- アリュージョニスト以外のネタバレに注意
- サイバーカラテを実践しよう (知ってる作品があったら、説明を追記しよう)
- 最下部のコメントボックスで作品紹介を書き込むと、誰かが追加してくれるかもしれません
- 多分図書じゃなくてもいいと思うよ
- 参照と類似は呪力です。高めよう。
- ほんの少しでも推薦図書に見えたのならそれが推薦図書です(邪視)。追加しましょう。五十音順に並んでいます。
- 編集カラテ入門
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** タイトル
-説明1
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- サイバーカラテ/意志決定関連
- 愛と怒りの行動経済学 エヤル・ヴィンター
- 怒りの扱い方大全 戸田久実
- 怒りのコントロール ジュディス・ピーコック
- 意思決定トレーニング 印南一路
- 影響力の武器 ロバート・B・チャルディーニ
- 「器が小さい人」をやめる50の行動 脳科学が教えるベストな感情コントロール法 西多昌規
- AI自治体 公務員の仕事と行政サービスはこう変わる 井熊均 井上岳一 木通秀樹
- エコクリティシズムの波を超えて 塩田弘 松永京子
- NVC人と人との関係にいのちを吹き込む法 新板 マーシャル・B・ローゼンバーグ
- 賢い人がなぜ決断を誤るのか? 意思決定をゆがめるバイアスと戦う方法 オリヴィエ・シボニー
- 感情制御ハンドブック 監修:有光興記 編著:飯田紗依亜 榊原良太 手塚洋介
- 究極の選択 桜井章一
- 後悔しない超選択術 メンタリストDaiGo
- 今夜ヴァンパイアになる前に 【分析的実存哲学入門】 L・A・ポール
- サイボーグとして生きる マイケル・コロスト
- 事実はなぜ人の意見を変えられないのか ターリ・シャーロット
- じぶんで考え、じぶんで話せる こどもを育てる哲学レッスン 河野哲也
- 人生が輝く選択力 印南一路
- 数学的決断の技術 小島寛之
- 世界が動いた「決断」の物語 スティーブン・ジョンソン
- 選択の科学 シーナ・アイエンガー
- 〈選択〉の神話 ケント・グリーンフィールド
- 想定外 なぜ物事は思わぬところでうまくいくのか? ジョン・ケイ
- その損の9割は避けられる 大江英樹
- 超決断力 6万人を調査してわかった迷わない決め方の科学 メンタリストDaiGo
- なぜ「怒る」のをやめられないのか 「怒り恐怖症」と受動的攻撃 片田珠美
- なぜ日本人は怒りやすくなったのか アンガーマネジメントで読み解く 安藤俊介
- なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか シェルドン・ソロモン ジェフ・グリーンバーグ トム・ピジンスキー
- 悩み方のレッスン 「助けて」と言えないあなたへ ジュリアン・ショート
- 人間は「心が折れる」からこそ価値がある 人工知能時代に成功する人の考え方 苫米地英人
- パラドックス思考 舘野泰一 安斎勇樹
- ファスト&スロー ダニエル・カールマン
- 武術の身体論 同調と競争が交錯する場 西村秀樹
- 欲望について ウィリアム・B・アーヴァイン
- 若者はなぜ「決めつける」のかー壊れゆく社会を生き抜く思考 長山靖生
- 私が絶望しない理由 河合薫
サイバーカラテ/意志決定関連
愛と怒りの行動経済学 エヤル・ヴィンター
- 脳科学、ゲーム理論、行動経済学などの成果により、人間の行動における感情のポジティブな面を評価している本
- あらゆる科学的説明は、絶対の「真実」などではない
- そして、われわれの技術や認識能力には限界があり、すべてを観察することは出来ない
- そのため、ゲーム理論も脳科学も、個人や集団の観察結果を理解しやすくする物語に過ぎないのだ
→【呪文】 - 感情は、時代遅れの遺物などではなく、合理的な面を補ってバランスを保つための高度な優れた道具である
- 自己成就不信:差別意識は、先入観がお互いの行動で実現されることによって、負のスパイラルを巻き起こして増加していく
- ストックホルム症候群:我々は権威ある人物に好感を抱きやすく、その好感はそれが不合理な環境になっても続いてしまう
- 状況を変えられる機会が少なくなるほど、権威者に肯定的な感情を持ち、不当な扱いを受けても悪いのは自分だと思いやすくなる
→四章でイアテムに従ったセージ?
- 状況を変えられる機会が少なくなるほど、権威者に肯定的な感情を持ち、不当な扱いを受けても悪いのは自分だと思いやすくなる
- 進化論上の合理性:個人の行動は(その行動が選択されたときの一般的状況と照らし合わせて)進化上の利点をもっと増やす行動がほかにない場合に、合理的となる
- 感情の正確な定義なんて未だに分からないし、感情と身体感覚の境界もまた分からない
- 身体感覚は、意識でほぼコントロール出来ないが、感情は一定の条件下でならコントロールできる(完全には出来ない)
- 感情は自分と他人に対して確約(コミットメント)を作り出す能力を持つ
- 怒りは、自分の欲求を達成させるための力となる
→バイオカラテ? - お金を分けあったり奪いあったりするゲーム実験で判明した、自民族中心主義
- パレスチナ人プレイヤーは、イスラエル人プレイヤーからもらえた額が予想額と差があったのは差別の表れだと解釈していたが、実際には行動基準の違いだった
- パレスチナ文化では個人主義は恥ずべきものであるため、パレスチナ人は多く分け、同じように多い分け前を期待する
- それに対してイスラエル社会では、危機の時の団結と助け合いは重視されるが、それと同じくらい平常時の利己主義や競争・功利主義も推奨されるのだ。
- 集合的感情:人間は集団に帰属意識を持ちやすい
→【言震】の原因のひとつ?
怒りの扱い方大全 戸田久実
- Q&A形式で、あらゆる状況への対応法を載せてあるアンガーマネジメントの本
- 特に、会話へのリアクションでこちらを苛立たせてくる相手への対応法によって、さりげなく、そしてカドを立たせずに「実は読者自身もそうである」可能性にも気づかせてくるところが優秀
- 自分自身に対するイライラや、チームで怒りへの対応する方法も書かれている
- アンガーマネジメント=怒りで後悔しないことという解釈
- 同じ著者の本でより薄い『「あとから怒りがわいてくる人」のための処方箋』もオススメ
- 自己肯定で謝罪をしやすくしたり、他人のために祈って怒りを抑えたり、許しの難しさについて語っている川合伸幸『怒りを鎮める うまく謝る』も良い
電子化◯
怒りのコントロール ジュディス・ピーコック
- 薄い本で子供向けだが、怒りの様々な側面に触れている良書
- 怒りの感情は、よいとか悪いとかいうものではなく、人間の自然な感情のひとつ
- どうコントロールするかで、役に立つこともあれば、役に立たないこともある
- 怒りは、身体と心が関係している
- まず、身体が怒るための準備をして、頭がどんなふうに怒るのかを決める
- 性別、年齢、家庭環境、自尊感情をもっているかどうか、また文化的な背景や人種などによっても、どんな怒り方をするかどのくらい怒りに影響されるかが違ってくる
- 怒りを感じるためには、「人や物に脅かされている」と頭が感知しなければならない
- 怒りとは、人間が出来事や状況をどう解釈するかということ
- また「怒りは自分でしかコントロールできない」と知ることも大切
- 怒りをコントロールするということは、怒りに自分がコントロールされない、ということ
- 怒りは、おさえこんだ怒り、攻撃的な怒り、建設的な怒りの3つに分けらる
- 習慣性の怒り:怒るのを楽しみ、怒る感覚が好きな人もいる
- 計画的な怒り:相手をコントルールするために怒る人もいる
- 怒りをコントロールする最も良い方法は、否定的な考えや、理屈に合わない考え方を変えてしまうこと
- 前もって解決方法を探したり、他の方法を考えたり、時間を調整したり、怒りのきっかけとなる出来事を無視することを学ぶのも良い方法
- どうしてそのことが怒りの原因になるのか、考えてみよう
- 自分自身に否定的で破壊的な心の声には従うな、その代わりに自分を認める前向きな独り言をしよう
- 怒りを鎮めるのは、まず怒りを認めること
- 次に、気持ちを鎮めること
- 勢いで行動しないこと
- 健康的な生活を送り、ストレスを減らすことが良い
- 冷静でいること、相手の話を良く聴くこと、相手の言葉を繰り返すことも有効
- なにより、ケンカを買ってはいけない
意思決定トレーニング 印南一路
- 優柔不断は性格の問題ではなく、状況把握と分析の問題
- 優柔不断になりそうな問題をいきなり決断の問題とするのではなく、いちど意思決定という観点から考えてみるべき
- 本当に決断を要する問題はそれほど多くはなく、方法さえ知れば、対処できる問題が大半
- いったん決めたら、その後何をし、どういう行動をとるかの方がずっと重要
- 消去法や足切り法は、絞り込みに有効だが見落としの危険がある
- 複数の条件で選ぶ線形評価は、条件の重み付けなど工夫が必要で難しく、選択に限界がある
影響力の武器 ロバート・B・チャルディーニ
- 「なぜ人は誘導されてしまうのか」つまり「なにかを売り込む方法」とそれを防ぐ方法についての本
- 承諾の心理について、実際にそれを利用している販売員たちを調べて研究している
- 分厚いが、会話や体験談が豊富な文章は面白く、章ごとにまとめもある
- 紹介されているのは、返報性などビジネス書おなじみのものばかりだが、元が専門書のため、よりくわしく説明されている
- 書かれている方法を、実際に役立てられるかは読者次第(失敗談も載せられている)
- けれども、そうした人間の癖について知っていれば、無知な状態よりは有利になれるだろう
- 人間がついとってしまう、機械的で固定的な動作パターン:カチッ・サー
- 効率性と経済性が良いが、騙そうとする人間に利用されることも
→サイバーカラテ道場なら改善できる?
