術社会の政治

Last-modified: 2021-05-03 (月) 10:48:48

術社会の政治 

 サンダイルにある3つの大陸それぞれで人々は歴史を紡いできた。勝者となった者たちは敗者の土地や文化を取り入れて拡大し、一層に勢力を増していく。各地域で繰り広げられてきた勢力同士の争いの考察がこの項である。
 国や支配者、そして政治はどのように誕生し繁栄し滅びていったのか。サンダイルにおける主要3大陸の支配体制とその歴史はこのように展開していた。

北大陸北大陸は長い時期、人間の侵入を許さなかった。
他の大陸が術やツール、鋼製品などでの発展を遂げ出していた頃になっても、まともな村落すら存在していなかった。
だが、人類の未知への探求と好奇心が新しい技術を用いることにより未開の地だった北大陸も開拓地として生まれ変わった。
しかし開拓出来たのもいまだ北大陸のほんの一部であり、現状いまだ支配者となる国や勢力、社会は発生していない。
南大陸人類誕生の地とされる南大陸。道具を発明し、古代では人間の文明の中心地として繁栄していた。
しかし東大陸で発見されたクヴェルの登場でついに支配者の座から降ろされてしまうことに。
現在ではナ国を中心としてかつての帝国時代の背景を受け継ぎながら幾つかの諸国が存在するにとどまっている。
東大陸細長い形の大陸で、気候や環境が場所により大きく変化する。クヴェルが発見され最初に広まったのがこの東大陸。
術という新たな力を人間たちが利用しやがては政治にも利用されるようになったのも東大陸が最初であり、やがて南大陸にも勢力は拡大していくことになる。
メルシュマン地方、ロードレスランド地方、グラン・タイユ地方、そしてヴァイスラント地方の4つが主地方となる。

メルシュマン地方 

 南大陸の帝国が崩壊したのち小国家が多数乱立したのがこのメルシュマンである。国家間の争いは日夜絶えることはなく、滅んでは栄え、また滅びる歴史が続いた。
 現在で残ったのは四つの侯国となり、さらにバース侯国がフィニー王国と名を変えたその経緯と他の三つの侯国との関係性に注目していく。

統治形態の推移
 一般的にメルシュマン地方と呼ばれるのは東大陸でも北に向けて突出したごく狭い地域をさしている。これより南部はロードレスランドとなり、こちらはモンスターたちの闊歩によりほとんど政治的な支配は及んでいない。そのため、ロードレスランドとの境目以北のこの地域だけが隔離され小国家が乱立しながらも人々が多く生活せざるを得なかったという歴史がある。

 そもそもこれらの小国家は南大陸の帝国が繁栄していた時代の配下であった都市国家が発端である。帝国の家臣たちに分配されたメルシュマン地方の土地それぞれに領主が分散しそれぞれで国を作っていたが、帝国が崩壊したのちに状況は変化してしまう。

 ハン帝国のあったロードレスランドから流入してきた多くの貴族たちの影響で改めて領主を再編し多数の領土と領主が発生することになった。小国家の乱立が立て続けに起きて各所で争いが起き、勝利した領主は領土を奪い取り繁栄し敗北した領主は土地だけでなく爵位すら失い消えていくことになった。こうした時代が長く続いたのちについに四人の侯爵がメルシュマンの中心的存在として安定することとなり、以降この地は四侯国と名を変えて現在に至る。

四侯国 

 メルシュマン地方を統治する代表的な侯国は四つ、バース、オート、ノール、シュッドとなる。これらはもともとハン帝国時代に侯爵となり領土を得た貴族たちが帝国崩壊後にメルシュマン地方に流入し、国として再編成された時に発生した名前。爵位はそれぞれ公、侯、伯、男、子の五等となっており、それぞれが拝領する領地が決まっている。つまり、バースという領地を所有し統括する者は「侯爵」となり、領名から名前を取られて「バース侯爵」と呼ばれるようになる。

 五等爵位のうち一番上の公爵は皇族だけが許された爵位でありその権力は公国として国家を制定することができるほどだが、メルシュマンには現在において公爵は存在せず侯爵が最高位となっている。

