キャラクター/【ザンデ】

Last-modified: 2024-02-15 (木) 17:19:00

北米版ではXande

  • 中央アフリカ周辺にある言語はZande
  • 北米版の表記からして、由来はアレクサンダー(Alexander)の愛称ザンダーからだろうか。

FF3

FFシリーズで『魔王』を名乗る数少ない人物。
戦闘画面での表示は「まおうザンデ」。
メテオフレアデスなどを使ってくるが、大して強くはない。
ただしレベルが112・熟練度が96という規格外の数値を持っている。

  • その異常なレベルと熟練度から繰り出されるメテオは生半可なパーティを一発で半壊状態に追いやる。
    立て直すか玉砕覚悟で押し切るかの判断を誤るとの底に真っ逆さま。

主人公を助けたドーガウネと同じ大魔導師ノアの高弟の一人で、彼の死後に「人間としての生命」を受け継いだが、それが不満でクリスタルタワー(シルクスの塔)に引き篭もった。
古代の民の装置と土のクリスタルの力を利用して浮遊大陸に大地震を発生させ、風・火・水のクリスタルを地中深く沈めることで光の力を弱め、闇の氾濫を引き起こそうとした。
最終的に暗闇の雲で世界を闇に飲み込ませようとしたがどういう経緯でそういう行動をする決断に至ったのかは不明である。

人間としての生命をもらったとあるので、ドーガ、ウネと同様に人間ではなかったらしい。


クジャのモデルになっているような点が散見される。
(第三者に生命を与えられた魔道師であり、最後にポッと出のラスボスが登場する)
自らの命が残り限られてると知って破滅主義に走る点も似ている。


ついでに後発作品のエクスデスも最後はザンデと同じような運命を辿っている。
エクスデスは無を求めて不死を失い、ザンデは不死を求めて無を呼び寄せた。
一見対に見えても最後は自業自得の自滅を迎えて最凶の厄災を招き入れるという結末は一緒である。


師匠からのプレゼントが気に入らずに暴れだした魔道師、と書くと非常に情けない。


天野先生のイラストでは、手の平に乗せたツインソードの戦士と睨みあってる。

  • スタッフは「冷やかな美女」をイメージしてキャラデザを発注したらしい。
    …どうしてああなった。

土のクリスタルの力で他のクリスタルを地中深く引きずりこんだ。
光の力を利用し闇の氾濫を起こすという荒業をやってのけたお人である。


三体の部下(メデューサクラーケンティターン)を使って、光の四戦士の妨害・浮遊大陸破壊による大量殺人(未遂)・(想定外だったとはいえ)光の四戦士の関係者の殺害等の擁護不能な行為を多くやらかしている。


人間としての生命を授かった結果かどうかは定かではないがハゲ…もとい髪の毛がちょっと寂しいお方。

戦闘

魔王ザンデ様といえば、ライブラメテオ
行動はローテーションで、1、3、5ターン目にライブラ、2ターン目にはメテオ。
彼のメテオは敵が使う魔法で最強の威力を誇り、こちらの魔法防御にもよるが大体2000~4000程度の大ダメージを受ける。
ラスボス・暗闇の雲波動砲でさえ1500程度であることを考えると破格の威力である。
しかし2ターン目にメテオを使った後、次に使うまでかなりの余裕がある。
そのため回復度外視でひたすら攻撃すれば簡単に倒せてしまう。

  • ライブラ、メテオ、ライブラ、クエイク、ライブラ、ほのお の順に攻撃してくる。
    • 後のシリーズの敵のパターンにもみられる「2ターンに1度行動してくる」という表現をするために、敵が使う分にはこれといった効果がないライブラを採用したのかもしれない。
    • ライブラなしにメテオ→クエイクとやられると、かなりレベルを上げていない限り全滅である。
      バランス調整の結果とも考えられる。
    • FF3は全体回復がとかく頼りないので、全体攻撃を乱発する敵は必然的に強い。

全員で1人にプロテスを重ねがけすれば、HP3000未満でも生き残れる。
(かめのこうら、ディフェンダーも)
装備がちゃんとしていて、かつ最大までプロテスをかければ、メテオで300ほど、クエイクと炎は1になるはずなので、安全に倒せる。
ウィンドウイレースバグに注意。


普通にゲームを進めてここまで到達し、標準的なパーティー編成(忍忍賢賢、忍忍忍賢など)をしているのであれば、全員が最強の攻撃(忍者は両手手裏剣、賢者はバハムル)をすればまず1ターンで倒せる。
メテオを食らうことは稀と言っていい。

FF3(DS・PSP・3D REMAKE版)

DS版ではライブラを使わなくなり、メテオもHP減少時に低確率で使うだけになったため目にすることはまず無くなった。
そのため、特徴の無いボスに成り下がっている。
撃破後にラスボス・暗闇の雲が登場することもあり、ヘタレっぷりも2倍である。

