノヴァへ進軍開始。
『ハン・ノヴァ炎上』ケルヴィン、ハン・ノヴァ離反。都は炎の海に落ちる。
1271.9ヤーデ伯撤退ケルヴィン、南大陸へ撤退。
1272カンタールの中原制覇ヤーデ伯不在において各諸侯、カンタールの旗下へ
1273ヤーデ、ミドルアイランド島に砦確保ケルヴィン、ミドルアイランドを拠点とする。
カンタールのグラン・タイユ制覇カンタール、懐柔政策でグラン・ヴァレ以北を掌握。
1275.7ミドルアイランド集結ケルヴィン、ヤーデ先行上陸部隊を集結させる。
1275.8カンタール軍が中原西海岸に展開カンタール、ヤーデ集結を聞き西海岸に軍を展開。
1275.12カンタール海軍南下カンタール、バースに停泊していたカンタール海軍を南下させる。
1276.1ウエスト海戦ケルヴィン旗下別動隊、カンタール海軍を足止め。
1276.2ユノー海岸上陸作戦ヤーデとオートの戦いでヤーデ優勢となり、ケルヴィンが再上陸。
1276.4ケルヴィンの懐柔政策ロードレスランド定住領主、ギュスターヴ傘下になる。
ヤーデ部隊の中原捜査ヤーデ先行上陸部隊、ロードレスランドの状況を調査。
1277.4第二次バケットヒルの戦いヤーデとオートの激突。ヤーデ軍優勢として戦いは終結。
ザール峠の敗北チャールズとオートの激突。単独行動の末にチャールズ敗北。
1277.5ヤーデ軍ユノー海岸まで撤退ケルヴィン、海岸まで撤退し軍備を立て直す。
1278.2ヤーデ軍アナス川まで再進軍ケルヴィン、アナス川まで軍隊を進める。
1278.4ラウプホルツが石橋集結ラウプホルツ、カンタールの画策により軍隊を動かす。
1278.6ヨゼフ3世の急逝ラウプホルツ公ヨゼフ3世、急逝。ラウプホルツ軍はグラン・ヴァレが動かず。
1280.6ヤーデ軍の再上陸ヤーデ軍、ユノー海岸から再上陸。カンタールの抵抗は無し。
1280.10カンタール軍ハンの廃墟集結カンタール、ヤーデ軍を迎え撃つために軍を集結する。
1280.11アナス川の戦いヤーデとオートの対峙。睨み合いに終わる。
トマス卿死去ケルヴィンとヤーデ軍、一時撤退。喪に伏す。
1281.10ケルヴィン帰還ケルヴィン、ヤーデ伯授受のためナ国に帰還。
オート軍進軍カンタール、ケルヴィン不在を突いてザントフールトまで進軍。
1282.1ザントフールト籠城戦チャールズ、ザントフールトで籠城。6ヶ月を耐える。
1282.2ノール候領反乱ノール反乱にフィリップ3世懐柔、包囲戦終結。
1282.7ヤーデ軍、ミドルアイランドまで撤退ヤーデ軍、消耗が大きくロードレスランドから撤退。
1282.8ノール反乱終結ヤーデ軍撤退によりノール鎮静化、再度オートの傘下に。
1282.11チャールズの伯位継承権剥奪包囲戦の責により、チャールズの伯位継承権が剥奪される。
1283カンタール病床チャールズ、汚名返上のために出撃。
1284チャールズの東大陸上陸チャールズ、東大陸に上陸。
1285.6チャールズ快進撃チャールズ、カンタール撃破の快進撃を果たす。
1285.9ザール峠の戦いチャールズとカンタールの激突。チャールズ劣勢で戦いは終わる。
1286.2ケルヴィン、ザール峠へ移動ケルヴィン、チャールズ救援のためザール峠に移動。
ヤーデ軍、ミドルアイランドまで撤退ヤーデ軍、チャールズ救援後ミドルアイランドまで撤退。
1287『カンタールの死』カンタール病没。