バース侯国
 800年代後半にメルシュマン南西部に復権した侯国。テルムを中心とした領地の統治権をハン帝国から与えられた爵位がバース侯であった。しかし、600年代の戦乱期を経てバース家は衰退し消滅。その爵位を復活させつつテルムを奪取したのがギュスターヴ・ユージスという人物であり現在のバース侯国領主のギュスターヴ1世となる。以降、バースはユージス家の侯爵位となり継承されていくことになる。

 バース侯国の政治は完全なる専制政治である。すべての権限はギュスターヴという名を継ぐ者に集中しており、政策や法の類は領主の独断で決定されていた。ギュスターヴ1世にはそうした独裁政権を許すだけのカリスマ性があり、ほとんど単独で侯爵という位に登り詰めた実力者であったといえる。そしてこのカリスマ性は当然ながらギュスターヴの名を継ぐ後継者にも民衆から期待されるのである。

 また、バース侯国の特徴としてもうひとつ、軍隊の構成が挙げられる。他国では配下諸侯による軍隊編成がその大半を占めていたのと比べ、バースではバース候直轄となる親衛隊が大きな比率を持っていた。理由としてバース候は後継者となれない次男や三男を積極的に親衛隊として起用し周囲を固めるという政策を取っていたためである。海運業による貿易や他国と関わることでの収益を計算してのうえであったが、結果的に身内で固めた軍隊はバースをより強い軍事国に生まれ変わらせる近道を作り出したのだ。

オート侯国
 ハン帝国建国時から名の続く歴史ある名家、オート。帝国時代にメルシュマン最北端を領地とし、北の監視役として帝国統治の重要な役割を担っていた。当然ながらその役割にかなうだけの軍隊と安定した国力の双方を持っており、さらに帝国とより密接に繋がった知識層の高い家臣を多数在籍していた。その安定性は帝国崩壊後もびくともせず維持されることになり、メルシュマンの名門として新たな門出を切り開いたのだった。

 長い時代を名門貴族として、帝国崩壊後も帝国時代同様の侯爵領地政治を続けていたオートは、領主みずからが自分を戒めるという姿勢により領民たちからは絶対的な信頼を得て繁栄した。しかし後年になってからオートの領主は勢力旺盛となり女性と多く関係を結ぶようになった。そのせいかオート侯爵家は親類縁者がたいへんに多い。

 オートにおける軍隊は首脳部にオート侯親族が多数存在している形である。強力だがきわめて複雑な陣形戦術をもやすやすと扱うことができる軍隊を活用できたのも、完全に指揮系統が整った軍隊とそれによる戦術の賜物である。古来より続く海運業はそのまま海軍の常設に繋がり、地理的に不利な場合でも海を使っての打開策を見出してきた。

ノール侯国
 帝国崩壊後、小国家が乱立した時代に現ノール領付近に多数集まっていた小国家がひとつに集まった連合国家がノール侯国の礎である。当時侯爵位を有していたノール候を元首とし、重要な決定事項についてはまず連合国の代表者会議を経て最終的にノール候がそれらを取りまとめて政務とするという形で政治を行ってきた。

 長らくこうした連合国状態が続いたが、ノール候家はより安定した政治と内政とのために領内諸国との血縁関係を深めるという手をとる。これは結果的に成功であり、他侯国が群雄割拠するなかでも安定性とバランスを強めて存続した。ただし重要決定をする議会では各諸侯の言い分が幅を利かせ紛糾が絶えず、内政という点においては安定とは程遠かった。それでも外部からの勢力に対しては一致団結を見せ長く維持を誇って来た。

 ノールでの軍隊は各諸侯がそれぞれ所有している兵力がそのまま軍隊として組織されている。元首であるノール候直属の兵士もそれら各諸国と変わらぬ程度しかおらず、また軍隊の利用についても諸侯会議の如何によっては思うように動かすこともできなかった。そのため、もっぱらノール候は専守性と防衛戦のみをおこない、みずからが出向いて他国を侵略するということはほとんど無かった。

シュッド侯国
 メルシュマン乱世期頃に台頭してきた侯国がシュッドである。もとはテルムの付近に領地を保有していたが、帝国崩壊に伴い多くの貴族たちが現れる中でシュッドも衰退。消滅を危ぶまれた矢先に財力を持った勢力が滅亡寸前のシュッドを救い合併を果たしたのである。その後は都を移動させ、メルシュマンと南方との中継地として現在の位置に領地を落ち着かせた。

