編集方針

Last-modified: 2023-12-13 (水) 23:41:36
 
 
 

SUMMARY

このページでは  旧  Call of War Wiki における編集に対する方針、つまり普遍的、一般的な考え方を示す事を旨とする

 

まず数多くの先輩 Wiki においてはガイドラインと呼ばれる一種のに類する概念を用い、各方針の趣旨、理念等の実現を目指してきた歴史がある
しかし本 Wiki においては、さしあたり これを無用と認める
詳細などは後述するが、その主たる根拠は法治に適した環境を整備できるだけの資源が提供されない事である
そのかわり目指すべき理想を いくつか挙げていくこととし、その実現を著しく妨げない行為については些事とみなす事を原則とする

 

CONTENTS*1

 本 Wiki は攻略サイトである 

したがって最大の関心事はゲームラウンドにおいて優れた成績の獲得に利するノウハウの集積であり、Wikipedia のような百科事典とは基本的に異なる性格である事を銘記されたい

他方、優れた成績を獲得する事が すなわち攻略であると定義し、攻略こそが最大の関心事であるとしても、

  • そもそも成績そのものが多次元である
  • 各次元そのものや、組み合わせに対する優劣の解釈が人によって大きく異なる

ことから、攻略に利するか否かを わきまえる事は必ずしも容易ではないという事も同時に踏まえてほしい

1st SUB CONTENTS*2

そこで攻略に利する情報を得ようと このサイトを訪れた人が、真実、益する情報に辿り着くようにするには どんなアプローチが有効だろうか

たいてい この命題に対し世間で示される回答は末端のノウハウであり、具体例としては、

  • 文体、文調、語調、語勢、語気などの選択
  • 箇条書き、図解などの構造化
  • 太字赤字 傍線 などの書式、書体の選択

といったものがあるかもしれない

しかし、これらの本質は相手が人間ゆえに情報の受信者として機能的な制約を持ち、その制約を書き手が補う点にある
つまり文体、箇条書き、太字などといった ( 情報の ) 形式が、最適でないにせよ読み手の能力を補完し得るから使用するのである

さて、この点について少し掘り下げると、既に実例と呼ぶべき対象が末端のノウハウと題し箇条書きとして示されている
なぜ各々の項目を際立たせる必要があり、その手段として筆者は箇条書きを選ぶに至ったのだろうのか

この命題に回答するためには、人間が持つ性質を理解しておく必要がある

1 - 1*3

人間を つぶさに観察した場合、果たして読者には どんな性質を捉えられるのだろうか

  • ある人は、人間の発する言葉尻に着目するかも知れない
  • ある人は、人間の言動に数理的な構造を見出すかも知れない
  • ある人は、人間の持つ生理的な仕組みに興味を示すかも知れない
  • ある人は、人間同士の関係に関心を寄せるかも知れない

そこで、言葉に対する関心が強ければ言葉の扱い方により話し手や聞き手が受ける印象は操作し得る事を理解するだろう
同様に書き手が数理的、生理的、社会的な仕組みに明るければ、各々の観点における合理性が追求される事は想像に難くない
それら人間の仕組み、都合に基づく追求の仕方こそがノウハウであり、真に書き手が従うべき筋道である
つまり優れた書き手は人間が複数の側面を持つことを知っており、その制約を取り去るためには多角的な視点を要する事を理解している
しかし一方で、いかな才ある人間でも そのような複数の側面を一人きりで実現する事は不可能である
そこで優れた個人によってではなく、Wiki 参加者の集団が各々個性を発揮し、結果的に優れて多角的な視点から対象が描写される事を第一の理想とする

1 - 2*4

では*5表現の形式は考慮されるべき次元が多様である事を認めるとして、表現されるべき内容には どんな制約があるだろうか
形式の考察と同じ根拠から導ける推論として、原則的に掲載されるべき内容は