- 効率性と経済性が良いが、騙そうとする人間に利用されることも
- 決定に対して、好意が及ぼす悪影響を防ぐには?
- 承諾を引き出そうとしてくる相手に対して、自分が過度の好意を持っていないかということに、敏感になること
- 尋常でない好意を感じていることに気づいたら、そのやり取りから一歩退いてその相手と相手の申し出の内容を心のなかで切り離し、
- 申し出のメリットだけを考えて、承諾するかどうかの決定を下さなければならない
→『創ア』におけるアキラくんの洗脳解除?
- 好意の影響の章で、差別対策や教育における人種隔離の悪影響の話も語られている
- 教室による教育は、競い合って手を挙げ教師の指名を奪い合う競争形式であるため、対立や序列による生徒間の嫉妬や蔑視をもたらしやすい
- そもそも単なるグループ分けでも、分ければそれだけでグループ間に対立が生じる
→【レイシズム変数】 - しかし、人種を隔離すると少数民族の学力は低下してしまうし、逆に隔離を撤廃すると上昇するため、隔離は少数派にとって不利である(多数派は変わらない)
- 共通の目標があり、相互の協力によって成功がもたらされるときには、対立していたグループもひとつになり同胞意識が芽生えることも
- ただし競争も必要であるし、民族融和の効果もまだまだ検証が必要
電子化◯
「器が小さい人」をやめる50の行動 脳科学が教えるベストな感情コントロール法 西多昌規
- 「器量」という『邪視』的解釈からくる偏見や自己否定を、「脳のワーキングメモリ」の運用の問題なの効率改善出来るという、『杖』的解釈で解決する新書
- 睡眠や栄養不足を解消する、大豆などに含まれるトリプトファンを摂取する、用事は優先順位をつけて一つずつ片付けるなど、ささいだが比較的実行しやすいノウハウが書かれている
- 脳は長期間、過度の緊張状態に置かれると、オーバーワークで動きが鈍くなってしまいます
- この状態を続けると、知らず知らずのうちに能力が低下し、キレやすくなったり、感情のコントロールができずに周囲にあたり散らしてしまうことも起こりやすくなるのです
- 自分でも何をしでかすか分からない「衝動性」があって、誰がても怒っているのは「あからさま」であって、自分でも「コントロール不能」に陥っている。
AI自治体 公務員の仕事と行政サービスはこう変わる 井熊均 井上岳一 木通秀樹
- 自治体業務へのAI導入の可能性と影響を論じている本
- AIで何が出来るか考えることも大切だが、それ以上に求められているのは、AIを使ってどんな地域と仕事像を作るかといった、ビジョンと合意なのである
エコクリティシズムの波を超えて 塩田弘 松永京子
- 文学批評ジャンル「エコクリティシズム」と「人新世」という地質年代概念を通して、人と環境と人間文明の関わりを描いた様々な作品を紹介したり、批評している本
- ポストヒューマンと文学と人間を含んだ自然をつなぐ本と言ってもいいかもしれない
- 一つ一つの章は短いが、そのカバーする範囲は広く、紹介されている作品も多彩である
- 十九世紀において既にポストヒューマンを描いていたポーの『使い果たされた男』人工的な毒娘が出てくるホーソーンの『ラパチーニの娘』破滅の未来を描くバチガルピの作品にトウェインの影響を読み取る「ポスト加速時代に生きるハックとジム」のなどの再評価から、伴侶種やクィア家族が生き生きと生活する上田早夕里『オーシャンクロニクル』シリーズや被害と加害の関係を撹乱しているジュリエット・コーノの『暗愁』マリー・クレメンツの戯曲『燃えゆく未来の世界図』における”核(によって結びつく疑似)家族”など、カバーされている視座は多様でとても面白い。
- タイトルの「波」とは、エコクリティシズムという文学研究における変化や新しい思想のメタファーのこと
- この本はそうした「実態に合わないメタファーを変えること」と「そうした『波』の先、エコクリティシズムというジャンルを超えた未来」の二つを志向する本でもあるのだ
NVC人と人との関係にいのちを吹き込む法 新板 マーシャル・B・ローゼンバーグ
- 相手に共感を示し、「心の底の欲求」を引き出して紛争を解決する、非暴力なコミュニケーション(Non Violence Communication)のすすめ
・アサーティブ・コミュニケーションと似ているが、言葉以外の行動や態度でも可能とするところが大きく違う - 例が多めなので、やり方はイメージしやすい
- 基本思想が、マハトマ・ガンディーのアヒンサーであり、自我の消滅なのでトリシューラやアキラくんとは相容れないかもしれない
- すべての暴力を解決する唯一の方法は、ひとりひとりが自分のストーリーを手放すことだ
→呪文系の【静謐】 - 妥協ではなく、紛争の当事者が互いに敬意を払って解決をはかること
- 道徳を持ち出す、比較をする、責任を回避するなど思いやる気持ちを妨げるコミュニケーションはやめよう
- 否定形でなく、何を望んでいるか肯定形で語ろう
- 相手にお説教をするのでも、盲目的に服従するのでもない、新しい選択肢を作り出すために役立つ本のひとつ
→サイバーカラテ、第一章のアキラくんなど - (どんなにささやかなものであっても)相手の言葉から自分への非難を感じると、人は相手の苦痛を聞き取ることが出来なくなってしまう
- 人は自分が間違いを犯したと考えたとたん、相手の苦痛をじゅうぶんには理解できなくなる
- 人の言動によって怒りが生まれることは絶対にない
- 人を裁くとき、わたしたちは暴力に加担している
- 「不注意な行動か、誠実な行動か」「貪欲な人か、高潔な人か」といった意識を少しでも持つなら、地球上の暴力に加担していることになる、と私は強く信じている
→【変数レイシズム】? - 道徳的価値判断より、自分たちが何を必要としているのかに注意を向けることで、人生により貢献できる、と私は信じている
- 怒りは、本当に必要としていることに気づくための、目覚まし時計として利用するべき
電子化◯
賢い人がなぜ決断を誤るのか? 意思決定をゆがめるバイアスと戦う方法 オリヴィエ・シボニー
- バイアスへの対抗手段をまとめている本
- 太字による協調や巻末での一覧もあり、読みやすく分かりやすい
電子化◯
感情制御ハンドブック 監修:有光興記 編著:飯田紗依亜 榊原良太 手塚洋介
- 日本初の感情制御ハンドブックを謳う専門書
- まだ途上の研究が大半だが、これからの感情制御研究を担う各分野の若手を中心とした執筆陣を集めている
- ただ「読者のきっかけ作り」に書かれた一種の紹介本であるにも関わらず、わりと分厚い
- 「ハンドブック」というより「手引」と読んだほうがしっくりくるような、卓上辞書より少し薄いぐらいの厚さのハードカバーである
- また、比較的読みやすくはあるがあくまで学術書であり、
- 専門用語の解説を引用した論文に任せていたり、独特の文体だったりと素人にはあまり適していない
- 書かれていることも、たいていは常識的に知られていたり、ハウツー本などで頻出する内容も多く、
- それを裏付ける実験も、まだ途中の段階だったりする場合もある
- それでも、まあなんとかある程度の概要をつかむことは出来なくはないし、
- 理論から応用まで、そしてスポーツやいじめ、依存症、良型判断やメンタルヘルスなど、
- 一通りのトピックをカバーしていることは、高く評価すべきだろう
→『E・E』
- 引用・一部要約
- 感情制御は一種の脳内の処理能力を占有するため、それを行っている間は接客や記憶など他の対応に支障をきたす場合がある
- 感情抑制傾向は、外集団を受け入れる態度の乏しさと結びつく
- 個人の感情が集団葛藤を促進するのであれば、効果的な感情制御によってそれを緩和できる可能性もある
→和平における感情制御の有効性 - 嫌悪は疾病回避の機能を持つ感情だと考えられている
- 嫌悪対象は発達とともに拡張し、味覚から始まって最終的に社会道徳性嫌悪が獲得される
- 嫌悪は、集団内での同調行動を促進するように機能する可能性を持つ
- 認知的評価を変化させることによって、集団間の感情や行動を変えることが有効だと考えられる
→『使い魔』と感情制御 - 特定の外集団への嫌悪が顕在化したとき、対象の振る舞いは道徳的悪とみなされやすく、
- またそうした意見に対する集団内での同調行動も生じやすくなると考えられる
→『道徳』
- またそうした意見に対する集団内での同調行動も生じやすくなると考えられる
- 対象集団をゴキブリやウジ虫、シラミのような病原性生物と同一視することは、集団間葛藤の発生や激化に影響する
→吸血鬼、異獣化、政治的・文化的な集団対象の感情制御 - 他者や集団を通した感情制御も存在する
- 感情制御も伝染することも
- 同居するルームメイトは、特に感情制御の技術などを教え合わなくても、
- 不適応な感情制御方略とされる「反すう」が減少する
- 状況的認知論では、認知過程は個人と環境の相互作用を通じて生じる現象と捉える
→トリシューラの信念『わたしはみんなであってみんなじゃない。みんなはわたしであってわたしじゃない』(四章幕間 『トリシューラ・カムバック』など)
電子化◯
究極の選択 桜井章一
- 麻雀の「代打ち」として二十年間無敗の伝説を築き、「雀鬼」の異名を持つ著者が、その考え方をつづった新書
- 常に「険しい道」を選び、死の危険がある遊びをも肯定する著者の思想は独特だが、あるいは選択の参考になるかもしれない
- 「常識を疑え」「選ぶセンスを磨け」「損得という経済以外のものさしを持て」
- 「得」ばかりを求めているから結局余裕がなくなり、間違った選択をして「損」をしてしまう
- たまには「損」な方を選んで「損するが勝ち」の結果があることに気づこう
- 「選択」したものを自分なりにきれいにその都度「洗濯」していけば、次に選ぶべき選択がおのずと鮮明にその姿を現してくれるものだ
- 差別の解消には、ひとりひとりの差を個性として認め合うのが第一歩
- 意識をひっくり返す関係性の結び方をすれば良い
- 私の雀鬼会では、一般的に問題行動と呼ばれる若者たちを、道場を楽しく盛り上げる個性として受け入れている
- すると、そのマイナスの要素が味わいとなって、その子の存在をむしろいい意味で際立たせてくれる
→ゼノグラシア/グロソラリア?
