ep12_spn

Last-modified: 2026-05-09 (土) 05:56:31

ep12

BGM



都会の騒めきを厚い壁で遮断した、地下のビリヤード場。
埃の舞う照明が緑のラシャをぼんやりと照らし、空間にはチョークの粉の匂いと、安物のタバコの煙が停滞している。
ディーン・ウィンチェスターは、馴染みのキューの重みを指先に感じながら、獲物を狙う獣のような鋭い眼差しでテーブルを睨みつけていた。

「俺が一番だ」

その呟きは、誰に聞かせるでもない確信に満ちていた。
数分前、奇跡のようなロングショットを三連続で沈めたばかりだ。
気分は最高潮、血管を流れるアドレナリンが、指先の微かな震えさえも完璧なリズムへと変えていく。安定したブリッジに支えられたキューが走り、手球が的球を捉えるたび、硬質なコココンという音がディーンの脳内に快楽として響き渡った。

「私とやろう」

背後から掛けられたのは、年季の入ったウイスキーのように渋みの効いた声だった。
振り向くと、そこには全身を漆黒のスーツに包んだ、隙のない佇まいの中年男が立っていた。その男が携えるキューは、装飾こそないが、使い込まれた一流品の輝きを放っている。

「ああ。やろうぜ。受けて立つ」

ルールは、隣り合う二つのテーブルを使った同時進行のナインボール。
交互に打つのではなく、各々が自分のテーブルでいかに高度な技術を披露できるかを競う、純粋な技術(テク)勝負だ。

「開始だ」

ディーンのブレイクショットは、爆発的な破壊力を伴ってセンターの球を粉砕した。九つの球が花火のように鮮やかな軌道を描いて散らばる。

「へぇ。やるな、若いの」

中年男も静かに自分のテーブルで始動した。その打球はディーンの剛腕とは対極にある、洗練を極めた気品に満ちていた。
手前のクッションに当ててから緩やかな弧を描き、一度は通り過ぎたかに見えた球が、魔法のようなバックスピンで戻って二つの球を同時にポケットへ沈める。
完全にフック(隠)された状況からでも、とてつもないカーブショットで障害物を回避し、標的を仕留めてみせた。さらに、キューを垂直に立ててのジャンプショットを、まるで呼吸をするかのように平然と決めていく。

「……すげえな」

ディーンの口から、不本意ながらも賞賛が漏れた。
正直に言えば、男の超絶的な技巧に度肝を抜かれていた。焦りが指先を狂わせる。負けじと、より難易度の高いジャンプショットを試みたが、ブリッジが僅かに浮いた。
バチン、という無様な破砕音が静かな店内に響く。手球は的球の頭を叩き、激しく跳ね上がると、テーブルの外へと飛び出して床の上を虚しく転がっていった。

周囲から、くすくすという皮肉な笑い声が聞こえてくる。ディーンは耳まで赤くしながら、カウンターの足元まで転がった球を拾いに行った。
そこで、彼は一人の男と目が合った。
自分と同じようなスーツに身を包んだその男――サミーが、酒も頼まずにただ椅子に座ってこちらを見つめていた。

独りになりたくて一ヶ月、連絡もなしに姿を消していたのに。弟が、なぜここにいるのか。

「……まさか、本当に見つかるなんてな」
「サミー……」
「僕はサムだ。いい加減に覚えてくれよ、兄貴」

サムの瞳には、怒りよりも深い疲労と困惑が滲んでいた。そこへ、中年男の挑発的な声が被さる。

「どうした? 逃げるのか?」

ディーンは苛立ちと共に、サムから目を逸らして振り返った。キューを握る右手が、自分でも制御できないほど震えている。

「探したんだぞ、ずっと。……帰ろう」

サムの重い言葉が背中に突き刺さる。だが、ディーンはそれに応える代わりに、折れそうなプライドを繋ぎ止めるようにして、再びビリヤード台へと戻った。

「……そうか」

諦めに似たサムの低い声が聞こえた。革靴の乾いた音が遠ざかり、重い扉が閉まる音が響く。後に残されたのは、ディーンが吐き出したタバコの臭いだけだった。


ディーンは懐から数枚のドル紙幣を取り出し、ラシャの上に叩きつけた。

「……全額勝負だ。ただの遊びは終わりだ」
「それは悪い賭けだぞ。今の君には勝てる要素がない」
「いいからやろうぜ。今夜は、どうしても負けらんねぇんだ」


カコン、カコン、という無機質なショットの音が響き始める。
店の階段の踊り場で、サムは階上の騒音を暗い顔で見上げていた。通りかかった派手な身なりの女が「あら、いい男が立ち尽くしてどうしたの?」と声を掛けてきたが、その耳には届かない。
サムは重いため息と共に、夜の街へと足を踏み出した。街灯の下に広がる彼の影は、どこまでも孤独で、深い闇を湛えていた。

ep13