推薦図書/思想/た~ん

Last-modified: 2024-03-03 (日) 08:56:57

推薦図書

  • アリュージョニスト以外のネタバレに注意
  • サイバーカラテを実践しよう (知ってる作品があったら、説明を追記しよう)
  • 最下部のコメントボックスで作品紹介を書き込むと、誰かが追加してくれるかもしれません
  • 多分図書じゃなくてもいいと思うよ
  • 参照と類似は呪力です。高めよう。
  • ほんの少しでも推薦図書に見えたのならそれが推薦図書です(邪視)。追加しましょう。五十音順に並んでいます。
  • 編集カラテ入門
    • 発勁用意! 次の2行をコピペして、自分の文章で書き換えます。ここは、Webブラウザ以外のアプリでやるのがオススメ。

      *** タイトル

      -説明1

  • NOKOTTA! 文章が出来たら、Webブラウザに戻り、画面の一番上の「編集」を押します。
  • GOOD! 編集ボックスが出てくるので、1で作った文章をコピペします。場所は、根性で探してください。
  • COMBO! 「プレビュー」を押して、うまくいってるか確認します。まだこの段階では、誰にも見られません。
  • EXCELLENT! 「ページの更新」を押せば、完成です!!

思想

ロボット/人工知能/サイボーグ関連

推薦図書/思想/あ~さ

狭義の呪術関連

推薦図書/思想/あ~さ

た行

退屈 ピーター・トゥーヒー

  • サブタイトル(息もつかせぬその歴史)ほど面白くはないが、ある程度参考になるエッセイ
  • 退屈は、普通の退屈とインテリがありがたがる「実存的な退屈」に分けられるが、後者はうつ病に様々な感情が複合した幻である。
  • 退屈は、子どもっぽいとか怠惰の表れとして切り捨てるべきではないが、同時に哲学で飾り立てる必要も無い。
  • 退屈は治療するとかではなく、この感情が発しているアドヴァイスに「注意を払う」といった考え方をするのがベストなのだ
  • それは危機の回避をうながし警告してくれる「弱い嫌悪」であり、自分へ向かいそうな怒りや敵意を(自分に対して)隠すための自己防衛のたまものであり、なにより退屈な経験を与えてくれるのだ。
    →アレッテ?
  • 退屈は些細なものとして扱われるべきではないし、些細なものと扱われて良い感情など、ひとつもない
  • なぜなら、われわれ人間は感情を通じて世界を知り、自分自身を知るようになるからだ
    →ルウテトの後悔するアキラくん推し
  • 退屈は、知的な面で陳腐になってしまった視点や概念への不満を育てるものであるから、創造性を促進するものでもあるし、批判的内省や思索、夢想、空想の余地を与えてくれる
  • そして退屈には、人とその周囲の世界を分かち、人を自分自身へ立ち戻らせる傾向がある
  • ただし、慢性的退屈は、気力を吸い取られるし、興奮や怒り、鬱へと悪化しうるものでもある
    →アリュージョニスト更新がない時

退屈のすすめ 五木寛之

  • 遊び心をもって、どうでもいいことをやる時間を過ごすすすめと、そのサンプル
  • 必要なことだけをやって過ごす人生などというものは、むなしい
  • ちょっとしたことで心が弾めば、また次の週も元気で働くことが出来るのではないか
  • 休日のながい一日を、うつうつと〈ふさぎの虫〉と向き合ってすごすというのも、これはこれでなかなか味わい深い人生の一シーンではあるまいか

「助けて」と言える国へ――人と社会をつなぐ 奥田知志 茂木健一郎

  • ホームレス支援をする牧師との対談新書
  • 子どもが引きこもった経験と貧困の支援経験が、話に説得力をもたらしている
  • 本当に苦しいと感じている人達には、周囲に助けてといって欲しい
    • この世界が柔らかく人間らしい場所であることに気づいて欲しい
  • キリスト教の根本思想「自ら傷ついたものこそが叡智を得て、世界を救うことが出来る」
    • 救い主は自ら傷つく
    • 弱い者、傷つけられている者こそが、我々に救いをもたらしてくれる
  • 「絆(きずな)」という言葉には、傷が含まれている
  • 他人と会えば、傷つくこともある
  • それでも、他者に出会うこと以外に、人生の喜びを深める方法はない
    • 他人と出会うことを恐れてはいけない
  • 笑える牡蠣:相互多重型支援:助けられた人も他の人を助けることが出来る。
    • 311で被災した東北・牡鹿半島の漁師は、支援を受けて牡蠣養殖再開
    • その養殖がソーシャルビジネスとなり、こんどは路上の青年たちに対するケアつきの就労支援となるような仕組みを作った
    • 助けられた人が、助ける人になる
    • 助けられながら、誰かを助ける
      • 一つのものに多重の意味が伴う
    • 「東へ」だけでなく「東から」も、東日本支援震災支援に必要だった
    • 現金だけでなく、自己有用意識や自己尊重意識が必要
  • 企業社会の功罪、価値観が一本化
    • 一本勝負は無理でこれからは技アリでなんとかしていく人生に
  • 自己責任の呪縛
    • 「自己責任だから社会や周囲は助けなくていい」という社会の無責任化を招いた
    • ほんとうの意味で自己責任を果たすには、社会や周囲の支援、あるべき社会保障などが、きちんと行われていることが前提となる
  • 弱さの自己認証
    • 敗れる経験が、人を絆へ向かわせる
    • 絆は本来、「私とあなた」という人格的関係において成立する
      • 対等な関係が前提なのである
    • 絆を結ぶとは「~してあげる」と考えているような、そんな自分の安心と安全が脅かされることを覚悟することに他ならない
    • 弱さこそが、私たちを結び合わせたのである
    • 弱かったから人間になれたのだ
  • 「俺は人間か」
    • この問いの答えは、他者から聞くしかない
    • 人間は、他者と出会うことによって「人」になる
  • 「生きていれば、きっと笑える時が来る」
    • 他者の言葉が人びとを支え、もう一度立ち上がらせた
  • "祈り"とは、どうすることもできないものに対する、ある種の心のおさまりのつけかた
    • キリスト教では、祈りは神に対する「委ね」と理解する。
    • 傷ついた魂の前では祈りしか無い
    • 祈りが霊性に関わる部分:外から差し込む光のようなものを黙って待つ時間
    • 霊性への期待、よろしくという委ね、あるいは手放す瞬間
  • 現代のキリスト教神学のメインテーマは、魂ではなく霊性
    • 神と人、人と人、また自分自身との繋がりであり、そこから利他性も生まれる概念
  • なぜ困窮者を支援するのか?
    • 逆になぜ、そんなことを問わねばならないのか
    • 困窮者を支援することに理由が必要か
    • それが人間だからだ それが社会だからだ
  • 弱さを踏まえない支援は、結局自分も相手も傷つける
    • 「私は一人では生きていけない」この事実にまず立つことが肝心なのだ
  • 自己は他者を通じて見える
    • できたら、自分が了解できない範囲、喧嘩できる、違っていたら違うと言える相手と出会うのがいいと思います
    • 自分の中だけ見ても、自分なんて見つからない
    • 喧嘩してでも他者と出会わないと、自分自身に埋没します
    • そして、自己絶対化が起こり、他者を切り捨てることになってしまいます
  • 学びは出会い。人は出会いで変わる
    • 自分のペースが変えられることを極端に恐れていると、誰とも出会えない
    • その結果無縁へと向かってしまう
  • 靖国は、完全に善なる英霊としてしか祀っていなくて、全的人間の受容になっていない
    • 生き物である以上、いい加減なところは人間にはあって、それを許さないとだめ
    • 単純な善悪二元論では語れない、人間とはいい加減なもの
  • 良き宗教性は、私ではなく「神」が主語。
    • 主語の転換が図られないと、本来宗教が持っている人間に対する相対化が発揮できない
    • 自己正当化が目的なら、それはもはや自分教
    • 人間には他者が必要であり、宗教は他者性の原点
      電子化○

脱アイデンティティ 上野千鶴子・編

  • アイデンティティに関しての論文を束ね、アイデンティティが「どのように捉えられてきたか」という学説史をまとめたもの
  • 母語や既存のカテゴリと自覚するアイデンティティのズレや、アイデンティティの複数性などが、しっかりと語られており、編者のもの以外の論文はわりと読みやすい
  • アイデンティティの理論そのものが開放的であったり抑圧的であるわけではないように、脱アイデンティティの理論も、それ自体はただのツールに過ぎない
  • 一貫した自己も、自己の発達も、それが社会の役割と同一化するというのも、全て仮説に過ぎない
  • 私が何者であるのかという感覚(アイデンティティ)と、他者との関係で自分がどのような者として立ち現れてくるのか(ポジショナリティ・位置性)の関係
    →役やツールとしてのシナモリアキラ
  • 自分の加害者性を指摘することは、苦痛であると同時に快楽である
  • なぜなら、自らのポジショナリティを明示的に示すことにより、自己は、示していない同一カテゴリーの他の人間から切り離され「他の無自覚な仲間とは違う、自覚的なよい人間」になれるからである
  • 自分の立場を他の立場に置いて満足するのではなく、立場自体を、責任を引き受けることが必要
    →シナモリアキラの責任
  • ジュディス・バトラーの「エイジェンシー」概念:「主体が語る」ではなく「言語が主体を通じて語る」
  • 「私」が表現をするより、むしろ、表現をすることで「私」が生起するのだ
  • 私とは、「私」にとって最初の観客であり、主役でもある
  • 言葉とは、「私」の親友であると同時に、最大の敵でもある
  • 原体験としての言葉を、自分のものとして話せないという”断絶”
  • 他者の存在なしに、人は”実存する過去”を手中に収める事はできない

<脱恋愛>論 草柳呼早 

  • 純愛:死なないと不変のものにならないため、究極の純愛はしばしば心中として描かれる
  • 恋を衰えさせないようにするには、互いに変わり続けることが必要だが、そうなると独占出来ない
    →シナモリ・アキラ?
  • モテ:個性消して、つぎつぎ変わる人の好みに合わせる必要がある。
  • 特に、個性出したらダメ。自我が強くてもダメ
    →他人の欲望に対して受動的なミヒトネッセ?

「多文化共生」を問い直す 権五定 斎藤文彦

  • あまり深い考察はないが、根源的なところから「共生」を考えている論文集
  • これまでは方法論的な理論展開のみに議論が集中し、「共に生きる」とは何を意味するのか、誰にとっての「共生」なのかという存在論的な議論が後回しになってきた
  • 「共生」は、主として支配者側・多数者側から語られており、その概念の語られ方が、否応なく現代社会に埋め込まれた権力関係を再生産しているという問題がある
    • 「共生」における「生」もまたすでに「善き生」として語り手によって固定化されるのであれば、それは「共生」ではなく「強制された生」である
      →『地下』(『地獄』)?
  • 本来の意味での共生を意味するように求めるのであれば、それは一元化された「自己」と「他者」の解体という方法以外に達成することは不可能であろう
    • Biosとしての生(市民としての生=活動)とZoeとしての生(奴隷としての生=労働)との両方を、すべての人々が体現するようにならない限り、「自己」は「他者」の「善き生」を定義し続けてしまうのである
    • 奴隷を前提として、良識ある市民が存在するようになってはならない
    • BIosとしての生がZoeにつけ加えられるだけでなく、Zoeとしての生がBiosとしての生が付け加えられることを必要とする
    • すべての人にBiosとしての生が担保されたとき、すなわちすべての人が他者と異なる自己の主張をもって他者との対話に臨むことを要請するようになること
    • これこそが、現代に必要な公共性の創出と言えるだろう
  • マジョリティ側に必要性が感じられない場合は、多文化共生コミュニケーションも意味を持ちにくい
  • 安易に「共生」を用いることの危険性
    • すなわち「共生」概念は、多くの場合、さまざまな状況を正当化する諸勢力の、現状肯定を意味している
    • その結果、本来「共生」が対象としている、社会的に恵まれない立場の人々を、場合によってはさらに阻害しかねない
    • このような逆説性を意識することによって、はじめて社会的弱者や影響力の弱い文化でも尊重されるように
  • 「共生」は、西欧のコスモポリタニズム=全世界の人々を国境を越えて自分の同胞として捉える考え方に極めて近い
  • 「共生」仏教用語としては「ぐうしょう」、縁起、多くの生命の間の相互依存
  • 日本国はすでに日本人だけが生活する場ではなくなっている。災害に限らず、自治体だけでは支援に限界→「多文化共生センター」
  • 仏教概念に基づいた、「きょうせい」(symbiosis)/異なった集団の間の共生という視点と、ともいき(convivality)/異なった個人と個人あるいは個人と集団との間の共生という視点
    • その間に、避けがたく存在している対立関係/緊張関係への視点を、一方で見失うことのない共生観が必要
  • 国民国家は、国民以外のアイデンティティを嫌う
    • 韓国、それまでのウリ(われわれ/オリ)に閉じ込めるナショナリズム教育と多文化教育の間の矛盾がある
  • 共生の「生」概念のなかに埋め込まれた権力関係:意味ある「生」のための主体性の確保をいかにするか
    • 子どもたちの視野を広げ、国家のための客体性だけでなく主体性も育まねばならない
    • 教育で多文化主義やるなら、個々人が生身の他者と交流する機会を提供するだけでなく、社会としての制度的な改革の実践が不可欠
    • また、それらを出来得る限り、多文化主義に基づく移民政策に関連付けていくべし
    • 生物本能からそのまま引き出せない共生、文化概念など補助が必要なのだ
    • 仏教の縁起は、生者だけでなく「死」や「死者」によってささえられ、そのうえに生が成り立っている事実に目を向けるべき
      →死人の森?ルウテトの断章『生存』?
  • ルソー『カンディド』:震災からの復興で、神の善意を盲信する「楽天主義」からの脱却
    • 主人公最後のセリフ「庭を耕す」は、本年の文化に回帰するためであろうと同時に、人間が過去の慣習、生活、文化、社会を切断する行為であった
    • 階級の変更であり、それまでの長い漂流を可能としていた資産を保証する、貴族階級を脱し、自力で新しく生きようとする行為
    • 神の思し召しの現状肯定の後の空隙を埋めるのは、カントが目指した科学精神科人間の自覚的意思
  • アレント、差異を持った人々が公共の場で議論と対話を持つことが、ホロコーストのような悲劇を避ける唯一の方法
    • 多文化の存在それ自体が、画一化した社会による暴走を防ぐ
    • 悪を抑圧するという意味で正義
    • 逆に言えば、それは余裕のある人々による寛容さを基礎としたリベラルな言説などではなく、社会における公共性を担保するための厳格な政治的要求であり、社会全体を貫徹すべき規範と位置付けるべし
  • しかし実際の社会での扱いは、偽善、良くて好意的な行動でしかない
  • 共生の強制
    • 自己責任の名の下に善き生を押し付けてきた新自由主義と同じ、恩恵を受ける多数者から語られてきた
  • 共生の暗黙の前提
    • それが成り立つには、当然ながら「悪しき生」が必要とされる
    • 逆に言えば、「善き生」に基づいた共生概念自体が、「悪しき生」を生み出しているとも考えられる
    • 例:先住民族差別。怠惰な悪しき生が、市場経済に参加する善き生になることによってのみ、共生が成立する
      • 言葉を換えれば、文化の商品化を通した商品経済への参加しか、先住民族の「生」が認められていない
      • そのために、それまでの迫害や強制の歴史が不問に
  • ガラスのコップ:サポートが請負会社まかせで、日本社会と決して混じり合うことがない移民たち
  • 主体性の尊重は、一つの制度で自動的に保証されるものではなく、しばしば対立する各種の利害関係者が、意識して育んでいかなければならないものなのであろう
    • 巧妙なカラクリを見抜き、弱い立場にある個人や集団の主体性が尊重される仕組みを考えていく必要がある!
      電子化×

中空構造日本の深層 河合隼雄

  • 日本神話の世界観は、中央が空白
    • 上下左右、男性原理と女性原理といった対立するものを、無為の神々が対立させずに共存させている
    • 日本の中空構造は、西欧が持っている「中心による統合のモデル」のように絶えざる「異物」の排除を必要とせず、対立構造や矛盾と共存できる可能性をもつ
    • その反面、中央が空で力を持たないため、無責任の体系になったり、中枢に外敵が侵入してしまいやすいのも、また日本の構造の特徴である
      →媒介としての【シナモリ・アキラ】
  • 現在、その中空構造は危機的状況だが、手軽な解決策などはない。地道に現状を把握して改善すべし
  • 母性は全てのものを全体として包み込む機能をもつのに対して、父性は物事を切断し分離してゆく機能をもっている
  • 西洋の父性と、日本の父性は異なる。ヤンキー的全体主義は日本的なものであり、その導入よく考えてやったほうが良い
    • 西洋の父性は近代科学を発展させた「論理と個人責任」であり、いわば「自己主張できる強い個人」
    • それに対して過去の日本にいた「強い父」というのは社会制度に守られた家長というシステム的なものであり、なんでも受け容れる母性社会の補償としての制度に過ぎない
    • 日本にはもともと西欧的な「父性」などは存在しなかった
    • ありもしなかった「日本の父性の復権」を唱える人物は、実は日本とは異なる西欧のシステムで、日本の構造を破壊しようとしていると言える
      →イアテム?
  • 日本の「母性社会」は、相対的なものであり、アジアの他の国に比べると、父性と母性のバランスが取れているということも出来る

ツァラトゥストラはかく語りき フリードリヒ・ニーチェ

  • 永劫回帰というループの元祖的概念
  • 己のみを頼みにする「超人」は、サイバーカラテの理念とは真逆の存在だが、ループを超越するという意味では案外近い存在なのかもしれない
  • まあ、おそらくルウテト様の方は「超人」とは絶対に相いれないだろうけど

償いのアルケオロジー 鵜飼哲

  • 反死刑論者のエッセイ
  • アルケオロジーとは、考古学またはフーコーの「記録の集積の中から,多音声の声を聞き取ろうとする」従来の連続性ある歴史に対立する概念らしい
  • オウム真理教が逮捕された頃の古いものであり、解答のない問題提起だらけなので、内容は多少人を選ぶ
  • パレスチナ問題における、「二つの文化が本質的に異質な贖い(あがない)の、謝罪の、罪の概念を持っている場合、その共同体間で生じたことはいったいどうやって贖われるのかという問題」などの視点は貴重
    • お互いの罪の思想、復讐の思想、贖いの思想、赦しの思想相互が翻訳可能なのかどうかという問題にも繋がる
  • 人が人を殺すときには、常に心の中でおそらく何らかの言いわけをしている
    • 「すでに自分はある形で傷つけられたから、自分には殺す権利がある」と、どこかで言いわけをしていない殺人というものが果たしてあるのだろうか?
    • 暴力は、つねにすでに復讐であるという仮説
  • エミール・バンヴェスト:『インド・ヨーロッパ諸制度語彙集』
    • インド=ヨーロッパ諸語では昔から、経済的な負債の問題と道徳的な負い目の問題に深いつながりがある
      • ニーチェの「道徳的行為の計算可能性なくして主体概念は成立しえない」とした問題とも深く結びついてくる
    • 利子の問題:借りた以上に返さねばならない
      • 「生まれる」という不思議な贈与。
      • 出産は、おそらく一番感謝されないからこそ感謝しろと文化上で位置づけられている、奇妙さがある