 戦乱期に大きな財力を成したのが現在のシュッド候である。基本政策は主に商業に多くを割いており、政治はシュッド候が執り行うではあるが商業ギルドの利権に関わる事項の場合は評議会を経て商業ギルドから直接領主に対して助言や指針を示すという形であった。

 軍隊について、シュッドは財力を武器にその大半を傭兵たちを利用することでまかなっている。それぞれの兵力は持っているが、そこに加えて傭兵を迎え入れることで国の兵士そのものがダメージを負うことを防いでいる。ただし利権の保護のため、こうろ幹線道路にはかならず直轄軍が据えられていた。

フィニー王国 

 フィニー島にはフィニー王国があり、島と島民とを統治していたフィニー王が存在していた。ハン帝国時代に興ったこの国は帝国崩壊後も他国とは地続きではないという地理もあってか侵略を免れて存続していた。

 しかし歴史を紐解いて厳密に言えば、フィニー王国という名前はあっても王国が存在していたわけではない。ここはあくまでもハン帝国の直轄領であって、当時実際に駐留していた兵士たちはフィニー兵ではなく帝国兵たちだったのだ。フィニーという地がどういう場所であるのかを記していく。

フィニー王家
 名前がやや混同しやすいが、「王家」という名を頂いてはいるがこのフィニー王家というものは帝国時代においては一種の名誉職であった。職業のひとつとして扱われていたので当然ながら人民がいたわけでもなく、支配されるなにかがあったわけでもないいわば「架空の国家」でしかなかった。

 帝国が繁栄し成熟してくると名家も多数輩出され貴族たちの数は増えていくが、次男以下の男子は親の庇護を受ける事はほとんど無く、もっぱら軍人か術研究者、あるいはディガーとして立身するなどして別離していくのが通例だった。それは帝国の支配者である皇族たちでも例外ではなかったが、皇帝の兄弟たちには領地と爵位を与えるような動きが後に現れた。そのうちのひとつがフィニー王国である。

 このフィニー王国は他の爵位が「侯爵」なのに対してそれより等級が上の「公爵」という位がついているのが特徴でもあったが、帝国が崩壊したと同時に共に姿を消すことになり幻の国として語り継がれるだけになった。そして時代が進み侯爵たちの群雄割拠する頃になり、この「公爵」という他侯爵たちより上の位があるがゆえに再び人々の目に留まるようになる。フィニー王国を手に入れられれば公爵となり、結果的にメルシュマン地方を支配できる、そのように考えた権力者は少なくはなかったのだ。

公爵領
 公爵という爵位を手に入れることで侯爵たちを従え、配下とする大義名分が手に入る。帝国があった頃は公爵という爵位は皇族のみしか与えられないために望んでも得ることのできない位だったがその帝国が崩壊したことで流れも機運も大きく変わったのだ。なにより、戦乱時代とはいかに他国より抜きん出て秀でた者になるかをかけてすべての権力者たちがしのぎを削り合っていた時期だ。他の者より上の肩書が、たとえそれが形式上だけだとしても喉から手が出るほどに欲したのは想像に難くない。

 こうしたフィニー島およびフィニー王国へ侵攻しようとした諸侯たちの目的はなにもメルシュマン地方の覇者となるだけが目的ではなかった。クヴェルが眠るであろうメガリスや豊富な鉱物資源もフィニー島の魅力のひとつであり、こうした資源を元手に作り出した武装で強力な軍隊を作ることも財力を確保することもできる。さらに島という海と隔たった場所に拠点を置き他国からの防衛に徹すれば難攻不落の国として君臨し続けることさえ可能だ。

 バース候ギュスターヴ8世がフィニー島を獲得しフィニー王国を再興したのは、事実上バース候がメルシュマンの覇に王手をかけた瞬間でもあった。

バース候によるフィニー王家
 バース候がフィニー島を獲得しフィニーを領地としたとはいえ、大元のバース侯国が母体である以上は組織や政治の形態にさしたる変化はなかった。それでもフィニーは仮にも「王家」である。帝国時代の皇族はいまや一人も残されていなくともそれに匹敵するほどのカリスマ性を民に見せなければならなかった。ギュスターヴ8世が考え付いたのはファイアブランドである。ファイアブランドという剣そのものがフィニー島独自のクヴェルであり、王家という威厳を見せるに等しい繊細かつ豪壮な外見をしているために権威の象徴として利用されることになった。