ロードレスランドの諸勢力

ロードレスランドの諸勢力

ハン・ノヴァ円卓会議

 ギュスターヴ亡き後、その後継者問題は諸侯にとって早急に解決せねばならない事項であった。生前から婚姻関係を一切結ばない主義を貫いてしまったギュスターヴの態度はもともと各地から懸念の声が上がっていたことだったが、ここに来て大至急の対応を迫られてしまったという形である。

 当初はフィリップがその血筋を継承していく予定であったがファイアブランドの悲劇によりフィリップとその嫡男フィリップ2世が相次いで死去したことで望みは絶たれてしまった。となれば、ギュスターヴの妹マリーの血筋であるチャールズが一番近しいと思われたが、チャールズにはヤーデ伯を継承するという義務がある。このことについてはチャールズとケルヴィンの間に幾度か意見の相違もあったが、血筋で考えれば嫡男が父の地位を継ぐのが通例である。
 残るのはチャールズの弟フィリップ3世であり、公表はされなかったがフィリップ3世は内々にファイアブランドの儀式も成功している。これに立ち会ったのはギュスターヴのほか父ケルヴィン、その他カンタールを加えた諸侯たちも含まれており、この事を知らない世間の見解としても血筋の点だけで考えればフィリップ3世こそがギュスターヴの後継者であるとして決着していた。しかし、そうはいかないのが歴史である。

 ケルヴィンを始めとしたチャールズやフィリップ3世は等しくヤーデの血筋も持っており、ヤーデといえばナ国がその大元である。そもそもケルヴィンの立場はギュスターヴ存命中からあくまでもオブザーバー、政治的な直接介入ができる立場ではなくギュスターヴ陣営においてはただの客人に近い位置でしかなかった。かねてよりの親友という意味もありギュスターヴ本人から持ち上げられていたに過ぎず、そのギュスターヴが居なくなった今、ケルヴィンの立場は非常に不安定になってしまったのである。
 このままフィリップ3世をギュスターヴの後継者にするという意見をケルヴィン自らが発してしまうとそれはナ国家臣としての発言と見なされ、ナ国の内政干渉という重大な謀反になりかねない。このことが明白になればナ国からヤーデは切り捨てられてしまい孤立する危険性があった。

 この件を解決するべく、まずは諸侯の支援と意見を求めるためにケルヴィンはハン・ノヴァで会議を開催することを決定する。そしてその席で改めて後継者に関しての議題を持ち上げ、諸侯からの意見にのっとって後継者を決めた、という体裁でフィリップ3世に決定しようと考えたのである。とはいえこの会議において諸侯の意見はさして重要ではなかった。ケルヴィンが一番その意見と同意を求めていたのはギュスターヴが居なくなり東大陸においてはついに最大勢力となったカンタールであったのだ。
 ところがカンタールはテルム居留守役をギュスターヴに命じられた当時のまま不動の姿勢を取る。ケルヴィンはカンタールにとっては格上の存在ではなく、さらに言えばナ国の臣下である以上は東大陸での意見が許されないとまで誇示。フィリップ3世のファイアブランドの儀式に同席していたことは非公表であったことを利用して黙秘を通し、あくまでもケルヴィンを不穏分子と見なして反発の姿勢に移行する。

カンタールのメルシュマン地方統一とハン・ノヴァ炎上

 東大陸の覇権はカンタールとケルヴィンの一騎打ちの様相を呈していたが、劣勢がどちらにあるかは火を見るよりも明らかであった。
 カンタールは侵略などの力尽くではなくあくまでも懐柔と合意を得ながら時間をかけてゆっくりとメルシュマン地方を統一して行った。そこにはあらゆる根回しや説得といったカンタールお得意の政治的取引が多々あったという。その間、カンタールはずっとテルム居留守役を名乗っており、あくまでも亡きギュスターヴの臣下という位置は崩さずに主君の戦死に代わって自分こそが覇道を受け継ぐという立場を取った。オート候の名こそ保持していたが、こうした姿勢によってカンタールは各地の領主の賛同を得つつついにはメルシュマン地方の覇権を手に入れる。時間をかけただけあってその強さは盤石と言えた。