  • その代わりにDS版以降では毎ターン2回行動の内1回は必ず殴ってくるようになり、筋肉質な見た目にはぴったりな感じに。
    ちなみに長くて尖っている杖は打撃には一切使わず、わざわざ一旦手放して素手で殴ってきます。
    …まあ、そもそも杖を魔法専用の道具として使わず鈍器として使っているこちら側の方が間違っているのかもしれないが。
    ライブラ魔王からマッスル魔王にジョブチェンジしたザンデであった。
    • 師匠のプレゼントを精一杯活かした結果がこれだよ!
    • ちなみにこの通常攻撃のモーションは、「ダブルアックスハンドル」という実在するプロレス技である。

HP減少前の状態では、毎ターンの打撃1回に加えて、3色ガ系魔法(ブリザガサンダガファイガ)による攻撃の他、プロテスヘイストを使って自身を強化してくることも。


FC版ではザンデの行動理由がよくわからなかったためか、DS版では設定が変更された。
DS版ではドーガに下記のようなセリフがある。

そして闇の力で大地をおおい時間の流れを止めてしまった…
ザンデは時間を止めることで限りある人間の命から
解放されようとしたようじゃ…しかし
おまえたち光の戦士が現れ時の流れが動いた今、
再びザンデは時間を止めようとしておる。

つまり、DS版ではザンデは師から授かった人間の寿命から逃れるため、「時間を止めることによって相対的に永遠の命を手に入れようとしていた」ということらしい。
なお、地上大陸が闇に覆われて時間が停止していたのは1000年間。
浮遊大陸もその1000年前にザンデが時間を停止させるという無理やりな行動のために星の一部が切り離されて誕生したことに変更されている(ドーガの発言)。
DS版では浮遊大陸の生みの親はザンデなのであった。

また、闇の戦士の1人が暗闇の雲が現れた理由を明かしている。

光と闇は それぞれ
風 火 水 土 の4つの
クリスタルによりバランスが取られている
ザンデが世界を停止させたことにより
4つのクリスタルのうち
2つが光を封印されてしまった
それにより光と闇のバランスは
大きく崩れ…
暗闇の雲が生まれてしまったのだ
すべてを無に還すために…
暗闇の雲は 浮遊大陸に残る
2つのクリスタルも封印すべく
時の停止した大陸世界へと
引き寄せようとして おまえたちの知る
あの大地震を 引き起こそうとしたのだ…

また、闇の戦士やウネが「(ザンデは時間の停止が)よもや暗闇の雲をうむことになり自分が支配されてしまうとは思わなかったろう」とか「ザンデはその闇(暗闇の雲)に支配
されてしまった」などと言っているので、時間停止により永遠の命を得るつもりが結局すべてを無に還す暗闇の雲を呼んでしまい、しかも支配されてしまったらしい。

DS版では大地震を発生させたのがザンデではなく、時が停止している間に暗闇の雲が起こしたことに変更されていることにも注意。


能力面だけ見れば、FC版より強くなっている。


ボス戦後、全回復する仕様なのにザンデ戦後は回復しない。もっとも回復しても意味はないのだが。

FF3(ピクセルリマスター版)

行動パターンが再び変更されており、FC版・DS版のどちらとも異なるものになっている。
ピクセルリマスター版のザンデ様はライブラも通常攻撃も使わず、ガ系魔法やクエイク、メテオといった魔法を連発してくるようになった。
代名詞のメテオも、よほど速攻しない限りほぼ確実に拝むことになる。
特徴的であり、かつ大ボスらしい威厳も感じられる行動パターンに戻った。

  • 試行回数が十分でないので違うかもしれないが、「ガ系魔法」→「クエイク」→「ガ系魔法」→「メテオ」のローテーションで行動しているようである。
    FC版のライブラの代わりにガ系魔法が入ったような行動パターン。
  • クリスタル装備+二刀流なら、メテオのダメージは1500程度。クエイクは1000程度。
    この時点でのこちら側の最大HPは2000~3000程度であることを考慮すると、FC版ほどではないにしろ驚異的な威力。
    全体攻撃で削られたところを追撃のガ魔法で落とされる(もしくはその逆)流れも考えられるため、HPは常に多めに保っておきたい。

考察

FC版では、ザンデが闇の氾濫を引き起こそうとした理由が不明瞭であった。
遺産の意味を「師に認められていない」と受け取り力を示したかったのではなかろうか。
DS版では、彼の「永遠の命を手に入れるのだ!」というセリフ、闇の四戦士のセリフ、ノアに与えられた「人間としての限りある命」から察するに、世界の光と闇のバランスを崩し、世界を無に帰し時間を止めることで永遠に生きようとしていたと思われる。

  • FC版においては、「永遠の命」といった現世利益ではなく「世界を闇に包む」ことそのものが目的であったと捉えることもできる。
    それはつまり、「人間としての命」に絶望したものが取る行動……「自殺」のメタファーである。
  • 20thアルティマニアの年表ではノアは1000年前に死んだと書かれている。
    つまりザンデが人間としての命を受け取ってから1000年生きているということになる。
    • 二次資料およびネット上などでそういう記述がされていることがたまにあるが、ゲーム中ではそのような表現はされておらず、逆に「ノアが死んだのはせいぜい数年~数十年前」と受け取れるようなセリフ(レプリトのじいさん等)が存在する。
      つまり、本編から得られる情報に従うのなら、ノアの遺産としてザンデが人間の命を手にしたのも数年~数十年前ということになる。