 ギュスターヴ8世の時代にはすでに術文明は確立されている。クヴェルという品は世界でも僅かしか出土しないものであり、一般人からすれば崇拝の対象ですらあった。そのクヴェルを我が物として扱う国王の姿を人々の前に見せることで「クヴェルほどの品を扱える者こそが王である証」という風潮を作り出したのだ。このカリスマ性の提示はギュスターヴという名前にすら力を与えることになり、ギュスターヴ姓というだけで国王や皇帝、支配者という意味を持つまでになっていく。

フィニー王家による統一
 以降はゲーム中の歴史とも重なる部分となる。
 フィニー王家は名前こそフィニーと付いても政治体制はギュスターヴ8世の頃から変化はなく、バース侯国の形態を維持し続けていた。それは国王であるギュスターヴも暮らしている人民もバース侯国の者となんら変わりがなかったので当然とも言えた。バース侯国はもともとが専制国家であることも理由となり、支配者がすべての採決と実行を一任する自治でじゅうぶんに対応が出来ていたせいでもある。

 しかしフィニーがメルシュマン全域を支配するようになれば当然話も変わってくる。メルシュマン地方のすべての侯国をひとつにまとめるとなれば、それまでのような専制政治では到底まかないきれない部分は出てきてしまう。やむを得ず多くの人材を登用し各地の名家と共に政治を行う構図となっていくが、こうした流れとなれば吸収し統治下に置いたはずの各領主の思惑が交錯するのは必至といえた。各自がみずからの私利私欲を願えばそれぞれが暗躍して回ることになり、水面下での動きはますます活発化していくばかり。こうした状況でフィニー王位に就いてしまったのがギュスターヴ14世であった。

ロードレスランド

 名前の通り、「主なき地」。大昔には中原という名で呼ばれる繁栄した政治的な中心地であったが、サンダイル歴604年頃から定着化したこの名前の由来はハン帝国の崩壊とその後のモンスターの跋扈によるものである。帝国崩壊後は動乱が発生し、その余波を受けるようにして君主が居なくなったままとなり現在の名となった。

 人類発祥の地でもある広大なロードレスランドは、紀元前2000年前には広い地域で繁栄していた。ザール峠やマウンドトップ、アナス川流域などで多数の国家が出現し栄華を誇っていた。こうした都市国家の乱立がひいてはロードレスランド全体の発展を促し、事実上の政治的文化的中心地として成長していくことになる。

 ハン帝国という強大な都市国家が中原を制圧したのが紀元前400年前。このハン帝国のもとでロードレスランドは栄華の繁栄期を迎えることとなった。しかし度重なる反乱やグラン・タイユをはじめとした反帝国連合の侵攻によりハン帝国は崩壊の憂き目を辿ることとなる。そして時を同じくしてモンスターがロードレスランドに大量発生するなどして人の住めない土地へと衰退していった。

 そして1200年代に突入してからのち、ギュスターヴ13世が南大陸から軍勢を率いてモンスターを制圧しながらロードレスランドの地に踏み入ることになる。メルシュマン地方を制圧したギュスターヴ13世が新たな支配地としてこのこの地に分け入ったとあれば勢力も集中していく。ハン・ノヴァがやがてギュスターヴ13世により建国され、以降も多くの戦争や内戦を経ながらロードレスランドは新たな時代を迎えていくことになる。

 歴史的に勢力同士の争いが長く続いたことが多いためか独自自治権を持つ都市や元老院が力を持っており、共和制的な支配力や思想が根強い土地である。

ハン帝国

 紀元年から465年までロードレスランドに存在し君臨していた巨大古代国家である。その支配圏はロードレスランドのみならずほぼ東大陸全土にまたがりハン帝国の領土となっていた。帝都はアナス川上流域とし、頂点とした皇帝のもとに権力を持つ人々が連なり国政および統治を執り行ってきた。貴族共和制という政治制度であるために決定機関に所属している貴族だけでも900人にのぼり、貴族たちが支配層となりそれより下の人々を統括する枠組みが作られていた。