ティマイオス プラトン

  • 二つのものが第三のものなしに二つだけでうまく結び合わされることは不可能です。というのは、それら二つのものを結合させるためには、両者の間に一種絆のようなものがなければならないからです

敵の顔 憎悪と戦争の心理学 サム・キーン

  • 「敵」とは「われわれ」の否定的な側面が投影された虚像に過ぎないとする、ユング心理学の「影」(シャドゥ)説に基づいた本
  • 多くの資料を用いて、デフォルメされた「敵」のイメージがいかに形作られ広められているか、また敵対している陣営同士の相手についてのイメージがいかに似通っているかを明白に示している
  • われわれ人類は敵対人(ホモ・ホスティリス)つまり、敵対する種、敵をつくる動物なのだ
    • 自分では否認している敵意という重荷を敵に担わすため、敵をスケープゴートにまつりあげずにはいられない
    • たぶん、何よりも、われわれの関わる戦争は、強迫的な儀式であり「影」のドラマなのだ
    • われわれはそこで、いつもわれわれが否定し軽蔑するわれわれ自身の暗部を抹殺しようとし続けている
  • 生き残りへの最高の希望は、敵と戦争についての考え方を変えることだ
    • われわれが、政治的なパラノイアの論理と敵意を正当化するプロパガンダの創作過程を理解するようにならないかぎり、戦争を抑制することは不可能である
  • 責任転嫁をやめた時、つまり戦争責任を外国の謎に包まれた機関に押し付けるのをやめて、自らの暴力性にあえて目を向けた時から、解決は始まる
    • 戦争の主な責任は、悪者や心のねじけた人間にではなく、ごく当たり前の善良な市民たちにある
    • 国際関係においても、対人関係においても、自分の「影」の投射を認め、自分は無力だが罪の汚れがないという幻想を捨てれば、責任と目的を自覚しながら満足のゆく行動が取れるだろう
    • 平和を目指すのであれば、悪魔を自らの一部と自覚し、自分の力の限界を受け入れることがどのみち必要になる

哲学塾シリーズ 岩波書店

  • 竹内章郎『新自由主義の嘘』
    • 市場の限界=市場は、自然環境・社会の安全性・貧富の格差・労働のあり方・家庭生活そして、人間個人の無償利用をしている
    • 市場は、コストをその外部に押し付けているとも言える
    • 労働能力以外を市場は評価できない
    • 社会保障や労働券などの社会権も必要、市民権だけでなく
    • 「能力の共同性」論:能力は、個人の私的所有物とは言い切れない。
      • 例:人間らしい感情を持たせないためにコミュニケーションを省いた、ナチスの子育てでは赤ちゃんは生命力を維持できずに死亡していった
      • 他者や社会・文化との共同において能力は成立する
      • 障害も環境との関わり合いで困難になるかが決まる
      • 能力:人間個人の自然性と環境との関係そのもの
    • 強制や共同は、単に個人と個人や集団相互が助け合う場面で、初めて生じるのではない
      • 個人の能力の次元で、すでに共同や強制が成り立っている
      • 他人を「助ける」場合も、その能力も他者や環境の力の賜物であり、本人が威張ってやるようなことはなにもない
      • 「助ける」に「してやる」も「してもらう」もない・上下関係もない
        →パーンの『技能』と「荒野の自力救済」の否定?

哲学は資本主義を変えられるか 竹田青嗣

  • 個人の承認と世界の繁栄を繋げる本
  • 簡単にまとめると人類はみんな【邪視者】。【邪視】で闘争しないで、なんとか折り合って共存共栄しようよ!
  • トリシューラやリールエルバ向け
  • 哲学は、真理では無く共通了解「原理」を探し求める学。原理は、自然科学の法則のように、暫定的なゴールであり新しい説のスタート地点
  • 資本主義と近代国家は、暴力による解決を避けるために産み出された「自由」を守るルールゲームであり、その代替システムは無い
  • 近代国家の原理が「自由」にあることを周知させて、欠点を是正すべく話し合うことが大切
  • 基本的な考え方は『人間的自由の条件』の方が分かりやすい。
  • というか、著者独自解釈の「現象学」について知らないと分かりにくいかも

読書について ショーペンハウアー

  • 読書して他人の意見の受け売りをやるより、自分の頭で考えた方が良いという(存在が矛盾ぎみな)本
  • 習得しただけの真理は、義手や義足、義歯、蝋製の鼻のようなもの
  • 本から拾い集めた他人の意見で構成された説は、異質な素材を集めて作られた自動人形のようなものだ(まず自説を立てて、自説の補強のために文献を学ぶ場合を除く)

ドストエフスキーの詩学 ミハイル・バフチン

  • 曰く、「それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニー(注:多声楽)こそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである」
  • 三章で歌われたエスニックポリフォニー。【連関合成】。みんなの力を繋ぐけれど融血呪とは違う。それってこれを参照してるのでは?

友だちは永遠じゃない 森真一

  • 「無縁社会」説は、真実なのか?
  • 社会学者である著者が、一時的協力理論(PCT)プロヴィジョナル、コーポレーション、から見た社会の話
  • PCTは、(教育分野)の活動理論で提唱される「ノットワーキング」概念に近い考え方
  • 「ノットワーキング」:人々が、「関係の糸」を結んでほどいたり、また結んだりする運動のこと
  • 現代は「多縁社会」であり、社会はあらゆるモノとの(不完全な)一時的協力によって(不完全なかたちで)成り立っている
  • 組織の「境界」を越えることで、逆に組織の存在意義を守り、問題を解決している具体例も紹介
  • 一時的協力はほとんど上手くいかないが、リトライすること、無理だと決めつけないことが大切
  • ただし、不完全さを肯定することと、不完全さに居直ることは違う
  • 「共創」:サービスを即興劇に例えるものであり、提供者と受け手が積極的にかかわり合い、場と空間、時間をともに作り出す
  • 客がサービスの利用に対して主体的にかかわることを「損」とする「お客様」社会化こそが、共創の価値を享受するチャンスを手放す真の損である

な行

なぜ、お札でモノが買えるのか 高橋洋児

  • 人びとが、一緒に働くことでもたらされる価値である「協働価値」説を説いている本
  • 貨幣への「国民信用」を、自分達国民が一緒に働いたことの信用=価値の認識だとする邪視は、学術的にどうかは知らないが、ちょっと面白いと思う
  • 残念ながら、その立証まで手は回っていないが「労働価値説」を発展させて、経済に「人間の(働きの)価値」を含めようとする意図は、評価されるべきだと思う。
  • 人びとのワイワイガヤガヤ(認識)に高値がつくという着眼点は、かなりゼオーティア的

ナショナリズム論の名著50 大澤真幸・編

  • ナショナリズム論についての書かれた東西の古典を紹介している本
  • 入手困難なアイラ・ケミライネンの『ナショナリズム』の概要から、言語と国民のつながりを主張したことで有名なフィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』まで、様々な本を紹介している
  • シャーマンの役割も分析している吉本隆明『共同幻想論』アンダーソン『想像の共同体』サイード『オリエンタリズム』スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』など、アリュージョニストと関係ありそうな本がたくさん載っている

なぜ日本人はとりあえず謝るのか 「ゆるし」と「はずし」の世間論 佐藤直樹

  • 日本における刑法と文化の関係、すなわち「罪」と「罰」のあり方についての考察
  • 日本を支配しているのは「世間」であり、この「世間」が「ゆるし」と「はずし」を使い分けて人を裁いてきたのだ
    →使い魔、追放される異邦人=人狼

なぜ悲劇は起こり続けるのか 共生への道なき道を開く 鈴木文治

  • 被差別者を受け入れてきた牧師が、反差別のために行動することを呼びかけている本
  • タイトルは、津久井やまゆり園における障がい者殺傷事件に由来するが、事件自体についての記述はほとんどない
  • 筆者は、共生社会の実現のために考察をすると共に、さらに日本のキリスト教会に被差別者を受け入れるように呼びかけている
  • 布教を再重視する福音派と社会改革によってより多くの人を救おうとする社会派の対立など、キリスト教の歴史や現状の課題が分かりやすくまとめられているのも良い
  • この本では、刃物で殺されかけたとしてもホームレスなどの排除された人びとに向き合う、建前ではない本気の包摂を読むことが出来る
    • もっとも、それは信仰がある人でもそうそう真似できないハードルが高い振る舞いであることも、また読み取れるのではあるが
  • また、表出言語(話し言葉)をもたない障がい者を排除してきた教会を否定しているのも、この本の大きな特徴である
    • 言葉を持たないものは、神との関係を断ち切られたものだと捉えられていたが、著者たち桜本教会はそれを否定したのである
      →アルト王や神による言語の剥奪の否定?
  • インクルージョンとは、社会的排除の源泉として貧困と社会的・教育的不平等とを見据え、社会正義や機会均等を要求するものである(インクルーシブ教育の提唱者P・ミットラー)
    • それは、すべての人が選択と自己決定の機会を保持することを求めるもの
    • それは社会のあり方、教育のあり方への指針を示すヴィジョンであり、社会の中にある差別や排除を解消しようとする運動の理念=ソーシャル・インクルージョンのことも指す
    • 著者の解釈:特定の事柄を理由として排除するのではなく、お互いが受け入れあい、支え合って生きる共生の理念
    • そしてその理念は、そもそも人を障害と健常に二分できるのかという人間観への問いから出発されている
    • さまざまなニーズのある人々を包み込み、支え合う社会のあり方
    • 多義的であり、さまざまな意味を含む
  • 他方、インクルージョンという価値観を否定する人々の存在も、また受け入れなければならない
    • 排除を肯定する人々、差別を良しとする人々もまた、排除された人々なのだから
    • 正社員になれなかった人々が、生活保護者やホームレスを悪し様に嫌悪するのも、自身の身の上を受け止められない心情があるからなのだ
    • 自身を受け入れられなかった者が、どうして他者を受け入れられるだろうか
    • 排除や差別の背景には、社会の不平等や不公平の問題が横たわっているのである
    • 現在の社会の仕組み、政治のあり方を根底から見直すときがきている
    • 共生とは、それぞれの主体的な歩み寄りが前提になければならない
      電子化×

なぜヒトは旅をするのか 榎本知郎

  • 霊長類学の専門家が考察する「ヒトが旅をする理由」とその「条件」の本
  • どちらかといえば後者の話であり、サブタイトルの「冒険心」に至っては全く関係なかったりもする
  • 典拠となるソースはほぼ存しない「状況証拠」だけではあるが、それなりには説得力がある説
  • 著者は、旅の理由を生存に役立つ情報を収集するためとし、人々が旅人を饗応・支援する理由も同じく情報のためとしている
  • 動物の移動は一回性で、人間のようにまた帰ってきたりはしない
  • 人が旅をすることが出来るのは、人に旅人を支援する風習があるからである
    • 見ず知らずの旅人がやってきたとき、人は攻撃的でも宥和的でもない態度で接し、ときには食事や宿舎を提供するのだ
  • このヒト固有の関係性を許容と呼ぼう
    →キール隊に歓待された異邦人(ゼノグラシア)のアキラくん?
  • こんな魅力的なテーマが見過ごされてきたのは、欧米文明のキリスト教二元論が、人間という複雑系の現象を解明するのに向いてないから
    • なんでも「敵か味方か」の二極に還元してしまうから、その中庸にある「許容」は、完璧に見過ごされてきた
    • 人間を捉えるなら、いま主流の原子論・還元論ではなく、構造論的な手法を使うべき
    • 意味は関係性にこそあり、関係性こそ進化を担う実体なのだ
      →『使い魔』
  • 同じくヒト固有のコミュニケーションを支える「許容の場」についても指摘している
    →第五階層としてのシナモリアキラ?
    電子化×

なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える 渡辺一史

  • 『こんな夜更けにバナナかよ』を描いたノンフィクションライターのエッセイ
  • 障がい者と会うと健常者の側がなぜか緊張してしまうなど、「普通の人」の立場から、分かりやすく障がい者問題を語っている
  • 介護する人とされる人の不思議な身体の"つながり"
    • 慣れると読み取れる、その障がい者独自の意思表示方法「口文字」や「足文字」の存在
    • それを使える障がい者側がなぜか行政官より強者に、場合によって障害者が健常者や官僚の上に立つという逆転現象
  • OECD諸国の平均2.1%に対し日本の障害者関係の公的支出は1.0%と低い。
  • 日本の社会保障費の内半分は年金、障害者関係は高齢者の2割の十分の一に満たない
  • 障害者も、雇用や内需、人と人との結びつきを生み出している
    • 経済や社会のつながりを無視して、ただいなくなればいい、死ねばいい、殺せばいいという考えは、知性や人間性のなさを自己申告しているのと同じです
  • とっさに人を助けてしまうことが「福祉」のはじまり
  • 人と人が支え合うこと。それによって人は変わりうるのだということの不思議さに、人が生きていくことの本質もまた凝縮しているのだと
  • 海老原宏美:映画『風は生きよという』の主演・」小池都知事への手紙
    映画公式サイトに全文あり
  • 私は、「価値のある人間と価値のない人間」という区別や優劣、順位があるとは思いません。
    • 価値は、人が創り上げるもの、見出すものだと信じているのです。
    • 真冬、青い空に映える真っ白な富士山を見て、ただの盛り上がった土の塊にすぎないのに清々しい気持ちになれたりと、価値を創り出しているのは人の心です。これは、唯一人間にのみ与えられた能力だと思います。
      →【邪視】?
    • そう考えるとき、呼吸器で呼吸をし、管で栄養を摂り、ただ目の前に存在しているだけの人間をも、ちゃんと人間として受け入れその尊厳に向き合い守っていくことも、人間だからこそできるはずです。
    • あるのは、「価値のある人間・ない人間」という区別ではなく、「価値を見出せる能力のある人間・ない人間」という区別です。
    • 私たち、重度障害者の存在価値とはなんでしょう。
    • 重度障害者が地域の、人目につく場所にいるからこそ、「彼らの存在価値とはなんだろう?」と周囲の人たちに考える機会を与え、
    • 彼らの存在価値を見出す人々が生まれ、広がり、誰もが安心して「在る」ことができる豊かな地域になっていくのではないでしょうか?
    • 重度障害者が存在しなければ、そもそも「なぜ?」と問う人も存在せず、価値観を広げる機会自体を社会が失うことになります。
    • それこそが、重度障害者の存在価値ではないでしょうか?
    • 重度障害者は、ただ存在しているだけで活躍しているとは言えませんでしょうか?
  • 学ぶとは、いくら学んでもわからないことがある、ということを受け入れること
  • 「もし自分だったら」という即断は、予想外なことを予想していない
  • 自閉症スペクトラムなど、環境や状況によっては、どんな人も障がい者になる可能性も
  • 障がい者に生まれついたのはその人の責任ではないにも関わらず「普通の生活」をおくる機会を奪われたり、周囲に頭を下げ続けていかねばならないのでしょうか?
  • 介護や介助にあたっては、「正解」や「教科書」などは存在せず、常にお互いの考え方や立場を率直に話し合うしかない

ニーチェ・キルケゴール間の実存主義の思想史変遷

  • ツァラトゥストラはかく語りき(ニーチェ)・死に至る病(キルケゴール)、この著作というよりも両者間の実存主義の思想史変遷が、トリシューラのプレ・ヒューマンっぷり(2章)に近い

憎しみに抗って 不純なものへの賛歌 カロリン・エムケ

  • ドイツのジャーナリストによるエッセイ
  • 憎しみと暴力は、歴史的文化的枠組み(文脈)のなかで作りださらなければ、そもそも存在しない。
    • 憎しみと暴力をそれだけ取り上げて断罪するのではなく、その機能のしかたを考察しよう
      • 憎しみと暴力の経緯を正確に描写することで、それをどこで中断し、解体することが出来るかという可能性を示すことも出来る
  • 憎しみに対抗するためのもっとも重要な行動は、孤立化を許さないこと
    • 憎しみにさらされ孤立している者の言葉に耳を傾け、憎しみの本流がさらに激しくなるのを許さないことだ
  • 人種差別は中立な「懸念」という形で表明されがち
  • 「シボレテ」という一語で生死が別れた例:エフライム人を殺戮したギルアデ人(土師記12章5-6)
    →言震?
  • エリック・ガーナー殺し:「息ができない」より 「今日で終わりにしよう」を覚えておきたい
  • 不正を日常的に体験していないものは、この世界に不正がまかり通るはずがあるだろうと、そう問いがち
    →公正世界誤謬
  • 自分が「標準」に当てはまるものは、「標準」などないという誤った思い込みを抱きがち
    • 「恥の瞬間」:他者言葉や身振りや行為や信条が、いつどのように自分を傷つけ、疎外するのかを、自分自身で指摘せねばならないのは、恥ずかしいものだ
  • 自分の暮らす社会へ信頼を抱くには、侮辱に傷つけられたと感じるべきなのは、犠牲者のみならず我々全員なのだと皆が考えられること
  • 蔑視のレッテル:無力な人間たちの絶望は、「怒りっぽい」と解釈され片付けられてしまう
    電子化○

21世紀の啓蒙 スティーブン・ピンカー

  • 理性、科学、ヒューマニズムを信奉し、現代の言葉で啓蒙主義を語り直して推奨している本
  • 世界は、理性とヒューマニズムの力によって、長期的には良くなってきたしこれからも良くしていくことが出来ると主張している
    →トリシューラの理想?
  • その論には、「生きがい」や「信仰」を、文明の進歩による繁栄と便利さだけで片付けようとするところもあるが、単なる楽観主義ではなく、人類の未来に真剣に向き合った考察となっている
  • また、データに基づいて不平等からAIの暴走、環境問題からテロに至るまで、「破滅の予言」が実現しないことを確固論破もしている
  • 人間の判断は党派性などで歪められてしまうが、それも適切な推論方法や教育によって、克服可能である
  • 優生学など、科学が犯したとされる悪は、実際には科学と相反するロマン主義や権威主義的ハイモダニズムなどから産まれたもの
  • 神を必要としない宗教道徳はともかく、「有神論的道徳」は害悪だし、ニーチェの思想も有害な影響の源泉でしかない
  • 「基礎物理定数」も「意識のハードプロブレム」も神の存在を証明出来ないし、進歩の敵である宗教はこれから衰退していくであろう
  • わたしたちは完璧な世界を手に入れることは決してないし、そんなものを求めるのは危険だと考えるべきだ
  • だが、わたしたちが人類の繁栄のために知識を使うことを止めないかぎり、人類の向上に限界はない
    • この英雄的な物語は、神話のようなフィクションではなく、わたしたちが手にできる唯一の真実である
  • ただ、挙げられている資料は英語の論文ばかりなので、論に対してソースが少なすぎるようにも思える
    電子化○