- 掟を守ることで「自由」と「勝手」の違いを見つけることが出来る
電子化◯
後悔しない超選択術 メンタリストDaiGo
- 「必ず正しい選択肢がある」とする世間の先入観を否定し、よりベターな選択をする方法を説いているハウツー本
- より正しい選択をするための知識に加え、トレーニング方法もいくつも載せられている
- 状況を踏まえた踏まえた冷静な判断ができれば、どんな選択をしようと後悔はなくなるとしている
- また、選択の本なのに、過去の選択が成功にほとんど影響を与えないことを前提としているのは珍しい
電子化◯ (Kindle unlimitedで0円)
今夜ヴァンパイアになる前に 【分析的実存哲学入門】 L・A・ポール
- 人間の生の不条理を問う「実存的な問い」を、分析哲学の手法でくわしく分析している本
- ほぼ同じ内容を何度も繰り返す文章は、ちょっとクドい
- しかしその反面、(具体例より抽象的な論理が先に述べられることもあり)分かりにくい部分を飛ばしても内容を把握しやすい本でもある
- 題名は、論文「コウモリであるとはどのようなことか」を参考にした思考実験が由来
- 他にも、アにも出てくる「マリーの部屋」や兵役に行くかどうか、子どもを持つか、脳に新感覚を追加するマイクロチップを埋め込むか、初めてドリアンを食べるか、などの同類の例が挙げられている
- 要するに、人生を変える重大な選択をする前に、ちょっと考え直してみようよ!という意味である
- 言い換えれば、これはクオリアを変化させる選択の話であり、その選択が一体どういった選択なのかを細かく分解していく話である
- 通常、重要な選択をするには、自身の経験やそれがもたらす価値観を参考にすることが、最も合理的であるとされる
- だが、その方法は、選択後に自分自身が変化してしまうような、変容的な選択には通用しない
- そのような選択においては、選択後に自分がどのような感じ方をするようになるのか、をそれまでの経験から判断することが出来ないからだ
- また、ときにそうした変容的な選択は、所属するコミュニティや人間関係の選択にもなり得る
- たとえば、生まれたときから耳が聞こえない重度の聾者を考えてみよう
- その人は、同じように聾者である自分の子が、人工内耳手術を受けるべきかどうかを決断しなくてはならない
- 人工内耳は、重度の深刻な難聴を抱えた人びとに、新たな種類の感覚経験をもたらしうる
- しかし、大規模な内耳手術の実施を行うという提案は、聴者と聾者の対立を産み出してしまった
- 聾者たちのデフ・コミュニティは、社会のメインストリームから排除されてきた聾者たちへの支援を目的として、長年に渡り強固な独自の社会構造を築いている
- デフ・コミュニティの視座からすると、デフ・カルチャーは、それ自体に価値のある文化に他ならず、それは伝統的な諸文化と同等なものだ
- デフの人々は、聴者コミュニティに完全には受け入れられない半端者になるより、デフ・コミュニティに全面的に受け入れられるメンバーになった方が遥かに好ましい、と論じている
- それゆえに多くのデフの人びとにとって、人工内耳の推奨は、デフ・カルチャーの消去と人工内耳装着者を「障害のあるメンバー」として聴者のコミュニティへ同化させようとする試みだと映ったのだ
- しかも、人工内耳を埋め込んでも、健常者のレベルの聴覚が得られるわけではない
- 生まれたときから人工内耳手術を受けている人びとの経験は、人生の半ばで難聴になった人工内耳装着者とも異なると考えられている
- 最終的に懸念されるのは、親子のつながりに関することである
- 聴者の親とデフの親は、どちらも、自分の子と深くつながってコミュニケーションしたいと願っている
- そのために、聴者は人工内耳手術を望み、デフはそれを拒絶するのだ
- そうした問題への対処法として、著者が挙げているのが「階層ベイズ・モデル」
- それを利用することで、これまでの自分の経験から引き出される抽象的特徴として適切なものを見いだして、これから生じる経験を確率論的にモデル化するのである
- 大事なのは「超過仮説」(overhypothesis)として正しいものを見つけることだ
- つまり、新しい現れを伴う帰結を事前に思い描くために用いるのにふさわしい「高階の構造」を見つけることだ
- たとえば、あなたは新たな食べものを食べてみたいと想定するかもしれない
- ここで、いろいろなタイプのブドウを好む自分の経験に加えて、いろいろなレストランでの経験と、この仮説を組み合わせると、
- 新たな食べ物なら、どんなタイプでも試してみようと思うわけではないことを、あなたは発見するかもしれない
- 新たな食べ物を食べてみるというときにあなたが本当に好きなのは、新たな果物を食べてみる経験なのである
- このときあなたは、自分は新たな種類の果物を食べてみたいということを、超過仮説として捉えることになる
- そして、その超過仮説を用いることで、ドリアンを初めて食べてみることから生じる帰結を思い描いて、モデル化できるのだ
- 人生における変容的な選択の一つ一つに直面する時、あなたは自問しなければならない
- 自分は新たな自己という未知のジャングルに突入するのだろうか
- それとも、船上にとどまるのだろうか
電子化×
サイボーグとして生きる マイケル・コロスト
- ある日突然聴力を失い、人工内耳を埋め込むことになった男の自伝
- 人工内耳や難聴者の生活だけでなく、上手くいかない恋愛などありのままの中年男性の人生がつづられている
- 機械と人が互いに侵襲し合いながら助け合っている、人と機械の複合体=「サイボーグ」の感覚やその存在に親しみが持てるようになる本でもある
- 後に『猿と女とサイボーグ』の元となったダナ・ハラウェイの論文の分かりやすい解釈もある
- ハラウェイにとっては、エデンの園の逸話がサイボーグ理解のキーポイントになっている
- 彼女が言っているのは、人間は原初の完全性を持っていたわけではなく、現実をありのままに知覚したことなどないということだ
- サイボーグは、己の肉体ゆえに、自分は現実世界をありのままに知覚していないのではないかという疑念を抱くようになり、永遠にそうした思いを拭い去ることができない
- ちょうど、この本の著者が、人工内耳のソフトウェアをバージョンアップするたびに「更新」される聴覚にとまどい続けたように
- そのような疑念を抱くということは、エデンの園の逸話という嘘に惑わされないということでもあるため、サイボーグは希望の人となる
- サイボーグは、多様な視点から森羅万象を見ることにより、絶対無謬の真理を自称する排他的・独善的なイデオロギーに染まることなく生きていける
- サイボーグは、たいていの人よりさらに堕落した存在だが、それは絶望ではなく希望をもたらす
- なぜなら、エデンの園を探し求めることをやめてしまえば、独自の楽園、すなわち不完全ではあるが自分自身が満足できる世界を自由に構築することが可能になるからだ
- 「機械は、我々の過程、我々が具体的なかたちをとる際のひとつの側面である。我々は、各種の機械に対して責任ある存在となることができる――機械たちは我々を支配するわけでも脅かすわけでもない」
- 別の見方をすれば、サイボーグの世界は、人々が動物や機械と連帯関係を結ぶことを恐れず、永遠に不完全なアイデンティティや相矛盾する立場に臆することのない社会的並びに肉体的な現実に関わるものかもしれない」
- 要するに、多様な視点を持ったほうが良いということだろう
→『シナモリアキラ』=『サイバーカラテ道場』の価値と意義?
