- アリュージョニスト以外のネタバレに注意
- サイバーカラテを実践しよう (知ってる作品があったら、説明を追記しよう)
- 最下部のコメントボックスで作品紹介を書き込むと、誰かが追加してくれるかもしれません
- 多分図書じゃなくてもいいと思うよ
- 参照と類似は呪力です。高めよう。
- ほんの少しでも推薦図書に見えたのならそれが推薦図書です(邪視)。追加しましょう。五十音順に並んでいます。
- 編集カラテ入門
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** タイトル
-説明1
- 発勁用意! 次の2行をコピペして、自分の文章で書き換えます。ここは、Webブラウザ以外のアプリでやるのがオススメ。
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- COMBO! 「プレビュー」を押して、うまくいってるか確認します。まだこの段階では、誰にも見られません。
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- 性・性愛・聖婚関連/その他
- 裸はいつから恥ずかしくなったか 中野明
- BLの教科書 編:堀あきこ 守 如子
- 光源氏になってはいけない 助川幸逸郎
- 人妻ですが紅茶が飲みたいのでレイプすることにしました
- ヒトはいつ人になるのか 生命倫理から人格へ 村松聡
- 表現規制用語集
- ファンタジーとジェンダー 高橋準
- フランス人の性 なぜ「#ME Too」への反対が起きたのか プラド夏樹
- プリンセスも徴兵されるオランダの「男女平等」にみる、ジェンダー平等と権利と義務
- べてるの家の恋愛大研究 浦河べてるの家
- 僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに ニ村ヒトシ
- ポリアモリー 複数の愛を生きる 深海菊絵
- ポルノグラフィ防衛論 ナディーン・ストロッセン
性・性愛・聖婚関連/その他
裸はいつから恥ずかしくなったか 中野明
・日本人の裸への意識の変化を追った本
・日本人にとっての裸は、文明開化の時代までは、顔と同じく恥ずかしがる対象ではなかった
・しかし、外国人の二つの視線=裸のワイセツさを非難するタテマエの「冷たい視線」とスケベなホンネの「熱いまなざし」が日本人の意識を変えてしまったのだ
・隠すことで、裸は西洋と同じワイセツでエロティックな存在になっていった
→【邪視】による文化の浸食。それとリールエルバ
・また、この本には、「日常的に裸で過ごす日本人」と、それを文化の違いだと受け止める「異文化に寛容な外国人」も出てくる
・どちらも、生命力に溢れていて魅力的であり、その部分だけ読んでも楽しめる本である
BLの教科書 編:堀あきこ 守 如子
- BL研究や分析の成果をまとめたBI研究の入門書(2020年刊行)
- 多様で膨大なBLとやおいをよくまとめている
- また、フェミニズムの影響も強く、BLを、女性差別や異性愛中心で男性同士の絆を基盤としたホモソーシャルな現代社会への、反抗として捉える傾向がある
ただ、残念なことに、それは非・異性愛な「クィア」(と自分たち)が「善」、既存社会が「悪」とするような、安直な善悪二元論世界観を盲信するだけのものとなってしまいがちなようだ
とはいえ、ゲーム研究の困難さやポルノ、「BL読み」に男性アイドルといった多様な範囲を扱うだけでなく、- ゲイとの対立やクィア業界への迷惑行為、『ヘタリア』と韓国ナショナリズムの衝突など、BL界隈が起こしたトラブルや批判にも多くの紙幅を費やして扱っていることは、きちんと評価されるべきだろう
- どの論考も、最終的に「自分達の多くは反省しているし、BLは素晴らしいもの。それに自分達も社会の被害者だから、まず加害者である男性たちが償うべき」
