大井

Last-modified: 2015-10-07 (水) 21:58:53

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No.019
こんにちはー。軽巡洋艦、大井です。どうぞ、よろしくお願い致しますね。大井(おおい)球磨型 4番艦 軽巡洋艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久25火力14 / 49
装甲11 / 29雷装24 / 89
回避37 / 77対空13 / 59
搭載0対潜19 / 59
速力高速索敵8 / 39
射程17 / --
最大消費量
燃料25弾薬25
装備
14cm単装砲?
61cm四連装魚雷?
装備不可
装備不可
改造チャート
大井大井改(Lv10) → 大井改二(Lv50)
図鑑説明
球磨型軽巡洋艦の4番艦、大井よ。
神戸生まれなの。
平時は海軍兵学校練習艦として活躍したのよ?
もちろん、真打ちは、重雷装艦へのモデルチェンジよね?頑張るわ!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:大坪由佳、イラストレーター:しばふ (クリックするとセリフ一覧が開きます)
セリフCV:大坪由佳、イラストレーター:しばふ
入手/ログインこんにちはー。軽巡洋艦、大井です。どうぞ、よろしくお願い致しますね。
母港/詳細閲覧北上さん、大丈夫かな…
提督?この手はなんですか?何かの演習ですか?撃ってもいいですか?
演習ですか?
母港(ヴァレンタイン)バ、バレンタイン…今年こそは決戦ね! うふふ、ふふ…うっ?! は、鼻血が? あははは…
ケッコンカッコカリ(反転)北上さん!なんだ提督なの?あ、いえ、いいんですけど。はい、提督も愛してます!
ケッコン後母港(反転)提督?他の子がどうしたって?え、違う?ふーん、ならいいの、なら……。
編成大井、水雷戦隊、出撃します。
出撃大井、水雷戦隊、出撃します。
大井、出ます!みんな、遅れないで!
遠征選択時まあ、いいかな。
アイテム発見まあ、いいかな。
開戦私、砲雷撃戦って聞くと…燃えちゃいます。
航空戦開始時
夜戦開始北上さんを傷つけるの……誰?
攻撃私、砲雷撃戦って聞くと…燃えちゃいます。
そうね…もう遅いわよ…
海の藻屑となりなさいな!
小破うぁあぁぁっ
うっぅん、痛いったら
中破/大破やられちゃった…?修理しなくちゃ。
勝利MVPあら?私?うふふっ、悪い気持ちじゃないわね。また頑張りますっ!
帰投艦隊が帰投しました。みんなお疲れ様。
補給そう、燃料と酸素魚雷を満載してね。ふふふ、これでまた、戦えます。
改装/改修/改造ふふっ…ちょっと嬉しい。
あの…他の艦も強くしてあげて。
まあ、いいかな。
入渠(小破以下)(現行)はい、少し休んできますね。
(?)うぐっ・・・早く魚雷を撃ちたいわ
入渠(中破以上)(現行)ちっ、なんて指揮…あっいえ、なんでもありませーん。うふふっ。
(?)作戦が悪いのよ・・・。あっいえ私が至らなくてごめんなさい
建造完了嬉しいっ、新しい仲間が到着しました!
戦績表示提督にお知らせが来ています。
轟沈(反転)敵艦隊、かなり削ってやれた…?そう…ならいいわ…沈んであげる。
時報
放置時北上さん大丈夫かな、私がいないと心配だな。うん、心配……きっと、そう、そう、きっと何か起きてる!私、行かなきゃ!

ゲームにおいて

  • 運用は同様であるので、詳しくは北上を参照。ただし運は最終的に北上より低くなってしまう。
  • 改造すると運が下がるという、ある意味レアな特色を持つ。改から改二では上がるものの、初期の17を越えることはない。
  • ただしこちらの大井の方が、レア度やマップの関係から、ドロップ狙いはいささか難儀である。2-3ボス、2-4-1、3-1-1でドロップするが、残念ながら3-2-1ではドロップしないようだ。2-4-1は特に狙いやすく出やすいのでおすすめ。
    そのほか3-3、3-4全般でドロップするが、4-xではドロップしにくい。軽巡なのでデイリー建造でひょっこりでてくることもあるかもね。
    • なお、大井は事前登録の特典キャラであった。「情報」の2ページ目にその時のバナーが残っている。今となっては意味のない情報だが、これも艦これの歴史ということで。
    • 事前登録特典の大井は初期艦よりIDが古くなるため、艦娘一覧を「NEW」ソートした際に大井が初期艦より後に出てくる(そして末端に居る)人こそ、真の古参提督である。
  • 改装時のセリフに「九三式酸素魚雷って冷たくてステキ」というものがあるが、読みが「きゅうさんしき」ではなく「きゅうじゅうさんしき」となっている。運営、台本にルビ振っておいてくれよ。