- エデンの園に戻ろうとするのは、危険なことでもある
- たとえば、政治家は、世界を知るための唯一の正しい方法を教えると大衆に向かって大言壮語することで、権力を獲得する
- まるで、自分は神のような完全性を持っており、何が善で悪かがわかると言わんばかりだ
- しかし、世界のありとあらゆるものを善と悪に分けようとすれば世界の複雑さと多様さが見えなくなるので、そうした善悪二分論的なものの考え方自体がとんでもない害悪を垂れ流す
- ハラウェイ「単一の視点から生み出された幻影は、複眼視の場合や多頭のモンスターの見た世界に遠く及ばない」
→片目のアルト王?
事実はなぜ人の意見を変えられないのか ターリ・シャーロット
- 認知神経科学舎である著者が、人を説得するために必要な「影響力」についてまとめている本
- 他者の説得だけでなく、自分自身が適切な判断を下すための方法も載っている
- 人を説得するための条件からついついスマホを見てしまう理由まで、研究や分かりやすい例にもとづいて説明されているのが良い
- ただ、ハウツー本のように、要点が分かりやすく強調されている本ではないのは残念なところ
- とはいえ、章末には簡潔なまとめがあるので助かる
- また、読んで楽しい本でもあり、
- 小児科医のデータに基づいた話よりトランプ大統領の話を信じそうになったり、市街地を集団でスタンピードしてしまった経験など、著者自身のエピソードが盛り込まれている
- 他にも、集合知が成立する条件や、個人でもそれとほぼ同等の効果を発揮する方法、脳同士の間で信号を送受信する技術や神経活動に干渉して精神をも変える技術の可能性まで、アと関係ある話にも少しだけ触れている
- 脳のカップリング:脳活動が同期すると「深く心が通じ合っている」と感じるようになる
- 脳の構造や機能が似ている大きな利点は、意見の伝達がスムーズになることで、そのおかげで私たちはたった一人で世間を渡る必要がなくなる
- Twitterは感情を刺激するネットの扁桃体
- あなたは、感情は自分の中で起こる私的なプロセスだと思っているかもしれない
- しかし、感情が外部へ漏れ出しあらゆる場所へ伝わっていくことを思い出して欲しい
- 自分が何かしらの気持ちを抱いただけで、人々の感情を変えられるという事実を、心に留めておくべきだろう。
- 同様に、他人の感情が私たちの気持ちを変えることもある
- 私たちは常に相手と、そして周囲のすべての人びとと互いに同期しあっているのだ
→断絶解消の可能性?
- 注意や警告は、相手のコントロール感(自分が物事を決めているという感覚)を阻害するので無視されることも多い
- だが、成果を得るために必要なものをはっきり提示すると、逆にコントロール感を増大させることができる
- 部下に影響を及ぼすためには、ときにコントロールしたい衝動を乗り越え、代わりに選択肢を与えなくてはならない
- 皮肉だが、手綱を手放すことは、影響を与えるための強力な手段なのだ
→アキラくんに対するトリシューラの影響?サイバーカラテが、社会に影響を与えるツールとなる可能性?
- 話を聞いてもらうというのは、相手の頭の中にある(情報の価値を算出する)架空の大型計算機を動かすことである
- その情報が相手の知識のギャップを満たせそうなら、そのギャップを強調すればいい
- また、相手の世界をより良くするのに役立ちそうなら、その方法をわかりやすく示せばいい
- そして最終的には、あなたの発した情報が恐怖ではなく希望を導き出すよう、メッセージを再構成することだ
- ただし、助言を与えようとしているならば、相手の立場を想定すること
- 相手の心の状態は、あなたの助言への反応の仕方に影響を及ぼす
- だから、こちらの意見と相手の状態は一致している必要がある
電子化◯
じぶんで考え、じぶんで話せる こどもを育てる哲学レッスン 河野哲也
- 『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』を加筆修正したものであり、対話の試み「哲学カフェ」における理論と技術を記している本
- こどもの対話と思考をうながすことによって、「対話の共同体」を築くための方法について、しっかり分かりやすく書かれている
- 読解には、議論を円滑進行させる司会の一種・ファシリテイターについて知っていたほうが良いが、知らなくても分かりやすい本である
- 対話はこどもだけでなく、まわりの大人たちもをも成長させる
- フランスのジャン・ピエール=ポッツィほか制作・監督『ちいさな哲学者たち』や貧困地域での教育を描いた『パリ20区、僕たちのクラス』やリチャード・ラグラベネーズ『フリーダム・ライターズ』という映画が参考に
- 現代社会では、共同体を所与のものとみなしたり、文化や価値を同じくする共同体が存在しているという前提に立って物事をすすめることは、出来ない
- マジョリティの文化にそもそも学ぶべき価値があるかどうかさえ問題になってしまう
- 現代社会でこどもが学ぶべきことは、文化的価値を共有していない人びとでもコミュニケーションをして、共生できる社会を協働して構築していく力です
- それまで関係のなかった人と人の間に関係を築く力であり、共同体を最初から築き上げていく能力なのです
- 民主主義社会に必要とされる、市民としての振る舞いを身に着け、政権を担う主権者として必要な権利と義務を理解してもらう教育が、必要
- 社会参加という公共性を育てるのに第一に必要なことは、自己を表現することを学ぶことであると同時に、人の声を聞く態度を学ぶことなのです
- 哲学対話で最も重視しなければならないのは、セイフティ(安心)
- 対話の共同体のためには、対話以前に安心して発言し、気楽に質問や反論ができるできる環境が保証されていなければならない
- 探求とは、定まった目的地を目指すことではなく、理にかなった議論によって導かれるままに、新しい場所に向かって冒険をすること
- 対話とは、驚きから始まり、探求と思考によって進む会話のことです
- 考えるとは、一見すると無関係に思われるふたつ以上のものに関係性をつけること、あるいは、関係性を見つけることに他なりません
- マシュー・リップマン:思考力の三つの側面、批判的思考・創造的思考・ケア的思考
- 批判は非難や否定ではなく、考えの審議や妥当性を根本から検討し直すこと
- 創造的思考:新しいものを求める先進的な思考:分からなくなっていくことは、褒められること
- ケア的思考:配慮・保護。思考の感情的な側面と関係している
- ケアは、思考のあり方やその側面
- 物事を丁寧に調べたり、物事同士の関係性を発見したり創造したり、他の行動の選択肢を思いついたり、問題を調べて解決法を見つけようとしたりするような、認知的な作用
- ケアは価値づけ、なければ思考は価値を失う
- 思考には、なにかに配慮する、世話をする企てが含まれており、とても重要な側面
- 関心を持つから、ケア的であることが、より正確な知覚、より色彩豊かな描写を生み出し、創造的思考となる
- 思考は、形式や構造の問題だけではない
- 私たちの感情は、深く思考を形作り、方向づけ、それに枠組みやバランス感覚・視点を与えている
- 感情は、単純な生理反応ではなく、価値判断に基づいたものであり、そこには既に思考がある
- 電車の中で足を踏まれても、踏んだ相手が自分にどう対応するかによって、かえって同情したりするように
→怒りの問題
- コミュニティボール:毛糸を巻きつけてボール状にしたもの、みんなで自己紹介をしながら順番に作る共同作業の象徴
- 発言権を象徴させることにも使われ、ぬいぐるみでも代用可
→媒介としてのシナモリアキラ(サイバーカラテ?)