 一方でケルヴィンはこうしたカンタールの政策のほとんどに対し後手に回りがちとなり、気がついた時にはほとんどの諸侯がケルヴィンやハン・ノヴァから離反しており孤軍奮闘に等しい有様であった。そんな折にメルシュマン地方を統一したカンタールが挙兵しケルヴィンの居るハン・ノヴァ目指して南下してくるが戦力的にケルヴィンに取れる選択は撤退しかなかった。
 こうしてハン・ノヴァを見捨てる形でケルヴィンらヤーデの一族はナ国ヤーデまで撤退することになるが、この行動は以後多くの諸侯や臣下から怪訝の視線で睨まれることとなってしまう。後年になってハン・ノヴァからヤーデ一族が撤退する際フィリップ3世の前にかつてファイアブランドにアニマを喰われて魔獣化したフィリップと同じ影が現れたというまことしやかな噂が立つことになるが、こうした噂も人々がケルヴィンとヤーデ一族に対して不信感を募らせた結果という考え方もできる。

カンタールとケルヴィン

 ケルヴィンはハン・ノヴァから撤退後も決してロードレスランドとハン・ノヴァを諦めたわけではなかった。再度軍備を立て直し、幾度となくカンタールに対して挙兵し激突を繰り返す。その時節は実に20年間に渡り、ケルヴィンはナ国に撤退しながらも何度も東大陸に上陸を図りながらカンタールと戦い抜いた。それを迎え撃つカンタールも病床に伏せることが増えながらも全力で兵を固めて抗戦を続けることになる。
 両軍のもっとも大きな戦いは第二次バケットヒルの戦いである。かつて1248年にもギュスターヴ13世が亡命後はじめて踏んだ故郷の地で14世軍と繰り広げたのもバケットヒルの戦いだったが、カンタールとケルヴィンの激突となった1277年のバケットヒルの戦いはその時の戦いの比ではない規模で展開したまさに全軍激突の総力戦であった。しかし雌雄は決することなく引き分けとなり双方が撤退。以後のカンタールとケルヴィンはカンタールが病没する時まで硬直状態のまま続くのである。

ラウプホルツの動向

 ラウプホルツはそれまでの時期で北部を領土にしようと動いたことはなかったが、ギュスターヴ13世による南方遠征で相当の被害を被りながらもグラン・ヴァレを死守することに成功していた。一度は疲弊した国力もようやく回復し、ラウプホルツ公ヨゼフ3世はギュスターヴによる進軍に反撃しようとするかのように北進を虎視眈々と狙い続けていたのをついに決行に移す。これにはケルヴィンを追い詰めようとしたカンタールも一枚噛んでおり、背後から奇襲されるような状況になれば完膚なきまでにケルヴィンらヤーデ一族を叩き潰せると考えての策略であった。
 しかしラウプホルツ軍は不動のままに終わる。グラン・ヴァレに軍備を集結させたその矢先にラウプホルツ公ヨゼフ3世が急逝しこの世を去ってしまうのだ。ヨゼフ3世が長年追い求めたロードレスランドの支配はついに成されることはなく、ラウプホルツはエドムンドというやや軽率で王者たる器を持たない後継者を拝することになってしまう。

カンタールの病

 カンタールは自他共に認める策略家であり、当時のサンダイルでは随一の政治力と謀略の類を得意としていた男であった。手回しやハッタリも数多かったためかカンタールが病であるという噂は本人の策略ですぐに消えてしまい、実際に病であったのかどうかはごく近しい人間以外は臣下でも知らないままで時は流れる。
 この頃のカンタールの打ち出した策略とそれによる戦いでもっとも見事だったのはザントフールト籠城戦である。ヤーデ伯の授受によりケルヴィンが一時的にロードレスランドから離れた隙を突いて進撃したカンタールは、留守を任されていたチャールズの血気盛んな性格を利用して単独にさせると各個撃破の作戦に切り替えてあっさりとザントフールトにチャールズを孤立させて包囲することに成功したのである。チャールズはのちに救援されるが、この事が要因で一時的にヤーデ伯の継承権を失うほどの罪を負ってしまっている。