- といった、自己弁護と文脈のすり替えに陥ってしまいがちなところだけは感心できないが、
- それでも、ある程度真剣に自分達が「加害者」となっている可能性や他者の痛みに向き合おうとしているのは、素晴らしいことであると思われる
- また、BLが、女性も「ファンタジーとしての性暴力」を楽しむことを顕在化させただけでなく、「正しいセクシャリティ」に反抗し、
- フェミニズムが見落としてきたものを描き出しているという、可能性を指摘する論考もあり、
- そこには、フィクションを社会正義や思想に従属させるのではなく、フィクション自体の力や魅力を信じようとする方向性があることも、見逃せない
- 欲を言えば、もっとしっかりと自分達BL界隈の「加害性」に向き合ったり、
- 社会全体の新しい『道徳』の規範を自負しているため、新しい抑圧になりかねないフェミニズムと、個人の楽しみや安全地帯(アジール)でもある娯楽(「エンタメ)の一種であるBLの間に起きる摩擦を考察したり、
- 「リアルなゲイは好きじゃない」と語る腐女子と当のリアルゲイたちの共生を、もっと模索していって欲しかったところだが……
- 少なくとも学術的・資料的価値が高いこの本は、議論のたたき台としては十分条件を満たした、良質なものであると言えるだろう
電子化◯
光源氏になってはいけない 助川幸逸郎
- 『源氏物語』の陰に潜む摂関政治の政治力学
→【使い魔】特にクロウサー一族 - 様々な姫の恋と幸せの話でもある
- 「特別な自分」として大事にされることを求める女性たちと、興味本位や他の男性への対抗意識で付き合ってばかりの男性たち
- だが、どんな生き方も人間的であり、貴賎は無い
人妻ですが紅茶が飲みたいのでレイプすることにしました
- 「性的合意」をとることの面倒さと、それでもそれは必要だろうというブログ記事
- 著者は、性に淡白な夫を持つ自称ビッチな妻であり、その独特な視点とユーモラスな語り口がエピソードを面白いものにしている
はてなブログ>人生万事こじらせるべからず
ヒトはいつ人になるのか 生命倫理から人格へ 村松聡
表現規制用語集
- 表現規制反対派によるネット事典
- かなり偏りはあるが、エロティック・キャピタルの項目など、一理ぐらいはあるかもしれない
リンク
ファンタジーとジェンダー 高橋準
- 「男装の麗人」「家族」という視点から、ファンタジーを分析した本(2004年刊)
- ジェンダー関連のファンタジー作品紹介本に近いが、作者独自の視座による分析もしっかり載せられている
フランス人の性 なぜ「#ME Too」への反対が起きたのか プラド夏樹
- 一人の女性ジャーナリストが見た、フランスの性教育や性文化をまとめた本
- 単なるフランス持ち上げではなく、セクハラや不本意なセックスを訴えにくい、性生活を充実させるべきという強迫観念があるなどフランス文化のデメリットも描かれている
- フランスにおける「性」や恋愛は、歴史的に民衆が勝ち取ってきた「自由」であり重要な「権利」であった。
- 「女性も自分が望むセックスをイメージして、相手にはっきり伝えよう。自分の欲望を表明できるようになれば、ノーもはっきり言えるようになる」
- たしかに自分でなにも語らず無反応のままでいるのに、相手に「支配するな」とだけ言うのはズルい
- 「性」は私たちのもの、その字の由来どおり「生きる心」である
- 最低限の枠組みは理解する必要があるが、それ以上は誰にも指図されたくない。
プリンセスも徴兵されるオランダの「男女平等」にみる、ジェンダー平等と権利と義務
- AMP記事
- オランダで、自分の中にあった小さなジェンダーバイアスに気づく
- 女性であることで勝手にプレッシャーに感じていた不平等から解放され、その裏返しとして今まで他人事のように放ったらかしてあった責任を拾い上げていく過程