電子化○
- 発言権を象徴させることにも使われ、ぬいぐるみでも代用可
人生が輝く選択力 印南一路
- 個人の意思決定だけでなく、会議や団体の意思決定の効率化にも触れている
- 特に、予め起こりうる状況を想定して対応をチャート式で決めておく「自動選択機」がサイバーカラテっぽい手法
- 意思決定に関する基本的な知識は、個人レベルは認知科学、脳科学、行動経済学、統計学、オペレーションリサーチに。集団・組織・社会レベルは、社会心理学、政治学、公共政策論に分散しているらしい。
数学的決断の技術 小島寛之
- 確率を応用して意思決定する手法
- 主観的に確率を割り振ってみたり、自分の決断の癖を知ることで、決定しやすくする
- 四つの選択基準
- マックスマックス基準:可能な中で最大の利益に注目する
- 期待値基準:可能な利益の単純平均が最大のものを選ぶ
- マックスミン基準:最低でもいくらの利益があるかにこだわる
- 最大機会損失・最小化基準:「ああしておけばよかった」という後悔を最も小さくする
電子化◯
世界が動いた「決断」の物語 スティーブン・ジョンソン
- 決断・意思決定にまつわる問題や、そのためのノウハウを解説している本
- ハウツー本ではなく、エピソード中心でノンフィクションに近い形式
- 「新・人類進化史」と題されたシリーズの一冊でもある
- この本の著者は、科学と文学の両方が重要であるというスタンスであり、
- 本のなかで列挙されるエピソードも、そのまま重大な決断をする際の心理のシミュレーションとしての面があることが分かる
- フィクション、ノンフィクションを問わず「物語」というのも、また科学と同じく、人類が発明した決断のためのテクノロジーなのだ
ー他にも、自由な発想のために、一つしか無いように思える選択肢をあえて否定して思考を白紙に戻すなど、さまざまなノウハウに触れてもいるのが良い
- ただ、ビン・ラディンの暗殺計画が「成功した喜ばしい事例」として紹介されているあたりは、少し人を選ぶかもしれない
- とはいえ、その計画のプロセスは、意思決定の難しさについて学ぶには適切なケースであることも、また確かであるのだが
- 歓迎すべき過激主義
- かつて交通の激しさからデス・アベニュー(死の街路)と呼ばれたマンハッタンの鉄道で、廃線後は、不良のたまり場として厄介物になっていた高架橋があった
- だが、現代では、作家の提案や写真家の影響によって公園として作り替えられ、多くの観光客を呼ぶようになった
- 単に、市と会社のどちらが高架橋を壊すかの「やるか否か」の二者択一の選択に思えたその裏には、隠れた第三の選択肢が潜んでいた
- 高架線路が持つ、レクリエーション空間としての可能性に気づいたのは、都市計画や地元事業グループの組織の意思決定者ではなかった
- それは、社会の末端で生きるーーそして遊ぶーー人たち、つまり落書きアーティスト、都市の変わった景観を探す都会の冒険家だった
- 過激主義は自由の盾になりうるだけでなく、主流派には見えない新しいアイディアや決断の道を提供することが多い
- とくに重大な社会の変化は、まず「過激」な立場という形をとる
- 過激な声を消してしまったら、真に独創的な新しい道が偶然見出される可能性ははるかに低くなる
- かつて交通の激しさからデス・アベニュー(死の街路)と呼ばれたマンハッタンの鉄道で、廃線後は、不良のたまり場として厄介物になっていた高架橋があった
- 「レッドチーム」:組織内のいちグループが敵の行動を模倣する役割を与えられる。「悪魔の代弁者」のチーム版
- 集団の意思決定能力は、その視座の多様性に比例して増大する
- ただし同時に、集団の多様性とその意思決定に対する自信は反比例する
- いわば、能力の低い人が自信過剰になる「ダニング・クルーガー効果」の真逆といえる傾向
- 逆に、同質の集団は、決断を下すのが早すぎる
- 最も誤りやすい道は、得てして自分が正しいと確信することにあるのである
- また、アウトサイダーを連れてこなくても、既存の集団の多様性を高めることも可能
- 参加者がたまたま議論に持ち込む知識に応じて、それぞれに「専門家の役割」を割り当てるだけでいい
→ゼノグラシアとグロソラリア、四魔女の使い魔の条件
- 参加者がたまたま議論に持ち込む知識に応じて、それぞれに「専門家の役割」を割り当てるだけでいい
- ア関連の話題としては、ウォーゲームによる軍事シミュレーションの話や、
- 長期的な影響の予測が必要とされる判断の例として、シンギュラリティ=スーパーインテリジェントなAIがもたらす危機への対策の話も出てくる
- また、オバマ政権がweb上に開設した「市民の状況説明書」などの集合知の適切な運用にも少しだけ触れている
→コルセスカとトリシューラ、サイバーカラテ道場、特に紀人都市としてのシナモリアキラ
- 人間の知能はじつは、さまざまな程度の仮定にもとづく真実と偽りに依存している
- 真実と虚偽という二つの境界は、あいまい
- 日常生活において人間の脳は、じつにさまざまな度合いの真実をごちゃまぜにする
- そこで物語は、さまざまな枠組みの真実を器用に操る能力を鍛えてくれる
→『邪視』と『呪文』
電子化◯
選択の科学 シーナ・アイエンガー
- NHKで「コロンビア白熱教室」として放送されたもの
- 選択は「今日の自分を明日なりたい自分に変える唯一の手段」
- 実験と検証を繰り返すことで直感が養われ、本当に重要な判断に集中し、より満足がいく選択が下せるようになる
- 死を選択とみなすことが苦痛に感じる人もいるが、その考え方に慰めを感じ、死が人生の選択の延長上に有ると捉える人達もいる
→全体的に、反・シナモリアキラ - 選択とは、自分自身や自分の置かれた環境を、自分の力で変える能力のこと
- 人間は、本能的に選択の自由を求める
- 選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなければならない
- 選択は自ら切り拓くものであり、不可能だと思える状況も、選択を作ることによって克服できる
→アキラくん - 誰しも自分の人生を自分でコントロールしたがるが、その解釈は、その人が影響を受けた物語と信念によって変わる
→ヴァージリアとアズーリア - 個人主義イデオロギーは選択を「機会」という観点から捉え、個人には世界を変える力があるとする
- シンデレラなどでは、ヒーローやヒロインは、心からの望みを叶えるために努力しなければならない
- 誰が選択を行い、その選択がどのように行われるかに焦点があるため「いつまでも幸せに暮らしました」という結果に至る具体的な詳細は省略される
→コルセスカとルウテト - 「装置なしでは生きることが出来ず、生きても会話や思考できる望みが一切ない」障害児の死の選択
- 「情報あり、選択権なし」が(比較的に)一番親がラク
- 医師(権威者?)が、望ましい選択肢をはっきりと示すことで、困難な決定に伴う負担を軽減できる可能性がある
→サイバーカラテ - 目は見えないが「視覚言語」を使うことで、自分の経験を上手く語ることが出来ているという著者
→見えざる義肢エル・ア・フィリス - 選択をしないで済む方法はないが、必ずしもつらい思いをする必要はない
- 選択の全貌を明らかにすることは出来ないが、だからこそ選択には力が、神秘が、そして並外れた美しさが備わっているのだ
〈選択〉の神話 ケント・グリーンフィールド
- 法学者が書いた選択についての本
- 「私たちの選択は、さまざまな要因によって制限されているから気をつけましょう」というのは他の本と同じだが、法学者として知的共感の重要性を強調しているのが大きな違いであり特徴
- また、アメリカ文化の中核的な考え方である「選択の自由、それに基づく自己責任」に疑問を突きつけている
- 何らかの法規定と、政府によるその実施なくして、〈選択的自己決定〉という概念に中身はない
- 自己責任が選択そのものだけを表すと考えるのなら、それは実際には「責任」とは何の関係もなく、したがってまったく自己責任などではない
- 〈選択的自己責任〉という考え方は、選択と決定の連鎖の最下流、つまり最後に決定を下した人物だけに全ての責任を押し付けてしまう、という点でも問題である
- 中立を志向する「リバタリアン・パターナリズム」をさらに押し進め、悪影響にさらされている選択に介入や禁止を行い、人々が意思決定能力を行使できる領域を保護すべきだ
- 法や社会的政策は、よりよい選択を奨励し、そうした選択をするための能力を育むためのツールと見なすことが出来る
- 国民は、適切な判断を下すために政府の援助を望んでいる場合もあり、自己責任をとることが必然的に小さな政府の擁護を意味するわけではない
- 自己責任を遂行する方法は、法の力を借りて正しい方向に後押し(ナッジ)してもらったうえであっても構わないのではないか?
→道具(ツール)としての【サイバーカラテ】?
- 私たちの行動の多くは他者にもコストを負わせる
- リバタリアン的観点は、みてみぬふりをする際の心理的苦痛などのコストをたまたま居合わせた通行人に負わせてしまう
→シナモリアキラと片腕のホームレス、そしてカイン - したがって他者の自立や選択の尊重は(実際に誰もが自分の選択の代価を確実に支払えるようにするために)裁判や罰金という形で事後に、もしくは保険という形で事前に立法者や規制者が介入しなければならないということを意味する
- また、自分自身で選択する権利を信奉していると同時に、自分が時に選択をまちがえることがあると自覚している場合も十分にありうる
- さまざまな状況のもとでつねに適切な選択をできるようにする唯一の方法は、投票者としてより普遍的なレベルの選択をして、個々の状況のなかでの選択を禁じること(セイレーンの横を通る前にマストに身体を縛りつける等)
- リバタリアン的観点は、みてみぬふりをする際の心理的苦痛などのコストをたまたま居合わせた通行人に負わせてしまう
- 市場は抵抗不可能な深い影響力を持ち、選択を一定の狭い範囲に制限してしまう
- 市場では、先立つものがなければ選択の余地はないに等しい
- 市場は、市場自体を制約する手段を提供してくれない
- 市場には、経済力がない人が、自身の置かれた状況を改善する仕組みがそなわっているわけではない
- 人々がまっとうな選択を享受するためには、市場はコントロールされなければならないのだ
→【シナモリアキラ】(サイバーカラテ道場)の脆弱性?
- 知的共感(empathy)とは「他人の立場に身を置いて考えること」
- 知的共感は哀れみや同情ではなく、弁論の中に埋もれている状況(ストーリー)の個別的な側面に、献身的に耳を傾けること
- 法の正確性・明晰性は、専門家でない人びとが考えているより遥かに低い
- その本性として、法は、法の意思決定者と状況との「対話」を要請する(法のあいまいさによって、意思決定者は、状況の機微と特殊性を考慮するように強いられる)
→アズーリアの【呪文】?
