FF3 
アムルに住む4人組のじいさん。自分たちを光の戦士と思い込んでいるらしい。まぁ頭は光ってそうだが。
ただのネタキャラかと思いきや、デリラばあさんが投げた浮遊草の靴(と見せかけた爆弾)から主人公達を救ったり、
クリスタルタワーで魔竜の呪いにかかった一行を(リーダーのじいさんだけだが)助けに来たりと、意外に重要な役割を持つ。
「4人組じいさんのテーマ」という専用曲が与えられており、DS版では手紙のやりとりをすることも可能。
パーティには加わらないものの、他のサブキャラと同等の存在感を持つキャラといえるだろう。
- しかしこのおじいさんたちの存在が、エリアを失った悲しみ・浮上した新世界への戸惑い・船が鎖につながれたなどの失意を吹き飛ばし、
また浮遊草の靴を獲得する手助けをしてくれる事で光の戦士とプレイヤーを前に進ませてくれたのだから、陰の功労者とも言える。 - 「陽気」な人の存在で、本当に心が楽になることがあるという良い例。
最終決戦のとき助けに入るのはこの爺さんじゃなくて、エリアであってほしかった(霊魂として)。
だって、決戦にあのビジュアルはどう考えても合わんだろ。DS版は特に。
- DS版が初プレイだった俺はじいさんがワープしてきたときビックリしすぎて吹いたわ。
あのクライマックスの展開によって「偽物の勇者」だった爺さん(たち)は「ほんとうの勇者」になった。
場違いという意見もあるけど、あそこで爺さんたち(のリーダー)がきてくれたのはグっときたよ。
あと、「死んだと思ってたキャラが生きてた」というようなのはシナリオの力学的にかなり飛び道具的なものなんで、
ドーガ・ウネ、デッシュとシチュエーションを変えて成立させてるけどアレがギリギリの線だと思う。
あそこでエリアまで出てくると盛り上がるどころかさすがに興ざめする可能性のほうが高い。
- 音頭は死んでるドーガでも取れるけど、助けられるのは生きてるやつだけという構図だからいきなりエリアが出てくるという選択肢はありえない。
- それだったらドーガとウネで2つ抑えろよって話になるので物語として破綻する。
- まあDBのミスターサタンみたいなもので、世の中は意外とああいう人達によって支えられているということですな。
ギガントードに怯えてたくせに最終決戦の頃には魔竜を抑えられるようになった。
光の力ってすごい。
- FC版ではじいさんを襲っているのはゴブリン8匹。なので余計に情けなく(後でカッコよく)見えた。
- その割にテレポとか一般人には扱えない魔法を使ってみせたりする。
- それもDS版の話。FC版ではラッコの頭を使っていたと白状する。
- これもパーティー編成で自由にテレポが使えないこともあるため持っておいた方が楽な事と、
またクリスタルタワーの「エウレカの宿屋」を利用して完全回復する場合に持っていると
テレポ分のレベル3のMP・デジョン分のレベル6のMPを1回節約できるため少しでも有利に進める事を示唆していたのかも。- それは考え過ぎでは…。
五人の助けが必要な時に、このじいさん達で四人いけるんじゃねーかとか思っちゃいけない。
絵面がますます大変なことになる。
- もしデッシュがオーエンの塔で失敗していたら、
浮遊大陸在住のサラ、シド、デッシュが死亡し
五つの光はアルス王子+4じいさんになりかねないところだった。- 浮遊大陸墜落を阻止したデッシュのファインプレーといえよう。
- さらに主人公たちがサロニアを訪れていなければ4じいさん+デリラばあさんになっていたのだろうか。
来てくれなさそうな気もするが。- 難破船のじいさんの可能性も捨てきれない。オールじいさんじゃ嫌過ぎるが…。
コレ、なんて読むの?「ふぉじいさん」?
- 「よんじいさん」だべ。
- 北米版では、Four Old Men 。
天野氏による公式絵が存在しない?
別名「ファイナルファンタ爺」。
- 意外と合ってる名前な気がする。
- 自分等を光の戦士と思い込んで修行してたり(エンディングのセリフ「わしらと一緒に修行させてやろう」より)がなんつーかファンタジー(?)だし、
ファイナル(最終決戦)で(正確にはこの後緑のおばちゃんがでてくるが)力をかしてくれるし…。- のちの『爺ファンタジー』である。
デッシュやサラ姫と同じく、パレットの関係で変な色になることがある。連れ回すことはできないキャラクターだが、エンディングのインビンシブルの中で確認できる。
- その後のキャスト紹介にてグラフィックも用意されており、結構いい待遇を受けている。
DFFAC 
オニオンナイトのC.Lv12で開放されるシンボルチャットに「あんたたちは立派な勇者だ!」がある。
元ネタは浮遊草の罠を見破り、本物を手に入れたじいさん達に対する感謝の言葉。
「ありがとうじいさん。あんたたちはりっぱなゆうしゃだぜ。」