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No.102 | ||||
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伊勢・改(いせ) | 伊勢型 1番艦 航空戦艦 | |||
艦船ステータス | ||||
耐久 | 77 | 火力 | 64 | |
装甲 | 75 | 雷装 | 0 | |
回避 | 40 | 対空 | 49 | |
搭載 | 44 | 対潜 | 0 | |
速力 | 低速 | 索敵 | 22 | |
射程 | 長 | 運 | 30 | |
艦載 | 装備 | |||
11 | 35.6cm連装砲? | |||
11 | 瑞雲 | |||
11 | 未装備 | |||
11 | 未装備 | |||
改造チャート | ||||
伊勢 → 伊勢改(Lv10) | ||||
図鑑説明 | ||||
洋上航空戦力強化のために、主砲を一部外して、かわりに飛行甲板を設置、 軽空母並の航空戦力を運用可能な航空戦艦、伊勢です。 海自の新鋭DDHにもその名は受け継がれているわ。 |
セリフ | CV:大坪由佳、イラストレーター:しばふ |
入手/ログイン | 航空戦艦、伊勢です。後部飛行甲板とカタパルトで航空機の運用が可能よ。 |
母港/詳細閲覧 | ま、水上機が基本なんだけどね |
戦艦の火力と軽空母並の航空機運用力…ね、素敵でしょ? | |
…ぁ、御免なさい、呼びました? | |
ケッコンカッコカリ(反転) | 提督、あの…カタパルトとか、取らないでくださいね…あれが無いと私…!あっ…いじわるぅ! |
ケッコン後母港(反転) | いいんじゃない? |
編成 | 航空戦艦伊勢、出撃します。 |
出撃 | 日向遅いよ。置いてくからね? |
遠征選択時 | いいんじゃない? |
アイテム発見 | |
開戦 | 左舷、砲戦開始! |
航空戦開始時 | 主砲、四基八門、一斉射! |
夜戦開始 | 艦載機、全機発艦! |
攻撃 | 瑞雲とかって、どうかな?いける? |
左舷、砲戦開始! | |
[夜戦時]主砲、四基八門、一斉射! | |
小破 | どんどん撃ってきなさいな |
小沢囮艦隊のときに比べれば、この位! | |
中破カットイン | がーん 折角の飛行甲板がぁ~ |
勝利MVP | え?またあたしの戦果が一番なの?…どうなのさ~日向、おとなしいじゃん。 |
旗艦大破 | |
帰投 | 艦体が帰投です。おつかれさま |
補給 | んふふ…日向がびっくりしちゃうかな? |
改装/改修/改造 | 結構、ばっちりじゃない、コレってば! |
んふふ…日向がびっくりしちゃうかな? | |
いいんじゃない? | |
入渠(小破以下) | ちょっとした怪我よ。でも、ありがと。 |
入渠(中破以上) | さすがに修理しとかないとね。 |
建造完了 | 提督、新型艦が進水したみたい。 |
戦績表示 | 提督にご連絡です。…忙しいのね |
轟沈(反転) | まぁ…やるだけやったかな 日向… ゆっくり来なよ |
時報 | |
放置時 |
ゲームにおいて
- 改装前と比較すると火力が僅かに下がった分他のステータスが上昇した。
- 特に回避が吹雪型駆逐艦と同じ破格の40、運も平均を大幅に超える30。本当に戦艦かというレベルの回避性能を持つ。ただし速度が低速である分、額面通り駆逐艦並とはいかないのだが。
- 同型艦の日向とはほぼ全て同じステータス値だが、装甲の値が2だけ高い。
- 平成25年12月24日のアップデートで、航空戦艦も瑞雲による対潜攻撃を行うようになった。
- 搭載機数が多いので、ガン積みすると結構なダメージを期待できるが、航巡や水上機母艦と同じく、潜水艦が存在する限り砲撃ができなくなる。
