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No.021 | ||||
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金剛(こんごう) | 金剛型 1番艦 戦艦 | |||
艦船ステータス | ||||
耐久 | 63 | 火力 | 63 | |
装甲 | 52 | 雷装 | 0 | |
回避 | 30 | 対空 | 24 | |
搭載 | 9 | 対潜 | 0 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 13 | |
射程 | 長 | 運 | 12 | |
搭載 | 装備 | |||
3 | 35.6cm連装砲? | |||
3 | 15.2cm単装砲? | |||
3 | 7.7mm機銃? | |||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
金剛 → 金剛改?(Lv25) → 金剛改二?(Lv75) | ||||
図鑑説明 | ||||
超弩級戦艦として建造技術導入を兼ねて英国ヴィッカース社で建造された、金剛デース! 太平洋戦域でも持前の高速力を活かして、大活躍デース! 期待してネ! |
セリフ | CV:東山奈央、イラストレーター:コニシ |
入手/ログイン | 英国で産まれた帰国子女の金剛デース! ヨロシクオネガイシマース! |
母港/詳細閲覧 | 紅茶が飲みたいネー |
HI!今日もイイ天気ネー! | |
HEY!提督ぅー。触ってもイイけどサー、時間と場所をわきまえなヨー! | |
編成 | 私たちの出番ネ!Follow me!皆さん、ついて来て下さいネー! |
出撃 | 提督のハートを掴むのは、私デース! |
私たちの出番ネ!Follow me!皆さん、ついて来て下さいネー! | |
遠征選択時 | Wow!Congratulations! |
アイテム発見 | Wow!Congratulations! |
開戦 | 撃ちます!Fire~! |
航空戦開始時 | |
夜戦開始 | これでFinish!?な訳無いデショ!私は食らいついたら離さないワ! |
攻撃 | Burning Love!! |
撃ちます!Fire~! | |
夜戦攻撃時 | 全砲門!Fire! |
小破 | あぁあっ! |
提督ぅー! | |
中破 | Shit!提督に貰った大切な装備が! |
被弾カットイン | |
勝利MVP | 私の活躍見てくれたの?もっと頑張るから目を離しちゃNo!なんだからネ! |
帰投 | 戦果Resultがあがったヨー! |
補給 | Supplyは大切ネー! |
改装/改修/改造 | Yes!私の実力、見せてあげるネー! |
やっと本当の私になれた気がシマース | |
Wow!Congratulations! | |
入渠(小破以下) | Tea Timeは大事にしないとネー! |
入渠(中破以上) | うー…日頃の無理が祟ったみたいデース… |
建造完了 | Newfaceが登場したヨー |
戦績表示 | 提督!You've Got Mail!Love letterは許さないからネ! |
轟沈(反転) | 提督…どうか武運長久を…私…ヴァルハラから見ているネ… |
時報 | |
放置時 | 目を離さないでって言ったのにぃ~!提督ぅー、何してるデース! |
ゲームにおいて
- 金剛型戦艦は速度が「高速」となっている。ただし九一式徹甲弾?や中口径主砲は装備不可となっている。*1
- 入渠時間の倍率は重巡や軽空母と同等の1.5で、他の戦艦や正規空母の2.0に比べ3/4で済む。
- 金剛型はLv25で改造可能だが、金剛改と比叡改?は更にLv75で改二に改造可能である。
- 金剛型の4艦は第4艦隊を解放する任務に必要なので早めに揃えたい。以下に南西諸島海域でのドロップについて解説する。
- 3-2を利用出来るなら3-2-1で金剛型は全てドロップするので、早期に2-4を抜けられるならばここが最も効率が良いだろう。
- ちなみに3-2-1を400周したデータによれば、艦船ドロップ率が約6割、うち戦艦率は約1割ほどとの事。*2
小ネタ
- 新時代の超弩級戦艦や巡洋戦艦の建艦技術がないことに焦った大日本帝国が、イギリスの先進的建艦技術を学ぶべくヴィッカース社に発注、1913年に日本へ回航されて就役する。
- 金剛は、「ライオン級巡洋戦艦をベースに改設計した」とよく言われているが、タイプシップはオスマン帝国(当時)が発注していた「レシャド5世」(後に英国が接収し、「エリン」に改称)。
- 超弩級の主砲を搭載する関係で勘違いされがちであるが、巡洋戦艦は装甲巡洋艦から発展したれっきとした巡洋艦である。
金剛型が高速であったのは、このように巡洋艦型の船体設計であったことが大きい。- その後、ワシントン海軍軍縮条約によって主砲の口径で分類され、戦艦の枠に収まることとなる。それまでの金剛型は書類上も一等巡洋艦であった。
名前が旧国名ではなく山の名前なのはそのため。金剛型以前の巡洋戦艦(筑波型・鞍馬型)も同様。- 大正6年頃、横須賀の海軍機関学校で英語を教えていた縁から芥川龍之介が
幼女巡洋戦艦時代の金剛に乗船し「軍艦金剛航海記*3」という体験記を書き残している。有名作家を乗せたのは青葉だけではないのデース!