21世紀を生きはじめるために 小浜逸郎 橋爪大三郎 竹田青嗣 瀬尾育生 村瀬学

  • 詩人から幻想学者まで、五人の執筆者が書いた論文集をまとめた、雑誌のようなシリーズ
  • ことわざからフロイト批判まで、五人が書いたものは一見それぞれまったく異なるように見えるが、続けて読むとその問題意識に重なるところがあることがわかる
    • その有様は、まるでリレー小説のようにすら思えるほどだ
  • イデオロギーや西洋思想の受け売りを嫌い、身近な感覚から思考を立て直すその姿勢は、あるいは神の支配に反逆するものとも言えるのかもしれない
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日本文化の模倣と創造 山田奨治

  • 日本文化の特殊性に留まらず、模倣とオリジナリティの本質を論じている本
  • 著者は、国民国家による利益の独占と共にあったこれまでの独創(クリエーション)性を否定し、共同体による模倣と不可の創造である「共創」(レクリエーション)を奨励している
  • 言語体系と類似性を判断する直観の関係、著作権の成り立ちとその利害関係、ハッカーのオープンソースにも影響を与えた日本文化など、そのカバー範囲は広い
  • 真似をすることは、人と人あるいは文化と文化のあいだの情報伝達、さらには創造性とは何かという問いに直結する課題をも含んでいる
  • 似ていつつ、異なりつつ、似ているという連鎖が重要
  • 「バザール」に例えられるオープンソースも、創作のための共通の基盤「伽藍」が必要

ネット社会の「正義」とは何か 集合知と新しい民主主義 西垣通

  • 三つの異なる正義を組み合わせて、集合知によって「正解がない問題」に答えを出す方法「NーLUCモデル」を提案している本
  • 身体を持たないAI知能の否定や、オートポイエーシス、そしてコミュニケーションが出来るのは「階層的自律コミュニケーション・システム」(HACS)という「間主観性」があるからだという話など、アと関連性も高い
  • 端的には、「自由主義の制約条件を念頭に置きつつ、功利主義の効用関数にもとづいて公共的正義のあり方を検討する」というのが、公共的問題でのネット集合知の基本的なアプローチである
    • またそこで、共同体主義の共通善は、具体的な選択肢の設定においてしばしば非明示的に機能する事になる
    • すなわちこれは、共同体の共通善をふまえながらも、自由主義をとりいれた一種の功利主義モデルに他ならならない
  • 「意味」とは本来、個々の人間主体にとっての「価値・重要さ」である
    • コンピュータは与えられたプログラムにしたがって記号を形式的に操作しているだけで、記号が担う本来の「意味」を理解したり解釈したりしているわけではない
  • 「意味」とは、本来、生命体の生存活動(選択行為)と不可分の存在なのだ
    • 身体こそが意味作用発生の原器
    • どんな生命体も、生きるために「有意味な対象」を認知し選択するという行為を行っている
    • 飛びついた動くものが本当にエサであれば動物が生き長らえることが出来るように、「意味=価値」とは選択行為とともに事後的に出現するものなのだ
      →トリシューラの場合、意味は「承認」獲得に当たる?
    • 人間の心に生じる複雑微妙な意味作用も、この生命活動の延長上にある
    • たとえば読書をしているとき、われわれは、自分の記憶している言語的な概念にもとづいて文章の意味を解釈する
    • そしてその解釈が自分の記憶にフィードバックされ、記憶のなかの言語概念も刻々と変化していく
    • 読書体験とは、そういう自己準拠的・再帰的・循環的なプロセスにほかならない
  • 国民的議論が不可欠の重要な諸問題を、「選良」(エリート)にトップダウンで決めさせてはならない
    • そろそろ一般のアマチュアの人びとも、本気でITやネットを活用し、ボトムアップの熟議に参加すべき時なのだ
      • 集合知民主主義はボトムアップの熟議による正義の追求であり、社会的下位集団(下位HACS)での身体的な共感が段階的に抽象化・論理化されて社会的上位集団(上位HACS)での決定に反映されていくことが望ましい
    • ネットという貴重な存在を、単なる金儲けの道具だの、不平不満のはけ口の場だのにしてはならないのである
      電子化○

呪われた部分 ジョルジュ・バタイユ

  • 経済の本質は、太陽から与えられる無尽蔵のエネルギーの余りを使い切ること、「蕩尽」にあるとした経済の思想書
    →『下』のエネルギー源である地上太陽?
  • 全てのエネルギーはまず個体の成長に用いられ、それに使いきれない分は、好むと好まぬとに関わらず破滅的な方法で損耗されねばならない
  • 三部作だが、これだけでも形になっている
  • 深く理解するには、『目玉の話』(『眼球譚』)などのバタイユの他の作品や、バタイユの個人史に触れた解釈本か必要かも

は行

パース

  • 記号学の確立者
  • 「思惟と論理は不可分の関係にある。なぜなら人間の思惟は類似を通して前に進んでいるからだ。」
  • 遡及的推論(アブダクション)を帰納・演繹に先立つ推論として重視→「遡って、フィリス」

廃棄された宇宙像―中世・ルネッサンスへのプロレゴーメナ C.S. ルイス

  • 本書において読者の眼前に中世ヨーロッパに流れ続けた壮大・絢爛たる宇宙観が再構築される
  • それは、聖書およびギリシャ・ローマの古典たちの相矛盾する記述を、「それでもすべて真実の描写であるはずだ!」と歴史上の賢者たちが寄せ集め建築した尊敬と愛の結晶である

ハイラスとフィロナスの三つの対話 バークリー

働くことがイヤな人のための本 中島義道

  • 哲学系ドロップアウト組のための本
  • どちらかと言うと【E・E】嫌いの人向け
  • きみが自分の固有の思索を展開したいのなら、他者を避けてはならない。
  • きみの思索と異質な、天と地のように異なる他者に次々にめぐり合い、彼らからめためたに切りつけられなければならない
    →世界槍を巡る対立、四魔女に必要な、ゼノグラシア/グロソラリアの使い魔の存在意義。
  • 金との引きかえという容赦のない構造の中で、きみが自分に真摯に問いかけるとき、きみの抱いている理想が本物かどうかわかる
    →トリシューラに対するアキラくん。あるいは、トリシューラの自己実現。

反逆の神話 ジョセフ・ヒース アンドルー・ポター

  • ヒッピーやロハスなど、消費スタイルや奇行によって人々の意識を変革し、体制に反逆しようとする文化=カウンターカウチャーを批判している本
  • 先進国であるドイツで生まれたファシズムへの恐怖やフロイトやマルクスの影響などのカウンターカルチャーが誕生した経緯と、その個別事例の記述が豊富
  • かなり資本主義的だったアメリカ先住民族の話など、一般的なイメージを覆す記述も多い
    →イアテムなど
  • 旧弊な慣習への異議申し立てと、単に破壊や快楽追求するだけの逸脱は、区別しなければならない
  • 人間の意識と文化の完全な変容には至らないどんな提案も拒むことで、カウンターカルチャーの活動家は、いたずらに問題を悪化させてしまった
  • 消費主義は、競争的消費の産物であり、それはゼロサムゲーム、誰かを蹴落とさなければクールになれない軍拡競争である
  • その根本問題は、人生のあらゆる面における競争性の端的な表現であり、そこに根本的な解決策など存在しない
  • だが、累進税を高めた所得税は、消費者たちの局地財を求める競争で、軍縮協定の役割を果たすかもしれない
  • (外部性を内部化する税制は)さらなる自由の削減を伴うが、他人も同じことをする保証とひきかえに、個人が進んで自分の自由を手放すかぎりでは、まったく問題ない
  • 結局のところ、文明とは、ルールを受け入れ他者のニーズと利益を尊重し私利の追求を抑えるという、僕らの意志のもとに築かれるものだ

反共感論 ポール・ブルーム

  • 共感=他者が経験していると自分が考えるあり方で、自らが世界を経験するようになること。アダム・スミスの同感(sympathy)
  • どちらかというと「共感絶対肯定派への反論」とか「理性にもとづく思いやりを再評価しよう論」といった方が正確な本
  • 共感は、スポットライトを当てた個人をえこひいきしたり、戦争などの暴力を支持することにつながる
  • 倫理学者テイジ・ライと人類学者アランフィスク:道徳的正当化が、暴力や残虐性の主要な原因である

反ニーチェ なぜわれわれはニーチェ主義者ではないのか リュック・フェリー/アラン・ルノー他著

  • ニーチェとともに、ニーチェに反して考えようとしている論集
  • 野獣、詭弁家、唯美主義者ーー「幻想に仕える芸術」/アンドレ・コント=スポンヴィル
    • 真理を真理以外のものに従わせる思想を、広く詭弁術[ソフィスト論法]と呼ぶことが出来る
    • 詭弁学とは論理学上の相対主義であり、その誘惑は要するに次のような三段論法から生じうる
      • すなわち、あらゆる価値は相対的である
      • しかるに真理は一つの価値である
      • ゆえに真理は相対的である
      • この推論を回避するには小前提、つまり真理がひとつの価値であることを否定するしかない
      • もちろん、真理が個々の誰かにとって価値を持ちえないというのではない(真理を愛する者にとっては価値がある)
      • しかし、真理は価値を持つから真なのではない
      • 価値は真理の本質を規定するのではなく、真理に対するわえわれの主観的関係を規定するのである
    • ニーチェ主義は転倒したプラトン主義であり、価値は存在するというプラトンに対して、ニーチェは存在は価値を持つ、言い換えれば、存在は一つの価値に過ぎない、と主張している
      • 真理は存在しないと主張したとしても、その主張自体が真実か否か問われる
      • 解釈しか存在しないという主張も一つの解釈に過ぎない
    • ニーチェの「事実は存在しない、解釈しか存在しない」というのは論理学的あるいは哲学的に疑わしいだけでなく、道徳的に見て危険
      • 蒙昧主義や無知とどうやって戦うのか

「反日」と「嫌韓」の同時代史 ナショナリズムの境界を越えて 玄武岩

  • 日韓関係における「境界」の意味を問い直すことで、絡まり合う「反日」と「嫌韓」の同時代史としての歴史的空間を浮き彫りにし、「境界」の解体に向けた道筋を指し示そうとしている論考集
  • 日本国民は戦争の被害を等しく耐え忍ぶべきだとする「戦後被害受任論」を否定することで、コリアンの被爆者やサハリン残留などの国境を越えた戦争被害者の連帯、ひいてはアメリカ主導ではない東アジア共同体の構築を提案している

東アジア歴史認識論争のメタヒストリー 「韓日、連帯21」の試み 小森陽一/崔元植/朴裕河/金哲

  • 韓日の有志が4年間、真摯な討論と交流を続けたシンポジウムの成果であり、韓国でも出版された論文集
  • 韓国側が、自国のナショナリズムを自省し被害者意識だけに囚われない歴史や韓日関係の検証をしているのに対し、日本側は韓日連帯を検討したり、つくる会を批判しているに留まっている感があるのだけが残念
  • 結論は出なかったが、複雑に絡み合った解決困難な問題を、課題としてひとつひとつ解きほぐす試行錯誤を通じてのみ、実感されたことも多いという
  • 「絶対的被害者」という韓国の文脈では上手く把握できない靖国のコリアンのことや、日本との不和で社会の主流となった人々のことにも触れている論文もある
  • 「文脈の共同」:「歴史認識問題」という一つのテーマを論じて仮に「認識の共同」が成り立ったとしても、一方が他方の文脈に入るだけだったり、そもそも相互の文脈から切れた場で議論が行われるだけではダメ
    • 実質的な「知の共同」に必要なのは、 相手方の発言をその拠って立つ基盤ぐるみで理解しようとする努力と、それによって得た相手方の文脈によって、今度は、自らの拠って立つ文脈を普段に相対化していく作業の繰り返しに他ならない
    • これは「双方の文脈の掛け違いそれ自体を検討の対象として共同認識する」という、矛盾を孕んだ課題である
    • そこからも、常に自らの思考や発言の基盤が揺るがされるような「居心地の悪さ」が浮かび上がってくることになる
    • ある意味では、そうした「居心地の悪さ」に直面することが、「文脈の共同」の逆説的な本質といえるかもしれない
  • 全体の把握を怠った「文化本質主義」批判は、逆に文化本質主義に陥っている
    • 民族感情も、文化本質主義批判とバランス良く把握必要?
  • 朴裕河:韓日間の過去の克服はいかに可能か
    • 謝罪を謝罪として受け入れさせるものが、謝罪する主体に対する信頼であるとするならば、日本に対する不信が私たちの中に残っている限り、日本がいかなる謝罪をしても私たちはその謝罪を受け入れないはずだ
    • 結局、謝罪は、謝罪する主体とは関係なく、受け入れる人によって成立するものとも言える
    • だとすれば私たちは、私達自身のために日本を赦すべきではないだろうか
    • 日本の謝罪が、必要でないといっているのではない
    • デリダ:処罰と赦すことは別のこと、「許しは条件なき、(略)恩寵的な贈与でなければならない」
      • 「被害者が罪人を理解するやいなや、和解の舞台は既に始まっており」「普通の意味での赦しも始まってい」るのだという
      • 赦しのためには「理解」できる知的・情緒的「力」が必要なのである 
    • 何よりも、日本に対して赦しが必要なのは、私たちの中のジレンマである親日派に対する赦しを可能にするためでもある
      • 赦しとは、加害者よりも被害者自身のために必要なものなのだ
      • 疑念と警戒心と憎悪から自由になるために、それによる暴力的言葉と行動から自由になるために、ひいては、そのように私たちをいつまでも捕らえて離さない傷によって荒廃した私たち自身の胸を、温かくなぐさめるために
    • 和解と共存のためには、不幸な歴史を一つの時代的な悲劇として見つめる姿勢が必要である
      • もちろんそのような姿勢が、歴史の忘却と隠蔽になるわけではない
      • 重要なのは、どのような状況が彼らを暴君に仕立てたのか=加害者に仕立てたのかを見ることであり、それを後代に伝えることである
      • そのとき歴史教育は、過ちを犯した人が誰なのか言い当てるクイズ式教育よりもはるかに豊かなものになる
      • そしてそのように育った次世代は、自分の傷とともに相手の傷についてもより深く考えられるようになるはずです
    • 日本に対する赦しは、植民地国家としての矛盾を見詰めるという意味でも必要
      • 植民地化されてからの、あるいは解放されてからの私達自身の心理の考察。内部の欲望や葛藤や矛盾。植民地化の経験が私たちをどのように歪曲し、新たな矛盾を作ったのか
      • 経験を対象化することが可能になるならば、過去の傷を治癒し、新たたに歴史に向き合い直すことが出来るはず
  • 『ヨウコ物語』:被害者としての日本人を描き、アメリカで教科書に用いられた小説
    • 背景にある植民地主義を問わないストーリーは、植民地はアメリカ以外の国のこととして、アメリカの植民地責任を免罪している
    • フィクション=虚構だからこそ、狭い意味での手記や証言に要求されない、一個人の体験を超えた大きな歴史の脈絡への言及や理解・歴史の批判的検討や省察といったことが、その優劣や審美的価値の評価とは別に要求される
    • 物語の書き手の自由裁量には、どんなときにも歴史責任が生じているのである