>世界の光と闇のバランスを崩し、世界を無に帰し時間を止めることで
>永遠に生きようとしていたと思われる。
単純に闇の力を得れば、永遠に生きる事もできるんじゃないか?程度だと思うが。

  • ドーガも「ザンデは光の力を封じた。そして暗闇を呼び出し、自らの力としようとしているのじゃ」と言ってるしな。

ザンデ自身は暗闇の雲を呼びたかったわけではなく、クリスタルの力がバランスを崩した結果の副産物じゃなかろうか。
本人はあんなものが出てくると思わなかったか、力を制御すれば大丈夫と考えてたかのどちらかで。

  • ドーガ「ザンデの過ちにより光の力が弱まった、そして闇の力が増し、それが何かを作り出したのじゃ」
    ウネ「ザンデはその闇の力に操られていた‥‥」
    2人もこう言ってるね。
    シルクス城の古代装置と土のクリスタルを利用して闇の氾濫おこして闇の力ゲットまではザンデ自身の計画。
    雲様召喚しようとしてるのは、闇の氾濫で発生した雲様に思考を侵蝕されちゃってるっぽい。

ザンデが受け継いだ人間の命は、ノアにとっては最も尊く最も価値があるものであったが、ザンデにはそれが理解できなかった。
因みに暗闇の雲は闇もしくは光の氾濫による産物であり、ザンデとは直接関係ない。
ザンデが闇の氾濫さえ起こさなければ、登場することもなかったんだろうがね。


ノアはザンデに、「」すら照らすというエネルギー、命が生み出す「希望」を手にして欲しかったのかもしれない。


ドーガ「この世に暗闇をもたらそうとしている者、それはザンデじゃ。
 ザンデはかつて、わしと同じ師に学んでおった。大魔道師ノアにじゃ。
 ノアは死ぬとき、わしにその魔力を、ウネには夢の世界を、そして
 ザンデに人間としての命を下さった。だがザンデはそれが不服でこの地を去った。
 そして、古代の民が作り出した装置と土のクリスタルの力を利用して
 あの大地震を起こしたのじゃ。
 ザンデは光の力を封じた。
 そして暗闇を呼び出し自らの力としようとしているのじゃ。
 悲しいことじゃ‥‥

モーグリ「ザンデ様も良い人だった。でも
 大魔道師ノアが自分には人間の命というつまらない物しかくれなかったと言って、
 ここを出ていったのです。

  • DS版以降では「良い人だった」のくだりはカットされている。
    よってザンデが元々面従腹背だったのを看破していたノアが配慮した結果の処置という印象になっている。
    • ルーネスとドーガの会話で、ルーネスが「人間の命なんてくれてもなぁ…。ザンデって奴の気持ちがわかる気がするよ。」といった感じの発言に対し、ドーガは「人間の命とは限りがある。だからこそ尊いのだ。」みたいなフォローをしている。
      本当にザンデが元々面従腹背だったのを看破していたノアが配慮した結果の処置なのだろうか?
      • FC版は欲しくもない人間としての命=本来より短い寿命をもらってトチ狂ったとしか描かれてないが、DS版ではその後永遠の命を求めるために時間を止めたり、すぐに崩壊する可能性大の浮遊大陸を発生させてしまったりと(DS版ではオーエンはこの浮遊大陸の維持の為にオーエンの塔を作ったことになっている)リメイク版ドラクエ5のゲマのごとく原作に比べ悪役臭が助長されたキャラ付けがされている。
        結果、闇の氾濫を起こした動機も自身が永遠の命を得るためだと描写されている。
      • このように、「悪役としての描写」が盛られる一方「同情すべき存在としての描写」も増えており、なんだかよくわからない事になっている。
        担当したシナリオライターが違ったりするのだろうか?
      • せっかくの追加ゼリフなのに「軽口を叩いてドーガに反論される」というだけにとどまっているので物語を補強する役割として弱いのが残念。ルーネスには、エリアやサロニア王の死と、その命を賭けた行動を思い出してほしかった。わかりづらい話かもしれないが、「人間としての命」というワードは主人公サイドと対比構造になっており、ここを理解できるとFF3の物語の描いているものがはっきりと浮かび上がってくる。
  • ノアの弟子をやってた頃はドーガの館に居たらしい。
  • むしろその頃は「ノアの館」だったかも。
  • 「良い人だった」ってことは、昔は性格がよかったんだろうか…
    • 真面目な人ほど極端に走りやすい。
    • むしろモーグリなどの人以外の存在に対しては優しさも見せていたのではないだろうか。
      でなければドーガやウネだけでなく、モーグリたちでさえ彼の変容を哀れみはしないだろうし。