- 大正6年頃、横須賀の海軍機関学校で英語を教えていた縁から芥川龍之介が
- その後、ワシントン海軍軍縮条約によって主砲の口径で分類され、戦艦の枠に収まることとなる。それまでの金剛型は書類上も一等巡洋艦であった。
- 金剛発注より少々時間は遡る。当時日本は初の国産戦艦である「薩摩型」と後に巡洋戦艦へ分類される装甲巡洋艦「鞍馬型」を建造中で、どちらの艦型も当時の常識では十分な性能だった。
- ワシントン海軍軍縮条約締結後、ユトランド沖海戦*4の戦訓対応を盛り込んだ第一次近代化改装を受ける。
さらにロンドン海軍軍縮条約の期間満了に先駆け、旧式化の進んでいた彼女らは第二次近代化改装される。- 結果、戦艦でありながら最大速力30ノット(機関出力が新造時の約2倍)という高速艦にワープ進化。最古参かつ最高速の戦艦という愉快な立ち位置となった。
また、火力は35.6cm砲8門と日本海軍の中では大した事はないが、世界的には並の戦艦と同等であり、更に戦艦では追いつけない高速艦とあって、米軍からは長門と同格レベルに警戒されていた。- 日本の機動部隊の護衛に金剛型がついた場合、高速戦艦を持たない米軍では重巡以下の戦力でしか対抗できない。警戒されるというものだ。
- ちなみに改装後の金剛の甲板装甲は、機関部上面で各層合計約170ミリという重防御。これは日本戦艦の中でも長門の190ミリに次ぐ。
- なんで甲板をそんなに強化したかと言えば、当時の日本の戦艦は、2万5千メートル前後という遠距離で殴り合う戦法を想定していたため。それくらいの距離だと、大抵の砲弾は上から降ってきて甲板に当たる。
戦艦の防御は、自分が搭載する主砲で想定交戦距離から撃たれても耐えられるように造るのが基本。逆に言えば、金剛の主砲は2万5千メートルで甲板に当てれば150ミリ前後の装甲を抜ける可能性があった。これは、第二次世界大戦以前に建造された大抵の戦艦に通用する威力である。
- なんで甲板をそんなに強化したかと言えば、当時の日本の戦艦は、2万5千メートル前後という遠距離で殴り合う戦法を想定していたため。それくらいの距離だと、大抵の砲弾は上から降ってきて甲板に当たる。
- 後に、米国のアイオワ級戦艦が最高速33.0ノットに3連装16インチ砲塔3基という、金剛と長門を足したような変態仕様になるきっかけとなったとされているが、米国ではそのような記録は残されていない。
- 本来はワシントン軍縮条約の「建造後20年経った艦は新造戦艦で代替しておk」という条文にもとづいて1933年には廃艦になる予定だった。
だが、1930年にロンドン軍縮条約が締結され代替計画がおじゃんになり、結果的に延命された。- なおこの時の代替艦の設計などは、後の大和に反映された。
- 結果、戦艦でありながら最大速力30ノット(機関出力が新造時の約2倍)という高速艦にワープ進化。最古参かつ最高速の戦艦という愉快な立ち位置となった。
- 彼女の艦歌「軍艦金剛」は、ポリドール社によってレコードに吹きこまれ、発売されている。
「敷島艦行進曲」などの例を除いて、軍艦の艦歌が一般向けに発売されるというのは極めて稀なことであり、彼女がいかに国民に親しまれていたかが伺える。
- 太平洋戦争開戦後はその快速や使い勝手の良さから引っ張りだこ。
機動部隊の護衛や陸軍さんの対地砲撃要請などに奔走し、最古参にして最も活躍した戦艦と評されることとなる。- 金剛型は、大和型のように運用経費が問題となることもなく、長門型のように象徴としての権能を持たなかった。
言い方は悪いが「一番古い戦艦だから、仮に沈んでもダメージは最小で済む」という思惑もあり、大海を思うがままに駆け回り存分に戦艦としての戦いに臨むことができた稀有な艦種。
- 金剛型は、大和型のように運用経費が問題となることもなく、長門型のように象徴としての権能を持たなかった。
- 実は金剛型コルベット艦というのが初代金剛である。したがって巡洋戦艦金剛は二代目。
- 初代金剛も英国生まれで、比叡コルベット艦という英国生まれの妹もおりました。(初代金剛型は二人姉妹デース!)