- その本性として、法は、法の意思決定者と状況との「対話」を要請する(法のあいまいさによって、意思決定者は、状況の機微と特殊性を考慮するように強いられる)
- 本来、共同責任をとるべき人々が、他者に責任を押し付ける手段として自己責任のレトリックを用いているケースが、あまりに多すぎる
- 最終責任者の選択ばかりを問題にすることは、慈愛や慈善の心をもつことなく、安穏としていられるような風潮を生む
- そしてそれは、関心や責任を他者と共有しようとする感覚の欠如を助長している
- グループの同調圧力とグループ思考(先入観を強調し、対立する考え方を閉め出す)に注意
- 人間であるとは、恨み、同情、混乱、愛情を感じながら行動することだと言える
- 私達を取り巻く文化は、選択にも影響を及ぼすが、私達はそれに気づかない。魚が水に気づかぬように。
想定外 なぜ物事は思わぬところでうまくいくのか? ジョン・ケイ
- 世界は複雑であり、目的と手段もうまく分けることが出来ないため、「回り道」のやり方のほうが適していることが多い、と勧める本
- 裏付けとなるデータが恣意的なので説得力はあまりないが、目標を厳密に狭めず現実からのフィードバックを活かして目標を再設定していくやり方には、一理ありそうだ
- 最善の解決策が前もって存在するという考えには、大きな誤解があると言ってもよいだろ
- われわれの抱く目的の大部分は定義があいまいであり、多面的で、取り組みが進むにつれて変化する
- さらに、われわれの意思決定力は、相手の反応やそれをどう読むかに左右されてしまう
- そして、人間に、複雑怪奇な世界を全て知る能力はない
- 世の中は、当然のことながら一定の変化をせず、最善とされた意思決定がそのまま良い結果につながるとは限らないのだ
う
- 問題を解決する能力は、高い次元の目的について、さまざまな角度から何度も考えて見るところにある
- 回り道的な考えとは、代案を提示することではなく、別の見方や考え方を示すことなのだ
- 環境が常に一定で、目的は単純明快、その背後に隠れた課題もないような場合であったら、直接的なやり方でやった方が良い
- そういう場合に限れば、いつ目標を達成できるかも決められるはず
その損の9割は避けられる 大江英樹
- 行動経済学の身近な応用について書かれた本
- 著者が証券関係者であるため、どちらかといえば「資産運用で気をつけるべき基本の心得」といった面が強い
- 人は損する方を嫌うという「プロスペクト理論」、身近な例を確率高いものと思い込む「利用可能性ヒューリスティック」など、
- 乗せられているバイアスのパターン自体は少ないが、そのぶん分かりやすい例と共に人間心理の法則を伝えてくれている
電子化×
- 乗せられているバイアスのパターン自体は少ないが、そのぶん分かりやすい例と共に人間心理の法則を伝えてくれている
超決断力 6万人を調査してわかった迷わない決め方の科学 メンタリストDaiGo
- 普段から「人生の基本的な価値基準」=信念を定めておき、問題を適切に整理すれば、後悔しない選択が出来るとしているハウツー本
- 決断を迫られるシチュエーションを四つに分け、それぞれに合った対処を解説している
- また、決断に伴う疲労と選択ミスを避けるため、なるべく決断を自動化することを推奨している
- 出典元は明記されてはいないものの、既存研究に基づいているらしいそのノウハウはそれなりに確かか
- 参考書のように、重要箇所の強調と章ごとのまとめが用意されており、理解を助ける
- 肝心の価値観をはっきりさせるための、質問のリストが完備されているのも良い
- ただ、わりと内容には重複が多く、肝心の問題解決法が把握しにくいのが難点
- アリュージョニスト関連で言えば、上述の問題の四分類のうちサイバーカラテが扱っているものは、主に「どの選択肢が一番いいかを決断できない」という「面倒」にあたり、
- これは、専門家のアドバイスや関連データの集積によって解決するべき問題とされている
- 更に、『弾道予報』があれば、「予測できないから決断できない問題」である「複雑」にも、限定的には対処可能であろう
- また、ダイエットやたまってしまった雑務のように、「やるべきことが分かっているが決断できない」という「単純」も、『E・E』があれば、より良く処理が出来るかもしれない
- ただ、唯一「混沌」だけは、サイバーカラテをもってしても対処が困難かもしれない
- なぜならそれは、「答えがないから決断できない」という厄介な問題だからだ
- たとえエビデンスが確立されていなくても、「複雑」であれば、理想的な解だけは事前に分かっている
- そのため、その場合はシミュレートの繰り返しと新アイディアの創発によって、十分に対処出来る
- だが「混沌」は、違う
- それは、複数の「複雑」な問題がからみあった状態である
- 言うなれば、因果関係も見いだせないし自分でコントロールできる要素がほとんどないような、自問自答の段階
- 後から振り返っても「正しい選択肢」を見出すことが出来ず、実際の行動からその選択の明確な理由や動機が説明できそうにない、曖昧模糊としたカオスなのだ
- そうした不確定状態は、演算と選択肢の確立・評価を基本とするサイバーカラテにとっては苦手分野にあたる
- 元々、サイバーカラテは、あくまで戦闘における勝利という、明確な基準を前提としたもの
- そもそも利用者が依拠すべき価値観に迷っていたり、状況をきちんと認識出来ない状況では、あまり役には立たない可能性が高いのである
- とはいえ、四章リールエルバ決戦において、ルーシメアがニアに行ったようなカウンセリングであれば、
- あるいは利用者の価値観を確定させて状況を整理し、「混沌」をワンランク下の「複雑」へと零落させて処理することも可能かもしれないが……
- それはあくまで、サイバーカラテのシステムに含まれない「外部」の存在である
- サイバーカラテ道場(シナモリアキラ)は、そんな「外部」をいつまでも都合良く用意し続けていけるのだろうか?
- まあ、いずれにせよ、こうしてサイバーカラテなどの選択法の分析にも応用できることから分かるように、
- この本のノウハウが選択において役立つこと自体は、疑いようがない
- 確かに他にも、虐待を受けた児童やカルト教団の二世のように、価値基準やアイデンティティにあたる「イマジナリーな領域」が毀損されていて、
- そもそも従うべき適切な価値観をなかなか見い出せない場合など、この本の手法には適用出来る限界があることまでは、どうしても否定できない
- また、これは思考力を強化したり情報を収集・整理するメソッドでも無いので、それらのノウハウを別個で高める必要があることも忘れてはならないだろう
- けれどそれでも、思考を整理し最良のコンディションで選択をするためには、非常に有用なノウハウであることだけは間違いない
- 抜粋・要約など
- 更に決断力を上げるための4つの方法
- 1 決断のルールを更新する
- 「社会的探索」が重要
- 時間をかけて新しい人に接し、どのような考え方があるのかを探ること
- 最善ではなく多様を求めること
- 最初からベストの答えを探さないこ
- 集めた考え方をさらに別の人達にぶつけ、どれが共感を呼ぶかを見ながら、戦略を精査していく
- 2 小説を読む
- 上質なフィクション、簡単には結論が出ず、問題を二分しない作品
- カズオ・イシグロ『日の名残り』ジョゼフ・コンラッド『秘密の同居人』など
- 解釈や考察の余地が大きいものが良い
- 文学作品を読むと、「認知的完結欲求」を下げてくれる
- 「認知的完結欲求」=人間がデフォルトで持っている「答えのないもの」より「結論が決まっているもの」を好む性質
- それが強いと、直感による選択とのちの後悔をもらたしてしまう
- 3 選択肢を増やす
- 可能な限り書き出し(30~100)、5つに絞る
- 実現可能性だけで決めないこと
- 2つは抵抗感が残る選択肢にしよう
- 「これはないでしょ」と、ツッコミが入るもの
- 「自分らしくない選択肢」を入れることが、飛躍のチャンスになる
- 自分の過去の経験や記憶の枠に囚われてはならない
- 4 外国語で考える
- 直感的で安易な決断を行いにくくなる
電子化◯
- 直感的で安易な決断を行いにくくなる
- 1 決断のルールを更新する
なぜ「怒る」のをやめられないのか 「怒り恐怖症」と受動的攻撃 片田珠美
- 怒りを表に出すことを我慢し抑圧する「怒り恐怖症」とその結果として、怒りを歪んだ形で表現してしまう「受動的攻撃」について書かれている本
- 自分自身の怒りをしっかり受け止めることと、怒りを適切に表現し伝達することの必要性が説かれている
- 表現方法についてはあまり詳しくないので「アンガーマネジメント」などの専門書をあたるべきなのだろう
- ひそかにサボるなど、まわりくどい嫌がらせに心当たりがあったら、読んでみると良いかもしれない
なぜ日本人は怒りやすくなったのか アンガーマネジメントで読み解く 安藤俊介
- アンガーマネジメントの第一人者を自認する著者による入門書
- 世相分析から怒りっぽさの原因そして対策と、怒り問題の範囲を幅広くカバーしているが、内容自体はありきたり
- ただ、太字などで強調された文章はとても分かりやすい
- 怒り対策は、怒りが生まれるメカニズムを「火花」と「ガス」にたとえ、その両者を軽減させることを勧めるもの
- 不毛なコアビリーフ(自分の価値観の辞書/信念・こだわり)を手放したり、同調圧力に抗ったり、あるいは単に逃げる/その場から立ち去るなどの対策によって、適切に対処することを勧めている
- 怒りは、アンガーマネジメントの習得者でも完全には抑えきれないものであり、またときにときに必要なものだと認めているのも良い
- ただ、著者の現実認識には、いくらか不適切
- 「お金がなくても今の日本では十分生きています」と、生活保護を受けられなくて死亡する家族が出ているこの現代日本で言ったり、
- 身近な例をあげるのはいいが、ワクチン接種の同調圧力や「路上でのマスク着用」を当然とみなす眼差しを非難すべき例として取り上げるのは、いかがなものか?