建国の伝説
 ハンという名前はもともと、ロードレスランドに定住した人々によりアナス川流域に建設されていた都市国家である。言い伝えによると南の英雄が長旅を経て中原にハン帝国の礎を築いたとされているが、子孫であるロムとレムという双子は生まれてすぐアナス川に捨てられてしまう。しかし雌の狼に拾われて双子は成長したのちにハン初代の王として40年に渡って帝国を支配した。この事は詩人ギリウスという人物が『南の英雄』という抒情詩で書き連ねており、いまでも残る文献であり伝説となっている。

貴族共和制
 貴族および元老院の発言権を重視した国政である。王政時代のハンは都市連合の一員でもあり、王政といえども貴族や元老院が併存しそれぞれが強い意見力を持っていた。こうしたことから貴族共和制という名前で呼ばれている。

 当時のハンは厳密にヒエラルキー構造が確立されており、人々は自分の属する立場にならった生活をしていた。まず重要な官職を独占しているのは貴族または名門とされる『パトリキ』になり、その下位は一般市民や中小農民の『プレブス』と呼ばれる。
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 国王はプリンケプス(第一の市民)とされ、この国王を中心とした王族たちの直下にはコンスル(最高政務官)ディクタトル(独裁官)がおり、その下に最高立法機関でもある元老院が付く。王族を除いた市民たち以上の階級の者はすべてが貴族から選出されており、こうした身分の差は厳格なまでにはっきりしていた。

帝政の確立
 時代が進み、グラン・タイユの勢力をついに制圧し事実上の東大陸の覇者となったハンの王に元老院はアウグストゥス(尊厳なるもの)という最上級の称号を与えた。軍部は強大化しハンの支配圏となった都市国家は連合として吸収されていく中でこうした称号を得た国王は軍隊の命令権だけでなく官僚職権やコンスル(最高政務官)の任命権といった国の重要権限を保有するようになり、帝王による政治が施行されることになった。貴族共和制の伝統と歴史を重んじた国政はそのままを保持され本国は帝王が統治、属州は元老院が統治と大別することで共同政治の体制が組まれた。

 事実上の帝政としてハン帝国は建国される形となったが、共和制の頃の伝統や権威を尊重したこの政治はプリンキパトゥス(元首制)と呼ばれている。サンダイル史としてはこの帝政が確立された時点から「帝政ハン(ハン帝国)」が発祥したとされており、この後の200年をかけてインフラストラクチャーを整備し帝国内はますますの発展と安定を成し遂げていくことになる。

インフラストラクチャーの整備
 交通網や上下水道といった産業的な社会基盤の整備はハン帝国の初期にもっとも力を入れられた政策である。当時の大がかりな工事と建設、管理や整備の結果いまなお不自由なく動作しているものは数多い。代表例としてはグラン・タイユとロードレスランドに掛かる石橋グラン・ヴァレやグラン・タイユの砂漠地帯に点在する灌漑用の散水塔が挙げられる。

 他にも街全体を明るく照らし出す都市街灯の整備、主要都市を繋ぐ多くの道路網、各都市の下水整備といった大規模工事や施工の末に流通や生活は発展し続けた。特に上下水道の設置は伝染病予防や火災消火など人々の暮らしに直接効果をもたらすものとなり、巨大都市への土壌と基盤となっていった。

爵位制定
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 五等爵と呼ばれる爵位がそれぞれ制定されたのもハン帝国の政策のひとつ。頂点を公爵(duke)とし、侯爵(marquis)伯爵(earl)子爵(viscount)男爵(daron)と続く。これらはすべて貴族の階級を表しており、たとえばバースという土地を領土として得た貴族はバース候となり侯爵位を受けることになる。

 ただし頂点に位置する公爵位だけは王族と等しい権力を持っており、侯爵が公爵位を得るとする場合は公爵領であるラウプホルツなどを拝領するしか方法はなかった。五等爵は無意味な貴族の増加を抑えるための制度であるため、それぞれの位の人数は制限されていた。

 ハン帝国が崩壊した直後それぞれの権力者たちは独自爵位を名乗って台頭しようとしたが、支配層と非支配層との関係性やそれに連なる規則、法定などが必要とされるなかで爵位による正当性が広まることになった。ハン・ノヴァ建国ののちは南大陸に古くからある承認制度を受け継ぐ形で爵位は得るように制度も整理されていくことになる。