  • そんな大井様は艦これ屈指の猫被りキャラである。穏やかそうに見えてことある毎に黒い台詞が見え隠れする(何かにつけて「提督に」魚雷を撃ちたがる)。
  • 二次創作ではガチレズちょっと行き過ぎた北上さんLOVE勢として扱われるが、本来の彼女はそんなに百合百合していない。
      ⇒2014/10/10追加ボイスでついに公式化、北上さんLOVEは留まる所を知らない……

  • 絵師(しばふ)公式巨乳艦娘

小ネタ

  • ローマ字で「OI」。これは鵜来(うくる)型海防艦「伊王」と並び世界で一番短い艦名だとか。ちなみに旧仮名遣い交じりの平仮名表記では「おほゐ」だったりする。
  • 神戸・川崎造船所で1920年7月15日進水、1921年10月3日就役。
  • 他の?球磨?姉妹が主機関に技本*1パーソンス式タービン*2を装備した中、大井だけは技本と川崎造船所が共同設計したブラウン・カーチス式タービンを搭載していた。
    • このタービンが曲者で、タービン翼破損をはじめとしてやたらめったら故障を引き起こしていた。
      おかげで球磨型でただ1隻、機関部の大規模改修を施すハメになっている。
      なおこの一件で技本を信用しなくなった川崎造船所*3は、これ以降に建造した鬼怒?神通?には技本式のタービンを採用せず、大井のタービンを自力で改修した自社謹製のカーチス式タービンを搭載し続けた。
      • しかし5500t級の建造終了後に制式化された艦本式タービン?はブラウン・カーチス式がベースで、今度は逆にブラウン・カーチス式の製造権を取得していなかった三菱造船が置いて行かれることになった。
  • 前述の機関不調が原因で、就役から長らく、江田島の海軍兵学校で練習艦として使用されていた。
    • 先行登録者特典として大井が配布されたのはおそらくこれが理由。
    • 海軍兵学校の最上級生*4になると、彼女で乗艦実習が行われるのが通例だった。
      舷梯の登り方からやり直させられ、勝手の分からない艦内で迷子になったり、油断するとボルトに足を引っ掛けて転んだりと、それまで最上級生として威張っていた生徒たちが半ベソをかく羽目になる。
      こうして船乗りとしての性根を入れ替えさせられるのが大井での乗艦実習だった。
    • また、海軍兵学校在学中には年に2~3回の国内巡航実習がある。
      この程度の距離ならば不調な大井の心臓でも可能であり、これを兵学校在学中の四年間繰り返せば、自然と大阪以西の名所旧跡や工業地帯があらかた訪問出来るという仕組みだった。
    • 海軍兵学校の卒業生は練習艦隊に配属され、遠洋航海などの実地訓練や術科講習を受けてから士官として配属された。
      その遠洋航海は長らく磐手などの日露戦争時代の装甲巡洋艦が受け持っており、香取?型練習巡洋艦に代替される予定であった。
      • 海軍兵学校の卒業式が終わると、教官や後輩、父兄の見送りの中、少尉候補生たちは練習艦隊へ乗り組み、遠洋航海へと旅立つ。
        大井たち兵学校練習艦もまた敬礼を以って、手塩にかけた教え子たちの晴れの門出を見送るのである。
        日本ニュース第43号の海軍兵学校69期生卒業式のフィルムにも、遠巻きに教え子の巣立ちを見守る大井の3本煙突姿が写っている。(3分51秒付近~)
      • また、海軍兵学校の卒業式には、天皇の代理に海軍籍の親王が「御名代の宮」として、恩賜の品*5を授けるため臨席するのが通例であった。
        練習艦の任にあたる軍艦の中では抜群に新式艦の大井は、しばしばその宮殿下が乗艦する御召艦もつとめている。
        たとえば、海軍兵学校63期の卒業式では、当時海軍少佐の久邇宮朝融王が御名代の宮として乗艦。
        練習艦八雲・磐手の両艦が一斉に21発の皇礼砲を轟かせる中、隅々まで磨きぬかれた大井は皇族旗を檣頭高く鮮やかになびかせ、御召艦の任にあたっている。
        この時ばかりは、一介の軽巡でありながら、観艦式での御召艦比叡に次ぐ格式を身に負うことになる。
        機関不調故の練習艦ながら、機関不調故に最高の栄誉を担う機会にも恵まれていたわけである。
    • ともかく、戦前に呉軍港を訪れると、大抵いつも気だるげに浮いている姿を見ることが出来る一隻だった。
      長閑に係留されているそのスマートな艦影は、戦前の呉市民にとって馴染み深い姿だったそうな。
  • 北上さん阿武隈に突っ込まれた事があるのは周知の通りだが、では大井っちの方はというと戦艦長門に激突したことがある。
    • 1937年8月、第二次上海事変勃発にともない、長門が陸軍徳島歩兵第43連隊の将兵を揚子江沖まで輸送、それを軽巡や駆逐艦たちが受け取っている最中に起こった。
      長門の第二士官次室で昼食の後片付けをしていた水兵いわく、舷窓にいきなり大井の艦首の菊花紋章がニュッと現れ、