- 無意識に逃げて甘えていた
リンク
べてるの家の恋愛大研究 浦河べてるの家
- 精神障害などを抱えた人びとの地域活動拠点「べてるの家」で恋愛研究をしたその現状の成果をまとめた本
- それほど専門的ではない読みやすい本であり、イラストも多く、分かりやすい
- これは、他の施設では不可能とされてきた「精神障害者の恋愛・結婚」が可能となった記録であり、
- なんの計画も成算もなく、恋愛や結婚、さらに出産に飛び込んでいった当事者たちが、
- 周囲の支えによってそれらを維持していった成功の話なのである
- べてるには「当事者研究」という、自分で自分の病気や障害を研究する文化があるので、それが恋愛にも活かされている
- そのため、この本は「当事者研究」の入門にもなっており、むしろ他の専門所より分かりやすいかもしれない
- もちろん、幻聴などの症状や問題行動を「お客さん」と呼んで、その人と問題を切り離す捉え方/視座は、恋愛においても十分に効果を発揮している
- 幻聴を「神様の声」と認識し、それに従って行動していた人などもいるが、それも周囲に迷惑をかけるので手放しているのだ
- もちろん、場所が場所だけに、いわゆる共依存的な恋愛も多い
- だが、それが悪い方向にばかり働くとも限らないようで、
- 一人ではいられない「メンヘラ」系の彼女につきあって、対人恐怖症を治した彼氏なども存在するのだ
- もちろん、その改善にも限界はあり、二人とも疲れきって倒れかけたりもするのだが、
- その時にも、べるくなどの周囲の助けによってちゃんと立ち直れている
- だが、それが悪い方向にばかり働くとも限らないようで、
- そうした周囲の支えについての解説では、最後のあたりに載っている図が圧巻であり、
- 蜘蛛の巣のようにあらゆる組織・共同体・ミーティング(会議)による支えが図で示されている
- あるいは、こうした無謀にも思える挑戦と、周囲による徹底的な支えこそが、
- 日本の少子化問題を解決するカギだったりするのかもしれない
電子化×
- 日本の少子化問題を解決するカギだったりするのかもしれない
僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに ニ村ヒトシ
- AV監督による恋愛系少女漫画の紹介エッセイ
- 『風と木の詩』『日出処の天子』『綿の国星』『少年は荒野を目指す』『ガラスの仮面』などを解説している
- 「教訓」は「依存や支配を否定して生きづらさを無くそう」というわりとありきたりのものではあるが、少女漫画に興味を持つきっかけにはなるかも
- 少女漫画の形式の話
- 適度に(女にとって都合いい感じに)支配的な男が、男らしい男である
- そういう男から愛されることが、女にとっての幸せである
- 女は、男から愛されなければ自分を肯定できない
- かつては「そういう物語」を信じていたほうが、女も男も生きていきやすかった。それが男女の作法だった
- しかし現代では「女の自己肯定感は愛されることでしか/男は正義の戦いに勝つことでしか、もたらされない」と信じているとかえって生きづらくなる。色々と時代が変わったのだ
ポリアモリー 複数の愛を生きる 深海菊絵
- 本気で複数の人を愛するというライフスタイル「ポリアモリー(複数愛)」について紹介している新書
- 筆者のフィールドワークやインタビューに基づいており、概念の歴史や多様な関係性の実情をわかりやすく解説している
- ポリアモリー運動には、ハインラインの『異星の客』や『月は無慈悲な夜の女王』ロバート・リマーの『ハラード実験』などのSF小説の影響もある
- 実践者たちは、ポリアモリーは宗教ではないとしているが、宗教的なタントラ、ヨガ、ベイガンやウィッカンとも関係ある(キリスト教徒のポリアもリストも多いが)