仮にザンデに本来ドーガへ与えられた魔力を与えられたとしたら、ザンデはこの力をいたずらに使いまわして別の形で光と闇の均衡を崩し、世界を滅ぼしかねないという懸念もあったのかも知れない。
ノアは生前、ザンデが魔道士ハイン然り密かに闇の力に驕っていた様子を懸念し、ザンデは元々夢の世界は望んでいなかったので、ノアは自身の最期の時まで「自分の最も大事なものをやろう」とでも言ってザンデを言い包め
ノアの最期の時に自身の悟った人間としての生命の真理を身を以って伝えると同時に、ザンデを敢えて短命にする事でその懸念を体よく片付けようとしていた…とも考えられる。
無論ザンデの性分については物語の掘り下げ不足のためにはっきりとは断言しかねるが、少なくともFF3の物語中では自身の私利の為に上述のような八方手を尽くして闇の氾濫を齎す(≒世界を無に帰す)という無茶をやらかしていた上、かつての同志のクローンを造る事さえ厭わなかったので
FC版での『昔は良い人だった』という評価を尻目に面従腹背し、実際は野心を抱き少なからず邪悪な性分だった可能性は十分にあり得る。

  • ただ、昔は本当に良い人だったのが、魔法修行の内に闇の力に侵されて邪心を抱くようになってしまった線も否定はできない。
    闇の力に取り憑かれたハインの暴虐はその典型例だったように思える。

ザンデ「よくここまで来たな。しかしもう闇はそこまで来ている。
 手遅れだったようだな!
 ファファファ‥‥死ねい!

ザンデ「グフッ‥‥私を倒しても無駄だ‥‥
 暗闇の雲はもう既に‥‥全ては闇に包まれるのだ‥‥‥‥

グルガン族の男「私はグルガン族のひとり‥‥
 遥か昔、光が氾濫した時と同じように、今、闇の力が氾濫しようとしている‥‥
 何者かが闇を呼び寄せている‥‥
 その者は知らない‥‥一時は闇の世界が広がっても
 結局最後にはバランスを崩した光と闇の2つの世界は
 どちらも無くなってしまうことを‥‥

  • 暗闇の雲の力で世界を闇で包もうとはしていたが、その後にが待ってることは知らなかったらしい。
  • もし光の戦士に邪魔されなければ、ドーガが言ってたように暗闇の雲の力を自らの力として吸収して、
    ドーガやウネが授えられた力よりもすごい力に満足したあと、無とはいったい・・・うごごご!という最期を迎えたのかな。
    • 永遠の精神生命が有限の器に捉われて絶望を覚え、肉の世界は下らんから破壊すると宣言したのだと思われる。
      先に待つものがなんであるかは十二分に知っていたのでは。
      死の瞬間の苦しみなどはひょっとしたら知らなかったかもしれないが。

プレイ当時、子供心に「これってノアが悪いよなぁ」と思ってた。
3人のうち他の2人がゲームとかマンガとか買って貰えたのに1人だけ道徳の教科書貰ったようなもんだろ?
そりゃザンデじゃなくたってグレるよ。

  • そう思ったプレイヤーも多いのか、DS版ではドーガが仲間にいる間の会話でルーネスが彼に同情するセリフが見られる。(上記)
    正直、元の寿命は人間より長かったであろうし、ザンデからしてみれば「お前にはあと数十年しか命が続かないようにしてやろう。精一杯輝けよ^^」と言われたような気だったのかもしれない…
    • 上司を殺害して慢心した途端に余命宣告食らってズドーンなクジャと同じ心境だろうな。
      ドーガとウネはゲームとマンガ買ってもらえたから他人事で言いたい事言ってるだけだし。
      クジャと違ってザンデは元々は善人だっただけにかわいそう。
    • 自分が素晴らしいと思ったからと相手の望まない物(しかも相手にとっては無価値どころか大きな不利益)を押し付けたノアの自分勝手さこそが、FF3における諸悪の根源ではなかろうかと思う。
      • ノア「ドーガよ、よくがんばったな、魔力をやろう。」
        ノア「ウネよ、よくがんばったな、夢の世界をやろう。」
        ノア「ザンデ、死の宣告。」
        ザンデ「えっ」
    • ノアはザンデという存在に可能性を与えたかっただけなんだろうがな。
      ザンデは永遠の生命と呼べる精神世界に帰ろうとしただけで別に本質的には何も失っていないと思われる。
      なんのメタファーかは前の方で語られているから省略。
    • 人間としての命っていうのはより高次の世界の人間としての命だったんじゃ?とか考えてたなぁ。
      俺達の住む現実世界とか。
    • 『つまらないもの』と言えるあたり、ザンデ当人にとって具体的なマイナスがあったわけでもないのではないだろうか。
      例えるなら邯鄲の夢のように、人生の経験としてしか残らないものだったとか。
  • 某妖怪人間と違って自分は人間だと思ってたけど実は違う生き物だった事に気づいたというのではないから、人への憧憬が少なかったのだろうと思う。
    人外モンスターでも人間とコミュニケーションを取れるモーグリのような生物もいるし、オーガやトロル、サイクロプスのように人間に類する形態をとっていながらフィジカル的に人間より遥かに優れているものがいる世界では人間である必然性も少なかったのではないか。
    FF1に登場した人魚のように人間に憧れるほうが少数派なのだろう。
    • 「人間の命こそ最も尊い」って言うのは、言い方を変えれば「人間こそ素晴らしい、他の種族(元のザンデ含む)はそれより下」と言う人間至上論でもある。
      長命な種族も少なくない世界でのこの発想は、ノアの人格に大きな問題が有ったんじゃないかと言いたくなる。
      • このセリフに関してはドーガが高い所から物を言っているだけのようにも受け取れる。
    • 「人間の命は有限だから素晴らしい」と言いながら、魂が滅びない事を存分に活用した挙げ句恵まれた昇天するドーガとウネ、ひどくない?
  • この辺の設定もっと煮詰めていれば悲劇の悪役として結構存在感のあるキャラになっていたのでは。
    個人的にはもったいないキャラだと思う。