人はあなたの顔をどう見ているか 石井政之

  • 顔の美醜に対するコンプレックスを、飼いならす方法を伝えている新書
  • 中高生向けではあるが、本人の経験からくる真摯なアドバイスとなっている
  • 著者は、顔に大きなアザがある「単純性血管腫」のフリーランスのジャーナリストにして、NPO法人ユニークフェイスの発起人であり元会長
    • 『3年B組金八先生』第7シリーズで登場した養護学校の先生、青木圭吾のモデルでもある
  • ぼくは、コンプレックスを煽る情報をウイルスに、それを受け取る脳を、コンピューターのハードディスクにたとえてしまいたくなるのです
    • 「コンプレックス・ウイルス」に感染すると、脳が誤作動を起こしてしまう、と
    • 日本社会には、「アンチ・コンプレックス・ウイルスソフト」として優れた商品ラインナップがまだ揃っていません
    • 本書をその試作品として書きました
  • 人は、いつか必ず自分のコンプレックスと向き合わねばならない
  • 鏡の中自分の顔や体から目を背けたくなる、その居心地の悪さを大切にして欲しい
    • その居心地の悪さから逃げないことから、自分の外見をしっかり考えることが出来るようになるし
    • 他人の外見を見て「汚い!」と思ってしまう自分の感情を、冷静に見つめるために必要な、大切な心構えができるようになるんだ
  • 重要なことは「自分の顔」を起点に、顔について考えること
    • しかし、それは難しい
    • 鏡や写真を通じて、自分の顔を理解するしかないので、その鏡や写真のイメージによって、「自分の顔」のイメージがくるくる変化していく
  • 人は、自分の顔を直接見ることは一生できません
    • だから、あなたが知っている「自分の顔」は、自分が作り上げたイメージの塊です
    • そのイメージまみれになった「自分の顔」を否定して、本当の自分の顔を見つめることはしんどい
    • 不可能に挑戦するようなものだが、しかし自分の顔を見つめられない人は、他人の顔も見つめることができない
    • みんな、他人の顔を見たとき、「自分にとって都合のいい顔であってほしい」となんとなく想っている
    • 意識しようがしまいが、みんな、他人の顔を見て、気分を害されたくないし、ぎょっとしたくないと願っているようなんだ
    • 人が何かを見るとき、意識しようがしまいがその人間がおかれている立場、環境に制約されているんだ
    • だから、人間にとって顔とは何か?を考えるとき、その考えている本人の立場をはっきりさせておかないと説得力がなくなってしまう
  • 女の子は、絶対に男の子の立場では考えられないかもしれないけれど、工夫次第で、男の子の立場に近づくことが出来る
    • その逆もしかり
  • 現代に生きる人たちは、みんな群衆の中で孤立している
    • そんな孤独な群衆のひとりであるぼくたちが、ひとたび会話を始めることができれば、意外と気持ちが通じ会えるものです
    • なぜなら、みんな、自分のことを特別な存在だと思っているが、同時に、自分たちがとりたてて変わったところのない「普通の人間」であることを知っているから
    • だから、普通の人間が普通に「ひとりぼっちだなぁ」と感じても、わかりあえることが多いのです
  • 理解しあえれば、ひとりぼっちの感覚はなくなります
    • 共通点が多い人同士なら、理解できる部分が多くなり、共通点が多い人が集まれば、そこに「普通」ができてきます
  • ぼくたちの脳の中には、自分だけの「理想の外見イメージ」がいつの間にか刷り込まれています
    • 人間は、自分でつくったイメージによって自信をなくし、普通の暮らしを送ることができなくなってしまう生き物でもあります
  • 筆者は、自分で自分の「理想の外見イメージ」に爆弾を投げつけて消滅させてしまった
    • その爆弾とは、筆者がユニークフェイスの人びとから聞いたさまざまな事実だった
    • 社会の多数派は、肉体や精神のどこかに欠落をもった人たちであることが分かってきたのだ
    • 理想の自分とは、欠点ゼロな人間だった。そんな人間いるわけがない
  • 一方、中村うさぎさんは、美容整形によって顔を「整形外科医の作品」にすることによって容貌コンプレックスから開放された
    • 彼女は、「これは医師の作品であるから、自分はこの顔に責任を取らなくてもいい」と着想したのです
  • 十代は、化粧などしない「ゼロ整形」の季節にして、ありのままの自分を好きになれるように、せめて嫌悪しないようにする時期にしよう
    • 肉体の装飾や改造は、その成長が終わった二〇歳を過ぎた時にやってほしいと思います
    • 成長の過程で、何も加工をしないのに美しくなる時期が、きっとあるから
    • せめて大嫌いにににならないように、というぐらいで自分の外見を見つめて欲しい
    • 樹木がしっかりと土に根を張っていないと枯れてしまうように、人間の美も、その美を支える肉体がしっかりしていないと、すぐに枯れてしまうのです
  • 植物と違って、人間という動物は、他人からの評価、視線なしでは生きられない
    • 他人の視線を糧にして、美を作っていく
    • それは否定しても仕方がないこと
    • ただし、人間にも夜の花のように、他人の視線を浴びないでリラックスして休む時間が必要なのです
  • 美は他者との交流によって生まれる、あわい、もろい、はかないもの。美はすぐに手に入るものではない
  • 「自分の体のことを一番わかっているのは自分だ。他人の視線が痛い、と思うのは一瞬。私くらい自分の顔や肉体を愛すことができるひとはいない。憎むことができる人はいない」
  • コンプレックスの言語化
    • 自分で自分の顔や肉体について語るのです
    • そして、その言葉が伝わるものになるまで、語り続けるのです
    • コンプレックスを解決するには、他人のまなざしをどうにかすることではなく、じぶんので自分の顔や肉体を卑下する悲劇的な考え方をなくすこと
    • コンプレックスを語れば、その苦しみに共感する人は必ず登場します
    • そうなれば、コンプレックスが生み出す孤立感から脱出することができるでしょう
  • 現代の日本社会で、顔や肉体についてのコンプレックスは、個人的な問題ではないのです
    • たったひとりで立ち向かっても、敗北するのは火を見るより明らかです
  • 自分で自分の顔や肉体をほめる
    • コンプレックスは、そのようにほめ続けることで、消えていきます
    • 自分の顔や肉体をほめる人は、自分しかいないのです
    • そこに選択の余地はありません
  • 自分の顔も肉体も、社会のまなざし、評価に覚えるようなか弱いものになったように見えます
    • しかし、それはコンプレックスが膨張した人間が狭い島国で密集しているから感じる、壮大な幻想に過ぎません
    • 自分の肉体からちょっとでも普通と違う場所を探し出して、コンプレックスを増幅させても何も生まれません
    • ちょっとだけ肉体が普通と違う状態こそが、普通の肉体なのです
    • 人生のパートナーである、肉体とのつきあいを大切にしてほしい
    • 「理想の肉体イメージ」を追い求めても、幸福にはなれません
    • 身体コンプレックスという猛獣を飼い慣らせば、きっとそれは、あなたの人生のパートナーとして、大きな味方になるでしょう
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ヒトはいつ人になるのか 生命倫理から人格へ 村松聡

  • 人体の多様な捉え方を通して、ヒトの胚や胎児を人間扱いする人びとの世界観を弁護している本
  • イメージとしての体も文化としての体も、主観的なものではない
    • 表現は、主観・客観といった認識を表す図式に収まらないタイプの関係である
  • 文化としての体:振る舞い、あるいは体や動作を抜きにしては考えられない文化というものがある
  • 道具としての体:体を背景として道具は登場する
    • 墓へと連続していて、墓と一体な遺体
  • 一つの身体観によって体全体を扱うことは、身体観を変容するし、ひいては人格の軽視につながる
  • なぜ私たちはヒトの胚や胎児を承認しなければならないのか
  • それは、彼らが私たちという他者の承認を必要としているばかりではなく、私たち自身の人格が、他者との関係なくしては成立しないからである
  • ヒトの胚や胎児が人格であるためには、彼らにとっての他者、つまり私たちの承認が必要なのだ
  • それは、「彼ら」が人格としての要件を満たしているかどうかという問題ではない
  • 私たちが、彼らを承認するかどうかという実践的な問いである
  • ただし、この前提は胚や胎児の承認を必然的に保障するものではない
    • 他者を必要としていることは、どの他者を必要としているかを特定するものではないからである
  • けれども、重度の障害をもつ新生児や胎児、そしてヒトの胚に他者としての人格を認める人たちがいる
  • この現実は、誰しも無視できないだろう
  • この現実がある限り、胎児やヒトの胚は既に人格として考えられなければならない
    • なぜなら、ある人たちが胎児などに他者を認めたとき、彼らはその認めた人たちの自己意識の必要不可欠な契機をなしているからである
    • 胎児やヒトの胚の人格を否定することは、胎児やヒトの胚を他者と認める人たちの自己意識を否定することになる
    • つまり、その人たちの人格も否定することになる
  • 自己意識は、私たちが自分をどのように理解しているか、という自己についての知である
    • この自己理解が、しかもその基本的な理解が、誰を他者と認めるかによって変わる
    • たとえば、生後数ヶ月の赤ん坊による反射的な微笑みに、まなざしを見出すとき、私たちは初めて他者の存在そのものに対する責任を感じるようになる
  • 胎児などを他者として見つめるときにも、同様、いやもっと根本的な自己理解の変容が発生する
    • ヒトの胚に他者を見ることは、私たちの通常の理解の世界を超えた地点から人間を捉えることだろう
    • 人間を私たちの理解によって規定しないことで、自己もまた、自分の理解を超えた地点から意味を持つようになる
    • ちょうど、宗教を持つ人々の自己理解のように
    • こういう現実のうちに生きている人々がいることを、そして、その自己理解のうえに立つ人格を無視できるだろうか
  • もちろん、信者の人格のために神さまを認めなければならないというつもりはないし、ペットを他者と考える必要もない
    • 最初から、自己意識をもちえないものについて、人格を語ることは出来ない
  • 問題は、有機体であるヒトの発展のどの時点に、自己意識を持ちうるものを見るか、なのだ
  • 闇雲に、人が大切だと思っているものをなんでも承認すればよいということではない
    • ペットや神に自己意識を持ちうるものという特徴をみることがない限り、そしてヒトと少なくとも同様な生物学的成長がないかぎり、他者ではないか、という問いかけの対象にはならない
  • 私たちは何かを認めるとき、その何かにある固有の特徴を探したくなる
  • 無理もないことだが、認識は常に承認に先立つ物ではない
    • 今の私たちの社会が、すべての人が成人となれば理性的である、と認めているように
  • 人体のさまざまな捉え方を通して、胎児や胚を人間扱いする人の見方を理解し、それを尊重しようと説いている生命倫理の考察本
  • 注意していただきたいが、ヒトの胚や胎児を承認したからといって、生命倫理の問いに分かりやすい解答を与えるわけではない
    • 承認の最後の問いは、さまざまな判断基準を考え対処しようとしても、すり抜ける現実にぶつかってしまうからである
    • 例えば、重度の障害を持つ胎児の場合、その子の人生を考えて、中絶することがあるだろう
    • こうした場合、胎児を認めることは、決して容易な解決をもたらすわけではない
    • 認めるからこそ、中絶を決意するのだから
    • 承認は、そうすれば上手くいくという手引きを与えるようなものではない
  • しかし、最後に考えていただきたい
    • 「何らかのマニュアルやガイド・ラインに書かれていることを守るならば保障される」そういうものが、倫理的なものなのか?
    • それは、規則に従っているだけのことであって、速度制限を守っているから法律違反にはならないといった程度のことである
    • 倫理は、何らかの基準を守れば保障が与えられる話でもないし、守れば倫理の問題が無くなるというものでもない
    • 承認するかしないか、最後には、ちょうど小説『ソフィーの選択』で垣間見たような、どこにも寄る辺ない風景が広がる
    • 行くも地獄、引くも地獄といった状態に、そこでは否応なく立つことになるだろう
    • 倫理的なるものの現場は、ここにある
    • そして、ここには、あらかじめ用意された安心できる答えなどない
  • わかりにくさは認識の不明瞭さにちがいない
  • だが、認識に対する態度は認識の問題ではない
  • むしろ、わかりにくさをどのようなものとしてみつめるかという、私たちの承認と非承認の問題である
  • 曖昧さのよって立つところは、他者という現実の困難に由来しているのであって、これを素通りして明快な答えを求め、ヒトの胚にまつわる不明瞭さを切り捨てていってよいわけではない
  • 他者の分からなさを認めることは、自分自身が透明でないことを認めることであるし、
  • そしてそれは、私たちの自己理解を決定することである
  • 例えば魂なら、わからないものを承認したという基本的な姿勢の伝統、それが重要なのだ
  • 他者は、そのわからなさ、異質性によって、自己の内側へ浸透する
    • 自分へと求心的に閉じていこうとする自分自身の理解の整合性を打ち砕き、自分の感性に親しみのないものを放り込み、逆立てる
    • 言わば、自己を無理やりこじ開け、閉じることのないように語りかけてくる
  • 自己は閉じることのないもので、「鎖国」によっては成立しなかったのではないか
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人は語り続けるとき、考えていない 河野哲也

  • 対話の試み「哲学カフェ」に関わってきた大学教授が、思考や合理性とは何か、そして対話の必要性について語っている本
  • 特に、感情や身体性は理性と対立するものではなく、むしろ不可分のものであるとする視座が面白い
  • 筆者が定義するような対話は、そのためのルールや権威・利害の排除が必要でありどこででも出来るものではない
  • だが、その重要性を否定することは出来ないだろう
  • 対話は、戦争を、互いに結びついた差異へと変換する
    • 対話は平和を作り出し、維持する条件であり、戦争を止める最後の平和的手段なのだ
  • 対話する相手を限ってしまうことは、その外部に敵をつくることに結びついていく
    • 対話を拒否する者、対話の中に入ろうとしない者に対して、どのように対話のなかに誘っていくのかが問題
  • 制度による一種の強制によらずに、すべての人に参加を促し、対話の輪を広げ、そこで誰もが話しやすいルールを生成し、共通の問について論じ合う自律的な過程である必要がある
  • 対話的な教育は、民主教育の基礎であり、平和の基礎である
    • 私は結論として、学校がある国と地域では子どもの哲学は必修化すべきであり、学校が無い地域でも草の根で実施すべきだと考える
  • 現代の日本社会で人びとを結びつけているのは「普通」と呼ばれる基準だが、それは暗黙のうちに強制されている他律的な基準であるうえに、実は、特定の権威や権力に恭順することすら意味している
    • 多くの人々は、この他律的な基準を内面化しようとしてそうなりきれないでいる
    • そして、そこから生じた自己否定的な感情を他者へと投げつけ、「普通ではない」他者を排除しようとする
      →他者の排除
  • 日本の社会は、この「普通」、すなわち権威や権力への恭順によって個人が結びついている階層的な構造をしている
    • 「普通」に従わない人びと、障害のある人や移民にスティグマが貼られるのは、「普通」によってしか社会が成り立たないと信じられているからである
      →『上』?『上』はもっと明示的なヒエラルキーな気もする
  • 「普通」によって成り立っている社会に対話はない
    • 哲学対話の問いは、現在の私たちの社会における物事の区別の仕方とそれに伴う物事の扱い方を再検討しようとするもの
    • 対話をするならば、何が尊ぶべき規範であるかを議論できるだろう

人はなぜ物語を求めるのか 千野帽子

  • 人間は「物語を求める」のではなく、生きていくために「物語を作って」しまう
  • 「物語(ストーリー)」自体は、ただの人間の認知に組み込まれたフォーマット(認知形式)であり、善でも悪でもない
  • 「物語」は、人を救いも苦しめもするが「人間とは物語る動物である」ということを自覚すれば、その害を減らすことが出来るという【呪文】の書
  • 巻末の参考文献が豊富

暇と退屈の倫理学 増補新版 國分功一郎

  • 『アリュージョニスト』自体とは、全く関係が無い本。
  • しかし、次の更新が来るまでの間には、すごく関係がある本
  • 歴史的に言って、暇=退屈ではない。
  • 決断のための孤立を否定。キルケゴール「決断の瞬間とは一つの狂気である」
    →アキラくん向け
  • ウィリアム・モリス「自由と暇を得たら、その生活を飾ろう。生きることはバラで飾られなければならない。」
    →【キュトスの姉妹】と【再生者】。不死という暇を得た人向け

ファッションと哲学 編:アニェス・ロカモラ&アネケ・スメリク

  • 16人の思想家から学ぶファッション論入門
  • マルクス、フロイト、ベンヤミン、フーコー、バトラーなど有名どころからミハイル・バフチンやブリュノ・ラトゥールまでさまざまな思想家ことに一章を割いて、そのファッション(衣服やスタイル・外見)についての思想をまとめている論考集
  • ファッションか思想家や哲学に興味がなければ読み通すのは難しいであろうが、序章に各章のまとめもあるし、文章自体はかなり読みやすい本である
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不快な表現をやめさせたい!? こわれゆく「表現の自由市場」 紙屋高雪

  • 「あいちトリエンナーレ2019」と『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスターについて、表現の自由について素人なりに調べ考えた本
    • 問題を細かく分析し、読者に近い立場から考える筆者の文章は、読みやすく分かりやすい
  • 筆者は、コミュニスト(左派)の立場に立ち、表現への不快感は認めるものの、それを軽々に法律で規制するようなことは、すべきではないとしている
  • ただ、「表現の自由市場による淘汰」を重視するということは、民間人同士での激しい批判の応酬を推奨するということでもある
    • 国家による規制から国民を守るというのは、生易しいことではないのだ
    • あるいは筆者が暗黙の了解としているのは、「表現の自由市場」とは、強い発言力とタフな精神力(あるいは厚顔無恥さ)を持つ者だけが生き残る闘争の場であるということなのかもしれない
  • 現代アートは実際に見てみないとわからない
  • 政治的な表現と芸術を切り離すことは出来ない
  • 外側から「ポリコレ棒」を持ち込むから問題になる
    • 現代では、柴門ふみ『女ともだち』に出てくるセクハラ描写や奴隷制が赦されないように、外側から持ち込まれた規範「ポリコレ棒」だったものは、批判を続けたことで内面化された
  • 表現が取り下げられることは絶対的な悪ではありません
    • 自由な言論や表現の活動にもとづいて、自分に向けられた批判をよく吟味して表現を直したり、あるいは表現を撤回したりすることは、むしろ「市場」の健全な働きだと言えます
  • わいせつとは「見ていて、いたたまれなくなっちゃう」こと
    • 実は楽しみたがっていることが分かってしまわないように、隠しておきたい
  • 憲法学・芸術法の専門家・志田陽子教授へのインタビューもある
    • 「思想の自由市場」の健全さを維持し、その「市場」において「社会の自己治癒力」の発揮を待つためには、自分たちにとって「不快な表現」を当面耐え忍ぶしか無く、それは「多様性を維持するためのコストとして受け入れるしか無い」のです
    • 規制が生まれるのは「市場」の敗北
    • ただし、自由謳歌を続け、それへの批判さえ「表現規制(弾圧)」だと言って封じてしまうようなことがあれば、これまた「社会の自己治癒力」が発揮できなくなったとして、規制を呼び込んでしまう危険性を十分に考えるべきです
    • どういう立場の人たちであっても、表現そのものにまず触れて見る機会を奪わないようにすること、そして「思想の自由市場」を守る方向で一致し、その中で、差別や人権の侵害を無くしていくという「社会の自己治癒力」の発揮に努力すべきだということなのです
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ブッダの幸福論 アルボムッレ・スマナサーラ

  • スリランカ仏教界の長老が書いた新書
  • 「生きることの意味や価値」を否定しているのが大きな特徴
    →生命にしか価値を見いだせないゼドの思想の否定?
  • 重要なのは、なぜ生きるのかではなく、「生きるということは何なのか」を観察することであり、
    • すべての生命とのつながりを大事にし、ただ目の前のことをこなしていくべきなのだとしている
  • 呪文のように同じ文を繰り返し唱えさせたり、競争や嘘を全否定するなどその思想は人を選ぶ
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部落差別を克服する思想 川元祥一

  • 「ケガレ」の概念を変えることにより、部落差別のみならず環境問題や日本文化の内部変革まで解決できるとする、独自の視座を持つ本
  • 仏教思想の影響を受ける前の「ケガレ」は「気枯れ」つまりエネルギーの不足であり、それは個々人によって解消出来るものだった
  • そして[気枯れ」を「ハレ」の浄めを通して解消し「ケ」(日常)に戻す再生機能、いわば自然と人をつなぐリサイクルの役割を担っていた者達こそが、後の被差別部落の人びとであったのだ
  • 「ケガレが伝染する」という考え方をやめて本来の「気枯れ観」に戻し、部落の役割を見直して失われた日本文化を取り戻そう!
    →シナモリアキラ(鵺)?第五章の課題?
  • 人間の文化とか文明というのは本来ケガレ=カオスに触れ挑戦することで築かれ開発されてきた
  • ケガレ=カオスの本質には、"難しさ"と"面白さ"の両面がある
  • "難しさ"とはこれまで暗かったとされていたが、実は単に解明が難しかった部分のことであり
  • "面白さ"とは、その"難しい"ものに挑戦し、試行錯誤することである
    →アキラくんとトリシューラの混沌?