砲撃力を活かすべき戦艦としては、場合によっては致命的とも言えるデメリットでもあるので、装備構成は入念に考えよう。
- 搭載機数が多いので、ガン積みすると結構なダメージを期待できるが、航巡や水上機母艦と同じく、潜水艦が存在する限り砲撃ができなくなる。
- 伊勢の飛行甲板はイラストでは艦尾側を前に向けているが、飛行機を射出する時は左肘を曲げて艦首側(カタパルト側)を前にして射出する。
田中P原作の漫画「いつか静かな海で」で詳細な発進シークエンスを見ることができる。
小ネタ
- 伊勢型の後部主砲塔2基を撤去・航空機運用能力を付与した世界で唯一の航空戦艦姉妹の姉。
- 彼女がグラフィックで左手に装備している西洋の盾のようなものが、そのとき付けられた飛行甲板である。
- 回避はレイテ沖海戦?で見せた回避戦術が元ネタと思われる。何しろ伊勢は、至近弾だけでも爆弾48発、魚雷17本をすべて回避したというから恐るべし。
- 当時の伊勢型の艦長は揃って新米同然だったのだが、レイテ沖海戦では米軍側が驚くほどの操艦術を発揮、空襲を悉く退けた。
- 伊勢艦長の中瀬泝大佐は開戦以来海軍省勤務の事務方で、艦長経験は初代駆逐艦島風(峯風型)で1年だけ、洋上勤務も開戦直前の第二遣支艦隊以来でかなりのブランクがあった。
- 操艦術のタネは松田千秋少将(四航戦司令官)作成「爆撃回避法」。このマニュアルが有効に働いた結果がこれ。
松田少将も戦後の証言で、中瀬艦長はマニュアルを完全にマスターしていたと太鼓判を押している。*1 - 急降下爆撃に対しては、伊勢の中瀬艦長はこれでもかというほどの「取舵」一辺倒、日向の野村艦長は逆に「面舵」の連打でそれぞれ回避していたという。
理由はそれぞれ「言いやすかったから」。急降下爆撃の場合、舵を切るタイミングが大事で、かじを切る方向はどっちでも良かったそうな。
そのため、「取舵だったから次は面舵だろう→取舵でした→今度こそ面舵だろう→(`Д´#)ガッデム!」こんな感じで米軍機の予測の裏をかき続けてたそうな。
- そんな伊勢でも間一髪の場面があったそうだ。
潜水艦から雷撃されたが当直見張り員は気が付かず、たまたま艦橋の後ろで一服していた声の大きい見張り員が見つけて、
「雷跡!艦尾より雷跡!」と叫び、慌てて回避してギリギリかわしたことがある。 - しかも海戦中、瑞鳳?の沈没地点で艦を停止し乗員救助まで行っている。言うまでもないが戦艦のような大型艦は一度止まると容易には再加速できない。
連続大空襲の状況下で豪胆というか殆ど暴挙に近い行動だったが、無事100人近くの瑞鳳乗員を収容。
やっと全速力に戻ったその時に第4次空襲が始まるなど、凄まじいばかりの強運にも恵まれた艦だった。
- 当時の伊勢型の艦長は揃って新米同然だったのだが、レイテ沖海戦では米軍側が驚くほどの操艦術を発揮、空襲を悉く退けた。
- 史実では彗星を搭載予定だったり、12cm噴進砲?が対空兵装として装備されていたのだが、その辺反映されていない。逆に搭載機数が史実の倍に増強されている。
- この対空兵装の強化が高い対空値の元ネタ。最終型大和には流石に及ばないが、かなりの防空力を持っていた。
- 航空戦艦として改修を受けたものの、史実においては様々な事情が重なり実戦において艦載機を載せて出撃することは一度もなかった。その代わり、改修された後部スペースに各種対空装備を積載する形で運用されていたので、高い対空値はそのあたりの史実にも基づいているのかもしれない。
- なお彗星の回収は近隣の飛行場や同じ作戦に参加する空母(空きが発生しなかった場合はパイロットだけ回収)で行う予定であったため、特別な設備があったわけではない。
- そのため、四航戦には一時期、空母隼鷹?と龍鳳(未実装)が所属していた。この両艦はレイテ海戦時は第一航空戦隊を編成していたため、作戦行動を共にしたことはない。
