ep8
BGM
真昼の街は、暴力的なまでの陽光に包まれていた。ディーン・ウィンチェスターは、車道と歩道の境界すら曖昧な足取りで、ゆったりとタバコの煙を吐き出しながら歩いていた。
日差しは肌を焦がすほどに心地よい。耳元を掠めていくのは、鼻を突く悪臭を振りまくゴミ収集車、騒がしい子供たちの声を乗せたファミリーカー、そして荷台を軋ませる引越しのトラック。ディーンは時折後ろ歩きをしてみせたり、真っ青な空を仰ぎ見たりと、まるでこの街のルールなど自分には適用されないと言わんばかりの自由を謳歌していた。通りすがりの巨大なトラックの運転席から、苛立ちに満ちた中指が突き出される。ディーンはそれに最高の笑みを返し、さらに深く煙を吸い込んだ。
気分は最高だった。
彼はスラム街の一角にひっそりと佇む、古ぼけた映画館に足を踏み入れた。客席には人っ子一人いない。ディーンは構わず、特等席と思われる中央の座席に陣取り、ポップコーンの容器とコーラ、そして火のついたタバコを肘掛けに並べてふんぞり返った。
スクリーンに映し出されているのは、サイレントムービーに毛が生えたような画質の低いウエスタン映画だ。
『私は愛する者のためなら、何をさておいても戦う』
主演のガンマンが鋭く言い放ち、背後のヒロインを庇いながら、目の前の悪党に銃口を突きつける。
「ヒュウ! 最高だぜ!」
ディーンの血が沸き立った。興奮のあまり、無意識にポップコーンの容器を握りつぶしていたが、そんなことは瑣末な問題だ。コーラを浴びるように飲み干し、座席に直に置いていたタバコをひったくって肺の奥まで吸い込む。スクリーンではついに、夕映えのエンディングが始まろうとしていた。
『せめてお名前を!』
ヒロインの絶叫に対し、ガンマンは背中で答える。
『名乗る名前なんてねぇよ……』
男はそのまま、沈みゆく夕日に向かって孤独に歩み去っていく。すぐに、味気ない終幕のクレジットが流れ出した。
映画館を出ても、ディーンの胸の鼓動は収まらなかった。
「……悪い奴は、いねぇのか?」
腰に差したコルト・ガバメントの重みを確かめながら、四方に鋭い視線を走らせる。「悪い奴、出てこい」
だが、そこにあるのは、道端で金をせびる力のない物乞いや、紙袋から溢れんばかりのパンを運ぶ老婆の姿だけだった。さっきのゴミ収集車が、相変わらず必死にゴミを回収している。悪の気配も、ましてや怪物の空気など、どこにも存在しない。
タバコの煙が、虚しく空へと溶けていく。ディーンはふらふらとスラムの路地裏に入り込み、汚れたレンガ壁に背を預けて座り込んだ。隣には、身を丸めた路上生活者が一人。ディーンは手持ちのチョコビーンズを、その男が前に置いていた空き缶に適当に放り込んでやった。
薄汚れ、痩せこけた男は、言葉が話せないのか、ちらりとディーンを見るだけで何も言わない。
「俺は、男になるために戦いたいんだ」
ディーンの独り言に合わせるように、傍らのガラクタが風に煽られてカタカタと泣いた。
彼は隣の男に視線を戻し、「お前は、そのビーンズでも食ってろよ」と呟いた。返事はない。男の空き缶の底には、判別し難い汚い文字で『ガース・フィッツジェラルド4世』と書かれているように見えたが、あまりに大層な名前に、ディーンはただの落書きだろうと鼻で笑った。
脳内では、映画のワンシーンが何度もリピートされる。
『愛する者のためなら戦う』
「……一体、何と戦えばいいんだよ」
沈黙に耐えかね、ディーンは壁から背を離した。ホームレスの男が微かに身じろぎしたが、それを無視して、彼はとぼとぼと赤茶けたスラムを立ち去った。
その直後、二人の夕食メニューを抱えたサミーが、鼻歌を歌いながらすぐ近くの角を通り過ぎていった。二人は互いの存在に気づくこともないまま、ゆるやかに、世界は夕闇の中へと溶けていった。