- 日本では、お互い恋人を持つことに関して合意の上で結婚する「オープン・マリッジ」を行った、岡本一平岡本かの子夫妻が有名
- ヴィー:三人からなる性愛スタイル
- 一人の人物に二人のパートナーがいて、その二人に性愛関係がないパターン
- ポリアモリーには、社会規範にとらわれない愛や自らの選択と意志に基づく愛という側面がある
- とはいえポリアモリー実践者は「一対一」の関係を否定することもなければ、「自分たちの愛のかたちが唯一正しい」と主張することもない
- 主従関係が基本のBDSM(ボンデージ・ディシプリン・サディズム・マゾヒズム)とは基本相容れないが兼ねる人も
- また、パートナーと恋愛関係が一致するとは限らない
→アキラくんと相互参照姉妹? - ポリアモリーからみると愛人の存在を結婚相手に隠すことがあるモノガミー(一夫一婦制)の方が不誠実に見えたりもする
- ポリアモリーにとっても責任は大事であり、「責任あるノン・モノガミー」という言葉もあるほど
- 自由な愛のパラドックス:感情を上手くコントロールせよという自らのルールによって自らを拘束してしまう。
- ポリアモリーでも嫉妬や孤独がないわけではない
- パートナーといっしょに嫉妬問題に取り組むのが理想的だが、なかなかそうはいかない
- 盲目な恋:ロマンチック・ラヴは近代になってから作られたもの
- それ以前は、知識やマニュアルを使った計画的な愛が一般的だったし、現代でも実はそうだ
- 多くのポリアモリー実践者は、パートナーになることと所有することは異なると考える
- さらには、パートナーを所有しようとする行為には、互いの成長を邪魔する危険があるという
- 自己への配慮は、自由を実践する条件
- そして自己への配慮は常に他者関係を含んでおり、他者の中で自分が占める位置に完全に剥けられている
- つまり、自己への配慮は他者に気を使うことでもある
- 「コンパージョン(compersion」愛する者が、自分以外のパートナーを愛しているときに感じるハッピーな感情
- 嫉妬の反対とも言われるが、誰もが感じられるものでもなく、自分の意志で起こせるものでもない
電子化○
- 嫉妬の反対とも言われるが、誰もが感じられるものでもなく、自分の意志で起こせるものでもない
ポルノグラフィ防衛論 ナディーン・ストロッセン
- ポルノ規制反対派のフェミニスト女性が書いた本
- 事例や資料はかなり豊富だが、その分分厚いのが欠点
- ポルノ規制派がもたらした検閲の害と、本当に有効な女性差別対策について書かれている
- 言論の自由を失うということは、これまでに苦労して切り開いてきた道を後戻りすることなのである
- ポルノグラフィの検閲を行ったところで、女性蔑視による暴力や差別が減少するわけではない
- 検閲とは、他者が何を読み、考え、どのように行動するかを管理する必要の結果として生まれたものである。
- 文化に支配されているという気持ちが強くなれなばるほど(文化との協調関係が薄れれば薄れるほど)検閲への意欲は高まる
- ポルノグラフィに反対するファミニストたちは、性差別主義と暴力が支配的な文化から、攻撃を受けていると感じている
- 歴史を通じてすべての検閲は、弱者である人びとと現状に闘いを挑もうとする人びとを沈黙させるために偏って用いられてきた
- ポルノ規制やセクハラに過敏な動きは、性教育の阻止や、ゲイ・フェミニスト・レズビアンたちの抑圧に使われている
- 癒やし文化は、自己を尊重し、心理的安堵感や快適さを求める気持ちを高めるが、それは結局、不快で虐待的な表現に対する検閲へと発展するものなのである
- 言い争い、批判的な尋問、騒々しい意見の好感は「不快」だという理由で除外される
- ポルノグラフィも「不快」であるため、発言する権利を追求するよりも、不快でないことを過剰に追求する文化においては、とりわけ攻撃の対象となりやすい
→ヴァージルの【健康】?
