金剛

Last-modified: 2014-02-07 (金) 17:35:47

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No.021
英国で産まれた帰国子女の金剛デース!ヨロシクオネガイシマース!金剛(こんごう)金剛型 1番艦 戦艦
艦船ステータス
耐久63火力63
装甲52雷装0
回避30対空24
搭載9対潜0
速力高速索敵13
射程12
搭載装備
335.6cm連装砲?
315.2cm単装砲?
37.7mm機銃?
装備不可
改造チャート
金剛金剛改?(Lv25) → 金剛改二?(Lv75)
図鑑説明
超弩級戦艦として建造技術導入を兼ねて英国ヴィッカース社で建造された、金剛デース!
太平洋戦域でも持前の高速力を活かして、大活躍デース!
期待してネ!
CV:東山奈央、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)
(放置ボイス追加→金剛改 時報ボイス追加→金剛改二)
セリフCV:東山奈央、イラストレーター:コニシ
入手/ログイン英国で産まれた帰国子女の金剛デース!
ヨロシクオネガイシマース!
母港/詳細閲覧紅茶が飲みたいネー
HI!今日もイイ天気ネー!
HEY!提督ぅー。触ってもイイけどサー、時間と場所をわきまえなヨー!
編成私たちの出番ネ!Follow me!皆さん、ついて来て下さいネー!
出撃提督のハートを掴むのは、私デース!
私たちの出番ネ!Follow me!皆さん、ついて来て下さいネー!
遠征選択時Wow!Congratulations!
アイテム発見Wow!Congratulations!
開戦撃ちます!Fire~!
航空戦開始時
夜戦開始これでFinish!?な訳無いデショ!私は食らいついたら離さないワ!
攻撃Burning Love!!
撃ちます!Fire~!
夜戦攻撃時全砲門!Fire!
小破あぁあっ!
提督ぅー!
中破Shit!提督に貰った大切な装備が!
被弾カットイン
勝利MVP私の活躍見てくれたの?もっと頑張るから目を離しちゃNo!なんだからネ!
帰投戦果Resultがあがったヨー!
補給Supplyは大切ネー!
改装/改修/改造Yes!私の実力、見せてあげるネー!
やっと本当の私になれた気がシマース
Wow!Congratulations!
入渠(小破以下)Tea Timeは大事にしないとネー!
入渠(中破以上)うー…日頃の無理が祟ったみたいデース…
建造完了Newfaceが登場したヨー
戦績表示提督!You've Got Mail!Love letterは許さないからネ!
轟沈(反転)提督…どうか武運長久を…私…ヴァルハラから見ているネ…
時報
放置時目を離さないでって言ったのにぃ~!提督ぅー、何してるデース!

ゲームにおいて

  • 金剛型戦艦は速度が「高速」となっている。ただし九一式徹甲弾?や中口径主砲は装備不可となっている。*1
  • 入渠時間の倍率は重巡や軽空母と同等の1.5で、他の戦艦や正規空母の2.0に比べ3/4で済む。
  • 金剛型はLv25で改造可能だが、金剛改と比叡改?は更にLv75で改二に改造可能である。
    • 2013年11月20日のアップデートにおいて、Lv75での「金剛改二?」への改造が実装された。
    • 金剛改二?にする事による性能向上は、火力、対空、装甲+5、耐久+7、回避+3、運+1。ただしコストが増加し、燃料+20、弾薬+15。徹甲弾は変わらず装備不可。
  • 金剛型の4艦は第4艦隊を解放する任務に必要なので早めに揃えたい。以下に南西諸島海域でのドロップについて解説する。
    • 金剛:2-1ボス、2-2ボス、2-3ボスおよび近くの終点と、若干厳しい。
    • 比叡:2-1、2-2、2-3ではボスでしか出ない。
    • 榛名:2-1ボスおよびマップ右上の終点で。2-2以降はボスのみ。
    • 霧島:2-1,2-2の多くの地点でドロップ。
  • 3-2を利用出来るなら3-2-1で金剛型は全てドロップするので、早期に2-4を抜けられるならばここが最も効率が良いだろう。
    • ちなみに3-2-1を400周したデータによれば、艦船ドロップ率が約6割、うち戦艦率は約1割ほどとの事。*2