「人間の命こそ最も素晴らしい」という前提はピンと来づらいが、神話の世界では比較的メジャーな考え方でもある。

  • 動物の権利などと無縁の古代では割りと普遍的な考えであった。
    例えばインドでは、天人や畜生は宗教がないため悟ることが出来ないと考えたし、欧州でも、妖精や動物は不滅の魂がないため天国に行けないと考えた。
    FF3がこうした古典的宗教観念を踏まえた世界観ならば、なるほどザンデのもらった人間の命は魔力や夢の世界より遥かにいいものである。
    ドーガとウネはどれほど恵まれても死ねばいずれ無(あるいは大きな魂の一部)に還るのみだが、ザンデは天国に行けるのだ。
    …が、世界を混乱に陥れて闇の氾濫を招いたザンデは、どの宗教に照らしても地獄行きの可能性が高い。合掌。
    • FF3に近いのはインド宗教でなく一神教の方であろう。
      旧約聖書とコーランには、生物の霊魂について「全ては一つの所に行く」「みなかれらの主の御許に召集される」と記されており、ドーガやウネの「たましいは ほろびはしない」「わたしたちの たましいは もうすぐおおきなたましいと ひとつになる」というセリフに通ずる。
      また、旧約聖書と新約聖書には「天国に行けるのは善良な人間の魂のみ」と繰り返し説かれており、ノアらが人間の魂を特別視するのも、こういった文化の影響が考えられる。
      • 中世以降の神学では、これら新旧の聖書記述を総合して「あらゆる生物の魂はいったん冥府(一つの所、主の御許)へ行き、やがて聖霊(魂)を持つ人間のみが天国に行く」という解釈を行った。
    • FFって基本的に北欧神話モチーフが多いが所々キリスト教的要素もあるな…十字架とか。
  • 有名なアンデルセン童話の『人魚姫』も、原作はそういった価値観で描かれている。
    人魚姫の行動原理は「300年生きられる自分たちと違い人間は短命だが、死ねば泡となって消える自分たちと違い人間は魂というものを持っていて天国に行く。人間に愛されれば人間になることができる」というもの。

ザンデが暴走する前にドーガかウネどっちでもいいから贈り物交換してやれば良かったんじゃなかろうか…?
師の遺志を尊重したのかもしれんが。

  • ウネ「ノアがザンデに与えた人間としての命こそ最高の物なんだけど‥‥ザンデには分からなかったんだね‥‥」
    2人からしたら、最高の贈り物もらったザンデを羨ましく思ったくらいなのかもしれない。
    • 人間としての命が何なのかまでは作中にはでていないけど、本当にただ短いだけの寿命だったのだとしたらさすがに羨ましく思う余地はないと思う。
      ウネもドーガも殺されれば死んでしまうわけだから、死ぬことができる能力でもないような気がする。
      で、ひょっとしたらザンデに与えられた人間としての命には「人間との間に子供を作る」ことも含まれてるんじゃないかな。
      3人ともクローンはいても子孫は見当たらないし、それだったらちゃんと贈り物にはなってる気がする
      俗かもしれないけど。
    • クラーケンに殺されてしまったエリアが再登場しないところを見ると、死んだら魂が消滅して永遠の安らぎを得られる力、あるいは魂が天国とかに行ける力なのかも。
      • では、ウネたちの言っていた「大きな魂と一つになる」というのは何になるんだろう。
        人間になったら大きな魂と同化しない、というのも考えにくい
  • 敬愛していた師に認められていなかった、そればかりか命にリミットをつけられるほど疎んじられていた(と感じた)のもザンデが狂気に堕ちた(下手したら一番大きな)一因と思われる。
    たとえ贈り物を取り換えても師からの思いまでは変えようがあるまい。

ウネの最期のセリフが「ザンデのこと、たのんだよ…。」
ザンデを「止めろ」、でも「殺せ」でもないあたりが、若いころのザンデの人柄を偲ばせる。

  • 「ファイナルファンタジー大全集」ではザンデに対し、「ドーガもウネもどこかザンデに対して憎しみというよりは、師の本当の意図を解らなかった事に対して哀れみを抱いていた節もあった。もし、ザンデの目的が世界征服程度であったなら、2人は黙認したのではないだろうか」と評している。
    • やっぱ上から目線だなぁ、と思ってしまう。哀れみってのは対等の人間に抱く感情じゃないしねぇ。
      • ウネとドーガは人間じゃないからその辺りの機微が分からなかった。のかも知れない。

ノアとしては子孫を残すという生き物としての命のつながりを知ってほしかったのだと個人的には解釈している。
自分の命が限りがあるからこそ次の世代を考えなさいって伝えたかったのではないかな?