プレイヤーはどこへ行くのか デジタルゲームへの批評的接近 編・限界研

  • さまざまなゲームをいろいろな側面から分析し、問題提起や解決策、さらにゲームの魅力や影響力をも提示している本
  • 「ゲームと身体」や死にゲーの難易度など、アと関係ある話もある
  • リアリティ・ミルフィーユに偏在するVTuber(以下V)たち
  • プロテウス効果:ゲーム内で演じるアバターの特徴が、現実のプレイヤーの行動やアイデンティティに影響する
    • Vは、ミメーシス的な芸術観をも発展させうる
      • アリストテレスは、ミメーシス(芸術)はイデアを超える可能性があると考えた
      • 人間はミメーシスを好み、ミメーシスで現実を把握する
      • しかしVの場合、ミメーシス同士、そしてミメーシスと現実との間の連関をもって世界認識を行っている
      • これは複数のリアリティの上に生きている新時代の人間の大きな特徴ではないか
      • Vはキャラクターを何重にも生み出すことで、面白さを生み出すことが出来る
    • テーラーメード・リアリティ:メタAIによって個人個人のプレイに合わせてゲームが変わるようになって、ゲームの面白さは個人に特化できるようになった
      • この場合、プレイヤーの無意識とゲーム世界全体のあり方が対応している
      • しかもこの場合の無意識は、その仮想空間への認識からのフィードバックによって大きく変化する
      • ここでのゲーム世界は、AIと自分が無意識に協力して生み出す不思議な空間だ
      • プレイヤーの投影像はこうして無限に増えていく
      • 自分だらけの世界のなかで、僕たちは自分と自分との連関のズレを楽しみ、気づかないうちに、複数のリアリティを生きているのだ
    • ゲームをプレイすることは、自分を知ることだ
      • 様々なゲームで様々なキャラクターを演じ様々なリアリティに偏在していても、「自分」というものがふとしたときに漏れ出てくる
      • ゲームのプレイヤーは、自らのアイデンティティの意外なカケラをゲームから見出す
    • また一部のVは、複数のスタッフによって作られている存在でもある
      • 複数の自己から作られ、自己を分裂させてゲームを行うVの自己像は、従来のアイデンティティ認識とは全く違うものになってゆくだろう
        →グレンデルヒ、シナモリアキラ
      • リアリティ・ミルフィーユに偏在するVTuberたち、そのゲーム実況は、自らを探す者の終わりなき旅路なのである
        →冷血(コールドゲーム)のコルセスカの冒険?
  • 草野原々:人生のむなしさから逃れることは不可能
    • デジタルゲームのむなしさ:虚構的ストーリーと現実的ストーリーの矛盾。残るのは現実だけ
    • 二種の対抗策
      • 消去戦略:格ゲーのeスポーツ大会など。虚構を無視して現実的ストーリーに注目する
      • 還元戦略:『ドキドキ文芸部』など。虚構的ストーリーを現実的ストーリーに対応させ、同一化する
    • 消去も還元も使えないので、人生のむなしさから逃れることは不可能
    • 心はメタファーと同じような、プロップを理解するために使われるプロップ志向的な虚構である
    • 我々、つまり心とはゲームの中の虚構的キャラクターであるため、人生というゲームの内部にとらわれており、外に出ることは原理的にできず、人生のむなしさから逃れることは出来ない
      →妄想が現実化するゼオーティアでは脱出可能では?コルセスカの浄界『コキュートス』で還元は可能
  • ゲームとオルタナ右翼の関連性
    • ゲームとイデオロギーの関連は、美学によって考察できる
    • 実証的でなくても行動しなければならないことはいくらでもあり、そういうとき人は「信念」に従う
    • プラグマティズム:議論や実証に検討されて、社会や集団にメリットがあるとわかったものを事後的に(とりあえずの)「真理」とみなそうというもの
      • だからゲームによる行動への影響(有害性)が、実証されていないという批判は通用しない
    • ポストトゥルース:客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的事実へのアピールのほうがより影響力があるような状況
      • その原因はネットだとされる
    • オルタナ右翼、4chanなどのスレッド掲示板に集まる若いネットユーザーたち(Ait-Right)
      • ゲームに似たネット上の政治行動・陰謀論
    • ゲーマーゲート事件:一般的な感性では不評なゲームが賞で高評価されて、枕営業を疑われた。炎上。殺害・レイプ予告まで。ただし参加者の多くは自称リベラル
      • ゲームへの不満のはけ口として、ラディフェミが見つけられた
    • ピザゲート事件:デマニュースで自動誘拐疑惑からピザ屋襲撃
      • ゲーミフィケーションによる政治が、無視できないほど強大な影響力を持つように
    • ゲームとネットを通じた政治的アクションにはかなりの共通性がある
      →友敵判定など、もともと政治がゲーム的な性質を持っているのでは?
      →派手さや、インタラクティブ性の演出はテレビやリアルな政治集会からであり、ゲームとの関連性はそこまで高くないのでは?
      →トランプが勝つはずがないという思い込みが、トランプ支持層の存在を見落とさせ、別の陰謀論に走っているだけなのでは?
    • 私見では、「フェミニスト」に何かを奪われているという意識をベースに、ミソジニーを刺激し、政治的行動を行う集団へと組織化する(あるいは自己組織化されていく)という現象は、日本や韓国でも観察可能なように思われる
      →全否定はしないが、「フェミニズム」も奪われているという意識をベースにミサンドリーを刺激しているのでは?
      →正統性はあるにしても、「男性が独占しているとされる特権を得よう」というフェミニズムの基幹方針は、本来自分が持っているはずのものを「奪還する/奪う」スタンスに立つことなのでは?
    • 思想や動員のテクニックが伝播してきた?
    • 全世界的にフェミニズムが隆盛してきたことへのバックラッシュ?
    • 不安や危機の感覚が蔓延する中で、剥奪感を覚え、それを行う敵を(妄想的に)探して攻撃したくなる世界情勢なのかもしれない
    • 気づかない間に悪しきゲーミフィケーションの中に取り込まれてしまう事態を避けるためには、アメリカの事例を他山の石として、ゲームとどのように接するべきなのかを批判的に検討したほうが良いのでは
    • 「ゲーム」は「ポスト・トゥルース」の状況に(全面的にではないが)責任があると思っている
      • 現代人は、(それまでの本などのメディアに代わって)ゲームやスマホなどの「インタラクティヴ・メディア」に内面や欲望や習慣や主体を形成されている
      • 善にも悪にもなりうる「ゲーミフィケーション」をどう制御してよい社会を目指すのか、、どうゲームと付き合うのか善いところも悪いところも含めて考えよう
      • 批判とは吟味、そのような当たり前の試みをゲームに対してもするべき
  • CODEとMOD
    • CODE:ネット上に存在する、意識させることなく市民の行動を制御・規制できるアーキテクチャ
      • CODEのちからが強くなり、我々がそれに従うしかなくなることは、ネット本来の美点とされる「自由」が失われることを意味する
    • MODは、不正規な改変だが、それは単なる改造ではなく、ユーザー体験を改善したり新しい体験をもたらす
      • ハッカー文化は「自由」を称揚し、MODを作りゲームを改変する
    • MODはオリジナルのゲームなくしては存在し得ず、CODEに寄生する存在だ
    • だが、一方で、MODによってユーザーの体験は拡張されうる
    • そこにあるのはCODEとMODの共存であり、それはユーザーと製作者の関係にも通じる
      →一種の二次創作であるゲーマーコルセスカの存在意義?
  • ゲームが真の意味でユーザーのためにあるとするならば、MODというユーザーに開かれた選択肢が存在していること
    • そしてCODEとMODに寄生されつつ、MODと共に成長していくその状況こそが、ゲームというメディアにもう一つ固有の価値を与えているのだと、私は信じる
  • ゲームとは、単にボタンと快感報酬をひも付けるだけのスキナーボックスではない
    • 叙事詩的ゲームはその差異によって、ゲームプレイの意味をプレイヤーに再考させる
  • デジタルゲームのボタンの下には支配が埋まっている
    • これは信じていいことだ
    • しかし、ゲームがその支配の存在をプレイヤーに暗示し、支配から離れた行動をゲームに入力するよう誘導するところに複雑な思想を埋め込めるということもまた、信じてもいいことなのではないか
      →支配の道具として使われるが、同時に解放のための『杖』にもなり得るサイバーカラテ/シナモリアキラの可能性?
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プロカウンセラーの共感の技術 杉原保史

  • 技術というより、筆者のカウンセリング方針や共感という概念についての解釈を書いている本
  • 共感とは、矛盾する面を持った複雑な概念
  • 共感は、あなたとわたしの間に響き合う心の現象=「人と人が関わり合い、互いに影響し合うプロセス」
  • 問題なのは「共感のしすぎ」ではなく「共感の焦点がロックされている」こと
  • 共感は、積極的に参加し、関わること
  • 「共感できない」とありのままに感じることこそが、共感の始まり
  • まずあなた自身が、自分自身にポジティブな感情の体験を赦していることが大事
  • 共感は話し手と聞き手の共同作業であるため「平均的な共感能力」というものは存在しない
  • 共感は、自然に感じ取ることだが、その「自然」とは努力して身につける技術でもある

文化としての暴力 服藤早苗 赤坂俊一:編

  • 埼玉学園大学の学際的な学科、人間文化学科のそれぞれ専門が異なる教員仲間が、一つのテーマに向けて若者向けに協力して書いた本
  • 革新的な結論などはないし。占いを拒否することによる陰陽師の「不作為の暴力」など内容薄めのものもあるが、さまざまな方向から暴力を掘り下げている
  • キリスト教徒の魂を救おうとする説教の中にある、ユダヤ人に対する暴力
    • イエスに加えられた暴力を描く、メル・ギブソン監督映画『パッション』:イエスが受けた凄惨な暴力を、自分たちの信仰の正当性を証明し、勢力の拡大を図るための最も有効なツールとみなしている
    • イエスに加えられた暴力が、その正しさへの確信を視聴者に植え付ける=中世の受難劇/サイクル劇から続く伝統
    • 我々の心の奥底にあるかもしれない人間性の闇の部分をみせつける
    • イエスを虐待する側の愚かしさを強調する暗い笑い:拷問官役の振る舞いの愚かさを笑うことが、その暴力の容認につながる
  • フィルムの帝国と物語の暴力:被害者
    • 記憶回復療法の流行
      • 過去に向かった時間の旅を通して、今の不調の責任を転嫁できる原因(てき)を見出し、患者たちを被害者にすり替える「癒やし」とカウンセラーたちが立ち向かうべき「悪」を捏造できた
    • 封印された国家のトラウマ:アメリカは、ハリウッド映画を通して加害者である自己を被害者として語り/騙り直している
      • フロイトの「隠蔽記憶」(スクリーン・メモリー):不快な事実の記憶を遮断するために捏造される記憶
      • 自分たちが先住民を虐殺した加害者であったというトラウマは、映像が忘れさせ、アメリカが侵入者たちの被害者へとすり替えられるのである
    • 『国民の創生』:登場する黒人は、実は全てメイクした白人であり、KKKを演じる役者でもあった
      • 黒人という怪物的他者は、白人の内部の闇を投影した存在にほかならない
      • 侵入者に蹂躙(レイプ)されることで、米国は被害者としての国家のアイデンティティを形成している
      • 男らしさを振りかざすアメリカという国家の主体形成は、奇妙に女性的ではないのか
    • 「映像がすり込む物語の暴力」これこそがアメリカが行使している最大級の暴力だ
      • それゆえに、我々は、我々の物語/解釈(ナラティヴ)でアメリカの暴力を問い直さねばならない
      • 「忘れていることを忘れていませんか」「現在アメリカから憎まれている原因は何ですか」、と
    • 外からの攻撃を受けるときが、その防護壁となる境界線が最も強化されるときである
      • 侵入者がもたらす危機によって、国家は外部と内部の区分を意識し、被害者として団結するのである
    • 生と死の区分を失ったゾンビの恐怖とは、皮膚の色による人種の区分が消失する恐怖でもあった
      • ところが皮肉なのは、異種混淆の恐怖を表彰するゾンビが、逆に境界線による区分を強化してしまうことである
        →異獣?
  • 内在化する暴力:現代のバラエティー番組に潜む闇:とにかく笑いを強要する
    • このような番組を大量に視聴し続けることで「おもしろいこと=善 場を乱すこと=悪」「笑いのためなら他者を犠牲にすることは許される」といった信念が培養される可能性は十分にあると思われる
    • そこでは社会正義や常識といったものまでが、おもしろいか否かという次元で同列に判断されるかもしれない
    • このような現象が繰り返されていくことにより、何事も真剣に考えず、場の雰囲気だけを重視し、他者の痛みも笑ってやり過ごしてしまうことが当たり前の人間たちで溢れかえるときが到来するかもしれない
  • 対等な男女の性愛が、男性優位な性愛へと変容する過程:女性史
    • 強姦の始まり(男性による女性所有のはじまり?)
  • 靖国のシンボル操作。死が名誉、性が惨めと思い知らせることによって、戦闘に動員された学徒隊などを拘束した
  • 医療技術暴力性の抑制
    • それは人間の主体性そのものの回復によってしか成し得ない=患者の自己決定権の確保
    • そのためには、法律の改正が必要
    • 患者側も、個人として司法や行政に打開を求めるだけでなく、同病者の要望を集約して公表し、立法に改善を求めることが肝要
    • 自己決定が自分固有の決定にたどりつくには、社会の各層各段階の媒介を要する
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隔たりと政治 統治と連帯の思想 重田園江

  • 政治思想の研究者が、「いま」がどういう時代なのかを考えるために書いた論考集
  • 「統治」という観点から、市場化や新自由主義をめぐる言説を再解釈している視座が独特
  • どうすれば「つながり」を語る言語を再構築できるのか、神と自然人のあわいである、人が生きる場所・すなわち良い国政を作って長持ちさせる「わざ」などが、考察されている
  • 第三部は、漫画版ナウシカや映画タクシードライバーなども例として出てくるので、かなり読みやすい
  • 政治とは、孤独だがひとりではない人間たちがくりひろげる生の闘争、そこから帰結する暴力と抑圧を矯めるためにある
    • 隔たりながらもひとりになれないことが、人間にとって避けがたい条件である以上、政治が必要とされるのだ
  • フーコーとポランニーの市場批判
    • 市場化を推進する統治と市場化に対する統治として、近代社会における市場と社会の攻防を捉えるべし
    • 市場とは、自己調整する自然なものなどではない
    • フーコーの統治性論:自由主義は、統治のテクノロジーのひとつであり、政治的な干渉の様式であった
      • 市場化に不可欠な土地・労働・貨幣の商品化は、それまで社会に埋め込まれていた経済を、無理やりそこからひきはがすことで可能になる
      • したがって、そのひきはがしには、強力な人為的介入(国家の干渉など)が要請されることになる
      • 市場化はつねに一つの政治的な選択であり、決してそれが自然に実現されたことなどない
      • 自由放任経済は、意図的な国家行動の産物であったが、その制限はそうではなかった
      • 金本位制:干渉と規制なしには市場社会が成立しない例
      • 維持するために犠牲と矛盾が蓄積され、最終的に戦争に突入した
    • ファシズムも市場化を巡る攻防から出現してきた
      • それは、一方で国際的な市場システムの猛威に対抗するように見せながら、実は資本家および産業家の利益の擁護として機能したと捉えられている
    • そして、それに対抗するものとして、社会の運動が展開されてきた
  • 大学改革における統治性
    • 文科省は、市場化を進めているかのようなレトリックに訴え、自らの権限と指導力の拡大に成功した
    • その過程で導入されたのは、市場とは無関係な統制と管理であった
    • 大学改革とその結果起きたことを理解するには、「規律」そして「専制」という用語を用いるべき
      →『呪文』
  • 森友問題での官僚の忖度=「政治主導」の弊害
    • 内閣人事局で人事権を握られた官僚は、今では官邸の思考に逆らえなくなった
    • 外部であるはずの「政治」が、官僚の生殺与奪権を握っている
    • 政治家は責任を取らなくて良いのに対して、官僚だけが貧乏くじを引かされている
  • 楽観的かもしれないが、つながり、支え合うことは難しいことではない
    • 人は、自分のためだけにエネルギーを消費することに虚しさを感じるからだ
    • 人びとに足りないのは利他心ではなく、具体的で現実に存在する繋がりの回路
    • つまり、つながりの欠如を、制度や社会の問題として考えたほうが良いということ
    • 連帯の仕組みづくりを根気よく続けていけば、そこに加わる人は大勢いるはずだ
  • 他者がいることで争うが、他者がいなければ助け合う相手も存在しない
  • そして、集合性によって、ひとりでは決して得られない力と可能性をそれぞれが手に入れられる
    • とりわけ、「リスク」に関わる事柄を前にするとき、人びとは連帯と繋がりのメリットに否応なく気付かされ、そこに繋がりの契機が生まれる
    • それを必ずしも自己利益やエゴイズムの延長と考える必要はない
    • 見ず知らずの人を含めた連帯が立ち上がるとき、人は自分自身でありながら、ひとりであることをどこかで超えているからだ
    • 例:協同組合は、協働そのものが互酬的なものとして組織される結果、公平な配分が約束される組織として始まった
  • 異質であることを前提にしたつながり=連帯を困難でも模索すべき
    • 連帯は無償ではなく、お互い様
    • 自己利害や共感とは違う想像力を広げていけば、極めて非対称な関係の中に連帯を見出すことも可能ではないか
  • 連帯の思想史を遡及することが必要
    • 思想史を描き直そうとする試みは、現在への関心とどこかでつながっている
      電子化○

暴力と富と資本主義 萱野稔人

  • 暴力は「善いか、悪いか」という議論をいったんカッコに入れなければ、暴力を思考することは出来ない
  • 「国家とはそもそも何なのか」という理論的考察無しに「国家は悪だから、なくなる可能性を少しでも探そう」という願望に基づいた主張をするのも間違っている
  • 暴力を管理する方法として、人類はいまだ国家以上のものを編みだしていないし、理論的に言っても編みだすことは出来ないだろう
    →シナモリアキラ【天狗】、そして彼らソーシャルジャスティスウォーリアーの願望
  • 暴力の制御と活用は、コインの表裏のように決して切りはなせないもの
  • 暴力とは、身体によって行使される一つの物理的な力であり、他の全ての力と行為を抑止することが出来る最終手段
  • 国家は、その領土において唯一の「合法性の源泉」であり、自分に基づかない法を決して認めない
  • また国家は、他の行為主体が暴力を使って、決定を貫徹しようとしたり紛争を解決しようとすることを、基本的に認めない
  • アメリカ市民の銃の所持も民間軍事会社も、国家の承認によって初めて許されている暴力に過ぎない
  • その結成目的ではなく、「合法なもの」と「不法なもの」を区別し「不法なもの」を取り締まる「手段」こそが、国家にしかない特徴なのだ