 このように一見するとカンタールはまだまだやり手の人物のように思われる部分もあったが、実際のところカンタールは病に罹っておりケルヴィンとの戦いでも戦線に立つ回数はめっきり減っていった。1284年に改めてカンタールが病気であるという噂が真実として人々の間に流れることとなるが、それを聞きつけて一気に崩そうと兵を起こしたチャールズを迎え撃つように馬上に身を預けつつもカンタールは戦場に立っている。しかしその1年後、ついにカンタールは床から動けないまま病に身を呑み込まれる結果となるのである。


1288~1305 和平

 ギュスターヴに代わり東大陸の覇権を取ろうとしたカンタールは病に没し、同じくギュスターヴの遺志を継いだケルヴィンもロードレスランドを統一できぬままこの世を去る。ギュスターヴ亡き後の両雄が死後、1300年代を迎えようとしていたサンダイルでは新たな覇道を目指すチャールズやエドムンドなど新しい勢力が各地で動こうとするなか、ギュスターヴの後継者を名乗る者たちが次々と登場する。それはやがて訪れる平和という新たな世界の序章であった。

年代事変内容
1288.3オートの後継者争いカンタールの子供たち、継承権を巡って争う。
1288.7ケルヴィンのハン・ノヴァ入城ケルヴィン、ハン・ノヴァに戻る。
1288.9諸侯盟約調印ケルヴィン、ハン・ノヴァにて各諸侯と盟約を調印し覇権を取る。
1289.9エドムンドの介入ラウプホルツ公エドムンド、後継者争いに介入。ヌヴィエムの策略。
1289.10ナ国ショウ王の召喚ショウ王、ケルヴィンを召喚。ヌヴィエムの策略。
1289.11チャールズがナ国にチャールズ、ケルヴィン代理としてナ国に帰還。
1290.1ラウプホルツ軍が石橋を渡る盟約諸侯の意見がまとまらないまま、ラウプホルツ軍がグラン・ヴァレを越える。
1290.3ラウプホルツ軍が樹海まで進軍ラウプホルツ軍、樹海までを支配下にする。
1290.4『ケルヴィン最後の戦い』ケルヴィン、ソールズベリでラウプホルツ軍エドムンドと激突しこれを撃破。
1290.8ケルヴィン倒れるケルヴィン、心労と疲弊が重なり政務中に倒れる。
盟約の崩壊各諸侯、ケルヴィン傾倒により分裂しはじめる。
混乱期へメルシュマン、後継者争い続行。盟約崩壊により各地で反乱も勃発。
1291ヤーデの衰退ヤーデ、ハン・ノヴァに駐留するが勢力が衰退。
1292.5ケルヴィン没心労が祟り、ケルヴィン没。
1292.9チャールズがナ国へチャールズ、ヤーデ伯継承のためナ国へ。
1293チャールズが反乱討伐を開始チャールズ、ハン・ノヴァに帰還後各地の反乱を討伐しはじめる。
1295ギュスターヴの反乱続出各地でギュスターヴの後継者を名乗る者が続出する。
1297ラウプホルツと和解デーヴィド、特使となりラウプホルツと和解。
1299チャールズの増税政策チャールズ、兵糧をはじめとした出資を高める。
1300『偽ギュスターヴ誕生』偽ギュスターヴのなかでもっとも有名な人物が登場する。
1301『エーデルリッター』偽ギュスターヴ、直属の部下としてサルゴンを登用。
1302ギュスターヴ軍を騙る者たち蜂起ギュスターヴを騙る勢力、ハンの廃墟で蜂起。
(偽ギュスターヴとは異なる一派)
1303ショウ王没、和平会議の始動ショウ王、没。和平会議が開始される。
1303.12第一回和平会議一回目の和平会議開催。
1304.9ナーブルの反乱チャールズ、ナーブルで発生した反乱平定のため出陣。
1304.10元老院に出資請求チャールズ、肥大化したハン・ノヴァ元老院に圧力をかける。
1304.12偽ギュスターヴ、ハン・ノヴァ入城ハン・ノヴァ元老院が出資請求を拒否。偽ギュスターヴと結託しようとする。
1305.1『ハン・ノヴァの戦い』偽ギュスターヴとチャールズが激突。チャールズ戦死。
『和平会議』ナ国での和平会議続行。
第六回和平会議六回目の和平会議開催。
『サウスマウンドトップの戦い』ヤーデ伯デーヴィド率いる連合軍と偽ギュスターヴの激突。連合軍の勝利。
ハン・ノヴァ条約世界で最初の平和条約締結。


