Van Kinsbergen

Last-modified: 2022-10-17 (月) 18:34:01

ファン・キンスベルゲン級巡洋艦 ファン・キンスベルゲン

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性能諸元

編集時 ver.5.2

基本性能

※アップグレード済み、装備、迷彩、エリートなし

Tier1
生存性継戦能力10494
抗堪性・防郭防御5%
・火災浸水耐性10%
・装甲防御4.50%
・魚雷防御4.50%
主砲射程7.80km
機動性最大速力24.73ノット[kt]
最大出力への到着時間12.56秒
転舵速度8.20度/秒
転舵所要時間3.60秒
隠蔽性8.40km



・派生艦船

派生元なし
派生先Gelderland



・兵装

主兵装口径,搭載基数×門数装填時間ダメージ(火災率)砲塔旋回速度
120mm L/50 Wilton-Fijenoord, 4基×1門5秒HE弾 318(3%)12度/秒

ゲーム内説明

砲艦として以外にも、護衛や訓練艦としての任務も可能な艦艇。

解説

本ツリーの魁となる巡洋艦。
・主砲
120mm砲を単装で艦首部に2基2門、艦尾部に2基2門、合計4門搭載。使用可能な砲弾はHE弾のみで、単発ダメージは318とやや非力。装填時間は標準的で射程も第2グループといった所でありティア相当の砲である。

・対空
本艦に対空砲の類は装備されていない。

・装甲
ティア1の艦の装甲は概ね他国と横並びであり、装甲6%のグループと4.5%のグループに2分される。本艦は4.5%のグループに属しており、数値の上では劣っている。また防郭防御や耐性については横並びであり、基本的に国によって数値が変わるという事は無い。

・機動性
最高速度は他国同格内でトップクラス。しかし加速は非常に鈍く、操船をミスして衝突等で速度を失うと一気にピンチに陥りやすい。舵の効きも同格最高クラスであり、きちんと周囲を見た上で扱う限りは操作しやすく優秀と言える。

・隠蔽性
ティア1の艦船は被発見距離が8.4kmのものと、9kmのものの2つのグループに分類できる。本艦は前者に属する。

・生存性
素のHPは10000台とやや体力に優れる。また隠蔽が良く速度と舵も優秀なため、数値の上では生存性は高いと言える。しかしティア帯的に混戦になり易く、そうなった場合は多少の体力的な優位は容易に覆るので注意して欲しい。

・消耗品
「改良型ディーゼルエンジン」「高級船員食料」「予備整備パック」の搭載を推奨。もっとも、このティアなら何も積まないという選択肢もあり。

・艦艇スキル/艦長スキル
艦艇スキルは何も持って居ない。またこのティアなら艦長なしで通過してしまうのも良いだろう。

・装備
 ・兵装 「射撃システム改良1」「主砲改良2」
 ・防御 好みで選んでしまって問題ない
 ・適正 「推力改良2」
・エリート特性
 ・船体強化 HP+4%
 ・新型砲塔 主砲旋回速度+20%
 ・功績 EXPアップ+10%
・総論
速度と舵が優れた船体に、標準的な性能の砲を搭載している。欠点としては加速力が鈍く、停止状態から最高速に乗るまでに何と13秒近くを要する。とはいえ目立つ欠点はこれぐらいで、それ以外は平均以上の性能で纏まっており、扱いやすい類の艦と言えるだろう。

史実

格納

 「ファン・キンスベルゲン」級はオランダが植民地の警備用に建造した艦艇である。艦種的にはスループに分類され、オランダ海軍が第2次世界大戦前に建造した最後のスループとなった。建造はロッテルダム造船所が請け負い1937年9月に起工、1939年進水、同年8月には竣工している。就役後は主にカリブ海のオランダ領西インド諸島において警備任務に当たった。

小ネタ

艦名の由来

 本艦の艦名の由来は、19世紀のオランダ領東インドで活躍した芸術家・写真家の「イシドア・ファン・キンスベルゲン(1821~1905)」と推測される。キンスベルゲンは1821年にベルギーのブルージュで誕生。パリで絵画や歌唱を習い、フランデン地方(ベルギー北部のオランダ語圏)において彫刻家を志していた。30歳の時にフランスのオペラグループの一員としてインドネシアのジャカルタを訪れた際に、彼はこの地の文化や歴史に夢中になってしまい、この地に留まることを決心した。そして当時最新の写真技術であった鶏卵を使った印画紙(鶏卵紙)を使い、現代の風景から肖像画、古代遺跡、その他さまざまな写真を撮影。後にこれらの写真は出版され大きな反響を呼ぶ。彼は奇しくもオランダ領東インドにおいて最初の文化的・考古学的な価値を持つ写真を撮った人間として歴史に名を残すことになったのである。

この巡洋艦面倒くさい

 上記より、本艦の艦名の由来はオランダ領東インド…つまり東南アジアのインドネシア周辺に関連する功績を持った人間に由来している。ところが本艦が実際に派遣され活躍したのはオランダ領「西インド諸島」であった。

ちなみに

 オランダ領「西インド諸島」は東南アジアではなくてアメリカ大陸はカリブ海域に属する島々のことである。
 既にご承知の艦長も多いと思うが、この地がなぜ「西インド諸島」と呼ばれる事になったかというと1492年にコロンブスがアメリカ大陸のバハマ諸島に到達した際に、現地の住人アラワク人の肌の色を見て「我々はついにインドに到着した」と誤解、偉業(?)の達成を神に感謝して上陸地点の島を「サン・サルバドル(スペイン語で聖なる救世主の意)」と名づけ、続いて「ここはインドの西の端に違いない」と考え連なる島々を「西インド諸島」と命名した事に起因している。このため地理的にはインドと全く無関係なのに「紛らわしい名前」が付いて世界中の地理嫌いの学生を混乱させている。

編集用コメント

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  • 史実と小ネタを記載 -- 2022-05-26 (木) 00:36:51

コメント欄

  • 悪くない。 -- 2022-06-23 (木) 15:58:27

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