暴力をめぐる哲学 編著:飯野勝己 樋口浩造

  • 暴力について、その語り自体が暴力にならないように気をつけながら語ろうとしている論考集(一部失敗しているものあり)
  • 暴力はいかにして哲学の問題になるのか
  • 赤坂真理「暴力それ自体は悪ではない。ただ、あるものだ。発生することが、あるものだ。人はそれと、折り合いを付ける必要があるだけだ。」『愛と暴力の戦後とその後』
    • 「暴力を、ないことにはできない。暴力を撲滅しよう、という日本によくある試みは、暴力だ」
    • 人間的な「この世界」が立ち上がる一契機としての暴力
      • 暴力と呼ばれるのは、知的生命体が行使するものだけ
      • すべてをたんなる自然現象として眺めるまなざし、神やはるかに高度な知的存在の視点から見れば、戦争も自然の力のうねりとして「ただそうなっているだけ」の世界に見えてくるのではないか
      • 他人に心や意図を認めなければ、暴力はない
      • 他人と自己に、並行的に心を定位させる「心の理論」が成り立ってこそ、暴力は暴力として立ち現れる
      • むしろ、害を被るという原初的な暴力の経験――「ただ、ある」だけの暴力――こそが、他者や自己の成立をうながしたり、あるいは同時生成的だったりすることも、考えられるのではないか?
      • 世界が苦労のない楽園ではなかったからこそ、人は物を考え、技術や科学を編み出してきた
      • 同じように、もし人々がおだやかに共生していたら、他人の心の内を深く考えることがあったろうか
      • 人々の共生なるものが、楽園的なものでは全くないからこそ、独自の、そしてときに図り知れない内面をもつ他者というものが、まさに他者として立ち現れる次第になったのではないか
      • 他者がいるから暴力があるというだけでなく、暴力があるからこそ他者がいる
    • 一般的な力の観点から:力と暴力
      • この世界は、さまざまな力がバランスを保って、まずはほどよく安定している場所/半楽園
      • 暴力が暴力として際立ついわば背景的な条件として、あるいは「図」にたいする「地」として、「大筋のところの安定」が必要なのではないか
      • 特異点としての暴力は、その背景であるノーマルな秩序と対立するものではなく、むしろそれとの連続性にあるということだ
      • この世界の可能性の一部は、そのままで暴力の可能性そのものでもある、という認識
      • 私たちは、こういう地点から始めることこそが、リアリティのある姿勢だと考える
      • 撲滅などと言った歯切れのよい言葉ではなく、回避や対応といった語彙を軸にしたもので、暴力への対処を語ることになるだろう
      • 技術的な対処などそうやすやすとはできまいという立ち位置は、暴力の根深さ、その現れの多様性、その概念的多層性などをリアルに見据えていく拠点になるはずである
  • 暴力におけるミメーシスとアイデンティティー
    • 『あらしのよるに』に見る暴力の回避
    • ジラールが暴力の根源として指摘した「似ていること」(類似性)を反転させ、むしろ似ているからこそ暴力の回避が可能になる、という方向を模索
    • 美的対象への愛における類似こそが、暴力を回避するための条件となるのである
    • ここでの美的:対象の所有を目的とせずに見続けることを可能とする価値
    • 愛にも様々な程度があるし、そうした類似を見出す可能性は広がるのでは?
    • 複数のアイデンティティを重ね合わせていくように、多様な層や質を認める姿勢こそが暴力を回避するために必要とされるのである
    • 友達を大事にする二匹の高い倫理性とそれを支える環境が、友情の基盤となっていることにも注目すべき
  • 文化と暴力
    →近代以降のシミュラークルで審美主義な芸術を暴力的として否定している(ほぼクーマラスワーミーの引用)
    • 永遠で絶対・無限の「非顕現」:それ相対しうるいかなる「外部」「他者」も存在しない絶対不可侵の真実在、究極の均衡
      →唯一神?イデア?
    • 「原初の犠牲」:暴力の根源的契機。「非顕現」から森羅万象が出ること
    • 「均衡」の「破れ」/「永遠」から「時間」への「崩落」:森羅万象のために神々によってなされた犠牲獣の供犠。神の無償の愛による自己犠牲
      →キュトスやガリヨンテの殺害?
    • 「快」を自己目的とする審美主義の「ロジック」自体に「暴力性」がある
    • 現在のアートは新奇なもので置き換えられている(あるいは「新奇性」として、審美主義的なフレームワークで眺められるように再配置されている
      • それは、超越的「起源」を完全に忘却すべくその記憶を抹消したうえで、なお死滅はせずに人間の「文化」を維持していこうとする企て
      • 積極的表現で言えば、人間自らが「起源」であり、すべてのものは人間による創造以外の何ものにも由来を持たないと宣言すること
      • 審美主義的「文化」は、より恐ろしく根源的な意味で「暴力」の様態に他ならないのではないか?
      • 「自転車操業」のうちに「新奇性」を追求する審美主義的「文化」の前進の道は、実際には、より根底的次元での「世界崩壊」の過程に他ならないのではないか?
        →トリシューラのブランドのテーマ「破壊」?
    • 本来、審美的は受動的なもの
    • 快感の追求は、アートを「人間以下」のもとにおとしめる「アートのためのアート」になっている
      • それは、万物の「所与性」「被造物性」を否定することであり、リアリティの根源的な破壊・抹消に相当する。VRが代表例
      • 超越的起源がないと、自然と文化が対立せざるを得ない
        →根源の想定自体が、それぞれの文化独自の真理の対立を招く破壊的な行為であり、旧体制の維持をもくろむ保守・反動的な姿勢なのでは?
    • 人間にとっての「リアル性」は、その「所与性」として現れる
    • 暴力の贖い方:人間の一切の営為を、原初の犠牲を行った神々にならって行うこと。そこにすでに一体としてある諸物の「本質」をつかんで、それに従って制作物を具現化する
    • 伝統的なアート
      • 古いタイプの芸術では、アーティストは自然物の変形しかしない「神」の「媒介」であり「代弁者」
      • 常に「知的」にのみ把握される諸物の本質(エッセンス)=超経験的実在を「普遍的象徴体系」に基づいて表現することが規範
        →神学?槍神教の世界観やそれに基づく『神働術』?
      • 「美」超越的「起源」に由来する知(真理)のもつ「人を引きつける側面、あるいは力」
      • 「完成された表現」において客観的に「認識」されるもの
        →超越者リーヴァリオン?『世界槍』の穂先で眠る「彼女」?
    • ルネ・ゲイン「逆さのアナロジー」:現象をあらしめるすべての「質」の由来である(超越的)「統一性」とそれら一切の「質」を奪われたところの量的「画一性」は、まさに「正反対」であるがゆえに「似て」見える
      • 常に同一の源泉から湧き出る水のような「オリジナリティ」と新しい感覚的刺激を求めて自転車操業を続ける「新奇性」は、似ている
        →コルセスカとトリシューラ『邪視』と『杖』の相互参照姉妹?
  • 暴力の行使と制止の行動科学:ミルグラムとジンバルドーの実験。アイヒマンの再現。
    • アブグレイブ刑務所についてジンバルドーは語る「腐っていたのはリンゴではない。樽のほうだった」
    • 人間は同種への暴力と正義感の両方を生まれつき持ち、常にそれはせめぎ合い続ける
  • ヘイトスピーチ:構造的暴力。静かに丁寧に語っても、迫害を導くならヘイトスピーチ
  • 暴力の根底には、「場所への暴力」があるのでは?
  • 語りをめぐる暴力:囚人であっても当事者に語らせるべき。フーコー。監獄情報グループGIP
  • 謡曲「葵上」:暴力をもたらす情念の解消
    →二次創作における救い
    • 仏の教えを唱えることは、自らの声を媒介とした身体変容である
    • 抑制された情念が怨霊となる
    • いいかえれば、情念は、意思を宿す身体を離れることによって、抑制されないものになっていく
    • それに対して謡曲は、明確な意思をもって打ちすえるという場面を作ることによって、意思を宿す身体と情念が再び結びつく瞬間を描き出した
    • 逆説的ではあるが、身体と意思が抑制を放棄し、身体において情念がまったき形で表現されることによって、体の全面的な変容を通して、情念の新たなゆくえを開示することが可能になるのです
    • 情念は、一人ではどうすることも出来ず、自分で自分を否定するという戦いに、勝利をおさめることは出来ない
    • 戦ってくれる存在が謡曲ではいたから、情念を開放して成仏することが出来た
      →クレイによるルウテトの撃破?
    • 謡曲において、六条の御息所が「他者に自分の思いを伝えようとする人物」として造型され得たのは、六条の御息所に抑制を強いたのが、世の人々ではなく仏の教えだったから
    • 仏教によって人間の抱える情念が否定的に受け止められているからこそ、他者が自らと思いを同じくする存在として捉えられるようになったのである
    • 謡曲において仏教は、自らが抱え込んだ情念を、自分ひとりで引き受けるのではなく、他者との関わりの中で具体的に表現しようとする方向に人を促すものとして捉え返されている
    • 不動明王の過剰な慈悲(情)が、六条御息所の根底にあった光源氏への思い(情念)を上回り、慈悲が情念包み込んだ
    • そう捉えることによって、荒ぶる思いのゆくえにひとつの希望を見出すことが出来たのだ
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ぼくが発達障害だからできたこと 市川裕司

  • 『いま、会いにゆきます』などの恋愛小説がアジアで人気な小説家が、自分の障害/特性を肯定する自伝エッセイ
  • あまりにもまっすぐな恋愛を描ける理由が、自身の障害にあるとしており、そこから発展して自身の人間観を人類の進化にまで広げて理由づけている
  • 他人と関わりたくない、つねに過覚醒、過剰な感情、愛する人からも逃げてしまう癖など、その障害は結構ハード
  • 小説を書き始めたのは、自己治癒のためだった
  • センチメンタリズムやロマンチシズムは、悲しみによく聞く薬
    • 脳神経が極度に活性化していて、あまりに感じやすくなっている人間には必須ビタミンにのように欠かせない
  • 巻末には、自身も発達障害者の心療内科医の解説もついており、筆者の幻覚を見るサーダカウマリ能力(シャーマン体質)の説明だけでなく、キリスト教徒の立場からも発達障害者の存在を肯定している
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ポストヒューマン 新しい人文学に向けて ロージ・ブライドッティ

  • 白人男性を基準とする人文学(ヒューマニティ)に対抗して産まれた概念、ポストヒューマンを考察している本
  • 未来存在であるポストヒューマンについて実例や反証が出せるわけもないため、抽象的で難解な文章となっているが、考える糸口にはなるかもしれない
  • ヴォルテールの『カンディード』に出てくるような楽観主義で終わるし、実はこれは、みんな内容を理解してない『裸の王様』的な本である可能性も否定はできないが
  • ウィトルウィウス人体図(ダヴィンチが描いた、円に入った白人男性の絵)をパロディした猫と犬の図が掲載されていることが、端的にこの本の立ち位置を示している気がする
  • ポストヒューマンになるということは、人間たちに無関心になるとか、脱人間化されるとかいったことではない
    • それとは逆に、ポストヒューマンになることは、むしろ倫理的な諸価値を、領土的ないし環境的な相互連結を含む広い意味での共同体の福利へと、新たに結びつけ直すことを含意するのである
    • こうした倫理的紐帯は、古典的ヒューマニズムにおける個々の主体の自己利益とも、道徳的普遍主義(人権を、すべての種やヴァーチャルな存在物、分子的な合成体へと拡張することに彼らが寄せる信頼)とも異なる
    • ポストヒューマン理論はまた、倫理的関係の根拠を共同のプロジェクトや活動といったポジティヴな基盤におくのであって、脆弱性の共有というネガティヴないし反動的な基盤におくのではない
  • 「共同制作の道徳性」:非営利性、集合的なものの強調、関係性およびウイルス的な汚染の容認、潜在的ないし潜勢的(ヴァーチャル)な選択肢で実験し、それらを現勢化(アクチュアライズ)させようと協働すること
    • そして理論と実践を新たに結びつけ、その中心的な役割を創造性に付与すること
    • ポストヒューマン的思考は、変化しつづける世界とシンクロしつつ、ポジティヴな差異を作り出そうとするその営みを支えることができるのだ
      →アキラくんとトリシューラの国造り?
  • たとえば方法論的ナショナリズムという確立した伝統に抗して、それとは異なる思考のイメージ(ヨーロッパ普遍主義を退け、そのかわりに惑星規模の多様性が持つ力能を信頼するような思考のイメージ)を活性化することができる
  • そしてこの世界は、わたしたちが共同で努力し集合的に創造力を発揮した結果である以上、端的にいってポストヒューマン的可能世界すべてのなかで最善のものなのだ
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母性のディストピア(文庫版) 宇野常寛

  • 日本の問題を「肥大した母性」と「矮小な父性」の共犯によって成立した世界=「母性のディストピア」構造によるものとして、そこからの脱却を呼びかける、オタク文化と日本の批判書
    • 全ての問題をそこに集約してしまう【邪視】の本なので、そこで考えを止めるのではなく、むしろこの本への批判から思考を再始動させるべきなのかもしれない
  • 上下巻となった文庫版には、筆者のインタビューと富野由悠季監督との対談が収録されており、前者はそれを読むだけで本の内容や筆者の意図が掴めるのでオススメ
    • 後者の対談も、それまで様々な人を批評してきた筆者が、逆に富野監督から批評される箇所があるので、わりと面白い
  • 「母性のディストピア」とは(アメリカ追従の現実から目をそらした)一国平和主義と「普通の国」志願の対立であり、見たいものだけを見れる環境を提供するデータベース(母)に依存して20世紀イデオロギーに回帰するという矮小な父性でもある
    →ルウテト/ディスペータの庇護?
  • 著者がその解決策として提示しているのは、世界を物語ではなく情報の束として把握するような、80~90年代前半オタクな成熟だ
    • 物事を硬直したイデオロギーのような物語で片付けてしまうのではなく、実利的に判断するリアルポリティクス、『シン・ゴジラ』の技官たちが代表するような失われた知性こそが日本に救いをもたらす真の「ニュ-タイプ」の資格なのだ
    • 彼らが持つ、ただ目の前にある情報を整理し、謎を解き明かし、情況をコントロールする快楽を得ることから公共性へとつながる回路こそが、「母性のディストピア」を支える「父」にならない成熟の形なのである
      →『サイバーカラテ』の機能、経験のビッグデータ化による選択肢の作成?
  • 戦後サブカルチャーの想像力には、時間的永続を司る夫婦/親子的な対幻想ではなく、空間的永続を司る兄弟/姉妹的な対幻想、横のつながりの記述する関係性が必要
    • 家族という閉じた関係性の中に収まらない、相補性の片割れ達による、寄り添いのアイデンティティ・ゲームを維持し続ける関係=同性間の友愛的な関係が必要なのだ
    • かつて吉本隆明が切り捨てた兄弟/姉妹的な対幻想こそ、イデオロギー回帰への抵抗の拠点となりうるのである
      →アズーリア=マリーとセレクティ=ベアトリーチェ?
  • 現代はあくまで個と個として、性格には相補性の片割れとして、境界を超えて誰かとつながることが要求される時代だ
    • 地域コミュニティからテーマコミュニティへの、中間的なものの変化とも言える
    • 媒介なく直接つながるのが「境界のない世界」であるネットワークの世紀だが、共同幻想を通じてしかつながれないオールドタイプたちが「壁を作れ」と叫んでいる
  • 世界が非物語的なデータベース≒市場となったとき、世界と個人、公と私は「政治と文学」ではなく「市場とゲーム」として結ばれることになる
    • このとき私たちに要求される成熟は、物語の語り手/読み手としての成熟ではなく、ゲームのデザイナー/プレイヤーとしての成熟に他ならない
    • 世界と個人をつなぐものは、静的で、一方向的で、開放的な文学ではなく、動的で、双方向的で、開放的なゲームに他ならない
    • 他人の物語への感情移入によって成立するものから、自分の物語を自分で演じるものへの変化と言い換えても構わない
    • ジョン・ハンケ/Googleの「思想」:世界の全てを情報化し、検索可能にすればこの現実の世界は無限に拡張され、それに触れることで人々は成熟し、感動し、創発性を引き出されていくという確信
    • 十分な情報かと検索能力を授け、適切なゲーミフィケーションを施して環境整備を行えば、人々はこの豊かな現実世界に触れることで自発的に自分だけの物語を発見していく
      →コルセスカの【コキュートス】?

ポピュリズムとは何か ヤン=ヴェルナー・ミュラー

  • 一級の政治思想史研究者による、ポピュリズムを「反多元主義」と定義し、民主主義への脅威とする独自説
  • 訳者解説を含めても140Pと短いが、内容はぎっしり充実している
  • 批判だけでなく、ポピュリズムがのさばる原因分析や、さしあたってどう振る舞うべきかまでしっかり触れているところが実に素晴らしい
  • 著者は、ポピュリズムが、民主主義に役立つものや民意の反映だとする解釈を、全否定している
    • それは、「人民」から隔たってしまった現代民主政治を活性化させる好機などでは、決してない
  • ミュラーは、、ポピュリズムを政治世界を道徳主義的に認識するものと捉えている
  • そしてポピュリズムは、ある特定の言語を用いる政治でもある
    • すなわち「自分たちが、それも自分たちだけが真の人民を代表する」という主張こそが、ポピュリズムなのである
    • さらにポピュリストは、「真の人民の意志」というお題目によって、自分たちが権力を握る事を正当化し続ける
    • 彼らは、選挙に敗北しても、それは「真の人民の意志」ではなかったと言い訳し、権力を握れば自分たちに都合がいいように選挙制度を改変する
    • ポピュリストは、陰謀によって人民から乖離していると「エリート」を批判するくせに、最終的には自分たち自身が批判していた「エリート」そのものとなってしまうのだ
      →一種の神格を使い、自分たちの振る舞いを正当化する『呪文』
  • 民主主義は、決定が民主的な手続きを経て形成されたからといって、それが「道徳的」というわけではないこと(逆に言えば、あらゆる反対派が非道徳的とみなされなければならないわけではないこと)を前提としている
  • 民主主義においては、マジョリティの判断は誤りうるし、議論の対象になると想定され、マジョリティの交替が前提とされている
    • 他方でポピュリズムにおいては、あらゆる制度の外にある同質的な実態の存在が前提とされ、そのアイデンティティと理念は完全に代表されうると想定れている
  • 最後に、そして最も重要な点だが、民主主義においては、「人民」は、非制度的な方法では決して現れることはないと考えられ、さらに、議会における多数派は「人民」ではなく、人民の名において語ることは出来ないということが受け入れられている
    • 他方でポピュリズムは、ちょうど逆のことを想定しているのだ
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ほんとうの構造主義 言語・権力・主体 出口顯

  • あまり分かりやすくはないが、わりと独特のエピソードが紹介されている本
  • 構造主義は、強固な体系の構築を目指したり、他者との相互作用によって主体が形成されるという思想ではない
  • 自己はすでに他者を巻き込んでいる存在
    • 他者や他者との関係のネットワークが展開する場は、個人から切り離された独立の外部に存在するのではなく、個人の内部に巻き込まれている
    • 言語の拘束や言語を媒介にした関係性に拘束されることこそが、主体の出発点である
      →アズーリア?
  • レヴィストロース「人を喰う(アントロポファジー)社会」逸脱者から集団との絆を奪ってしまわない社会:脅威となる存在や異質な他者を排除してしまうのではなく、自らのうちに取り込み、それらとの対において自らをとらえ返し、組み替えようとする
  • 単一性を分解する「双子の思想」自己を「一」ではなく「二」とする
    →相補の魔女セレクティフィレクティ?相互参照の幻想姉妹?
  • シベリアのユカギール族、生まれ変わりだが同時にその人自身でもある
    • アイビー(影または魂)は、体中に分散して、お気に入りの身体部位にやどり、それぞれが別の人格となる
      →シナモリアキラと左手のディスペータ?
  • 構造の中身は変化しても、構造同士の関係は変化しない
  • 神話と量子論は、人間が日常とは異なる現実をどうとらえ、それにどうかかわっていくことが出来るのかを示す形式の二様態というべき
    • それらは、有用性や課題解決を求める硬直した価値観(権力と言っていい)に揺さぶりをかけるのである