- 言論の自由を保障するために、その言論が心地よいこと、社会的に発展性があること、不快でないことなどを証明する必要はない
- 公民権の根底には、言論は本質的に価値を有しているという信念があり、それは発言内容の価値にかかわらず、発言する権利があることを意味している
- 必要なのは、自由を強く求める気持ちだけである
- 女性の扱いに特別な気遣いを要求するということは、女性は小さくか弱い存在で、不快なことを聞くことも耐えることも、男性にとってはごく普通の苦難に対処することもできないと暗に言われている様なものである
- これこそが、女性に対する侮辱だ
- 性差別主義が横行する法曹界に女性が進出していくためには、女性をまったく対等な相手として遇し、平等の利点だけでなく重荷をもひるまず与えることが、最良の方法なのである
- 国家が「女性のため」に介入せずとも、好みのポルノグラフィを読み、鑑賞し、制作することは一人ひとりの女性の権利であり、一人ひとりの責任である
- これが、自由社会においてフェミニストである大きな利点だ
- 女性は、自由か安全か、言論か平等か、尊厳か性か、という二者択一を迫られるべきではない
- 女性は、性的存在であるために、その他のアイデンティティを放棄する必要はないのである
- 私たちには、個人としての安全をあきらめずとも、セックスや性的表現から得られる興奮を享受する権利がある
- 私たちは、他者の権利を抑圧することなく、言論の自由や平等権を行使して、性的表現も含めたあらゆる種類の性差別的表現を糾弾することができるのである
- 私たちが真に必要としてるのは、政府の侵害から私たちの自由や自治を守ることなのである
- 検閲賛成派のフェミニストが、彼らに反対する女性たちを自分の考えを持たない「ヒモ」や「ポルノグラフィ業者」の手先と決めつけている事実は(彼らが非難するポルノグラフィと同じように)彼らも女性を従属的で劣った存在とみなしていることを示している
- 1927年”ホイットニー対カリフォルニア州”裁判のブランダイス裁判官:論じることによって嘘や偽りを暴き、教育を通じて悪を防ぐ時間があれば、沈黙を強いるのではなく、より多くの議論をつくすことが解決策となる
- 社会心理学者の立場からすれば、どのような思考からどのような行動が導き出されるのかを、確定することはできない
- 私たち人間が人間であるゆえんは、考え、学び、解釈し、それをまた再解釈し、様々な角度から文脈を読み取る力だ
→【呪文】
- 私たち人間が人間であるゆえんは、考え、学び、解釈し、それをまた再解釈し、様々な角度から文脈を読み取る力だ
- 文章や映像に接した時に生じる相互作用は、個人によって様々
- 性や性的関係そのものは、本来個人的なものであり、一人ひとりの精神や生活と最も密接に結びついてるものであるため、性的な描写に対する反応や解釈も、非常に主観的で個人的なものになる
- キャロル・カッセル「セックスは、昔から商品だった。貴重な権力の源だ。性を商品にできるのは、女性だけだ」
- ナンシー・フライデー「女性はセックスを出し惜しみすることで力を得てきた」
→【邪視】
- ポルノグラフィの肯定的側面
- 検閲賛成派フェミニスト自らが立証しているように、社会にはびこる女性への差別や暴力へ人びとの関心を向けさせるという重要な役目を果たすのが、ポルノグラフィ
- (アメリカのポルノは基本的に女性主導であり)女性やフェミニストにとって肯定的な映像や概念を表現しているものが多い
- あらゆる種類(外見・人種・年齢の人物が登場する)のポルノがあり、すべての人間に平等。自分たちの欲望や快楽の正当化し、自分の性的な可能性を確認する一助となる
- 一人で性的快楽を得ることによって、性的に自立できる
- ポルノ規制の害と、本当に有効な女性差別への対策
- トーマス・シャイロ1981インディアナ州で強姦殺人:暴力的なポルノの影響による情状酌量を主張した
- ポルノ有害論は、性犯罪者の責任を軽減させてしまう
- 政府は、性暴力や虐待の被害者支援のために資金を提供するのはもちろんのこと、性的暴力の原因究明や予防策へも資金を提供するべきである
- シャーリー・フェルドマン・サマーズ:かなりの割合の性犯罪者が、性的に抑圧的な環境でしつけられ育てられていることを示す根拠もある
- 性犯罪者を公の場であざ笑い、屈辱を与えることによって、恥の概念を呼び起こし、効果をあげることができるのだろうか?
- 強姦被害者のほとんどは男性であり、さらに被害者のうちのかなりの数の男性が、今度は女性を襲う
- エドワード・ドナーシュタインの実験:暴力的なポルノで否定的な見方が強まった男性も、追加情報で影響を打ち消し、それ以上の効果を得ることができた
- 真実が彼らに考えを植えつけ直したのだ
- さらに、女性嫌悪的な内容とフェミニスト的内容の両方に同時に接した場合は、後者だけよりはるかに否定的な態度が減った
- 情報を制限するのではなく、教育、情報、批判的な鑑賞力の育成などを通じて、性に関する情報を強化することこそが解決策