小ネタ

  • 新時代の超弩級戦艦や巡洋戦艦の建艦技術がないことに焦った大日本帝国が、イギリスの先進的建艦技術を学ぶべくヴィッカース社に発注、1913年に日本へ回航されて就役する。
    • ゲームにおいて外人口調でしゃべるのはイギリス製だからだろう。
    • この後、彼女のデータを元に妹たちが建造された。ちなみに比叡は海軍製、榛名霧島は民間発注された日本初の主力艦。
  • 金剛は、「ライオン級巡洋戦艦をベースに改設計した」とよく言われているが、タイプシップはオスマン帝国(当時)が発注していた「レシャド5世」(後に英国が接収し、「エリン」に改称)。
    • 逆に金剛の建造経験を元にライオン級4番艦が改設計され、新型艦「タイガー」として登録されている。
      なんでもヴィッカース社一同曰く、「ロイヤルネイビー向けの制約が一切ないので好き勝手設計できて大変楽しかったデース(意訳)!」とのこと。いい意味での英国面?の体現だったらしい。
      • 進水式の時、日本側(技術吸収のために技官が派遣されていた)の要望で薬玉割ってみたところ、英国紳士からは珍しく好評だったとか。
      • また金剛の発注に関して、後に大スキャンダルとなった贈賄事件「シーメンス事件」が翌1914年に発覚する。
  • 超弩級の主砲を搭載する関係で勘違いされがちであるが、巡洋戦艦は装甲巡洋艦から発展したれっきとした巡洋艦である。
    金剛型が高速であったのは、このように巡洋艦型の船体設計であったことが大きい。
    • その後、ワシントン海軍軍縮条約によって主砲の口径で分類され、戦艦の枠に収まることとなる。それまでの金剛型は書類上も一等巡洋艦であった。
      名前が旧国名ではなく山の名前なのはそのため。金剛型以前の巡洋戦艦(筑波型・鞍馬型)も同様。
      • 大正6年頃、横須賀の海軍機関学校で英語を教えていた縁から芥川龍之介が幼女巡洋戦艦時代の金剛に乗船し「軍艦金剛航海記*3」という体験記を書き残している。有名作家を乗せたのは青葉だけではないのデース!
  • 金剛発注より少々時間は遡る。当時日本は初の国産戦艦である「薩摩型」と後に巡洋戦艦へ分類される装甲巡洋艦「鞍馬型」を建造中で、どちらの艦型も当時の常識では十分な性能だった。
    • のだが、1906年にイギリスがドヤ顔で自信満々に発表したドレッドノートの登場で生まれながらにして旧式化してしまった。世に言う『ドレッドノート・ショック』というやつである。
      • ちなみにこのドレッドノート・ショック、しっかり彼ら自身も陥っており、当時最優の威容を誇っていた自国の主力艦群まとめて旧式化というわりと洒落にならない事態になっていた。
    • オチまで含めて実に英国面であるが、ここでめげるようでは大英帝国の名が泣く。これよりわずか3年後に超弩級戦艦(スーパードレッドノーツ)の雛形「オライオン級」の起工を発表し、大艦巨砲時代の本格的な幕開けを自らの手で行った。
  • ワシントン海軍軍縮条約締結後、ユトランド沖海戦*4の戦訓対応を盛り込んだ第一次近代化改装を受ける。
    さらにロンドン海軍軍縮条約の期間満了に先駆け、旧式化の進んでいた彼女らは第二次近代化改装される。
    • 結果、戦艦でありながら最大速力30ノット(機関出力が新造時の約2倍)という高速艦にワープ進化。最古参かつ最高速の戦艦という愉快な立ち位置となった。
      また、火力は35.6cm砲8門と日本海軍の中では大した事はないが、世界的には並の戦艦と同等であり、更に戦艦では追いつけない高速艦とあって、米軍からは長門と同格レベルに警戒されていた。
      • 日本の機動部隊の護衛に金剛型がついた場合、高速戦艦を持たない米軍では重巡以下の戦力でしか対抗できない。警戒されるというものだ。
    • ちなみに改装後の金剛の甲板装甲は、機関部上面で各層合計約170ミリという重防御。これは日本戦艦の中でも長門の190ミリに次ぐ。
      • なんで甲板をそんなに強化したかと言えば、当時の日本の戦艦は、2万5千メートル前後という遠距離で殴り合う戦法を想定していたため。それくらいの距離だと、大抵の砲弾は上から降ってきて甲板に当たる。