ギュスターヴ13世

 1249年~1269年に生きたバース侯国王。鋼の13世とも呼ばれ、それまでの術主体による政治に鋼という新たな要素を取り入れてメルシュマン地方を制圧した時代の申し子である。

 ギュスターヴ13世の進撃はメルシュマン地方のみならずロードレスランドに足がかりを作るまでに強固になっていくが、そうしたなかで帝国崩壊後は国家らしい国家のなかった中原にハン・ノヴァを建国、ここに入城したことでギュスターヴ13世の治世が始まることとなる。
 しかしこの長年放置されてきたモンスターの跋扈するロードレスランドにギュスターヴ13世が城を建設する際には人口は5000人にも満たず、最初のうち13世は周辺地域のモンスターの制圧と鎮静化、あるいは拡張に注力することになる。13世のこうした努力と結果とがやがて実を結び、長年ロードレスランドから身を離していた多くの民衆が徐々に戻り始めて人口が増加するのはそのすぐあとのことであり、そこにはギュスターヴ13世という新時代の君主を絶賛する者も多かった。

 ここではギュスターヴ13世による具体的なハン・ノヴァ統治を述べていく。

保護政策
 もとより内政が苦手だったギュスターヴ13世は執務のほとんどを家臣に任せていた。なかでも13世の内政官であるムートンがハン・ノヴァの政務を取り仕切る構図であったため、内政に関してはムートンの一任によるところも大きい。まずムートンはロードレスランドの収益問題とそれに続く産業分野の抱える問題を解決するための政策を打ち出した。ロードレスランド全体の税金を抑え、主にメルシュマンからの税金を利用することでハン・ノヴァの国家予算に充てて運営資金としていた。
 結果的にハン・ノヴァでは多くの産業が育成され、豊かな国へと成長していくこととなる。

インフラの再整備
 内政を基本はしないギュスターヴ13世が特別に注力していた政治においては軍事関係と人民保護のふたつに絞られる。特に軍事関係という観点では早急に解決しなければならない分野としてインフラストラクチャーの再整備があった。これはハン帝国時代に整えられたものにさらに手を加える、あるいは補修するといった工事が大半となる。交通網を整備したうえで軍用路として利用するのがその目的であり、ロードレスランド全域にまたがりこうした軍用路や幹線道を行き渡らせることを最終目標としていた。

 人民保護の観点としては、他国からロードレスランドに移住する者にはモンスターや他勢力といった脅威から人々を守ることを最優先とし、それには前述のインフラストラクチャーが大いに役立つこととなる。新たな住民たちが安全かつ迅速に住居を得て生活できる基盤と環境を作り、それをロードレスランド全域に広げていくことで中原はかつての繁栄を取り戻していくことに繋がっていった。

後継者の不在
 ギュスターヴ13世という人物はロードレスランドだけでなくメルシュマン、そして東大陸のナ国にすら影響を及ぼした人物である。バース侯の後継者でありながら術不能者という不遇に生まれ育つも、鋼製品というそれまでは見向きもされなかった素材を生かして新たな社会を切り拓いた彼は歴史的に見ても類まれなる逸材に他ならない。
 バースに再上陸した13世がバース候としてメルシュマンを統一したのちも精力的に人材登用を執り行うなど、主に人々のためにとした政策を数多く打ち出した。特に鋼製品はそれまで術不能者として社会的に冷遇されていた人々にとっても希望の光となり、多くの術不能者たちがこぞって13世の軍隊に入ろうとするようになる。ギュスターヴ13世もまた、積極的に術不能者を雇用していた。

 こうした人材育成と雇用とを長年に渡って続けていたギュスターヴ13世だが、彼が犯した最大の失策がある。それは自身の後継者を作らなかったという点である。
 13世には配偶者はおらず、したがって歴史上では実子をひとりも得ていない。彼の功績はほとんど一代で成したようなものであり、東大陸を掌握するほどの勢力となりながらもこれを継承する人材が空席のまま彼はこの世を去ってしまう。彼が居なくなった後のハン・ノヴァは盟友であったケルヴィンが継いでいるが、彼もまた老境に差し掛かっており長年を支える力にはならなかった。
 これは統治者としてはあるまじき愚策であり、のちの世に多くの「自称・ギュスターヴ13世の後継者」を名乗る者たちを多く作り出して無闇な社会混乱を引き起こすきっかけにもつながってしまった。