- 稀に間違われる事があるが、日本とトルコの友好関係が始まったきっかけと言われるエルトゥールル号遭難事件にて生存者をトルコまで送還した金剛と比叡は、こちらのコルベット艦である。日露戦争に参加しているのもこちら。
- イギリスに発注、購入した初代と二代目金剛、そしてアメリカのアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦をタイプシップとするイージス艦「こんごう」。(ちなみにタイプシップとは設計の元となった船のことである。)
奇しくも三代全てが海外の高性能艦をベースとした戦闘艦である。実は意外と珍しいことだったりするのだ。 - 米海軍潜水艦「デース」とは特に関係無いデース!
- ちなみにヴィッカース社は当時の英国を代表する重工業メーカー。\名門出身なのデース!/
開発から1世紀以上経過した現代でもインド等が保有している「ヴィッカース重機関銃」、英空軍の爆撃戦力を支え対独戦で活躍した「ウェリントン爆撃機」も彼女と同じヴィッカース・ブランドの傑作兵器として有名である。
戦後の事業国有化と業界再編でブランド自体は2004年に消滅してしまったが、その遺伝子はBAEシステムズ社などに受け継がれている。
- 戦歴デース!私の事をもっと知ってくださいネー!
- 1941年12月マレー沖海戦。榛名と共にマレー侵攻部隊の支援に参加。
敵方の英国フィリップス提督は偵察機によりこれをキャッチしており、敵護衛艦隊の主力艦は金剛ただ一隻、輸送艦隊より護衛艦隊と先に遭遇した場合は金剛を優先的に撃破せよという指示を出していた。
榛名はガン無視された発見されなかったらしい。- 敵方の旗艦である戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈したのは航空機であったため戦艦同士の決戦にはならなかった。
この海戦により大艦巨砲主義を唱えていたはずの日本が、航空機で戦艦を落とせることを実証してしまった。
まさかの航空戦力の時代か?の始まりである。- この時、巡洋戦艦「レパルス」という金剛に似た艦がいたため味方は金剛と区別が付かなったという。
なお長門に乗っていた司令長官は「このレパルスは撃沈できるがプリンス・オブ・ウェールズは撃沈できないだろう」と発言しビールを10ダース賭けていたらしい。ただし、「レパルス」も同時に沈められた。
- この時、巡洋戦艦「レパルス」という金剛に似た艦がいたため味方は金剛と区別が付かなったという。
- 敵方の旗艦である戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈したのは航空機であったため戦艦同士の決戦にはならなかった。
- 1942年4月セイロン沖海戦。第一航空艦隊、第三戦隊として金剛型全艦揃っての参加。
- 1942年6月ミッドウェー海戦。珍しく比叡とコンビを組んでの参加。一航戦、二航戦の方々が開幕の航空戦で轟沈。撤退を余儀なくされた海戦となった。
- 1942年10月13日ヘンダーソン基地艦砲射撃(ガダルカナル島攻略戦)では艦砲射撃隊の第三戦隊旗艦として榛名と五十鈴?率いる水雷戦隊を連れて出撃。
その高速を生かしてヘンダーソン飛行場に夜間砲撃を行い飛行場を火の海に変えた。これにより1本の滑走路を使用不能にし、過半数の米航空機を破壊した。- なお榛名と合わせて計966発の艦砲射撃を実施。この時ガダルカナルに駐留していた米軍の主力は、当時米国最強と言われていた「第1海兵師団」であったことから米国海軍の側でも有名な話。