  • 個人的に最も推したい考えはコレかなぁ…
    坂口FFって、命の繋がりやそれに伴う想いの連綿性を重視している。人の時の流れという因果律の中で想いを繋いで行く人間讃歌こそ素晴らしいものなのだと。人間の命についてのこの手のやり取りはご存知の通り後々のFF9にて結実している。

師に最も目をかけられた魔導師が、師とのすれ違いから魔王にまで至ってしまった。
暗闇の雲のラスボスっぷりに隠れがちだが、なかなかの悲劇の悪役である。
個人的には、ディシディアには彼に出てもらいたかった。

  • 「人間」は、宇宙の存続にとって必要不可欠ではない「遊び」の部分なんだろう。
    ザンデにはその豊かさが分からなかった。(真面目だったから?)
    4人の主人公たちは、洞窟に「遊び」に行ってクリスタルに選ばれた、何者でもない孤児だった。

ウネとドーガは、戦闘時にモンスター姿へと変身するのに、ザンデは戦闘時も変わらず人型である。
これは、もしかしてザンデはノアから「人間としての命」を貰ったことで
モンスターの姿を失っている、ということなのかもしれない(元々変身しない種族だった可能性もあるが)。


名前の由来は「アルスラーン戦記」のザンデだろうか(天野氏つながりで)。
あちらはヒルメスの忠臣で無双の勇者・ダリューンと互角に打ち合う強者でもあったが、偽ヒルメス(シャガード)の正体を見破る際に「大男、総身に知恵が回りかね」を地で行く行動を取って死期を早めてしまった悲惨な人でもある。


グノーシス派の創造神デミウルゴスについてザンデ語で書かれている秘密の書籍の名前が「ザンデ・ヘデ・デミウルコシュ」という話を田中芳樹の本で読んだ覚えがある。たしか「夏の魔術」。


FCでのマップグラフィックは、ドーガとウネがいかにもな爺さん婆さんなのに対して、こいつは一見してビジュアル系かとすら感じさせるほどの若い兄ちゃん然である。
戦闘時に豹変するのは同じだが、人間の命をもらった結果、肉体が若返ったのだろうか。


ドーガやウネが引き継いだのは、永遠の命とともに魔力や夢への永劫に続く管理、ザンデにはそれらの気も狂う程の長い仕事ではなく人間てしての自由が与えられた、と解釈していた。
ザンデの不満は短命であることではなく、師から重要なことを任されなかったからだと。
だとすれば、真面目な性格から破滅への道を辿ったことも説明がつくし。


なんやかやドーガとウネが『不滅じゃー』とか言ってた方が強調されているが、彼らはちゃんと死んでいる。
戦士たちに命を再び与えた後、『大きな魂と一つになる』『もう助けることはできない』などと言っており、これは4のアンナのセリフなどからも死を意味していると思われる。
人間の命ってほんとなんなんだ…

  • いや「不老不死」と「不死身」は似て非なるものでしょうよ。

「どう素晴らしいのかを説明せず、相手の納得も得ず、拒否権を与えず一方的に押し付ける」時点で、仮に与えた物が何であるかとは一切関係なく大問題である。

  • 最も説明したところで納得を得れるかはまた別問題である…上の例で言えば「自分達のゲームや漫画は大人になっても大して役に立たないけど、その教科書で勉強すれば将来すごく立派な大人になれるよ、やったね!」などと兄弟の末っ子が言われたりしたら…うん、グレるなw

出番

中ボスやドーガやウネの会話からチラホラ名前が聞けるが、当人が登場するのは最後の最後で、セリフは魔竜の罠・バトル前・バトル後にそれぞれ一言だけとあまりの出番の少なさからか、DFFではFF9の永遠の闇並にポッと出の暗闇の雲に座を奪われてしまった。
DFFはラスボスでなくともゴルベーザやクジャなどストーリー的にも重要で出番の多い者なら採用されえたのだが彼はその選考から漏れたようだw

  • 基本的に能動的結末をもたらそうとする者が選ばれているから、無と言うより破壊が目的のケフカやそもそも支配を望んでいたクジャ・皇帝、支配と旅の人生だったアルティミシア、男らしいジェクト、破壊の精霊と言うべき暗闇の雲&エクスデス(後天的に)、システムとして動くセフィロス、等と違い純自滅願望のザンデは選ばれようがなかったのだろう。
  • システムとして動くってそれこそ受動的な気がするけど。
    やっぱりザンデは単純に出番とか語られる部分が少なすぎたのが問題だったんだと思う。

得意技がメテオだから2のこうていと被るというのもあったのかもな。

  • その点、雲様は「波動砲」という個性的で他と被る事もない技を持ってるな。
  • 異名が「魔王」の他につけようがないがそれだと「魔人」と被るのもある。

しかし、FF3の中では暗闇の雲より存在感はあるし、やっぱ可哀想ではある。どう見ても人間では無い容姿が原因か?
(暗闇の雲は天野絵に忠実になっているためただの露出狂にしか見えない)