諸侯の盟約調印

 カンタールの死後、ほとんど時を置かずしてカンタールの親族たちによる後継者争いがメルシュマンで巻き起こることになる。これは多くの女性と関係を持ち20人以上の子供のすべてを認知したカンタールの失策の結果といえる事態であったが、一部の噂ではケルヴィンがこの後継者争いを焚き付けたという話もある。真相はどうあれ、メルシュマンが一時的に動乱状態に陥ったことはケルヴィンにとっては有利な状況になったといえただろう。
 このチャンスを生かしてケルヴィンらヤーデはカンタールの死後すぐさまハン・ノヴァに入城し、以降はハン・ノヴァを建て直しながら勢力の回復に努めることになる。そしてカンタールの親族を含めたメルシュマン各地、ロードレスランド、グラン・タイユ北部のすべての諸侯を集めて盟約を作り調印したのである。これにより東大陸のほとんどすべてがヤーデ伯ケルヴィンの政権支配下となったのである。

ケルヴィンの心労

 盟約が調印されハン・ノヴァにて政治を取り仕切る立場になったケルヴィンであったが、基本的に自治権を尊重し直轄政治を執り行うことはなかった。炎上したハン・ノヴァを再建した民衆たち主体のコミュニティによる自治を支援し、その他にも元老院やハン・ノヴァ炎上後にも残っていた臣下や諸侯たちを尊重し自分を控えとしての、ギュスターヴと比較すると弱気とも見える政策に傾倒していた。それというのも一度はハン・ノヴァを見捨てた君主であるという負い目がケルヴィンという穏健な性格の人物に歯止めをかけてしまった結果と言えるかもしれない。

 しかし、こうした政策は盟約に調印した諸侯からすれば眉をひそめるものだった。調印されたばかりの盟約は早くも揺らぎを見せ始めたその矢先、ラウプホルツが動きを見せ始める。ヨゼフ4世の後継者となったエドムンドがグラン・ヴァレを越え、さらにグラン・タイユ南部にまで迫って侵攻してきたのである。ケルヴィンは盟約に調印した連合軍をただちに組織してラウプホルツ軍と激突するがその直後、心労が積み重なったせいで政務の途中で倒れてしまう。
 このことが知れ渡ると盟約に調印した諸侯たちはそもそもが揺らいでいたこともあり分散の姿勢を取ってしまうが、床から動けなくなったケルヴィンに彼らを再び集めるだけの求心力は無かった。無念を抱いたままケルヴィンはその2年後、親友ギュスターヴ13世の元に旅立ってしまうのである。

ヤーデ伯の立場

 ヤーデという国はあくまでも南大陸、ナ国に属する小国である。かつてのワイドのような自治を許されている国ではなく、ヤーデ伯という地位についてもナ国で制定された一介の伯爵に過ぎない。しかしそのヤーデ伯であるケルヴィンはギュスターヴ13世という東大陸の覇権を握った人物の協力者として親友として組し続けてきた。
 このことが原因でパワーバランスが大きく変化しており、ヤーデ伯という肩書のままケルヴィンは東大陸に領土を持ってしまっているので自国南大陸のヤーデの領土とは別に東大陸にも領土を有しているという、領土だけでいえば南・東の両方にまたがった広大な力を保有してしまったのである。