- この翌月に比叡と霧島が再度の飛行場攻撃のため同上の戦場へと向かうが、相次ぐトラブルに苛まれ妹たちを二人失っている。
- なお榛名と合わせて計966発の艦砲射撃を実施。この時ガダルカナルに駐留していた米軍の主力は、当時米国最強と言われていた「第1海兵師団」であったことから米国海軍の側でも有名な話。
- 1944年6月マリアナ沖海戦(マリアナの七面鳥撃ちとも)。榛名と共に参加。
- 1944年10月25日レイテ沖海戦、に榛名と共に参加。戦艦は大和さん長門さんも合わせ計4隻。重巡10、軽巡2、駆逐艦13という編成の栗田艦隊に所属。
金剛はレイテでのサマール沖海戦において利根?、筑摩、羽黒?らと共に米空母ガンビア・ベイ(米国で英雄的に扱われている空母。理由は後述)に突撃しこれを撃沈(この時に筑摩さんのほか鳥海+鈴谷?も撃沈されている)。- しかしこの時、旗艦を務めていたのはかの有名な大和であった。そのせいで日本国内の番組などではガンビア・ベイ撃沈はまるで大和の功績のように扱われることも多いのだが、これはヨタ話であるというのが現在では一般的となっている。
- ちなみに金剛は「私は食らいついたら離さないワ!」と約2時間に渡りガンビア・ベイを追撃しガンビア・ベイの喫水線下を狙った砲撃を与えた(なにわ会ニュース95号18頁洋上決戦における金剛)。
- なお味方の米軍兵士からも「ベビー空母」と揶揄されているほど貧弱な性能の量産型護衛空母にも関わらず、
栗田艦隊に遅滞と消耗を強要して護衛の3隻の駆逐艦とともに散ったガンビア・ベイの男前な戦いっぷりは、米海軍の士官候補生が必ず学ぶ内容となっており、ガンビア・ベイをテーマとした書籍が米国で出版されている程である。
- しかしこの時、旗艦を務めていたのはかの有名な大和であった。そのせいで日本国内の番組などではガンビア・ベイ撃沈はまるで大和の功績のように扱われることも多いのだが、これはヨタ話であるというのが現在では一般的となっている。
- 1944年11月21日、上記のレイテ沖作戦後の帰路にて米潜水艦の雷撃を受け、2発被雷。
航行に支障がなかったためスルーされたが、荒天で波高かった不運も重なり、艦齢30年を超える船体は徐々に浸水。
内地へと辿り着くことなく午前5時30分頃転覆・沈没した。「うー…日頃の無理が祟ったみたいデース…」- 潜水艦の攻撃により戦没した日本唯一の戦艦。だが世界的に見ると大概は潜水艦が関与しているので、航空機に落とされた4隻の戦艦の方が稀である。
戦艦以外の艦娘たちも潜水艦に落とされまくっていることから潜水艦を怖がっている艦娘は多い。
撃沈した米潜「シーライオン(英語でアシカの意)」は提督の誰もが敬愛してやまない間宮さんをも屠っている。アシカを見たら仇と思え!- 余談となるが、金剛が居なくなってしまった上に油が無いという日本の台所事情も重なり、
榛名もこれ以後の海戦には投入されず、空襲で大破・着底して終戦を迎えている。したがって金剛型が参戦した海戦はサマール沖海戦が最後となっている。 - なお金剛の沈没時には艦内爆発も発生しており、艦長以下多くの乗組員が命を落としている。痛ましい状況であったとのことである。
- 余談となるが、金剛が居なくなってしまった上に油が無いという日本の台所事情も重なり、
- 潜水艦の攻撃により戦没した日本唯一の戦艦。だが世界的に見ると大概は潜水艦が関与しているので、航空機に落とされた4隻の戦艦の方が稀である。
- 1941年12月マレー沖海戦。榛名と共にマレー侵攻部隊の支援に参加。