  • 一義的に生身の人間が攻略を行うに当たっての障害を結果的に取り除く機能を持っていて、

他方で

  • *6はしない

筈である

という事は、逆算すると書き手は読み手の行動原理を知っていて、いざ攻略を行うに当たり不足する要素を事前に予測できる必要がある事になる

しかし厳密な意味で このような状況をゴールに据える事は論理的に不可能である
なぜなら読み手の中には矛盾 / 逆行するような性質を持つ者同士のパターンが いくつも存在し、利害が相反するためである
つまり彼ら同士はゲームにおいて目標や、その手段とみなす対象が ことごとく食い違うため、一方に利する解説などは他方にとり基本的に邪魔であろうと考えられる
また執筆が開始されてから時間を経るにしたがって、当初想定されていた記事の目的が逸れていく事も少なくない

そこで適切な妥協点を見定める手法と共に、個々のケースにおいて適用すべき妥当な手法の一般化 / 概念化を試みる

  • 1 - 2 - 1

    さて、では認めるべき妥協点とは どんな内容で、どのように定められるのが果たして望ましいのだろうか
    およそ論理的にも様々なアプローチが存在するだろうし、そうすべきでもあるだろう
    しかし他方で、最低限の節度として一つ提案したい考え方もある

    まず考察の起点として、このサイトに既存の 酢豚 というページを取り挙げたい
    ここで取り上げるべき同項における特徴とは、

    • 研究用に作成された
    • 少なくとも現状は無用

    という事情を共有する点である
    というのも、この趣旨を共有するページ群は いくつか存在し、今後も増加が望まれるためだ

    一方で、当サイトには 嘆きの間 というページもある
    これも現状は活用方法が利用者に周知されていないだけで論理的には上記の事項は共通していると解釈できるはずである
    しかし およそ大半の共同編集者、それどころか執筆者にすら利用価値が見い出せていないものと思われ、この点が双方の本質的な差異であって節度の限界ではないだろうか

    しかし、そうなると

    • 利用価値が見い出せる水準の境界は どこか
    • 差異を補完する方法は何か
    • グレーないし境界にある内容の扱いは どうするのか

    といった新たな命題が生じる

    1 - 2 - 2

    • 利用価値が見い出せる水準の境界は どこか
    • 差異を補完する方法は何か
    • グレーないし境界にある内容の扱いは どうするのか

    という命題を少し引いて観察すると、そもそも wiki の記載内容は ( 即座に ) 利用できなければならないという潜在的な考え方が窺える
    しかし歴史を紐解けば、学究的で即座に実務的ではない情報の蓄積こそが常に後代の実務に応用されてきた事実を踏まえると、この考え方は極端に ( 市場 ) 経済的な発想に寄った考え方と言える

    この主張の論点を抽出すると以下のようになるかも知れない

    • 非常に効率良く無駄な作業を繰り返す事が、果たして真に効率の良い所業と呼べるだろうか ?
    • 真理を求めるがあまり何一つ途中経過を形にしない事は、果たして真に意味ある所業と呼べるだろうか ?

    よって先までの主張は、このバランスを取る事に集約できるものと予想される

     

2nd SUB CONTENTS

3rd SUB CONTENTS

4th SUB CONTENTS

 

関連ページ

編集支援サイト等
新規ページテンプレート
酢豚シリーズ
会議室
不正行為と その対策心得
抵触しがちなゲーム規約

外部リンク

World of Tanks Wiki > 編集のガイドライン
War Thunder Wiki > 編集ガイドライン

 

コメント [hatena]


*1 " 本 Wiki の立ち位置 " などと題する予定
*2 " 読者 " とか、" 閲覧者 " とか " 読み手 " などを想定している
*3 仮名は " 属性 " とする
*4 仮名は " 特筆性 " とする
*5 、読み手は人間であり、人間には特性上避けられない能力の偏向、不均衡が存在する
その偏向を補完するために

*6 = 攻略の邪魔