        戦艦の防御は、自分が搭載する主砲で想定交戦距離から撃たれても耐えられるように造るのが基本。逆に言えば、金剛の主砲は2万5千メートルで甲板に当てれば150ミリ前後の装甲を抜ける可能性があった。これは、第二次世界大戦以前に建造された大抵の戦艦に通用する威力である。
    • 後に、米国のアイオワ級戦艦が最高速33.0ノットに3連装16インチ砲塔3基という、金剛と長門を足したような変態仕様になるきっかけとなったとされているが、米国ではそのような記録は残されていない。
      • なのだが、アイオワ級は全速航行すると異常振動で戦闘行動が行えない欠陥を抱えていた。
        一方で、上記の「アイオワ級対金剛級説」にはこのような異論もある。
        U.S. Battleships An illustrated Design Historyという書籍の307pには米海軍情報部が1942年12月まで金剛型の最高速力を26ノット程度に把握していたという記述が存在する。
        このことなどからアイオワ級は金剛型ではなく日本の新型戦艦*5などに対抗するために建造されたのではないかという説も存在する。
    • 本来はワシントン軍縮条約の「建造後20年経った艦は新造戦艦で代替しておk」という条文にもとづいて1933年には廃艦になる予定だった。
      だが、1930年にロンドン軍縮条約が締結され代替計画がおじゃんになり、結果的に延命された。
      • なおこの時の代替艦の設計などは、後の大和に反映された。
  • 彼女の艦歌「軍艦金剛」は、ポリドール社によってレコードに吹きこまれ、発売されている。
    「敷島艦行進曲」などの例を除いて、軍艦の艦歌が一般向けに発売されるというのは極めて稀なことであり、彼女がいかに国民に親しまれていたかが伺える。
  • 太平洋戦争開戦後はその快速や使い勝手の良さから引っ張りだこ。
    機動部隊の護衛や陸軍さんの対地砲撃要請などに奔走し、最古参にして最も活躍した戦艦と評されることとなる。
    • 金剛型は、大和型のように運用経費が問題となることもなく、長門型のように象徴としての権能を持たなかった。
      言い方は悪いが「一番古い戦艦だから、仮に沈んでもダメージは最小で済む」という思惑もあり、大海を思うがままに駆け回り存分に戦艦としての戦いに臨むことができた稀有な艦種。
  • 実は金剛型コルベット艦というのが初代金剛である。したがって巡洋戦艦金剛は二代目。
    • 初代金剛も英国生まれで、比叡コルベット艦という英国生まれの妹もおりました。(初代金剛型は二人姉妹デース!)
    • 稀に間違われる事があるが、日本とトルコの友好関係が始まったきっかけと言われるエルトゥールル号遭難事件にて生存者をトルコまで送還した金剛と比叡は、こちらのコルベット艦である。日露戦争に参加しているのもこちら。
    • イギリスに発注、購入した初代と二代目金剛、そしてアメリカのアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦をタイプシップとするイージス艦「こんごう」。(ちなみにタイプシップとは設計の元となった船のことである。)
      奇しくも三代全てが海外の高性能艦をベースとした戦闘艦である。実は意外と珍しいことだったりするのだ。
    • 米海軍潜水艦「デース」とは特に関係無いデース!
  • ちなみにヴィッカース社は当時の英国を代表する重工業メーカー。\名門出身なのデース!/
    開発から1世紀以上経過した現代でもインド等が保有している「ヴィッカース重機関銃」、英空軍の爆撃戦力を支え対独戦で活躍した「ウェリントン爆撃機」も彼女と同じヴィッカース・ブランドの傑作兵器として有名である。
    戦後の事業国有化と業界再編でブランド自体は2004年に消滅してしまったが、その遺伝子はBAEシステムズ社などに受け継がれている。
  • 戦歴デース!私の事をもっと知ってくださいネー!