  • そうかなぁ、俺個人は暗闇の雲の方がバリバリ存在感あるように思えるが。
  • 人間にこそ見えないが、体つきは人間っぽいと思う。天野絵だと尚更。
  • 人それぞれなのは承知だが「暗闇の雲より存在感がある」とかレアケースだな。

中盤から名前自体は出てくるが自ら存在をアピールする機会がほとんど無かったのが原因かも知れない。


ゴルベーザやエクスデスのように自ら出向かず部下に任せっきりだったのが悪かったのでは。
せめてドーガやウネと会話でもしてやれば良かったのに。

  • ザンデの部下って、ティターンクラーケン以外にいたっけ?
    あとはせいぜいクリスタルタワーや古代の民の迷宮とその周辺の、通常敵&5匹の魔竜くらいなのでは。
    ゴールドルガルーダは違うよな。
    それぞれ自分の欲望(富や権力)の為に暗躍していた最中に、ザンデの策によって世界丸ごと石化させられて海底に沈められていたわけだし…
    エウレカのアイテムボスは、その武器の力(または古代人による封印の力?)の化身だし。
    ザンデの正式な支配域はクリスタルタワーエリア内だけかと思うんだが。
    「魔王」じゃなくて「タワーの主」。
    • 純粋な魔術師でありアバターだから、魔王といってもいわゆる軍の長ではなかったわけだ。送り込んでたのもいわば彼の召喚獣だしな。
    • メデューサ
    • 推測だが、出て来られなかったんじゃないだろうか。
      人間としての命だけで1000年も生きられるはずも無いから、シルクス城をザンデの恨み(DFF)でクリスタルタワーに作り替え、延命の結界を張っていたと考えられる。
      昔いろいろやっていた時に人間としての寿命をほぼ使い果たしていたとしたら、クリスタルタワーから出てこない事も納得できる。

DFF的には男女比のバランスというのもあったのではなかろうか。
ただでさえ主人公・宿敵となると男が多目なのだから。


つーか、DFFで暗闇の雲が参戦したのは必然と思ってた俺の方が感覚ずれてんのかな?

  • ザンデはカオスというより純粋なネガキャラだから雲で良かったと思うよ。

一応、インタビューでは候補に挙がった一人として彼の名を上げている。


もし出た場合異名は間違いなく「魔王」だっただろう。

  • デフォで相対する存在が「猛者」なのがちょっぴり残念。

FF3本編での名前の登場回数はザンデが雲様より多いが、存在感は長いタワーを越えた挙句の強制負けイベントやらで、雲様が上になった感じ。
ゲーム中盤辺りで登場して自分で動けば、また違った感じになったんだろうけど。
ゼムスを押しのけたゴルベーザ、闇を押しのけて出たクジャも動くタイプだったし。

  • 雲様が人型の魔物だったからというのもあると思うけどね。
    もし雲様のビジュアルがゼロムスみたいなクリーチャーだったら、ザンデが参戦する可能性も十分にあっただろう。

DFFにはノアが登場していたのだが、もしザンデが登場していたら何か絡みがあっただろうか。

悠久の風伝説(コミック)

ノアから何も貰えなかったため高弟2人に反逆した様子。
ウネとドーガは魔術を半分ずつ受け継ぐのに十分な能力と統率力があったため2人に与えた、ノアは過ちを犯した、第三の高弟が居た、ということをウネが語っている。
本作では元々人間だった様子。
しかし反逆時に人間をやめており、外骨格的な異形の数十メートルの巨人。

ドーガとウネを支配すると外骨格が割れて、天野画のカオスの姿になった。
ムウチたち4人の全力で滅んだかと思われたが、下半身などが吹っ飛んだボロボロの状態で現れる。
余力の残っていない4人を追い詰めるも、4つのクリスタル(十数メートルサイズ)に貫かれて滅んだ。

  • 土のクリスタルはザンデの支配下にあったはずなので、一度やられた際に正常に戻ったのだろうか?

原作ではラスボスの前座に過ぎなかった彼だが、
本作では見事念願のラスボスの地位を勝ち取っている。

FF14

詳しくはこちら→始皇帝ザンデ


古代アラグ帝国の初代皇帝として登場。CV:松田健一郎(暁月のフィナーレの回想のみ)。
作中で相対するのは帝国末期にアモンによって生み出されたクローンだが、原作同様シルクスの塔の最上部にて「始皇帝ザンデ」として待ち構えている。
人物としては1000年の繁栄の礎を築き、そのクローンも帝国の再興を成し遂げるほどの名君。
作中では呆気なく退場するものの、その後も「ザンデ陛下万歳!」と発するが点在しており存在感を放っている。
なお、本作でのドーガウネは彼の子孫に当たる。


戦闘能力は原作と違って武闘派な一面を見せ、なんとオーラキャノンバーニングレイヴで攻撃を行ってくる。
魔法も健在でエンシェントクエイガや(ギミック要素としてだが)メテオも使用する。
ちなみに戦闘前のデモで例の台詞を字幕付きで言ってくれる