- 「そのコアビリーフが、長い目で見て自分や周囲の人をマイナスにするものでなければ良い」という原則自体は良質な方針だと思われるが、
- 反マスクは、すでにマスクつけること自体を永続的な悪とみなすようなカルトと化しつつあるし、(要出典)
- マスク着脱については、現在ではすでに国の機関である厚生労働省が(2m以上他社と距離を置ける場合のみ)「路上でのマスク外しを推奨」している
- そもそも、感染対策は信念の問題ではなく、公衆衛生や心身にわたる健康の問題である
- 言い換えれば、この件は信頼のおける情報にもとづいて行動方針を決定し、社会の秩序や平穏への影響をよく考えて配慮するべき事案である、ということなのだ
- 不適切なマスクの扱いによって路上で熱中症になったり、逆に感染してウィルスをまき散らしたりすれば、医療機関の圧迫などで社会に悪影響をもたらすし、
- 当然、自分も心身ともに不幸になる
- 「ワクチン接種を強要する空気」にしても、これから新型ワクチンによって集団免疫を獲得できる可能性やコロナ休業がもたらす職場への負荷を考えれば、いちがいに否定は出来ない
- また国の方針に反して、真夏でも「路上でのマスク着用」を強制してくる人びとがいたとしても、
- ウィルスへの恐怖のあまり、不毛なコアビリーフにとらわれた彼らと論戦などでぶつかり合うのは、まさに不毛である
- 他人のコアビリーフは(少なくとも簡単には)変更できないものであり、相手が(医学的/国家方針的に)間違っていたとしても、彼らにアンガーマネジメントを強要することは出来ない
- それらの事情を考えると、このケースはやはり、アンガーマネジメントの例としては不適切なのではないだろうか?
- まあ確かに、「周囲がマスクやワクチンを行っているのを見ると、自分も強要されているように思えて怒りを感じる」ケースなどは、その苛立ってしまう当人がコアビリーフを変更したり「逃げて」くれれば、周囲の人びとも助かるし、それで済む話ではある
- 反マスクや反ワクチン思想の人は、自分と同じ思想の人でなければ話を聞かないだろうから、
- (この本を読んだ)そういう人を波風立てずに改善できるのだとしたら、この例もある意味適切、いやむしろ最適であると高く評価するべきなのかもしれない
- アンガーマネジメント系の本としては、川合伸幸『怒りを鎮める うまく謝る』や、戸田久実『怒りの扱い方大全』の方がオススメ
- 抜粋・引用など
- 何事にも白黒つけようとすると、寛容さを失うことになり、それは怒りの火種を生む大きな原因となるのです
- 「アンガーマネジメントができるようになると、自分と違うものが受け入れられて、自分が本当に力を使いたいことだけに集中できるようになります」
- 現代は、多様性のある社会をつくろうとしている時代
- 多くの人が「多様な価値観を受け入れろ」と、圧力をかけられているかのように感じています
- そのため、無意識のうちに多様であること、自分と違うものを察知しなければいけないことに義務感を覚えているのです
- その圧力や義務感が、むしろ自分と違うものへの嫌悪感につながり、受け入れることを拒否しているように見えます
- 自分と違うものを受け入れるということは、自分が置かれている当たり前の環境を受け入れるということ
- アンガーマネジメントが出来るということは、自分が置かれている環境をそのまま受け入れることができる、
- 受け入れることが苦ではなくなるということ
- 脳には神経可塑性があるので、怒りで消費している人は、よりムダに、必要以上に怒りやすくなる
- 記憶には残らなくても、心の傷としては残ってしまう
- 怒りは安・近・短なエンターテイメント
- 多くの人にとって、怒りをぶつけることは、やればすぐ忘れる消費でしか無い
- わざわざ腹立たしいものを見に行くことは、その腹立たしいものに魅了されているのと同じ
- 「イヤなら見るな」が出来ない人達がいる
- 自分の意に沿わないことから目をそらすことは、逃げること負けたことだと思うから
- 自己肯定感が低いと過剰防衛に走りがち
- 守りたいものが多いので、攻撃をされたと感じることが多い
- アンガーマネジメントの基本にして最善は、逃げること
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なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか シェルドン・ソロモン ジェフ・グリーンバーグ トム・ピジンスキー
- 死の恐怖が人間の思考や選択に及ぼす影響を、社会心理学の実験で立証している本
- 死の恐怖への自分の反応に気づくことで、選択の際にみずから決断することが出来る
- 人生には意味があり自分は重要で永続する存在なのだという(じつは心もとない)考えを維持するために、私たちは私たち自身の真実を信じなければならない
- 私たちの生き方全体、信じているものすべて、追い求めているものすべてが、別の世界観によって妥当性を疑われかねないのだ
→ソルダの二次創作嫌い?その他の迫害? - 文化的な現実認識が死の恐怖を抑えているからには、自分の信念に反する信念の妥当性を認めれば、自分の信念が押さえつけている恐怖そのものが解き放たれる
- 現実認識が異なる人びとを見下し人間扱いしなかったり、文化的に同化させ手なづけるのも、死の恐怖に対する心理的防衛の一つ
→槍神教の異獣認定や布教、天使化による取り込み - 死を超越する5つの超越モード:生物社会的超越・神学的超越・創造的超越・自然的超越・経験的超越
→万物と同化する自然的超越はトライデント、他は「聖婚」時のヴィジョンや「更新」っぽい - 二つのアプローチ「にっち」(二元論)とさっち(世界はあいまい論)
- 「にっち」には、象徴的な不死をもたらす処方箋と心理的安定感があるが、「我々」対「彼ら」という部族気質を育み、憎悪や対立をあおる
- 「さっち」は、意義や価値は人間が作り出したものであると認めることを意味する
- 人はそれぞれ、自分の断片的な経験を出会うアイデアや、「真実」と結びつけて、自分が生きている現実を構築し、その世界を最大限に利用できるような人になるのだ
→【紀元槍】をハッキングして、偏見を書き換えるアズーリア - 「さっち」は、もっと思いやりのある世界観を生むかもしれないが、死の不安を和らげる効果はあまりない
- どうにかして、心理的安定感と寛容さを両立する世界観を作り出す必要がある
悩み方のレッスン 「助けて」と言えないあなたへ ジュリアン・ショート
- 行動を通して、自分の感情を制御しようと訴える本
→サイバーカラテ? - 文章は要点を抜き出しづらいが、その視点は重要かも
- 人間関係をコントロールすることこそ、自分の感情をコントロールする最上の、そして確実な方法
- 自分の感情をコントロールするには、よく考えて、ほかの人びとからポジティブな反応を引き出すような行動をすること
- 他人に「価値がある人」と思われるように振る舞えば、その周囲の反応の影響を受ける自分の感情も制御できる
- 感情を否定したり抑圧してはならないが、感情の表現のしかたは良く工夫する必要がある
- あなたが得た愛や強さを「自分を観察する自分」が算定したものーーそれがあなたの自尊心です
- 外側から見てるように思える「人の目」も、その正体はこの内なる自分かも
- 自尊心とはアイスクリームサンデーのようなもの
- 「愛」と「自尊心」二つのアイスの大きさが等しくなくてはならず、そうしてバランスが取れてないと上手くいかない
- 愛されても自分らしさを保てなければ心が満たされないし、誰にも愛されなければ世界を動かす力を得ても何の意味もないし喜びも得られない
- 強さとは、自分らしさを攻撃的にならずに主張する能力
- 私たちの感情が求めるものは、二種類だけ
- 1 人とつながりを持ちたい
- 2 自分だけの空間(テリトリー)を持ちたい
- 人から愛され自分を愛するのに、完璧な人間である必要はありません
- 自分がこうなりたい、人からこう見られたいと思っている人物がするような行動を取る
- 自分で自分を好きと思っている人らしく振る舞う
- 迷ったときには愛を与える
- いつも相手が「自分を好ましく思っている」と信じているかのように対応すること
電子化×
人間は「心が折れる」からこそ価値がある 人工知能時代に成功する人の考え方 苫米地英人
パラドックス思考 舘野泰一 安斎勇樹
- パラドックス、つまり矛盾した感情が二つ同時に存在するため、選択ができなくなるようなジレンマを分析している本
→アキラくんと介錯の問題など - 図や小見出しが多く。分かりやすい
- その代わり、あくまで原理原則を追求した本であるゆえに、
- 具体的にどう判断すべきかについては、読者に一任されていたりもする
- 解説では、自分の矛盾した感情をメタ認知して受け入れるだけでも、効果はあるとされているが、
- おそらく、自力だけで抑圧された心情を理解するのは、記述されているチェックリストを用いても困難であろう
- この本を真に活用したいなら、あるいはカウンセラーや相談に長けた友人のサポートを受けるべきなのかもしれない
- より高次なレベルの手法として「感情パラドックスを編集して、問題の解決策をみつける」
- 更に「感情パラドックスを利用して、創造性を最大限に高める」というものも紹介されている
- 前者は、対立するABの切替・因果関係の探索・両立させるウルトラCをもたらす感情の探求
- 後者には、アイディアだけでなく組織やキャリアを揺さぶり、対立する集団の融合の話もありかなりア的である
→相互参照姉妹の対立を独自のアイディアで解消したアキラくん?