    • 1941年12月マレー沖海戦。榛名と共にマレー侵攻部隊の支援に参加。
      敵方の英国フィリップス提督は偵察機によりこれをキャッチしており、敵護衛艦隊の主力艦は金剛ただ一隻、輸送艦隊より護衛艦隊と先に遭遇した場合は金剛を優先的に撃破せよという指示を出していた。
      榛名はガン無視された発見されなかったらしい。
      • 敵方の旗艦である戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈したのは航空機であったため戦艦同士の決戦にはならなかった。
        この海戦により大艦巨砲主義を唱えていたはずの日本が、航空機で戦艦を落とせることを実証してしまった。
        まさかの航空戦力の時代か?の始まりである。
        • この時、巡洋戦艦「レパルス」という金剛に似た艦がいたため味方は金剛と区別が付かなったという。
          なお長門に乗っていた司令長官は「このレパルスは撃沈できるがプリンス・オブ・ウェールズは撃沈できないだろう」と発言しビールを10ダース賭けていたらしい。ただし、「レパルス」も同時に沈められた。
    • 1942年4月セイロン沖海戦。第一航空艦隊、第三戦隊として金剛型全艦揃っての参加。
    • 1942年6月ミッドウェー海戦。珍しく比叡とコンビを組んでの参加。一航戦、二航戦の方々が開幕の航空戦で轟沈。撤退を余儀なくされた海戦となった。
    • 1942年10月13日ヘンダーソン基地艦砲射撃(ガダルカナル島攻略戦)では艦砲射撃隊の第三戦隊旗艦として榛名と五十鈴?率いる水雷戦隊を連れて出撃。
      その高速を生かしてヘンダーソン飛行場に夜間砲撃を行い飛行場を火の海に変えた。これにより1本の滑走路を使用不能にし、過半数の米航空機を破壊した。
      • なお榛名と合わせて計966発の艦砲射撃を実施。この時ガダルカナルに駐留していた米軍の主力は、当時米国最強と言われていた「第1海兵師団」であったことから米国海軍の側でも有名な話。
        • この翌月に比叡と霧島が再度の飛行場攻撃のため同上の戦場へと向かうが、相次ぐトラブルに苛まれ妹たちを二人失っている。
    • 1944年6月マリアナ沖海戦(マリアナの七面鳥撃ちとも)。榛名と共に参加。
    • 1944年10月25日レイテ沖海戦、に榛名と共に参加。戦艦は大和さん長門さんも合わせ計4隻。重巡10、軽巡2、駆逐艦13という編成の栗田艦隊に所属。
      金剛はレイテでのサマール沖海戦において利根?筑摩羽黒?らと共に米空母ガンビア・ベイ(米国で英雄的に扱われている空母。理由は後述)に突撃しこれを撃沈(この時に筑摩さんのほか鳥海+鈴谷?も撃沈されている)。
      • しかしこの時、旗艦を務めていたのはかの有名な大和であった。そのせいで日本国内の番組などではガンビア・ベイ撃沈はまるで大和の功績のように扱われることも多いのだが、これはヨタ話であるというのが現在では一般的となっている。
        • ちなみに金剛は「私は食らいついたら離さないワ!」と約2時間に渡りガンビア・ベイを追撃しガンビア・ベイの喫水線下を狙った砲撃を与えた(なにわ会ニュース95号18頁洋上決戦における金剛)。
        • なお味方の米軍兵士からも「ベビー空母」と揶揄されているほど貧弱な性能の量産型護衛空母にも関わらず、
          栗田艦隊に遅滞と消耗を強要して護衛の3隻の駆逐艦とともに散ったガンビア・ベイの男前な戦いっぷりは、米海軍の士官候補生が必ず学ぶ内容となっており、ガンビア・ベイをテーマとした書籍が米国で出版されている程である。
    • 1944年11月21日、上記のレイテ沖作戦後の帰路にて米潜水艦の雷撃を受け、2発被雷。
      航行に支障がなかったためスルーされたが、荒天で波高かった不運も重なり、艦齢30年を超える船体は徐々に浸水。
      内地へと辿り着くことなく午前5時30分頃転覆・沈没した。「うー…日頃の無理が祟ったみたいデース…」
      • 潜水艦の攻撃により戦没した日本唯一の戦艦。だが世界的に見ると大概は潜水艦が関与しているので、航空機に落とされた4隻の戦艦の方が稀である。
        戦艦以外の艦娘たちも潜水艦に落とされまくっていることから潜水艦を怖がっている艦娘は多い。
        撃沈した米潜「シーライオン(英語でアシカの意)」は提督の誰もが敬愛してやまない間宮さんをも屠っている。アシカを見たら仇と思え!
        • 余談となるが、金剛が居なくなってしまった上に油が無いという日本の台所事情も重なり、
          榛名もこれ以後の海戦には投入されず、空襲で大破・着底して終戦を迎えている。したがって金剛型が参戦した海戦はサマール沖海戦が最後となっている。
        • なお金剛の沈没時には艦内爆発も発生しており、艦長以下多くの乗組員が命を落としている。痛ましい状況であったとのことである。

この艦娘についてのコメント

過去ログ

*1 装備できない主砲は初期装備の35.6cm連装砲より性能が劣るものばかりなので、こちらは特に気にする必要はない。
*2 艦これ速報【艦これ】開発/建設レシピ検証データ+ドロップデータまとめ(Web魚拓) - ちなみにデータでは比叡は1回しかドロップしてないが、戦艦のドロップデータ自体が25隻しか示されていないため、現時点では確定的に「他の金剛型戦艦に比べて、比叡はドロップしにくい」などとは全く言えない。あくまで参考までに。
*3 軍艦金剛航海記:青空文庫等にて無料公開中。
*4 ユトランド沖海戦:戦艦の重装甲・大火力・大食い化を進めるきっかけとなった海戦。
*5 米海軍情報部は大和型を16インチ砲搭載、速力30ノット程度と予想していた