大和型戦艦を改装した空母信濃(未実装)と航空戦隊を組む計画もあったという。
- そのため、四航戦には一時期、空母隼鷹?と龍鳳(未実装)が所属していた。この両艦はレイテ海戦時は第一航空戦隊を編成していたため、作戦行動を共にしたことはない。
- 軽巡大淀(未実装)から撮影された伊勢の対空戦闘の映像が残っている。日本戦艦の実戦における主砲射撃シーンを捉えた(たぶん)唯一の現存映像である。*2
主砲や高角砲などが猛然と火を噴く映像はド迫力かつ超貴重なので、機会があれば探して見てみてほしい。- なお伊勢に関する記述では「多数の航空機を撃墜」という記述が多いが、これは伊勢の戦闘詳報「(伊勢の戦果は)撃墜44機・不確実12機」という非常に夢のある大戦果記録が元ネタになっている。
相方の日向はというと、「(日向の戦果は)6機撃墜確実」である。「どうなのさ日向~おとなしいじゃん」
ちなみにエンガノ岬沖海戦での米軍の被撃墜数は10機である。*3伊勢の戦闘詳報でも「重複もかなりあると思うよ」と書かれているが……
日向の撃墜記録のほうが冷静かつ信ぴょう性が高いと言わざるを得ない。「伊勢のやつ、調子に乗りすぎだ」 - しかし、混乱の上に興奮絶頂な戦場で戦果を過大に誤認することは、洋の東西を問わずどこでもいつでも起こることである。
それに伊勢・日向とも、強力な対空兵装で敵機の猛攻を防ぎきったのは紛れも無い事実である。胸を張ろう伊勢さん!
- なお伊勢に関する記述では「多数の航空機を撃墜」という記述が多いが、これは伊勢の戦闘詳報「(伊勢の戦果は)撃墜44機・不確実12機」という非常に夢のある大戦果記録が元ネタになっている。
- そんなこんなんで
ゲームでは今のところ航空戦艦の時代はなかなか来ないがレイテ沖海戦における4航戦二艦は艦載機は積まず三式弾を積んで敵機を弾幕射撃で撃ち落としまくっては上述の急速回避術で生還している、ことになっている。いずれ来たるべきレイテ戦イベントのときは攻略の際ちょっと留意しておいてもいいであろう。 - レイテ沖海戦の後、1944年11月に伊勢、日向を中核として「H部隊」が編成された。Hとは旗艦日向の頭文字と言われている。
この部隊は航空機用の落下式増槽などの軍需物資を満載して、マニラ湾を経由してシンガポールに向かうというものであった。- なお、この作戦の最中にハルゼー台風という名の米海軍第38任務部隊が大暴れしているが、H部隊は捕捉されずに済んでいる。
H部隊はマニラ出航後、空襲を避ける為に一旦カムラン湾に避退した後シンガポールに向かうのだが、その後で第38任務部隊の艦載機がやってきてカムラン湾にいたフランス軽巡のラモット・ピケ*4を伊勢と誤認し、挙げ句に撃沈してしまう事件があった。
- なお、この作戦の最中にハルゼー台風という名の米海軍第38任務部隊が大暴れしているが、H部隊は捕捉されずに済んでいる。
- 連合軍の警戒網をくぐり抜けてシンガポールに到着したH部隊は、現地で合流した軽巡大淀や霞?らを加えて「完部隊」を編成、北号作戦?に赴くこととなる。
米軍がこの行動を黙って見逃すはずもなく、15隻の潜水艦による執拗なアプローチや、米陸軍のB-24など空からの激しい追撃を受けたが、
松田司令官の指揮と各艦の対応が見事にハマり、全艦揃って無傷で呉鎮守府に帰還を達成する?という奇跡を成し遂げた。
全滅覚悟でいた上層部もこの結果には本気で目を疑い、ついで狂喜乱舞したという。- この作戦で、伊勢は潜水艦から撃たれた魚雷を命中寸前に高角砲で撃破しちゃったり、日向は浮上追跡してくる米潜水艦を主砲で撃退したりと、姉妹揃って奇想天外なエピソードを残している。
- 長門と並んで全戦艦中最高を誇る伊勢型姉妹の「運」は恐らくこの作戦大成功から来ている。