ま行

マーシャル・マクルーハンの著作

  • "【異界の黙示録グーテンベルクギャラクシー】"
  • テクノロジー=メディアが人間の身体性の拡張という発想はメディア論によるもの
  • マクルーハンによれば言葉もまたメディア(霊媒)であるから【杖】だけでなく【呪文】にも応用可能

街場の教育論 内田樹

  • 教育のような惰性が強いシステムは、「一旦止めてオーバーホール」が出来ないため、現在の基本的なところが順調に機能してないと、改革することも出来ない
  • 学ぶものにブレークスルーをもたらすのが、メンターの役割
    • 学びというのは自分には理解できない「高み」にいる人に呼び寄せられ、その人がしている「ゲーム」に巻きこまれるというかたちで進行する
    • その「巻き込まれ」が成就するためには、自分の手持ちの「ものさし」を後生大事に抱え込んでいる限り、自分の限界を超えることは出来ない
    • 永遠に自分のままでいたい人、自分の「ものさし」で価値が計量できるものだけを希求する者は、学びに向いてない
  • 儒教の「六芸」を見直すべき
    • 「音楽」:音楽とは「もう消えてしまった音」がまだ聞こえて「まだ聞こえない音」がもう聞こえているという、過去と未来との時間の広がりの中に身を置かないと経験できないもの
    • 今ここには存在しないものとの関係を維持していなければ、音楽というものは、演奏することも聞き取ることも出来ない
      →三章幻影カタルマリーナの攻撃?
    • 「礼」:祖霊を祀る儀礼:生きているもののふるまい次第で死者のふるまいが変わる。つまり、死者とのコミュニケーションが成立しているということ。存在しないものともコミュニケーションすること
    • 「御」「射」:敵を対象としない武術
      • ①自分の身体の精密コントロールと意識化の向上
      • ②他者とのコミュニケーション
      • 非ー自己と一体化することによって、パフォーマンスを爆発的に向上させる
        →【サイバーカラテ】?
    • 義務教育とは、要するにコミュニケーション、それも存在しないものとのコミュニケーションの訓練であるべき
  • 学びの基本:わからないことがあれば、分かっていそうな人に聞く
    • 自分が何を知らないのか、何が出来ないのかを適切に言語化し、その答えを知っていそうな人やその答えにたどり着ける道筋を知っていそうな人を探り当てる
    • そして、その人が「答えを教えても良い気にさせる」こと=教えてくれるように丁寧に頼むこと
  • 競争を通じて学力の向上を果たそうという競争戦略は、結果的に全員が全員の足を引っ張り合うという『蜘蛛の糸』的状況に行き着き、学力の向上につながらない
  • 学力を上げるためには、自分たちのいる場所とは違う場所、「外」とのかかわりが必須です
    →『天獄』?(『地上』)
  • 教師は言うことなすことが首尾一貫していてはいけない
    • なぜなら、教育は葛藤を通じて果たされるから
    • 子どもたちが時間を賭けて学ぶべきは、すっきりした社会のすっきりした成り立ちではなく、ねいくれたしゃかいのねじくれた成り立ち
    • 成熟というのは「表面的には違うものに聞こえるメッセージが、実は同一であることが検出されるレベルを探り当てること」
  • すべての重要な教えは「そのオリジナルはもう消失したが、それを聞き取った記憶は残っているので、それを祖述する」というかたちをとる
    • 私は「先賢の語った言葉」を繰り返しているに過ぎないと言うと信頼されるし、人間のパフォーマンスは、課題が「一度出来たこと」であるか「一度も出来なかったこと」であるかによって大きく変わる
    • 「私の外部」にある叡智の境位を信じること
      →アリュージョニスト?
  • (中枢的なコントロールや査定や予測を必要とする)トップダウン・システムは「平時・好天のシステム」に過ぎず、危機的な状況「カタストロフ」には対応できない
    • 危機的というのは、中枢敵・一元的にコントロールし、最適解を選択することが出来ない状況のこと
    • カタストロフやもつれた問題などの「火事場」は、火事場の馬鹿力、給料以上の力をオーバーアチーブするしかないし、それはトップダウンでは不可能
      →【サイバーカラテ】とトリシューラの脆弱性?課題?
  • 学校の仕事、教師の仕事とは、「色と欲の俗世間」とは異なる「外部への欲望」を起動させること
    • それは「世俗の価値観」とは違う文法で叙され、違う度量衡で計量される
      →ゼノグラシア、グロソラリア?
  • 現代の若者が求める「やりがいのある仕事」というのは、マニュアルの決まった作業ユニットに分けた「モジュール化」した仕事のこと
    • 「外部は存在しない世界はあますところなく〈市場〉に埋め尽くされている」という認識、学校と世間を隔てる壁が崩れたため
    • 「外部の境位」ではなく「商品」を欲望するように教えられている
      →アキラくんの世界観?
    • 殆どの仕事は、集団作業であり「クリエイティヴでパーソナルな仕事」とは違い、責任も成果や利益も分かち合うもの
  • 「準いじめ構造」集団に適応できなくても過剰適応しても、どちらでもいじめの対象になってしまう
    • 教育現場における「集団の形成」と(グローバル資本主義由来の)「個性の発現」=集団を作るな、他人にウカツに共感するな、個別化せよ、自分のタグをつけよ、自分の受け取るべき報酬を他人と分かち合うな、の「ダブルバインド」
    • 集団の形成は自我の拡大をもたらし、それは子どもたちにある種の全能感を与える
      • 共ー身体の形成によって、自分が「大きなネットワークの中の一つの結節点」であるという感覚を子供は学ぶ
      • 誤解されやすい比喩だが「組織の歯車」になることによって初めて「組織を動かす」歯車装置の成り立ちが分かる
      • 「個性的であれ」と教えるのはその後で良い
        →プリエステラたちティリビナの民の【大樹巨人(エント)】?トライデント?
    • 仕事のモジュール化は、他人の分担作業がブラックボックス化してその意義がわからなくなったり「誰の担当でもない」ニッチ(隙間)におけるミスや余計な仕事を片付ける人がいなくなったりする
      • その仕事と仕事の間のニッチは、同時にイノベーションをもたらすビジネスチャンスのニッチでもあったりする
    • 「自己決定・自己責任」すること「個性的であること」への病的なこだわり「協働」という生き方に対する強い忌避とそれがもたらす「協働的に生きる能力の不足」が、若者たちを劣悪な労働条件に追い込んでいる
      • そうしたモジュール化は、企業たち日本社会が、商品を売るためグローバリゼーションと孤立化を押し進めてきたために生まれた副産物であり、それを学生のせいにするのは無責任
    • 仲間を作る能力の開発、ルームシェアなどを行う能力が、貧乏な若者には必須
  • 私が考える霊的であるとは、全身全霊を上げて「外」と交通したいという志向に満たされていること
    • だから、したり顔で「死者がして欲しいこと」を代弁しようとする靖国問題の論者は、傲慢でありちっとも霊的ではない
    • 全知全能を上げて、自分の理解も共感も絶する境位へ向けて越境しようとする志向だけが、人を霊的たらしめる、そう信じている
      →死者の代弁?

未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために ドミニク・チェン

  • 学祭情報学の博士にして、NPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現コモンスフィア)理事の書いたエッセイ
  • 言語・言葉を環世界の一種として捉える視座が面白い
  • 著者は、表現とは何かという疑問を追求し、多言語の経験や娘の言語教育、自身の軽度の吃音、そしてゲームなどを通じて、思索を深めてきた
  • なにかの「おわり」は必ずなにかの「はじまり」
  • 子どもの誕生によって、予祝される約束された親の死
    →ブレイスヴァとは似て非なる螺旋?
  • 共生や共話、サピア・ウォーフ仮説やサイボーグの話も出てくる
  • 持っていけない馬の贈与を通じてつながる、共在感覚の話も
    →『使い魔』?
  • タイプトレース:遺言をタイプする様子を再現することで、観た人に「共に在る」感覚を抱かせる
  • ベイトソンと娘のメタローグ、親子を仮想の対話相手とすることで思考を深化させる架空の対話
    • 話者同士の関係性に応じて内容が決定する、対話形式の文章
    • 互いの存在を拠り所としながら、二人の関係性そのものを変化させたのでは
    • 深い関係を結ぶ相手の視点を自分のなかに住まわせて、そこから世界を見ようとする営みだとも言えるだろう
      →死者との対話、イマジナリーフレンド?
  • 自分が、また他者が、どこからどのようにして現在の地点にまでやってきたのかを理解しようとすること
    • この営為を通してはじめて、ほんとうの意味での関係性が生じる
    • あらゆる存在を他の存在との関係性のなかで捉えられれば、ある存在の記憶が他の存在との関係性の歴史に織り込まれている風景が展開するだろう
    • それは決して容易なことではないかもしれない
    • しかし、わたしたちは、人生ですれ違う数え切れない他者たちと、存在を映し合いながら生きている感覚を具現化するための方法を、いくらでも提案し、実験し、育てられる時代に生きている
    • わたしたちは逆に、さまざまな分裂を超えて、他者と共に在ることを実感しながら生きられる未来をも作れるはずだと信じている、
    • 読者の内にも、そのような希望が芽吹いてほしい
  • まずは異質な他者と自分を架橋するための心理的な土台を築くことが重要
  • 差異を強調する「対話」以外にも、自他の境界を溶かす「共話」を使うことによって、関係性の結び方を選ぶことが出来る
  • 「わかりあえなさ」は、埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である
    • すでに存在するカテゴリに当てはめて理解しようとするのではなく、じっと耳を傾け、眼差しを向けよう
    • そこから、互いをつなげる未知の言葉が溢れてくる
    • わたしたちは、目的の定まらない旅路を共に歩むための言語を紡いでいける
    • 見知らぬ他者と共在感覚を得るためには、「言語」が必要になる
      • それによって、スクリーンの向こう側にも自分と等しく生命的なプロセスを生きる同輩が存在しているのだという当たり前のことを、理性だけでなく身体にも訴えねばならない
      • そのためのヒントは歴史の中に満ち溢れている
  • 生のプロセスを託す相手、関係性のなかでわたしたちは共に在ると感じられる場をつくりあげる
  • わたしたちは、自分たちが使う「言葉」によって自身の認識論を変えられる
    • 互いの一部をそれぞれの環世界に摂り込みつつ、状況ごとに役割を変えて関係することが出来る
    • そう望みさえすれば、人は誰とでも縁起を結び、互いの「わかりあえなさ」を静かに共有するための場を設計できるのだ
  • 結局のところ、世界を「わかりあえるもの」と「わかりあえないもの」で分けようとするところに無理があるのだ
    • そもそも、コミュニケーションとは、わかりあうためのものではない
    • わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容れるための技法である
  • わたしたちは完全にわかりあうことなどできない
    • それでも、わかりあえなさをつなぐことによって、その結び目から新たな意味と価値が湧き出てくる
  • 共話:ワキとシテ、互いに未完成の文章を投げあい、協働して語りを進めていく
    →『使い魔』的な『呪文』?
  • ぬか床と接続し、その状態を音声で訴えたり、質問に答えてくれるロボット「NukaBot」
  • 自分自身の中にも吃音という「わからなさ」が同居している
    • わたしたちは、自己の身体という原初のフィルターバブルを持って生まれてくるのだ
      電子化○

無為の共同体 ジャン・リュック・ナンシー

  • 難しすぎてよく分からなかったが、神話について分析し、思考を展開している箇所があることだけは分かった
  • 近代の「新しい神話系」そしてナチ神話にも少し触れている
  • 神話とはその誕生以来、自らを構造化するロゴスの名であり、あるいは同じことになるが、ロゴスのうちで自らを構造化するコスモスの名なのである
  • 神話とは、まさしく、世界を立ち上がらせ言語を到来させ、言語の到来のうちに世界を立ち上がらせる呪文である
  • 神話とは常に神話を発明し分有することができる合一…………幾人もの人びとの唯一の声…………の神話だということである
  • 作家の神話の途絶は、作家の消滅ではない
  • 作家とは、ある一つの特異な声
  • 特異な、徹頭徹尾還元不可能な形で特異な(死すべき)一つの声、作家とは共同でこの声なのである

娘に語る人種差別 新装版 タハール・ベン・ジェルーン

  • 子供との対話形式で書かれた、著者の人種差別についての考え方と対応方針をまとめた分かりやすい本
  • 人種差別は、第一に恐怖、第二に無知、第三に愚かさから生まれる
  • 人種差別か治るかどうかは、自分を問い直すことが出来るかどうか
    • 自分自身を問い、疑い、「私のように考えることはたぶんまちがいだろう」と自分に言い聞かせ、考え方や行動の仕方を変えるために反省の努力をすること
    • 人間は変わらないが、まちがいに気づいて、それを乗り越えることを受け入れることはできる
    • だからといって、本当に変わったわけではなく、合わせているだけだが
    • 気づくためには、旅行すること、他の人を発見しに行くことを受け入れるだけでいい
  • 人種差別主義者は勇気がない
    • 臆病さを認めるにも勇気がいる
  • 子供のみが持つ変化の可能性に期待したい
  • 付録のこの本を読んだ人々の言葉が、フランスの様々なリアルを示していていい

冥顕の哲学 末木文美士

  • 死者を他者の延長線上に位置づける、独特な思想の書(全二巻)
  • 物事を、明確に把握できる「顕」とそれが出来ない「冥」に分け、前者に相互に了解可能な「公共性の領域」を、そして了解不可能な「他者の領域」を後者に分類している
    • この世界観の枠組みは、「死者との関係」や「自分にとっても未知で制御しきれない自分自身」をも一つの図の中に位置づけ、考えることが出来ることが大きな特徴となっており
    • 「死ねば無になる」と捉えていても、なおも問題となる「死者と生者の関係」を語ることも出来るようになる
    • また、この世界観では、一神教における絶対的な唯一神も「冥」の極限、到達不可能な彼方として多神教の神仏の先に位置づけることが出来るため、共存が可能であるとしている
  • 発展途上な思想ではあるが、葬儀や慰霊、グリーフケア、了解不可能な他者との共生、さらには「死者になった後の未来における責任」=世代間倫理をも考えることが出来るようになるため、その可能性は大きい
  • 基本的に読みやすい本だが、説明抜きで仏教・浄土真宗由来の概念や専門用語が出てくるので、Wikipediaや教科書・入門書を参考にする必要はある
  • また、日本の伝統に基づいた哲学を目指しアジア由来の普遍的な思想の成立を目指してはいる本ではあるが、「菩薩」のあり方を理想としているので、どうにも宗教ぽいことは否定できない
  • 『法華経』法師品第十「見宝塔品」:死者と生者の一体化
    • 宝塔内でミイラ化した多宝如来、その横にまだ生きていた釈尊が座ることで、死者と生者が一体化し、はじめて両者の本来のはたらきが実現する
      →【聖婚】に近い?
  • (我々は)死者によって、初めて動かし得ない過去に直面することになるのではないか
    • 死者は、(「終わらない日常」や巡る季節的な時間感覚の)循環の秩序を壊し、未来は不定形となる
  • 死は、アラタマからニギタマへと幅をもって訪れる
    • それゆえ、死者の変容に合わせて、生者の側も態度を変えていかなければならない
    • そうでないと、死者の発するメッセージを正しく受け止めることが出来ない
      →ルウテトとアキラくん(第五階層の生者)との関係?
  • 新しく迎え入れた新生者もまた、流動する未来に新しい秩序を作り、これまでと異なる明日を迎えさせる力を持つ
    • 死者の取り返し不可能性と時間の断絶に比べ、新生者は、むしろ循環する時間をパワーアップさせて継続させていく力を持っている
      電子化×

もしも老子に出会ったら 山田史生

  • 少女と老人の対話形式で描かれる『老子』の自己流解釈書
  • カラッポなもの、無が有を支えている
  • 「草を見ている」とき「草を見ている私」は存在しない
  • 存在するのは「草を見ている私」というパースペクティヴ、視座のみである
    →【邪視】?
  • 「一切の情報が無い」という意味の無は、まだ「相対的な無」
  • 「ある・ない」の一切がそこから生まれる「絶対の無」、生まれるべき一切はそこにある
  • その絶対的な全体性は、時間・空間の埒外のものであり、あらゆる意味で論ずるまでも無い
  • あえて論じようとすると、全体を対象化するという「包む者が包まれる」といった矛盾に見舞われかねない
    →有り得べからざる黄緑(ライム) ?