- 感情の編集:二つの感情の関係性を別の視点から捉え直すこと
- 両立できる新たな関係性へと編みなおすリフレーミング
- 「点」ではなく「線」で乗り越える
- 二項対立にさせない
- 目標の実現は、一回だけの選択ではなく、選択の積み重ねで実現させるもの
- 例外を組み込んだ新しい「線」を描くなど
- 例:ダイエットのチートデイなど、
→分断対策における有効な思考?民族のスペクトラム(連続性)的な把握など?
- 両立できる新たな関係性へと編みなおすリフレーミング
- 類書にウェンディ・スミスとマリアンヌ・スミスの『両立思考』もあるが、
- こちらは、独自性や太極図への着目などのより広い視点こそあるものの、
- 更に抽象的な内容となっているため、あまりおすすめしない
電子化◯
ファスト&スロー ダニエル・カールマン
- 多くの実験によって、人間の認知の偏りや思い込みの傾向を検証している本
- 人間の意思決定を、直感の「速い思考」(システム1)と理性的な「遅い思考」(システム2)という、(実際には存在しない)脳の中の2つのキャラの対立に例えて説明している
- システム2はすぐに疲れてしまうなど、人間の認知の傾向を知っておけば、判断の誤りを少なくすることが出来るかもしれない
- 内容はわりと専門的だが、具体的な例もあるし、章末に短いまとめがあるのでそこだけ読んでも良くて、分かりやすい
- 「システム1が~をした」という表現は、「~が自動的に起きた」という意味であり、「システム2を呼び出して~をした」という表現は「興奮度が高まり、瞳孔が開き、注意力が集中して~が行われた」という意味である
- 私たちの考える自分自身とは、判断を下し、選択を行うシステム2のことである
- それはしばしば、システム1が形成した考えや感覚をそのまま承認したり、いくらか修正を加えただけでゴーサインを出したりする
- とはいえシステム2は、多くのバカげた考えや不適切な衝動があからさまに外に出てしまうことを防ぐ役割も果たしており、注意をしっかり注げば、さまざまな活動は上手くいくようになる
- 私たちが犯す誤りの大半はシステム1に端を発するが、私たちが行う正しいことの大半も、同じシステム1のおかげである
- 難しい質問の答えを探すときには、ただちに似たような質問の答を探し、容易に思い浮かんだ方の答でもって本来の質問の答に置き換える
- このように手っ取り早い近道から出てきた答は、とにかく入手しやすく、短時間で簡単に求められるという絶大な利点がある
- ヒューリスティックな答は、決してでたらめではなく大体においておおむね正しいが、しかし時には、決定的に間違っている
→類推、呪術的な思考
- 建設的に批判するスキルには、適切な語彙が欠かせない
- 意思決定者にとっては、自分自身の内なる疑念を想像するよりは、いまそこでうわさ話をしている人やすぐに批判しそうな人の声を想像するほうがたやすい
- 自分を批判する人々が正しい知識を身につけ、かつ公正であると信じられるなら、
- そして、自分の下す決定が、結果だけで判断されるのではなく、決断に至る過程も含めて判断されると信じられるなら、意思決定者はよりよい選択をするようになるだろう
電子化○
武術の身体論 同調と競争が交錯する場 西村秀樹
- 武術未経験者の大学教授が、剣術、柔術、相撲などにある「同調と競争」の要素を分析している本
- その論が扱う範囲は、囲碁や連歌、スポーツなどに加え、宇宙との同調ということで生花にも触れていて幅広い
- 図解などもあってその文章は読みやすいが、
- 「気」の話やつかみどころのない武術の奥義の話も出てくるため、難解な部分も多い
- また、ミラーニューロンが作動する条件や現代剣道批判など、武道や哲学的ではない内容も見られるし、
- 剣道ロボットを使った実験の話まであったりと、話題はかなり多様である
電子化×
- 剣道ロボットを使った実験の話まであったりと、話題はかなり多様である
欲望について ウィリアム・B・アーヴァイン
- 欲望について研究した本
- 望ましくない欲望を消し去る「特効薬」は無い
- 私達にはBIS(生物学的インセンティブ・システム)があり、それは人類の繁栄のために、欲望を使って私達を動かしている
- 「足るを知らざるより大いなる禍はない」
- しかし、欲望が無ければ人は何も決断出来ない
- 仏教:達磨大師の教え、平安が無いというなら、その不安な心を取り出せるか?取り出せないなら、それが平安だ
若者はなぜ「決めつける」のかー壊れゆく社会を生き抜く思考 長山靖生
- 「決断のサイクル」が短い時代を批判し、振り返る新書
- 内容自体は平凡だが、その視点だけは忘れてはならないものだろう
- 「やって後悔するほうがマシ」は本当か
- ジリ貧を打開するために一が八かの勝負に出るものは、たいてい負けるのである
- ましてや、現状把握や見通しが悪ければ、確実に負ける
- 決めてしまえば、その結末を引き受けねばならない
- 行き場のないところへ追い詰められて、仕方なく選んだら、今度は「自分で決めたんでしょ」と自己責任を強いられる苦悩
- 引き返すと負けだと思うのか?だが、どっちつかずの不安定やジリ貧感に耐えられないナイーヴな人間が、決定的な敗北や屈辱に耐えられるのだろうか?
- それに、正解のない選択肢からは、どうやったって正解を選び出すことは出来ない
- 短絡的な決断は、達成ではなく挫折だ
- そうした決断に至った原因には、当人にはどうしようもないケースもある
- だが、そんな決断が不完全で、これからも考え続けて修正すべきものだという自覚は持たねばならない
- 一度決めてしまったら、あとは施工を停止して、無理や理不尽を推し進めるのに加担することは、自分を追い詰める行為だ
- そもそも自己責任論は、九十年代には、投資の失敗や放漫財政によるバカげた浪費を繰り返した、政府諸機関や大企業、銀行などの組織に向けられていた
- それがゼロ年代以降になると、自己責任論は、若者に「自己決定」を迫り、それに対する「自己責任」を迫るという文脈で使われるようになっていった
- そもそも「責任」を遂行するために必要なのは、決定という行為ではなく、真に実行するための決定権とそれに伴う諸権限なのに、それが無視されている
- その一方で若者は、自分が能力がない(あるかもしれないが未知数なので「ある」とは誰も認めてくれれない状態にいる)ことを認めたがらず「できる」と思いたがる
- だから、自己責任を問われると、それを担いうるとどこかで考えてしまい、自分を追い詰めていくことになる
- 様々な弱者のタイプ
- 否認系弱者:自分が「弱者」であることを認めたがらず、架空の万能感に固執して、自分の現状を自覚することが出来ない
- 昔からいる中二病の卒業が遅れたもの
- 普通は、自分の限界と探す必要がない本当の自分を受け入れて治る
- ダメな部分を認めたからと言って、それはその分がダメなだけで、あなたという人間がダメなわけではない
- 「他責系」「自責系」弱者:「すべて他人のせい」と「すべて自分が悪い」本質的には似通っている
- どちらも過去の失敗や挫折に固執し、「どうしてこうなったのか」という責任にこだわる
- そして、「どうすればいいか」を考えたがらず、無意識に、行動しないでいるための口実を探す傾向が強い
- 自責性も、権利としての弱者性に依存してしまいがち
- ただし、責任逃れは社会の指導者層にも多いので、いちがいに弱者は責められない
- 否認系弱者:自分が「弱者」であることを認めたがらず、架空の万能感に固執して、自分の現状を自覚することが出来ない
- われわれが生きている社会の困難は、決められないままでは乗り越えられず、決めつけての猪突猛進でも行き詰まるおそれが大きい
- 確固たるもののない時代を生きるには、決めつつ疑い、改めた後も迷い、そして、おずおずとでも進むということを繰り返していくほかない
私が絶望しない理由 河合薫
- 九人の有名人にインタビューして「絶望を乗り越えられた理由」を探ろうとしている本
- 全員に共通して行われたアンケートと「感情のライフライン」という人生幸福度グラフが、対象者にとっての「人生の受け入れ方」を分かりやすく視覚化しているのが大きな特徴