- 連合軍から見ても完璧に意表を突かれたらしく、戦後に松田司令官が米海軍第7艦隊の参謀に訊ねてみたところ、「いやあ、完全にしてやられたわ」という答えが返ってきたとか。
というか、連合軍が四航戦をこうも執拗に追跡していたのは戦艦含む残存戦力の集中投入による反攻作戦の萌芽でありフィリピン戦線の懸念事項という認識があったからで、
まさか戦艦使って輸送作戦なんぞやるとは夢にも思ってなかったのだ。
- 連合軍から見ても完璧に意表を突かれたらしく、戦後に松田司令官が米海軍第7艦隊の参謀に訊ねてみたところ、「いやあ、完全にしてやられたわ」という答えが返ってきたとか。
- 最終的には燃料不足で「呉鎮守府第1予備艦(要は浮き砲台だクマー)」に指定され、三ツ子島近海に停泊。
呉軍港空襲?で艦橋に直撃弾を受け艦長*5以下のブリッジクルーが戦死し、高射長が艦長代理となって補修曳航のための準備作業中の7月28日、再空襲で11発の爆弾の直撃を喰らい大破着底。戦後に引き揚げられて解体された。- 総員退艦が下命され、軍艦旗を下ろそうとすると、ポールに引っかかってなかなか下ろせなかったという。
また、2番砲塔の砲身は動力を失い空を睨んだままであった。この光景に、乗組員は「伊勢はまだ戦うつもりなのか……」と涙したという。→戦後撮られたカラー映像(10:08-13:10)
- 総員退艦が下命され、軍艦旗を下ろそうとすると、ポールに引っかかってなかなか下ろせなかったという。
- 帝国海軍史において最後に主砲を発射した戦艦であると同時に、榛名や日向ともども最後まで抗い続けた戦艦でもある。彼女たちの奮闘に敬礼。
- 戦後、陸揚げされ解体された伊勢の艦橋に戦災で家を失った家族(4世帯)が住み着いていたことがある。→日本ニュース 第97号
- そして時は経ち2011年。自己紹介にもある「伊勢」の名を継ぐ護衛艦。2隻目の全通甲板式のヘリ搭載護衛艦(DDH)「いせ」が華々しくデビュー・・・のはずだったが、就役を5日後に控えて「東日本大震災」が発生。
軍艦旗自衛艦旗授与式などは予定通り行われたが、フル回転中の現場にそんな余裕は無く祝賀会は自粛。大きな期待と船体にしては非常にさびしいデビューとなった。。。- 先に就役し、来世でも再び姉妹となった「ひゅうが」と同様、マルチハザードに対応する洋上プラットフォームとして大きな期待が寄せられていたが、習熟訓練もこれからという彼女は何も出来ず、ただただ姉のひゅうがの活躍を見守るしか出来なかった。
- こうしてデビュー早々悔し涙を飲んだ彼女だったが、デビューから2年。国外でいよいよ力を発揮する機会が訪れる。
- 2013年11月、空母「ジョージ・ワシントン」を旗艦とする米国海軍の空母打撃群を筆頭とした各国の救援部隊が、大型台風で壊滅的被害を受けたフィリピンやパラオ等の被災者救援のために集結した。
この救援活動には自衛隊も参加。“Operation SANGKAY”*6と名付けられたこの自衛隊史上最大規模の海外被災地支援任務に投入された救援艦隊の旗艦として、護衛艦「いせ」は発進した。因縁の海域であるレイテ島沖で激戦を繰り広げた国々が、今度は友軍として人道支援のために集結する事となったのである。- 最大の被災地であったタクロバンはレイテ島東岸であり、どちらかと言えば栗田艦隊や西村艦隊と縁がある。
- その帰国から間もない2014年1月。レイテ湾からの帰りを報告するかのように、呉基地から近い三ツ子島海岸沖、まさに「伊勢」が力尽きたその場所で「いせ」による洋上慰霊式が行われた。
- 同式典には「伊勢」の生き残りである元砲手が出席、遠い後輩となる若き「いせ」のクルーとともに、戦艦「伊勢」そしてかつての戦友に、2代目の艦上から静かに祈りをささげた。「伊勢」と「いせ」が時を越えて一つになった瞬間である。