1996年5月9日に、福岡ダイエーホークスの移動バスに20個前後の生卵が投げつけられた事件のこと。
1990年代のホークス低迷期を代表する事件として有名である。
概要
1996年のホークスは開幕時から低調で、王貞治監督の采配を疑問視するファンによる過激なヤジや横断幕が度々見られた。
そして5月9日に日生球場*1で行われた近鉄バファローズ戦では試合中に発炎筒が投げ込まれる騒ぎ、敗戦後にはバス周辺を取り囲まれる事件が起き、雨天中止を挟んだ翌々日の試合も敗戦すると、試合後に囲まれた上に「お前らプロか!」と罵声を上げながら生卵を投げつけるファンが現れた。生卵はほとんどがフロントガラスにぶつかったものの、一部は選手にも直撃している。
しかし王はこれに反感を覚えるどころか、逆に生卵をぶつけられた帰りのバスの中で「球場にわざわざ卵を持ってきて投げるなんてこんな熱心なファンはいない。彼らの為に野球をしよう」「ああいうファンこそ本物なんだ。将来優勝したときに一番喜んでくれるのはああいう人達なんだ」とぐう聖演説を披露、これが一つのターニングポイントとなったと後年語っている。
その後
これを受け近鉄側も安全策を講じたが、一部メディアがその新ルートの地図を掲載し物議を醸した。
事件から4ヵ月後の9月16日に西武球場で行われた西武戦では、過激な横断幕の掲示やヤジが飛ぶ中で、再び発炎筒が投げ込まれる事件も発生。このシーズンは54勝74敗2分(勝率.422)で最下位に沈んだ。
この年、出た横断幕は、
などなど、王への非難、有能な人物が退団していることへの嘆き、南海OB冷遇への不満、身売りの要求まで多岐にわたった。
だが上記の王の発破や根本、瀬戸山らフロントの根気強い努力もあり、主砲の小久保裕紀や城島健司に、長年代走・守備要員だった村松有人がこの頃から打撃面で覚醒し始め、秋山幸二も復調。翌年には松中信彦・井口資仁・柴原洋らドラフトで獲得した選手が当たったことで1970年代後半の南海時代から長く続いていた暗黒時代から脱却し常勝球団になっていき、王の評価は徐々に変わっていった。1999年に監督として初の日本一を達成して以後、圧倒的な成績を残し続けた王を無能監督呼ばわりする者は少なくなった。
現在では「生卵事件を偲ぶ会」という団体が立ち上げられるなど一種の語り草となっている。
当時の主力選手の一人であり、2010年に現役を引退した上記の村松有人*7は引退会見で、この事件の悔しさを野球人生にぶつけようと努力し続けたことを涙ながらに語った。
余談
この他、中日ドラゴンズの優勝が決定した2011年10月18日の横浜ベイスターズ対中日戦の試合後、横浜・村田修一の車が横浜スタジアムの駐車場を出ようとしたところ、横浜ファンから生卵がぶつけられる騒ぎが起こっている。
この時車には村田の他にも家族(妻と息子2人)が同乗していたため「家族を危険に晒すのか」と激怒。横浜残留かFA移籍かで迷っていた村田の意をFA移籍に傾かせるきっかけになったといわれている。
2024年3月15日にドジャースのデーブ・ロバーツ監督が韓国の仁川国際空港で20代の現地男性から生卵を投げつけられる事件が発生している。