DDFF

ザンデの恨み」という素材アクセサリが登場する。


DFFにもDDFFにも出演出来なかったのをやっぱり恨んでいたようだ。

  • エリア」殺害の首謀者である罪は、それほど重いということだろうか。
    • それなら、クラーケンを絡めてくるでしょう。
  • 3からはこれ以上出しにくいのではないか。
    ザンデもキャラ的にインパクトが弱いし。
    • それこそ偏見である。

DFFOO

2020年4月のイベント「闇に魅入られし魔王」より参戦。。メインストーリー第3部1章のキーキャラクターでもある模様。
担当声優は立木文彦氏。本作で初めて声が付いた。
武器種カテゴリで、クリスタル覚醒では緑色に対応する。
これもやはり「次元の座標」による共闘である。


使用アビリティは「ライブラコンボ」「クエイク」、EXアビリティ「メテオ」、LDアビリティ「デストラクション・クエイガ」。
属性耐性ダウンを得意とする魔法アタッカーだが、最大の特徴は段階的に強化される固有バフと特殊効果にある。
EXアビリティで付与される固有バフにはリキャストゲージ加算量をアップさせる効果があり、EXアビリティを打てば打つほど回転率が上がる仕組みとなっている。
またアビリティを使用することで付与される特殊効果「シルクスの塔」はLD武器があれば最大5段階まで上昇し、味方全員に闇属性のエンチャントが発生するのでエンチャンターとしての役割も担える。
戦いが長引くほどにどんどん強くなっていくその姿はまさに魔王。一方で段階強化に時間が掛かることから短期決戦は苦手なので、選出するクエストは長めの方が向いている。


第2部最終章の戦いが終わり、「新世界」に投げ出されたオニオンナイトたちの前に現れる。
この世界に召喚されたザンデは暗闇の雲の支配を受けていない模様。
そんな魔王はこのオペラオムニアの世界を大変気に入っているらしく、いわく「意志の力」を用いれば「永遠の命」すら手に入れることができるだろうと自らの野望を語る。
とりあえず目の前にいるオニオンナイトたちを抹殺しようとかかるが失敗し、その最中に現出した暗闇の雲に諭されて一時退却をすることに。
そして暗闇の雲経由でオニオンナイトたちへ「次元の座標」を渡されるのだが、これは彼女の独断によるものだったらしくザンデは「余計なことをしてくれる」と一人吐き捨てていた。
とはいえこの世界には時に限りがないことを知っているらしく、焦ることもなく次なる機を待つザンデであった。

  • 事前にシーモアとは出会っているらしく、この世界の事情についてはある程度の知識がある模様。
  • ザンデがこの世界の理についてどれだけ知っているかは不明だが、たしかにオペラオムニア世界(というよりもディシディア世界)は彼にとっての理想郷であることは間違いないだろう。
    なにせディシディアにおける神々の戦士はその成り立ちゆえ基本的に不老の存在である。「定命」であることを何としても拒絶したかったザンデにとってはこの世界に召喚されるだけで本来の目的を達成できているといっても過言ではない。
  • 3部1章の前編によるとどうやらマーテリアの戦士でもスピリタスの戦士でもないらしい。
    目的に関しても「永遠の生は得たものの、光が氾濫してる今の状態では本当の意味では叶っていないから光の意思を持つ戦士たちを滅ぼす」と上記の説明とも言える説明がなされている。

事前に発表されていた通り、第3部1章にも登場している。
ただし時系列的にはイベントから少し遡っており、章内でオニオンナイトたちと出会うことはない。
一方でこの世界に召喚されてからのザンデの動向や、暗闇の雲やシーモアとの会話などが描かれている。
流れとしては、3部1章前編クリア後にザンデイベントが発生しているものと思われる。


第4部にて、レオノーラやオニオンナイトから、ドーガとウネの想いを伝えられ、まさかの改心を果たす。

TFF

BMSバトル2最後の死闘演奏中に登場する。

TFFCC

引き続き敵として登場している。

TFBL

FF3のモンスターとして登場。
ミニマムミニマム状態にしてくる。

PFF

2016/08/13の「FF3バトリア」で登場したエクサメモリア。ランキング600位以内で手に入った。

もう闇はそこまできている。

武器はロッド。専用ではないが「魔王の首飾り?」がある。
黒魔法が得意。

  • リーダースキルは「攻撃人数が1人以上のとき、パーティの地属性効果が【中】アップする」
  • ジョブアビリティは「魔力の泉」「暗黒剣」「コメット
  • プレミアムスキルは「メテオ

力がかなり高い黒魔道士。また意外と幸運が高く、よく殴れて良い威力を叩き出す。
反面、知性が黒魔にしては低いが、プレミアムスキルがコメット強化なので、黒魔法も使う必要がある。

PFFNE

エリア10-EXで手に入る。
ロッド装備、専用は「ザンデのロッド」。地・闇属性。
アビリティはクエイク(クエイガまで)・ファイア(ファイガまで)、スキルは「魔力の泉」、プレミアムスキルは「メテオ」。


敵としてはAREA9-9の5戦目に1体登場する。

FFRK

FF3のボスとして「まおうザンデ」が登場している。
2016年10月のアップデートで追加されたノーマルダンジョンのクリスタルタワーが初出。