モチベーションで仕事はできない 坂口孝則

  • 最後に書かれている「ヨブ記」のパロディみたいな「神話」こそ出来は悪いが、サイバーカラテに思想が近い本
  • (一時しのぎのカンフル剤や現状肯定系の)自己啓発書を否定しているが、テクニック寄りとはいえこれも自己啓発書である
  • 思想だけでなく、仕事をこなすための、細かいテクニックも具体的に書かれている
  • モチベーションを上げようとするより、仕事のやり方を改善することに集中しよう
  • 性格は今更変えられない。心が折れたりても構わない。悩んでいる自分を、そのまま肯定しよう
  • 嫉妬はべつにいいが、イソップの『すっぱいブドウ』のキツネのように自分をむりやり勝者にしても、努力の余地がなくなるだけ
  • 幸せは将来的なものではなく、そのひとが「楽しい」と感じるかけらを集めた集合体でしかない
  • やる気を問われるようになったのは、構造的な不況で上手くいかない時代だから。やる気追求は、上手くいかない現状を納得するための「合理化」に過ぎない
  • 成功の肝要は、成功した後に「これこそが本当にやりたいことだった」と勘違いすることであり、人間とはそうした勘違いをするものである
  • 不満の9割は、金で解決する

物語論批判 竹田青嗣 岸田秀

  • 竹田青嗣と岸田秀、世界を幻想と捉える二人の対話
  • 「全ては幻だ」とすると、どうしても「どこかに『現実』がある」のではないかという反動を産み出してしまう
    →幻想の世界【ゼオーティア】は?
  • 現実と幻想は「二項対立」ではない
  • 人間の思考は「二項対立」のパターン。そこからスタートするしかない
    →地上(天獄)と地底(地獄)
  • 竹田:〈欲望〉は〈意識〉の〈外部〉であり、生の『自由』の基底
    →確かなもの=【杖】?
  • 続編にあたる『現代日本人の恋愛と欲望をめぐって』の方が、話の内容が具体的で濃い

モンク思考 自分に集中する技術 ジェイ・シェティ

  • 読む精神修養と言うべき、僧侶の生き方と考え方を学べる本
  • 筆者は、エリートコースから外れて僧侶の道を選び、今はマインドフルネスなどを人々に教えている
  • この本には、さまざまな人物の言葉が引用されており、池田大作の言葉まであるが、特に宗教の勧誘とかカルト的な要素はない
  • その、心の平穏を目指す生き方や、短時間ずつでも出来る訓練法は、現代の忙しいビジネスマンが心から欲するものかもしれない
  • この本は読みやすく、「モンク・マインド」に関心がある者ならば、読むだけである程度の精神の落ち着きを得られるかもしれない
  • もっとも、それを実行していくのは楽な道ではない
    • まずそれは、無限の成長と発展を目指す現代の資本主義社会と相性が悪い生き方であるし、
    • なにより、五百ページを超えるこの本を読み通し、生き方を変える練習を継続していくことは、そうたやすくはないからだ
    • 僧侶の精神を身につけられるのは、それを心より必要とする者だけであろう
  • 明日を視覚化する瞑想:理想をイメージ
  • 過去に受けた傷を癒やす視覚化瞑想:喜びや幸せを感じた瞬間に戻る
    →『邪視』?
  • バイオススフィア2:揺らす風がない密閉空間では、木は高く育つほど丈夫にはならなかった
    →外力?
    電子化◯

や行

ユーザーがつくる知のかたち 西垣通・監修

  • 分かりやすい新時代の「知」の入門書
  • 集合知には、二つの意味がある
  • 1つ目が、集団的知性(ダグラス・エンゲルバード提唱)多数のユーザーの知性を接続することによって現れる新しい知であり、アップル系
  • 2つ目は、群衆の叡智(ジェームズ・スロウィッキー提唱)一握りの専門家が下す判断よりも、普通の人の普通の集団の判断を集合する方が、実は賢いというもの
  • これは多数の人の参加により、専門家の知が不要になり、人類全体の知が発展していくという考えであり、ユーザー参加型芸術とも関係ある
  • 機械と生物が遭遇するところでは、生物は機械によって一方的に機械に合うように変化させられてしまう
  • 生物は散逸系であり機械は決定論的なため、機械と生物は共感し得ない
  • 参考文献豊富だが、内容のわりに分厚いので図書館利用推奨

欲望の現象学 ルネ・ジラール

  • 欲望がライバルの模倣として発生するという「欲望の三角形」の思想は、コルセスカとトリシューラをはじめア全体に影響を及ぼしていそう

夜と霧 ヴィクトール・フランクル

  • 強制収容所で、精神科医の著者が見出した「人生の意味」の見つけ方
  • 生きがいの外部依存
  • こうした「手法」を見いだせなかったり、それに頼ることを許せなかった人々がいることも忘れてはならないが、かといってこうした「手法」を極端に嫌うべきでもないだろう
  • 筆者の思想が書かれた本には、他にも『それでも人生にイエスと言う』などがある

ら行

〈リア充〉幻想 仲正昌樹

  • 2008年6月に起きた「秋葉原通り魔事件」に関してのエッセイ
  • 「自分は今限界状況にある」と思い始めると、自分の置かれた状況を客観視出来なくなる
  • 「本当の●●」を純粋に追い求め過ぎてはいけない
  • 「まわりだけは楽しいんだ、そこから自分は疎外されている」という発想を相対化し「本当に」楽しい人なんていないんだと思った方が良い
  • 無理に連帯する必要も無いし、友達とか彼女といったものに、過剰な憧れを抱く必要も無い
  • たとえ「酸っぱいブドウ」のような開き直りの心理でも、他人の目を気にせず生きられるとしたら、それでいいではないか

リーディングス日本の教育と社会18 若者のアイデンティティ 監修・広田照幸 編著・浅野智彦

  • 1990年代における、様々なアイデンティティの論をまとめた本
  • 中島梓・宮台真司・大澤真幸のオタク論や、阿部真大の職場に適応した夢を見るようになる若者研究など、それなりに幅広くまとめられている
  • 本を通しての結論は無いが、アイデンティティの「論じられ方」を振り返るには適している
  • 土井隆義『〈非行少年〉の消滅ー個性神話と少年犯罪』の「個性的な自分という強迫観念」や
  • 宮台真司『制服少女たちの選択』の、オタク差別は、流行を主導するイケてる「リーダー」とイケてない「フォロワー」を区分するための人格類型差別だった、という話などは現代でも読むに堪えるかもしれない

利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス

  • 本来とは意味が少し離れてしまったがミームの発祥元ということで
  • タイトルからはSFホラー『パラサイト・イヴ』のような印象を受けるかもしれないが、実際には「不滅の遺伝子」(タイトルボツ案)とした方が適切に思える遺伝子についての学術書である
  • 内容はごく分かりやすく読みやすいが、そのぶんやたらと長く、ミームについての記述は遺伝子が「複製子」の一つでしかないことを説明するための一例として挙げられているに過ぎない
  • というか、遺伝子だけでは人間の性質は決まらないとか、表現される特徴は遺伝子の複雑な性質によるもので容易には計算できないとか、遺伝子自体も組み合わせをバシバシ変えていて「不滅の粒」という概念だけではその性質は捉えられないとか、「遺伝子が全てを操る」的なオカルト陰謀論とは真逆の内容である
  • それでも、遺伝子に興味があれば楽しめることは間違いないだろう
  • ◯周年ごとに新しい版が出ているので、追加の解説が気になるなら最新版を入手するのがオススメ

倫理 〈悪〉の意識についての試論 アラン・バディウ

  • ポリコレ(1990年代フランス当時)を批判している本
  • 説明不足な悪文であり、解説で挙げられている参考文献を読んでもたぶん理解できないが、ポリコレについて考える参考にはなるかも
  • 「〈悪〉とは複数の真理の影」など、そのユニークな視座は面白い
  • amazonのレビューが良質なのでオススメ
  • 「倫理という」イデオロギーは、〈人間〉を犠牲者と捉えるものの見方、異国趣味、「西欧」のさもしい自己満足である
    • いったい誰が、人道的派遣や慈悲深い外人部隊の介入といった事態に、普遍的とみなされていた〈主体〉の分裂を見ずに済ませられるだろうか
    • 犠牲者には、憔悴しきった動物がスクリーンに写し出されているといった役割が、また慈善家には、良心に基づく介入という役割が――こうした分裂が、同じ事態に同じ役割をいつも割り振ってしまう理由とは何か?
    • 世界の悲惨にもたれかかったこの倫理が、犠牲者としての〈人間〉の背後に、良き〈人間〉つまり白-〈人〉を秘匿していることを、誰が感じ取らずにいられるだろう?
    • こうした文明-市民化という口実の下でなされる介入は、この状況を犠牲にさらされている状況と理解する、最大級の侮蔑を要請している
    • 状況の野蛮は「人権」という視点からしか考慮されない――いつだって政治的な思考-実践を必要とするよううな政治状況が問題だというのに
  • 真の人権とは、それ自体の権利においてみずからを肯定する「不死なるもの」への権利であり、あるいは、その主権を苦痛や死の偶発性に対して行使する〈無限なるもの〉への権利なのだ
    • 「死を免れないもの(犠牲者)とは他なるものとしての自己という存在」に踏みとどまろうとする抵抗にこそ、〈人間〉がある
  • 倫理的「合意」が〈悪〉の承認にもとづくとしてしまうことに問題がある
    • ア・プリオリに承認された〈悪〉に対抗し倫理的な政治参加(アンガージュマン)に価値を賦与することだけが問題なら、現状に対するなんらかの改革を構想するために、どこから出発すればよいというのか?
  • さまざまな差異とは、首尾一貫しない当たり前の現実があるということにすぎない
    • 「他者の承認」というモチーフによっては、いかなる具体的状況も解明されえない
      電子版×

零度の社会 詐欺と贈与の社会学 荻野昌弘

  • 明確な規範が通用しない余白の世界=詐欺師の視座=「零度の社会」の概念を、社会学に持ち込むべきだと主張している本
  • 扱う資料が多めのわりに、詐欺師の実態などのデータ不足だが、興味深い視点だと思う
  • 社会を成立させている規範は、隅々まで浸透しているわけではなく、規範が通用しないような余白・社会のスキマが必ず存在する
    • そこでは社会の規範が通用せず、その状況に応じた決断をしていかなければならない
    • 社会の余白=零度の社会は、不確定性に満ちた世界であり、暴力が噴出することもあれば、ある意味で自由な人間関係が築かれることもある
    • 零度の社会では、友情と敵意、贈与と詐欺が明白に分かれていない
    • 詐欺への作為と贈与への意志は、未分化でどちらにも転びうるし、ある状況が詐欺のようにも贈与のようにも見えるときさえある
    • 詐欺的行為が可能となる、この余白の世界こそが、本源的ではないか
  • 社会の現実が不確定な部分を持っているとしたら、社会について考える者は、詐欺師と同じ視点に立つ必要があるだろう
    • 道徳に覆われた世界を、今一度その原点にある純粋な詐欺、純粋な想像力、純粋な変身が可能な状態に立ち返って考えるのである
      →ゼド?変身者?王殺し?
  • ある道徳的な立場を取ると、みずからの道徳が絶対的であることを絶対的であることを示すために、それにしたがわない者を差別することになる
    • ところが、ある道徳の差別性に対し戦おうとする反差別の道徳道徳・思想も、差別は悪であるというという道徳に準拠する限り、反差別の思想にしたがわない者を攻撃し、差別することになる
    • 反差別の道徳は、逆説的に差別を生み出してしまう可能性をはらんでいるのである
    • この悪循環に対して、社会学者は、限りなく道徳とイデオロギーから遠ざかることで、差別の有無を論じること自体が無意味であるような場を模索するであろう
    • そのような立場にとっての理想は、道徳も規範もなく、しかも統一が取れているような零度のイデオロギーの世界=純粋な詐欺師の「公平と寛容性を兼ね備えた視点」である

レイシズム 小森陽一

  • 思考のフロンティアと題されたシリーズの一冊であり、人種差別に関する思想や参考資料を比較的簡潔にまとめている本
  • まえがきで「六本人」というキャッチコピーについて熱く語っていたりするあたり、重点はどちらかというと人種差別を利用した階級対立の隠蔽や排除の構造にあるようだ
  • 前半は、ルネ・ジラール経由の赤坂憲雄「スケープ・ゴート理論」と、見下しと他者化を「共有」するように求める言語コミュニケーションとしての解釈である佐藤裕の「差別行為の三者関係モデル」の2つの説の紹介
  • 後半では、永井荷風の『悪寒』を用いて、アイロニーによる差別の乗り越えを提唱している
    • しかし、この本自体が「差別者」を嫌悪させることで、著者の主張を同類を増やすテクストであることへの自覚がなさそうなあたり、著者本人がこの主張をあまり消化できているようには思えないのが難点
    • 用いられている「動物の脳」と「人間の脳」のアナロジーにも、「差別者」に対する差別意識を強化する要素がある
  • また、紹介されている参考文献は豊富だが、その中には、難解なことで有名な哲学書などもあるので注意のこと
  • アイロニーは、既存の言語システムの中における、価値評価を伴った二項対立の自明性に疑いを突き刺していく
    • 人種差別主義を克服する営為は(それぞれの言語システムの中で「自明」のこととして使用されている)肯定と否定の価値評価を伴った/言葉相互の結合関係の網の目全体に対して/「なぜ!?」という問いを発し続け、その耐久性を検証することなのだ
    • そして、その耐久性の限界が明らかになったとき、言葉相互の結合関係の網の目全体を転覆する勇気と技量を持つことをためらわないこと

ロラン・バルトの著作

  • アリュージョニスト世界の情報や記号の動きは記号論的にわかりやすい。

論争 若者論 文集新書編集部

  • 2008年の秋葉原無差別殺傷事件を契機に、さまざまな論者の若者論を集めた本
  • 的外れな論もも多いが、大半は真摯に時代に向き合って書かれている
  • 重松清:「若者よ、殺人犯を英雄にするな」:「加害者もまた被害者」でいいのか?彼と自分は同じだと思わないでほしい、
  • 「背景」や「状況」は「理由」と厳然と特別しなければならない、「理由」からも「動機」や「引き金」を慎重に取り分けなければならない、それと同様に「理解」を「同情」や「共感」と混同してはならないと思うのだ。
  • 親の世代として、若いひとにお願いしたいのだ
    • もしもきみと加藤容疑者の「背景」や「状況」が重なり合うのであれば、なおさら、「結果」が重ならなかったことに安堵して、それを誇ってくれないか
    • たとえ「なぜひとを殺してはいけないか」の明解な答えがなくても、あなたはひとを殺してはいない
    • 〈あの男と自分との違いを探し〉ていく必要などない
    • 〈答えが見つからない〉のではなく、そもそも答えなど要らないのだ
    • 被害者と自分との違いだって、じつは見つからないはずではないか
    • 「無差別」とはそういうことだ
    • 「誰でもよかった」加害者にたまたま加藤某が選ばれ、「誰でもよかった」被害者を殺傷するなんて――ぞっとするぐらいリアルに感じられるからこそ、それを認めてはならないと思うのだ
  • 書き手としての自戒を込めて言うなら、最大公約数的な物語とは、読み手を否応無しに事件に引き寄せすぎてしまうものなのだ
    • たとえ対岸の火事であっても、その炎を眼前で燃え上がらせてしまう力を持っているのが、僕の言う最大公約数的な物語である
  • 加藤容疑者と自分に重なり合うところがあると感じるひとたちに、そして僕自身も含む最大公約数的な物語に慣れて/馴れているひとたちに「物語をつくり直してくれないか」と言いたいのだ
    →言理の妖精による解体、呪文の【静謐】?
  • ニュースの受け手一人ひとりがー決して興味本位という意味ではなく、自分にとって最も切実な問題を引き受けて、いわば「私たち」ではなく「私」として、この事件をとらえ直すこと
    • それをしておかないと、とにかくこの事件は最大公約数的な物語があまりにもすんなりと紡がれすぎるのだ
  • 間もなく若者となる子どもを持つ親として、この時代を生きるおとなとして、僕たち(あえて複数形で言わせていただく)は、無責任な「夢を持て」ではなく、「絶望するな」と言い続け、そのためのシステムを整備し、情報を出し、物語を生みつづけるしかないのではないか
  • 加藤容疑者はちゃんと家を出た。ちゃんと働いていた。非正規雇用の「非正規」は企業側の理屈でしかない。けれど、彼は絶望した――――その重みと苦みを忘れてはならない
  • 仲正昌樹「アキバ事件をめぐる「マルクスもどきの嘘八百」を排す」
    • 容疑者の暴走の原因をオタク性とか現代の若者気質に求めるのも安易だが、その逆に「「格差」が原因であると考えるのが知識人としての良心だ」とでも言わんばかりに決めつけ口調で語るサヨクも同じくらい安易である
    • 世の中何か不条理な事件が起こるたびに、強引に、下部構造(=経済的生産様式)にその原因を求めようとするのは、かなりレベルの低いマルクス主義者の発想である
    • よく考えてみると、資本主義社会には構造的な矛盾があり、その矛盾に万人が囚われているという前提から出発すると、”おかしな行動”や”おかしな出来事”は全てその構造的矛盾と関係していることになるのは当たり前である
    • 多少哲学っぽい言葉遣いを知っていたら、簡単に下部構造原因論の作文をすることが出来る
    • 下部構造原因論は、殆どの場合、何も説明していない

わ行

わたしが正義について語るなら やなせたかし

  • 正義についての考えが語られた自伝
  • 創作者としての生き様と色々あった彼の人生が、コンパクトな新書にまとめられている
  • ほんとうの正義というものは、決して格好の良いものではないし、そしてそのために必ず自分も深く傷つくもの
  • それでも、正義のために戦わないと、世の中はどんどん悪くなってしまう
  • 飢えた子どもにご飯をあげるのが本当の正義
  • 「必要悪」もある
  • 自伝としては『アンパンマンの遺書』の方が詳しくてオススメ

〈私〉だけの神 ウルリッヒ・ベック

  • 「個人化」が宗教に与える影響や、現状の宗教の形態を考察した本
  • 近代の発展の先に、かえって宗教が必要とされるようになった現代のために、宗教の形態を分析している(キリスト教中心)
  • 教団や教会を必要としない信仰、それによる改革を期待している
  • ユダヤ人のために献身的活動を続け、アウシュヴィッツで虐殺されたエティ・ヒレスムの日記:自分の一番奥深いものを神と呼ぶ「〈私〉だけの神」
    • 「世俗的宗教性」という矛盾に満ちた物語:自分の生、自分の規範、自分の同一性を、個人の自由と責任において選択するという世俗的啓蒙主義の原則を堅持しながらも、人はなお宗教的でありうるという事実
    • エティにとってその神は、壊れやすく傷つきやすい一個の独立した他者である
    • その神は、いかなる意味でも、エティ自身の責任や自立を肩代わりしてはくれない
    • それは救済を約束する神ではなく、むしろエティの助けを必要としている、慈愛に満ちた弱々しい神である
    • その神は、(神を愛さないという選択肢をも与えられた完全なる自由な)人から愛されることを、求めている
    • だからその神は、あまりに放って置かれれば、やむなく自分のもとを離れていくかもしれない
    • それゆえ、エティはこの神に語りかけるのである
    • エティは、このような神とともに「私達の運命の記録者」となりたいと願っていた
      • なぜなら「怨恨も憎悪も抱くことなく生き延びられたならば、そのときこそ私達には、戦争終結語、発現に加わる権利」があるからだと確信していたからである
        →ディスペータ?
  • 岩波書店版の解説(鈴木直):エティの「自分自身の神」とスピリチュアリズムの間には深い亀裂がある
    • 信仰の個人化は私人化ではなく、個人化された信仰が新たな公共的役割を担うことが十分にあり得ると述べている
    • その関係は、エティが社会で結ぶ他者との関係を写し取ったもの:自律的存在としての他者への愛情と責任感
      • 自己対話の中に他者とのコミュニケーション世界を構造的に摂取し、写し取りえていることが、「自分自身の神」に命を吹き込む
        →強くて(中略)セクシーな彼氏?
  • 宗教には、元々自己の改革者や異端者を育て上げる再帰性がある
    • 「自分自身の神」への信仰も原点回帰に過ぎない
    • 著者は、超国家組織などにおける共同作業によって、人びとが境界を超えることを期待している
      電子化×

私とは何か「個人」から「分人」へ 平野啓一郎

  • 人間は、複数の人格である「分人」から構成された、中心が無いネットワークである
  • 分人は、コミュニケーション相手(本なども含む)との相互作用の中で半自動的に生じ、相手との関係性とともに変化するもの
  • 「個人」は、西洋の唯一神と向き合うために作られたものに過ぎず、生きるのに不便な概念
  • 柔軟で可変的な「分人」概念でいきいきと生きて、「本当の自分」をたくさん持とう
  • 筆者の小説:『決壊』『ドーン』『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』などは「分人」概念を使って書かれているらしい
    →各【サイバーカラテ】ユーザー向けにカスタマイズされた「ちびシューラ」は「分人」に極めて近い存在だと思う

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  • 複合科学的身体論を、思想あ~さのロボット/人工知能/サイボーグ関連に移動させました