      「あっ」と思ったら5メートル程も吹っ飛ばされたとか。甲板の兵隊たちは両艦の間に盛大に火花が散るのが見えたという。原因は大井側が操艦を誤って接近し過ぎた事だった。
      ただ、接舷寸前で速力を落としており、防舷物も入れていた事からどちらも損傷は軽く、不問に付されたという。
  • 開戦直前の1941年8月から9月にかけて、北上さま共々、4連装魚雷発射管?を10基40門搭載した重雷装艦に改装され、第1艦隊の第9戦隊を編成した。
    「重雷装艦による特別夜戦部隊」を編成するためであった。
    真珠湾攻撃では、連合艦隊の戦艦の護衛を行った。
  • が、開戦から1ヶ月後、連合艦隊参謀長であった宇垣纏少将が大井を視察。
    その際「重雷装艦の戦術ってこの先どう考えてもやる機会ないだろJK・・・」と海軍軍令部にぶっちゃけてしまう。
    • この為軍令部が慌てて使い道を検討する間、輸送護衛や第一艦隊に所属して行動した。
  • 結局は北上さま共々、せっかく増やした発射管を一部外して高速輸送艦として改装。輸送任務に従事している。
  • 1944年7月19日、南シナ海において米潜水艦の「フラッシャー」(Flasher,SS-249)により2本被雷。
    当時大井は水中聴音機も水中探信儀も未装備で敵潜水艦への対抗法を持たず、しかも当日はかなりの荒天で雷跡の発見が難しかった。
    1本は不発だったが、もう1本が運悪く後部機関室を貫いた。当たり所が悪かった上に荒れ狂う波のため、応急措置は困難を極めたという。
    同行していた敷波?が敵潜水艦を制圧しつつ曳航しようとしたものの、午後5時25分、突如船体が被雷箇所付近で真っ二つに切断、艦首を突き立てて沈没していった。
    柴勝男艦長*6以下368名は敷波に救助されたが、153名が戦死した。
    • フラッシャーは、米海軍の潜水艦で唯一、第二次大戦において10万トンを超える敵艦を撃沈したとして称賛され、多くの勲章を受章している。
      が、これは捏造された記録に基づくもので、実際にはギリギリ10万トンに届かない。
      • 大井を沈めた後の1944年11月の哨戒で、フラッシャーは駆逐艦「岸波」(夕雲型15番艦。艦これ未実装)が護衛する運送船団を攻撃し、岸波ほかを撃沈した。
        しかし、戦争終結後に発表された戦果では、このとき駆逐艦「2隻」を撃沈したことになっており、撃沈したのは岸波と「イワナミ」となっている。
        イワナミと呼ばれる艦は日本海軍には存在しない。
        イワナミは2100トンとされ、これを入れて総撃沈トン数100,231トンとなった。もう少しで10万トンになるということで、記録が捏造された可能性がある。
  • 海上自衛隊においてもその名は引き継がれ、いすず型護衛艦4番艦おおいが存在していた。なお後期建造艦2隻は、機関や武装で大きな差異があったことから、3番艦の名前を取り、特にきたかみ型と呼ばれる。
    • 因みにきたかみとおおいは大湊を根拠地とする第32護衛隊で終始活動を共にし、両艦の除籍をもってこの隊は解隊された。来世でも幸せになれたようです。
  • 歴代艦長には上記の柴勝男のほか、新見政一*7、志摩清英*8、森下信衛*9などがいる。
  • 艦名は、日本アルプスから主に静岡県中部を流れ、駿河湾に注ぐ大井川から。江戸時代には「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と謳われた東海道屈指の難所である。
    • 鉄道ファンにはSLでお馴染みの大井川鉄道や、世界一長い木造歩道橋・蓬莱橋が架かっている事でも知られる。
    • ちなみに、彗星の項で解説されている「芙蓉部隊」の基地のひとつであった藤枝基地(現 航空自衛隊静浜基地)が近くにある。

この艦娘についてのコメント

過去ログ

*1 技本=海軍技術本部。後に艦政本部と改名する
*2 正確には技本+三菱長崎造船が開発した物である
*3 前述の通り他の姉妹の主機には三菱長崎も噛んでいる為、会社的な確執も有った(榛名霧島の建艦競争が端的な例として挙げられる。)可能性は否定出来ない
*4 海軍兵学校の受験年齢は16歳~19歳で、教育期間は時期により違うがだいたい3~4年だったので、最上級生は今で言うと大学2年生くらいの歳になる。
*5 兵学校の場合は海軍士官の象徴である短剣、それも刀身に「御賜」と刻み込まれた名刀が成績上位5人に授与される。恩賜の短剣一振りは将来の海軍大将、連合艦隊司令長官や軍令部総長のポストを約束する、この上ない名誉であった。
*6 終戦まで生き延び、戦艦ミズーリ艦上での降伏文章調印式に随員として参加した。
*7 艦隊決戦を否定、海上護衛の必要性を早くから説いていた海軍の最長老
*8 レイテ沖海戦の『志摩艦隊』指揮官
*9 第5代大和艦長。坊ノ岬沖海戦時の第二艦隊参謀長