 これについてはケルヴィンだけでなくその前の代であるトマス卿も懸念していたことであり、ケルヴィンが没してついに不満を抱き続けていたナ国本土が盟約から離脱するという形で反発を露にした。これはケルヴィンの後継者であるチャールズの、ゆくゆくはナ国をくだして南大陸の覇権も取らんとする野心溢れる性格も災いしてのことであった。

偽ギュスターヴとハン・ノヴァ

 ケルヴィン没後、チャールズがヤーデの後継者としてハン・ノヴァを中心に政治を取り仕切るようになる。チャールズはケルヴィンと異なり武力をもって圧を敷くことが多く、もともとヤーデの政策に反発的だった元老院はチャールズが支配者となったのちはさらに反発を強めて対立してしまうことになる。しかしチャールズ以下駐留しているヤーデ軍はそうした意見も力で押さえつけてしまい、実際にギュスターヴを騙る者たちの反乱鎮圧のために増強された軍備はこの脅しに最大限の効果を発揮していた。
 こうした状況下で現れた偽ギュスターヴに元老院はこぞって興味を寄せ、ハン・ノヴァに迎え入れてしまう。一見すると普通の人間であるが不思議なカリスマ性を湛えたこの青年には元老院だけでなく民衆も惹かれるようにして偽ギュスターヴを支持する形になる。チャールズはこの事態を重く見てヤーデ軍を起こすが、その戦いはヤーデが敗北しただけではなくチャールズの戦死という形で幕を閉じてしまうのである。

和平会議

 チャールズが戦死する少し前、ヤーデの権力は絶大であった。最大の敵カンタールをくだし、ケルヴィン没後はギュスターヴ13世の遺志を継ぐという名目はほとんど失われチャールズによる覇権が各地に伸びていくことになった。元老院すら意見のできないチャールズを食い止める者はおらず、各地に意見できるだけの軍事力も持っていた。ラウプホルツ軍も食い止められた今、ヤーデはあらゆる意味で世界の中心になりつつあった。
 和平会議はナ国ショウ王の死後に開催されたが、当初のうちはこうしたヤーデに対する非難と権限の巨大さを指摘するばかりに留まってしまう。和平会議という名前ではあるがその実、力を持ち過ぎたヤーデに各諸侯が牽制をかけるだけの構図ですらあった。あるいはヤーデの権限を制限する、もしくは一部を剥奪するかという話はひたすらに平行線になるばかりであった。
 しかし六回目の和平会議で事態は急変する。チャールズが偽ギュスターヴに討たれ戦死したという報が入った途端、各諸侯は混乱を極め会議の存続も危うくなる。しかし、そこで凛と響く声があった。ヤーデでは唯一政治の場に残っていたチャールズの嫡男、デーヴィドの冷静な宣言が会議場に鳴り渡る。そこにはヤーデの持つほぼすべての権利、すなわちメルシュマン、ハン・ノヴァの統治権を放棄するといったものだった。ハン・ノヴァは以後は自由都市として自治権を保有する形としたうえで、改めて各諸侯と同盟を結ばんというデーヴィドの提案に全員が刮目したという。それは父を失ったばかりの青年ではなく、間違いなくヤーデの新たなる後継者であった。

和平会議の構図

ハン・ノヴァ条約

 和平会議で無事に各諸侯と盟約を結びんでハン・ノヴァに戻ったデーヴィドは偽ギュスターヴを討伐するために連合軍を起こす。これはヤーデ軍だけでなくメルシュマン地方、ロードレスランドの各諸侯、さらにはラウプホルツ軍も加わった東大陸のほぼすべての軍隊による連合軍であった。これを率いたのがデーヴィドであり、彼にとっては最初で最後の戦いでもあった。そしてサウスマウンドトップにて偽ギュスターヴをからくも撃破することに成功する。深手を負ったはずの偽ギュスターヴの行方はどこへとも知れず、その後の表舞台にはついに現れることはなかった。
 こうして人類はついに平和という幸せをこのあと50年に渡る長き間に享受することとなり、繁栄と調和がサンダイルに訪れることとなったのだ。この平穏な時代は発端となった偉大なる人物の名を取って「デーヴィドの平和」という名前で後世まで呼ばれることになるのである。